好きな音楽のことについて語りたいと思います。

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Jackson Browne - Tender Is The Night

 前回登場していただいたアメリカのジェリー・ベックリーが、「Sister Golden Hair」の歌詞はジャクソン・ブラウンの影響を受けたものだと話しているのを耳にしたことがあります。真偽のほどはさておき、内向的な主人公が、恋する相手になかなか気持ちを打ち明けられない様子を描いた「Sister Golden Hair」はジャクソン・ブラウンのラヴ・ソングと相通じるものを窺わせました。
 という訳で、今回は久々にジャクソン・ブラウンを取り上げます。お題は「Tender Is The Night」。彼が1983年に発表したアルバム、『Lawyers In Love』に収録されていた楽曲です。

愛の使者愛の使者
(2005/09/21)
ジャクソン・ブラウン

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1. Lawyers In Love
2. On The Day
3. Cut It Away
4. Downtown
5. Tender Is The Night
6. Knock On Any Door
7. Say It Isn't True
8. For A Rocker



TENDER IS THE NIGHT
通りの中の暗闇と
明かりが煌煌と灯された家々の間
心の静寂と
街に忍び寄る夜のざわめきの間
誰かが誰かに声を掛け
誰かが角を曲がり
姿が視界から消えて行く
誰かを探しているんだ
この夜のどこかで

夜は優し
愛する人をしっかりと抱きしめる時
その仕草は優し、そんな優しさが夜にはある

二人が夢見た暮らしと
現実の狭間
俺はもう再びもとに戻れない
二人が喧嘩した後では
表に出ると、人々の笑顔が目に入る
俺たちもあんなふうに過ごしてきたのだ
かけがえのない愛を追い求めている
この夜のどこかで

夜は優し
ネオン・ライトの祝福
恋の狩人にも優し、そんな優しさが夜にはある

君は今夜こそ俺を恋しくなるだろう
降参する準備が出来ているなら
誰が正しいかなんてどうでもいい
君が二人の思い出を忘れないでいるなら
今宵にもうひとつの世界が広がるのさ
優しくなれそうな気がするなら

優しく 甘く 傷つきやすい・・・ 

真昼の燃えるような太陽が激しい光を浴びせる時
交わされた言葉や事の顛末などを
憶えている奴は誰もいない
優しさは人々が求めるただの言葉
君は勝ち、俺も勝ち、でも他人から見れば二人の負けさ

優しいね
夜は優し
優しいよな
ネオン・ライトの祝福
恋の狩人にも優し
愛する人がしっかりと抱きしめてくれる時
優しいものさ
見知らぬ人にも不倫をしている奴にも
優しいね
その仕草に優しさが表れている
優しいよな
愛する人が強く抱きしめてくれているから

 タイトルをフランシス・スコット・フィッツジェラルドの小説『Tender The Night(夜はやさし)』から借用したかのような「Tender Is The Night」。小説の内容は精神が不安定な妻に翻弄され、離婚したあげくに果てに人生が崩壊して行く主人公の姿が描かれていましたが、この歌の主人公も愛する人との破局と新しい恋人を求める様子が叙情詩のように綴られています。
 アルバムのレコーディング当時、ジャクソン・ブラウンは再婚した妻であるリン・スウィーニーと既に別居状態に陥り、離婚の調停の真っ最中。ジャクソン・ブラウンの口からリンとの離婚を歌ったものだとのコメントを聞いたことがありませんが、愛情の崩壊が少なからず反映されているのかもしれません。また、この「Tender The Night」とともにアルバムに収録された「Cut It Away」は傷心から立ち直ろうという意志が示された歌で、リンとの結婚生活が破綻したことが如実に表されていたと理解して良いでしょう。ジャクソン本人は否定していますが、1980年にリリースされた前作『Hold Out』はリンに捧げられたラヴ・ソング集だったとの解釈がなされていました。しかし、3年足らずの短い時間で不幸な結末を迎えたことを報告しなければならない残酷な運命が待ち受けていたのです。
 家庭内の問題を抱えると、プロのミュージシャンと言えどもレコーディングを始め音楽活動に少なからず支障を来す恐れがあります。でも、長年の友人であり、「Tender The Night」の共作者でもあるギタリストのダニー・コーチマーが語るに、ジャクソンは私的な問題を振り払うかのように仕事に集中する毎日を送っていたとのことでした。気難しがり屋の一面のあると言われるジャクソン・ブラウンですが、責任感も強い人間であることも察せられます。

 こちらはプロモーション・ビデオ(ビデオ・クリップ)です。ジャクソン・ブラウンの相手役として出演している女性は、彼の新しい恋の相手であるダリル・ハンナ。彼女はハリソン・フォード主演の映画『Blade Runner』(1982)のレプリカント役で注目を浴び、トム・ハンクスと共演した『Splash』(1984)で人魚に扮してブレイクした女優です。
 なお、ジャクソン・ブラウンとダリル・ハンナはクラレンス・クレモンズの「You're Friend Of Mine」」のビデオ・クリップでも仲の良いところを見せつけていました。


 こちらは演奏風景のビデオ・クリップ。


 1986年3月のドイツにおけるライヴ映像です。


参考文献:『Jackson Browne - His Life And Music』マーク・ビーゴ著、水木まり訳、蒼氷社 2007年

ジャクソン・ブラウン―ヒズ・ライフ・アンド・ミュージックジャクソン・ブラウン―ヒズ・ライフ・アンド・ミュージック
(2007/11)
マーク ビーゴ

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America - AMERICA

 ビーチ・ボーイズ関連の楽曲ばかりを記事にしていると、同行されたアメリカの皆さんに失礼ではないかとの気持ちを覚えました。そこで、今回は1971年に発表されたアメリカのファースト・アルバムを取り上げることにします。

名前のない馬[紙ジャケットCD]名前のない馬[紙ジャケットCD]
(2007/07/11)
アメリカ

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1. Riverside
2. Sandman
3. Three Roses
4. Children
5. A Horse With No Name
6. Here
7. I Need You
8. Rainy Day
9. Never Found The Time
10. Clarice
11. Donkey Jaw
12. Pigeon Song

 アメリカのメンバーとなるデューイ・バネル、ジェリー・ベックリー、ダン・ピークの3人はロンドンのハイ・スクールで出会いました。彼らはアメリカ人ですが、軍人である父親の勤務の関係で、イギリスに在住していたのです。
 3人は高校時代に仲間とともにバンド活動を始めましたが、1970年頃に解散。デューイ、ジェリー、ダンは新たにアコースティック主体のトリオで再スタートに臨むことになりました。バンドの名はアメリカ。当時3人が働いていた空軍基地のカフェにあったジュークボックスに「Americana(アメリカーナ)」という商標が記されていたのをヒントにしたと伝えられておりますが、遙なる祖国アメリカへの想いも心の奥底に宿っていたのでしょう。
 ロンドン近郊のクラブを中心に活動するアメリカ。やがて、制作したデモ・テープがクリフ・リチャードやスモール・フェイセズのプロデューサーとして知られるイアン・サムウェルの耳にとまります。斬新な何かを感じ取ったのか、サムウェルはDJの傍らコンサートのブッキングも手掛ける友人のジェフ・デクスターに探りを入れさすかのようにアメリカのステージを観ることを依頼。1970年11月、アメリカのライヴ・パフォーマンスを目の当たりにしたデクスターはたちまち彼らに魅せられ、自らマネージャーを買って出るに至りました。
 そうこうするうち、サムウェルとデクスターの尽力によりアメリカはワーナー・ブラザーズとの契約が成立。1971年9月にデビュー・アルバム、『AMERICA』の発表の運びとなったのです。

 オープニングを飾るデューイ・パネル作の「Riveeside」。アコースティック・ギターのコード・ストロークに軽快なリード、高音域を活かした美しいハーモニーが冴える曲調は、CSN&Yのフォロワーと称されたバドーフ&ロドニーを彷彿させます。


ライヴ映像です。


 全英、全米チャートで1位に輝いた「A Horse With No Name」。デューイ・バネルの作品です。
 一見すると大自然の恩恵を求めて旅立った男の物語のようですが、暗喩で表現された部分もあって難解な歌詞です。ヴェトナム戦争に反対し、合理性やテクノロジーを優先した経済へ異議を呈する形で起こったカウンター・カルチャー華やかなりし1960年代後半から1970年代初頭、物質文明を批判し、自然回帰を求める動きがアメリカの若者を中心に起こりました。そうした流れは西側諸国であり同盟国でもあるイギリスやヨーロッパ諸国にも波及し、本来の人間性や心の内側を見直すといったことが注目されていたのです。
 アメリカの「A Horse With No Name」には、そのような当時のトレンドが背景としてあったのでしょう。都市を「見せかけのもの」と歌うことにより豊かな社会が、限りなき大衆の欲望や環境問題などの弊害をもたらしていると訴えかけているように思えました。また、"horse" にはスラングで「ヘロイン」という意味がありますが、カウンター・カルチャーはドラッグ・カルチャーの側面を持っており、何か隠された意味があるのではないかと考えると興味が尽きません。


セントラル・パークにおけるライブ映像です。


こちらはクリストファー・クロスがゲスト参加した2008年のシカゴでのライヴ映像。


A HORSE WITH NO NAME
旅に出た初めの頃は
世の有り様を眺めて過ごした
植物や小鳥や岩山や身の回りのいろんなものがあり
砂や丘や切り株があった
最初に出会ったのは羽音と立てながら飛ぶ虫
そして雲ひとつない空
温度は高く、大地は乾いていた
だけど大気の中には音が満ち溢れていた

名前のない馬に乗り、俺は砂漠を進んだ
雨が降らずに心地よかった
この砂漠で人は自分らしさを取り戻せる
痛みを食らわせようとする奴なんていないから

砂漠の太陽に照らせれて2日が経ち
俺の肌は赤くなり始めた
砂漠の戯れも3日が過ぎると
俺は川床を見つめていた
かつて流れる川の物語を聞いていたのだが
もう涸れてしまったようで俺を悲しくさせた

9日後に俺は馬を解き放った
砂漠が海に変わったから
それでも植物や小鳥や岩山や身の回りのいろんなものがあり
砂や丘や切り株があった
その海は水面下に生命が満ちた砂漠
上にある世界は完璧な見せかけのもの
都市の下には大地で作られた心が横たわっている
だけど人間たちは愛を与えようとしない

* rings(年輪)という単語を sand(砂)や丘(hills)などの言葉から切り株と訳しましたが、その後に sound という言葉も出て来ることから「響き」と訳すほうが適切なのかもしれません。また、"Under the cities lies a heart made of ground" という歌詞を「都市の下には大地で作られた心が横たわっている」と訳しましたが、理想郷のようなものを示しているのかもしれません。

 シングル・カットされて全米9位のヒットとなったジェリー・ベックリー作の「I Need You」。少々甘いバラード曲ですが、ビートルズを思い起こさせる曲調です。その後、アメリカはジョージ・マーティンをプロデューサーに迎えて『Holiday』(1974)、『Hearts』(1975)、『Hideaway』(1976)、『Harbor』(1977)、『Live』(1977)、『Silent Letter』(1979)などの秀逸なアルバムを発表して行くのですが、下地となるような要素がファースト・アルバムにおいて内包されていたと言えるでしょう。


スタジオ・ライヴのようです。


I NEED YOU
二人で笑ったり、二人で泣いたり
お辞儀をしたり、その理由を考えたりしたものさ
君は行ってしまったけれど
俺は上手くやって行けるだろう
君が残してくれたものを出来るだけ利用して
君が残してくれたもの 俺のために

俺には君が必要さ、花には雨が欠かすことが出来ないように
ねえ、俺には君が必要なんだ、もう一度初めからやり直したい
ああ、俺には君が必要さ、冬の後に春がついて来るように
俺には君が必要なんだよ

来る日も来る日も 君が俺のことを好きなんだって
思っただけで何時間も機嫌良く過ごせた
でも俺が責めを負う日がやって来たのだ
俺にまつわるいろんな噂話のせいで
俺についての噂話のせいさ 噂話のね

 ハリー・ニルソンのカヴァー・ヴァージョン。1976年発表のアルバム、『...That's the Way It Is』に収録されています。


 今回はダン・ピーク作の「Rainy Day」でお開きにしたいと思います。ダンはリード・ヴォーカル、12弦と6弦のアコースティック・ギターを担当。デヴィッド・リンドレーがスライド・ギターで参加し、幻想的な雰囲気を醸し出していました。遠く離れたところにいる恋人に想いを馳せる内容の歌に思えますが、神への畏敬や思慕が表されているのかもしれません。
 提供した3曲のうち、リード・ヴォーカルを取ったのは2曲、とファースト・アルバムではやや地味な存在のダンでしたが、セカンド・アルバム以降はソング・ライターとしての才覚をいかんなく発揮して行くことになります。
 なお、ダン・ピークはコンテンポラリー・クリスチャン・ミュージックに転向するため1977年に脱退。3枚のソロ・アルバムを発表して好評を博しましたが、2011年7月24日に他界しています。


雨の日はいつも
部屋の中でくよくよ悩むのはやめにして
心を覆う雲を遠くに追い払い
生まれる前の自分に戻るんだ

だけど俺には君が泣くのが分かる
涙が君の眼から溢れ出し
あなたの手の中にある私の人生の一片は
時おり傷ついてしまうものだ

遠く離れている時はいつも
あなたの実像を思い描く
輝く唇、鳶色の髪
あなたはすぐ近くに実在する

The Beach Boys - Cotton Fields

 前回のブライアン・ウィルソンによる「Summertime」の記事の中で、「綿花」について言及しました。そこで今回は安易ながらザ・ビーチ・ボーイズの「Cotton Fields」を取り上げることにします。

20/2020/20
(2008/06/11)
ビーチ・ボーイズ

商品詳細を見る
 
1. Do It Again
2. I Can Hear Music
3. Bluebirds Over The Mountain
4. Be With Me
5. All I Want To Do
6. The Nearest Faraway Place
7. Cotton Fields (The Cotton Song)
8. I Went to Sleep
9. Time To Get Alone
10. Never Learn Not To Love
11. Our Prayer
12. Cabinessence



COTTON FIELDS
俺がほんのちっちゃいガキだった頃
お袋がゆりかごで俺を揺らしてくれた
懐かしの故郷の綿畑で
テクサカーナから1マイルほどの
ルイジアナに戻って来た
懐かしの故郷の麦畑のあるところ

にっちもさっちも行かなくなった時の
話をしよう
タイヤに釘が刺さっちまったので
俺は全速力で
町までの長い長い道を歩きで帰らにゃならなかった
そこに帽子を被った
ひとりの立派な老紳士が通りがかった
ちょっとすいませんが、ミスター
方角を教えてくれませんか
すぐに家に帰らなきゃならないもんで

綿の実が腐っちまっても気にしない
分かりきったことさ、誰が欲しがるもんか
懐かしい故郷の綿畑の中で
なあ兄弟よ、おまえを元気づける言葉を
あとひとつだけ言っておこう
夏の日のカリフォルニアは
故郷の綿畑とそっくりさ

テクサカーナからほんの1マイルほどのところにある
ルイジアナの綿畑に俺を連れ戻してくれ
あの綿畑の便りを聞かせてくれ
故郷にまさる場所はないのさ

ああ、故郷に戻って空気を吸えば気分爽快
俺も大人になったものだと気づいてくれた
みんなの顔を見せたかったもんだぜ
懐かしい故郷の綿畑に戻ればな

Texarkana(テクサカーナ)
テキサス州テクサカーナ。テクサカーナに隣接するアーカンソー州の町を含むこともある。歌の中ではテキサカーナから1マイルほど離れたルイジアナの綿畑と紹介されているが、実際にはテキサス州とルイジアナ州境より30マイル北に位置する。

 1969年に発表されたアルバム『20/20』に収録されていたヴァージョンにペダル・スティール・ギターを加え、コーラスもパワー・アップさせ、翌1970年4月に装いも新たにシングル・カット。アメリカでは不発に終わったもののイギリスのヒット・チャートでは最高5位まで上昇しました。


 ビーチ・ボーイズの「コットン・フィールズ」は故郷を懐かしむ風情が窺えますが、1941年に作者であるハディ・ウィリアム・レッドベターことレッドベリーが歌った世界は黒人労働者の悲哀が込められていました。


俺がほんのちっちゃいガキだった頃
お袋がゆりかごで俺を揺らしてくれた
懐かしの故郷の綿畑で
テクサカーナから1マイルほどの
ルイジアナに戻って来た
懐かしの故郷の麦畑のあるところ

ちょっとこっけいに思えるかもしれないが、
あんたはたいして儲かなかった
あの懐かしの故郷の綿畑で
ちょっとこっけいに思えるかもしれないが、
あんたはたいして儲かなかった
あの懐かしの故郷の綿畑で

綿の実ってやつは腐っちまうと
あんまり綿を摘むことができないもんだ
懐かしの故郷の綿畑

テクサカーナから1マイルほどの
ルイジアナに戻って来た
懐かしの故郷の麦畑のあるところ

俺はアーカンソーに渡った
人々は懐かしき故郷の綿畑に
戻ってこいと俺にせがむのさ
俺はアーカンソーに渡った
人々は懐かしき故郷の綿畑に
戻ってこいと俺にせがむのさ

 綿花は現在もアメリカの主要農作物のひとつで、栽培に適した温暖な気候に恵まれた南部とカリフォルニア州で生産されています。第二次世界大戦後に種まきや収穫が機械化される以前はプランテーションと呼ばれる大規模農園で、人手を掛けて大量に生産されていました。その労働力の大部分を担っていたのがアフリカ系アメリカ人、つまり黒人です。
 植民地時代のアメリカ南部のプランテーションではタバコ栽培が主流で、西アフリカから送られて来た黒人奴隷を使って栽培されていました。タバコは価格が不安定で投機性が高かったため、やがてプランテーションの多くはイギリスでの需要の高まりを見越して綿花に切り替えられることになります。イギリスでは17世紀に紡績機が発明され、18世紀後半には産業革命が起こって工場の生産性が向上し、綿布や綿織物を大量生産することが可能となったことから需要はさらに増大。アメリカの綿花はイギリスのみならずヨーロッパ各国でもてはやされ、南部のプランターたちに巨万の富をもたらしました。
 しかし、アメリカでは南北戦争(1861年 - 1865年)が勃発。北軍が北部にある主要な港を閉鎖したため綿花の輸出量が激減し、生産量も落ち込んで行ったのです。イギリスやフランスは綿花の輸入をエジプトに代替。さらに、イギリスは間接統治を行っていたインドからの輸入を促進させて急場をしのぎました。また、ロシアは当時併合していたトルキスタンで綿花の生産量を増やす策を取っています。
 南北戦争終結後、アメリカは綿花の生産・輸出量を回復させますが、市場価格が暴落し、競争原理にさらされることになりました。おかげで南部のプランターたちの隆盛に翳りが見え始めます。ヴィヴィアン・リー主演で映画化されたマーガレット・ミッチェル作の小説、『Gone With The Wind(風と共に去りぬ)』はそうしたプランターたちの栄華と没落が描かれた作品でした。
 1862年にリンカーン大統領によって奴隷解放宣言が出されたされたとはいえ、黒人農夫や土地を持たない白人農夫(プアホワイト)らは低賃金で裕福な白人地主のもとで重労働を強いられるという図式が続きます。さらに、奴隷制度廃止により北部の産業資本家たちが南部のプランターと手を組み、プランテーション奴隷制度から刈分小作制度へ転ずる動きが見られ、黒人農夫やプアホワイトら小作農として新たな搾取の対象となって行ったのです。これは北部の資本家にとって収穫の場になり、南部のプランターにも実質奴隷制度同様の状態が維持できるといった両者の利益が一致したやり方だったのでしょう。

 この曲には数多くのアーティストによって取り上げられています。秀逸なヴァージョンの幾つかをお聴きください。
 歌手のみならず俳優、社会活動家としての顔を持ち、「Banana Boat Song(バナナ・ボート)」のヒットでお馴染みのハリー・ベラフォンテのヴァージョンです。ジャジーなアレンジが印象的。 1958年リリースのアルバム、『Belafonte Sings the Blues』に収録されていました。

 
 マーティン・ルーサー・キング牧師から「アメリカン・フォークの女王」と称され、ボブ・ディランに多大な影響を与えたとされるアフリカ系アメリカ人の女性シンガー、オデッタのヴァージョンです。デュエットの相手はLarry Mohr。アルバム『The Tin Angel』(1954)に収録。


 アメリカのコネチカッット州の大学生5人で結成されたフォーク・ユニット、ハイウェイメンのヴァージョン。全米1位(1961年)に輝いた黒人労働歌、「Michael Row The Boat Ashore(漕げよマイケル)」で有名な方々です。1961年リリース。


 この「コットン・フィールズ」はカントリーのアーティストもお好みの曲のようです。エディ・アーノルド、バック・オーエンスら興味深いヴァージョンがありますが、今回はジョニー・キャッシュ御大の歌声をお聴きください。アルバム『The Sound of Johnny Cash』(1962)に収録。


 何の説明もいらないクリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル(CCR)のヴァージョン。 1969年11月に発表されたアルバム、『Willy and the Poor Boys』に収録されていました。


 エルトン・ジョンのヴァージョンです。1994年のカヴァー集、『Red Dwight's Piano Goes Pop』に収録。


 お開きはキャンディーズの皆様の歌声を宜しければお楽しみください。こちらはNHKで放送されていた「レッツゴーヤング」出演時の映像のようですが、スタジオ・ヴァージョンはサード・アルバム『なみだの季節』(1974年12月10日リリース)に収録されています。


参考文献:『アメリカ黒人の歴史 新版』本田創造著 1991年 岩波書店

アメリカ黒人の歴史 新版 (岩波新書)アメリカ黒人の歴史 新版 (岩波新書)
(1991/03/20)
本田 創造

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