好きな音楽のことについて語りたいと思います。

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Gene Clark - Gene Clark With Gosdin Brothers

 前回、前々回とクリス・ヒルマンを2回に分けて取り上げたので、今回は彼のかつての同僚であるジーン・クラークに登場をお願いいたしました。お題は、『Gene Clark With Gosdin Brothers』。ジーン・クラークが、ザ・バーズ脱退後の1968年に発表したファースト・ソロ・アルバムです。

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(2014/02/05)
ジーン・クラーク・ウィズ・ザ・ゴスディン・ブラザーズ

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 ジーン・クラークは1944年11月17日、ミズーリ州ティプトンに生まれ、両親が音楽好きだったことから幼き頃よりギター、ピアノ、バンジョー、マンドリンといった楽器に親しんで来ました。ハイスクールに入学するとアマチュア・バンドを組み、やがてはセミプロ級の実力をつけるほどになります。
 1963年、ジーン・クラークは「Green Green」、「This Land Is Your Land」、「Saturday Night」などのヒットで知られるニュー・クリスティ・ミンストレルズにスカウトされ、プロとしての第一歩を踏み出しました。ニュー・クリスティ・ミンストレルズはジェリー・イエスター(MFQ、ラヴィン・スプーンフル)、バリー・マクガイア(「Green Green」の作者。P.F.スローン作の「Eve Of Destruction」で1965年に全米第1位を獲得)、ケニー・ロジャース(カントリー界の大御所。ライオネル・リッチー作の1980年の「Lady」が全米1位)、キム・カーンズ(1981年の「Bette Davis Eyes」が9週連続全米第1位)などを排出したフォーク・グループです。しかし、メンバーの入れ替わりが激しく、マクガイアの後釜との期待を受けて入団したジーンも翌64年には脱退してしまいました。
 ジーン・クラークがミンストレルズを脱退した理由はラジオで聴いたビートルズの歌に大きな衝撃を受けたからとのこと。あまりにも衝動的で、せっかく入った有名グループのメンバーとしての地位を自ら棒に振ることになるのですが、本人としては「これからはフォークではなくロックの時代や。こんなことしてられへん」との思いが強かったのでしょう。「きっと俺と同じことを思てる同年代のミュージシャンがいるはずや」との確信を胸に秘めながら、ロサンゼルスのクラブで歌うといった日々を送ります。
 ジーンの熱い思いが実現する機会はすぐにやって来ました。ある日、トルバドールというクラブで、12弦のアコースティック・ギターで、ビートルズ・ソングの弾き語りをする若い男のステージに遭遇。ジーンは彼のパフォーマンス終了後に声をかけ、ふたりはすっかり意気投合。たちまちデュオ結成に至りました。ジーンと組むことになったこの男の名はロジャー(当時はジム)・マッギン。チャド・ミッチェル・トリオ、ボビー・ダーリン、ジュディ・コリンズらのバック・ミュージシャンを務めた実力派です。彼もまた映画『A Hard Day's Night』を観て、ビートルズに感化されたひとりでした。
 トルバドールの外の階段のところを練習スタジオに見立て、ビートルズのナンバーを歌うジーンとマッギン。やがて、「君ら何や楽しそうにやっとるなあ、俺も仲間に入れてくれへんか」とばかりに、トルバドールの常連フォーク・シンガーとして活動していたデヴィッド・クロスビーが合流。彼らはザ・ジェット・セットというバンド名で活動を始めるのですが、マネージャーを買って出たジム・ディクソンのアドバイスによってリズム・セクションを加えることになり、クリス・ヒルマン(ベース)、マイケル・クラーク(ドラムス)が加入します。こうして5人編成のロック・バンドとなった彼らはビフィーターズと改名し、64年10月7日にエレクトラ・レコードよりシングル「Please Let Me Love」をリリース。幸先よいスタートを切るのですが、ワンショット契約だったために後を続けることが出来ませんでした。しかし、捨てる神あれば拾う神ありの如く、「モダン・ジャズの帝王」と称されるマイルス・デイヴィスの推薦によってその年の11月にCBSと契約。意外な人物の口利きでしたが、マネージャーのジム・ディクソンはジャズ・レーベルであるパシフィック・レコードのプロデューサーを務めた経験があり、ジャズ界にも人脈があったのでしょう。
 翌1965年4月11日、ザ・バーズと再び改名した彼らはボブ・ディランの曲をカヴァーしたシングル、「Mr. Tambourin Man」を発表。全米第1位を獲得し、一躍スターダムに躍り出ました。その余勢を駆って、6月21日にはファースト・アルバム『Mr. Tambourin e Man』をリリース。ジーン・クラークは美しいメロディーを持つ「Here Without You」、「I Knew I Want You」などのオリジナル作品を提供したものの、ロジャー・マッギンのリード・ヴォーカルでカヴァーされた「Mr. Tambourine Man」を始めとする4曲のディラン作品の印象が強い仕上がりになった感が否めませんでした。ちなみにジーン・クラークとロジャー・マッギンは「You Won't Have Cry」、「It's No Use」の2曲を共作。当時のふたりの関係は良好だったといえるでしょう。
 同年10月に発表された「Turn, Turn, Turn」が全米第1位に輝き、12月にはアルバム『Turn, Turn, Turn』をリリース。バンドは順風満帆で押しも押されぬ存在になろうとしていた矢先の翌65年、ジーン・クラークは突然バーズ脱退を表明します。表向きの理由は飛行機恐怖症でしたが、バンド内の主導権争いが一因となったのは疑いようのない事実でしょう。オリジナル作品の大半を書いていたのに、目立つのはロジャー・マッギンがリード・ヴォーカルを取る曲ばかり。さらに、ギタリストしてめきめき腕を上げて行くマッギンとデヴィッド・クロスビーの存在。そしてフォーク・ロックからインド音楽やジャズを取り込んで幅を広げようとするバンドの音楽性の変化。不満と不安がジーンの心の中で交錯し、葛藤した結果として脱退という決断を下したのかもしれません。また、バーズのレパートリーの大半がジーンの作品であったことから彼に多額の印税が入り、そのことで他のメンバーとの確執が生じたという話もありました。いやはやお金の問題が絡むと洋の東西を問わず、やっかいなことになるものですな。
 というわけで、ジーン・クラークはバーズを離れてしまいましたが、既に5人のメンバーでレコーディングを終えていたため、シングル「Eight Miles High」を5月にリリース。この曲はジーン、マッギン、クロスビーの3人による共作で、皮肉にもインド音楽やジャズの要素が融合されたサイケデリックな作品でした。
 その「Eight Miles High」が発売された翌月である1966年6月、ジーン・クラークは元モダン・フォーク・カルテットのチップ・ダグラス(ベース)らの手を借りてライヴを敢行。ハリッウッドにあるクラブ、ウィスキー・ア・ゴーゴーでパフォーマンスを披露し、健在ぶりを示しました。CBSは「ジーン・クラークはソロでもいけるで」と判断。すぐにソロ契約が結ばれたのです。
 1966年11月4日、シングル「Echoes」発表。翌67年には1月16日にはカントリーのフィールドで活躍するゴスディン・ブラザーズを従えたソロ・アルバム、『Gene Clark With Gosdin Brothers』をリリース。レコーディング・セッションにはグレン・キャンベル(ギター)、クラレンス・ホワイト(ギター)、ダグ・ディラード(バンジョー)、ヴァン・ダイク・パークス(キーボード)、レオン・ラッセル(ピアノ、ハープシコード)らに加え、バーズからもクリス・ヒルマンとマイケル・クラークのふたりがか駆けつけました。CBSの力の入れようが窺えます。
 そのようにCBSの期待を背負ってのソロ・デビューでしたが、セールスは不調に終わり、予定されていたセカンド・シングル、「Only Colombe c/w The French Girl」が発売中止の憂き目に。10月にバーズへ一旦復帰するもひと月も経たぬうちに飛行機恐怖症を理由にして再び脱退します。もうバーズには自分の居場所がないことを悟ったのでしょう。
 しかし、ここでも捨てる神あれば拾う神ありとはよく言ったもので、1968年2月、ジーンは三顧の礼でA&Mに迎えられ、7月にはファースト・ソロ・アルバムのレコーディングにも参加していたダグ・ディラードとディラード&クラークを結成。カントリー・ロック・サウンドをバックに、独自の歌の世界を繰り広げて行くのです。

 それでは『Gene Clark With Gosdin Brothers』から何曲か紹介して行きましょう。まず、表題曲となった「Echoes」。サイケデリック・サウンドを帯びたソフト・ロック調のアレンジが、いかにもカウンター・カルチャー華やかしきこの時代を象徴しています。少々難解な歌詞にボブ・ディランを意識したような歌い方にもそうした傾向が現れているのでしょう。それでも琴線に触れるメロディーはジーン・クラーク特有のもの。哀愁に満ち、諦観とやりきれなさが漂います。


ECHOES
君が再び目をやるその路上で
君が訪れた様々な場所で
あるいはどこに行こうとしているかを
自分に問いかけたその度に
周囲の壁が死んだように思えるかもしれないが
実際は君の声を壁ははね返していたのだ
そして君の頭の中にこだまする声も消えないだろう
君が建てた城の近くで
君がかなえた夢から覚め
吹きすさぶ逆風をすべて締め出すことが出来ない
そして今なお君はかつて馴染んでいた暮らしを見つけようと
いつも決まった場所の隙間から痕跡を探している

夜をぶらつくがよい
そして自信を持つがよい
現実の世界を過大視しようと
クリスタルに縁取られたガラスを通して
女王の踊りを見るがよい
彼女の目には映らない
とても多くのことがあると君は知りながら
今なお君は大切な望みを持ち続けている
彼女は自分が恋い焦がれたものを
守っているに違いないのだということを
今になって君は捜し出そうとしてきた
そして彼女の瞳に闇が被い
もう後戻りが出来ないのだと悟り
そして彼女があんなに欲しがっていた愛は
もはや口に出すことは出来ない

明かりが灯り 寒くなり始める
そのとき君の感覚は売りに出されるだろう
意味もない模倣をするオウムを観察する者たちのために
事実がまったく遠くへ
本来の自分を装うために
真実が裏切りと反逆と嘘になるかもしれないとしても
砂の上に城を建てなさい
近い将来に人々の命令で
王国が人々が盗んでいる純血であるとき
そして悪影響はいとも容易く広がる
探し求め、混乱するために
人々がお互いの感情を傷付け合うために協力するかのように

 期待されたジーン・クラークのソロ・アルバムはセールス的に失敗し、やがて市場から姿を消していく羽目に陥りました。1965年にザ・ビートルズが、アルバム『HELP!』でバック・オーウェンスの「Act Naturally」をカヴァーし、「I've Just Seen A Face」(レノン=マッカートニー作)のようにカントリー・ミュージックの要素を取り入れたオリジナル曲を発表していたのですが、カントリーは保守的、あるいは体制的であるというイメージが強かったのか、ロックのリスナーにとっては敬遠される音楽だったのかもしれません。しかし、ジーンの古巣であるバーズ、クロスビー、スティルス&ナッシュ、フライング・ブリトー・ブラザーズ、グレイトフル・デッド、ニュー・ライダーズ・オブ・ザ・パープル・セイジ、ポコ、ニッティ・グリッティ・ダート・バンド、そしてボブ・ディランやリンゴ・スターまでもがカントリー・サウンドにアプローチした独自のロック・ミュージックを作り出していく中、イーグルスがデビューし、リンダ・ロンシュタットが注目を浴び始めます。ようやくカントリー・ロックは受け入れられ、市民権を得る時代が到来したと言えるでしょう。このブームに便乗するかのように、CBSは『Gene Clark With Gosdin Brothers』リミックスして再発売することを画策。ジーンは幾つかの曲でヴォーカルを入れ直す作業を行ったのです。1972年、アルバムは『Early L.A.Sessions』のタイトルで再び世に出ました。

 こちらは再録された1972年版の「Echoes」。達観したわけではないのでしょうが、最初の録音よりも肩の力を抜いたような穏やかな歌い方をしています。


 失恋の痛手に打ちひしがれながらもまた新しい恋への希望を抱く、「Tried So Hard」。破れた恋を癒すかのような軽快なカントリー・ロック・サウンドを明日への活力としているのでしょうか。それでも未練は残るかのようです。
 ザ・バーズが、カントリー・ロックの先駆けとされる『Sweetheart Of Rodeo』を発表したのは1968年。その前年である67年に出したこのアルバムの中で、ジーン・クラークは来るべきトレンドを予測するかのように、カントリー・ミュージックの要素を取り入れていたと言っても過言ではないでしょう。


TRIED SO HARD
今朝、家路につく途中で
ふと立ち止まった
今度ばかりは帰ってもひとりに違いないと気がついたんだ
彼女はどこかへ行ってしまったんだよ
いきなりのことだぜ
彼女を喜ばせようとあんなに努力したのに
彼女はどうしても行かせてくれって言ったのだ

俺をずたずたに傷つけているにもかかわらず
似たようなことは前にもあった
初めてふられたわけじゃない
心底落ち込んでる場合ではないんだ
彼女を喜ばせようとあんなに尽くしたけれど
俺の知らない何かがもっとあるはずさ

こんな風にふたりの破局が訪れるなんて考えてもみなかった
すべてがうまくいくと思っていたんだ
俺にはまだ出来ることも言いたいこともあるよ
でも運命は変わらない、そう俺のせいだってよくわかってるのさ

だから俺はもう一度立ち止まって、過ぎ去った痛みを直視するんだ
前にも恋をした経験があるから、また素敵な恋が出来るんだ
彼女はどこかへ行ってしまったんだよ
いきなりのことだぜ
彼女を喜ばせようとあんなに努力したのに
彼女はどうしても行かせてくれって言ったのさ

 クリス・ヒルマンとグラム・パーソンズが、ザ・バーズを脱退して結成したカントリー・ロック・バンド、フライング・ブリトー・ブラザーズのヴァージョン。


 サンディ・デニーがリード・ヴォーカルを取るフェアポート・コンベンションのヴァージョンは1968年から69年にかけて行われたBBCラジオ・セッションを音源とする『Heyday』(年リリース)に収録。フェアポート・コンベンションはブリティッシュ・トラッドを基調としたグループですが、ウエスト・コースト・サウンドにも大きな影響を受けています。ことにバーズは彼らのお気に入りのバンドのひとつでした。


 こちらもフェアポート・コンベンションのメンバーだったイアン・マシューズによるヴァージョン。前述の録音ではサンディ・デニーの引き立て役に徹していましたが、自身のアルバムでは主役として繊細な歌声を披露。


 レッド・ツェッペリンのロバート・プラントが、ブルーグラス界のディーヴァと称されるアリソン・クラウスと組んで2007年にリリースしたアルバム『Raising Sand』の中に、ジーン・クラーク作品が2曲(ディラード&クラーク時代の「Through The Morning, Through The Night」と「Polly Come Home」)も収録されていました。ジーン・クラークは残念ながら1991年5月24日に他界しましたが、彼のことが僅かながらも再認識される時が訪れたようです。
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Chris Hillman - (Take Me In Your Lifeboat)

 桜の花の咲く頃は薄くぼんやりと曇った空模様の日が多いのですが、カリフォルニアを思わせるような青空の日にもソメイヨシノの淡桃色や枝垂れ桜の濃紅色が映え、都会の喧噪と昨今の世の中に起こる祭りのような騒動を暫し忘却の彼方へと押しやってくれそうです。そんな爽快感の中、今回もクリス・ヒルマンの『Slippin' Away』を取り上げることにしました。

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(2005/12/21)
クリス・ヒルマン

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 スティーヴン・スティルス作の「Witching Hour」。この曲はマナサス時代にレコーディングされておりましたが発表されることなく、クリス・ヒルマンのこのソロ・アルバムで陽の目を見ることとなりました。
 技能や力量があり、人生の酸いも甘いも嗅ぎ分けてきたものの怪しい影があり、安易に信用するには危険と思しき男の歌。ザ・ビートルズの「Nowhere Man」を少しばかり連想してしまいました。


WITCHING HOUR
みんなは理解に苦しんでいるようだ
奴はいったい誰で、単なる普通の人間なのか
天国気分を味わったことも地獄のような困難に陥ったこともある男
自分にも訳が分からぬほどの道を旅して来た奴さ

奴はやり方を知っているし、力量もある
伸ばせるだけ手を伸ばし、ひるむことはない
奴は塔を取り壊せと言い
丑三つ時には人々にその代償を支払わせるだろう

創造力が日ごとに膨らみ
いつの日か奴は書き留めたであろう物事を練り上げる
人々はそれを求めてやって来ては述べ
少なくとも自分ひとりではなく
他の誰かも同じようにやっていたのだと知る

奴はとても困惑し
自分が利用されていることを知る
奴を悪用するのは容易く
それで彼は傷つくのだ

夢見る者が新たな観点を持ってやって来て
闇の中に深く隠れた何かに目を向ける
創造力は眩しいほど鮮明で
奴のことを気に入る者もいれば
まやかしだという者もいる

 CS&Nの「Wooden Ships」を彷彿させるマナサスのヴァージョンです。リード・ヴォーカルはもちろん親方のスティーヴン・スティルス。スティルス節が炸裂するこの曲が、どうしてお蔵入りになったのか少々不可解に思えました。2009年にリリースされた未発表曲を中心とするアルバム、『Pieces』に収録。


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(2009/10/05)
Stephen Stills

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 美しいバラード曲、「Love Is The Sweetest Amnesty」。スティーリー・ダンのリード・ヴォーカルを務めたことのあるデヴィッド・パーマーとWha-Kooを結成し、1979年にはソロ・アルバム『Night Eyes』を発表したダニー・ドウマの作品です。
 恩赦(Amnesty)とは大袈裟な表現に思え、要するに自分の行為や言動を大目に見てくれと言いたいのではないかと受け取れました。例えば、「出来心で浮気をしてしまった。どうか許してくれ。水に流してくれ」と懇願している様子が目に浮かびます。甘く優しい雰囲気の曲ですが、勝手な男のご都合主義が窺えてなりません。また、仰々しく恩赦という言葉を使っているため、ラヴソングのみならず神への懺悔と赦免の意味も込められているとの解釈も出来るのかもしれませんが、それではあまりにも虫が良すぎます。と、そのように偉そうなことを言ってみても、所詮それが男の性なんでしょうねぇ。過去を振り返り、驕り高ぶらないよう自戒したいと思います。
 そんな雑念はともかくとして、スティーヴ・クロッパーのギターとクリス・ヒルマンを支えるようなハーブ・ペダーセンのハーモニーが味わい深く心に響きました。


LOVE IS THE SWEETEST AMNESTY
愛は優しき恩赦
空と海の間にある雲のように浮かぶ
君にそれを贈ろう
だから俺にもそんな特別な赦しをくれないか

いま、俺たちは会話を交わし、分かり合える
意見が合わないなら率直な態度でいよう
ふたりの愛を優しき恩赦にしよう

愛は優しき恩赦
ふたりがありのままでいられる活力からの賜り物
俺は君にそれを贈るよ
どうか俺にもその特別な赦しをくれないか
だから君が必要なんだ

俺と君の間には
愛情もあれば拒絶もある
ふたりの魂は神秘の中に包まれている
愛情をもってゆっくり話そうよ

ふたりの愛は最高に優しい赦しになり得るのさ
最高に優しき赦し、最高に優しき恩赦

 アルバムは自らのルーツに感謝を込めるかの如く、ゴスペル風味のブルーグラス、「(Take Me In Your Lifeboat)」で締めくくられています。旧約聖書の『創世記』(6章〜9章)に登場する「ノアの方舟物語」を題材としていると思われ、はしゃぎたくなるような曲調で演奏されているのとは裏腹に、非常に危機的な光景が描かれていました。


(TAKE ME IN YOUR)LIFE BOAT
荒れ狂う嵐に耐え得る
あなたの救命ボートに乗せてください
あなたの救命ボートに乗せてください
家に魂をもたらす
あなたの救命ボートに乗せてください
あなたの救命ボートに乗せてください

さあ、兄弟姉妹たちよ
眠ってはならない
夜も昼も祈りを捧げなさい
さもなくば深い眠りに陥るだろう
そう、父や母たちは一途に祈りを捧げている
ああ神よ、我々を
あなたの救命ボートに乗せてください

雲はとても重く垂れ込み
風は騒々しく吹きすさぶ
雷鳴は轟き
群衆に手招きする
彼らは船員仲間のためと
これまでなされた行いに祈りを捧げ
瀕死の水夫を
救命ボートに乗せる

 これまでリーダー格の片腕としてサポート役に徹して来たクリス・ヒルマン。初のリーダー・アルバムの制作には気負いもあったことでしょう。しかし、今回はラス・カンケル、リーランド・スクラー、ジョー・ララ、ハーブ・ペダーセン、アル・パーキンスといった旧知の面々にスティーヴ・クロッパー、ドナルド・ダック・ダンら御大たちのサポートを受け、ヒルマンの音楽性と人となりが巧みに表現されていたと言えます。ヒルマンは翌1977年にセカンド・アルバム、「Clear Sailin'」を発表。79年にはザ・バーズ時代の仲間だったロジャー・マッギン、ジーン・クラークらとマッギン、クラーク&ヒルマンを結成。来日公演も行いました。

Chris Hillman - SLIPPIN' AWAY

 咲き誇る桜に向かって時おり吹くそよ風が、花びらをはらはらと散らす光景に春を実感しています。そんな爽やかな気分に似合うのは、やはりウエスト・コースト・サウンド。前回はキュートなシスター・ケイトにご足労いただきましたが、今回は憎たらしいオヤジ、じゃなくて凛々しい男性に登場を願うことにしました。その方の名はクリス・ヒルマン。ザ・バーズやマナサスで活躍した御仁です。

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(2005/12/21)
クリス・ヒルマン

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 クリス・ヒルマンは1944年12月4日(11月17日説もあり)、カリフォルニア州ロサンゼルスに生まれました。幼き頃より家族の影響でカントリー・ミュージックに親しみ、学生時代にマンドリン奏者としてカントリー/ブルーグラスのフィールドで音楽活動を始めました。1961年にはラリー・マレイ、ケニー・ワーツらとスコッツヴィル・スクワイアレル・バーカーズを結成し、63年にアルバム『Blue Grass Favorites』を発表。その後、ワーツが脱退し、バーニー・レドンを加えて活動するもののバンドは解散し、ヒルマンはマレイと組んだグリーン・グラス・ボーイズ、ヴァーン&レックス・ゴスディン兄弟と結成したゴールデン・ステイト・ボーイズを経て、ヒルメンを旗揚げします。
 このままカントリー/ブルーグラスの分野で活動を続けて行くはずだったクリス・ヒルマンでしたが、レコーディングを担当した際のプロデューサーであるジム・ディクソンからベーシストとしてジェット・セットというロック・バンドへの加入要請を受け承諾。ロック・ミュージシャンとしての第一歩を踏み出すことになりました。ディクソンは後にザ・バーズを名乗ることになるジェット・セットのマネージメントもしていたのです。彼はリーダー格のロジャー・マッギン(当時の名はジム・マッギン)からベーシストを探すように依頼されていたようですが、マンドリン奏者であるヒルマンに白羽の矢を立てるとは不可解な人選に思えてなりません。しかし、その後のクリス・ヒルマンの活躍ぶりを鑑みると結果オーライと受け止めて良いでしょう。
 バーズではロジャー・マッギン、デヴィッド・クロスビー、ジーン・クラークの陰に隠れて地味なクリス・ヒルマンの存在でしたが、彼はベーシストとして腕を磨き、ソング・ライティングの才能も発揮して行くようになります。また、ジェリー・ゴフィン&キャロル・キング作の「Goin' Back」のレコーディングを嫌がったデヴィッド・クロスビーに解雇を言い渡す汚れ役も引き受けたり、ジャジーなサウンドを展開しようとしていたロジャー・マッギンの思惑に反してグラム・パーソンズを引き入れてカントリー・ロックのアルバム、『Sweetheart Of Rodeo』を制作したりと策士の面も垣間見せていました。
 その後、グラム・パーソンズとともにクリス・ヒルマンはザ・バーズを脱退。彼らはフライング・ブリトー・ブラザーズを結成し、カントリーとロックの融合を追求して行きます。ヒルマンはバーズ時代の同僚だったマイケル・クラーク(ドラムス)や旧知のバーニー・レドンを迎えてバンドの充実した運営に力を注ぎますが、素行不良を理由にグラムを解雇。その穴を埋めるべくリック・ロバーツをスカウトしてバンドを継続させるもののやがて解散へと向かいました。
 フライング・ブリトー解散後、クリス・ヒルマンはスティーヴン・スティルスのマナサスに参加し、彼の片腕として存分に技量を発揮。1973年のオリジナル・メンバーによるザ・バーズの再結成を経て、1974年にはJ.D.サウザーやポコのリッチー・フューレイらとともにサウザー・フューレイ・バンドを結成。ヒルマンは個性的なメンバーと渡り合う中で、ますますキャリアとスキルをブラッシュ・アップさせて行くのです。
 そんな彼が満を持して1976年に発表したのが、今回のお題となる『Slippin' Away』。カントリー/ブルー・グラスにこだわらず、ヴァラエティに富んだサウンドを醸し出し、彼独自の音楽性が表現されていました。

 アルバムのオープニングを飾る「Step On Out」。スワンプ・ロックを彷彿させるアーシーな雰囲気に少しばかり南国風の味わいを付けたような軽快な演奏をバックに、ユーモアに溢れた歌詞が興味深く心に響きます。自分の恋する女性が少々手に余る様子が描かれており、それでも別れられないのが男の性といったところなのかもしれません。


STEP ON OUT
俺が恋するあの女は虜になった男なんて相手にしない
彼女は他の女のために傷ついた男を残しておいてやるのだ
彼女は舞台裏の暗闇の中の閃光
彼女に手出しをする奴は俺が黙っちゃいない

彼女はこれまで見られるものはすべて見て来たらしい
そして体験したことがないことには聞き耳を立てて来た
だから秘密を隠しておけ
俺は心の内を率直に打ち明ける男
目がドアのところに張り付きっぱなしなのさ

外に繰り出そう 繰り出そう
この街中をダイム・ア・ダンスで
踏みつけるように歩くのさ
外へ繰り出そう 繰り出そう
ダンス・シューズ姿の彼女が新聞の第1面を飾る
センセーショナルな大スターのロマンスとして

俺が恋するあの女は人生を踊り続けているのさ
さしずめ彼女は歩道のヴァレリーナといったところだな
万事を楽々とやってのける
よくいるタイプのニューヨークの女性
プライドの高さが罪作りなんだよな

*ダイム・ア・ダンス(dime a dance)
 1920~1930年代に流行したタクシー・ダンス。1曲あたりの料金が決まっていたことからこの名前がついた。なお、タクシー・ダンスとはダンス・ホールやナイトクラブで、女性ダンサーが客にダンスを教えたりダンスの相手をすることである。

 ラス・カンケル、リー・スクラーらセクションのメンバーに加えて、マナサス時代の同僚であるジョー・ララ、ブッカーT&ザ・MG‘Sのスティーヴ・クロッパーらを起用した表題曲の「Slippin' Away」。ジャジーなサウンドを背景に、失った恋の物語が皮肉を交えて綴られています。ちょっとした気の緩みから取り返しのつかないことをしたのは男の方。「たまには君も肩の力を抜いて羽を伸ばしてみろよ」と宣っても言い訳にしかならないでしょう。


SLIPPIN' AWAY
みんなが俺たちの噂話をしている
俺たちの何がそんなに間違っていたのか、いったい何が
今のふたりを巡る1マイルほどの長さの取り沙汰
俺たちが一方通行に乗り入れたと分かった時
ふたりには困難な道だと気付いたのさ
簡単に理解出来ることだよ
君は道に接するように慎重に歩いてるのだから

もう手遅れさ
何が言えるのか
俺たちの愛が滑り落ちて行くのを感じるよ
そして心の内側で何かが
このままでいるのはバカだと言ってるんだ
君の愛するコイツは滑り落ちて行くのさ

昨年の夏、ふたりは一晩中外にいて
日が昇るまで語り明かした
そして君は俺を愛していると言った
すべてがうまく行くはずだったんだ
密かに楽しむことがあるって分かってるだろう
たまには羽を伸ばすべきだと君も分かっているはずさ
君は道に接するように慎重に歩いてるんだな 

滑り落ちて行くのさ
ああ、君を愛する者は滑り落ちて行くのさ

 しっとりとしたバラード曲、「Blue morning」。悲しい失恋の歌ですが、男という生き物はなかなか未練を断ち切れないものと実感しました。ドナルド・”ダック”・ダン、スティーヴ・クロッパーらブッカーT&ザ・MG’Sのおふたりが参加。


BLUE MORNING
道を走りながら
自分に人生の殆どを
感覚に頼って
しっかりとつかまって生きている
すぐそばの曲がり角まで来ている
夢をつかもうと追いかける
ふたりに残されたことはそれだけ
それが残されたすべてなのさ、この先も

憂鬱な朝
神よ、俺を打ちのめしてください
初めての試みで
あるペテン師が幸運を得たようだ
川のほとりの
冷たくじめじめした部屋の中で
人の人生の成り行きを眺めている
もしかしたらほんの少し早すぎるのかもしれない

君のもとを離れて
ずいぶんの時間が経った
分かってるよ
君への思いを断ち切るのは辛かった
誰が君の気持ちを変えたんだ
あの暗く寂しい夜
君が「あなたのものよ」と呼ぶのは誰のことなんだ

それでも太陽が昇り
雲が晴れたなら
新しい1日が輝き
そんな涙も拭ってくれるだろう
君が俺との関係が終わったと確信した時
恋という戦いに勝利した時
ぐっすりとお休み
誰でも夢を見るのは自由だから

早すぎる、早すぎるのかもしれない

 幾つものバンドを渡り歩き、ある時は汚れ役に徹し、ある時は片腕となってリーダー格のサポートを務めてきたクリス・ヒルマン。こうした経験によって、人生の酸いも甘いも噛み分けてきたことでしょう。このアルバムからは、そんな彼の人生の機微が滲み出ているような印象を受けました。

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