好きな音楽のことについて語りたいと思います。

Kate Taylor - Sister Kate

 ようやく春の息吹と陽光が体感できる日が訪れたようなので、今回はそうしたうららかな雰囲気によく似合う女性シンガーの歌声を取り上げることにしました。ご登場を願う方はシスター・ケイトことケイト・テイラー。彼女はJTことジェームズ・テイラーの妹さんです。


シスター・ケイトシスター・ケイト
(1998/03/25)
ケイト・テイラー

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しばらく廃盤状態でしたが、2010年にクリンク・レコードから再発しているようです。

シスター・ケイト

 ケイト・テイラーは1949年8月15日、ボストンにて誕生しました。以前にジェームズやリヴィングストン・テイラーを扱った際にも述べましたが、ケイトもまた両親の影響から幼き頃より音楽に親しみ、レイ・チャールズやアレサ・フランクリンなどのR&Bがお気に入りだったと聞きます。また、長兄のアレックス・テイラーがブルースやR&Bのレコードを収集していたからか、彼女はブルースも好んで歌っていたとのこと。ジェームズ・テイラー=フォーク・シンガーというイメージが付きまといがちなのですが、一家の音楽環境を鑑みれば、ルーツは黒人音楽であると言っても過言ではないでしょう。
 テイラー兄弟は繊細な人ばかりなのか、兄ジェームズ、弟リヴィングストン同様ケイトも情緒不安定に陥って治療施設に入院した経歴があります。しかし、音楽への情熱は失われることなく、ジェームズに同行していたロンドンでピーター・アッシャーに見初められてレコーディン契約が交わされることになりました。これは1968年のこと。ジェームズが、アップル・レコードからデビューする直前の出来事です。アッシャーは彼女から余程の才能を見いだしたのでしょう。
 アップル社内で混乱があり、ジェームズもアッシャーも同社から追い出されるという余波が災いしたのか、ケイトのデビュー・アルバムのレコーディングがロス・アンジェルスで開始されたのは1970年1月のこと。しかし、肝心のケイトが心身の不調を訴えて中断を余儀なくされ、彼女の具合が回復するその年の秋まで再開を待たなければなりませんでした。
 そんな紆余曲折があったものの、レコーディングには兄ジェームスを始め、キャロル・キング、リンダ・ロンシュタット、バーニー・レドン、ラス・カンケル、リー・スクラーなど錚々たる面々がケイトの船出を祝うように参加。キャロル・キングは、「Home Again」と「Where You Lead」の2曲、ジェームズも「You Can Close Your Eyes」、「Lo And Behold/Jesus Is Just All Right」の2曲を提供していました。なお、メドレーになっている Jesus Is Just All Right はアート・レイノルズ・シンガーでお馴染みのゴスペル曲で、ザ・バーズやドゥービー・ブラザーズなどのカヴァーでもよく知られています。
 
 それでは1971年2月にリリースされた『Sister Kate』から何曲か紹介して行きましょう。まず、マンフレッド・マンでリード・ヴォーカルを務めたマイク・ダボの作品、「Handbags And Gladrags」。


HANDBAGS AND GLADRAGS
盲目の男の人が通りを渡って
向こう側を目指そうとするのを見たことあるかしら?
若い女性が年を重ねて
花嫁修業をしようとしているのを見たことあるかしら?

あなたはどうなるの? 愛しい人よ
あなたのおじいちゃんが汗水流して働いてあなたに買ってあげた
ハンドバッグとよそ行きの服を
みんな奪い取られたなら

若かった頃の私は
ただただ、笑顔でいなければならないと思っていたわ
だから聞いて、ありとあらゆる流行のものを
買ってもらえた若い娘さんたち

いけてると思ってたら、もうはずれているだなんて
だからあれじゃなきゃ何の意味もないのよ
おじいちゃんが汗水流して働いて買ってあげた
ハンドバッグとよそ行きの服

あなたのために6ペンスの歌を歌ってあげるわ
ライ麦がいっぱい入った瓶(ウイスキー)を取って
24羽の黒ツグミを生地の中に入れ
パイにして焼いてしまいましょう

あなたが学校を休んだって聞いたわよ
それなら全部捨ててしまえばいいわ
おじいちゃんが汗水流して働いて買ってあげた
ハンドバッグとよそ行きの服なんて

 人生の酸いも甘いも噛み分けた年長の女性が、若い娘たちに向けて忠告を発する様子をユーモラスに描いた「Handbags And Gladrags」。背伸びをする娘たちへの老婆心といったところでしょうか。なお、「あなたのために6ペンスの歌を歌ってあげるわ」から始まるくだりは、『Mother Goose』からの引用です。元の詩のほうは「せっかく王様と女王様にパイを焼いたのに食されず、パイになった黒ツグミは腹いせに、庭で洗濯物を干していたお手伝いさんの鼻を引っ掻く」といった内容で終わっていました。マイク・ダボはウイスキーを大人の世界の象徴と表現しているのと同時に、「祖父の形見を大事にしないと罰が当たる」と言いたかったのかもしれません。

 ケイトに先んじること1年、1970年2月にロッド・スチュワートが、ソロ・アルバム『An Old Raincoat Won't Ever Let You Down』で取り上げていました。


 ファースト・リリースはコロシアムやアトミック・ルースターのリード・シンガーとして活躍したクリス・ファーロウのようで、1967年に全英33位を記録しました。


 作者であるマイク・ダボのセルフ・カヴァー・ヴァージョンは1970年7月リリースのソロ・アルバム、『D'Abo』に収録。男性が歌うと同じ歌でも当然ながらニュアンスが少々異なり、父親が、「流行はすぐに廃れる、おじいさんの形見を大切にせよ」と娘に説教しているような雰囲気に受け取れました。

 
 他にもチェイス(1971年の『Chase』に収録)、メアリー・コクラン(1992年の『Sentimental Killer』に収録)、ステレオフォニックス(2001年シングル盤で発表)、エンゲルベルト・フンパーディンク(2007年の『The Winding Road』に収録)など多くのアーティストによって歌い継がれています。

 兄であるジェームズ・テイラーの作品、「You Can Close Your Eyes」。「ああ、私がいなくなったらこの歌をうたってね」という歌詞はたんなる別れでなく、「死に行く運命」を悟っているように思えてなりません。


YOU CAN CLOSE YOUR EYES
太陽が確実に沈んで行く
月がゆっくりと昇る
ということはこの古き世界は今なおグルグルと回っているに違いない
そして私はあなたを愛している
だから瞳を閉じて
瞳を閉じてもいいのよ
大丈夫だから
私は愛の歌なんてまったく知らないし
もうブルースも歌えないの
だけどこの歌だったら歌えるわ
ああ、私がいなくなったらこの歌を歌ってね

まもなくその日がやって来るわ
ふたりがまた楽しく過ごせる日
そんな幸せを邪魔する人なんていないはず
あなたは好きなだけいてくれていいの

私がいなくなったら

 作者であるジェームズ・テイラーのヴァージョンは、『Sister Kate』より少々後の1970年5月に発表されたアルバム『Mud Slime Slim And The Blue Horizon』に収録されていました。ジェームズの優しい歌声からは精神を病んで入院した経験やアップルとの契約を打ち切られた挫折感から、「俺に残せるのは歌しかない」との悲壮感が垣間みれました。今回はライヴ・ヴァージョンをご覧ください。


 リンダ・ロンシュタットのヴァージョンは、1974年発表のアルバム『Heart Like A Wheel』に収録。


 JTの元妻であるカーリー・サイモンも2007年発表のアルバム、『Into White』 にてカヴァーしているのですが、YouTubeにはおふたりが仲睦まじかった頃の共演映像が残っていました。


 エルトン・ジョン&バーニー・トーピン共作の「Country Comfort」。故郷ののどかな田園風景の中に様々な人間模様が描かれています。


COUNTRY COMFORT
今にパインがそこら中に転がり落ちて
村の子供たちが我先にと取り分を拾って行く
6時9分の汽車がうなりをあげて川を渡り
牧師補佐のリーは来週の説教の準備をしている

昨日、私はあの店で祖母に会った
84歳にしては元気そう
いつか納屋を修理してくれと頼まれたわ
可哀相に農場の人手が足りないのね

骨にまで滲み渡る故郷の安らぎ
耳に馴染んだ優しすぎるほどの音
懐かしい気持ちでいっぱい
家路を辿るトラックの中で故郷の安らぎに思いを馳せる

井戸に置かれた新しい機械
親方が15人分の働きをするぞと言うと
ちょっと違うんじゃないのかとクレイじいさん
じいさんは死ぬまで馬方だと皆は分かっている

太った老いぼれのガチョウは枝から枝に飛ぶのが精一杯
ハリネズミはレンガに挟まれ泥まみれ
ロッキングチェアーはポーチでキーキーと軋んでいる
松明を手にした牧夫が、谷間を越えて行く

 エルトン・ジョンのヴァージョンは1970年10月リリースの『Tumbleweed Connection』。


 ロッド・スチュワートはエルトンよりも早くに1970年6月発表の『Gasoline Alley』で。
 

 こうして鳴り物入りで世に出た『Sister Kate』ですが、芳しいセールスを記録することなく市場から姿を消しました。力を貸した豪華メンバーたちの間にケイトの個性が埋没したわけではないのでしょうが、彼女の無垢な歌声と音楽に一途な感性は市井で受け入れ難かったようです。

 今回は動くケイト・テイラーの映像でお開きとしましょう。デビュー間もない頃のステージでのパフォーマンスのようです。 


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Roger McGuinn - I'm So Restless

 本年は大物アーティストの来日が続いており、2月にザ・ローリング・ストーンズ、そしてボブ・ディランが3月末にやって来ます。ミック・ジャガー70歳、キース・リチャーズ70歳、チャーリー・ワッツ72歳、ロン・ウッド66歳、そしてディランは73歳。老体に鞭打って・・・・・・もとい溌剌とした若さが漲る御大方にほとほと頭が下がりました。
 さて、今やレジェンドと形容される彼らのライヴ・パフォーマンスをこの目にしっかり焼き付けたいと誘惑に駆られるものの私の懐は常に痛みを伴った状態であり、ストーンズの高額チケットを手に入れることが叶わず、京都から東京に遠征する余裕もありません。また、ボブ・ディランの公演は彼のパフォーマンスが身近で体感できるスタンディング・スタイルが中心のライヴハウスで催され、あまり体の丈夫でない私にとっては懐の痛み以上に辛いものであり、参戦を見送らざるを得ませんでした。今回のストーンズの来日公演では1969年から1974年までギタリストを務め、ディランのアルバム『Infidels』(1983年発表)、『Empire Burlesque』(1985年)への参加や1984年のヨーロッパ公演でバック・アップ・メンバーとして活動した経歴のあるミック・テイラーもゲスト出演していただけに、本当に残念な気持ちで一杯です。
 というわけで、せめて御大たちへの気持ちをブログで表そうと思い、ボブ・ディランとミック・ジャガーのご両人に捧げられた歌を取り上げることにしました。その歌とは「I'm So Restless」。ザ・バーズのリーダーだったロジャー・マッギンが、1973年に発表したソロ・アルバムのオープニングを飾る曲です。ちなみにロジャー・マッギンは1942年7月13日生まれの71歳。彼もまた、人生の機微に通じた御仁と言えるでしょう。

ロジャー・マッギン(紙ジャケット仕様)ロジャー・マッギン(紙ジャケット仕様)
(2007/10/24)
ロジャー・マッギン

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I'M SO RESTLESS
ミスターD、私が農夫か牛飼いになって
田舎で暮らせとでも思われているのですか
早朝に起床し、雑用を片付け
面倒なことは鍵のかかったドアの後ろに隠し
自分の女と寝て暮らし、おもちゃのようなギターをかき鳴らす
ああ、あなたの言いたいことはよく分かりますし、それでも良いのですが
でも、ミスターD、私はじっとしていられないタチなんです

ミスターL、
気力が萎えた時
月に吠え、大声で叫べとでも言われるのですか
財産も何も失い
精神の具現と身体の健康に気を配るばかり
でも、私は今でもあのインディアン・トリップが心に焼き付いています
ああ、あなたの言いたいことは分かりますし、確かに思い当たる節がありますが
でも、ミスターL、私はじっとしていられないのです

ミスターJ、不良で、意地悪で、
人殺しさえ厭わない男になれとでもお思いなのですか
黒い蛇革の服を着て身をよじらせながらこそこそ歩き
ベッドを共にした女を支配する
おまえもそんな刺激的な快楽を味わってみればいいと言う
ああ、あなたの言いたいことはよく分かりますし、反論する気はありません。
でも、ミスターJ、私はじっとしていられない男なんです


 最初のヴァースはボブ・ディランについて歌われたもので、ディラン自身もハーモニカで参加しています。
 早朝に起きて雑用を片付けるといった規則正しい生活はロック・ミュージシャンとしては似つかわしくない印象を受けますが、「アーミッシュの農夫」と揶揄されたことのあるディランのこと、私生活では意外とそのような暮らしを実践していたのかもしれません。また、のんびりとギターを弾きながら毎日を過ごすといったことからは、マッギンがカヴァーした「You Ain't Go Nowhere」、「Lay Lady Lay」といったディランの楽曲の雰囲気が嗅ぎ取れました。
 なお、ディランは両親がユダヤ人であるにもかかわらず、彼がデビューした当時、「俺はイタリア系移民の子孫で、カウボーイの息子だ」と名乗っていたという逸話が残っています。1960年代のアメリカではユダヤ人差別がまだまだ厳しく、そのように身分を偽らざるを得なかったのでしょう。また、世に出るためにディラン自身が創作したほら話だったのかもしれません。
 次のヴァースにお出ましの方はジョン・レノンと言われております。気力が萎えた(I'm losing my grip)という箇所はレノン作の「Jealous Guy」の一節である「コントロールが利かなくなり始めた」(I began to lose control)に因んだものであろうと思われ、財産も何も失いといったところは「Imagine」を想起させます。また、「インディアン・トリップ」とはLSD体験のことを指すのでしょう。レノンとマッギンは俳優のピーター・フォンダとともにLSDを服用し、その際に交わされた会話をもとに「She Said She Said」(1966年発表の『revolver』に収録)が作られたという話を耳にしたことがありました。
 最後のヴァースに控えしは、諸説いろいろ取り沙汰されたもののミック・ジャガーであろうと推察されています。黒い蛇皮の服を着て身をよじらせながらこそこそ歩くといった描写は、ステージで腰をくねらすように踊るジャガーのパフォーマンスを彷彿させますし、ベッドをともにした女を支配するといった様は1966年にリリースされた「under my thumb」(『Aftermath』収録)を連想させます。

 ロジャー・マッギンはこのように3人のロック・スターをリスペクトしながらも、生き方を模倣することなく独自の道を歩もうとの強い意志を窺わせていました。オリジナル・メンバーとしてただひとり残って牽引し続けたバーズを解散し、ソロ・アーティストとして再出発するのには先行きの不安があったことでしょう。この歌はそうしたマッギンの決意が示されていたと言えます。

 アルバムに収録された他の楽曲に目を移すと、バーズのオリジナル・メンバーが集結したジャジーな「My New Woman」、ブルース・ジョンストンをゲストに招いたサーフィン・サウンド風の「Draggin'」、カントリー・ロック調の「Time Cube」、サルサを取り入れた「M' Linda」、カーラ・ボノフのヴァージョンでお馴染みのトラディショナル曲、「Water Is Wide」といった多種多彩な試みがなされ、ロジャー・マッギンというアーティストの才能が溢れ出た1枚でした。
 発売当時の日本での反応を思い返すと、音楽評論家の小倉エージ先生は『ニュー・ミュージック・マガジン』(1973年10月号)にて、「ロジャー・マッギン、そしてザ・バーズを知るには必携の1枚」との趣旨の論評をされていましたが、ミュージシャンの中川五郎さんは『ライトミュージック』(1973年11月号)において、「ロジャー・マッギンのアレンジのセンスが年々悪くなっている」と酷評されていました。中川さんも決して悪気はなく、マッギンへの応援の意思を込めての「喝」だったのでしょう。その論評の最後は、「まるでディランの『アイム・ソー・レストレス』(このレコーディングにはディランも参加)。そして子供たちのコーラスを使ったスプーナー・オールダムとダン・ペンの作品『ストーン』がぼくは気に入った。ドラムスの音取りなど不満はあるけど、味のあるホーボー・ソングだ」とさすがにミュージシャンらしい的確なお言葉で締めくくられていました。

 それでは作者のオールダム自身が、オルガンとピアノを担当した「Stone」で今回はお開きとします。この曲は新たな人生の第一歩を踏み出そうとするストーンという男の物語です。独り立ちしようとするロジャー・マッギンは、自らの心情と相通ずるものを憶えて選曲したのでしょう。



STONE(THE ROAD LOVES A ROLLING STONE)
神は転がり続ける石のように
変化を恐れず前向きに進んで行く者を愛す
危険な場所の周囲へは人々の手を引いて導き
目的地に進めるように手助けする

彼は多くを望まない
危険の中に僅かの希望があるならば
犠牲を払うことも厭わない

自由への行進を続ける者は
その目で自分の思いを伝える
対話はかけがえのないもの

見通しの良い公道で
彼は合図してトラックを止めた
戦前派のマックが拾ってくれて
ストーンは隣席に乗り込んだ

おんぼろトラックの旅は楽しかった
けたたましく唸るような音を立てて車は走った。
インディアナ州のサウスベンドの十字路で
ストーンは車を降りた
ドライヴァーに別れを告げ
初めての道を歩き始めた