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Gene Clark - Gene Clark With Gosdin Brothers

 前回、前々回とクリス・ヒルマンを2回に分けて取り上げたので、今回は彼のかつての同僚であるジーン・クラークに登場をお願いいたしました。お題は、『Gene Clark With Gosdin Brothers』。ジーン・クラークが、ザ・バーズ脱退後の1968年に発表したファースト・ソロ・アルバムです。

ジーン・クラーク・ウィズ・ザ・ゴスディン・ブラザーズ(紙ジャケット仕様)ジーン・クラーク・ウィズ・ザ・ゴスディン・ブラザーズ(紙ジャケット仕様)
(2014/02/05)
ジーン・クラーク・ウィズ・ザ・ゴスディン・ブラザーズ

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 ジーン・クラークは1944年11月17日、ミズーリ州ティプトンに生まれ、両親が音楽好きだったことから幼き頃よりギター、ピアノ、バンジョー、マンドリンといった楽器に親しんで来ました。ハイスクールに入学するとアマチュア・バンドを組み、やがてはセミプロ級の実力をつけるほどになります。
 1963年、ジーン・クラークは「Green Green」、「This Land Is Your Land」、「Saturday Night」などのヒットで知られるニュー・クリスティ・ミンストレルズにスカウトされ、プロとしての第一歩を踏み出しました。ニュー・クリスティ・ミンストレルズはジェリー・イエスター(MFQ、ラヴィン・スプーンフル)、バリー・マクガイア(「Green Green」の作者。P.F.スローン作の「Eve Of Destruction」で1965年に全米第1位を獲得)、ケニー・ロジャース(カントリー界の大御所。ライオネル・リッチー作の1980年の「Lady」が全米1位)、キム・カーンズ(1981年の「Bette Davis Eyes」が9週連続全米第1位)などを排出したフォーク・グループです。しかし、メンバーの入れ替わりが激しく、マクガイアの後釜との期待を受けて入団したジーンも翌64年には脱退してしまいました。
 ジーン・クラークがミンストレルズを脱退した理由はラジオで聴いたビートルズの歌に大きな衝撃を受けたからとのこと。あまりにも衝動的で、せっかく入った有名グループのメンバーとしての地位を自ら棒に振ることになるのですが、本人としては「これからはフォークではなくロックの時代や。こんなことしてられへん」との思いが強かったのでしょう。「きっと俺と同じことを思てる同年代のミュージシャンがいるはずや」との確信を胸に秘めながら、ロサンゼルスのクラブで歌うといった日々を送ります。
 ジーンの熱い思いが実現する機会はすぐにやって来ました。ある日、トルバドールというクラブで、12弦のアコースティック・ギターで、ビートルズ・ソングの弾き語りをする若い男のステージに遭遇。ジーンは彼のパフォーマンス終了後に声をかけ、ふたりはすっかり意気投合。たちまちデュオ結成に至りました。ジーンと組むことになったこの男の名はロジャー(当時はジム)・マッギン。チャド・ミッチェル・トリオ、ボビー・ダーリン、ジュディ・コリンズらのバック・ミュージシャンを務めた実力派です。彼もまた映画『A Hard Day's Night』を観て、ビートルズに感化されたひとりでした。
 トルバドールの外の階段のところを練習スタジオに見立て、ビートルズのナンバーを歌うジーンとマッギン。やがて、「君ら何や楽しそうにやっとるなあ、俺も仲間に入れてくれへんか」とばかりに、トルバドールの常連フォーク・シンガーとして活動していたデヴィッド・クロスビーが合流。彼らはザ・ジェット・セットというバンド名で活動を始めるのですが、マネージャーを買って出たジム・ディクソンのアドバイスによってリズム・セクションを加えることになり、クリス・ヒルマン(ベース)、マイケル・クラーク(ドラムス)が加入します。こうして5人編成のロック・バンドとなった彼らはビフィーターズと改名し、64年10月7日にエレクトラ・レコードよりシングル「Please Let Me Love」をリリース。幸先よいスタートを切るのですが、ワンショット契約だったために後を続けることが出来ませんでした。しかし、捨てる神あれば拾う神ありの如く、「モダン・ジャズの帝王」と称されるマイルス・デイヴィスの推薦によってその年の11月にCBSと契約。意外な人物の口利きでしたが、マネージャーのジム・ディクソンはジャズ・レーベルであるパシフィック・レコードのプロデューサーを務めた経験があり、ジャズ界にも人脈があったのでしょう。
 翌1965年4月11日、ザ・バーズと再び改名した彼らはボブ・ディランの曲をカヴァーしたシングル、「Mr. Tambourin Man」を発表。全米第1位を獲得し、一躍スターダムに躍り出ました。その余勢を駆って、6月21日にはファースト・アルバム『Mr. Tambourin e Man』をリリース。ジーン・クラークは美しいメロディーを持つ「Here Without You」、「I Knew I Want You」などのオリジナル作品を提供したものの、ロジャー・マッギンのリード・ヴォーカルでカヴァーされた「Mr. Tambourine Man」を始めとする4曲のディラン作品の印象が強い仕上がりになった感が否めませんでした。ちなみにジーン・クラークとロジャー・マッギンは「You Won't Have Cry」、「It's No Use」の2曲を共作。当時のふたりの関係は良好だったといえるでしょう。
 同年10月に発表された「Turn, Turn, Turn」が全米第1位に輝き、12月にはアルバム『Turn, Turn, Turn』をリリース。バンドは順風満帆で押しも押されぬ存在になろうとしていた矢先の翌65年、ジーン・クラークは突然バーズ脱退を表明します。表向きの理由は飛行機恐怖症でしたが、バンド内の主導権争いが一因となったのは疑いようのない事実でしょう。オリジナル作品の大半を書いていたのに、目立つのはロジャー・マッギンがリード・ヴォーカルを取る曲ばかり。さらに、ギタリストしてめきめき腕を上げて行くマッギンとデヴィッド・クロスビーの存在。そしてフォーク・ロックからインド音楽やジャズを取り込んで幅を広げようとするバンドの音楽性の変化。不満と不安がジーンの心の中で交錯し、葛藤した結果として脱退という決断を下したのかもしれません。また、バーズのレパートリーの大半がジーンの作品であったことから彼に多額の印税が入り、そのことで他のメンバーとの確執が生じたという話もありました。いやはやお金の問題が絡むと洋の東西を問わず、やっかいなことになるものですな。
 というわけで、ジーン・クラークはバーズを離れてしまいましたが、既に5人のメンバーでレコーディングを終えていたため、シングル「Eight Miles High」を5月にリリース。この曲はジーン、マッギン、クロスビーの3人による共作で、皮肉にもインド音楽やジャズの要素が融合されたサイケデリックな作品でした。
 その「Eight Miles High」が発売された翌月である1966年6月、ジーン・クラークは元モダン・フォーク・カルテットのチップ・ダグラス(ベース)らの手を借りてライヴを敢行。ハリッウッドにあるクラブ、ウィスキー・ア・ゴーゴーでパフォーマンスを披露し、健在ぶりを示しました。CBSは「ジーン・クラークはソロでもいけるで」と判断。すぐにソロ契約が結ばれたのです。
 1966年11月4日、シングル「Echoes」発表。翌67年には1月16日にはカントリーのフィールドで活躍するゴスディン・ブラザーズを従えたソロ・アルバム、『Gene Clark With Gosdin Brothers』をリリース。レコーディング・セッションにはグレン・キャンベル(ギター)、クラレンス・ホワイト(ギター)、ダグ・ディラード(バンジョー)、ヴァン・ダイク・パークス(キーボード)、レオン・ラッセル(ピアノ、ハープシコード)らに加え、バーズからもクリス・ヒルマンとマイケル・クラークのふたりがか駆けつけました。CBSの力の入れようが窺えます。
 そのようにCBSの期待を背負ってのソロ・デビューでしたが、セールスは不調に終わり、予定されていたセカンド・シングル、「Only Colombe c/w The French Girl」が発売中止の憂き目に。10月にバーズへ一旦復帰するもひと月も経たぬうちに飛行機恐怖症を理由にして再び脱退します。もうバーズには自分の居場所がないことを悟ったのでしょう。
 しかし、ここでも捨てる神あれば拾う神ありとはよく言ったもので、1968年2月、ジーンは三顧の礼でA&Mに迎えられ、7月にはファースト・ソロ・アルバムのレコーディングにも参加していたダグ・ディラードとディラード&クラークを結成。カントリー・ロック・サウンドをバックに、独自の歌の世界を繰り広げて行くのです。

 それでは『Gene Clark With Gosdin Brothers』から何曲か紹介して行きましょう。まず、表題曲となった「Echoes」。サイケデリック・サウンドを帯びたソフト・ロック調のアレンジが、いかにもカウンター・カルチャー華やかしきこの時代を象徴しています。少々難解な歌詞にボブ・ディランを意識したような歌い方にもそうした傾向が現れているのでしょう。それでも琴線に触れるメロディーはジーン・クラーク特有のもの。哀愁に満ち、諦観とやりきれなさが漂います。


ECHOES
君が再び目をやるその路上で
君が訪れた様々な場所で
あるいはどこに行こうとしているかを
自分に問いかけたその度に
周囲の壁が死んだように思えるかもしれないが
実際は君の声を壁ははね返していたのだ
そして君の頭の中にこだまする声も消えないだろう
君が建てた城の近くで
君がかなえた夢から覚め
吹きすさぶ逆風をすべて締め出すことが出来ない
そして今なお君はかつて馴染んでいた暮らしを見つけようと
いつも決まった場所の隙間から痕跡を探している

夜をぶらつくがよい
そして自信を持つがよい
現実の世界を過大視しようと
クリスタルに縁取られたガラスを通して
女王の踊りを見るがよい
彼女の目には映らない
とても多くのことがあると君は知りながら
今なお君は大切な望みを持ち続けている
彼女は自分が恋い焦がれたものを
守っているに違いないのだということを
今になって君は捜し出そうとしてきた
そして彼女の瞳に闇が被い
もう後戻りが出来ないのだと悟り
そして彼女があんなに欲しがっていた愛は
もはや口に出すことは出来ない

明かりが灯り 寒くなり始める
そのとき君の感覚は売りに出されるだろう
意味もない模倣をするオウムを観察する者たちのために
事実がまったく遠くへ
本来の自分を装うために
真実が裏切りと反逆と嘘になるかもしれないとしても
砂の上に城を建てなさい
近い将来に人々の命令で
王国が人々が盗んでいる純血であるとき
そして悪影響はいとも容易く広がる
探し求め、混乱するために
人々がお互いの感情を傷付け合うために協力するかのように

 期待されたジーン・クラークのソロ・アルバムはセールス的に失敗し、やがて市場から姿を消していく羽目に陥りました。1965年にザ・ビートルズが、アルバム『HELP!』でバック・オーウェンスの「Act Naturally」をカヴァーし、「I've Just Seen A Face」(レノン=マッカートニー作)のようにカントリー・ミュージックの要素を取り入れたオリジナル曲を発表していたのですが、カントリーは保守的、あるいは体制的であるというイメージが強かったのか、ロックのリスナーにとっては敬遠される音楽だったのかもしれません。しかし、ジーンの古巣であるバーズ、クロスビー、スティルス&ナッシュ、フライング・ブリトー・ブラザーズ、グレイトフル・デッド、ニュー・ライダーズ・オブ・ザ・パープル・セイジ、ポコ、ニッティ・グリッティ・ダート・バンド、そしてボブ・ディランやリンゴ・スターまでもがカントリー・サウンドにアプローチした独自のロック・ミュージックを作り出していく中、イーグルスがデビューし、リンダ・ロンシュタットが注目を浴び始めます。ようやくカントリー・ロックは受け入れられ、市民権を得る時代が到来したと言えるでしょう。このブームに便乗するかのように、CBSは『Gene Clark With Gosdin Brothers』リミックスして再発売することを画策。ジーンは幾つかの曲でヴォーカルを入れ直す作業を行ったのです。1972年、アルバムは『Early L.A.Sessions』のタイトルで再び世に出ました。

 こちらは再録された1972年版の「Echoes」。達観したわけではないのでしょうが、最初の録音よりも肩の力を抜いたような穏やかな歌い方をしています。


 失恋の痛手に打ちひしがれながらもまた新しい恋への希望を抱く、「Tried So Hard」。破れた恋を癒すかのような軽快なカントリー・ロック・サウンドを明日への活力としているのでしょうか。それでも未練は残るかのようです。
 ザ・バーズが、カントリー・ロックの先駆けとされる『Sweetheart Of Rodeo』を発表したのは1968年。その前年である67年に出したこのアルバムの中で、ジーン・クラークは来るべきトレンドを予測するかのように、カントリー・ミュージックの要素を取り入れていたと言っても過言ではないでしょう。


TRIED SO HARD
今朝、家路につく途中で
ふと立ち止まった
今度ばかりは帰ってもひとりに違いないと気がついたんだ
彼女はどこかへ行ってしまったんだよ
いきなりのことだぜ
彼女を喜ばせようとあんなに努力したのに
彼女はどうしても行かせてくれって言ったのだ

俺をずたずたに傷つけているにもかかわらず
似たようなことは前にもあった
初めてふられたわけじゃない
心底落ち込んでる場合ではないんだ
彼女を喜ばせようとあんなに尽くしたけれど
俺の知らない何かがもっとあるはずさ

こんな風にふたりの破局が訪れるなんて考えてもみなかった
すべてがうまくいくと思っていたんだ
俺にはまだ出来ることも言いたいこともあるよ
でも運命は変わらない、そう俺のせいだってよくわかってるのさ

だから俺はもう一度立ち止まって、過ぎ去った痛みを直視するんだ
前にも恋をした経験があるから、また素敵な恋が出来るんだ
彼女はどこかへ行ってしまったんだよ
いきなりのことだぜ
彼女を喜ばせようとあんなに努力したのに
彼女はどうしても行かせてくれって言ったのさ

 クリス・ヒルマンとグラム・パーソンズが、ザ・バーズを脱退して結成したカントリー・ロック・バンド、フライング・ブリトー・ブラザーズのヴァージョン。


 サンディ・デニーがリード・ヴォーカルを取るフェアポート・コンベンションのヴァージョンは1968年から69年にかけて行われたBBCラジオ・セッションを音源とする『Heyday』(年リリース)に収録。フェアポート・コンベンションはブリティッシュ・トラッドを基調としたグループですが、ウエスト・コースト・サウンドにも大きな影響を受けています。ことにバーズは彼らのお気に入りのバンドのひとつでした。


 こちらもフェアポート・コンベンションのメンバーだったイアン・マシューズによるヴァージョン。前述の録音ではサンディ・デニーの引き立て役に徹していましたが、自身のアルバムでは主役として繊細な歌声を披露。


 レッド・ツェッペリンのロバート・プラントが、ブルーグラス界のディーヴァと称されるアリソン・クラウスと組んで2007年にリリースしたアルバム『Raising Sand』の中に、ジーン・クラーク作品が2曲(ディラード&クラーク時代の「Through The Morning, Through The Night」と「Polly Come Home」)も収録されていました。ジーン・クラークは残念ながら1991年5月24日に他界しましたが、彼のことが僅かながらも再認識される時が訪れたようです。
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