好きな音楽のことについて語りたいと思います。

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The Beach Boys - Cotton Fields

 前回のブライアン・ウィルソンによる「Summertime」の記事の中で、「綿花」について言及しました。そこで今回は安易ながらザ・ビーチ・ボーイズの「Cotton Fields」を取り上げることにします。

20/2020/20
(2008/06/11)
ビーチ・ボーイズ

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1. Do It Again
2. I Can Hear Music
3. Bluebirds Over The Mountain
4. Be With Me
5. All I Want To Do
6. The Nearest Faraway Place
7. Cotton Fields (The Cotton Song)
8. I Went to Sleep
9. Time To Get Alone
10. Never Learn Not To Love
11. Our Prayer
12. Cabinessence



COTTON FIELDS
俺がほんのちっちゃいガキだった頃
お袋がゆりかごで俺を揺らしてくれた
懐かしの故郷の綿畑で
テクサカーナから1マイルほどの
ルイジアナに戻って来た
懐かしの故郷の麦畑のあるところ

にっちもさっちも行かなくなった時の
話をしよう
タイヤに釘が刺さっちまったので
俺は全速力で
町までの長い長い道を歩きで帰らにゃならなかった
そこに帽子を被った
ひとりの立派な老紳士が通りがかった
ちょっとすいませんが、ミスター
方角を教えてくれませんか
すぐに家に帰らなきゃならないもんで

綿の実が腐っちまっても気にしない
分かりきったことさ、誰が欲しがるもんか
懐かしい故郷の綿畑の中で
なあ兄弟よ、おまえを元気づける言葉を
あとひとつだけ言っておこう
夏の日のカリフォルニアは
故郷の綿畑とそっくりさ

テクサカーナからほんの1マイルほどのところにある
ルイジアナの綿畑に俺を連れ戻してくれ
あの綿畑の便りを聞かせてくれ
故郷にまさる場所はないのさ

ああ、故郷に戻って空気を吸えば気分爽快
俺も大人になったものだと気づいてくれた
みんなの顔を見せたかったもんだぜ
懐かしい故郷の綿畑に戻ればな

Texarkana(テクサカーナ)
テキサス州テクサカーナ。テクサカーナに隣接するアーカンソー州の町を含むこともある。歌の中ではテキサカーナから1マイルほど離れたルイジアナの綿畑と紹介されているが、実際にはテキサス州とルイジアナ州境より30マイル北に位置する。

 1969年に発表されたアルバム『20/20』に収録されていたヴァージョンにペダル・スティール・ギターを加え、コーラスもパワー・アップさせ、翌1970年4月に装いも新たにシングル・カット。アメリカでは不発に終わったもののイギリスのヒット・チャートでは最高5位まで上昇しました。


 ビーチ・ボーイズの「コットン・フィールズ」は故郷を懐かしむ風情が窺えますが、1941年に作者であるハディ・ウィリアム・レッドベターことレッドベリーが歌った世界は黒人労働者の悲哀が込められていました。


俺がほんのちっちゃいガキだった頃
お袋がゆりかごで俺を揺らしてくれた
懐かしの故郷の綿畑で
テクサカーナから1マイルほどの
ルイジアナに戻って来た
懐かしの故郷の麦畑のあるところ

ちょっとこっけいに思えるかもしれないが、
あんたはたいして儲かなかった
あの懐かしの故郷の綿畑で
ちょっとこっけいに思えるかもしれないが、
あんたはたいして儲かなかった
あの懐かしの故郷の綿畑で

綿の実ってやつは腐っちまうと
あんまり綿を摘むことができないもんだ
懐かしの故郷の綿畑

テクサカーナから1マイルほどの
ルイジアナに戻って来た
懐かしの故郷の麦畑のあるところ

俺はアーカンソーに渡った
人々は懐かしき故郷の綿畑に
戻ってこいと俺にせがむのさ
俺はアーカンソーに渡った
人々は懐かしき故郷の綿畑に
戻ってこいと俺にせがむのさ

 綿花は現在もアメリカの主要農作物のひとつで、栽培に適した温暖な気候に恵まれた南部とカリフォルニア州で生産されています。第二次世界大戦後に種まきや収穫が機械化される以前はプランテーションと呼ばれる大規模農園で、人手を掛けて大量に生産されていました。その労働力の大部分を担っていたのがアフリカ系アメリカ人、つまり黒人です。
 植民地時代のアメリカ南部のプランテーションではタバコ栽培が主流で、西アフリカから送られて来た黒人奴隷を使って栽培されていました。タバコは価格が不安定で投機性が高かったため、やがてプランテーションの多くはイギリスでの需要の高まりを見越して綿花に切り替えられることになります。イギリスでは17世紀に紡績機が発明され、18世紀後半には産業革命が起こって工場の生産性が向上し、綿布や綿織物を大量生産することが可能となったことから需要はさらに増大。アメリカの綿花はイギリスのみならずヨーロッパ各国でもてはやされ、南部のプランターたちに巨万の富をもたらしました。
 しかし、アメリカでは南北戦争(1861年 - 1865年)が勃発。北軍が北部にある主要な港を閉鎖したため綿花の輸出量が激減し、生産量も落ち込んで行ったのです。イギリスやフランスは綿花の輸入をエジプトに代替。さらに、イギリスは間接統治を行っていたインドからの輸入を促進させて急場をしのぎました。また、ロシアは当時併合していたトルキスタンで綿花の生産量を増やす策を取っています。
 南北戦争終結後、アメリカは綿花の生産・輸出量を回復させますが、市場価格が暴落し、競争原理にさらされることになりました。おかげで南部のプランターたちの隆盛に翳りが見え始めます。ヴィヴィアン・リー主演で映画化されたマーガレット・ミッチェル作の小説、『Gone With The Wind(風と共に去りぬ)』はそうしたプランターたちの栄華と没落が描かれた作品でした。
 1862年にリンカーン大統領によって奴隷解放宣言が出されたされたとはいえ、黒人農夫や土地を持たない白人農夫(プアホワイト)らは低賃金で裕福な白人地主のもとで重労働を強いられるという図式が続きます。さらに、奴隷制度廃止により北部の産業資本家たちが南部のプランターと手を組み、プランテーション奴隷制度から刈分小作制度へ転ずる動きが見られ、黒人農夫やプアホワイトら小作農として新たな搾取の対象となって行ったのです。これは北部の資本家にとって収穫の場になり、南部のプランターにも実質奴隷制度同様の状態が維持できるといった両者の利益が一致したやり方だったのでしょう。

 この曲には数多くのアーティストによって取り上げられています。秀逸なヴァージョンの幾つかをお聴きください。
 歌手のみならず俳優、社会活動家としての顔を持ち、「Banana Boat Song(バナナ・ボート)」のヒットでお馴染みのハリー・ベラフォンテのヴァージョンです。ジャジーなアレンジが印象的。 1958年リリースのアルバム、『Belafonte Sings the Blues』に収録されていました。

 
 マーティン・ルーサー・キング牧師から「アメリカン・フォークの女王」と称され、ボブ・ディランに多大な影響を与えたとされるアフリカ系アメリカ人の女性シンガー、オデッタのヴァージョンです。デュエットの相手はLarry Mohr。アルバム『The Tin Angel』(1954)に収録。


 アメリカのコネチカッット州の大学生5人で結成されたフォーク・ユニット、ハイウェイメンのヴァージョン。全米1位(1961年)に輝いた黒人労働歌、「Michael Row The Boat Ashore(漕げよマイケル)」で有名な方々です。1961年リリース。


 この「コットン・フィールズ」はカントリーのアーティストもお好みの曲のようです。エディ・アーノルド、バック・オーエンスら興味深いヴァージョンがありますが、今回はジョニー・キャッシュ御大の歌声をお聴きください。アルバム『The Sound of Johnny Cash』(1962)に収録。


 何の説明もいらないクリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル(CCR)のヴァージョン。 1969年11月に発表されたアルバム、『Willy and the Poor Boys』に収録されていました。


 エルトン・ジョンのヴァージョンです。1994年のカヴァー集、『Red Dwight's Piano Goes Pop』に収録。


 お開きはキャンディーズの皆様の歌声を宜しければお楽しみください。こちらはNHKで放送されていた「レッツゴーヤング」出演時の映像のようですが、スタジオ・ヴァージョンはサード・アルバム『なみだの季節』(1974年12月10日リリース)に収録されています。


参考文献:『アメリカ黒人の歴史 新版』本田創造著 1991年 岩波書店

アメリカ黒人の歴史 新版 (岩波新書)アメリカ黒人の歴史 新版 (岩波新書)
(1991/03/20)
本田 創造

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コメント

こんにちは

Cotton Fields懐かしいものを解説ありがとうございます。自分は、CCRversionをよく聞いてました。Eltonも歌ってたのは意外でした。当時は、日本でもTVで洋楽よく歌われてましたよね。

曲のルーツをたどるといろいろ面白いものにぶつかりますね。自分もWayfaring Stranger調べていたら小坂一也まで出てきました。またいろいろ教えてください。
HY様、訪問していただき誠にありがとうございます。
1970年代は洋楽が度々ヒット・チャートの上位にランクされることがありましたね。洋楽不振の昨今を思えば、夢のような時代だったのかもしれません。
白人霊歌ともいえるトラディショナル・フォークの「Wayfaring Stranger」はエミルー・ハリスのヴァージョンが印象的ですが、ジョニ・ミッチェルも「The Silky Veils Of Ardor」とタイトルを変更し、コード進行も変えてまるで別の曲のように歌っていました。

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