好きな音楽のことについて語りたいと思います。

Bonnie Raitt - SOULS ALIKE

 前回はジャクソン・ブラウンとボニー・レイットによる「Kisses Sweeter Than Wine」を取り上げました。このままお別れするのは名残惜しく、しばらく男性アーティストが続いていたこともあってジャクソン・ブラウンさんには悪いけれど今回はボニー・レイットさん単独で再登場してもらうことに致します。
 さて、待望の新作が4月にリリースされますが、お題として選んだのはそのひとつ前のアルバム「Souls Alike」。ボニー・レイットが2005年に発表した自信と貫禄がみなぎる一枚でした。

Souls AlikeSouls Alike
(2005/08/19)
Bonnie Raitt

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1. I Will Not Be Broken
2. God Was In the Water
3. Love On One Condition
4. So Close
5. Trinkets
6. Crooked Crown
7. Unnecessarily Mercenary
8. I Don't Want Anything to Change
9. Deep Water
10. Two Lights In the Nighttime
11. The Bed I Made

 こちらが4月に発売予定のニュー・アルバムです。ボニー・レイット自身のレーベル Redwing Records からのリリースで、ボブ・ディランやラウドン・ウェインライト3世の楽曲が収録されている模様。

SlipstreamSlipstream
(2012/04/10)
Bonnie Raitt

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 1971年のデビュー以来、女性の持つ穏やかさが表現されたスライド・ギターの演奏やブルージーながらも飾り気のないしなやかな歌声でリスナーを魅了してきたボニー・レイット。日本では未だに少々影の薄い存在ですが、本国アメリカでは何度もグラミー賞の各賞に輝き、実力派として君臨するシンガー・ソング・ライター/ギタリストです。
 スタジオ録音のオリジナル・アルバムとしては通算15作目となる『Souls Alike』はボニー・レイットが初めて単独でプロデュースした作品ですが、自作の曲は1曲も収録されていません。2002年のアルバム『Silver Lining』発表後はドン・ヘンリーと端役で特別出演した『The Country Bears』(2002年公開)、マーティン・スコセッシ制作・総指揮の『The Blues』(2003年公開)などの映画のサントラ盤に参加。レコーディングが行われていた2004年には大統領選挙に際してジャクソン・ブラウンとともに変革のための投票を促す「Vote For Change Tour」のステージに立ち、多忙を極める日々を送っていました。そのせいでオリジナル曲を書く暇がなかった訳ではないでしょう。しかし、こんなことは決して初めてのことではなく、1973年の『Takin' My Time』や1977年の『Sweet Forgiveness』なども自作の曲が収められていませんでした。もともとボニーは同時代のシンガー・ソング・ライターたちの作品をいち早く取り上げて世の中に紹介するという一面を持っていた人。本作も彼女独自の解釈により、収録された曲が見事な色彩を放っています。 
 バックを受け持つバンドの演奏力も充実。ボニー・レイットはスライド・ギターとヴォーカルに専念し、艶と円熟味が増したパフォーマンスを展開している様子が窺えました。 
 なお、「Vote For Change Tour」とは民主党選出の大統領候補のジョン・ケリーを支援するキャンペーンで、ボニー・レイット、ジャクソン・ブラウン、ブルース・スプリングスティーンなどの有名なミュージシャンたちが、ジョージ・ブッシュ大統領率いる共和党政権に対して「No」をアピールした行動です。ボニー・レイットはジャクソン・ブラウンとともに2004年9月27日(ワシントン州シアトル)を皮切りに、29日(アリゾナ州フェニックス)、10月2日(オハイオ州シンシナティ)など数多くのステージに立ちました。

 オープニング・ナンバーに相応しい軽快で、女性の力強さやしたたかさが描かれた「I Will Not Be Broken」。エリック・クラプトンでお馴染みの「Change The World」を書いたトミー・シムズ、ゴードン・ケネディ、ウェイン・カークパトリックの3人による共作曲です。ボニー・レイットの雰囲気にぴったりの曲で、彼女を想定して創作されたかのような印象を受けました。



I WILL NOT BE BROKEN
あれは過去のこと、今は状況が違う
何とか立ち直ったのよ
分かってた 別れが避けられなかったことを
前にもそう言ったでしょう

めちゃめちゃにしてくれてもいい
私を縛り付けても
心までは束縛できない
引きずり回して
限界まで追いつめればよい
たとえ屈服しそうになっても
自分の居場所が分かっている
私はくじけない
私はくじけない
絶対に

私ではない誰かがいる
自分のために闘うわ
 
 バック・バンドでキーボードを担当するジョン・クリアリー作のファンキーなナンバー、「Unnecessarily Mercenary」。ボニー・レイットの豪快ですすり泣くようなスライド・ギターが心の芯にまで響き渡ります。バックで守り立てるようなピアノの演奏が実に効果的。



 切なくもさりげない歌声が胸に滲みる「I Don't Want Anything to Change」はノラ・ジョーンズとの共演映像でお楽しみください。この曲はマイア・シャープ、リズ・ローズ、ステファニー・チャプマンらによる共作曲。作者のひとりであるマイア・シャープはボニー・レイット自身がお気に入りのシンガー・ソング・ライターと公言する人物で、ディキシー・チックスに提供されてアルバムの表題曲ともなった「Home」のヒットで知られています。ちなみに、「Home」の本人のヴァージョンは2005年の『Fine Upstanding Citizen』に収録。



 リー・クレイトンとパット・マクラフリン共作の「Two Lights In the Nighttime」はベン・ハーパーをフィーチャーした映像をご覧ください。パット・マクラフリンはナッシュヴィル周辺で活動するシンガー・ソング・ライターですが、バーニー・レドンがアルバム『Tiny Town』(1998)をプロデュースしたことで話題を呼んだタイニー・タウンにもギタリストとして在籍していた人。この曲のオリジナル・ヴァージョンは2002年発表の彼のソロ・アルバム「Uncle Pat」に収録されていました。



 このアルバムにはジャクソン・ブラウンの曲もエリック・ジャスティン・カズの曲も収められていません。代わってマイア・シャープやジョン・クリアリーといったボニー・レイットよりも若いアーティストの作品が何曲も並び、これまでと違った面も垣間見えました。人生の酸いも甘いも噛み分けた年代となったボニー・レイット。キャリアにこだわらずに音楽と向き合い、ささやかであるもさらなる飛躍を続けようとする姿勢には恐れ入るばかりです。

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Jackson Browne & Bonnie Raitt - Kisses Sweeter Than Wine

 今回も引き続きウエスト・コーストのロック・アーティストを取り上げます。ご登場いただくのはジャクソン・ブラウンとボニー・レイットのご両人。お二人がトリビュート・アルバム『Where Have All The Flowers Gone: The Songs Of Pete Seeger』の中でデュエットした「Kisses Sweeter Than Wine」をお題と致しました。


Where Have All The Flowers Gone: The Songs of Pete SeegerWhere Have All The Flowers Gone: The Songs of Pete Seeger
(1998/03/17)
Pete Seeger

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KISSES SWEETER THAN WINE
俺がキスなんてしたことがなかった青二才の頃
経験がなかったそのことばかりが頭の中にあった
俺はある娘に出会ってキスをした
ああ、もう一度キスをした

ああ、ワインよりも甘いキス
ああ、ワインよりも甘いキス

あの人はわたしに求婚した
俺の女房になってくれと
一生涯幸せにすると
無垢な男のように膝をついて懇願した
ああ、その時わたしはあの人の手を取った

ああ、ワインよりも甘いキス
ああ、ワインよりも甘いキス

俺は一生懸命働いた
もちろん女房も
良い暮らしを夢見て
相伴って働いた
畑にはトウモロコシが実り
倉庫には小麦がどっさり
ああ、俺は双子の父親となった

ああ、ワインよりも甘いキス
ああ、ワインよりも甘いキス

わたしたちの子供は全部で4人
やがてあの子たちは恋人を連れてきた
みんなためらわなかったので
なんてこと、わたしは8人の孫のお婆さんになっちまった

ああ、ワインよりも甘いキス
ああ、ワインよりも甘いキス

俺たちはすっかり年老いて
そろそろお迎えを待つ頃だ
俺たちは遥か昔の出来事を懐かしく思い出している
子供たちにも恵まれ、様々な困難や苦労があった
ああ、だけど、生まれ変わっても同じ人生を選ぶだろう

ああ、ワインよりも甘いキス
ああ、ワインよりも甘いキス

 レゲエのビートをバックにジャクソン・ブラウンとボニー・レイットの息の合ったデュエットが心に滲みる「Kisses Sweeter Than Wine」。人生の素朴な幸福感が、「普通の人々」の視線で描かれていました。原曲はアイルランドの古いトラッドで、サム・ケネディがニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジで歌っているのを聴いたレッド・ベリーが、ピート・シーガーに教えた曲です。当時、大ヒットした「Goodnight Irean」に続く新曲を思案していたシーガーは敬愛する先輩の助けを渡りに舟とばかりに受け入れて、歌詞を書き変えてレコーディングに臨みました。

 ピート・シーガー率いるザ・ウィーヴァーズが1951年に発表したヴァージョンです。全米19位を記録しました。



 1957年にはジミー・ロジャース(Jimmie Rodgers)のヴァージョンが全米3位まで上昇。彼は1950年代後半から60年代前半に数々のヒット曲を飛ばし、バディー・ホリーと親交が深かったシンガーでした。なお、1920年代から30年代にかけて活躍したカントリー/ヒルビリー歌手の Jimmie Rodgers や シカゴ・ブルースを代表するシンガー/ギタリストの ひとりであるJimmy Rogers とはまったくの別人です。



 ピーター、ポール&マリーのヴァージョンも有名です。今回はアンディ・ウィリアムスとの共演した映像をご覧ください。PP&Mのヴァージョンは1966年の『Album』に、アンディ・ウィリアムスのヴァージョンは1967年の『Love Andy』に収録されていました。



 この「Kisses Sweeter Than Wine」を取り上げたアーティストは枚挙に暇がありません。女性の歌声を幾つか紹介しましょう。ゲーリー・クーパーと共演した映画『Morocco』(1930年公開)、スターの座を確立した代表作『Shanghai Express』(1932年)、ビリー・ワイルダー監督作品の『A Foreign Affair』(1948年)や「Lili Marleen(リリー・マルレーン)」では歌手としてもお馴染みのドイツ出身の女優、マレーネ・ディートリッヒの登場です。彼女は「100万ドルの脚線美」と称され、けだるく退廃的な魅力で人気を博した人ですが、このカヴァー・ヴァージョンも妖艶な雰囲気が漂っていました。スタジオ録音盤は1958年のリリース。



 ナナ・ムスクーリのヴァージョンは「Ses Baisers Me Grisaient」と題してフランス語で歌われています。1966年の『Un Canadien errant』に収録。



David Crosby - Oh Yes I Can

 前回に取り上げたCSN&Yの『American Dream』の記事の中で、デヴィッド・クロスビーの社会復帰が18年ぶりに彼らが再結成するきっかけになったと述べました。そこで今回は『American Dream』発表の翌年である1989年にリリースされたクロスビーのソロ・アルバム『Oh Yes I Can』について少しばかり言及したいと思います。

Oh Yes I CanOh Yes I Can
(1990/10/25)
David Crosby

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1. Drive My Car
2. Melody
3. Monkey And The Underdog
4. In The Wide Ruin
5. Tracks In The Dust
6. Drop Down Mama
7. Lady Of The Harbor
8. Distances
9. Flying Man
10. Oh Yes I Can
11. My Country 'Tis Of Thee

 前回の記事でも触れましたが、デヴィッド・クロスビーは薬物中毒に陥り死線を彷徨う経験をしています。彼がドラッグに手を出し始めたのは音楽活動を行うようになって間もない頃ということなので、1960年代初頭からでしょうか。マリワナやLSDといったドラッグの使用により意識の世界が広がるという感覚を得た気分になっていたようです。ザ・バーズ在籍時も脱退後もクロスビーの薬物癖は治まらず、69年に恋人を交通事故でなくしてからは苦痛を忘れるためにヘロインをも使い、常習に拍車がかかりました。60年代のカウンター・カルチャーはドラッグ・カルチャーと揶揄されることもあり、そうした文化の中心にどっぷり漬かっていたクロスビーには自分が薬物中毒であるという認識がなかったのかもしれません。また、ドラッグの影響が反映されたファースト・ソロ・アルバム(1970年発表)が、CS&Nの成功の余勢を駆ってまずまずのセールスを記録したことも自分の言動を正当化する根拠になったと推測されるでしょう。
 癒しのつもりで始めたドラッグはやがてクロスビーの心身を蝕み、音楽活動や人間関係に支障を来すようになります。稼いだ金はドラッグにつぎ込まれ、破産寸前。薬物や銃の不法所持で逮捕されることもしばしばでした。
 グラハム・ナッシュ、ジャクソン・ブラウン、そしてジェファーソン・エアプレインのポール・カントナーとグレイス・スリックらの尽力によりクロスビーは治療のために病院へ入院するものの脱走を繰り返し、恋人とともに国外脱出を図るほどの手の付けられない状態へと向かいます。しかし、このまま逃亡生活を続けるとアーティストとしての活動停止はもとより、子供たちにも二度と会えない状況になることに気づき、己の過ちを恥じ入るが如く自らFBIに連絡して逮捕されることを選択したのでした。
 クロスビーはダラスの刑務所の独房で4ヵ月を過ごし、その後テキサスの刑務所へ移って刑務作業に勤しみ、薬物から抜け出す努力を懸命に行います。やがて創作活動も再開できるほど快復し、1986年8月8日、クロスビーは服役を終えて仮出所。社会復帰の第一歩を踏み出すことになりました。
 ロサンゼルスの更生施設でリハビリに励み、肝移植手術を受けて体調も整ったクロスビー。本格復帰を視野にいれ、グラハム・ナッシュとともに「ドラッグ追放コンサート」のステージに立ちます。そして、1988年のCSN&Yのリユニオンが実現する運びとなりました。
 翌89年、心身の健康を取り戻したデヴィッド・クロスビーはソロ・アルバム『Oh Yes I Can』をリリースします。タイトルに表されている通り、美しく親しみやすいメロディーに乗せてポジティヴなメッセージが伝わり、ドラッグにのめり込んだかつての退廃的なイメージはどこにもありません。それでも社会問題や環境問題への関心は薄れることなく、警告や問題提起が込められた曲も幾つか含まれていました。
 
 クロスビーとクレイグ・ダーギと彼の妻であるジュディ・ヘンスキらとの共作、「In The Wide Ruin」。ジャクソン・ブラウンがコーラスで参加しています。美しいバラード曲ですが、CS&Nの「Wooden Ships」やジャクソン・ブラウンの「Before The Deluge」に描かれた世界のその後が示されていると思われ、核開発や環境問題への警鐘と受け取れました。もっとも、自衛のために核が必要との論議や環境保護を隠れ蓑にしてタチの悪いビジネスを展開する勢力が横行している昨今、せっかくのクロスビーらのメッセージも綺麗ごとにしか映らなくなったのが残念です。



IN THE WIDE RUIN
この砂漠に中に
かつて街があった
噴水は光を浴びてきらめき
澄みきった水が溢れ出ていた
舞い上がる白い鳥の群れ
もしかしてここは海だったのかもしれない・・・・・
そして音楽も流れていた

荒涼とした心の奥深く
変わりゆくものは何ひとつない
荒涼とした心の奥深く
留まるものは何ひとつない

石の宮殿
硝子の塔
真鍮で形作られた鐘が
時を告げる

地平線の向こうの
栄華を誇った地の中に
見渡す限り
人の姿はどこにもない
風が吹きすさぶ空間に
人々の痕跡は何も残っていない
人の心を認識したい
私に確かめさせてほしい

荒涼とした心の奥深く
変わりゆくものは何ひとつない
荒涼とした心の奥深く
留まるものは何ひとつない
眠りなさい 荒れ狂う心よ
果てしない廃墟の中で

 マイケル・ヘッジスのアコースティック・ギターをバックにグラハム・ナッシュとのハーモニーが心に滲みる、「Tracks In The Dust」。クロスビー夫妻とナッシュ夫妻の4人で夕食を共にしていた時の世間話にヒントを得て作られた歌とのことですが、各々による政治批判や当時のアメリカ社会への複雑な思いが表されていました。



 ドラッグに取り憑かれた生活への訣別と新たな人生を育む決意が表された表題曲、「Oh Yes I Can」。ジェイムズ・テイラーがコーラスで参加していますが、薬物中毒で苦しんだ経験のある彼にとってもこの歌は共感するところが多々あったと推察されます。バックを受け持つのはクレイグ・ダーギ(キー・ボード)、リーランド・スクラー(ベース)、ラス・カンケル(ドラムス)ら気心知れたお馴染みのメンバー。情感を込めたクロスビーの歌声からは自信に満ちあふれた様子が窺えました。また、この歌は国外逃亡を図った際も傍らに寄り添い、後に妻となったジャン・ダンスに捧げられているとも解釈出来るでしょう。



OH YES I CAN
ピアノの前に座り込んで
どうすればこの闘いに勝てるのかと思いを巡らす
俺が愛してやまなかった女性は
ひどい仕打ちがなされたのだと感じているように思える

でも、そうじゃない
絶対にそんなことはないんだよ
君に分かってほしいんだ

そうさ、
俺は君が恋した男のままでいられるんだよ
大丈夫さ
火と氷、火と氷・・・・・・水

キッチンに座っているけれど
食事のことを考えているわけではない
君をとても愛している
出て行く君を見たくないんだ
目が見えなくなってしまう時は
きっとこんな感じなんだろうな

どうしても君に知ってもらいたい
君に理解してもらいたいんだ

砂丘に座り込んで
どうしたらいいのか海に問いかけている
俺は再び自分の人生を見つけた
それは君の存在
君とともに分かち合いたい
だけど君を失うと考えただけで
とてつもない恐怖に苛まれる

そうさ、
俺は君が恋した男のままでいられるんだよ
大丈夫さ
分かるだろう
俺が言いたいのは
火と氷
火と氷で
水になるってことさ

 アルバムを締めくくるトラディショナル・ナンバーの「My Country 'Tis Of Thee」はCS&Nの息の合ったライヴ映像を堪能していただければ幸いです。演奏が終わり、共和党の大統領候補として民主党のバラク・オバマ上院議員(当時)と2008年の大統領選挙で戦ったジョン・マケイン上院議員とCS&Nが握手を交わす場面が印象的でした。



 アルバム発売直後にTVショーに出演した際の映像です。ハード・ロック風のオープニング・ナンバー、「Drive My Car」と麻薬中毒から抜け出す苦しみを歌にした「Monkey The Underdog」のライヴ・パフォーマンスを宜しければご覧ください。



 1994年にドラッグ中毒の後遺症から再び肝臓移植手術を受けるアクシデントがありましたが、復帰後の音楽活動はほぼ順風満帆。円熟味と瑞々しさが溢れ出たパフォーマンスを繰り広げています。ドラッグに身も心も奪われた80年代中頃のおぼつかない様子はもうどこにもありません。

 私が大学生だった80年代のある頃、「デヴィッド・クロスビーは温和そうに見えるけど性格の悪い奴らしいで」と少し年上の知り合いががっかりした口調で言っていたのを憶えています。でも、それは薬物に取り憑かれて自己を失っていた時の彼の姿。周囲の人たちの惜しみない献身に支えられて復調したクロスビーの映像を目にすると、本来は繊細で優しい人柄なのだと実感しました。

 先頃、卓越したソウルフルな歌唱力で一世を風靡したホイットニー・ヒューストンがこの世を去りました。死因は不明ですが、彼女もドラッグに溺れた時期があり、破産寸前にまで追い込まれたとの報道を耳にしたことがあります。夫の暴力や離婚問題が彼女を薬物に走らせたのでしょうか。
 1980年代の中頃、「覚せい剤やめますか? それとも人間やめますか?」というキャッチフレーズのCMがテレビで放送されていました。薬物依存は心身を滅ぼすことのみならず周囲の人々まで巻き込み、代金は闇の勢力の資金源へと流れて行くのが実状。ドラッグを使って現実の困難から逃避しても、救われるどころかさらなる苦難が待ち受けているものです。薬物に深入りすると塗炭の苦しみを味わい、悲劇的な末路を辿ることをデヴィッド・クロスビーの波瀾万丈の人生が物語っていると言えるでしょう。

Crosby, Stills, Nash & Young - Compass

 前回はCSN&Yのアルバム『American Dream』を取り上げましたが、ニール・ヤング作の表題曲ばかりについて言及し、残りのメンバーの方々には失礼な扱いをしたように思えます。そこで、今回は引き続きデヴィッド・クロスビー、スティーヴン・スティルス、グラハム・ナッシュのお三方のナンバーに焦点を当てて少しばかり語らせていただくことにしました。

American DreamAmerican Dream
(1988/11/15)
Crosby Stills & Nash

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1. American Dream
2. Got It Made
3. Name Of Love
4. Don't Say Good-Bye
5. This Old House
6. Nighttime For Generals
7. Shadowland
8. Drivin' Thunder
9. Clear Blue Skies
10. That Girl
11. Compass
12. Soldiers Of Peace
13. Feel Your Love
14. Night Song


 デヴィッド・クロスビーはドラッグ中毒に苛まれて音楽活動に支障を来し、CS&Nとして1982年に発表したアルバム『DAYLIGHT AGAIN』の録音時でも本調子で臨めませんでした。彼はその後、1986年に銃器法違反で逮捕されて刑務所生活を送り、薬物や飲酒が祟ったのか肝硬変を患って生死の境を彷徨うほどの経験もしています。
 やがて肝移植を含む懸命の治療が功を奏し、クロスビーは社会復帰。以前にニール・ヤングがクロスビーがドラッグを止めて立ち直ることを条件にCSN&Yの再結成に加わることを公約していたこともあり、待ちかねていたようにスティーヴン・スティルス、グラハム・ナッシュも駆けつけ、18年ぶりに4人揃ってのアルバム『American Dream』リリースへと相成りました。

 それでは収録曲を何曲か紹介していきましょう。まず、刑務所の独房で自分の人生を振り返りながら反省し、薬物中毒が災いして肝硬変を発症して死の淵に臨んだ体験を顧みて創作されたデヴィッド・クロスビー作の「Compass」です。苦しみの中から這い上がろうとする意志が表されていました。



COMPASS
俺は目隠しされた状態で10年間を無駄にしてしまった
いま思い返すと俺が費やした時間はその10倍以上に感じられる
蠅が這うように傾斜のある鏡をのたうち回り、
闘志心の反映を失った

だが、北を捜す羅針盤のように
俺の中には今なお、魂が生き続けているのさ
疑念の雲が稲妻と雷鳴によってばらばらに裂け
俺の心の羅針盤から光が放たれている

俺はコウモリの翼をつけて血迷った飛行を続け
死に通じる扉の取手を握ったから闇を知っているのだ
水の中から釣り上げられた魚のように
猫の慈悲を求めて待っている

だが、北を捜す羅針盤のように
俺の中には今なお、魂が生き続けているのさ
疑念の雲が稲妻と雷鳴によってばらばらに裂け
俺の心の羅針盤から光が放たれている

 グラハム・ナッシュの真骨頂のひとつである反戦歌である「Soldiers Of Peace」です。力による平和を掲げたロナルド・レーガン政権下におけるグレナダ侵攻やニカラグア内戦を激化させていったことなどに対する不満や抗議が背景にあるものと推測されます。1980年代ではまだ説得力のあるメッセージでしたが、残念ながら軍事力の用意を後ろ盾にして外交を有利に展開して行くことが主流となった今の世界情勢では非現実的で空しいとの印象が拭えません。



SOLDIERS OF PEACE
平和の兵士たちは戦争という戦いをしない
扉の背後に潜む敵を捜したりしない
殺したり、不具にするために人々を待ち伏せたりしない
平和の兵士たちはゲームを変える

我々の生命を守るために戦っていた男たちはいま、
子供たちのために、家庭や妻のために闘っている
戦死した仲間の思い出のために闘っている
老いた戦士たちはもうこれ以上、人が人を傷つけることを望まないのだ

だから戦いのために生きる戦士たちよ
あなた方より以前に
そこに行ったであろう人たちの声に耳を傾けよう
死んでいったの彼らが真相をあなた方に語るのは当然のこと
老いた戦士たちはもうこれ以上、人が人を傷つけることを望まないのだ

平和の兵士たちには
泣き叫びながら命を失った人々の嘆き声や
体が引き裂かれて魂を粉砕された人々の悲鳴がいまでも聞こえる
平和の兵士たちは人々が嘆き悲しむ光景を見たくないのだ

だから戦いのために生きる戦士たちよ
あなた方より以前に
そこに行ったであろう人たちの声に耳を傾けよう
死んでいったの彼らが真相をあなた方に語るのは当然のこと
老いた戦士たちはもうこれ以上、人が人を傷つけることを望まないのだ

 グラハム・ナッシュの歌声をもう一曲、こちらは切ない失恋の歌、「Don't Say Goodbye」です。政治的な歌のみならずパーソナルな作品もナッシュは得意にしておりますが、これは誰のことを歌っているのでしょうか。



 ニール・ヤング作の「This Old House」もご覧ください。1990年にファーム・エイドに出演した際の映像です。1970年の『DeJa Vu』に収録されていたグラハム・ナッシュ作の「Our House」のささやかな幸福感を崩壊させるが如く、夢と思い出が詰まった家を手放す情景が描かれていました。「我々のこの古い家は夢の上に建てられた/そのことが何を意味するか事業家には分からない/外には妻が毎日手入れしている庭がある/そして明日になれば銀行員がやって来て何もかも奪い去って行く」との歌詞は現在のサブプライム住宅ローン危機を連想させます。アメリカ社会では80年代も今も底辺で起こる問題はさほど変わらないのかもしれません。



 ラストを飾るナンバーはニール・ヤングとスティーヴン・スティルス共作の「Night Song」。このアルバムはニール・ヤングひとりが気を吐き、スティルスの存在感が薄れているような雰囲気がしないでもないのですが、彼の個性的なギター・プレイは随所で堪能出来ます。



 アルバムは全米チャートの16位まで上昇し、まずまずのセールスを記録しました。しかし、1位となった『Deja Vu』や『4 Way Street』には遠く及ばず、物足りなさを覚えざるを得ません。盛者必衰の理の如くといったところでしょうか。