好きな音楽のことについて語りたいと思います。

Neil Young - Southern man

昨秋にニール・ヤングの初期4作品がリマスターで再発されました。今回は1970年に発表された3作目のアルバム、『AFTER THE GOLD RUSH』に収録されていた「Southern Man」を取り上げます。
この曲はアメリカ南部における人種差別について書かれたメッセージ性の強い曲です。既に多くの先達が詳しく解説されており、私には大きく異なる解釈が見出せません。それゆえ重複するところも多々ございますが、自分なりの見解で確認してみたいと思います。

アフター・ザ・ゴールド・ラッシュアフター・ザ・ゴールド・ラッシュ
(2009/11/11)
ニール・ヤング

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1. Tell Me Why
2. After the Gold Rush
3. Only Love Can Break Your Heart
4. Southern Man
5. Till the Morning Comes
6. Oh, Lonesome Me
7. Don't Let It Bring You Down
8. Birds
9. When You Dance You Can Really Love
10. I Believe in You
11. Cripple Creek Ferry

旧盤とリマスター盤では「Southern Man」を始めとする収録曲の収録タイムやミックスが異なるそうです。そのあたりの詳細は遼 ( parlophone )さんtetsupc2 さんのブログの記事を参照してください。


SOUTHERN MAN
南部の人よ 冷静になったほうがいいぜ
聖書の教えを忘れずにな
南部もとうとう変わるんだ
あんたの十字架も激しい勢いで燃え落ちて行く
南部の人よ

俺は見たぜ 綿畑の黒人
そびえる白亜の豪邸にちっぽけな掘建て小屋
南部の人よ
いつになったらみんなに償いをするんだ?
俺は悲鳴を聞いたんだ
鋭く響く鞭の音
いったいいつまで いつになったら

南部の人よ 冷静になったほうがいいぜ
聖書の教えを忘れずにいろよな
南部もとうとう変わるんだ
あんたの十字架も激しい勢いで燃え落ちて行く
南部の人よ

リリィ・ベル 輝く黄金色の髪
あんたの仲良しの黒人がまわりをうろちょろしてたぜ
俺は神に誓って
ヤツをバラバラに引き裂いて殺してやる
俺は悲鳴を聞いたんだ
鋭く響く鞭の音
いったいいつまで いつになったら

1969年にニール・ヤングが南部アラバマのロードハウスを訪れて酒を飲んでいたところ、地元の男性がやって来て店の外に連れ出されて殴られたことが「Southern Man」を書く契機となったとの逸話がまことしやかに語られてきました。彼が暴行されたのは理由は髪が長かったからだとか。19世紀ならいざしらず、1960年代後半にそうした差別的で排他的な出来事が頻繁にあったのでしょうか。

1969年公開のアメリカ映画『イージー・ライダー』にはニール・ヤングが受けたような暴行が連想される場面が描かれていました。もちろん脚色されていることは否めません。でも、60年代後半において実際にそのような風潮があったことは窺えます。

映画の大まかなあらすじ
ピーター・フォンダとデニス・ホッパー扮する若者二人がマリファナの密輸で稼いだ金をもとにオートバイに乗って旅に出た。途中でジャック・ニコルソン扮する弁護士と意気投合し三人連れとなる。彼らはニュー・オリンズの謝肉祭を見物しようとバイクを走らせた。マリファナを吸い、野宿する三人。沿道の人々は自由を体現するかのような彼らに悪意を抱いて襲撃する。弁護士は惨殺され、若者二人は命からがら逃げ出した。アメリカ南部の保守性を呪い、そこには自由がないと叫ぶ二人。それでも彼らはオートバイの旅を続けた。やがて州境にさしかかったとき、農夫が乗ったトラックが近づいて二人を罵りながら銃弾を発射。二人は射殺されてしまった。

続いて、人種差別のほうに視点を移しましょう。白亜の豪邸からは映画化されたマーガレット・ミッチェル作の『風と共に去りぬ』(Gone With Wind, 1936) のワン・シーンが目に浮かび、黒人が綿畑で働かされたり鞭で打たれたりする様はストウ夫人作の『アンクル・トムの小屋』(Uncle Tom's Cabin, 1852) やアレックス・ヘイリー作の『ルーツ』(Roots, 1976) に描かれた世界を思い起こさせました。
アメリカの奴隷制度は1607年にイギリス人がヴァージニアに入植した直後の1619年に始められたのが起源とされています。彼らは資本を投じてタバコや綿などの栽培を行いますが、広大な農園の仕事をまかなえる労働力が必要でした。年季奉公の白人労働者だけでは到底人手が足りず、人件費も高くつきます。そうした悩みを解消するために、奴隷商人を介してアフリカ大陸から大量に連れて来られた黒人たちが廉価な労働力として目が付けられたのでした
南北戦争(1861年-1865年)終結以降、連邦議会が奴隷制度を廃止し、公民権や黒人男性の参政権を認めて黒人奴隷の解放が実現されます。しかし、公共機関や施設においての差別的待遇の撤廃にまでには至らず、白人至上主義団体クー・クラックス・クラン(KKK)の威嚇により黒人の投票行動が妨害される事態が頻繁に起こっていました。ルイジアナ州では黒人と白人で鉄道車両を分離する人種差別法案が可決。連邦最高裁までもが「分離すれども平等」という法律上の見解を示し、事実上人種差別を容認する判断を下したのです。この判決を受けて、ジョージア州、アラバマ州、ミシシッピ州などの南部各州では人種差別が法律によって正当化され、公共機関、公共施設、ホテルやレストランに至るまで徹底的な隔離が押し進められ、公民権法は無効となってしまいました。なお、「Southern Man」の中で「あんたの十字架も激しい勢いで燃え落ちて行く」といった意味の歌詞が出てきますが、これはクー・クラックス・クランの集会で十字架が焼かれることに因んでいるのでしょう。
こうした法律が可決された背景には黒人男性が白人男性と性的接触を持つ恐怖、政治や経済に黒人が影響を及ぼし白人の既得権が縮小されるという恐怖が白人社会にあったと想像されます。「Southern Man」の中で「リリィ・ベル 輝く黄金色の髪/あんたの仲良しの黒人がまわりをうろちょろしてたぜ/俺は神に誓ってヤツをバラバラに引き裂いて殺してやる」といった歌詞が登場しますが、これはその恐怖を表していると言えるでしょう。ただ、よく考えてみるとこの箇所には南部の改革を叫んでいる人が、どうして黒人の殺害を行おうとしているのかという矛盾点があります。殺害を企てる人の声を耳にしたということなのか、人種に関係なく悪人は存在するという意味なのか、いかようにも解釈出来るのかも知れません。
黒人差別が長年に渡って続く状況の下、1955年12月1日にアラバマ州モントゴメリーで黒人女性のローザ・パークスが市営バスに乗り込んだ際、黒人用座席に空席がなかったために白人席に腰掛けました。バスの白人運転手は白人に席を譲るように命じたもののパークスは拒否。彼女は「人権分離法」違反で逮捕され、簡易裁判所で罰金刑を宣告されました。この事件に対してモントゴメリー在住の黒人は決起集会を開き、抗議を申し入れます。指導者はマーティン・ルサー・キング牧師。彼はモントゴメリーの黒人たちにバス・ボイコットを呼びかけました。この運動は黒人のみならず白人にも賛同者が続出。やがて全米に反響を呼び、合衆国最高裁はバス車内における人種分離を違憲とする判決を出すに至ったのです。
これを契機に南部各地で反人種差別運動が盛り上がって行きました。この運動は人種差別を受け続けていた黒人を始めとする有色人種がアメリカ合衆国市民として法律上平等な地位を獲得することを目的としていたので「公民権運動」と呼ばれるようになったのです。ジョン・F・ケネディ大統領も南部諸州の人種隔離法を禁止する法案を次々と成立させ、「公民権法」制定の実現に尽力。そして、この運動は1963年8月、白人、黒人を問わず差別と隔離の撤廃を求めた25万人以上の民衆による「ワシントン大行進」へと発展しました。ケネディ大統領が凶弾に倒れたのはこの年の11月のことです。
大きな犠牲を払っても南部の人種差別の根強さは簡単には是正されません。1964年の夏、3人の若い公民権運動家がミシシッピ州フィラデルフィア近郊で失踪するという事件がありました。3人のうち2人は北部出身の白人、残る1人は南部の黒人。結局、彼らは死体となって発見され、保安官を含む21人の白人が起訴され、7人が刑に服しました。この事件をもとに制作された映画が、『ミシシッピー・バーニング』(Mississippi Burning, 1988) です。名優ジーン・ハックマンと『プラトーン』(Platoon, 1986) で注目を浴びたウィレム・デフォーが事件を解決するFBI捜査官を演じていました。
ケネディの後を受けたリンドン・ジョンソン大統領は公民権法制定に理解を示し、反対派議員を説得し議会懐柔策に務めました。こうして1964年7月2日に公民権法が制定され、法の上での人種差別が撤廃されます。しかし、公民権法制定に陰で活躍したケネディ大統領の実弟であるロバート・ケネディ、指導者として先頭に立っていたキング牧師らが1968年に相次いで暗殺されました。

こうした経緯を鑑みると、ニール・ヤングがアラバマで暴行を受けたという前述のエピソードもあながちデマではないことが分かります。もとより公民権運動や人種差別問題に関心を示していたというニール・ヤング。彼一流の心情の吐露といったところでしょう。

2000年のライヴ映像。CSN&Yとしてのステージのようです。


ローリング・ストーンズの「Gimme Shelter」(1969年発表の『Let it Bleed』に収録)のレコーディングに参加したことで知られるニュー・オリンズ出身のR&Bシンガー、メリー・クレイトンのカヴァー・ヴァージョン。1971年発表の『Merry Clayton』に収録されていました。彼女は1969年に発表されたニール・ヤングのソロ・デヴュー・アルバム『NEIL YOUNG』にもバック・コーラスを担当していました。


U2のカヴァー・ヴァージョン。1987年頃のライヴ映像とのことです。


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コメント

ニールがアラバマで暴行を受けた?という背景が興味深いですね。
モントゴメリーのバス・ボイコットの話やキング牧師の演説は
高校の英語の時間に取り上げられ、考えさせられた懐かしい話題です。
偏見をなくしたり、他人の考えを聞くようにしたりしなければ、
差別はなくならないでしょうね・・・。
松月様、コメントありがとうございます。
ニール・ヤングの『After The Gold Rush』は人種差別を扱った「Southern Man」のイメージが強烈ですが、理想と現実のギャップや人間関係などをテーマにした歌も多く収録されていて、それらを前向きに捉える彼の姿勢に好感が持てます。
差別をなくすのは容易なことではないでしょう。人間にはプライドがあり、他者と差別化することでアイデンティティが保たれたり、利害が絡んだり、何らかの利益を受けたりする場合もあります。偏見をなくしたり、他人の意見を聞くようにすることに加えて、無知・無関心でいることを止めることも重要だと思います。

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