それでは楽曲を何曲か紹介します。まず、「Surrender To Me」。ロジャー・マッギンのバンドのメンバーだったリック・ヴィトーの作品ですが、マナサスに通じるようなアーシーでいて洗練されたラテン・ロック調の雰囲気を醸し出していました。お世話になったかつてのボスへの恩返しとしてヴィトーが提供したのか、それともロジャーが子分だった男のために気を利かせたのかよく分かりませんが、軽やかなタッチのアレンジとクリス・ヒルマンの力まずリラックスした歌声が印象的です。
SURRENDER TO ME おまえは俺のところに戻って来るんだな 何度も何度も きっと俺のことを愛したいんだろうが おまえはいつそうしてくれるのか言ってくれない どうしたらいいんだ 恋い焦がれるこの思いを ふたりの愛が始まるのを待ちながら
ザ・バーズはメンバーの入れ替わりが激しいバンドでした。音楽性の違い、金銭問題、素行の悪さなど理由は様々でしょう。しかし、脱退したからといって、「もう君とは絶好や。顔も見たないし、こんりんざい口もきかへんで」というわけではなく、それなりにメンバー間の関係が保たれていました。前回扱ったジーン・クラークのファースト・ソロ・アルバムにはクリス・ヒルマンとマイケル・クラークが駆けつけておりましたが、ジーンもクリスが結成したフライング・ブリトー・ブラザーズとともに「Here Tonight」という自作の曲を録音。また、1973年にアサイラム・レコードの創設者であるデヴィッド・ゲフィンの仲介によってバーズのオリジナル・メンバー5人が集結し、再結成アルバム『Byrds』(邦題『オリジナル・バーズ』)のリリースが実現しました。もっとも、それより3年も前の1970年、A&Mからリリースが予定されていたジーン・クラークのシングル制作のためにロジャー・マッギン以下オリジナル・メンバーが勢揃いし、「She's The Kind Of Girl」、翌71年には「One In A Hundred」の2曲をレコーディングしていたという事実があります。このこともオリジナル・メンバー間に良好な関係が続いていたことを窺わせる証左であると言えるでしょう。結局、この2曲はリリースされることなくお蔵入り。5人のオリジナル・メンバーが当時所属していたレコード会社が異なっていたことが見送られた原因とされていますが、1973年になってようやく前述の「Here Tonight」やソロ・アルバムを念頭にジーンが録音していた曲と合わせ、『Roadmaster』と名付けられたアルバムとして陽の目を見ることになります。
さて、オリジナル・メンバーによるアルバム『Byrds』のリリースから4年が経った1977年、ロジャー・マッギン、ジーン・クラーク、クリス・ヒルマンの3人に新しい展開が待ち構えていました。ロサンゼルスの老舗クラブであるトルヴァドールの20周年記念パーティに出席していたロジャー・マッギンがステージで歌っていた際、客席にいたジーン・クラークを呼び寄せ、バーズ時代の楽曲「Eight Miles High」を一緒に演奏。このセッションは好評を博し、ふたりはデュオを組んでツアーに出ることになりました。かつてロジャーとジーンが出会い、意気投合したトルヴァドール。奇しくも同じ場所からの再始動には感慨深いものがあったことでしょう。やがてクリス・ヒルマンが加わり、3人で精力的にライヴ活動を重ねて行きます。
3人は1977年、78年とアメリカ国内のみならずイギリスやオーストラリアでもライヴを行い、バンドとしての方向性を確かめながら力を蓄え、79年に満を持してアルバム『Mcguinn, Clark & Hillman』の発表に至ります。人生の酸いも甘いも嗅ぎ分けた三者三様の個性や音楽性が表現されていますが、ぶつかり合うのではなく巧みに融合され、豊潤で悠々とした雰囲気を醸し出していました。
それでは何曲か紹介して行きましょう。アルバムのオープニングを飾る「Long Long Time」。クリス・ヒルマンとリック・ロバーツの共作で、マナサスを彷彿させるラテン・ロック風味の曲です。ラヴ・ソングの体裁をとっていますが、まるで3人の再会を祝すかのようにも受け取れました。
LONG LONG TIME 昔と変わらぬように語りかけてくれよ 君があの頃していたみたいにね ほとんど忘れてしまった気分さ ずいぶんと時間が経っちまったようだな
ボブ・ディランを意識しているのか、難解な比喩と揶揄が込められた「So You Say You Lost Your Baby」。他人への忠告めいた体裁をとっていますが、自分への戒めが表されているのかもしれません。
SO YOU SAY YOU LOST YOUR BABY おまえは歯の浮くような台詞を並べ立てている 逃げて行くあの女を捕まえろよ おまえは「簡単に行くことは何もない」と言うが おまえのいるところなんてベニヤ板みたいなもんさ そして竹馬の内側に立って 判決の幕開きを見物しようっていうんだな それでおまえは言う、大切な女を失ってしまったと おまえはひとりぼっちだって分かっているのか 試練が風景の向こう側のここからあそこへと 動き回るのを見ようと立ったままでいる 悩み事なんか月の妖精のところへ投げちまえ 荒々しい夢のように覆い隠そうとして 無関心を装えよ そんな争いに巻き込まれると思ったなら 愛しのあの女を失ったと泣きごとを言うがよい それがおまえの人生なんだろうな
アルバム『Echoes』が不発に終わったもののCBSは起死回生のためのシングル発売を画策しました。A面をジーン・クラーク自作の「Only Colombe」、B面をイアン&シルヴィア作品のカヴァー「The French Girl」に決定し、レコーディングするも敢えなくお蔵入り。ジーンの死後に追悼盤として1991年5月に発売された企画盤『Echoes』にてようやく陽の目を見ました。 妖艶な魅力を持った女に手玉にされる様子が描かれた「The French Girl」。一夜限りの戯れは虚無感だけが漂いそうです。
こちらはイアン&シルヴィアのヴァージョンです。1966年リリースの『Play One More』に収録。
ジーン・クラークの持つ雰囲気は、昔で言うところのやさ男といったところでしょうか。甘いマスク、スリムな体型、朴訥で哀愁を帯びた歌声からもそんなイメージが受け取れます。また、ザ・バーズを最も早く脱退し、ソロに転向するも鳴かず飛ばず。その後、ディラード&クラークで一定の成功を得たり、ロジャー・マッギンやクリス・ヒルマンと組み、実質バーズ再結成とも言えるマッギン、クラーク&ヒルマンでの活動で再び脚光を得るも長続きせずに訣別。そんなジーンの行動からは孤独といった印象も窺えました。 ジーン・クラークが書いた失恋の歌は本人の経験によるものと推察されます。失恋の経験によって人は成長して行くものでしょう。さらに彼の失恋の歌には過去の栄光を失った空しさ、才能を評価されない不満、円滑な人間関係を築けない孤独感などが反映されているとも解釈できます。 1989年、ジーンの「Feel a Whole Lot Better」をカヴァーを収録したしトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズのアルバム『Full Moon Fever』が、全米3位、ノルウェーでは20週に渡りトップ20(最高位は2位)にランクされる大ヒットとなりました。当然ながらジーンのもとへも莫大な印税がもたらされることに。しかし、ジーンは酒とドラッグに溺れた生活を送り、せっかくの富を浪費してしまったのです。色男、金と力はなかりけりといったところなのでしょうか。 ジーン・クラークという人は感情の起伏が激しく、周囲にいてほしくないタイプの人間なのかもしれません。しかし、破天荒な生き方、精神面のもろさ、そうしたマイナス要素も含めた人生の機微が彼の書いた失恋の歌に託されていると読み取れました。