好きな音楽のことについて語りたいと思います。

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Jackson Browne - Love Minus Zero/No Limit

 ボブ・ディランのノーベル賞受賞に関し、オバマ大統領、スティーヴン・キング、ブルース・スプリングスティーン、ミック・ジャガー、レナード・コーエン、リンゴ・スター、ロビー・ロバートソン、U2、ベット・ミドラー、トム・ウェイツなどから祝福のメッセージが次々とツイッターなどで発表されています。ことにスプリングスティーンは「彼は俺にインスピレーションと希望を与えてくれた」との趣旨を語り、さらに「ボブがケネディ・センター名誉賞を受賞したとき、彼のために『時代は変る』を歌う機会があった。俺たちはほんのわずかの間だったが、ふたりきりで裏口の吹き抜けの階段を下りていた。彼は俺が駆けつけたことに感謝してくれ『もし君のために何かできることがあれば…』と言ってくれたのだ。俺は『冗談でしょ?』と思い、こう答えた。『もうとっくにしてくれているじゃないですか』と。」といった具合に格段の敬意を表していました。

 さて、スプリングスティーンと同じく、ディランから大きな影響を受けたとされるジャクソン・ブラウンはどうしたのでしょうか。いまのところ彼によるディランへの賛辞を見聞きしておりません。かつて東のブルース・スプリングスティーン、西のジャクソン・ブラウンと何かと対比されることがありましたが、ファンとしてはジャクソンがどんな風なコメントを発するのか気になってしまうところです。
 寡聞にして、私はこれまでにジャクソンが、ボブ・ディランについて語っているのをそれほど多く目にしたり、耳にしたりしたことはありません。彼の半生が描かれた書物にも具体的なディランに関しての記述を見いだすことはできませんでした。ジャクソンはディランという大きな存在を意識的に遠ざけていたのでしょうか。それとも同業者として一線を画すために距離を置いていたのでしょうか。
 
 そんな雑念が頭の中を駆け巡る中、かなり古くなりますが、1974年8月に発行された『ライトミュージック』という雑誌の中に彼へのインタビュー記事が掲載されているのを思い出しました。そこにはディランに会った時のジャクソンの印象が割と詳細に書かれています。
 まず、「コンサートの後にディランと会うことが出来たが、握手にも応じず、黙っていた。ボブ・ディランをディラン自体が演じているような気がした。詩人とはマイナーな存在だ。大衆の中で、幻想化され、美化されたディランと、詩人ディランその人とはかなりの食い違いがあるのだろう」との趣旨を述べた後、「ディランは絶えず全体感を見続けている。たとえば普通の人間がショウをみると、その1時間のドラマを見て楽しむが、彼の心の中はそこに自分の姿をうつしてみたり、裏方を見たり、客と舞台の間を観察したりすることが横行する。絵画的にものを見たり、芸術家の素質をかねそなえている男だね。この歴史観とか時代的意識、政治的意識をこうしたやさしい言葉で表現できるのはディラン独自の特性だ」と語り、インタビュアーが「よく日常性を追求すればそれが芸術だと思っている奴がいる。又貧しさとか逆境が芸術と思っている奴もいる。それは大きな間違いさ。ものを見る目があるかどうかは金持ちでも貧乏人でもわからない。このものを見る目があって、それを詩という形にまで築き上げることのできる人間が詩人だ。」といった具合に応えたのに対し、ジャクソンは「彼(ディラン)はものすごいマネーコレクターだよ」という言葉を付け加えていました。
 インタビューの内容からは崇拝していた人物と実際に会い、その素顔に触れて感じた落差や隔たりが垣間見えます。それでもジャクソンの洞察力と感性はディランの本質の一端を鋭く暴いていると言えるでしょう。30年以上も前のインタビュー記事ですが、ひとりの普通の人としてのボブ・ディランを理解するうえでのヒントとなり得るのかもしれません。

 連絡が取れず賞を受け取るのか否かと騒がれたものの、ようやく「受賞したことを知り言葉を失った。この栄誉に感謝します」と受け入れる意向を示したディラン。これも彼一流の予定通りの行動だったのでしょうか。案外、沈黙していたのは「いや、どうしよ。スウェーデンの王様に会わなあかんのやな。照れくさいわ。何着ていったらええんやろ。タキシードを新調しよかな」といった具合に悩んでいたのかも。

 現在、ジャクソンはディランのノーベル賞受賞に関してのメッセージを出していないようですが、ディランへの敬愛の念はデビュー前と変わらないでしょう。その証拠といっては何ですが、2012年にリリースされたディランのトリビュート・アルバム『Chimes Of Freedom: Songs Of Bob Dylan Honoring 50 Years of Amnesty International』では「Love Minus Zero/ No Limit」をカヴァーしていました。なお、ディランのオリジナルは1965年発表の『Bringing It All Back Home』に収録されています。



LOVE MINUS ZERO/NO LIMIT
俺の恋人、彼女は語りかける時もまるで沈黙しているみたい
理想も暴力も口にしない
彼女は自分が誠実だと打ち明ける必要はない
氷のように、炎のように彼女は偽りのない人
みんなは薔薇の花を持ちながら
1時間おきに約束を取り付けようとやってくる
俺の恋人である花のように笑い
ヴァレンタインの贈り物には見向きもしない

雑貨店やバス・ターミナルでは
人々が自分たちの置かれた境遇について語り
本を読み、他人の言葉の引用を繰り返し
壁の上にああだこうだと結論を描き
誰かが未来について述べている
俺の恋人、彼女は穏やかに語りかける
失敗のような成功はなく
そうした失敗もまた成功のもとではないと彼女は知っている

マントと短剣がぶら下がり
奥方たちはキャンドルに灯をともす
騎士たちの式典で
歩兵でさえも恨みを抱く
マッチ棒で作られた像は
お互いに寄りかかってあげくに崩れ合う
俺の恋人はウインクし、まったく気にする素振りもない
議論したり判断したりするにはあまりにも多くを知りすぎているのだ

真夜中に橋が揺れ動き
田舎の医者があてもなくぶらつく
銀行家の姪たちが完璧なるものを追い求め
賢者たちが持って来る贈り物に期待を膨らます
風がハンマーで叩き付けるかのような音でうなり
その夜は冷たく雨模様
俺の恋人はカラスのように
傷ついた羽で俺の窓にとまっている



 この曲は多くのアーティストに取り上げられています。清楚な歌声がメロディ・ラインの美しさを納得させるジュディ・コリンズのヴァージョンは1993年の『Judy Collins Sings Dylan Just Like a Woman』に収録。


 荘厳で格調高いアレンジが施されたロッド・スチュワートのヴァージョンは1997年のトリビュート・アルバム『Diana, Princess Of Wales』に収録。


 他にもウォーカー・ブラザーズ(1965年の『Take It Easy With the Walker Brothers』に収録 )、ジョーン・バエズ(1968年の『Any Day Now』に収録)、リック・ネルソン&ザ・ストーン・キャニオン・バンド(1971年の『Rudy The Fifth』に収録)、バック・オーエンス(1971年の『Bridge Over Troubled Water』に収録)、ブリジット・セント・ジョン(1972年の『Thank You For....』に収録)、レオン・ラッセル(1995年の『Leon Russell and the Shelter People 』のリイシュー盤に収録)、ダグ・サム(2000年の『The Return of Wayne Douglas』に収録 )など枚挙に暇がありません。

Paul McCartney & Wings - Tomorrow

 ポール・マッカートニー主導で作られたビートルズ・ナンバー「Yesterday」はあまりにも有名です。彼は他にも「Another Day」、「Here Today」、「Tomorrow」など「日」に因んだタイトルの曲を発表してきました。それらの殆どは今なおステージで演奏されているのですが、何故か「Tomorrow」だけが蚊帳の外。そこで、今回はこの「Tomorrow」をお題とし、とりとめのないことを語らせていただくことにします。


TOMORROW
ねぇ、ベイビー、明日はがっかりさせないでくれよな
お互いの手を取り、哀しみを捨て去ろう
明日は出発するにはいい日なんだ

なあ、ベイビー、日曜日を怠惰に過ごしたな
ここにある1ポンドで
月曜まであくせくしてやりきろう
ああ、日曜日はがっかりさせないでくれよ
パンとチーズをどっさりバッグに詰めて
木陰を探し
田舎の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込もう
そして君のきれいな指で俺の髪をといてくれよ

明日は
ふたりが哀しみを捨て去るとき
ああ、ベイビー
がっかりさせないでくれ
一週間は何としても
ああ、明日は一緒に旅立つチャンスなんだから

さあ、晴れた空に祈ろう
君の瞳に映る虹に願を懸けるよ
気象予報士の機嫌がいいことを望む
ふたりの計画を台無しにしないように

ねぇ、ベイビー、明日はがっかりさせないでくれよな
お互いの手を取り、哀しみを捨て去ろう
明日は出発するにはいい日なんだ

 1971年リリースの『Wings Wild Life』に収められていた小品、「Tomorrow」。少年期に最愛の母を亡くした経験と失恋した時の気持ちを重ね合わせながらの追憶と後悔が表された「Yesterday」とは違い、過去を振り返ることなく「明日への希望」が歌われています。歌詞の中に "Don't you let down" という言葉が何度も出てきますが、ジョン・レノン主導のビートルズ・ナンバーである 「Don't Let Me Down」をポールが意識していたかどうかわかりません。しかし、「お互いの手を取り哀しみを捨て去ろう」、「明日は出発するにはいい日だ」といった歌詞からはジョンとの和解を呼びかけているようにも受け取れます。そんなポールの「ラヴ・コール」に気を良くしたのか、ジョンは『マイク・ダグラス・ショウ』に出演(1972年2月14〜18日の5回)した際、『Wild Life』に関して「いいね。悪くない。あいつはいい方向に進んでるよ」と評したとのこと。1971年9月に9日リリースされたジョンのアルバム『Imagine』に収録されていた「How Do You Sleep」においてはポールを誹謗中傷しているのではないのかと物議を醸しましたが、いやそうでなく、「過去の栄光にすがらんと気を引き締めなあかんど」というジョンからポールへのアドバイスであったことを裏付けるような内容だったように思えます。たとえ別れて暮らしていても、心が通い合うかのようなジョンとポール。私のような常人には決して立ち入ることが出来ぬ関係なのでしょう。
 思い返せば、私がかなり以前に勤めていた会社にも、とても仲のよい先輩2人組がおられました。出勤もたいてい一緒、昼食も誘い合わせ、外回りや残業がなければ揃って社を後にするという毎日。聞けば幼馴染みだそうで、現在も近所に住んでおられるとのことでした。元々は別の会社にいたらしく、片方をもう片方がその技量を上層部に推薦した上で引っぱってきて、晴れて同僚となったようです。そんな恋人同士のような彼らですが、ふたりとも妻子がおられ、つまり家族ぐるみの付き合いをされておられるということなのでしょう。決して怪しい仲、背徳的な関係ではありません。自分の都合であっさりと友達や仲間を出し抜いたり裏切ったりするのが珍しくない現代社会において、永遠の如くの友情とは実に羨ましいものです。
 少し前に「日本はポール・マッカートニーだ。ポールのいないビートルズはあり得ない。米国はジョン・レノンだ。この2人がきちっとハーモニーをしなければならない」と理解に苦しむような発言をした総理大臣がおられました。それに比べれば、「日米同盟は深い友情に結ばれた同盟であること」に言及したうえで、キャロル・キングの「You've Got A Friend」の歌詞を引用し、「歴史の直視」と「未来志向」というメッセージが込められた現在の総理によるアメリカ議会上下院の合同会議でのスピーチのほうが、よほど的確ではないでしょうか。是非はともかくとして。
 この演説に、ネットでは「日本の戦後史とアメリカへの思いを首相自らの人生を重ねて語られた。日米両国の新蜜月時代を象徴する名演説」と高く評価する声が相次ぐ一方で、「大好きなこの曲が、こんな形で引用されて悲しい」、「音楽も何も知らんくせに、ウケ狙いで政治利用すんなー!」、「政治家が歌の趣旨を曲解して利用することに憤りを覚える」とキャロル・キングおよび当該の曲を汚されたと言わんばかりの非難が続出しているようです。さらには「国益を図りながら外交をしている国家観に友情は成り立たない。情緒に流されるのは禁物」といった覚めた意見もありました。
 さて、このまま話を進めると、お題と関係のない方向に向かってしまいそうなので、今回はこのあたりでお開きとさせていただきます。ぼやき漫談にもならぬ、いつもながらの拙い文章でしたが、ご覧いただき誠にありがとうございました。

 残念ながら、現在は廃盤状態のようです。そのうちにアーカイヴ・コレクションとして再発するでしょう。


 おっと、閉店前にカヴァー・ヴァージョンを紹介しておきましょう。前回のネッド・ドヒニーの「Get It Up For Love」に引き続き登場のデヴィッド・キャシディさんです。彼の歌う「Tomorrow」は1976年発表の『Home Is Where The Heart Is』に収録。このアルバムはキャシディ本人とシンガー・ソング・ライターのビル・ハウス(ギターなどでも参加)との共作曲が4曲も含まれ、ジェシ・エド・ディヴィス(ギター)、ダニー・クーチ(ギター)、ネッド・ドヒニー(ギター)、リー・スクラー(ベース)、ジム・ケルトナー(ドラムス)、ジム・ゴードン(ドラムス)、リッチー・フューレイ(バック・ヴォーカル)、ブルース・ジョンストン(キーボード)、カール・ウィルソン(バック・ヴォーカル)など錚々たる面々が集結。キャシディとの共同プロデュースを勤めたブルース・ジョンストンの豊富な人脈のなせる業でしょうか。なお、ビル・ハウスもジョンストンとテリー・メルチャーのプロデュースによって『Give Me A Brake』というアルバムを1974年に発表していました。




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