好きな音楽のことについて語りたいと思います。

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Wendy Waldman - Love Has Got Me

 秋雨前線や南から流れ込む湿った空気の影響で、8月16日の京都市は観測史上2位の豪雨に見舞われました。普段は静かに流れる鴨川も表情を一変。溢れんばかりの濁流と化していたのです。かの白河法皇が、「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」とおっしゃられたように、いったん荒れ狂うとどうにも収まりがつかず、それこそ流れのままに身を任せるしかないのかもしれません。また、この日の夜はお盆に戻ってきた先祖の霊を送る伝統行事「五山送り火」が予定されておりました。猛烈な雨で実施が危ぶまれましたが、点火時にはその雨も止み、例年通り古都の夜空を炎が焦がす光景が眼前に広がったのです。
 さて、大雨の後には従来通りの蒸し暑い京都の夏が復活しました。カリフォルニアを想わすような青空が頭の上にある間に、ウエスト・コースト・サウンドを一服の清涼剤として心を癒したいと思います。今回、ご登場を願うアーティストの方はウェンディ・ウォルドマン。彼女が1973年にリリースしたアルバム、『Love Has Got Me』を取り上げることにしました。

ラヴ・ハズ・ガット・ミーラヴ・ハズ・ガット・ミー
(2013/08/14)
ウェンディ・ウォルドマン

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 ウェンディ・ウォルドマンは1950年11月29日、カリフォルニア州バーバンクに生まれました。父は『Star Trek』、『Twilight Zone』などの音楽を手掛け、スティーヴン・スピルバーグ監督、ウーピー・ゴールドバーグ主演の映画『The Color Purple』(1985年公開)では作曲賞部門でアカデミー賞を授賞したフレッド・スタイナー。祖父もアニメ『Betty Boop』の音楽を担当した作曲家のジョージ・スタイナー。そして母はヴァイオリニストといった音楽的にこの上なく恵まれた環境で彼女は育ったのです。
 
 ウェンディが思春期を過ごした1960年代のロサンゼルスは、ロック、ジャズ、ラテン、カントリーなど様々なジャンルの音楽が溢れる都市でした。政治や文化も急激に変化し、社会的な題材を扱ったアーティストも続々と現れます。ロック・シーンの動きを見ると、ニューヨークで歌い始めて「時代の代弁者」と称せられるようになったボブ・ディランの歌を、ロサンゼルスを拠点とするザ・バーズがフォーク・ロックにアレンジして好評を博し、ザ・ビーチ・ボーイズは単純なコード展開にギター・ソロを加えたサーフィン&ホットロッドと呼ばれるスタイルに、フォーフレッシュメンばりのオープン・ハーモニーを取り入れ、さらには複雑なコード展開や工夫を凝らしたアレンジをも導入して注目を浴び、サンフランシスコのグレイトフル・デッドやジェファーソン・エアプレインらは、サイケデリック・ロックと呼ばれる音楽とともにドラッグやカウンター・カルチャーといった文化や風俗をロサンゼルスにもたらすことに貢献しました。
 こうした状況の中、16歳で曲作りを始めたウェンディは地元ロサンゼルスのジャズ・バンドに参加。その後は友人らと音楽活動を始めるようになります。
 1969年、ウェンディは幼なじみのアンドリュー・ゴールドと元ストーン・ポニーズのケニー・エドワーズを誘ってバンドを結成。ケニー・エドワーズはリンダ・ロンシュタットと組んでいたあのストーン・ポニーズのメンバーですが、既にウェンディらと交流があり、ストーン・ポニーズ解散後に白羽の矢が立てられたのです。そしてほどなく、姉妹デュオを組んでトルバドールに出演していたカーラ・ボノフをケニーが口説き入れ、彼ら彼女ら4人はブリンドルと名乗って活動を開始しました。
 なお、アンドリュー・ゴールドの父はグレゴリー・ペック主演の『On The Beach(邦題:渚にて)』(1959年公開)、ポール・ニューマン主演の『Exodus(邦題:栄光への脱出)』(1960年公開)などの映画音楽を担当した作曲家のアーネスト・ゴールド、母はナタリー・ウッド主演の『West Side Story』(1961年公開)、オードリー・ヘップバーン主演の『My Fair Lady』(1964年公開)などのミュージカル映画で、主演女優の歌声を全曲吹き替えたマーニー・ニクソンで。つまりウェンディと同じような音楽一家です。
 ブリンドルはトルバドールでライヴを行い、レコード会社にデモ・テープを送り、夢が実現するその日を待ちました。リンダ・ロンシュタットらと組んでいたストーン・ポニーズで一定の成功を収めたケニー・エドワーズの業界での顔がそれなりに利いたのか、はたまたウェンディやアンドリューの親の威光がものを言ったのか、A&Mとの契約がすんなりと成立。後にオーリアンズ『Let There Be Music』、『Walking And Dreaming』などのプロデュース、ブルース・スプリングスティーンの『Darkness On The Edge Of Town』、『The River』などのミックスを手掛けて名を上げるチャック・プロトキンの協力を得ていたことも幸いしたようです。
 ブリンドルは1970年にシングル「Woke Up This Morning / Let's Go Home and Start Again」を発表。チャック・プロトキンのプロデュースのもと、アルバムのレコーディングも完了しました。ところが、ウェンディらブリンドルの目指す音楽の方向とA&Mの思惑が一致しなかったことから発売が見送られ、ブリンドルは敢えなく解散の憂き目に遭います。
 そんな悲劇にもめげず、ウェンディはチャック・プロトキンとともにデモ・テープの制作に取り掛かりました。やがてそのテープはワーナー・ブラザーズのA&R部門のトップであるレニー・ワロンカーの耳にとまり、幸運にもチャック・プロトキンのプロデュース込みでソロ・アルバムのリリースが決定します。レニー・ワロンカーはランディ・ニューマン、ヴァン・ダイク・パークス、ライ・クーダー、ハーパース・ビザールなどに代表される、「バーバンク・サウンド」と呼ばれるハリウッド映画の音楽のようなきらびやかな要素とアメリカの雄大な自然を思わす牧歌的な要素、あるいは洗練されたポップスのセンスとオールド・タイム風のアレンジを融合させた作品群を世に送り出していました。彼の眼にはフレッド・スタイナーを父に持つウェンディ・ウォルドマンが、新たな夢への展開と映ったのかもしれません。
 ウエンディのソロ・デビュー・アルバム、『Love Has Got Me』は1973年秋にリリースされるのですが、制作中に「Vaudeville Man」、「Mad Mad Me」の2曲が同年8月に発売されるマリア・マルダーのアルバム『Maria Muldaur』で取り上げられるというラッキーな出来事が舞い込みました。マリア・マルダーのアルバムは翌74年に全米3位まで上昇するヒット作となり、その過程で発表されたウエンディの『Love Has Got Me』も当然ながら話題を呼び、『ローリング・ストーン』誌で高い評価を得ます。

 それではアルバムの中から何曲か紹介して行きましょう。マリア・マルダーがセカンド・アルバム『Waitress in A Donut Shop』(1974)でカヴァーした『Gringo Mexico』。マリアッチ・バンドがフィーチャーさえ、メキシコ情緒があふれる音作りがなされています。ウェンディの幅広い音楽性が窺える1曲でした。なお、アレンジは父、フレッド・スタイナーが務めています。


GRINGO EN MEXICO
そうね、あなたに見せたいものがあるの
そう、あなたに見てもらいたいのよ
そうなのよ
私の美しき故国を

私は街の真ん中で育った
吊るし上げられたり、貶されたり、指図されたり
それで、いま思い返すと
本当に惨めだった
私は間違いなく馬鹿だったようね

いまじゃ、私は毎朝このあたりにいるわ
浜辺にいるか、でなければ広場に行っている
テキーラを飲んで、着たい服を着て
漂う素敵な花の香りをかいでいるの

バナナとココナッツと海の幸
朝には太陽が昇り、夜には音楽が鳴り響く
行き交う人々は、誰もがスローモーションのよう
アミーゴか、それ以上の存在かもね

メキシコにいる異邦人

 陽気で、おおらかで、ひとなつこい、イメージがあるメキシコ人ですが、社会階級の格差が激しいとのこと。惨めな思いをしたと語られる歌詞は、そのあたりのことを指しているのでしょう。ウェンディ一の一家は少しだけメキシコで暮らしたことがあるらしく、その時の体験が歌の中に生かされているのかもしれません。

 こちらはマリア・マルダーのヴァージョン。バックグラウンド・ヴォーカルにリンダ・ロンシュタット。ギターにローウェル・ジョージ、ストリングス・アレンジはニック・デカロとっいた豪華な布陣がマリアをサポートしています。


 ヴォードヴィル・マン(寄席芸人、旅芸人)のことを歌った「Vaudeville Man」 。ケニー・エドワーズ(スライド・ギター)、スティーヴ・ファーガソン(ピアノ)、ウィルトン・フェルダー(ベース)、ラス・カンケル(ドラムス)らが参加していました。 


VAUDEVILLE MAN
小さい頃、パパがよく言ってたわ
我々がここにいるのは
誰かを笑顔にするためなんだって
傷ついたときも
落胆したときも
そこに立っていると
10フィートもの高さに見えるってね

だから私はパパを見習って
歌やダンスやブルースを覚えたの
これだけ話して分からないなら教えてあげる
私はヴォードヴィル・マンの娘として生きているのよ

列車は西に走り、道路は東に向かう
私は旅人たちの顔をすべて知っている
私の顔はすすけていたけれど
リボンにはアイロンがかかっていた
狂ったような辛い日々だったけれど
出来るならもう一度戻りたいわ

片方の耳はラジオを聴きっぱなし
片方の手でピアノの練習をし
片方の足はダンスのターンをタップでリズムを刻み
ひとりの人間が、定められた道を進もうとしている
ずっと受け継がれてきたこととその日暮らしの毎日
稼いでは食べ、食べては稼ぎのその日暮らし
そう、私はヴォードヴィル・マンの娘として生きているの
そんなヴォードヴィルマンの娘なのよ


 月並みな言葉ですが、立場や表現方法は違えど音楽を愛する気持ちは皆同じ。そして、音楽で身を立て世に出たことに変わりはありません。ウェンディはヴォードヴィルマンに自分の人生と自分と父との関係を重ねてこの曲を創作したのでしょう。

 前述しましたマリア・マルダーのヴァージョンです。


 ツイッギーも1976年発表の『Twiggy』で取り上げていました。


 スティーヴ・ファーガソンの情感漂うピアノがストリングスに溶け込み、ウィルトン・フェルダーのベースが琴線に触れる「Waiting For The Rain」。離れて暮らす恋人を気にかけているのか、別れた人への思慕なのか、夢、切ない感情がジャジーな演奏を背景に表されています。


WAITING FOR THE RAIN
雨が降り出すのを待っているの
困難を切り抜けさせてくれるのは私の夢の世界だけ
窓辺に寄りかかり
ああ、どうしてもあなたのことを思い出してしまう

ハリケーンがやって来る
あなたは安全と暖を確保しているのかしら
凍てつく冬の嵐は
あなたの心の奥底に雨を降らせるかしら

翼の中で身を潜めて待っている
あなたの中に私の愛があれば私は満足なの
困難を乗り越えさせてくれるのは私の夢の世界だけ

 
 ウェンディ・ウォルドマン自身がアレンジを担当した表題曲の「Love Has Got Me」。アンドリュー・ゴールド(ピアノ)、ウィルトン・フェルダー(ベース)、ラス・カンケル(ドラムス)、ジム・ホーン(ホーン・セクション)などが参加しています。前出の「Waiting For The Rain」と通ずるようなラヴ・ソングですが、こちらはもう少し激しい情念が表現されていました。


LOVE HAS GOT ME
今までの私の考え方は
あたかも夢の中を歩いているようだった
今までに見たことがないような
明るさと奇妙さ
あなたを知ったことで気づいたわ
あなたはそんな人じゃないって
あながどこにいようと
いつも私の心の中に留まっている

愛はあなたのまわりにある
分かっているわ
愛があなたを見つけ出してくれなければ
あきらめたほうがよさそうね

誰もが示そうとする
謎を説く自分なりの解釈を
でも他人が奏でる歌は
私には似合わない

窓辺に座ってふと思う
昨日は雨が降った
本当にあなたのことを
分かっていたのかなあと

愛は盲目
分かっているわ
そう、愛は盲目
分かっているのよ
でも、その愛があなたを見つけ出してくれないのなら
あきらめたほうがよさそうね

ああ、愛は私を虜にする
分かっているわ
でも、虜にされた今
あなたはもう私を手放せないわ
私は愛の虜
分かっているわ
私は愛の虜なの
分かっているのよ
ああ、私を捕まえたあなた
もう私を手放せないわ

 前述した通り、『Love Has Got Me』はローリング・ストーン誌を始め各所で高い評価を得たのですが、セールス面では芳しい結果を残せませんでした。この後もワーナー・ブラザーズから『Gypsy Symphony』(1974)、『Wendy Waldman』(1975)、『The Main Refrain』(1976)、『Strange Company』(1978)といったアルバムをリリースし続けるのですが、いずれもチャート・インすることがなかったのです。評論家や音楽専門誌の評価が高い作品が必ずしも一般ウケするわけではなく、むしろ真逆の場合のほうが多いのがこの世の常と捉えたほうがよいのかもしれません。
 ワーナー・ブラザーズを離れたウェンディ・ウォルドマンはレコード会社を変えながらもアルバムのリリースを続けますが、ソング・ライターやプロデュースを生業とするようになって行きます。彼女が関与した楽曲では元フィフス・アヴェニュー・バンドのジョン・リンド、ソング・ライターでピーター・トムとデュオを組んだファー・クライの活動でも知られるフィル・ガルドストンらと共作した「Save The Best For The Last」が、ヴァネッサ・ウィリアムスが歌って1992年の全米No.1ヒットとなりました。プロデューサーとしてはスージー・ボガスの『Somewhere Between』(1989)、ニュー・グラス・リヴァイヴァルの『Friday Night In America』(1989)、マトラカ・バーグの『Lying To The Moon』(1990)、元ニューグラス・リバイバルのベーシストで、一時期ドゥービー・ブラザーズにも在籍し、ポコのラスティ・ヤングとスカイ・キングスというバンドを組んでいたこともあるジョン・コーワンの『Always Take Me Back』(2002)、アーティ・トラウムの『Thief of Time』(2007)など、カントリー分野を中心に多数の作品を手掛けています。
 1995年、ウエンディはブリンドルの再結成に参加。『Bryndle』、『House of Silence』(2001)、『Live At Russ & Julie's』(2003年発表。通販のみの販売)の3作を残した後、4人は再び自分たちの道を歩み出しました。ケニー・エドワーズが2010年8月18日、アンドリュー・ゴールドが2011年6月3日に相次いで他界し、再びの復活が叶わなくなったことは言うまでもありません。
 また、2007年以降はソロ活動やプロデューサー業などと並行して、シンディ・バレンズ、デボラ・ホランドらとザ・レフュジーズを結成。これまでに『Unbound』(2008)、『Three』の2作のアルバムをリリースしています。

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コメント

裏通り様 こんばんは

このアルバムは去年、探検隊の廉価で手に入れて以来、お気に入りだったので取り上げてもらってうれしいです。

それにしてもツィッギーがカバーしていたとは
面白いつながりですね。原曲の素朴さやグルーヴより、華やかさや軽さが前面に出ていて、聴き比べが楽しかったです。
GAOHEWGII様、訪問していただき誠にありがとうございます。
おっしゃる通り、ツイッギーが歌うと華やかさが全面に出ますね。ツイッギーは現在も現役のシンガーとして活動してますが、この時期カントリー・ミュージックに関心があったようで、アメリカン・ロック志向のアルバムを発表しています。決してオリヴィア・ニュートン・ジョンを意識していたわけではないんでしょうけどねぇ。
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