好きな音楽のことについて語りたいと思います。

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Laura Nyro - THE FIRST SONGS

これまでローラ・ニーロを意識的に取り上げなかった。拙ブログとリンクしていただいているPurple_Hazeさんの『Blues Power』、whiteさんの『ホーム&ヒューマン・ナビ』、kofnさんの『KOFNのある日どこかでJAZZ』、240さんの『音楽の杜』、sintanさんの『3度のメシよりCD』などが先に記事にされていたので避けていたのだ。先人の記事があまりにも素晴らしくて、私のようなつたない文章ではとてもおぼつかない。
しかし、冬の訪れとともにローラ・ニーロの音楽がとりわけ似合う季節になり、いつまでも彼女について語らないでいることは稚拙な文章を書くことよりも失礼な行為を続けているように思えた。先人が書かれた文章に敬意を払いながら、今回はローラ・ニーロの『The First Songs』について述べてみたい。

ファースト・ソングス(紙ジャケット仕様)ファースト・ソングス(紙ジャケット仕様)
(2007/12/19)
ローラ・ニーロ

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1. Wedding Bell Blues
2. Billy's Blues
3. California Shoeshine Boys
4. Blowin' Away
5. Lazy Susan
6. Goodbye Joe
7. Flim Flam Man
8. Stoney End
9. I Never Meant to Hurt You
10. He's a Runner
11. Buy and Sell
12. And When I Die

ローラ・ニーロは1947年10月8日、ニューヨーク市ブロンクスのイタリア系ユダヤ人の家庭に生まれた。父親はピアノの調律師でジャズ・トランペット奏者、母親はクラシックに造詣が深く、ローラ自身も幼き頃から音楽に親しみピアノに向かって歌っていたという。
高校時代はジョン・コルトレーン、マイルス・ディヴィス、ビリー・ホリディらのジャズはもちろん、クラシックならラヴェルやドビュッシーのような印象派がお気に入り。同時にマーサ&ヴァンデラスといったR&Bサウンドやボブ・ディランにも傾倒していた。この頃には本格的に作曲を始めている。
高校を卒業した1965年、ローラ・ニーロはオリジナル作品を持って自ら音楽出版社に売り込に回った。やがてボブ・ディランと最初に出版契約を交わしたアーサー・モーグルのオーディションを受けて合格。新たにシンガー・ソング・ライター部門の開拓を試みていたジャズ専門レーベルのヴァーヴ・レコードからのデヴューも決まった。
1966年10月にシングル「Wedding Bell Blues」、翌1967年2月にファースト・アルバム『More Than A New Discovery 』を発表。音楽業界誌や評論家の評価は高かったが売り上げは低調に終わった。6月17日には新人ながらモンタレー・ポップ・フェスティヴァルに出演する機会を得るものの、ステージではブーイングの洗礼を受けている。ジャニス・ジョプリンやジミ・ヘンドリックスといった大物アーティストがエネルギッシュでソウルフルなパフォーマンスを繰り広げる中、ローラ・ニーロの繊細な歌は観客にとって一服の清涼剤にはならなかったようだ。
この年の夏にはセカンド・アルバム『Soul Picnic』の発売が予定されていたが、急遽キャンセルされた。ローラ・ニーロはファースト・アルバムの制作時にプロデューサーから何かと注文を受けて自分の思い通りのレコーディングが出来ずに不満を持ち、セカンド・アルバムの制作もままならぬ状況だったようである。
そんな時、ローラ・ニーロは後にアサイラム・レコードの社長となるデヴィッド・ゲフィンと出逢う。彼はローラの才能に惚れ込みマネージャーを買って出て敏腕ぶりを発揮し、ヴァーブとの契約を破棄させた後にCBSとの契約を取り付けた。ローラ・ニーロにしてみれば、敬愛するマイルス・デヴィスやボブ・ディランの所属するレコード会社への移籍が叶う結果となったのだ。
セールス面では芳しくなかった『More Than A Discovery』だったが、多くのアーティストがこのアルバムに収録された楽曲を取り上げヒットさせている。フィフス・ディメンションが「Wedding Bell Blues」を全米1位に、BS&Tが「And When I Die」を全米2位に、バーブラ・ストライザンドが「Stoney End」を全米6位に送り込んだのだ。シンガーとして成功することが出来なかったアルバムだったが、ソング・ライターとしての才能が開花した一枚と言えよう。
CBSに移ったローラ・ニーロはチャリー・カレロとの共同プロデュースで1968年にセカンド・アルバム『Eli and the Thirteenth Confession』をリリース。CBSの重役たちを満足させるとまではいかなかったが、まずまずの売り上げを示し、収録曲から1969年に全米10位を記録したスリー・ドッグ・ナイトの「Eli's Comin'」を始め、多数のカヴァー・ヴァージョンが生まれている。
こうしてローラ・ニーロは新世代のシンガー・ソング・ライターとして脚光を浴び始めた。デヴュー・アルバム『More Than A New Discovery』に収められた曲はその後も同時代のアーティストたちに次々と取り上げられている。まるでショーケースやカタログのような様相を呈していた印象さえ受けるが、その甲斐あって1973年に『FIRST SONGS』としてCBSより装いも新たに再発された。

私がローラ・ニーロの歌を意識的に聴いたのは中学生の頃だと思う。洗練された透明感があり、時にドラマティックな展開を見せる美人シンガーの歌が妙に心に残った。同時に、『ニュー・ミュージック・マガジン』(現『ミュージック・マガジン』)1973年3月号に掲載された小倉エージ先生と中川五郎氏による対談もローラ・ニーロに対する興味を増幅させることになったのだ。それは「男からみた、女のうたう歌」と題するもので、カーリー・サイモン、キャロル・キング、サンディ・デニーらとともにローラ・ニーロの魅力について語り合われていた。小倉師曰く、「ローラ・ニーロの歌には男なしでは駄目というかわいい女であったり、しなやかな強い女であったりと女の目を通して様々なことが描かれている」といった趣旨だったように憶えている。
初期のローラ・ニーロが描く世界には「死」や「ドラッグ」の匂いがつきまとう。家庭環境に恵まれていたローラ・ニーロだが、どうして彼女の歌は悲しく、死をも連想させるのか。ユダヤ商人の息子であるボブ・ディランがデヴュー当時、「俺の親父はカウボーイだ」と言って素性を隠さなければならなかったように、彼女もまたユダヤ人であるがための差別を受けていたであろうことに起因するのか。感受性が強いがために音楽や文学などの芸術から受け取ったメッセージを自分なりに表現したものなのか。それとも青春期に芽生えた好奇心や反抗心、あるいは厭世的な心理状態によるものなのか。
小倉先生の評論にそうした妄想をかき立てながらも歌詞の深い意味や大人の事情を理解できなかった青臭い14、5歳の頃のこと、ローラ・ニーロの繊細で表情豊かな歌声とR&B、ゴスペル、ジャズ、フォーク、ポップスなど様々なジャンルの音楽が内包されたサウンドに心を奪われるのみだった。


それではアルバムの中から何曲か紹介したい。
オープニング・ナンバーの「Wedding Bell Blues」。ブルージーなハーモニカの音色をバックに「Bill, I Love You So(ビル、私はあなたが好き)」という歌い出しで始まり、ウェディングという華やいだ気分とブルースという悲しみの感情が交錯するかのような曲である。この曲は一説によると、叔母ヘレン・メリルの不倫をもとにして書かれたという。


1969年にリリースされたフィフス・ディメンションのカヴァー・ヴァージョン。
http://www.youtube.com/watch?v=IkMhWQgkZ8c


続く「Billy's Blues」では「Play a song to ease Billy's blues(歌を歌ってビリーの苦しみをやわらげよう)」と歌われ、これら2曲はまるで対をなしているかのようだ。


ローラ・ニーロと親交があったというスーザン・カーターという女性シンガーが、BS&Tのメンバーをバックにレコーディングした唯一のアルバム『Wonderful Deeds And Adventures』(1970年発表)の中でこの曲を取り上げている。原曲ではBillyのことを"He"と歌って男性として扱っているのに対して、スーザン・カーターは”She”と女性に置き換え、ビリー・ホリディに捧げる歌にしていた。

物悲しいハーモニカの音色で始まったかと思うと一転してアップ・テンポの賑やかな曲調に変化する「California Shoeshine Boys」。


この曲はジュリー・バドが1967年頃にカヴァーしているようだ。

明るく軽快な「Blowin' Away』。歌詞は情熱的な愛とドラッグ体験が描かれているように思える。


フィフス・ディメンションのカヴァー・ヴァージョン。1969年発表の『The Age of Aquarius』に収録。
http://www.youtube.com/watch?v=4degbjZk_m4


失恋ソングのようだが、爽やかな別れが描かれた「Goodbye Joe」。


カーメン・マクレエが1970年に発表した『Just A Little Lovin'』の中でカヴァーしている。

詐欺師のような罪深い男のことを歌った「Flim Flam Man」。


バーブラ・ストライザンドのカヴァー・ヴァージョン。1971年発表の『Stoney End』に収録。
http://www.youtube.com/watch?v=QAf-rvqWyiQ

トゥース・シールマンスのハーモニカがフィーチャーされた「Stoney End」。


バーブラ・ストライザンドのカヴァー・ヴァージョン。こちらも1971年発表の『Stoney End』に収録。
http://www.youtube.com/watch?v=j__OhNPutzA


リンダ・ロンシュタットのカヴァー・ヴァージョン。 ストーン・ポニーズ時代の『Linda Ronstadt - Stone Poneys and Friends Vol. III』 (1968年発表) 。
http://www.youtube.com/watch?v=GxgDB-YZJVo

メイナード・ファーガソン。
http://www.youtube.com/watch?v=MdUjWkmWZCc

布施明さんも歌っていたようです。1971年発表の日生劇場のライヴ盤より。宜しければお聴きください。
http://www.youtube.com/watch?v=MlBtQKAZpbo

他にもベス・ニールセン・チャップマンがトリビュート・アルバム『Time and Love - The Music of Laura Nyro』 (1997発表)で、ダイアナ・ロスが1970年に発表した『Diana Ross』(2002年再発盤のボーナス・トラックとして収録)でカヴァーしている。

スケールの大きさが感じられるバラード、「I Never Meant to Hurt You」。



自分のもとを去って行く男のことを描いた「He's a Runner」。


キャス・エリオットのカヴァー・ヴァージョンは1969年発表の『Bubble Gum, Lemonade and... Something for Mama』に収録 。
http://www.youtube.com/watch?v=jz811IzP0Jg

フィフス・ディメンションのカヴァー・ヴァージョンは1971年リリースの『Love's Lines, Angles and Rhymes』に収録。
http://www.youtube.com/watch?v=AU1pjAfkbnM

他にもブラッド、スエット&ティアーズが『BS&T 3』にて取り上げていた。

曲の冒頭で「コカインと気の抜けたビール。甘いキャンディーとキャラメル」と歌われる対比が興味深い「 Buy and Sell」。


この曲はクリス・コナーが『Sketches』(1972年発表)で、スザンヌ・ヴェガがトリビュート・アルバム『Time and Love - The Music of Laura Nyro』 (1997年発表)で取り上げていた。

前述したが、「死生観」が描かれた「And When I Die」。ローラ・ニーロがこの曲を書いたのは17歳の頃と言われている。彼女はその年齢で「死の何であるか」を達観していたのだろうか。


AND WHEN I DIE
私は死ぬことを恐れない
どうってことないわ
死の中に安寧があるなら
その時を近くにやって来させて
死の中に安寧があるなら
死ぬ時期が訪れたのなら
私の棺をしっかり包んでね
深い土の下は寒いから
私が死ぬ時
私が行ってしまう時
一人の子供が生まれ
世界は巡って行く

私には幾つもの悩みがある
それらは井戸のように深いもの
私は断言する 天国なんてないと
私は祈る 地獄などないようにと
天国なんてないと分かっているのよ
それでも地獄がないことを祈るの
でも生きていては分からない
死だけが教えてくれる
私が死ぬ時
私が行ってしまう時
一人の子供が生まれ
世界は巡って行く

自由をください
私が生きている限り
私が生に求めることは
鎖を掛けないでということ
私が生に求めることは
鎖を掛けないでということ
私が死に望むことは
自然に逝かせてということ
悪魔(Devil)に付き添われた死はいや
悪魔(Demon)に付き添われた死はいや
悪魔(Satan)に付き添われた死はいや
不安な気持ちで死にたくない
自然に逝かせて

私が死ぬ時
私が行ってしまう時
一人の子供が生まれ
世界は巡って行く

まったく違ったアレンジで歌うライヴ音源。1989年発表の『Live At Bottom Line』より。


ピーター、ポール&マリーのカヴァー・ヴァージョン。1966年発表の『Album』に収録。ローラ・ニーロの『More Than A New Discovery』と同じくミルトン・オークがプロデュースしていた。
http://www.youtube.com/watch?v=9C5WncqIv98

デヴィッド・クレイトン・トーマスがリード・ヴォーカルを取るブラッド、スエット&ティアーズの1993年のライヴ映像。キャロル・キングの「Hi-De-Ho」とメドレーで演奏されている。 なお、BS&Tのスタジオ・ヴァージョンは『Blood, Sweat & Tears』 (1969年発表)に収められている。
http://www.youtube.com/watch?v=fkm79KtNnc4


リード・ヴォーカルをジェリー・フィシャーが担当していた1974年のライヴ映像。
http://www.youtube.com/watch?v=5D9xHFa8zgg

この他にもサミー・ディヴィス・ジュニアが『Something for Everyone』 (1970年リリース)で取り上げていた。

こちらは2008年に英Rev-Olaからオリジナル・ジャケットで再発された曰く付きのCD。曲順が違うそうだ。詳しくは前述のKofnさんの記事parlophoneさんの『DAYS OF MUSIC & MOVIES 』MASAさんの『rolling beat blog』などを参照していただきたい。

More Than a New DiscoveryMore Than a New Discovery
(2008/03/25)
Laura Nyro

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コメント

血筋のよさですよね
DNAは争えない
DNAは嘘をつかない

素晴らしいSingerをChoiceしますね♪

God bless you...
Azumi様、コメントありがとうございます。
血筋の良さはもちろんのこと、ニューヨークで生まれ育ったという環境もローラ・ニーロにとって好都合だったと思います。
才能のある人は長く生きられないのか、彼女は1997年2月に病気のため49歳でこの世を去りました。とても残念です。
Backstreetsさんの記事が一番素晴らしいと思います。
私にとってローラ・ニーロは特別な存在で、今でも曲を聴く度に必ず感動しますし、特にこの1stアルバムは聴き始めるとその場から動けなくなってしまいます。
英Rev-Olaの再発CDは曲順が違えども、珍盤として大切に思えてきています。
HMVからCD代金は返金してもらったんですけど、現品は返さなくていいということで、得したなあと思っています(笑)。
kofn様、コメントありがとうございます。
ローラ・ニーロの音楽からは彼女の存在感、生き方、主張といった様々なものが伝わってきます。それらの中には幸福や不幸、喜びや悲しみ、悩みや苛立ちなど全てが内包されているのでしょう。そうした情念が彼女の魂から湧き出ることにより聴き手の心を捕らえて離さないのだと思います。
それにしても代金を返金し、現物は返さなくてもよいとはHMVさんも粋な計らいをされますね。
このコメントは管理人のみ閲覧できます
思いっきり過去記事へのコメント、すいません。
Backstreets c/w 裏通りさんのブログ"Walk On The Backstreets "でのLaura Nyroの記事に深く感心させられました。
私も、Laura Nyro好きが高じて、自分のブログに彼女の記事を書いたのですが、その中で貴ブログを紹介させて頂きました。事後報告になりますが、よろしくお願いします。
なお、記事の中でリンクも貼らせて頂きました。削除した方がよければご指摘下さい。

時間のある時に、私のブログ「Weekend In 心は L.A.」も覗いてみて下さい。
Aki様、訪問していただき誠にありがとうございます。過去記事にも遠慮なくコメントしてください。
拙い記事であるにもかかわらず貴ブログで紹介していただき、本当にありがとうございました。

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