好きな音楽のことについて語りたいと思います。

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Jackson Browne - Farther On

 今回は3月に来日するジャクソン・ブラウンのご登場です。取り上げる曲は「Farther On」。1974年にリリースされたアルバム『Late For The Sky』に収録されていました。

Late for the Sky -Remast-Late for the Sky -Remast-
(2014/07/29)
Jackson Browne

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FARTHER ON
幼き頃、俺は涙を隠し
ひとりぼっちの日々を過ごしていた
投げ込まれた網のような夢を抱いて
孤独という名の海を漂っていた
本や映画や歌に出て来るような
愛を自分のものにするために
俺が生きている現実の世界にも
幻や空想が存在するけれど
俺は今でも心を奪われてしまうような
ほれぼれとした歌を求めている
でも愛が芽生えては消えて行くことを幾度も目の当たりにするうちに
俺の夢は引き裂かれて空虚なものになっていった

記憶の中を駆け巡る穏やかだった日々
食事の時の笑い声
キッチンやリビングを自分なりの計画と拙い努力で
和みの場にしようと心掛けていた
俺の城への門がどのくらい遠かったのか、あるいは近かったのか
はっきりと憶えていなかった
人々は自分たちの数々の夢を石から切り抜いていたが
とにかく自分たちの意思に従った
俺にはうまく言い表せないけれど
どこかで道に迷ってしまったのかもしれない
遥か遠くを眺めてみても
天国なんて傍になく、目に映るのは過去の出来事

もう天使たちは年老いて
日の出を待つこともしない
だけど彼ら彼女らは俺の肩ごしに
俺の旅立ちの地図と素描を覗き込んでいる

遥か彼方に俺は導かれる
旅に出た理由なんて忘却の彼方
だが俺は求めていたものを見つけ出すつもりだ
曙の陽射しのもと、砂の中を手探りで
もう天使たちは年老いて
太陽が急速に沈んで行くのを見ている
だけど彼ら彼女らは俺の肩ごしに
過去の栄光に包まれた幻影を覗き込んでいる
そして彼ら彼女らは俺の背後に身を横たえ
朝が訪れるまで道ばたで眠る
そうして朝になれば
地図と頑な信念を持って
遥か遠くへ歩き始める俺を見つけてくれるのだろう。

 夢破れ、恋人との切ない別れを経験した青年が、また別の新しい夢を見つけるために再出発する決意が込められた「Farther On」。大人の階段を上って行くときに、恋であれ、勉学であれ、仕事であれ、何らかの挫折を身を以て味わった人も多いことでしょう。そうした絶望の中から己を信じ、諦めずに希望を見いだそうと歌いかけるジャクソン・ブラウンの姿には胸が熱くなるようなメッセージが伝わって来るようです。年を重ねた今となっては少々気恥ずかしい想いが込み上げてきますが、若かりし頃に「勇気づけられた」、「元気をもらった」、「癒された」というジャクソンのファンの方も多いのではないでしょうか。
 さて、何度も天使という存在が登場しますが、ここでいう天使たちとは恋人も含め、自分が関わってきた人たちの比喩と思われます。ジャクソン・ブラウンに限らず、人は誰でも周囲にいる人々、様々なメディアを通して知った人物、歴史上の人物の影響を受けていると言えるでしょう。天使は神の代行者として人間を導く存在であると同時に、新約聖書における「ヨハネの黙示録」で最後の審判が行われる際に人類滅亡のきっかけとなるラッパを吹き鳴らしたことから、人間を見守り、監視しながら道を外したものへ罰を与えるという役割を担っていると考えられます。また堕天使ルシファーはもとより悪魔という存在も堕落した天使であり、神に逆らって地獄に堕ち、人間に悪行を勧めるようになったとのこと。人の運命は人間関係によって決まるといって差し支えないのかもしれません。また、1993年にジャクソンがリリースしたアルバム『I'm Alive』に収められた「Too Many Angels」でも「追いつめられた気持ちの時に天使の歌声が聴こえる」といった趣旨の歌詞があり、天使という言葉は彼の歌の重要なファクターのひとつとなっていると推察されます。
 そして人は年齢に関係なく、現実の中で新たな夢を見いだし、明日を信じて懸命に生きていると言えるでしょう。ブルース・スプリングスティーンの「Two Hearts」(1980年発表の『The River』収録)の歌詞の中に、「かつて俺は強がって生きて来た/だけどそれは子供じみた夢の世界を生きていたんだ/そんな夢はそろそろ終わりにしなければな/大人になって、また別の夢を見るために/今、俺は信じているんだ、とどのつまり」という言葉が出てきます。ここにも「Farther On」に通じるメッセージが内包されていると受け取れました。

 1976年のキャピタル・シアターでのライヴ映像です。瑞々しさが伝わってきました。


 こちらは1976年のシカゴにおいてのTVショーでのライブ・パフォーマンスのようです。


 こちらはDVD『Going Home』(1996年発表)に収められていたデヴィッド・リンドレーとのパフォーマンス。


 ピアノ弾き語りによる2012年のライブ映像です。


 私はとても気まぐれな人間ですので、ブログの更新が滞りがちになると思いますが、本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

Jackson Browne - Standing On The Beach

 ジャクソン・ブラウンから『Time The Conqueror』以来、6年ぶりの「歌の贈り物」が届けられました。と言っても、盟友デヴィッド・リンドレーとの共演ライヴ盤「Love Is Strange」が2010年にリリースされているので、久々という気はしません。むしろ4年ぶりの新作、『Standing In The Breach』と言ったほうが正しいのでしょうか。


Standing in the BreachStanding in the Breach
(2014/10/07)
Jackson Browne

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スタンディング・イン・ザ・ブリーチスタンディング・イン・ザ・ブリーチ
(2014/10/08)
ジャクソン・ブラウン

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STANDING IN THE BREACH
大地に激震が走り、我々の立つ土台が引き裂かれたとしても
人々は皆集まって、もとのように築き直すだろう
手の届く範囲内にまだ生き残っている命を救助するために急いで駆けつけ
自分たちの世界を一緒に再構築しようとするだろう
この難局に当たって

貧困に苦しむ人々がいる一方で、王様のような暮らしを送る人々もいる
分相応の生活を享受して安らぎを見いだす人々もいるのだけれど
彼らが、どれほどの覚悟をしようとも、私には決して理解できないだろう
誰かの命を救うために他の命を奪うことなどできようものか

大地に激震が走り、我々が仕事を投げ出す事態になろうとも
我々の努力が、あたかも上下に変動する潮流に似てうつろいやすいものであろうとも
愛が我々を救出するという信頼と確信を持って
その波の上で浮かんだり沈んだりするのだ
そして背中を曲げて心をひとつにする
この難局に当たって

わからないのか
この世界があるべき姿からそんなにほど遠くなってしまったのかを
どうしてだかわからないだろうが、
人々は見たいと望む世界のために今なお頑張っているのだ
わからないのか
すべてに綻びが出来た後で
どのようにして今、そんなことがなされようとしているのかを
だけど、人々は現実の世界に変化が必要であることが分かっている
そらすぐそこに、みんなの中に

未だ払われぬ歴史の負債
ぱっくりと開いた時間の傷跡
人間性の法則が、いつも後ろへと引き戻す
私は思いたい
大地(地球)は回復し、人々はまだ学べるかもしれないと
どうすれば世界本来の難題に対処できるのかを
我々の歩む道筋が、別の方向に変えられるのかを

大地に激震が走り、海がうねって潮位が高まろうとも
人々は皆集まって、見上げるだろう
我々の前に置かれた課題を
我々が嘆願する祈りの力を
そして我々の魂を天に向かって投げかける
この難局に当たって

わからないのか
この世界があるべき姿からそんなにほど遠くなってしまったのかを
どうしてだかわからないだろうが、
人々は見たいと望む世界のために今なお頑張っているのだ
わからないのか
すべてに綻びが出来た後で
どのようにして今、そんなことがなされようとしているのかを
人々が待ち望んでいる世界はやって来ないかもしれない
そんな世界はやって来やしないかも
だけど、人々は現実の世界に変化が必要であることが分かっている
そらすぐそこに、みんなの中に

 この歌は2010年に起きたハイチ地震を想起させる内容の歌詞から始まり、続いて格差・貧困へと及び、さらに民族紛争、宗教問題などが扱われているようです。天災や格差社会は決して海の向こうの他人事ではなく、震災、土砂災害、火山噴火など2011年以降の日本の状況にも当てはまるでしょう。
 ジャクソンは「愛が、我々を救出する」という言葉を用いて人間が持つ普遍的な人間性、人道主義の必要性を訴えています。それは仏教でいうところの「慈悲」および「自利利他」とも通じると言えるのかもしれません。
 アルバムのタイトルでもある "Standing In The Breach" は「難局に当たる」、「矢面に立つ」という意味ですが、直訳すると「破れ口に立つ」となります。国内盤の解説で音楽評論家の五十嵐正さんが述べられておられますが、ジャクソン・ブラウンお得意の聖書からの引用(旧約聖書詩篇106篇23節、出エジプト記32章1-4節)を盛り込んだものでしょう。その「破れ口」とは城壁の裂け目。古代の都市は城壁が巡らされ、戦闘時に門を閉ざして敵の侵入を防ぎました。しかし、敵は兵糧攻めにして士気を挫いたうえで城壁を壊し始め、決壊した場所から場内へと攻め入ります。そうなると戦いの雌雄は決し、町が占領されるのは明らか。命がけで敵の侵入を防いで撃退しようとする勇士の存在が必要となるでしょう。このことから聖書では「破れ口に立つ」、「攻撃の矢面に立つ」といった表現は、神の戒めを破り、罪を犯した人間のために許しを乞うべく御前に立つ者の喩えとして用いられるのです。神と人間の間を取り持つことに失敗すれば、報いとして「死」が待ち受けていることでしょう。
 聖書の中にはアブラハム、アロン、パウロ、モーセ、そして主イエス・キリストなど幾人かの「御前の破れに立った」人物がおりますが、その中のモーセの逸話が例としてよく取り上げられます。不信仰と不誠実ゆえに神の逆鱗に触れたイスラエルの民を存亡の聴きから救うためにモーセは御前に立ち、このように懇願したのでした。

「今もしあなたが、彼らの罪をゆるされますならば——。しかし、もしかなわなければ、どうぞあなたが書きしるされたふみから、わたしの名を消し去ってください」。 (出エジプト記32章32節)

 モーセの身命を賭した嘆願により、神は思い直してイスラエルの民に恩赦を与えます。己を捨てたモーセの願いと祈りが神の心を動かしたのでした。

 警察国家を自負していたアメリカを中心した体制の終焉。時代は新しい段階を迎えようとしていると言えます。モーセのような「御前の破れに立つ」存在、というよりもモーセのような献身的な心が必要とされるでしょう。
 しかし、世界で起こっている別の現実、引いては日本を取り巻く状況に置き換えたらどうでしょうか。国家と自称する過激派が神の名の下、原理主義を正義として迫害や人権侵害を行い、殺戮と処刑を繰り返しています。その背景には同じ宗教の中の宗派間の対立はもとより、同じ宗派の中でも争いが起きるといった状態になっており、事態は混迷を極め複雑化の様相。有効的で抜本的な解決法は誰にも見いだせないままです。また、日本のすぐ傍に独裁国家があり、今も多くの日本国民が拉致されたままであることは言うまでもないことでしょう。
 独裁国家やテロ組織との「話し合い」は困難を極め、不可能に近いと認識しておくことが肝要です。譲歩するような姿勢を示せば、さらにつけこまれて増々事態が悪化するかもしれません。人質にされた人々や自国民を救い、そして守るためには相手の命を奪う覚悟をしなければならないこともあり得ると思われます。
 地球の未来のために我々は今すぐ行動しなければならないとの意思を示したジャクソン・ブラウン。もちろんひとりのアーティストが、身を呈して「破れに立つ」ことは無理難題であり、非現実的なのかもしれません。しかし、人々に関心を持ってもらうために注意を促すことは可能です。そのことで人々が危機感を抱き、問題解決のためにどうすれば良いのかを考えるきっかけとなり得るでしょう。それが、リスナーの矢面に立ってパフォーマンスを繰り広げるロック・アーティストであるジャクソン・ブラウンが、使命として自覚していることであると思います。

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