好きな音楽のことについて語りたいと思います。

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Judy Collins - In My Life

 男性シンガーが続きましたので、今回は女性シンガーの声をお届けすることにしました。ご登場いただくのはジュディ・コリンズ。彼女が1966年に発表したアルバム、『In My Life』を取り上げます。

イン・マイ・ライフイン・マイ・ライフ
(2014/06/11)
ジュディ・コリンズ

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 ジュディ・コリンズといえば、「Both Sides Now」や「Amazing Grace」などが有名ですが、そうした歌は彼女のある一面。ジュディは両面どころか様々な魅力を持ち合わせたアーティストです。

 ジュディ・コリンズは1939年5月1日にワシントン州シアトルに生まれました。シアトルはアメリカ西海岸有数の沿岸都市であり、イチロー選手がメジャー・リーグで最初に在籍したシアトル・マリナーズの本拠地として、またアマゾン、スターバックス、タリーズコーヒーの開業の地として日本でもよく知られています。
 1年を通して比較的温暖な気候に恵まれ、「エメラルド・シティー」という愛称で呼ばれるほど水と緑に囲まれた美しい町並みを持つシアトルですが、ジュディは幼少の頃に歌手だった父親の仕事の関係でカリフォルニア州ロサンゼルスに移住。9歳になるとコロラド州デンヴァーに引っ越しました。
 父親が歌手だったこともあり、幼き頃より音楽的な環境の恩恵を受けていたジュディ。4歳でクラシック・ピアノを習い始め、13歳になると演奏会で腕前を披露するほどになりました。やがて思春期を迎えたジュディはフォーク・ソングに心を奪われ、ギターの奏法を独学で習得。父親がラジオ番組のDJを担当していたことから多くのミュージシャンと知り合い、彼らを通してウディ・ガスリーやピート・シーガーらに興味を抱くようになって行ったのです。その一方でピーター・テイラーと高校時代から愛を育み、彼がコロラド大学に進学したためジュディも同行し、コロラド州ボルダーにて一緒に暮らし始めました。1959年には長男が誕生しています。
 ボルダーはデンヴァーから40キロほど北西に位置し、ロッキー山脈に囲まれた自然豊かな都市。コロラド大学ボルダー校がある大学の街でもあり、数件の音楽演奏を聴かせるクラブが営業していました。
 ジュディはその中のマイケルズというクラブのオーナーから依頼を受け、主婦業の傍ら生活費の足しにしようと弾き語りを始めます。学生街のクラブとはいえアマチュアに声が掛かるのはいささか珍しい話ですが、父親が歌手兼DJであることや彼女のピアノ奏者としての実績を見込まれてのことだったのでしょう。
 ジュディのライヴ・パフォーマンスは評判となり、ほどなくデンヴァーのライヴ・ハウス、エクソダスで、ボブ・ギブソンの前座を務めることに。さらには後にボブ・ディランのマネージャーとなるアルバート・グロスマンが経営する名門ライヴ・ハウス、ゲート・オブ・ホーンから6週間の出演依頼を受けました。そして1960年6月、コロラド大学を卒業した夫のピーターがニューヨークにほど近いコネティカット大学に教職を得たことから一家はその地に居を構え、ジュディはグリニッチ・ヴィレッジのライヴ・ハウスにまで演奏活動を広げて行くようになったのです。
 そうこうするうち、ジュディは懇意になっていたボブ・ギブソンからエレクトラ・レコードの社長であるジャック・ホルツマンを紹介されました。ギブソンはジョーン・バエズをヴァンガード・レコードに紹介した経歴があり、バエズの成功を傍らで見ていたホルツマンも対抗馬となる才色兼備のシンガーを探していたのです。ジュディの澄んだ歌声に魅了されたホルツマンは、ジュディを必ずスターダムへと押し上げられると確信してレコードの制作をオファー。1961年6月、正式にエレクトラ・レコードとの契約に至りました。
 同年11月、ジュディ・コリンズのファースト・アルバムである『A Maid 0f Constant Sorrow』、翌62年には『Golden Apples Of the Sun』をリリース。この2枚のアルバムはジュディのレパートリーでもあったトラディショナルを中心に選曲されており、アコースティックなサウンドを基本として大幅なアレンジを行うことなく、彼女の歌声の魅力を際立たせるといった手法が取られていたようです。
 1964年発表のサード・アルバム『Judy Collins 3』になると、それまでのトラディショナル中心から趣をことにし、ボブ・ディラン、ピート・シーガー、ウディ・ガスリーらの楽曲を取り上げ、自らの感性による解釈で歌い上げるようになりました。同年のライヴ・アルバム『The Judy Collins Concert』を挟み、5枚目となる『Fifth Album』ではディラン、フィル・オクス、エリック・アンダーセン、ゴードン・ライトフット、リチャード・ファリーニャらの楽曲が並び、サード・アルバムからの手法を拡充する路線を続けて行ったのです。
 着々とスターダムへと駆け上がるジュディ。しかし、当初は彼女の活動に協力的だったピーターとの間にすきま風が吹くようになったのか、離婚という現実が待ち構えていました。成功の代償は大きかったようです。
 
 今回の記事のお題となるアルバム『In My Life』は1966年に、ジュディ・コリンズの6枚目の作品としてリリースされました。アレンジャーに新進気鋭のジョシュア・リフキンを迎え、ジュディをさらなる新境地へと誘ったのです。リフキンは後に「J.S.バッハの時代、声楽曲は1パートを1人で歌っていた」との説を唱えてバッハ学者として知られるようになった人物ですが、スコット・ジョプリンのラグタイム音楽にも通じ、彼のピアノ演奏による『Piano Rags By Scott Vol.1』(1970)が、ジョージ・ロイ・ヒル監督の気に入るところとなり、ジョプリン作の「The Ebtertainer」が、映画『Sting』(1973年公開)のテーマ音楽として使用されました。
 さて、「新境地」と前述しましたが、このアルバムでは同時代のシンガー・ソング・ライターの作品を積極的に取り上げるとともに、ジャンルにとらわれることなく、少々意外な選曲がなされております。

 ヘルベルト・プレヒトが書いた戯曲に、クルト・ヴァイルが作曲を手掛けた音楽劇『Die Dreigroschenoper(邦題:三文オペラ)』(1928年8月31日初演)の劇中歌です。クルト・ヴァイルはドイツの作曲家ですが、ユダヤ系であることから活動に対してナチスの干渉を受け、パリを経て1935年にアメリカに移住。ブロードウェイのミュージカル『Lady In The Dark』(1941)、『One Touch Of Venus』(1943)、『Love Life』(1948)などの音楽を手掛けて成功を収めました。
 レナード・コーエン、ドアーズ、トム・ウェイツなどロック・アーティストの中にも彼の音楽の影響を受けた人は枚挙に暇がありません。トム・ウェイツ、ヴァン・ダイク・パークス、マリアンヌ・フェイスフル、トッド・ラングレン、スティングらが参加したクルト・ヴァイルへのトリュビュート・アルバムもリリースされていました。

Music of Kurt WeillMusic of Kurt Weill
(1994/03/18)
Various Artists

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PIRATE JENNY
なあ旦那
床を磨いている私を見てるがいいよ
あんたが遊び呆けている間
私はこうして床を磨いてるんだよ
前にあんたがチップをくれてからだったか
このひなびた海辺の古ぼけた安ホテルで
あんたはご名士さん気取り
でもあんた、いま誰と話してるか分かんないだろう
いま誰があんたに話しかけてるのかなんて

ある晩、突然悲鳴が上がり
あんたは「いったい何の騒ぎだ」と大声で叫ぶ
そして床を磨きながらにやにやしている私を見て
「何であの女はにやついてるんだ」と言うのさ

ドクロをマストの先につけた
黒い貨物船がもうすくやって来る

それからあんたら男どもはこう言うんだよね
「おい女、床掃除が終わったら上にあがれ、
寝床を整えろ、給料の分ぐらいは働けよ」
そして私にチップを投げてよこし、外の船を見る
でも床を整えている間に
私が数えるのはあんたらの頭
だって今夜ここで誰も寝ることはない
誰ひとりとしてここで寝ることはないだろうから

その夜、ドカンと大きな音がして
あんたは叫ぶ「いったい何の騒ぎだ」と
そして窓の外をじっと見つめる私を見つけてこう言うのさ
「いったい何を見ていやがるんだ」

黒い貨物船は港でくるりと向きを変え
船首から大砲を撃って来る

そしたらあんたらの顔からも笑いが消えるだろうよ
この街の建物、倒壊した建物
鬱陶しい場所全体が崩れ落ちるのさ
でも、この安ホテルだけは難を逃れ
あんたらは「何であれだけ無事なんだ」と不思議に思う
「奴らはなんであれだけ残しておくんだ」と不思議に思う

世を徹しての騒音と混乱の中で
いったい誰があの上に住んでいるのだろうと
あんたらは考えるだろう
そして翌朝には目にするのさ
髪にリボンをつけて出掛ける粋な私の姿を

黒い貨物船が旗をマストの先にするすると揚げると
歓声があたりに響き渡る

正午近くになると
埠頭はあの幽霊貨物船から出て来た男どもが群がる
奴らは影に隠れて動くので
誰にも見えない
そして奴らを鎖で縛り上げると
私のところに連れて来てこう言うんだ
「今やっちゃいましょうか、それとも後にしますか」
「今やっちゃいましょうか、それとも後にしますか」

時計が正午を指しても
埠頭に動きはない
遠くから汽笛の音が聞こえるだろう
静まりかえった中で、私はこう言うのさ
「今やっちまいな」
次々と積み上げられる死体の山
私は言うのさ
「これで分かったかい」

黒い貨物船は海へと消えて行く
そしてその上にいるのは私なのさ

 さらに悪女の雰囲気が漂うマリアンヌ・フェイスフルのヴァージョン。1996年の『20th Century Blues』に収録。


 1931年にG・W・パプスト監督で映画化された時は、クルト・ヴァイル夫人のロッテ・レーニャが歌っていました。


 1964年4月29日にベルリン・シラー劇場で初演された戯曲、『Die Verfolgung und Ermordung Jean Paul Marats dargestellt durch die Schauspielgruppe des Hospizes zu Charenton unter Anleitung des Herrn de Sade (邦題:マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院患者たちによって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺)』の劇中歌である「Marat/Sade」。フランス革命期の過激な共和主義者であるジャン・ポール・マラーがシャルロット・コルデーに刺殺された事件を、精神病院でマルキ・ド・サド侯爵が患者たちを使って上演するという設定のミュージカルです。1966年にはニューヨークのブロードウェイでも上演。1967年にはピーター・ブルック監督のもとイギリスで、『The Persecution and Assassination of Jean-Paul Marat as Performed by the Inmates of the Asylum of Charenton Under the Direction of the Marquis de Sade』というタイトルで映画化されていました。



MARAT/SAD
革命が起き
王が処刑されてから4年
4年が経った今でも
廷臣たちが最後の誓いを行ったのを憶えている

貴族はすべて吊るしてしまえ
司祭も追い出せ
そして奴らの蓄えを食いつぶせ

我らが戦いを始めてから4年
マラーはまだ書き続けている
バスティーユが陥落してから4年
彼は今でも戦いの雄叫びを思い出す

支配階級を倒せ
将軍たちを叩き出せ

なぜ奴らは金を独占するのか
なぜ奴らは権力を握っているのか
なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜなんだ
なぜ奴らには上流階級の友人たちがいて
どうして高級な仕事に就いているのか

私たちには何もない、あったためしがない
あるのはたくさんの穴ぼこだけ
穴ぐらで寝起きをして
穴ぐらで生涯を終える
腹にも服にも
穴があいている

マラー、私たちは貧しいのだ
貧乏人はいつまでたっても貧乏人のまま
マラー、わたしたちをもうこれ以上待たせないで
私たちは自分たちの権利が欲しい
そのためなら革命もいとわない
さあ

4年間、彼は戦った、恐れることなく
裏切り者をひとりずつ嗅ぎ分けながら
マラーは法定で
マラーは地下で
時おりカワウソになり、時おり猟犬になる

良家の人たちと戦い、聖職者とも戦う
ビジネスマンともブルジョワとも軍畜とも
マラーはいつでも
体制派の息の根を止める準備が出来ている

我らは新しいリーダーとなる将軍たちを迎えてみたものの
彼らは座って議論するだけで
そしてすることといえば
仲間を売ったり利用すること
人々を牢屋にぶちこむこと
人々を打ち負かすこと
斧で斬りつけること
誰も理解できないような言葉づかいで
我々が血を流してつかみ取った権利を叫ぶ
我々が支配者を一掃し
獄中へと放り込んだ時
あなたは我々の誰よりも長生きすると言った

哀れな老人マラーは捕えられた
刑事たちが街中を嗅ぎ回っている
あなたの印刷機が壊されたのはつい昨日のこと
いま、あなたの住所を刑事たちに聞かれた

哀れな老人マラーを我々は信じている
あなたはその目が赤く錆び付くまで働く
でもあなたが自分の軌跡を書いている間に
靴音が階段を駆け上がり
ドアが勢いよく開けられる

哀れな老人マラーを我々は信じている
あなたはその目が赤く錆び付くまで働く
哀れな老人マラー、信じているわ

 力強く歌う2曲の後のビートルズ・ナンバー、「In My Life」には心が和み、癒されます。


IN MY LIFE
我が人世において忘れられない場所がある
変わってしまった場所もあるけれど
いつまでも残るところもあれば悪くなってしまったところもある
失われた場所もあればそのままの場所もある
こうした場所にはすべて恋人や友達がいて
それなりの想い出の瞬間があり
私は今でも思い出せる
死んだ人もいれば相変わらず元気な人もいる
我が人生において、愛してきた人々だ

でもそうした友達や恋人の中でも
あなたと比べられる人なんていない
何か新たな気持ちで物事を考えると
数々のこうした想い出も色褪せてしまう気がする
だけど過ぎ去った人々や事物への愛情は
これからも決して消えることはない
何度も立ち止まって思い返し
私の人世であなたが最愛の人だって気づくのだ

だけど過ぎ去った人々や事物への愛情は
これからも決して消えることはない

私の人世において、あなたはかけがえのない人

 1966年のテレビ・ショーでのライヴ映像です。


 ザ・ビートルズのオリジナル・ヴァージョンは1965年12月3日に発表されたアルバム、『Rubber Soul』に収録。


 トラディショナルを澄んだ声で歌う清純派からの脱皮。選曲の意外性による知的な印象。豊かな表現力。ジュディ・コリンズのアルバム『In My Life』はそうした要素が盛り込まれた新たな転機となった作品であり、オリジナリティーを出しながらも収録された楽曲を昇華し、その後の彼女の進む方向を決定づけたと言っても過言ではないでしょう。

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