好きな音楽のことについて語りたいと思います。

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MIKE FINNIGAN

前回の記事でイーグルスの「Take It To The Limit」を取り上げたところ、デイヴ・メイソンの『Certified(ライヴ~情念)』(1976年発表)に収録されたカヴァー・ヴァージョンが好きだと言われる方々からコメントをいただきました。そこで今回は本丸のデイヴ・メイソンを述べる前に少々ひねくれて、彼のバックを務めたキーボーディスト、マイク・フィニガンについて話をしたいと思います。
マイク・フィニガンは1946年頃にオハイオ州トロイで生まれ、カンサス州ウィチタに育ち、長身をいかしてカンサスの大学でバスケット・ボールの選手になることを目指したものの夢は叶わず、替わって音楽にのめり込むようになりました。地元の仲間とザ・サーフスというバンドを組んでブルースやR&Bのナンバーを中心に演奏し、1969年にアルバムもリリースしたとされています。その後、サンフランシスコに活動の拠点を移しブラザー・ヘッドというバンドに加入、1970年にアルバムを発表しました。1972年にはザ・サーフス時代の同僚、ジェリー・ウッドと組み、フィニガン&ウッドとしてアルバムをリリース。また、フィニガンはセッション・キーボード奏者としても活動し、ジミ・ヘンドリックスの『ELECTRIC LADYLAND』(1968年)やジャニス・ジョプリンの抜けたビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニーのレコーディングにも参加しています。
1974年頃にはロサンゼルスに移り、ボブ・グロウブ、ジム・クルーガーらとともにデイヴ・メイソン・バンドに起用され、アルバム『デイヴ・メイソン』のレコーディングに参加します。これ以降は長きに渡りメイソンと行動をともにし、1977年の来日公演にも同行、片腕の如く活動しました。彼らの充実したライヴ・パフォーマンスが堪能出来るのが冒頭で紹介した『ライヴ~情念』です。
デイヴ・メイソンのバックで活躍するのと同時にマイク・フィニガンは売れっ子のセッション・キーボード奏者としての顔を持ち、マリア・マルダーの『Sweet Harmony』(1976)、『Southern Winds』(1978)、クロスビー、スティルス&ナッシュの『CSN』(1977)、後にバンドを組むレス・デューデックの『Ghost Town Parade』(1978)、同僚ジム・クルーガーの『Sweet Salvation』、ロッド・スチュワートの『Blonde Have More Fun』(1978)など多数のアルバムのレコーディングに参加しています。そして、マリア・マルダーのレコーディングに参加したことがきっかけとなり、彼女の紹介でワーナー・ブラザーズからソロ・アルバムを出す話がまとまり、1976年に今回記事として取り上げた『MIKE FINNIGAN』がリリースされました。彼の紡ぎ出す音楽はアメリカ南部のルーツ・ミュージックを土台にし、優しく豪快な歌声や演奏からアーシーな雰囲気が漂うものの洗練された都会的な感覚も窺え、甘く切ない哀愁といったものも感じ取れます。

まずアルバムから教会音楽からの影響が表されたと思えるオープニング・ナンバーの「Saved By Grace Of Your Love」、マリア・マルダーとのデュオが好印象の「Southern Lady」(リタ・クーリッジも1977年発表の『Anytime...Anywhere』で熱唱)の2曲をお聴きいただければ幸いです。


Discover Mike Finnigan!


続いて、ビリー・ジョエル作の「New York State Of Mind」。彼のオリジナル・ヴァージョンは1976年発表の『Turnstiles(ニューヨーク物語)』に収録されていました。大ブレイクする前のビリー・ジョエルの曲をカヴァーしていたことは同じキーボード・プレイヤーとして何らかのシンパシーを感じていたのでしょうか。フィニガンの切々とした歌声とエイモス・ギャレットのギターが泣かせます。YouTubeのイメージ画像とともにお楽しみください。


ジェシー・ウィンチェスターの「Mississippi On My Mind」。彼のオリジナル・ヴァージョンは『Learn To Love It 』(1974年発表)に収録。フィドルやマンドリンやドブロ・ギターをバックにフィニガンが優しく、逞しく歌い上げており、心に滲み渡ります。


MISSISSIPPI ON MY MIND
ガタゴトと走るワゴンが見えたような気がする
轍と轍の間に雑草が高く生い茂る道
そして片側には
錆び付いた有刺鉄線のフェンスが続く
向こう側には古ぼけたタール紙の小屋

我が心のミシシッピ
我が心のミシシッピ
ミシシッピ、おまえが忘れられない

ジョン・ディアじいさんの耳障りな声が
聞こえたような気がする
汚れた綿くずが散らばる畑の中で
そしてその畑の下には
湿った小さな入江があり
涼しげなミントの葉が見つかるだろう

スイカズラのつるが香るような気がする
甘ったるくて気分が悪くなりそうだ
ああ、そして犬たちは
いつも腹を空かせている
生い茂った草むらには
蛇が眠っている

とても熱いオーブンの熱を感じたような気がする
南の太陽が空から照りつけ
ほこりっぽい野原で
太った年寄りのバッタが跳ねる
俺も蒸発してしまう前に
あの入江に行き着かねばな


このアルバムには他にもアラン・トゥーサン作の「Performance」、「Holy Cow」、ジョン・セバスティアン作の「The Room Nobody Lives In」など粒ぞろいの楽曲が収められておりますが、とても紹介しきれません。まさに捨て曲なしの名盤です。

マイク・フィニガンはこの後、1978年に親方デイヴ・メイソンの所属するCBSに移籍してセカンド・アルバム『Black & White』を発表、ボズ・スキャッグスのバンドで活躍したレス・デューデック、同僚ジム・クルーガーらとDFKバンドを結成し、1980年にアルバム『DFK』をリリース。バンド解散後はデイヴ・メイソンのアルバムはもちろん、ダン・フォーゲルバーグ『Innocent Age』(1981)、リンゴ・スター『Stop & Smell The Roses』(1981)、クロスビー、スティルス&ナッシュ『Daylight Again』(1982)、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング『American Dream』(1988)、『Looking Forward』(1999)、レナード・コーエン『Future』(1992)など関わったアルバムは枚挙に暇がありません。さらに少年時代からの憧れだったというエタ・ジェームズの『Life, Love & The Blues』(1998)を始めとする何枚かのアルバムに参加。2000年にはタジ・マハールのバンドのメンバーとして来日していました。ソロ・アルバムのリリースこそありませんが、現在もセッション・キーボーディストとして活動する傍ら、ソロ・ライヴも行い健在ぶりを示しています。

マイク・フィニガンマイク・フィニガン
(1998/11/26)
マイク・フィニガン

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コメント

恥ずかしながらマイク・フィニガンのキャリアは初めて知りました。
確かにマリア・マルダーのアルバムにクレジットされてますね。
音も想像以上に泥臭く南部っぽくって良かったです。
確かにデイヴ・メイソンのアルバムでも黒っぽいキーボードを弾いてますね・
Purple_Haze様、コメントありがとうございます。
マイク・フィニガンはディキシー・ランド・ジャズ、ゴスペル、ソウル、R&B、カントリーなど多彩な音楽を聴いて育ったそうです。彼のファースト・アルバムはそうした音楽への敬意や愛情が表された1枚と言えるでしょう。
このアルバムにはエイモス・ギャレットの他に、ロジャー・ホーキンスやバリー・ベケットといったマッスル・ショールズの面々が加わっているようです。

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