好きな音楽のことについて語りたいと思います。

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Brian Wilson - Summertime

 ザ・ビーチ・ボーイズの大阪公演が無事終了しました。突然の豪雨で彼らの姿を目にする前に中止となった伏見桃山城キャッスルランドにおける「ジャパン・ジャム」の惨劇から33年。呪縛から解き放たれたような、忘れ物が見つかったような、胸のつかえが取れたような、ようやく気分が晴れた次第です。
 さて、公演当日。はやる気持ちを押さえながら淀屋橋へ向かう京阪電車の中で、枚方を過ぎた辺りから稲妻が走るのを何度か目にした時にあの悪夢が甦り、今回は屋内とはいえどもまた何か惨事が引き起こされるのではないかとの不安が心によぎりました。終点の淀屋橋から地下鉄に乗り換え朝潮橋に到着。大阪の空に夕立の気配はなく、京都と同じような蒸し暑い空気の中を会場である大阪市中央体育館へと足早に進みます。焦らなくとも開場までにはまだ少し時間があったのですが、前日の幕張での公演で早々とパンフレットが売り切れたとブログで報告されている記事を幾つか目にし、一目散にグッズ売り場へ。しかし、考えることは皆同じなのか、既に長蛇の列。押すな押すなと並んでいるうちに、「パンフレットは完売しました」と係員の乾いた声が響くのが耳に入りました。
 昨今の来日パンフレットといえば、「どうせ一度しか見ないだろう」との記念にもならない代物が多いようですが、今回のビーチ・ボーイズのものはレアな写真が満載された豪華絢爛版だったとの話。残念無念の気分を堪えながら入場すると、持ち物検査がなされなかったことに拍子抜け。管理の甘いプロモーターだと思うもそんな雑念を払いのけ、暫し開演を待ちながら気持ちの整理を行いました。
 小一時間が過ぎて場内の灯が消されると、ほどなくオープニング・アクトのアメリカが登場。「You Can Do Magic」、「Daisy Jane」、「 I Need You」、「Ventura Highway 」、「California Dreamin'」 、「Sister Golden Hair」、「A Horse With No Name」などの代表曲がそろい踏みでしたが、立ち上がる観客はなく、少々肩すかしを食わされた格好ながらも落ち着いた雰囲気の中で彼らを観られたことは有り難いことです。
 30分の休憩を挟みメイン・アクトのビーチ・ボーイズが眼前に。心配していたブライアン・ウィルソンも元気な姿を見せてくれました。今度は打って変わって始めから総立ちの状態。「Surfer Girl」、「Don't Worry Baby」、「God Only Knows」などお馴染みの曲が次々と飛び出し、途中休憩を挟まず、無駄なお喋りが殆どないノンストップの演奏が進められて行きます。観客は小柄な初老の男女が多かったので、私の座席からステージ中央部の視界が遮られることはありませんでしたが、元々丈夫でない我が身には1時間45分のパフォーマンスは少々きつく感じられました。
 
 ライヴの詳しい模様は他の方々にお任せするとして、拙ブログではステージで演奏されることがなかった曲を今回のお題とさせていただきます。その曲は2010年にリリースされたブライアン・ウィルソンのソロ・アルバムに収録されていた「Summertime」。夏が過ぎ行く前に取り上げておきたい1曲です。

ブライアン・ウィルソン・リイマジンズ・ガーシュウィンブライアン・ウィルソン・リイマジンズ・ガーシュウィン
(2012/05/09)
ブライアン・ウィルソン

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SUMMERTIME
夏が来ると
暮らしも落ち着き
魚が飛び跳ね
綿花も育つ
父さんはしこたま金を稼ぎ
母さんは器量よしに見える
だから良い子よ、泣くのはおよし

ある朝いつか
おまえは歌い出し
翼を広げ
大空に羽ばたいて行くだろう

けれどもその朝がやって来るまで
災難に遭うようなことはない
父さんと母さんがおまえの傍にいるから

 夏は暑くて当たり前ですが、お盆を過ぎても猛暑は一向に収まりません。今夏は電力不足が予想されるので冷夏になれば良いと言った御仁もおられましたが、不順な気候によって農作物の生育が悪化して供給不足から価格の高騰を招き、さらに夏物衣料、エアコンなどの家電、飲料水などの消費が落ち込みます。プールや海水浴場やビア・ガーデンは閑古鳥。こうしたことが景気下落の要因となり、雇用や収入にも悪影響を及ぼしかねません。
 話が脱線しかけました。さて、「Summertime」は1935年にジョージ・ガーシュウィンが、エドワード・デュポーズ・ヘイワードの小説『Porgy』をオペラ化した『Porgy and Bess(ポーギーとベス)』の中で歌われる楽曲です。物語は1920年代のアメリカ南部サウスカロライナ州チャールストンの黒人居住区を舞台とし、奴隷制度が廃止されても一向に差別が改善されす、地位向上もままならぬ閉塞感や絶望感が描かれていました。
 歌の中では綿花が育てば金になると歌われていますが、南北戦争後、綿花栽培は世界市場の変化に対応できぬまま競争力を失い、価格は下落の一途を辿って行きました。原価割れという厳しい現実に向き合う中で、南部の農民の多くは他の作物に転向する器用さはなく、敢えなく土地を手放す農家も続出していたのが現状です。また、黒人で自分の土地を所有している者は少なく、殆どが雇われの身であり、せいせいが小作人だったと推測されるでしょう。どのみち黒人農家には大金を稼ぐことは夢物語だったと思われます。それでも後半の歌詞では子供の成長を願いながら未来を託すような内容となっており、ささやかな希望を見出す前向きな意志が窺えました。

 2600を超えるカヴァー・ヴァージョンが存在するとされる「Summertime」ですので、とても全部は紹介しきれません。申し訳ございませんが、個人的にお気に入りのものを何曲か紹介させていただきます。
 まず、「レディ・デイ」の呼称で知られるビリー・ホリデイ。麻薬やアルコールに溺れながらも人種差別と闘った彼女の壮絶な人生が凝縮されているような哀感が漂い、救いようのないほどのやるせなさが伝わってきました。1936年にリリース。


 ソウル/R&Bのトップ・スターとして黒人のみならず白人にも人気を博したサム・クック。彼に影響を与えられたアーティストは枚挙に暇がありません。サム・クックの歌声にも黒人がおかれていた立場が滲み出ているように受け取れました。1957年の『Sam Cooke』などに収録。


 こちらはオルタネイト・ヴァージョン。


 インストゥルメンタルを1曲。マイルス・ディヴィスのトランペットがフィーチャーされたヴァージョン(1958年の『Porgy And Bess』に収録)が有名ですが、ジョン・コルトレーンの奏でるサックスも味わい深いものです。1961年の『My Favorite Things』に収録。


 シンプルなアコースティックな風合いが印象的なピート・シーガーのヴァージョンは1962年リリースの『American Favorite Ballads - Songs and Tunes, Vol. 5 』に収録。


 ロカビリー・サウンドにアレンジされたリック・ネルソンのヴァージョンは1962年リリースの 『Album Seven by Rick』に収録。


 ジャズとロックとソウルのアーティストによるコラボレーション。ハービー・ハンコック(ピアノ)、ジョニ・ミッチェル(ヴォーカル)、スティーヴィ・ワンダー(ハーモニカ)の共演です。激しい感情を表に出さず、淡々と歌い上げてることによって却ってやりきれない苦しさや痛みが浮かび上がって来るようです。1998年にリリースされたハービー・ハンコックのアルバム『Gershwin's World』に収録。


 ポール・マッカートニーによるヴァージョン。今年の2月に発表されたジャズ/スタンダード集『Kisses On The Bottom』を巡り、ファンの間で賛否両論が巻き起こりました。ビートルズ時代からポールはスタンダードを得意としており、この「Summertime」も難なく歌いこなしています。1991年に再発(最初のリリースは1988年)された 『Снова в СССР』に追加収録されていました。


 お開きはやはりジャニスの歌声で。人生は無情であり、未来への希望は虚しいと思えるほどの非痛な叫びに聴き取れます。1968年にビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー名義で発表された『Cheap Thrills』に収録。


 この他にもヘレン・メリル(1957年の『The Nearness of You 』に収録)、アンディ・ウィリアムス(1962年の『 "Danny Boy" and Other Songs I Love to Sing』に収録)、ランディ・バックマン(2004年の『Jazz Thing』に収録)、オリヴィア・ニュートン・ジョンの(2004年の『Indigo - Women of Song』に収録)など興味深いカヴァー・ヴァージョンは枚挙に暇がありません。
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The Rolling Stones - Country Honk

 今年はザ・ローリング・ストーンズ結成50周年。サントリーが、ストーンズのアイコンとして有名な“Lips & Tongue"をデザインしたアルコール飲料を発売したり、『レコード・コレクターズ』8月号が、「ローリング・ストーンズ・ベスト・ソングズ 100」と題する特集を組んでいました。拙ブログでも、個人的にお気に入りの曲についてあれこれ世迷い言を述べてきましたが、今回も少しばかり語らせていただくことにします。

レット・イット・ブリードレット・イット・ブリード
(2010/11/24)
ザ・ローリング・ストーンズ

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1. Gimme Shelter
2. Love In Vain
3. Country Honk
4. Live With Me
5. Let It Bleed
6. Midnight Rambler
7. You Got The Silver
8. Monkey Man
9. You Can't Always Get What You Want

 ストーンズの「Honky Tonk Women」と言えば、シングルでリリースされたこのヴァージョンがよく知られています。


 しかし、今回のお題として選んだのは「Country Honk」。1969年発売のアルバム『Let It Bleed』に収録のカントリー風にアレンジされたヴァージョンです。


COUNTRY HONK
さぁ行くぞ
俺はジャクソンのとある酒場に座って
大酒をあおっているところさ
通りでは夏の太陽が照りつける
ジャクソンには俺と情を通じた女がわんさといるんだが、
いくら飲んでもおまえを忘れることが出来ない

場末の酒場の女たちよ
なぁ、おい、俺にホンキー・トンク・ブルースを聴かせてくれよ

ニューヨークでバツイチ女と寝た
俺はその女と一悶着を起こしちまった
その貴婦人ときたら薔薇の花で着飾らせ
鼻をかませて恍惚とさせた

場末の酒場の女たちよ
なぁ、おい、俺にホンキー・トンク・ブルースを聴かせてくれよ

[訳注]
The lady she all dressed me up in roses
She blew my nose and then she blew my mind
その貴婦人ときたら薔薇の花で着飾らせ
鼻をかませて恍惚とさせた

 直訳すると「俺をすっかりバラの花で着飾らせ」という意味になりますが、シングル・ヴァージョンの歌詞では "The lady then she covered me with roses" (貴婦人は俺に薔薇のようなキスマークをつけた)と記されており、同様の意味に解釈したほうが良さそうです。
 次の「鼻をかませて恍惚とさせた」は少々意味不明。"Blew my nose" を直訳すると「鼻をかませて」となりますが、"nose"には男性器の意味があり、ここは皆様の想像にお任せし致します。情事の後に喧嘩し、また色仕掛けで陥落させられるとは。ほとほと男は意志が弱く、頭と下半身が別の生き物であるとつくづく思い知らされてしまいました。ああ、情けなや。

 車の警笛音から始まり、リラックスしたミック・ジャガーの歌声とアコースティック主体のサウンド。シングル・ヴァージョンよりもさらに猥雑なムードを醸し出しています。2006年4月にストーンズが中国公演を行おうとした際、当局から歌詞の内容が槍玉に挙げられ、「Honky Tonk Women」、「Let's Spend The Bight Together」、「Brown Sugar」、「Beast Of Burden」、「Bitch」など5曲が検閲された経緯がありました。性的表現や麻薬を連想させる箇所を指摘されたようです。「Honky Tonk Women」は暗喩、隠喩で煙幕を張っていますが、直接的な表現もあり、あの国では許可されなかったのでしょう。中国の方々の多くはよほどの英語力を備えておられるのかもしれません。

 ストーンズは「Country Honk」をステージで演奏したことがあるのでしょうか。さすがにライヴ映像が見つからなかったので、シェリル・クロウがゲスト参加した「Honky Tonk Women」を宜しければご覧ください。


 元ザ・バーズのグラム・パーソンズ率いるフライング・ブリトー・ブラザーズ(FBB)のヴァージョン。グラムがFBBを脱退したためにお蔵入りしましたが、1974年リリースの編集盤『Honky Tonk Heaven』で陽の目を見ました。グラム・パーソンズ名義の編集盤『Sleepless Nights』(1976年)にも収録されています。
 1968年にバーズがイギリス公演を行った際にストーンズとの親交が深まり、ことにグラム・パーソンズとキース・リチャーズは義兄弟の契りを交わしたかのような親密な関係に発展しました。バーズを脱退し、FBBを解雇されたグラムが、キースのプロデュースでソロ・アルバムを発表するのではという噂が囁かれたこともあります。
 アルバム・ヴァージョン『Country Honk』のレコーディングにはグラムの紹介で、後にFBBのメンバーとなるバイロン・バーラインがフィドルで参加。ソングライティングにもグラムが関わっていたとの話もありました。


Jackson Browne - From Silver Lake

 前回のリア・カンケルの記事の中でジャクソン・ブラウンの「From Silver Lake」について言及しましたので、今回はこの曲を取り上げることにしました。彼のファースト・アルバム『Jackson Browne (Saturate Before Using)』(1972年発表)に収録されていた曲です。


FROM SILVER LAKE
俺たちの兄貴を見かけなかったか?
兄貴はこのあいだここにいたんだ
でも、どこかに行くと
ただそれだけを言うためにやってきたんだ

兄貴の恋人を見かけなかったか?
あの人は兄貴がどこに行ったか
探していたんだ
だが、あの人は深く悲しんでいることを
表情に出さなかった

あの人はきっと追いかけて行くだろう
遠く離れたある町で船を待つ兄貴を
たぶん見つけ出すだろう
きっと探しに行くだろう

近ごろ、俺は煙草とワインに
入り浸った午後を思い出す
平和と喜び以外に
何も眼中になかった日々のこと

微笑みながら
兄貴は俺に語りかけた
誰も横断出来ない
海を渡る途中に留まっていたいのだと

たぶん兄貴は戻らないだろう
太陽が、遠く離れたどこかの廃墟の中で
埃にまみれて眠る兄貴を見つけ出すかもしれない
でも、兄貴は戻らないだろう

今朝早く、俺は揺れ動く地平線を見ながら
雷鳴が轟くのを聞いた
今朝早く、機械仕掛けの都市が目覚め
俺はよろめき、どもりながら
子供たちの歓声や犬の鳴き声の間を通り抜け
外へ向かって走り出した

俺たちの兄貴を見かけなかったか?
(ずいぶん留守にしていた誰かさん)
兄貴はこのあいだここにいたんだ
(今日、突然に帰って来たよ)
でも、ここでは息も出来ないと
(私は彷徨っていたことを許す)
ただそれだけを言うためにやってきたんだ
(心の中で)

兄貴の恋人を見かけなかったか?
(面と向かった瞬間)
あの人は兄貴の手に触れようとしていた
(邪心がこの場にはりつめる)
置き去りに出来ないと
(以前に彼がそこに戻らないということを意味する)
あたかも兄貴に語りかけるように
(私はこのとき聞いた)
二人は行ってしまうだろう
(ああ、あなたは分かってるのね)
太陽が俺を見つけるかもしれない
(私が感じたことのある愛)
二人の後を追いつつ、遠くの何かを見つめている
(過去がとてもゆっくり癒している)
俺たちは戻って来ないだろう
(明日には悲しみとおさらば)

 兄弟の別れが描かれた歌の体裁を取っていますが、背景にはグレッグ・コープランドとアダム・セイラーとの関係が色濃く漂っています。
 グレッグ・コープランドはジャクソン・ブラウンの高校時代の先輩。若き日のジャクソンに、音楽のみならず生き方にも多大な影響を与えたとされる人物です。
 カウンター・カルチャー華やかなりし1966年、サンフランシスコの大学に通うグレッグ・コープランドはこれまでの価値観を一変させる衝撃を受け、広い社会と新しい冒険を体験するには教室で学ぶよりも世界を旅することだと考えるようになっていました。彼はサンフランシスコで出会って意気投合していたアダム・セイラーとともにメキシコの港町ベラクルスから船でヨーロッパに向かう計画を立てたものの諸般の事情で中止。アダムを伴ってロサンゼルスに一旦戻ったグレッグは計画を練り直し、車でニューヨークへ行き、そこから飛行機でヨーロッパを目指すことにしたのです。
 旅は道連れ世は情け。1967年1月、グレッグは弟分のジャクソン・ブラウンを誘いました。ヨーロッパよりもニューヨークに興味があったジャクソンは二つ返事で了承。ニューヨークは尊敬するボブ・ディランが成功をつかんだ街。ジャクソンとともにオレンジ・カウンティ・スリーと称されて将来を嘱望されたスティーヴ・ヌーナンやティム・バックリィらも暮らし始めていました。様々なアーティストが活動するこの街には刺激的な出来事が待ち受けているとの憧憬がジャクソンの心の中で膨らんでいたのです。
 この頃、ジャクソン・ブラウンはグレッグ・コープランドの恋人だったパメラ・ポランドと浅からぬ関係に発展していました。グレッグが、見聞を広めるための外国旅行にジャクソンを誘ったのは弟分を思う気持ちからではなく、ジャクソンとパメラを切り離そうそうとの画策があったのかもしれません。旅の準備の間を縫ってグレッグとパメラは復縁。ジャクソンはこれも運命であると悟ったのか、兄貴分に抵抗することなく事態を受け入れました。
 再会から二週間後、グレッグ・コープランド、アダム・セイラー、そしてジャクソン・ブラウンの3人は車でニューヨークに向けて出発。3日後、無事に到着し、スティーヴ・ヌーナンの住むアパートに身を寄せました。ほどなくグレッグ・コープランドとアダム・セイラーはヨーロッパに旅立ちますが、ジャクソン・ブラウンは旅費のないことを理由にしてニューヨークに残ります。
 スティーヴ・ヌーナンやティム・バックリィと旧交を温めるジャクソン・ブラウン。グリニッチ・ヴィレッジをたまり場としているうちにステージへ上がるチャンスが舞い込んできました。ジャクソンの高校時代の同級生で、ニューヨーク州立大学に通うジョー・ウィゼンタールの尽力で、ジャクソンら3人のキャンパス・コンサートへの出演が決まったのです。彼らの出演が実現したのは、既にエレクトラ・レコードからデビューしていたティム・バックリィの存在が大きな強みになっていたのでしょう。
 ジャクソン・ブラウンに先んじてプロ・デビューしていたティム・バックリィは、ニューヨークのクラブで注目を浴び始めていました。アンディ・ウォーホルのクラブ「ドム」で、モデル兼女優であり、ヴェルヴェッド・アンダーグラウンドのシンガーとしての活動と並行してソロ・パフォーマンスも行うニコの前座をティムが務めていた際、彼女からギタリストとしてバックも手伝ってくれないかとの依頼を受けます。ところが、デビューして間もないティムは自分のことだけで精一杯だったのか乗り気でなかったため、居合わせたジャクソンに白羽の矢が立てられました。妖艶で美貌の年上の女性からの要請。パメラ・ポランドの面影をどこかに感じ取っていたのでしょうか。願ってもないチャンスとばかりにジャクソン・ブラウンは快諾しました。
 美女が歌う姿の後ろで懸命にギターを演奏するジャクソン・ブラウン。浮かれて初めて手にする高額の報酬を得たと同時に、音楽活動をして行く上での財産とも言える様々な人々との出会いもありました。とりわけレナード・コーエンと知り合ったことはジャクソンの音楽性に多大な影響を与えたことでしょう。コーエンはニコが目当てで毎晩のようにライヴを観に来ていたようですが、曲の合間にしばしば自らの即興詩を読み聞かせ、ジャクソンをいたく感動させていました。また、ジャクソンはルー・リードにも少し目を掛けてもらい、彼の視野の広さに驚かされていたのです。
 ジャクソンはニコのバックを受け持っている間、すっかり彼女に魅了されて行きました。彼女もジャクソンの才能を認め、ソロ・アルバム『Chelsea Girl』にジャクソン作の「These Days」、「Somewhere There's a Feather」、「The Fairest of the Seasons」(グレッグ・コープランドとの共作曲)など3曲を採用し、レコーディングにも参加させるほどのお気に入りとなっていたのです。しかし、所詮は叶わぬ恋。この恋愛はジャクソンの片思いで終わってしまいました。
 こうしたジャクソン・ブラウンの動きをエレクトラが目をつけ、彼にデモ・テープをレコーディングさせます。ソング・ライターとしての実力が評価されてのことだったのでしょう。アーティストやプロデューサーが取り上げてくれるのを目的として、音楽出版社が殆ど無名のライターの曲を抱えておくことは普通の業務でした。ジャクソンが、エレクトラ傘下の出版社に残したこの録音が、いわゆる「ニーナ・デモ」です。
 僅か3ヵ月ほどのニューヨーク武者修行の旅でしたが、プロのミュージシャンとしての活動、恋愛、人との出会い、デモ録音ジャクソン・ブラウンが収穫したものは大きく、その後の人生を左右する貴重な体験となったことでしょう。ロザンゼルスに戻ったジャクソンは曲作りに励みます。ミュージシャンとして自信をつけたように思えるものの、何かを忘れようと懸命に創作に打ち込むジャクソン。見かねた母親は「シルヴァー・レイク」にアパートを借りてやり、ジャクソンは落ち着く環境の中で曲を書くことに没頭できるようになったのです。
 1968年、ヨーロッパにおいての「自分探し」といえる旅を終えて帰国していたグレッグ・コープランドはジャクソン・ブラウンの立ち会いのもとでパメラ・ポランドと結婚。ハネムーンを兼ねて再び二人でヨーロッパへ渡ります。単独で旅を続けていたアダム・セイラーはアジアへ向かったものの、インドのボンベイのホテルの3階から転落して帰らぬ人となりました。この知らせを聞いたジャクソンは深いショックを受けます。ジャクソンとアダムが知り合って別れるまでの期間はひと月にも満たなかったのですが、その間に育まれた友情は強固で熱いものだったのでしょう。
 
 グレッグ・コープランド、アダム・セイラー、パメラ・ポランド、そしてジャクソン・ブラウン自身が描かれた「From Silver Lake」という歌。物語の主人公が彼(兄)から彼女(兄の恋人)、そして自分へと変化して行きます。グレッグとアダムはヨーロッパへ、ジャクソンはニューヨークに留まった後に帰郷。パメラはグレッグと元のサヤにおさまってジャクソンのもとを去り、アダムは永遠に帰って来ることがないという結末に至りました。最後に自分も戻らないとしたのは過去を断ち切って生きるという決意が込められているのでしょう。

 1970年の『The Criterion Demos』からの音源。このデモにはファースト・アルバムに収録されることになる「Jamaica Say You Will」、「Song For Adam」、「Doctor My Eyes」、「A Child In These Hills」、「My Opening Farewell」なども収録されています。 


 1960年代後半から1970年代前半に活躍したデュオ、ヘッジ&ドナのヴァージョン。1968年リリースの『Hedge & Donna 2』に収録。


参考文献:『Jackson Browne - His Life And Music』マーク・ビーゴ著、水木まり訳、蒼氷社 2007年

ジャクソン・ブラウン―ヒズ・ライフ・アンド・ミュージックジャクソン・ブラウン―ヒズ・ライフ・アンド・ミュージック
(2007/11)
マーク ビーゴ

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