好きな音楽のことについて語りたいと思います。

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James Taylor - Her Town Too

 前回は映画『波の数だけ抱きしめて』の挿入歌として使用されたラリー・リーの「Don't Talk」を取り上げました。今回も『波の数だけ抱きしめて』つながりで、JTことジェイムズ・テイラーの「Her Town Too」をお題とします。この曲は彼が1981年にリリースしたアルバム、『Dad Loves His Works』に収録されていました。

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 CBS移籍第3弾として発表された本作『Daddy Loves His Works』。おしどり夫婦と称されたカーリー・サイモンとの関係が破綻していく最中に制作されたことによるのか、当時の彼の心境が、収録された11曲の中であたかも短編小説のように織りなされていました。
 プロデューサーはお馴染みのピート・アッシャー。バックを受け持つのはワディ・ワクテル(ギター)、ダン・ダグモア(ギター)、リー・スクラー(ベース)、リック・マロッタ(ドラムス)、そして後に『Never Die Young』(1985年)、『New Moon Shine』(1991)、『LIve』(1993)の3作のプロデュースに携わることになるドン・グロルニック(キーボード)といった布陣。CBS移籍第1弾である『JT』(1977)では「Handy man」(オーティス・ブラックウェル、ジミー・ジョーンズ共作)、「Honey Don't Leave L.A.」(ダニー・コーチマー)、続く『Flag』(1979)では「Day Tripper」(ジョン・レノン&ポール・マッカートニー)、「Up On The Roof」(ジェリー・ゴフィン&キャロル・キング)などのカヴァーが収められていましたが、本作『Dad Likes His Work』にはバンドのメンバーやJ.D.サウザーらとの共作あれども、すべてJT本人のペンによる作品が収録されていました。

 アルバムのオープニングを飾る「Hard Times」。夫婦であり続けることの難しさが描かれた曲です。


HARD TIMES
辛いときもあった、ああ本当に
ともに暮らして行くのは楽じゃない
男は怒り、女は飢え
お互いを苛立たせている
とても憂鬱で、落ち込んだ気分
他に何も言いようがない
彼女は街に出て、周囲に目を配りながら
別れ話をしている

そのまま行かせてしまってはいけない
もう一度チャンスに賭けなければ
ふたりとも努力しなければ
俺を愛しても意味をなさないよ
でも俺は君に夢中、これからも
だからもう一度、君に戻って来てほしいんだ
君にはふさわしくない俺かもしれないが
俺の気持ちは変わらない

だからふたりで努力しよう
努力してこの辛い時期を乗り越えなければ
努力して、努力して乗り越えなけらば
努力して、努力して乗り越えなけらば
そう、努力して、努力して乗り越えなけらば

辛い時期、辛い時期もあったさ
ともに暮らして行くのは楽じゃない
男は怒り、女は飢え
お互いを苛立たせている

このような辛い時期はふたりで努力してみようよ

 男が未練がましく「愛している。戻って来てほしい」と呟き、努力して苦境を乗り越えようとしても、女からは勝手な言い草とつれなくされている様子が窺えました。
 カーリー・サイモンは「もっと家庭を顧みてほしい」とJTに願ったと聞きます。JTにしてみれば「おまえかてミュージシャン活動を続けてるやないか。子供の教育はどないなっとんねん」といった言い分もあったことでしょう。芸能人同士の結婚はすれ違いが多いらしく、お互いの気持ちも次第に離れていくものかもしれません。もっとも、いくら愛し合っていても、四六時中顔を付き合わせていては飽き飽きするのも当然の流れでありましょう。相手の悪いところばかりが目につくようになったり、価値観の大きな違いに気付かされたりすることも。いずれにしても、ひとつ屋根の下の男女の関係は難しいものです。

 シングル・カットされて全米11位のヒットとなった「Her Town Too」。


HER TOWN TOO
彼女は外に出るのをずっとこわがっているのさ
ドアのノックの音にびくびくしている
いつもわずかな疑いを抱き
誰が訪ねて来るのか見当もつかない
たぶん友達の友達の友達
まったく誰だっていいような人
またとりとめもないほど何でもないことばかり

以前は彼女の街だった
以前は彼女だって自分の街だって言っていた
以前は彼女の街だったものさ
以前は彼女だって自分の街だって言っていたものさ

昔なじみの女友達さえも
彼女を罵倒しているらしい
何度も何度もあちこちに電話しまくり
彼女の名前を出して噂話をしている
ある人の、あることについてといった調子で
誰かが言ったかもしれない彼女にまつわるいろんなことを
彼女がいつも友達だと心の中で思っていた人たちは
彼女のことなどかまうことなく日々を過ごしているのだろう

そう、人々にはふたりが一緒にいるのは見慣れたことだった
でも今じゃ彼は姿を消し、歳月は過ぎ行く
ああ、永遠に続くことなどありえない
彼女に残されたものは家と庭
彼には気心知れた仲間たち
その中には彼の友達もいれば
彼女の友達もいる
そしてふたりのことをわかってくれる人もいる

こんな小さな街だから神様にはすべてお見通し
そう、破綻して行く成り行きは誰にも分かることだ
同情するつもりはないけれど
君に電話したくなっただけさ

以前は君の街だったじゃないか
昔は俺の街でもあったんだぜ
すべてが崩れ落ちてしまうまで
君には分からないだろうな
誰かが君を愛しているということを
君を愛している人がいるってことを

ダーリン、誰かが今でも君を愛している
俺は今でも憶えている

 イーグルスの「I Can't Tell You Why」あたりをどこか彷彿させるような切なく哀愁を帯びたメロディーの「Her Town Too」。傷心のJTを支えるかのようにデュエットの相手をしているのはこの曲の共作者でもあるJ.D.サウザーです。
 先ほどの「Hard Times」での別れ話を吹聴する女性とは打って変わり、おそらく離婚したことがきっかけで自宅に引きこもる彼女。彼女は家と庭を得て、彼は仲間の支援を手に入れたとありますが、原文では "He gets the boys in the band"と記され、「バンドの仲間を手に入れた」とも訳せ、すなわちミュージシャン仲間やバンドのメンバーが自分の側に付いてくれたという解釈も成り立つでしょう。カーリー・サイモンに財産を渡したが、俺には友人たちが付いてるのだとJTは言いたかったのかもしれません。そして「ダーリン、誰かが今でも君を愛している/俺は今でも憶えている」はJTの偽らざるカーリーへの想いでしょう。

 JDも登場するプロモーション映像です。


 アルバム発表直後と思しきライヴ音源とのこと。


 映画『波の数だけ抱きしめて』の1場面です。


 JTが妻子に向けて送った歌のように思われる「Hour That The Morning Comes」。


HOUR THAT THE MORNING COMES
ママはミュージシャン、いつも注目の的
金色の靴で一晩中踊り続ける
彼女は最高の気分で
踊り、踊り、舞い上がった
お天道様が昇る頃までは半分天国にいる気分さ

そしてパパは頭を抱えて呆然とさせられている
ママはパパが仮眠を取っていると思いたいのだ
彼は働き詰めだから
夜通し働いているから
お天道様が昇る頃でも半分地獄にいる気分なのさ

月の光に誘われて地獄から飛び出して来たコウモリのように
昨晩めちゃくちゃに破壊した絵の断片のように
きっとなんとかなるだろうよ
お天道様が昇る頃には、俺は半分重苦しい気分に包まれているのさ

おい、ランプシェードを被ったまぬけな奴を見なよ
楽しんでいるかって誰かに言われたみたいだけど
そりゃ間違いだぜ
そうじゃない、そうじゃない、そうじゃないんだ
天然の愚か者だったら
お天道様が昇れば目を開けるだろうよ

秘密諜報部員のあの男を見なよ
手を血に染めて教会からこっそり抜け出して来るぜ
奴は売り物
入札するなら今がチャンスだ
窮地に陥った時
奴は最新のニュースになり、進み続けるだろう

水をくれ
少しでいいからワインも
君たちの目の前にいる男は
お天道様の下にいるのが少しばかり長過ぎたようだ
ほんの少しな
だが俺はお天道様が昇るまでには家路に向かっているだろう

 冒頭の「ママはミュージシャン」とはもちろんカーリー・サイモンのこと。JT自身は夜中まで働いて地獄であると述べています。自虐的な要素を加えてユーモラスに表現したのでしょうが、これでは妻子の感情を逆撫でしかねません。パパは愚か者だから許してほしいと言われても、少々虫がよすぎるのではないでしょうか。

 夫婦の関係や親子の関係に向き合い、夫として、父としての自己の責任をのあり方を伝えることでカーリー・サイモンへの返答としたようなメッセージが込められたアルバム『Daddy Loves His Work』でしたが、結局1982年にふたりは離婚。関係修復を試みたJTの努力は実りませんでした。カーリーにしてみれば、「自分勝手な言い訳せんといて」といったところだったのかもしれません。男女の仲であれ、男同士の友情であれ、ビジネスにおいての信頼関係であれ、一度不信感を抱くと呆気なく崩れ去って行くのが世の常ということですね。


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Larry Lee - Don't Talk

 梅雨明け間近で、降ったり止んだりのはっきりしないお天気が続いております。昨今の世情や私事に目をやれば、こちらも何だか晴れ晴れとせずに湿りがち。こんな時は爽快な音楽を聴いて心新たにするのが一番でしょう。

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 というわけで、今回はAOR。1982年にリリースされたラリー・リーのアルバム『Marooned』を取り上げることにしました。

 色鮮やかなジャケットはイラストレイターの鈴木英人先生によるもの。カリフォルニア州サンタ・バーバラのフリーウェイで、抜けるような青空の下、風に吹かれながらドライヴする光景が目の前に迫り来るようです。しかし、これは日本独自の企画。オリジナル・ジャケットには髭面のむさくるしい男が、もとい凛々しい姿のラリー・リー本人が写っていました。ミュージシャン自身の顔写真を風景に差し替えるといった手法は1980年代によく使われ、例えばエア・サプライの『Lost In Love』(1980)、アルバート・ハモンドの『Your World And My World/風のララバイ』(1981)などがよく知られているところです。

 こちらがオリジナル・ジャケット。

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 ラリー・リーはオザーク・マウンテン・デアデヴィルズのドラマーとして活躍した人物で、バンドのレパートリーのソング・ライティングにも中核として貢献しました。
 オザーク・マウンテン・デアデヴィルズはミズリー州スプリングフィールド出身のバンドで、1973年にイーグルスのファースト・アルバムのプロデューサーであるグリン・ジョーンズを迎えた『The Ozark Mountain Daredevils』にてデビュー。イーグルスを意識したかのようなカントリー・ロックが好評を博し、翌74年に発売されたセカンド・アルバム『It'll Shine When It Shines』(全米19位)からシングル・カットされた「Jackie Blue」は1975年に全米3位まで上昇しております。

 
 バンド名を直訳すると「オザーク・マウンテン(ミズリー州南部とアーカンソー州北西部に広がる高地)の向こう見ずな奴ら」と称するオザーク・マウンテン・デアデヴィルズ。他にもハーモニカをフィーチャーしたファンキーな「If You Wanna Get T Heaven」(全米25位、『Ozark Mountain Daredevils』に収録)、ウエスト・コースト・サウンド風の爽やかな「Within Without」(『Ozark Mountain Daredevils』に収録)、「You Know Like I Know」(全米74位、1976年の『Men From Earth』に収録)、都会的で少し洗練された雰囲気の「If I Only Knew」(全米65位、1975年の『The Car Over the Lake Album』に収録)などの秀逸な作品があり、イーグルスに比べてどこか粗野な印象がある一方で、AORの先駆けともいえるハーモニーやコーラスが美しい曲調を身上としていました。イーグルスのようなセンセーショナルな話題に欠けたせいか、決してトップを走る存在ではありませんでしたが、今も現役で活動を続けています。

 さて、バンドでは出来ないことをやりたいと、オザーク・マウンテン・デアデヴィルズを脱退して発表したラリー・リーのソロ・アルバム『Marooned』。この "Marooned" は、「断ち切られる」、「取り残される」といった意味の形容詞です。わざわざこんな単語をアルバムのタイトルに持って来るとは、やはり人間関係が悪化しての脱退だったのではないかとの疑念を抱いてしまいました。
 そんなことはともかく、このアルバムにはニッキー・ホプキンス(キーボード)、デヴィッド・サンボーン(アルト・サックス)TOTOのオリジナル・メンバーであるデヴィッド・ハンゲイト(ベース)、TOTOのサポート・メンバーとしても有名なレニー・カストロ(パーカッション)、ホール&オーツやケニー・ロギンズらのアルバムのレコーディング・セッションやジャーニーのコンサート・ツアーのサポート・メンバーとしてもマイク・ベアード(ドラムス)などのビッグ・ネームが参加。オープニング・ナンバーの「Waiting To Let Go」にはザ・バンドのリック・ダンコがコーラスをつけ、さながらラリー・リーの新しい門出を祝しているかのようです。また、プロデューサーにはオールマン・ブラザーズ・バンドの『Brothers Of The Road』(1981)、サンタナの『Shango』(1982)などのプロデュースを手掛けたジョン・ライアンを起用。錚々たるメンバーを迎え、レコーディングにお金を費やしたので、アルバム・ジャケットの費用が削減されたのではないかとここでも余計な詮索をしてしまいました。

 テリー・ブリテンとスー・シフリンの共作、「Don't Talk」。心が通わなくなった恋人同士。冷却期間が必要という彼女に対し、彼は「お互いが信じ合えれば言葉は入らない」と懸命に言い聞かせています、しかし、覆水盆に返らずといったところでしょうか。


DON'T TALK
ふたりのコミュニケーションが取れないことが
時たまあるようだな
長いバケーションが必要だなんて
君は思ってるんだろう
「もうたくさんよ
こんなのは恋じゃない」と君は言うんだね
本気じゃないくせに
(もう何度も聞かされ続けて来たぜ)
俺だって信じちゃいない
(もう悩むのはやめよう)

喋らないで、ふたりの心は通じるはずさ
声に出さないで、言葉じゃ言い尽くせないこともあるのさ
君はやりたいことをやればいい
でも、喋らないで、俺はこのまま触れ合っていたいのさ
もう何も言わないでくれ、言いたいことはすべて言ったんだ
君は好きなようにすればいい、だけど喋るのだけは止めてくれ

俺はいつまでたっても
会話術をマスターできない
だから君は想像力を
逞しくしてくれなきゃね
ふたりがもう一度仲直りするのを
君は嫌がらないよな
俺たちは何度も苦難を乗り越えて来たんじゃないか
(いつもふたり一緒に困難を分かち合ってきた)
だから繰り返すのは止めよう
(遅すぎたかもしれないけど、このまま破局を迎えるよりはまし)

喋らないで、ふたりの心は通じるはずさ
声に出さないで、言葉じゃ言い尽くせないこともあるのさ
君はやりたいことをやればいい
でも、喋らないで

お互いの考えや気持ちを隠したまま
ふたりは目を合わさずに天井を見つめている
するべきことはただひとつ
俺の愛を君にさらけ出すことだけだ

 この曲は中山美穂、織田裕二主演の映画『波の数だけ抱きしめて』(1991年公開)の挿入歌として使われ、これまでに拙ブログでも紹介したことのあるネッド・ドヒニーの「Each Time You Pay」やカーラ・ボノフの「Personally」などとともにサントラ盤に収録されていました。1982年が舞台の『波の数だけ抱きしめて』は当時の若者像を等身大に描いたことで高い評価を得たようですが、関西ではまったくといってよいぐらい話題にならなかった印象が残っています。東西の文化の違いなのでしょうか。メディアで取り上げられているのをよく目にしましたが、私の周囲で会話のネタになることはありませんでした。といっても、AORというジャンルの音楽自体は関西でも広く受け入れられ、ディック・セント・ニクラウスの『Magic』やビル・ヒューズの『Dream Master』などの国内盤が関西限定で発売されて話題を呼んだことがあります。

 いま何かと話題の中山美穂さんの姿が眩しい映画の一場面から。


 ラリー・リー作の表題曲、「Marooned」。欲望や世の流れにかまうことなく、我が道を行くといったところでしょうか。


MAROONED
今朝、起きてみると
風の臭いを感じる
太陽が西に向かってゆっくり進むにつれて
何か不思議なことが起こっているんだ
それが何であるか俺にははっきり分からないが
様々なことが変化しているようだ

人々は正気を失ったように駆けずり回っている
誰もが鉱脈を掘り当てようとして懸命なんだ
でも俺は違う
みんなとは同じ気分にはならないのさ
置き去りにされてもかまわない
ひとりぼっちもなかなかいいものさ

外を行き交う人々のざわめきが途絶え始めると
不気味な沈黙の響きが
俺の部屋を覆い尽くす

誰かが現れて俺をしっかりと抱きしめてくれないと
俺もみんなと同じように
駆け出してしまわないかと不安だ

俺は空っぽの部屋を歩き回り
太陽は月の背後に姿を隠してしまった
椅子を引き寄せて
ふっとストゥールに足を乗せようか
ほとりぼっちで取り残されるのも
なかなかご機嫌なもんだぜ

ひとり孤島に取り残された気分さ

 鉱脈を掘り当てようと懸命と訳した原文は "Everybody's headed for ledge" で、直訳すると「みんなは鉱脈に向かわせられている」となります。ゴールド・ラッシュの時代ではないので、現代の鉱脈とは出世や成功を表していると思われ、歌の主人公はそんなあくせくした生き方に無関心な様子。そんな都会の喧噪と人間の欲望と関わることなく、自分らしく暮らしたいのでしょう。しかし、孤独も素敵なものだと強がりを言っても、淋しさには耐えられないことも吐露していました。やはり、人はひとりでは生きられないものですね。

 イギリスのシンガー・ソング・ライター、クリフォード・T・ワード作の「The Best Is Yet To Come」。この曲も恋人同士の関係が破綻しようとしている歌です。後悔先に立たず。いくら最良の時はこれからだ、と言っても相手の心に響くとは限らないのかもしれません。


THE BEST IS YET TO COME
どんな間違いをしたんだろう
ふたりはいつも
魔法の力で悲劇を回避し
関係を修復してきた
ふたりがかつて夢見たもの
俺は間違っていないよね
最良の時はこれからだってことさ

どこでうまくいかなくなったんだろう
そんなにはっきりさせたかったのかい
自分たちの進む道を見つけられなかったのに
そんなに怯えていたのかい
どちらに行けば良いのか俺たちには分からなかった
だけど、俺の言うことは間違ってないよね
最良の時がこれからやって来るのさ

もうお別れしましょうという
君の言葉が本気だとしたら
どうか俺を残して行かないでくれ
だって君がそんなことをすれば
夢が何ひとつとして叶わずに終わっちまうじゃないか

どこで道を踏み外したのだろう
今の俺は胸が痛み
君は迷路の中
俺はといえば血気にはやり
君を踏み止まらせようとなりふり構わない
最良の時はこれからだ
俺の言うこと、間違っていないよね

最良の時はこれからなんだ


 作者のクリフォード・T・ワードのヴァージョンは1984年リリースの『Both Of Us』に収録。彼の作品はリンゴ・スター(1976年の『Ringo's Rotogravure』収録のLady Gaye)、アート・ガーファンクル(1981年の『Scissors Cut』収録の「Up In The World」)、クリフ・リチャード(1981年の『Love Songs』収録の「Up In The World」)らも取り上げていました。


 ジュディ・コリンズも1984年リリースの『Home Again』でカヴァーしていました。澄んだ声の女性シンガーが歌うとまた違った印象で心に訴えかけられます。


 ラリー・リー作で、軽快な曲調の「Number One Girl」。目当ての女性に一途というわけでなく、さんざん別の女性に心を奪われていたのに「君がすべてさ」とは少々虫がよすぎるもの。しかしながら、自分の人生を振り返れば、耳の痛い話であります。


NUMBER ONE GIRL
自分が今までどこで何をしてきたのかが分かっていればなあ
俺はむしろ傍にある直線コースを走るべきだったのに
楕円形のトラックの上を回り続けて来たんだ
心の中では君が最高だと思っているのに
他の女の子たちにちょっかいを出していたんだ
今こそ思い切って駆け出し
君をつかまえなければ

君は傍にいるだけで俺を元気づけてくれる女の子
君は俺の心の底まで見通す目を持った女の子
君が本命ー君こそナンバー・ワンの女の子さ

君はナンバー・ワン・ガール
君ほど気を許せる女の子なんて他にいやしない
君はナンバー・ワン・ガール
ナンバー・トゥーなんて俺の目に入って来ないぜ

君と出逢ってからというもの
すべて現在形なんだ
とてつもないぐらいに早く動き過ぎて
出来事なんて憶えていられない
自分の本心すら確かめられないほどさ

君は俺を夢中にさせる美貌の女の子
君は俺をうまく言いくるめてしまう女の子
君こそ唯一無二の人、君はナンバー・ワンの女の子さ

 ウエスト・コースト風のサウンドに、ほんの少しばかり哀愁を帯びたメロディを切々と歌うラリー・リー。本国アメリカではさほど話題にならなかったようですが、日本では前述の映画『波の数だけ抱きしめて』のヒットと相まって、発売当時のAORファンのみならず、さらに広く受け入れられて行きました。ラリー・リーの紡ぎ出す楽曲を耳にしていると、多感だったあの頃の想い出が走馬灯のように甦り、機微に触れたというリスナーも多くいたことでしょう。
 

Judy Collins - Suzanne

 今回もジュディ・コリンズのアルバム、『In My Life』を取り上げます。このアルバムが彼女の転機となったことを前回の記事の中で述べましたが、少々意外な選曲と並び、同時代のシンガー・ソング・ライターの作品を独自の解釈でカヴァーするといったサード・アルバム『Judy Collins 3』からの路線も堅持していました。

イン・マイ・ライフイン・マイ・ライフ
(2014/06/11)
ジュディ・コリンズ

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 レナード・コーエン作の「Suzanne」。スザンヌとはコーエンの妻だったスザンヌ・エルロッドのことであり、コーエンは彼女との離婚をきっかけとしてこの歌を作ったとされております。コーエンは母国カナダでは作家、詩人として有名な存在でしたが、ジュディがこの歌をとりあげたことでその名がアメリカでも知られるようになり、翌年のシンガー・ソング・ライターとしてのレコード・デビューに至りました。


SUZANNE
スザンヌはあなたを連れて行く 
川のほとりの小さな彼女の家に
小舟が行き交う音を聞きながら
彼女の傍らで夜を過ごせるわ
あなたは分かっている 彼女が半分気がふれていることを
でもそうだからあなたはそこにいたいのね
彼女は遥か中国からやって来た紅茶とオレンジを
あなたにご馳走してくれる
あなたが彼女に与える愛はないと告げようとするまさにその時
彼女はあなたを自分の波長に合わせ
川のせせらぎに答えさせる
だいぶ長い間 あなたは彼女の恋人だった
あなたは彼女と旅行がしたい
行き当たりばったりの旅をしたいのね
あなたは彼女を信じてもいいと思っている
あなたの完璧な身体に彼女の心が触れたのだから

イエスは船乗り
彼が水面を歩いた時
彼は孤独な木の塔から眺めながら
多くの時間を過ごした。
そして溺れるものだけが
自分を見ることが出来ると確信した時
彼は言った「海が彼らを解放するまで
全ての人間は船乗りである」と
しかしイエス自身は
空が割れるずっと前に崩れ落ち
見捨てられ、ほとんど人間のように
石のような人間の知恵の下に沈んだ

あなたは彼女と旅行がしたい
行き当たりばったりの旅をしたいのね
あなたは彼女を信じてもいいと思っている
あなたの完璧な身体に彼女の心が触れたのだから

スザンヌは手を取りあなたを川のほとりに連れて行く
あなたは行き交う船の音を聞きながら
永遠の夜を過ごすことが出来るわ
太陽が蜂蜜のように降り注いでいる
港の貴婦人の上に
そして彼女は教えてくれる
ゴミと花の見分け方を
海藻の中にヒーローがいて
朝の光の中に子供たちがいる
人々は愛を得ようと身を傾けている
いつまでもそんな風に身を傾けているのよ
スザンヌが鏡を握っている間は

あなたは彼女と旅行がしたい
行き当たりばったりの旅をしたいのね
あなたは彼女を信じてもいいと思っている
あなたの完璧な身体に彼女の心が触れたのだから

 レナード・コーエンのヴァージョンは1967年12月27日リリースのファースト・アルバム『Songs Of Leonard Cohen』に収録。ジュディ・コリンズのヴァージョンとは歌詞が一部異なっております。


 ジュディ・コリンズとレナード・コーエンの共演映像です。


 ジュディ・コリンズによるピアノの弾き語り映像です。



 ランディ・ニューマン作の「I Think It's going To Rain Today」。伯父や叔父が作曲家として有名だったランディ・ニューマンも、ジュディ・コリンズがこの歌を取り上げたときはまだレコード・デビューをしておりませんでした。無名のソング・ライターの作品に注目するジュディの先見の明。彼女の慧眼が、彼らを世に送り出すきっかけを与えたと言っても過言ではないでしょう。


I THINK IT'S GOING TO RAIN TODAY
壊れた窓に何もない廊下
空に浮かぶ青ざめた月が灰色の縞模様を付けた
人間の優しさが溢れ出し
今日は雨が降りそうだ

案山子は最新の流行の服を纏い
凍てついた微笑みで
まとわりつく愛を振り払う
人間の優しさが溢れ出し
今日は雨が降りそうだ

寂しい心 ひとりきり
足下にはブリキの缶
通りに向かって蹴りつけよう
それが友達の扱いかた

目の前の光は私に慈悲を懇願する合図
恵まれない人々に支援を、そして救いの道をと
人間の優しさが溢れ出し
今日は雨が降りそうだ

 ランディ・ニューマンの作品の特徴は、皮肉や風刺を込めて人種差別や偏見を描くことにあります。彼はこの歌について、感傷的な情景描写であるとの趣旨を語っていましたが、とても額面通りには受け取れません。"human kindness" を直訳すると「人間味」ですが、どうして人間味が溢れて雨が降り出すのか。シェークスピアの『Macbeth(マクベス)』の中に、"milk of human kindness" という台詞があり、そこでも「生まれながらの人情、人情の暖かさ、優しい思いやりの心など」と訳され、ニューマンもこれを踏襲したのでしょう。しかし、アイロニーを身上とする彼のこと、本当は逆説的な意味があると思われます。他人への優しさは偽善でしかなく、友情さえも信じられない、そんな絶望感が静寂の中で漂っているとのメッセージが受け取れました。

 ランディ・ニューマンのヴァージョンは1968年6月リリースのファースト・アルバム、『Randy Newman』に収録。


 TVショーの映像でしょう。ピアノの弾き語りで歌うジュディ・コリンズ。グラハム・ナッシュがコーラスでゲスト参加しています。



 ビート・ジェネレーションからフラワー・チルドレン(ヒッピー・ムーヴメント)の時代へと移り変わることを予見した、「Sunny Goodge Street」。イギリスのボブ・ディラン、フォークの貴公子などと称されたドノヴァンの作品です。


SUNNY GOODGE STREET
サニー・グッジ・ストリートの
蛍の飛び交うプラットフォーム
凶暴な愛煙家たちや
シュガー・チョコレートの機械が
食事の場面にとけ込む

ドラッグでハイになった状態で
ネオンライトの中に突っ込んだり
狂ったカルトの女神の姿を前にし
目の中に染み付けたり
メロウでファンタスティックな
ミンガスのサウンドに耳を傾けたりして
ああ、なんて素敵だと彼らはため息をつく
ああ、なんて素敵だと彼らはため息をつく

色鮮やかなライトが揺れる
人形の家の部屋の中で
奇妙な音楽がチリンチリンと悲しげに取り囲む
あたり一面に輝く
太陽を飲み干すように
ああ、なんて素敵だと彼らはため息をつく
ああ、なんて素敵だと彼らはため息をつく

魔術師がサテンとヴェルヴェッドをまとって
きらめいている
あなたは今まで使っていなかった目で
彼の見事な指使いを
じっと見ている
教えてあげよう
彼の名は愛、愛、愛
ああ、なんて素敵だと彼らはため息をつく
ああ、なんて素敵だと彼らはため息をつく

 ジャズを聴きながらドラッグに耽り、妄想の世界を生きるといった趣旨の歌詞からはヒッピーというよりもビートニクを連想させますが、最後のマジシャンのくだりで、「彼の名は愛、愛、愛」というところから来るべきフラワー・チルドレン(ヒッピー・ムーヴメント)の到来を示しているかのようです。

 フルートをフィチャーしてややソフト・ロック風に仕上げたジュディ・コリンズのヴァージョンに比べて、ドノヴァンのヴァージョンはジャジーなアレンジが施されていました。1965年リリースの『Fairytale』に収録。


 冒頭にジュディ・コリンズの転機となったアルバムと述べましたが、前回の記事で取り上げた少々意外な選曲と合わせ、エロティックな描写のあるレナード・コーエンの「Suzanne」、皮肉や風刺の利いたランディ・ニューマンの「I Think It' Going To Rain Today」、そしてドラッグ体験が描かれたドノヴァンの「Sunny Goodge Street」など、どれも従来の清純派のイメージを打ち破り、大人の歌手として成長した姿をさらけ出していたと言えるでしょう。次作、『Wildflower』(1968年発表)に収録されたジョニ・ミッチェル作の「Both Sides Now」で、「私は両側から人生を見てきた/勝ったり負けたり/そしてどういうわけか私が思い出すのは人生の幻影/私には人生がどんなものかいまだに少しも分からない」と歌います。時はカウンター・カルチャー華やかなりし頃。アメリカはヴェトナム戦争を背景に激動の時代を迎えていました。こうして、さらなる変化がジュディ・コリンズに訪れることになるのです。

Judy Collins - In My Life

 男性シンガーが続きましたので、今回は女性シンガーの声をお届けすることにしました。ご登場いただくのはジュディ・コリンズ。彼女が1966年に発表したアルバム、『In My Life』を取り上げます。

イン・マイ・ライフイン・マイ・ライフ
(2014/06/11)
ジュディ・コリンズ

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 ジュディ・コリンズといえば、「Both Sides Now」や「Amazing Grace」などが有名ですが、そうした歌は彼女のある一面。ジュディは両面どころか様々な魅力を持ち合わせたアーティストです。

 ジュディ・コリンズは1939年5月1日にワシントン州シアトルに生まれました。シアトルはアメリカ西海岸有数の沿岸都市であり、イチロー選手がメジャー・リーグで最初に在籍したシアトル・マリナーズの本拠地として、またアマゾン、スターバックス、タリーズコーヒーの開業の地として日本でもよく知られています。
 1年を通して比較的温暖な気候に恵まれ、「エメラルド・シティー」という愛称で呼ばれるほど水と緑に囲まれた美しい町並みを持つシアトルですが、ジュディは幼少の頃に歌手だった父親の仕事の関係でカリフォルニア州ロサンゼルスに移住。9歳になるとコロラド州デンヴァーに引っ越しました。
 父親が歌手だったこともあり、幼き頃より音楽的な環境の恩恵を受けていたジュディ。4歳でクラシック・ピアノを習い始め、13歳になると演奏会で腕前を披露するほどになりました。やがて思春期を迎えたジュディはフォーク・ソングに心を奪われ、ギターの奏法を独学で習得。父親がラジオ番組のDJを担当していたことから多くのミュージシャンと知り合い、彼らを通してウディ・ガスリーやピート・シーガーらに興味を抱くようになって行ったのです。その一方でピーター・テイラーと高校時代から愛を育み、彼がコロラド大学に進学したためジュディも同行し、コロラド州ボルダーにて一緒に暮らし始めました。1959年には長男が誕生しています。
 ボルダーはデンヴァーから40キロほど北西に位置し、ロッキー山脈に囲まれた自然豊かな都市。コロラド大学ボルダー校がある大学の街でもあり、数件の音楽演奏を聴かせるクラブが営業していました。
 ジュディはその中のマイケルズというクラブのオーナーから依頼を受け、主婦業の傍ら生活費の足しにしようと弾き語りを始めます。学生街のクラブとはいえアマチュアに声が掛かるのはいささか珍しい話ですが、父親が歌手兼DJであることや彼女のピアノ奏者としての実績を見込まれてのことだったのでしょう。
 ジュディのライヴ・パフォーマンスは評判となり、ほどなくデンヴァーのライヴ・ハウス、エクソダスで、ボブ・ギブソンの前座を務めることに。さらには後にボブ・ディランのマネージャーとなるアルバート・グロスマンが経営する名門ライヴ・ハウス、ゲート・オブ・ホーンから6週間の出演依頼を受けました。そして1960年6月、コロラド大学を卒業した夫のピーターがニューヨークにほど近いコネティカット大学に教職を得たことから一家はその地に居を構え、ジュディはグリニッチ・ヴィレッジのライヴ・ハウスにまで演奏活動を広げて行くようになったのです。
 そうこうするうち、ジュディは懇意になっていたボブ・ギブソンからエレクトラ・レコードの社長であるジャック・ホルツマンを紹介されました。ギブソンはジョーン・バエズをヴァンガード・レコードに紹介した経歴があり、バエズの成功を傍らで見ていたホルツマンも対抗馬となる才色兼備のシンガーを探していたのです。ジュディの澄んだ歌声に魅了されたホルツマンは、ジュディを必ずスターダムへと押し上げられると確信してレコードの制作をオファー。1961年6月、正式にエレクトラ・レコードとの契約に至りました。
 同年11月、ジュディ・コリンズのファースト・アルバムである『A Maid 0f Constant Sorrow』、翌62年には『Golden Apples Of the Sun』をリリース。この2枚のアルバムはジュディのレパートリーでもあったトラディショナルを中心に選曲されており、アコースティックなサウンドを基本として大幅なアレンジを行うことなく、彼女の歌声の魅力を際立たせるといった手法が取られていたようです。
 1964年発表のサード・アルバム『Judy Collins 3』になると、それまでのトラディショナル中心から趣をことにし、ボブ・ディラン、ピート・シーガー、ウディ・ガスリーらの楽曲を取り上げ、自らの感性による解釈で歌い上げるようになりました。同年のライヴ・アルバム『The Judy Collins Concert』を挟み、5枚目となる『Fifth Album』ではディラン、フィル・オクス、エリック・アンダーセン、ゴードン・ライトフット、リチャード・ファリーニャらの楽曲が並び、サード・アルバムからの手法を拡充する路線を続けて行ったのです。
 着々とスターダムへと駆け上がるジュディ。しかし、当初は彼女の活動に協力的だったピーターとの間にすきま風が吹くようになったのか、離婚という現実が待ち構えていました。成功の代償は大きかったようです。
 
 今回の記事のお題となるアルバム『In My Life』は1966年に、ジュディ・コリンズの6枚目の作品としてリリースされました。アレンジャーに新進気鋭のジョシュア・リフキンを迎え、ジュディをさらなる新境地へと誘ったのです。リフキンは後に「J.S.バッハの時代、声楽曲は1パートを1人で歌っていた」との説を唱えてバッハ学者として知られるようになった人物ですが、スコット・ジョプリンのラグタイム音楽にも通じ、彼のピアノ演奏による『Piano Rags By Scott Vol.1』(1970)が、ジョージ・ロイ・ヒル監督の気に入るところとなり、ジョプリン作の「The Ebtertainer」が、映画『Sting』(1973年公開)のテーマ音楽として使用されました。
 さて、「新境地」と前述しましたが、このアルバムでは同時代のシンガー・ソング・ライターの作品を積極的に取り上げるとともに、ジャンルにとらわれることなく、少々意外な選曲がなされております。

 ヘルベルト・プレヒトが書いた戯曲に、クルト・ヴァイルが作曲を手掛けた音楽劇『Die Dreigroschenoper(邦題:三文オペラ)』(1928年8月31日初演)の劇中歌です。クルト・ヴァイルはドイツの作曲家ですが、ユダヤ系であることから活動に対してナチスの干渉を受け、パリを経て1935年にアメリカに移住。ブロードウェイのミュージカル『Lady In The Dark』(1941)、『One Touch Of Venus』(1943)、『Love Life』(1948)などの音楽を手掛けて成功を収めました。
 レナード・コーエン、ドアーズ、トム・ウェイツなどロック・アーティストの中にも彼の音楽の影響を受けた人は枚挙に暇がありません。トム・ウェイツ、ヴァン・ダイク・パークス、マリアンヌ・フェイスフル、トッド・ラングレン、スティングらが参加したクルト・ヴァイルへのトリュビュート・アルバムもリリースされていました。

Music of Kurt WeillMusic of Kurt Weill
(1994/03/18)
Various Artists

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PIRATE JENNY
なあ旦那
床を磨いている私を見てるがいいよ
あんたが遊び呆けている間
私はこうして床を磨いてるんだよ
前にあんたがチップをくれてからだったか
このひなびた海辺の古ぼけた安ホテルで
あんたはご名士さん気取り
でもあんた、いま誰と話してるか分かんないだろう
いま誰があんたに話しかけてるのかなんて

ある晩、突然悲鳴が上がり
あんたは「いったい何の騒ぎだ」と大声で叫ぶ
そして床を磨きながらにやにやしている私を見て
「何であの女はにやついてるんだ」と言うのさ

ドクロをマストの先につけた
黒い貨物船がもうすくやって来る

それからあんたら男どもはこう言うんだよね
「おい女、床掃除が終わったら上にあがれ、
寝床を整えろ、給料の分ぐらいは働けよ」
そして私にチップを投げてよこし、外の船を見る
でも床を整えている間に
私が数えるのはあんたらの頭
だって今夜ここで誰も寝ることはない
誰ひとりとしてここで寝ることはないだろうから

その夜、ドカンと大きな音がして
あんたは叫ぶ「いったい何の騒ぎだ」と
そして窓の外をじっと見つめる私を見つけてこう言うのさ
「いったい何を見ていやがるんだ」

黒い貨物船は港でくるりと向きを変え
船首から大砲を撃って来る

そしたらあんたらの顔からも笑いが消えるだろうよ
この街の建物、倒壊した建物
鬱陶しい場所全体が崩れ落ちるのさ
でも、この安ホテルだけは難を逃れ
あんたらは「何であれだけ無事なんだ」と不思議に思う
「奴らはなんであれだけ残しておくんだ」と不思議に思う

世を徹しての騒音と混乱の中で
いったい誰があの上に住んでいるのだろうと
あんたらは考えるだろう
そして翌朝には目にするのさ
髪にリボンをつけて出掛ける粋な私の姿を

黒い貨物船が旗をマストの先にするすると揚げると
歓声があたりに響き渡る

正午近くになると
埠頭はあの幽霊貨物船から出て来た男どもが群がる
奴らは影に隠れて動くので
誰にも見えない
そして奴らを鎖で縛り上げると
私のところに連れて来てこう言うんだ
「今やっちゃいましょうか、それとも後にしますか」
「今やっちゃいましょうか、それとも後にしますか」

時計が正午を指しても
埠頭に動きはない
遠くから汽笛の音が聞こえるだろう
静まりかえった中で、私はこう言うのさ
「今やっちまいな」
次々と積み上げられる死体の山
私は言うのさ
「これで分かったかい」

黒い貨物船は海へと消えて行く
そしてその上にいるのは私なのさ

 さらに悪女の雰囲気が漂うマリアンヌ・フェイスフルのヴァージョン。1996年の『20th Century Blues』に収録。


 1931年にG・W・パプスト監督で映画化された時は、クルト・ヴァイル夫人のロッテ・レーニャが歌っていました。


 1964年4月29日にベルリン・シラー劇場で初演された戯曲、『Die Verfolgung und Ermordung Jean Paul Marats dargestellt durch die Schauspielgruppe des Hospizes zu Charenton unter Anleitung des Herrn de Sade (邦題:マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院患者たちによって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺)』の劇中歌である「Marat/Sade」。フランス革命期の過激な共和主義者であるジャン・ポール・マラーがシャルロット・コルデーに刺殺された事件を、精神病院でマルキ・ド・サド侯爵が患者たちを使って上演するという設定のミュージカルです。1966年にはニューヨークのブロードウェイでも上演。1967年にはピーター・ブルック監督のもとイギリスで、『The Persecution and Assassination of Jean-Paul Marat as Performed by the Inmates of the Asylum of Charenton Under the Direction of the Marquis de Sade』というタイトルで映画化されていました。



MARAT/SAD
革命が起き
王が処刑されてから4年
4年が経った今でも
廷臣たちが最後の誓いを行ったのを憶えている

貴族はすべて吊るしてしまえ
司祭も追い出せ
そして奴らの蓄えを食いつぶせ

我らが戦いを始めてから4年
マラーはまだ書き続けている
バスティーユが陥落してから4年
彼は今でも戦いの雄叫びを思い出す

支配階級を倒せ
将軍たちを叩き出せ

なぜ奴らは金を独占するのか
なぜ奴らは権力を握っているのか
なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜなんだ
なぜ奴らには上流階級の友人たちがいて
どうして高級な仕事に就いているのか

私たちには何もない、あったためしがない
あるのはたくさんの穴ぼこだけ
穴ぐらで寝起きをして
穴ぐらで生涯を終える
腹にも服にも
穴があいている

マラー、私たちは貧しいのだ
貧乏人はいつまでたっても貧乏人のまま
マラー、わたしたちをもうこれ以上待たせないで
私たちは自分たちの権利が欲しい
そのためなら革命もいとわない
さあ

4年間、彼は戦った、恐れることなく
裏切り者をひとりずつ嗅ぎ分けながら
マラーは法定で
マラーは地下で
時おりカワウソになり、時おり猟犬になる

良家の人たちと戦い、聖職者とも戦う
ビジネスマンともブルジョワとも軍畜とも
マラーはいつでも
体制派の息の根を止める準備が出来ている

我らは新しいリーダーとなる将軍たちを迎えてみたものの
彼らは座って議論するだけで
そしてすることといえば
仲間を売ったり利用すること
人々を牢屋にぶちこむこと
人々を打ち負かすこと
斧で斬りつけること
誰も理解できないような言葉づかいで
我々が血を流してつかみ取った権利を叫ぶ
我々が支配者を一掃し
獄中へと放り込んだ時
あなたは我々の誰よりも長生きすると言った

哀れな老人マラーは捕えられた
刑事たちが街中を嗅ぎ回っている
あなたの印刷機が壊されたのはつい昨日のこと
いま、あなたの住所を刑事たちに聞かれた

哀れな老人マラーを我々は信じている
あなたはその目が赤く錆び付くまで働く
でもあなたが自分の軌跡を書いている間に
靴音が階段を駆け上がり
ドアが勢いよく開けられる

哀れな老人マラーを我々は信じている
あなたはその目が赤く錆び付くまで働く
哀れな老人マラー、信じているわ

 力強く歌う2曲の後のビートルズ・ナンバー、「In My Life」には心が和み、癒されます。


IN MY LIFE
我が人世において忘れられない場所がある
変わってしまった場所もあるけれど
いつまでも残るところもあれば悪くなってしまったところもある
失われた場所もあればそのままの場所もある
こうした場所にはすべて恋人や友達がいて
それなりの想い出の瞬間があり
私は今でも思い出せる
死んだ人もいれば相変わらず元気な人もいる
我が人生において、愛してきた人々だ

でもそうした友達や恋人の中でも
あなたと比べられる人なんていない
何か新たな気持ちで物事を考えると
数々のこうした想い出も色褪せてしまう気がする
だけど過ぎ去った人々や事物への愛情は
これからも決して消えることはない
何度も立ち止まって思い返し
私の人世であなたが最愛の人だって気づくのだ

だけど過ぎ去った人々や事物への愛情は
これからも決して消えることはない

私の人世において、あなたはかけがえのない人

 1966年のテレビ・ショーでのライヴ映像です。


 ザ・ビートルズのオリジナル・ヴァージョンは1965年12月3日に発表されたアルバム、『Rubber Soul』に収録。


 トラディショナルを澄んだ声で歌う清純派からの脱皮。選曲の意外性による知的な印象。豊かな表現力。ジュディ・コリンズのアルバム『In My Life』はそうした要素が盛り込まれた新たな転機となった作品であり、オリジナリティーを出しながらも収録された楽曲を昇華し、その後の彼女の進む方向を決定づけたと言っても過言ではないでしょう。

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