好きな音楽のことについて語りたいと思います。

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Bruce springsteen - Growin' Up

 前回で取り上げたジャクソン・ブラウンの「Farther On」の記事の中で、ブルース・スプリングスティーンについて少しばかり触れました。そこで、今回は彼に登場していただくことにします。お題となる曲は「Growin' Up」。1973年にリリースされたファースト・アルバム、『Greeting From Asbury Park, N.J.』に収録されていた曲です。

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GROWIN' UP
真夜中、俺は石のように突っ立ていた
ひとりきりの仮面舞踏会を中断し
格好よくきまるまで髪を梳かして
夜に繰り出す軍団に命令した
痛みにさらされ、雨に打たれ
曲がった松葉杖で歩いた
ひとりで死の灰が降ったあたりをぶらついたが
魂は汚染されずに抜け出せた
群衆の混乱した怒りの中に身を隠したが
彼らが座れと言ったとき、俺は立ち上がってやった
ああ、成長するってのは大変なことだぜ

俺の船のマストには海賊の旗がなびき
張り上げた帆は風を受けて翼のよう
一等航海士としてジュークボックスを一緒に楽しんだ卒業生がいる
彼女は船の操作は下手だが、歌は上手い
俺はB-52を操縦し、人々をブルースで爆撃した
いつでも頑丈な俺の装置でな
俺は規則を破り、母校を機銃掃射した
一度も着陸しようなんて思わなかった
群衆の混乱した怒りの中に身を隠したが
彼らが下りて来いと言ったとき、反吐を吐いてやった
ああ、成長するってのは大変なことだぜ

成層圏で一ヵ月間の休暇を取った
息を止めてるったのは辛いことだったぜ
俺はかつて愛したものや恐れていたものをすべてを失った
俺は扮装用の衣装に身を包んだ宇宙の子供だった
俺の両足は地球に根を張ったが
星々の間にもちょっと素敵な住処を見つけた
駐車している古い車のエンジン・ルームの中で
俺は宇宙に通じる鍵を見つけた
群衆の混乱した怒りの中に身を隠したが
彼らが座れと言ったとき、俺は立ち上がってやった
ああ、成長するってのは大変なこと
ああ、成長するってのは大変なことだぜ

 エルヴィス・プレスリーに憧れてギターを手にしたというブルース・スプリングスティーン。彼は紛れもなく根っからのロッカーでありますが、ピート・シーガーを始めとするトラディショナルなフォーク・ソングや初期のボブ・ディランにも興味を抱いて思春期を過ごして来たのも事実です。それ故か、ボブ・ディランと同じく西欧文学上の手法のひとつである「内的独白」あるいは「意識の流れ」という概念を用い、超現実的な展開の詞を書くこともしばしば。そんな彼のソング・ライターとしての才能を買ってマイク・アペルはマネージャーに就き、プロデュース及び音楽出版契約をも結ぶに至ります。そして、レコーディング契約に漕ぎ着けたCBSもシンガー・ソング・ライターとしてブルースを売り出すことを目論んでいたのでした。
 1973年1月15日、ブルース・スプリングスティーンのファースト・アルバムとして発表された『Greeting From Asbury Park, N.J.』には移ろいやすい若者の心象風景が映し出され、思いついたことを綴るように意味不明な言葉が切れ目なく溢れ出しています。また、努力と勤勉によって、誰にも成功するチャンスがあるという「アメリカン・ドリーム(アメリカの夢)」を信じる人々の姿も描かれていました。
 この「Growin' Up」もそうした「内的独白」、「意識の流れ」という手法に沿っているのか、難解で妄想じみた比喩表現の連続です。ブルースが影響を受けたボブ・ディランの歌のタイトルを借りるならば、「ゴチャマゼの混乱/Mixed-Up Confusion」といったところでしょうか。混沌としています。
 最初のヴァースの「ひとりきりの仮面舞踏会」は孤独、「松葉杖で歩いた」、「放射能で汚染された地域をぶらついたが、魂は汚染されなかった」という表現は、既存の社会の価値や常識に染まらなかったという意味でしょうか。虚勢と反抗心があらわにされているように受け取れました。
 2番目のヴァースは少々エロティックな想像をさせる歌詞で始まります。ブルースの演奏で人々を魅了したと同時に下半身も活躍したことを誇示しているかのよう。機銃掃射とは物騒なようですが、まさか無差別テロを行ったわけでなく、ルールを破って悪態をつき、迎合したり、従属しようとはしなかったという意味でしょう。校則破りや常識への異議は、若者によくあるパターンです。
 3番目のヴァースの「成層圏の休暇」は何か辛い経験をしたことが表されているのでしょうか。現実の社会の中では妥協しなければならないことを学んだのかもしれません。人間はひとりだけでは生きて行けず、他者との協調性が求められます。その後の「俺はかつて愛したものや恐れていたものをすべてを失った」からは、成長と引き換えに純粋で無垢な心や反抗心、ひいては友情をも失ったことが推察されました。そして、「駐車している古い車のエンジン・ルームの中で/俺は宇宙に通じる鍵を見つけた」には「アメリカン・ドリーム」をつかむ道を見いだしたと言っているように思えます。
 さて、「群衆の混乱した怒りの中に身を隠したが、彼らが座れと言ったとき、俺は立ち上がってやった」あるいは「彼らが下りて来いと言ったとき、反吐を吐いてやった」という言葉が出てきますが、これは大人の階段を昇る若者の不安、孤独、虚勢などが表されていると言えるでしょう。大人社会の常識に違和感を抱き、同調圧力にも屈せず、何事にも逆らうような態度を取り続けています。誰もがそうした悩みや疑問を抱えながら成長して行くものなのかもしれません。
 また、ブルースの青春時代の世相にはヴェトナム戦争が深く影を落とし、全米各地で反戦運動が巻き起こっていました。アメリカ社会全体を覆う重苦しい閉塞感の中、徴兵や派兵に反対し、「殺戮を止めて愛し合おう」との趣旨のメッセージが叫ばれたのです。しかし、戦局が悪化し、自分の故国が劣勢に立たされるとなると、やがて敗北に向かうのではないかというやり切れなさや喪失感が漂い始めました。あるいは、ただやみくもに反戦の意思を示すだけでは何も変わらないし、一般市民には何も出来ないという虚無感も覚えていたことでしょう。それ故、反戦運動への疑問や矛盾を感じていた人々も少なくなかったのかもしれません。それでも周囲からの同調圧力や寝返りと判断されることを恐れることによって、そのような疑問や矛盾を表すことが困難だったと推測されます。
 第1次世界大戦後、戦勝国であるイギリスやフランスを中心にパシフィスト(平和主義者)による反戦運動が巻き起こりました。パシフィストたちは闘いという概念そのものを受け入れず、武力行使を強固に拒否したのです。この運動の激化に英仏の政府は翻弄され、毅然とした態度が取れず、ナチス・ドイツがヴェルサイユ条約を破棄して他国への侵攻したことを見過ごすような形になりました。この時点で英仏両国が、まだ戦力が十分とはいえないドイツ軍を叩いていれば、第二次世界大戦は起こらなかったと言われています。もちろん戦闘となれば死傷者が出ることは否めません。しかし、最小限の犠牲でドイツの動きを封じ込めることができたはずでした。それ故、強烈な平和主義者の活動が皮肉にも史上空前の大惨劇の主因のひとつとなった言っても決して過言ではないでしょう。
 閑話休題。怒れる群衆の中で反抗を示したことは大人社会へのたんなる異議申し立てだったのかもしれません。あるいはしらけた気持ちの表れとも受け取れるでしょう。それでもブルースの反抗に満ちた言葉の裏側にはたんなる大人社会への異議申し立てや既成の価値観への疑問だけでなく、反戦運動への教訓めいたものが内包されているのではないかと思えるのです。反戦・平和運動は危ういものを孕んでおり、逆の方向へ働くことを十二分に留意しなければなりません。
 
 前述したように、マネージャー兼プロデューサーのマイク・アペルやCBSはブルースを「第2のボブ・ディラン」との想定のもと、シンガー・ソング・ライターとして売り出そうとしました。ブルースが馴染みのミュージシャン仲間とともにバンド・スタイルでレコーディングしたヴァージョンは拒否され、アコースティック・ギターの弾き語りを主体としたものに再録することを強いられたのです。ブルースには葛藤があったことでしょうが、ここで自分の意志を押し通して念願かなってのレコード・デビューのチャンスをみすみす逃すことはない、と妥協したことは大いに察せられました。
 純粋な音楽的才能はファースト・アルバムに集約されると言われます。決してブルースにとって納得の行く形で生み出されたアルバムではなかったのかもしれません。でも、彼のほとばしる音楽への情熱、瑞々しい感性など若き日のブルースの等身大の姿がありのままに噴出されていることは十二分に窺えます。そして彼がその後も追い続ける「アメリカン・ドリーム」の原点がここにあると言えるでしょう。

 1972年10月8日、ニューヨークのマックス・カンサス・シティーにおけるライブ。デビュー直前の貴重な映像ということになります。


  E・ストリート・バンドを率いての1978年のライヴ映像です。


 こちらは1985年のライブ映像。「Born In The U.S.A.」の大ヒット、日本公演などがあり、ブルースにとって国内外ともに不動の地位をものにした記念すべき年だったと言えるでしょう。


 DVD『ライヴ・イン・ダブリン』から。E・ストリート・バンドではなくザ・シーガー・セッション・バンドを従えています。リラックスした雰囲気に時の流れを感じました。
 

 2014年のライヴ映像。コンサート開始前に、観客を入れてのリハーサルあるいはサウンドチェックを行っているようです。


 この曲はデヴィッド・ボウイが取り上げていました。1990年にリリースされた『Pin Ups』(オリジナル・リリースは1973年10月19日)のボーナス・トラックとして収録されています。少々意外な選曲のようにも思われますが、デヴィッド・ボウイも思春期にエルヴィス・プレスリーに憧れ、ボブ・ディランに影響を受け、ビートニク文学であるジャック・ケルアックの『On The Road』に影響に感化されたとのことで、ほぼ同年代でもあるブルース・スプリングスティーンとの共通点も窺えました。ちなみにボウイは1947年1月8日生まれ、ブルースは1949年9月23日生まれです。


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