好きな音楽のことについて語りたいと思います。

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Paul McCartney - My Brave Face

 前回の記事ではブルース・スプリングスティーンを取り上げましたが、その際にYouTubeを検索していると、このような映像に出逢いました。


 これは日本では2013年の7月23日に全国21の劇場で、一夜限り公開されたリドリー・スコット製作総指揮によるブルース・スプリングスティーンの映画『SPRINGSTEEN & I』の本編終了後に上映された映像です。2012年7月14日にロンドン、ハイドパークで行なわれたフェスティヴァル「HARD ROCK CALLING」のコンサートで共演したブルースとポール・マッカートニーの映像は30分以上に及んだとのこと。ポールがリード・ヴォーカルを取る「Twist&Shout」は珍しく、なかなか興味深いものですね。

 というわけで、今回は来日間近のポール・マッカートニーさんに登場していただきましょう。お題はエルヴィス・コステロとの共作による「My Brave Face」。1989年6月5日にリリースされた『Flowers In The Dirt』に収録されていた1曲で、シングル・カットされてイギリスでは18位、アメリカでは25位まで上昇しました。なお、アルバムのほうは全英チャートで1位を獲得しています。

Flowers in the DirtFlowers in the Dirt
(1990/10/25)
Paul Mccartney

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 以前はボーナストラックの選曲を組み替えたヴァージョンが幾つか発売されていたことがありました。そのうち最新リマスターによるアーカイヴ・コレクションがリリースされることでしょう。



MY BRAVE FACE
平静を装う俺の顔

俺はずっと贅沢な暮らしをしてきた
自分には不慣れ生活だと分かっているのに
町に馴染もうとしていたのに
町は俺を受け入れてくれなかったのさ

俺はあたりをブラブラうろついて来た
自分には不慣れなもんだと分かっているのに
時間を持て余していたんだ
もうこれからはいつ戻るかなんて
誰にも言わなくていいのさ

君が去ってしまってからは
物事をひとつも変えたくないと
感傷的な気分に浸っていたんだ
ベッドのシーツを直しながら
君の枕下に自分の頭を隠したい気分さ

またもや俺はひとりぼっち
気持ちは落ち込んだまま止められそうにない
そんな単純なことが、またも俺を落胆させ
平静を装う顔を見つけられない場所へ俺を連れて行く
平静を装う俺の顔、俺の姿

今まで偽って生きてきた
主夫として働くなんて
自分には不慣れだと分かっているのに
汚れた皿を粉々に割って
投げ捨てているだけさ

君が去ってからというもの
俺は君に捧げるつもりで
「ベイビー、帰ってきてくれ」という曲を
書こうとしているんだ
ふたり分を用意したテーブルから
手をつけていない冷凍食品の片方を
片付ける時にさ

 1980年の日本公演がアクシデントによって中止となり、ウイングスも解散。その直後に発表したソロ・アルバム『McCartney 2』(1980年5月16日発売)からの先行シングル「Comin' Up」は全米チャート1位に輝き、ポールは健在ぶりを示しました。1982年にはスティーヴィー・ワンダーと共演した「Ebony & Ivory」(英米独とノルウェーで1位)を収めた『Tug Of War』(英米日とスウェーデンなどで1位)、マイケル・ジャクソンとの共演が話題となった1983年10月31日発売の『Pipes Of Peace』も全英4位、全米15位と好調をキープし、マイケルとのデュエットによる「Say, Say, Say」はアメリカで1位、イギリスで2位を記録。さらに1984年にはポール自身が音楽のみならず主演、脚本をも務めた映画『Give My Regards Broad Street』の同名サウンドトラック盤も全英1位、全米21位とまずまずの結果を残したのです。しかし、ポリスの一連のアルバムやフィル・コリンズの『No Jacket Required』(1985年)で名を上げたヒュー・パジャムをプロデューサーに起用し、『Tug Of War』以来のアルバムに参加していた元10ccのエリック・スチュワートをソング・ライティングのパートナーに迎えた1986年の『Press To Play』は全英8位、全米30位とセールスに翳りが窺え、アルバムからカットされた「Press」、「Pretty Little Head」、「Stranglehold」などのシングルは不振に終わりました。
 エリック・スチュワートというメロディ・メーカーを従えたにも関わらず、ふたりのコラボレーションが機能しなかったのは、ポールがアレンジに凝り過ぎて無駄なオーヴァー・ダビングをしたことがあげられています。また、ポールにしてみれば「先輩の言うことは黙って聞いとれや」と耳を貸さず、エリックも「おっしゃる通りです」と強く進言できなかったのでしょう。
 この後、ポールはビリー・ジョエルやポール・サイモンの作品を手掛けたフィル・ラモーンをプロデューサーに起用してのアルバムの制作を試みますが、途中で仲違いをし、結局1987年11月1日発売のシングル「Once Upon A Long Ago」(全英10位)だけの付き合いに終わりました。なお、このシングルのB面はポールとエルヴィス・コステロ共作の「Back On My Feet」で、ラモーンとの関係が悪化しなければ、『Flowers In The Dirt』は三者のそろい踏みになったことが窺えます。

 そんな試行錯誤と言えそうな時期の最中である1986年、「The Prince's Trust Concert」に出演したポールは、1979年の「Concerts For The People Of Kampuchea/カンボジア難民救済コンサート」でもともにステージに上がった経験があるエルヴィス・コステロに興味を示しました。芸名(本名はデクラン・パトリック・アロイシャス・マクマナス)をエルヴィス・プレスリーに因み、ビートルズに影響を受けたと公言していたエルヴィス・コステロというロッカーに心を奪われたポールは新しいパートナーとして、彼に白羽の矢を立てたのです。粗野な雰囲気を醸し出しながら、物怖じしない振る舞いのコステロ。ポールにはジョン・レノンの姿が重なっていたのかもしれません。実際にふたりで共同作業を進める最中、コステロはポールへ、「兄さん、こんな曲を作ってたらあきまへんで、もっとしっかりしなはれや」とばかりにまったく遠慮することなく良し悪しを指摘し、自分の意見をぶつけてきたと聞きます。ポールにしてみれば、「なんやこいつ、えらい態度がでかいやっちゃなあ。俺は先輩やぞ」と戸惑ったことでしょう。それでもコステロのこうした言動はポールにとってとても刺激的であり、異質の才能がぶつかり合った結果、上質の作品とサウンドを生み出したのでした。

 かつてジョンはアルバム『Imagine』(1971年発表)に収録されていた「How Do You Sleep」の中で、ポールについてこのように忠告していました。

君を王様に祭り上げてる俗物どもに
囲まれて暮らしている
きれいな顔はせいぜい持ってあと一年か二年
でもすぐに人々は気づくだろう
君の力量はこんなものかと
君が作り出す音楽は
俺の耳には雑音程度にしか聴こえんぞ

 ポールはジョンのこのアドバイスを思い出し、自分がイエスマンたちに囲まれて他人の意見を受け入れぬ「裸の王様」状態だったことを反省。そして改心し奮起するきっかけになったのかもしれません。今回のお題である「My Brave Face」にはパートナーに逃げられた男の悲哀が描かれていますが、そんな「裸の王様」だったポール自身の悔恨も内包されているように思えました。

 エルヴィス・コステロが演奏にも参加しているデモ音源とのこと。アコースティック・ギターだけの伴奏でふたりの歌声の掛け合いはなかなかの説得力があります。


 1990年の来日公演からの映像です。


 こちらは1990年のリオでの公演の映像とのこと。


 アルバム『Flowers In The Dirt』の成功を受け、ポールはアルバムに参加したギタリストのヘイミッシュ・スチュアート(元アヴェレージ・ホワイト・バンド)、ロビー・マッキントッシュ(元プリテンターズ)、クリス・ウィットン(ドラムス)、ポール "ウィックス" ウィッケンズ(キー・ボード)、そして愛妻リンダらとともに日本を含むワールド・ツアーへと向かいます。コンサートはどこでも好評を博し、ポールの健在ぶりをあらためて示す格好になりました。しかし、ロック・ミュージックが巨大産業と発展する中、音楽の質や傾向が変化し、これ以後ポールといえどもヒット・チャートの上位に顔を出すことは困難な状況に陥ります。

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