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Jackson Browne - The Barricades Of Heaven

 前回で取り上げたジャクソン・ブラウンの「Off Of Wonderland」のライヴ映像が、「The Barricades Of Heaven」を演奏し始めようとするところで終わっていました。そこで、今回はその「The Barricades Of Heaven」をお題とします。

ルッキング・イーストルッキング・イースト
(1996/03/10)
ジャクソン・ブラウン

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THE BARRICADES OF HEAVEN
海岸沿いのこの町を駆け回っていた
俺は16歳、孤独だった
一体全体何のためにブレーキがあるのか誰にも説明できなかった
俺はただ、自分の歌を聴こうとしていたのだ

ジミーは彼一流の素敵なサウンドを見つけ出し
賞品のギターをただでせしめた
俺たちはバンに乗り込んで演奏していた
ザ・パラドックスにザ・ベアー
それにザ・ルージュ・エ・ノーアルといったクラブ
そしてL.A.に続く長く伸びた道が人世のすべてになっていった

ページがめくられ
夜の真っただ中に俺たちの心が放り出され
人世とは何かを学んでいた年月のページへと
君自身をあがなうものを持って来た方がよい
俺が生まれたバリケードのところへ君が来る時は

あの丘の上からすべての世界が輝いていた
頭上の星も眼下の街の灯りも
自分の運や決意をそこで試そうとする者たち
結果がどうなったかなんてとっくの昔に忘れたよ

夜にふと子供時代に帰ることがある
友達の声が聞こえ
君の顔から光を浴び
このまま終わらなければよいと望む

ページがめくられ
引き裂かれたページ、焼け焦げたページ
色褪せたページが、太陽の光を浴びて開かれている
君自身をあがなうものを持って来た方がよい
俺が生まれたバリケードのところへ君が来る時は

 人世を振り返る自伝的な、「The Barricades Of Heaven」。若き日々の回想はジャクソン・ブラウンが抱えるテーマのひとつです。前回で取り上げた、「Off Of Wonderland」では彼の理想主義や問題提起が描かれていましたが、この曲には多感な時期の感性が喪失されないようにとの願いが込められていました。
 ザ・パラドックス、ザ・ベアー、ザ・ルージュ・エ・ノーアルとはロサンゼルス郊外のミュージック・クラブの名前です。ジャクソン・ブラウンは高校生にしてパラドックスを始めとするクラブのステージに立ち始め、ミュージシャンを志す同年代の人々と交流を深めて行きました。1966年初頭、17歳のジャクソンはジミー・ファッデンやジェフ・ハナのいるニッティ・グリッティ・ダート・バンドに加入。彼らのラグタイムとロックを融合した特異なサウンドやバンドで演奏する楽しみに興味を惹かれたのでしょう。間もなくバンドはパラドックスのコンテストに優勝し、知名度を上げました。こうしたいきさつから、歌詞の中に出て来るジミーとはジミー・ファッデンのことと推測されます。
 その年の夏、高校を卒業したジャクソン・ブラウンはバンドを脱退。ミュージシャンとしての自信をつけたジャクソンは、ソロとして活動して行く決心を固めたのです。
 なお、「The Barricades Of Heaven」は何を隠喩しているのかよく分かりません。ジャクソン・ブラウンの作品には聖書からの影響が多く見受けられるので、ここでも何か引用しているのでしょうか。
 ジャクソン・ブラウンに限らず、聖書は欧米人の日常生活に浸透していると聞きます。ヴィクトル・ユーゴー原作の『レ・ミゼラブル』(Les Misérables)に基づくミュージカルのフィナーレで歌われた歌詞には、「人々は神の庭において再び自由に生きるだろう/鋤の後ろを歩き/剣を捨て去り/鎖は切れて/すべての人々が報酬を得るだろう」とイザヤ書2:4からの引用がなされ、続いて、「改革運動に加わらないか/我とともに強い心を持ち、立ち上がらんことを/バリケードの向こうに君たちが見たかった世界があるのか/人々が歌うのが聴こえるか/なあ、遠くのドラムの音が聴こえるか/人々がもたらすのは未来/そのとき明日がやって来る」と歌われていました。ジャクソン・ブラウンが「レ・ミゼラブル」を参考にしたかどうか分かりませんが、ここでのバリケードの意味と共通するものがあるような気がします。

 それでは、ライヴ・パフォーマンスを幾つか紹介しましょう。まず、2005年にリリースされたライヴ・アルバム『Solo Acoustic Vol.1』に収録されていたヴァージョンです。


ジャクソン・ブラウン-ソロ・アコースティック第一集ジャクソン・ブラウン-ソロ・アコースティック第一集
(2005/10/26)
ジャクソン・ブラウン

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 2006年に開催されたフェラルディルフィア・フォーク・フェスティヴァルに出演した時の映像。デヴィッド・リンドレーの哀愁を帯びたフィドルの音色が、この歌の切なさとひとすじの希望を印象づけているかのようです。髭を蓄えたジャクソン・ブラウンの容貌は、ウォルト・ホイットマンやアレン・ギンズバーグを彷彿させました。

 
 2007年にTVショーに出演した際のソロ・パフォーマンスのようです。


 こちらも1997年にスペインのTVショーに出演した際の映像と思われます。


 マーク・ゴールデンバーグらお馴染みの面々を率いて、2009年にニュー・ハンプシャー州で公演を行った際の映像と思われます。


 2010年にグラストンベリー・フェスティヴァルに出演した際の映像です。

 
 2011年にスペインのサンセバスティアンにおけるライヴ・パフォーマンスのようです。バンドのメンバーがいつもと違うようで、マーク・ゴールデンバーグらの姿がありません。

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Jackson Browne - Off Of Wonderland

 前回で取り上げたダニー・オキーフの記事の中で、ジャクソン・ブラウンについても触れました。そこで、今回は彼に登場していただくことにしました。お題は「Off Of Wonderland」。2008年にリリースされたアルバム、『Time The Conqueror』に収録されていた曲です。

Time the Conqueror (Dig)Time the Conqueror (Dig)
(2008/10/04)
Jackson Browne

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OFF OF WONDERLAND
俺にとっては気楽なことだった
自分の木に高く登り
理想郷で平穏に暮らし
無名のバンドと衣食住をともにし
そこでエヴリマンを待つことが 

風の中に変化の兆しがあった
いたるところで愛が溢れていた
理想郷で平穏に暮らし
禁じられたものに少しばかり手を出し
計画の無い人世を見つめる

俺たちは愛を信じていたのではなかったのか?
与えることを信じていたのではなかったのか?
自分たちの道を見つけるために
愛とともに進むべきではなかったのか?
ロバート・フランシス・ケネディやマーティン・ルーサー・キングが
暗殺された後に

今の時代に感じることが出来るか?
理想郷に向かって
今なお、愛が近づいて来ていると
その世界は広げられたおまえの手の中にある
再びおまえの思うがままになるのだ

俺たちは愛を信じていたのではなかったのか?
愛が持続すると信じていたのではなかったのか?
お互いが信じ合えば
十分に受け入れることが出来ただろうに
俺たちがジョンを信じたのと同じくらい

ロバート・フランシス・ケネディ(1925年11月20日 - 1968年6月6日)
 第35代アメリカ大統領ジョン・F・ケネディの実弟。司法長官、上院議員を歴任した。貧困の撲滅、黒人問題、人種問題に取り組む。マーティン・ルサー・キング牧師とも親交が深い。1968年、大統領選への出馬を表明し、6月のカリフォルニアでの予備選を勝ち抜いた直後、エルサレム出身のパレスチナ系アメリカ人の凶弾により命を失う。

マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(1929年1月15日 - 1968年4月4日)
 キング牧師の名で知られるアメリカの黒人解放運動、公民権運動の指導者。その功績により、1964年度のノーベル平和賞を授賞。
 人種差別撤廃を掲げ、白人と同等の法的権利を黒人にも認めてもらうために公民獲得のために尽力したが、彼のとった手段はインド独立の父であるマハトマ・ガンディーの著書に学んだ、「非暴力主義」だった。しかし、1964年に公民権法が制定されたにもかかわらず、差別意識は改善されていないとして黒人解放運動は激化し、暴力的なものに変質。キング牧師の「非暴力主義」は時代遅れとなった。
 その後、キング牧師はヴェトナム反戦運動に関与し、精力的な活動を続けたが、1968年4月4日、集会の打ち合わせ中に白人暴徒に撃たれて絶命した。

 この歌には愛と平和を求めた1960年代の理想主義が描かれていました。禁じられたものとはドラッグ体験、エヴリマンを待つとは雑多な人々との出会いを示していると思われます。こうした「若き日々への回想」はジャクソン・ブラウンが抱える永遠のテーマといえるでしょう。しかし、たんなる懐古趣味に終始するのではなく、彼と同世代の人々はもとより、現代の若者を始め同時代に生きるすべての人々へ向かっての問題提起といった側面も受け取れました。
 ジャクソン・ブラウンが掲げる理想郷とは自然と平和を愛し、人間として自由に生きるスタイルを提唱したカウンター・カルチャーの幻想に溢れた世界に相違ないでしょう。それはジョン・レノンが、「Imagine」の中で訴えかけた、国家、宗教、所有欲が原因で起こる対立や憎悪は無意味であるとの考え方と共通するところであります。
また、凶弾に倒れたロバート・ケネディとキング牧師の死を乗り越え、彼らが取り組んでいた人種差別や格差の解消といった遺志を引き継ぐ姿勢こそ、愛と平和の理想郷に向かって実践し、行動を起こすことだと言いたかったのでしょう。

 今もぶれることなく愛と平和を語りかけるジャクソン・ブラウンの歌に拍手を送りたい一方で、世界の現状を鑑みると極論ではありますが、日本は唯一の被爆国でありながらも核を所有することも選択肢のひとつと考えなければならないのでは、とふと思うことがあります。長崎市長が「平和宣言」と呼ばれる声明を出し、核廃絶を訴えても、核保有国が手放さない以上、核兵器がなくなるわけがありません。隣国は核を持ち、日本に向けてミサイルの照準を合わせています。もちろん国家間は安易に戦争状態に陥りませんが、テロリストには長崎市長の声明もジョン・レノンのメッセージも通用しません。いや、テロリストでなくとも長崎市長やジョンのメッセージなど鼻で笑う人々のほうが多いのが世界の現実です。お互いを信じ合うことは大切ですが、人間にプライドとアイデンティティがある限り、相容れない矛盾や疑問が生じるでしょう。他者との違いを認め合うことは大事なことですが、決して安易に妥協したり、迎合したり、追従することは禁物だと思います。
 さらに長崎市長は声明の中で、オバマ大統領が2009年4月にプラハで述べた「核なき世界」の演説を引用していました。しかし、オバマ大統領は同時に「他国が核を捨てない限り、米国は核を捨てない」との趣旨の宣言をしており、また、テロリストが核兵器、核物質を入手できないようにするための措置についても言及しています。長崎市長がオバマ大統領の演説を引用されるのは自由ですが、都合の良い解釈をすると真意が読み取れず、誤ったメッセージが一人歩きを始めてしまうでしょう。

 2010年のグラストンベリー・フェスティバルにおけるライヴ・パフォーマンス。ギターはマーク・ゴールデンバーグ、ベースはケヴィン・マコーミックが担当しているようです。