好きな音楽のことについて語りたいと思います。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Nick Decaro - ITALIAN GRAFFITI

前々回の記事でスティーヴン・ビショップの1stを扱った際にニック・デカロの「Under The Jamaican Moon」について言及しました。そこで、今回はその曲が収録されたニック・デカロの『ITALIAN GRAFFITI』を取り上げます。

イタリアン・グラフィティイタリアン・グラフィティ
(1992/01/21)
ニック・デカロ

商品詳細を見る

01. Under The Jamaica Moon
02. Happier Than The Morning Sun
03. Tea For Two
04. All I want
05. Wailing Wall
06. Angie Girl
07. Getting Mighty Crowded
08. While The City Sleeps
09. Canned Music
10. Tapestry

ニック・デカロは1938年6月23日にオハイオ州のクリーブランドに生まれました。父親がミュージシャンであったことからフランク・シナトラ、ジョー・スタッフォード、フォー・フレッシュメンなどのレコードが常に身の回りで響き渡っていたそうです。そうした環境のもと自然に音楽に慣れ親しみ、6歳でアコーディオンを始め、その後はギターもマスターしました。高校時代になると、兄のフランクや友人らとともにコーラスを主体としたグループを結成。当初はフォー・フレッシュメンやミルス・ブラザーズらのナンバーをレパートリーにしていたようですが、サックス奏者のトミー・リプーマを加えてジャズにロックン・ロールにR&Bにと幅広く演奏するようになっていったようです。
まもなくデカロ兄弟は兵役に就きグループは解散。トミー・リプーマはリバティ・レコードに入社し、A&Rを経てプロデューサーの道を歩みます。1962年、兵役を終えたニック・デカロはリプーマに誘われる形でリバティのスタッフとなり、アレンジャーとしての第一歩を進み始めました。当時のリバティにはレニー・ワロンカーやアル・シュミットといった若手のプロデューサーが在籍しており、ニック・デカロは彼らとも親交を深めていきます。
1965年、リバティの財政難からリプーマがA&Mに移り、ワロンカーもワーナーへと移籍。デカロもリバティを退社してフリーのアレンジャーとなりました。友情とは有り難いもので、彼らはデカロに次々と仕事を回すようになります。デカロはA&Mではサンド・パイパーズ、ロジャー・ニコルズ、クロディーヌ・ロンジェ、ワーナーではハーパース・ビザール、エヴァリー・ブラザーズなどを担当して業績を重ねました。
そんなニック・デカロの手腕が評価されたのか、初のリーダー・アルバムの話がA&Mから彼に舞い込み、1969年に『happy Heart』というタイトルでリリースに至ります。そのアルバムはインストゥルメンタルが中心のものでしたが、2曲のみデカロがヴォーカルを披露していました。

ハッピー・ハート(紙ジャケット仕様)ハッピー・ハート(紙ジャケット仕様)
(2006/06/21)
ニック・デカロ&オーケストラ

商品詳細を見る


シュープリームズとテンプテーションズの共演盤『Diana Ross & The Supremes Join The Temptations』 (1968年発表) で知られる「I'm Gonna Make You Love Me」。ファースト・リリースはDee Dee Warwickが1966年に発表したシングルです。B.J.トーマスも1969年リリースのアルバム『Young And In Love』の中で取り上げていました。


シュープリームズとテンプテーションズの共演ヴァージョンです。


マイケル・マクドナルドのヴァージョンは2003年リリースの『Motown』に収録。


ビーチ・ボーイズの「Caroline, No」。


ビーチ・ボーイズのヴァージョンは1966年に発表されたアルバム『Pet Sounds』に収録。


1970年代になるとニック・デカロは売れっ子アレンジャーとして業界内でその名を轟かせ、引く手あまたの状況になりました。手掛けたアーティストはレオン・ラッセル、ライ・クーダー、ドゥービー・ブラザーズ、ランディ・ニューマンと数知れず。その脂の乗り切った多忙な時期にレコーディングされたのが『Italian Graffiti』です。このアルバムはトミー・リプーマが設立したブルー・サム・レコードから1974年にリリース。ヴォーカルとアレンジはもちろんデカロ本人で、あたかも友情の絆を示しているかの如くプロデュースにトミー・リプーマ、エンジニアにアル・シュミットが駆けつけていました。
AORの先駆けとも言える洗練されたサウンド。デヴィッド・T・ウォーカーやバド・シャンクといったジャズのミュージシャンの起用も洒落た音作りに寄与しています。ニック・デカロがこれまでに織りなした音楽の集大成でもあり、後にデカロ、リプーマ、シュミットの3人が再び揃い踏みして作り上げることになるマイケル・フランクスの『Art Of Tea』(1975)の試金石になったアルバムとも言えるでしょう。

それではアルバムの中から何曲か紹介します。オープニング・ナンバーはスティーヴン・ビショップとキャス・エリオットの実妹リア・カンケルの共作、「Under The Jamaica Moon」。デヴィッド・T・ウォーカーのギターが叙情をそそります。


リア・カンケルが1979年にリリースしたアルバム『Leah Kunkel』に収録されていたヴァージョンです。


スティーヴィー・ワンダー作の「Happier Than The Morning Sun」。バド・シャンクが吹くフルートが印象的です。ニック・デカロの甘いヴォーカルは「私は朝陽より幸せだ」と歌われる歌詞の雰囲気によく似合っていました。この曲はB.J.トーマスも1972年リリースの『Billy Joe Thomas』で取り上げています。


スティーヴィー・ワンダーのオリジナル・ヴァージョン。彼が1972年に発表したアルバム『Music of My Mind』に収録されていました。


スタンダード・ナンバーの「Tea For Two」。


TEA FOR TWO
賃貸の家なんかじゃ飽き足らない
だから自分で想像してみたんだ
ベイビー ここは恋人たちのオアシス
毎日のうんざりするような追いかけ合いがなく
都会の喧噪から遠く離れて
美しい花々が小川に流れるようなところ
隠れ家として最適で 仲良く暮らすにもぴったり
夢のままにしておくのはやめよう

私の膝に乗った君を思い描き
二人で一杯のお茶
一杯のお茶に二人
君には私だけ
私には君しかいない

辺りには誰もいないし、
私たちのことは誰の目にも耳にも入らない
終末の休みに友だちや親戚が訪ねて来ることもない
電話を引いてることも知らせていないのさ

夜が明けて君が目覚め
シュガー・ケーキを焼き始める
私の会社の同僚たちのために持っていくための

二人で子供を育てよう
君には男の子 私には女の子を
どんなにしあわせかわかるかい

あまりにも有名な曲なので、カヴァー・ヴァージョンは枚挙に暇がありません。ドリス・デイのヴァージョンは彼女が1950年にリリースした『Tea For Two』に収録。


いつ頃の映像でしょうか。アニタ・オディの映像です。


そのヴェルヴェット・ヴォイスで一世を風靡したスモーキー・ロビンソン。彼が2006年に発表したアルバム『Timeless Love』に収録されていたヴァージョンです。ブログへの貼り付けが出来ないので宜しければ下記のURLをクリックしてご覧ください。

http://http://www.youtube.com/watch?v=hfcPZQBcdwU

トッド・ラングレン作の「Wailing Wall」。しっとりとした繊細なヴォーカルとコーラスが心に染み入ります。イスラエルのエルサレム神殿にある『Western Wall(嘆きの壁)』をテーマにしているとのこと。


トッド・ラングレンのオリジナル・ヴァージョンは『Runt. The Ballad Of Todd Rundgren』(1971年発表)に収録されていました。


再びスティーヴィー・ワンダーの作品「Angie Girl」。よほどスティーヴィーに傾倒していたのでしょうか、ニック・デカロ本人もお気に入りの曲と述べていました。ここでもバド・シャンクのアルト・サックスが心地よい響きを醸し出しています。ギターの音色とコーラスも絶妙的。


スティーヴィー・ワンダーのヴァージョンは1969年発表のアルバム『My Cherie Amoul』に収録。


この他、ジョニ・ミッチェルの『All I Want』(1971年発表の『Blue』に収録)、ヴァン・マッコイ作の「Getting Mighty Crowded」、幼なじみでもあるランディ・ニューマン作の「 While The City Sleeps」、ダン・ヒックス作の「Canned Music」、Gunstone-Dove作の「Tapestry」などが収録されていました。

ダンス・ミュージックやヒップ・ホップが主流になり、サンプリングや打ち込みで音作りがなされるようになった1980年代以降もヴェテラン・アーティストからの信任は厚く、グレン・フライやグレン・キャンベルなどのアルバムの中でニック・デカロのストリングス・アレンジが聴けます。1990年代になると、デカロは加藤和彦さんや尾崎亜美さんら日本人アーティストとの作品にも参加するようになり、ジャズ・シンガーの阿川泰子さんが1990年に発表した『Your EYes』では全面的にバック・アップしていました。このことがきっかけとなり、ビクター・インヴィテーションと専属契約を結び、その年の11月に山下達郎さんのカヴァーを中心としたアルバム『LOVE STORM』、翌91年に『PRIVATE OCEAN』を発表。アレンジャーのみならず、ヴォーカリストととしても健在ぶりを示していました。
アメリカン・ポップス、アメリカン・ロックを支えたニック・デカロ。気に入った楽曲、アルバムには彼の名がいつものようにアレンジャーとして記されていました。他愛もないことかもしれませんが、そのニック・デカロが日本人アーティストを手掛けたことで親近感を覚えたものです。しかし、1992年3月4日、心臓病のために53歳で他界。その衝撃の知らせにただ冥福を祈るしかありませんでした。

スポンサーサイト

コメント

こんばんは。マニュアックな記事ですね。

ニック・デカロ!大瀧詠一さんがお気に入りでしたよね。私も高校時代に聴きましたが??イマイチ印象がありません(^^;)

リア・カンケルにトッド??繋がってるんですね。「Wailing Wall」!大好きな曲です(笑)

前述のロンも何枚か持ってるんですけど、同時期のベック(ジェフじゃないですよ)といい新しい世代のSSWはイマイチ解りません・・・
おはようございます。
このアルバム、家に置き忘れてきてしまいましたが、心温まるアルバムですよね。
あのストリングス、ホーン系、それからデヴィッドTのしなやかなギター。う~ん、いいなあ。
おぉ、ニック・デカロ。

何かマイナーポップスで、心ひかれた作品のクレジット見たらニック・デカロがアレンジャー、みたいなことよくありましたね。

この時代に必須な存在だったと思います。

あ、ご無沙汰しています~。
kuwa様、コメントありがとうございます。
癒し難い孤独が伝わるようなトッド・ラングレン作の『Wailing Wall』はアルバムに収録された楽曲の中でもひときわ美しく、心に染み入りますね。ニック・デカロは「トッドからこの曲をうまく解釈してくれてると思われたらいいな」との趣旨を述べていたそうです。
kuwaさんと私はほぼ同年代と思います。ロン・セクスミスは我々より幾つか年齢が下だし、ベックとはさらに開きがあります。世代や年齢の違いはあまり深く考えないほうがいいのかもしれませんが、やはりジャクソン・ブラウンやレナード・コーエンといった年上のSSWが発するメッセージのほうが説得力を感じるのかもしれません。
240様、コメントありがとうございます。
ニック・デカロのキャリアを集大成したようなこのアルバム。コンセプトはポップスにジャズやソウル・ミュージックの要素を加えた大人の音だったそうです。商業的に成功したとは言えないと思われますが、本作の繊細でロマンティックなサウンドが後のミュージック・シーンに与えた影響は計り知れないでしょうね。デヴィッド・T・ウォーカーらジャズのミュージシャンが本当にいい味を出しています。
ベンジャミン様、コメントありがとうございます。
もう10年早く生まれていたらジャズかイージー・リスニング界で大家となっていたのではといわれるニック・デカロ。それでも1970年代のポップス/ロックのシーンおいて、裏方としてのニック・デカロの活動は言葉で表せないほどのものでした。
1990年代になり、ようやく自分の音楽を自由に表現出来ると思った矢先の急逝。今でも残念でなりません。
このアルバム、よく聴きましたよ。

アレンジャーとしての
イメージが強かった人ですね。
BRUCE06様、コメントありがとうございます。
月並みな言い方かもしれませんが、ニック・デカロがいなかったらAORはもちろん、アメリカのポップス全体が現在の姿と大きく変わっていたのかもしれません。もっと長く生きていれば、また違ったかたちで音楽界に貢献できたと思われるだけに早い旅立ちが惜しまれます。

コメントの投稿

URL
コメント

パスワード
秘密
管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL : http://shadowdream25.blog105.fc2.com/tb.php/189-18862aaa
<< The Hollies - HOLLIES sing DYLAN | TOP | Ron Sexsmith - RON SEXSMITH >>
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。