好きな音楽のことについて語りたいと思います。

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Pamela Polland

前回の記事でジェントル・ソウルを取り上げましたが、今回はグループ解散後のパメラ・ポランドについて少しばかり述べることにします。

パメラ・ポランド(紙ジャケット仕様)パメラ・ポランド(紙ジャケット仕様)
(2006/10/18)
パメラ・ポランド

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1. In My Imagination
2. Out Of My Hands (Still In My Heart)
3. Sing-A–Song Man
4. When I Got Home
5. Please Mr. DJ
6. Abalone Dream
7. The Rescure
8. Sugar Dad
9. The Teddy Bears' Picnic
10. The Dream (For Karuna)
11. Texas
12. Lighthouse

周囲から大きな期待を寄せられていたにも関わらず、ジェントル・ソウルのアルバムは話題にもならずに市場から姿を消しました。過去に才能を買われてティン・パン・アレイに乗り込んだものの相手にされず挫折を味わった経験があるとはいえ、パメラ・ポランドにとって苦汁をなめる思いだったに違いありません。ほどなくしてグレッグ・コープランドとの結婚生活も破綻。パメラはアーティストとして、一人の女性としての人生の岐路に立たされました。
再びソロ活動を始める決心をしたパメラはテリー・メルチャーとライ・クーダーを頼るものの意見が合わず交渉決裂。レコード会社も結果の残せなかったアーティストを厚遇することはありません。パメラはそんな状況に嫌悪を抱き、絶望感や幻滅感から逃れようとサンフランシスコ郊外のミル・ヴァレーに転居。友人のダイアン・スウァード・ラパポートをマネージャーに迎え、コーヒーハウスなどに出演しながら英気を養うことになりました。

ミル・ヴァレーでの充実した時期を過ごすパメラ。ある日、友人から全米ツアーに出るバンドのリハーサルがあるのでロサンゼルスのA&Mレコードのスタジオに来るようにと誘われます。パメラが向かったその場には旧知のレオン・ラッセルがディレクションを担当していて、バック・ヴォーカルの列に並ぶようにと彼女に指示。リハーサルが終了するやいなや、レオンはパメラに採用を告げました。

そのバンドとはマッド・ドッグス&イングリッシュメンです。ジョー・コッカーの後ろでパメラがちらっと映っているのが確認出来ました。

http://www.youtube.com/watch?v=n6splB7acXc&p=D1CB0DAE6C24E235&playnext=1&index=5

パメラにとってバンドに加わり全米を旅した経験は傷心を癒すには絶好の機会となり、再起へのきっかけとなり得たことでしょう。努力すれば運が向いて来るようで、ミル・ヴァレーに戻るとマネージャーのダイアンの尽力によってメジャー・レーベルのオーディションが受けられる手はずになっていたのです。その中には古巣CBS、そしてジャクソン・ブラウンが所属することになるアサイラム・レコードの名がありました。
1970年、CBSとアサイラムの間でパメラ・ポランド獲得を巡って争奪戦が繰り広げられます。CBSはクライヴ・デイヴィス、アサイラムはデヴィッド・ゲフィンといった社長自らが直々に交渉へ乗り出すほどの熱の入れよう。既にアサイラムと契約をすませたジャクソン・ブラウンからもパメラに勧誘があったと言われています。
こうした両者の熱烈なラヴ・コールにパメラは嬉しい悲鳴を上げて逡巡。熟慮を重ねた結果、条件面で優った古巣CBSとの再契約を選択したのです。
レコーディングはサンフランシスコとナッシュヴィルで行われました。1971年のサンフランシスコのセッションではニッキー・ホプキンスやタジ・マハールが参加。翌72年のナッシュヴィルのセッションではギタリストのエディ・ヒントンら腕利きのスタジオ・ミュージシャンらが動員されました。こうしてクライヴ・デイヴィスの期待のほどを表すかのような豪華な面々の強力を得たアルバムは1972年にリリースされたのです。

それではアルバムの中から何曲か紹介しましょう。ナッシュヴィルで録音の「Out Of My Hands (Still In My Heart)」と地名ではなく「テキサス」という名の男性への思いが込められたサンフランシスコ録音の「Texas」の2曲を続けてお聴きくだされば幸いです。


OUT OF MY HANDS (STILL IN MY HEART)
物事が思い通りに行かなかったなら
私に言ったわね
その時は一緒になろうと
そう、私たちってなんて幸せなのかしら

私たちの人生は迷路のようで
自由になろうと無我夢中なのね
そしてもう手に負えないけれど
でもまだ気は確かよ

実家に帰ろうと思うの
ここにいるのは良くないわ
強く生きようと試みたけれど
ここにいたら日ごとに気弱になっていく
人生は迷路のようで
自由になろうと必死だったのね

今じゃもう手に負えない
でも心はしっかりしてるわ
もう手に負えないけれど
まだ心は確かなのよ

この「Out Of My Hands」でのちょっぴりハスキーでソウルフルなパメラのヴォーカルにはアーシーなサウンドがよく似合っています。

TEXAS
テキサス、あなたを殆ど見たことがないけれど
飛行機でアメリカを横切り
ロックン・ロール・ショーの旅をしていたら
テキサス、あなたをとても不思議な場所で見かけたことがあるわ
以前はコロラドでも見たことがあるの

でもテキサス、私はあなたをずっと前から知っているように思う
あまり詳しくはないけれど
私はそこで銀貨一枚のお土産を買おうと思う
そして私は言うの、そこへ言ったことがあるって

一度だけ、あなたが私を連れに来てくれると思ったことがあるわ
私は毅然としていて だから世界中に見えていた
期待の翼を広げて飛びながら
あなたが私のために考えてくれたどんなプランも見えなくなっていた

でも聞いて、テキサス、私はあなたをずっと前から知っているように思う
あまり詳しくはないけれど
あなたはもういなくなってしまったけれど
愛は留まっている
そして私はこの歌とともに家にいる

一緒に連れて行ってよ、テキサス
どうかお願い、あなたと一緒に

新しい世界がやって来るのを見ようと夜明けまで起きて待っていた
でもやって来たのはこの歌だけ

一方の「Texas」はシンガー・ソング・ライターのリー・クレイトンとZ.Z.トップのビリー・ギボンズに捧げた歌とパメラ自身は述べておりますが、ジャクソン・ブラウンのことを歌っているのではとついつい邪推してしまいます。また、パメラの近くにいたテキサス出身のアーティストといえばスティーヴン・スティルス。しかし、パメラは彼に最初のデートをすっぽかされてそれきりになったと言っておりましたので、恋慕の情が残っているとは考えにくいでしょう。

日常の鬱屈の癒しを求めるかのように、ラジオのDJへ曲のリクエストを懇願する「Please Mr. DJ」。ピアノの弾き語りに説得力があります。この曲もナッシュヴィルで録音されました。


収録曲は短いインストゥルメンタルの「The Teddy Bears' Picnic」を除いて全曲パメラ・ポランドのオリジナルです。なお、「The Teddy Bear's Picnic」は1907年にイギリスのジョン・W・ブラトンが作曲したキッズ・ソングで、1932年にアイルランドのジミー・ケネディが詞を付けて広く知られるようになりました。

パメラ・ポランドのソロ作がリリースされた1972年といえばシンガー・ソング・ライターが脚光を浴びていた時期です。敗色濃厚のヴェトナム戦争によってアメリカ社会が挫折を味わい、カウンター・カルチャーが衰退して行く中、反戦を叫んだ人々の心も喪失感や虚脱感に覆われていました。そんな鬱屈した状況を癒すように、私的な体験や自己の内面の揺らめきを表現するシンガー・ソング・ライターの歌が台頭する土壌が形成されていったのです。私小説的な内容を持ったありのままの歌が、いかにして人々の共感を得ることが出来るかが成功の要因となるのでしょう。CBSもアサイラムもパメラ・ポランドの才能を見抜き、キャロル・キングやジョニ・ミッチェル同様の存在になり得ると大きな期待を掛けていたと言えます。
でも、ソロとしてのパメラ・ポランドのファースト・アルバムは好成績を残せず、セカンド・アルバムもレコーディングしていたものの後ろ盾となっていたクライヴ・デイヴィスが社内事情によって退任に追い込まれたためにお蔵入りとなりました。
もしパメラがアサイラム・レコードを選んでいれば、彼女のその後の音楽活動は違ったものになった可能性があったでしょう。まったく異なったタイプのプロデューサーやアレンジャーが担当し、別の人脈のミュージシャンがバックを受け持ったことでしょう。旧知のジャクソン・ブラウンを始め、リンダ・ロンシュタット、イーグルスの面々など交流の深いアーティストが手を貸し、パメラの個性と魅力を最大限に演出出来たと思われます。しかし、人生においてたらればは禁物かもしれません。誰でも岐路に立たされた時に、右と左のどちらを選べばよかったかなんて往生の瞬間にしか分からないのではないでしょうか。華やかな成功を収めても哀れな末路を辿る場合も往々にしてあるものです。
パメラはその後ハワイに移住。ファースト・アルバムのリリースから23年の歳月が過ぎた1995年にボニー・レイット、ケニー・ロギンズ、クリス・ヒルマン(元バーズ)らをゲストに迎えたアルバム『Heart Of The World』を発表。現在はヴォイス・トレーニングを教えたり、ジャズ・ヴォーカリストとして、さらにフラ・ダンスのユニットを組んで歌い続けています。

いつ頃のものかよく分かりませんが、ジャズ・スタンダード・ナンバーを歌う映像がありました。


ハワイアン風にアレンジされた「Stand By Me」です。


ライ・クーダーと組んでいた頃の音源がありました。これで今回はお開きにしたいと思います。


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コメント

Walk On The Backstreetsさん、こんにちは。

>もしパメラがアサイラム・レコードを選んでいれば、彼女のその後の音楽活動は違ったものになった可能性があったでしょう。まったく異なったタイプのプロデューサーやアレンジャーが担当し、別の人脈のミュージシャンがバックを受け持ったことでしょう。旧知のジャクソン・ブラウンを始め、リンダ・ロンシュタット、イーグルスの面々など交流の深いアーティストが手を貸し、パメラの個性と魅力を最大限に演出出来たと思われます。しかし、人生においてたらればは禁物かもしれません。誰でも岐路に立たされた時に、右と左のどちらを選べばよかったかなんて往生の瞬間にしか分からないのではないでしょうか。華やかな成功を収めても哀れな末路を辿る場合も往々にしてあるものです。

「Out Of My Hands」「Texas」「Please Mr. DJ」「Stand By Me」を聴いているとそれぞれに個性があり、いい感じに受け取れたのですが。これは悲運な出来事のせいなのでしょうか。

ブログ・イメージチェンジなさいましたが、もう「ハロウィン」の時期は過ぎようとしています。次なる一手は・・・・(苦笑)
前述の記事にコメントしたソロアルバムの丁寧な解説をありがとうございました。家にあるアナログ盤をあらためて聞き直してみたいと思います(笑)CDでも発売したんですね。ジェントル・ソウルのアナログはソフトロックの名盤として?高額になってますので欲しくなってタワーから現在入荷待ちですがどうなんでしょうか??(^^;)
タウン・ワンダー様、コメントありがとうございます。
才能も実力も備わったパメラ・ポランドですが、CBSからのアルバムは芳しい売り上げを残せませんでした。パメラ自身も「アサイラムと契約していたらまったく別のキャリアを歩んでいただろうけど、どうなっていたかはわからない」と述懐しています。しかし、ハワイに移住した現在、「音楽を所有したいとは思わない。音楽は存在するということだけで、幸せを与えるのよ」と述べ、マイペースの活動を続けています。メジャー・レーベルでは成功を収められなかったけれど、何物にも代え難い環境の中で、誰にも制約されずに自分の音楽を表現できる幸せをつかんだのでしょう。
テンプレートの種類が豊富なFC2ブログですが、シンプルながらも見栄えがよく、文字の大きいものがあまり多くないので苦慮しております。
kuwa様、コメントありがとうございます。
私の拙い文章がお役に立てたならば光栄です。
ジェントル・ソウルはソフト・ロックの名盤としても有名になっているようですね。単調にならぬよう、テリー・メルチャーが精魂込めて仕上げたおかげによるものかもしれません。ライ・クーダーやヴァン・ダイク・パークスの参加でバーバンク・サウンド風の要素が入った曲もあり、一筋縄でいかぬ独自の音楽をジェントル・ソウルの二人は作り上げていたと思います。
この物哀しげな声
聴く者の「心」に宿り残ります♪

God bless you...
Azumi様、コメントありがとうございます。
ハスキーでソウルフルなパメラ・ポランドの歌声。おっしゃる通り、聴く者の心に滲み込みますね。

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