好きな音楽のことについて語りたいと思います。

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Patti Smith - Because The Night

今回もしつこくサンディ・デニーを続けようと思ったのですが、私はとても気まぐれな人なので、一時中断して本来のブログの趣旨である70年代ロックに戻ります。
誰を取り上げようかと持ち駒の少なさに嘆きながら考えあぐねた結果、手を伸ばせば希望に手が届くような錯覚を覚えていた頃に大好きだった曲を記事にすることにしました。その曲はパティ・スミスの「Because The Night」。ブルース・スプリングスティーンと共作した曲です。
パティ・スミスは1946年12月30日にイリノイ州シカゴで生まれました。ごく普通の家庭に育ち、一家は彼女が4歳の時にフィラデルフィア州へ、8歳の頃にはニュージャージー州の田舎町に引っ越しています。
彼女はボブ・ディラン、ジミ・ヘンドリックス、ザ・ドアーズ、ザ・ヴェルヴェッド・アンダーグラウンド、ザ・ローリング・ストーンズらのロック・ミュージックを好み、アートや演劇に夢中になり、アルチュール・ランボーの詩に影響を受けるといった多感な時期を過ごす中で芸術に興味を持ちのめり込んで行きます。しかし、美術学校に入学するものの周囲の環境に馴染めずドロップ・アウト。在学中に教授と恋に落ちて妊娠し、未婚の母になるもののその子供を養子に出すという辛い経験もしています。
そうした荒んだ生活にやり切れなさを感じ、1967年のある時これといった目的もなくニュー・ヨークに旅立ちました。友人のアパートをあてにして転がり込むも既にその友人は引っ越した後。そこにはまだ若き頃の写真家ロバート・メープルソープが住んでいました。彼は快くパティを受け入れ、共同生活が始まります。また、一説には芸術への夢を捨てきれずに僅かのお金を握りしめてニュー・ヨークの芸術学校にやって来たパティを同級生で意気投合したメープルソープが不憫に思って自分の部屋に招き入れたとも言われています。メープルソープがゲイであったためか、恋愛関係に発展することなく二人は良き友、同志としてその後も1989年にメープルソープが亡くなるまで交流が続きました。
やがてパティはメープルソープとともに「チェルシー・ホテル」に引っ越すことが出来ました。古くは作家のマーク・トゥエイン、アーサー・ミラー、詩人のディラン・トーマスらを始めとして、ボブ・ディラン、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリンら数々のロック・アーティストが住み、そこからを巣立って行ったことで有名な伝説のホテルです。パティにとって憧れの人々が居住した同じ住まいに入居できたことは感慨ひとしおといったところだったと思われます。
パティにもそこでチャンスが訪れました。ボブ・ディランの取り巻きでロード・マネージャーでもあったボブ・ニューワースと知り合うことが出来たのです。ボブ・ディランそっくりの格好をしてチェルシー・ホテルを出入りしているパティが気になったニューワースが彼女に声を掛けたという逸話がありますが、真偽のほどは分かりません。ニューワースはパティの詩をいたく気に入り、伴奏を付けて歌うことを提案しました。また、パティはこの時期チェルシー・ホテルに住んでいた劇作家のサム・シェパードとも顔見知りになり、戯曲を共同執筆しています。ちなみにサム・シェパードは俳優としても有名で、代表作にはリチャード・ギアと共演した『天国の日々』(1978年)、トム・ウルフ原作の『ライトスタッフ』(1983年)、ヴィム・ベンダース監督作品の『アメリカ、家族のいる風景』(2005年)など数多くの映画に出演していました。なお、パティはメープルソープと男女の関係になることがなかったようだと述べましたが、この2枚目俳優とはしっかり恋仲になったそうです。
ボブ・ニューワースとの縁でパティは1975年のボブ・ディランの「ローリング・サンダー・レヴュー」にも飛び入り出演し、ディランとの親交がこの頃から始まったとされています。
ある時はストリートで、ある時は教会の中庭でエレキ・ギターの伴奏を付けて自作の詩を朗読し始めたパティは自主制作でシングル盤をリリース。マス・メディアの注目するところとなり、レコード会社からもオファーが来るようになりました。そして、1975年にアリスタ・レコードと契約を交わし、ついにデヴューのチャンスをつかみ取ったのです。少々サイケデリックな雰囲気がありながらもシンプルな演奏に自作の詩を載せたスタイルが中心に披露された1stアルバム『Horses』はジョン・ケイル(元ヴェルヴェット・アンダーグラウンド)がプロデュースを担当し、ジャケット写真はロバート・メープルソープが手掛けていました。
マス・メディアの話題を呼び、評論家に絶賛されて『Horses』は順調な売り上げを遂げて一躍スターダムへと駆け上がったパティですが、1976年に発表したセカンド・アルバム『Radio Ethiopia』は前衛的でヘヴィーでノイジーな音作りが災いしたのかセールスが伸びませんでした。さらに不運なことにその年の暮れ、パティはステージから転落して大怪我を負い1年以上の静養を余儀なくされます。起死回生を図るためアリスタ側はブルース・スプリングスティーンとの共作を提案。そうして1978年、「Because The Night」が誕生したのです。パティは当初ブルースとの仕事にあまり乗り気ではなかったもののヒット作となり、この曲が収録された『Easter』も好調な売れ行きを示しました。

私がパティ・スミスに興味を持ったのは高校生の頃です。ボブ・ディランに影響を受けた「パンク・ロック」の女性アーティストとして彼女のことがメディアで話題になっていました。ラジオで少しだけ彼女の音楽を耳にした時、その頃好きだったジョニ・ミッチェルやローラ・ニーロといった女性アーティストとははかなり違う音だと感じたのですが、ちょうどアルチュール・ランボーという詩人が気になり始めた時期のこと、パティの歌が何か心に残り啓示を受けたような感覚を覚えたのです。早速レコード店に走りパティの1st『Horses』を買い求めました。続く2nd『ラジオ・エチオピア』は前衛的過ぎて好みに合わず何度も針を降ろすことをしなかったのですが、「Because The Night」が収録された3rd『Easter』は冒頭で述べたようにほとばしるものを受け取りました。

BECAUSE THE NIGHT
さぁ好きにしてちょうだい
私はこの通りよ
もっと私を傍らに引き寄せて
心の中まで理解してね
情欲は私がささやく炎
愛は私たちが供給する宴
あなたに抱かれて
いま私がどんな気持ちでいるのか分かってね
私の手を取り 秘密の行いをして
もう誰もあなたを傷つけない
もう誰もあなたを傷つけない
もう誰もあなたを傷つけないのよ

だって夜は恋人たちのものだから
だって夜は情欲に相応しいものだから
だって夜は恋人たちのものだから
だって夜は私たちのものだから

ひとりぼっちでいるときに疑ってみるの
愛はリング、愛は電話
愛は情欲のような天使の偽装
朝がやって来るまで私のベッドにいてちょうだい
あなたの意のままの
いまの私がどんな気持ちでいるのか分かってね
太陽が沈めば私の手を取って
もう誰もあなたに触れられない
もう誰もあなたを触れられない
もう誰もあなたを触れられないのよ

だって夜は恋人たちのものだから
だって夜は情欲に相応しいものだから
だって夜は恋人たちのものだから
だって夜は私たちのものだから

愛とともに私たちは眠る
疑いとともに悪意に満ちた世界が変化して燃え尽きる
あなたなしでは私はもう生きられない
許してね 燃える切ない思い
私はその時を信じる リアルすぎて感じることが出来ないけれど
だから私に触れて
私に触れて
さあ私に触ってよ

だって夜は恋人たちのものだから
だって夜は情欲に相応しいものだから
だって夜は恋人たちのものだから
だって夜は私たちのものだから

恋人同士の今夜だから
もし私たちがその夜を信じるのなら





どこかのTVショーからの映像でしょうか、アコースティック・ギターをバックに歌われます。ますます歌心が伝わってくるような感じがしました。


ブルース・スプリングスティーンさんにも「友情出演」してもらいましょう。クールなパティ・スミスと比べて、情感豊かに表現するボスのステージは迫力がありますね。なお、パティ・スミスのヴァージョンとは一部歌詞が異なります。


R.E.M.のマイケル・スタイプさんにも登場してもらいました。ボスとの共演は胸に迫るものを覚えます。


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(2008/10/22)
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コメント

パティ・スミスを聴くと、一緒にパット・ベネターが思い出されます。パティもパット・ベネターのような路線を先に行っていれば、爆発したかも知れません。でも今でもアメリカでは人気ある有名人ですからね。
fighter-k様、コメントありがとうございます。
パティ・スミスはパット・ベネターのような路線を取らなかったからロック・アーティストとして生き残れたのでしょう。陳腐な形容であると思うので私は使いませんが、たぶん今でも熱狂的なファンにとってのパティ・スミスは「ニューヨーク・パンクの女王」というカリスマですからね。
ボブ・ディランをシンガー・ソング・ライターとするならば、私にはパティ・スミスもパンク・ロッカーというよりもシンガー・ソング・ライターといったほうが理解できます。
私にとってPatti Smithとの出会いは昔Times Squareという映画に使われていたPissing In A Riverでした。 映画はくだらなかったんですがこの歌には衝撃を覚えてすぐに買いました。
「魂をさらけ出す」なんてよく使われる陳腐な表現ですが、Patti Smithの音楽は正にそれです。
このコメントは管理人のみ閲覧できます
Trot様、こちらにもコメントありがとうございます。
『Times Square』は確か思春期の少女2人が主人公の映画でしたね。観てはおりませんが、ロキシー・ミュージックやルー・リードの楽曲がサントラ盤に収録されていて話題になったのを憶えております。
はい、その映画です。 先に書きました通り、映画自体はちょっぴり恥ずかしい出来なんですが、サントラは非常に面白くて、ご指摘の通りRoxy, Reed、さらにXTC, Suzi Quatro,Ramones, The Pretenders, Talking Heads, そしてNew York DollsのDavid Johansenも参加してました。


Trot様、再びコメントありがとうございます。
1980年代初頭という時代を感じさせる組み合わせですね。
トラックバックありがとうございます。

70年代はまだMTVなど無い時代でしたから、雑誌の写真やレコード・ジャケットから想像するしかありませんでしたが、それだけに憧れはかえって強かったような気がします。
私は映像を観てかえって幻滅することが多いのでYouTubeはあまり利用しませんが、今日初めてパティ・スミスの歌っているところを観せてもらいました。

この歌詞は「try」という単語一つとってもどう訳すかで意味が違ってくるのでむずかしいですね。
他の人の訳を先に読むとどうしてもそれに影響されやすいので、まずは下手でも自分で訳してみるようにしています。

こちらの訳も参考にさせていただきますが、翻訳に完全なものが無いとすれば、読む人が色々と読み比べられるのが一番良いでしょうね。
そうした点でもトラックバックしていただき、ありがとうございました。
時々訳文にケチを付ける人がいるのですが、自分で訳したものをトラックバックしてくれれば良いのにと思っています。
MusicBlog様、コメントありがとうございます。
現在と比べると映像資料に乏しかった1970年代、リスナーの想像力がアーティストへの憧れを強くすることのみならず、人間として成長する機会を与えていたのかもしれません。とりわけ10代の少年・少女ならいっそう感性を磨くチャンスとなり得たことでしょう。
英語に堪能した人でも社会問題や文化・風俗に精通していなければロック・アーティストの真意は理解できないと思われます。また、ダブル・ミーニングがあたりまえなので、アーティストの人間性や生き方を踏まえた深い解釈も必要でしょう。難しいけれど面白い作業だと思って続けています。

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