好きな音楽のことについて語りたいと思います。

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The Beach Boys - Come Go With Me

大学生の頃、若気の至りでアメリカを横断した経験があります。ロサンゼルスからニューヨークを目指し、グレイハウンド・バスに乗っての一人旅。頭の中では”I've come to look for America ” とサイモン&ガーファンクルの「America」が鳴り響き、きっと素晴らしい出会いと貴重な体験が出来るものと信じてやみませんでした。

しかし、今回の記事はS&Gではなくてビーチ・ボーイズ。彼らが1978年にリリースしたアルバム、『M.I.U. Album』に収録されていた「Come Go With Me」をお題とします。

M.I.U.アルバム(紙ジャケット仕様)M.I.U.アルバム(紙ジャケット仕様)
(2008/07/23)
ビーチ・ボーイズ

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1. She's Got Rhythm
2. Come Go With Me
3. Hey, Little Tomboy
4. Kona Coast
5. Peggy Sue
6. Wontcha Come Out Tonight ?
7. Sweet Sunday
8. Belles Of Paris
9. Pitter Patter
10. My Diane
11. Match Point Of Our Love
12. Winds Of Change

アメリカに渡った夏、バスデポ構内の自動販売機だったか、どこかの町のドラッグ・ストアだったかはよく憶えておりませんが、のどの渇きを潤そうと清涼飲料水を求めたことがありました。コーラや炭酸系が苦手な私ですが、さすがに暑さに耐えられず爽快感を味わいたかったのです。
その時に目に留まったのが黄色の下地に緑とオレンジで「mello Yello」と描かれた缶。ドノヴァンの名曲「Mellow Yellow」をもじったかのような商品名が気になり、これはきっと摩訶不思議な感覚をもたらしてくれる代物に違いないと思い込んで買ってしまいました。若かったとはいえ、あまりにも単純な行動です。
さて、無造作に缶を開け、ゴクリと飲むと口の中に広がるのはシトラス系の甘酸っぱさと独特の滑らかな味わい。炭酸の泡が弾けながら喉を通り、程よい刺激が伝わってきたのです。こうしてアメリカの夏の定番となりました。

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Coca-Cola(コカ・コーラ)

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これはペット・ボトルですが、当時は缶入りで売られていました。ロゴや配色など外観の雰囲気はほぼ同じ。

帰国後ほどなくして日本でも発売。再会までにそれほど時間を要すことがなかったのは嬉しい限りです、しかし、前述の通り炭酸系はうだるような真夏の日にしか体が受け付けなかったので、次第に「mello Yello」は忘却の彼方。いつの間にか店頭から姿を消してしまいました。

こうして「mello Yello」の存在すら忘れてしまっていた2011年。テレビの画面からいきなり耳に馴染んだ曲とともに目に飛び込んだのがこのCMです。





COME GO WITH ME
愛してる 君を愛しるよ、ダーリン
俺と一緒にあちこち出かけよう
どうか海の彼方に追い払わないでくれ
君が必要なんだ
だからこっちに来て俺と一緒に行こう

おいで おいで こっちに来なよ
俺の心の中に入ってこいよ
俺に誓ってくれよ ダーリン
二人は決して別れないと
俺には君が必要なんだ ダーリン
さぁ、こっちにおいで、俺と一緒に行こう

ああ 俺には君が必要
そうさ 本当に君が必要なんだ
どうか俺を捨てないと言ってくれ
うーん 先のことは分からないなんて君は言うんだね
そうさ 君は絶対に
君は俺にチャンスをくれないんだね

愛してる 君を愛しるよ、ダーリン
俺と一緒にあちこち出かけよう
どうか海の彼方に追い払わないでくれ
君が必要なんだ
だからこっちに来て俺と一緒に行こう

なんとビーチ・ボーイズの「Come Go With Me」が再発売された「mello Yello」のCMに使われていたのです。リード・ヴォーカルはアル・ジャーディン。アルバムのプロデュースも彼が担当していました。

宜しければ1983年頃にアメリカで流されたCMもご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=RywjUBsKDxo

この曲はビーチ・ボーイズのオリジナル作品ではありません。ピッツバーグの空軍基地で結成されたというデル・ヴァイキングスが1957年に全米4位まで上昇させたヒット曲です。彼らのヴァージョンはジョージ・ルーカス監督の映画『American Graffiti』(1973年公開)やスティーヴン・キング原作、ロブ・ライナー監督作品『Stand By Me』(1986年公開)などのサントラ盤に収録されていました。私は何度もこれらの映画を観ているのですが、どこで挿入されていたやらとんと憶えがありません。


American GraffitiAmerican Graffiti
(2007/05/07)
Various

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Stand By Me: Original Motion Picture SoundtrackStand By Me: Original Motion Picture Soundtrack
(1994/06/17)
Jack Nitzsche

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ニューヨークのブロンクス出身のドゥー・ワップ・グループ、ディオン&ザ・ベルモンツのリード・ヴォーカルだったディオンも1962年にレコーディング。アルバム『Lovers Who Wander』に収録されていました。


珠玉のオールディーズとしていつまでも輝きを放つ「Come Go With Me」。最近ではクリフ・リチャードが2004年のアルバム『The World Tour』で、ケニー・ロギンズが2009年の『All Join In』でそれぞれカヴァーしており、ある年代の英米人にとっては私の「mello Yello」よりも定番であり、人生において重要な位置を占める名曲なのでしょう。



ビートルズも前身であるザ・クオリーメン時代にこの「Come And Go With」をレパートリーにしていたというエピソードが、『The Beatles Anthology』(リットー・ミュージック刊)の中に記述されています。クオリーメンは1997年に再結成。ジョン・レノンもジョージ・ハリスンも既にこの世になく、ポール・マッカートニーも参加しておりませんが、宜しければライヴ映像をご覧ください。

http://www.youtube.com/watch?v=115VIoJNI1w


THE BEATLESアンソロジーTHE BEATLESアンソロジー
(2000/10)
ザ・ビートルズ・クラブ

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弾むような曲調が清涼感とCMのイメージにぴったり合っているのは間違いないのですが、どうせならビーチ・ボーイズのオリジナル作品を使ってほしかったなと思った次第です。
例えば,こんな曲。




ちょっと甘ったるかったでしょうか。
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中村とうよう御大への惜別の辞

7月21日、パソコンでニュースを検索しているうちに衝撃的な文字が目に飛び込んだ。「音楽評論家の中村とうようさん、飛び降り自殺か」、慌ててクリックして全文を読んだのは言うまでもない。

21日午前10時15分ごろ、東京都立川市柴崎町のマンション敷地内で、マンション8階に住む音楽評論家の中村とうよう(本名・中村東洋)さん(79)が頭から血を流して倒れているのを通行人の女性が見つけ、119番通報した。中村さんは頭を強く打っており、搬送先の病院で死亡が確認された。警視庁立川署は、中村さんが8階の自室から飛び降り自殺を図ったとみて調べている。(『MSN産経ニュース』7月21日18時1分配信)

中村とうよう御大は1932年7月17日、京都府峰山町(現・京丹後市)に生まれた。京都大学経済学部を卒業後、日本信託銀行員を経て音楽評論家として活動を始め、1969年に音楽雑誌『ニューミュージック・マガジン』(現・ミュージック・マガジン)、1982年には『レコード・コレクターズ』を創刊。『マガジン』は1989年まで、『コレクターズ』は1992年頃まで編集長を歴任した。また、NHK、TBS、ニッポン放送などでディスク・ジョッキーを担当し、一時期「レコード大賞」の審査員も務める。その他、自身のレーベル「オーディ・ブック」を主宰してCDブックの形態でワールド・ミュージックを紹介。松岡直也、芸能山城組などのレコード・CD等のプロデューサーとしても才覚を振るった。『大衆音楽の真実』、『地球が回る音』、『雑音だらけのラヴソング』、『ポピュラー音楽の世紀』など著書多数。
2008年10月より武蔵野美術大学客員研究員に就任。2010年12月にて株式会社ミュージック・マガジンの会長職を辞した。
なお、『ニューミュージック・マガジン』の編集に携わったスタッフの中から音楽評論家の小倉エージ氏、北中正和氏、作家・評論家の西村幸祐氏、フリーランスライター/エディターの柾木高司氏、太田克彦氏らを排出している。

私が、『ニューミュージック・マガジン』を初めて手にしたのは小学生の頃だと思う。当時、兄の部屋に無造作に置かれた音楽雑誌をビートルズや映画の記事が楽しみで読みふけることがあり、その中の一冊が『ニューミュージック・マガジン』だったのだ。兄の部屋から流れて来る洋楽に親しみを覚えていたとはいえ、最初の頃は未知の領域に関心を示すことなどない。しかし、どうしたものか好奇心から想像力をも駆使し、あれこれ読み進めて行くうちに自然と対象外だった事柄にも興味を抱いてしまうものである。おかげで実際は音楽を聴いたことがないミュージシャンであっても、おぼろげながら輪郭のようなものを頭の中で勝手に描き想いを巡らせたものだった。
中村とうようという名を意識し始めたのはもう少し後のこと。自分でもレコードを購入するようになった頃だろう。ミュージシャンの派手な写真が掲載された音楽雑誌よりも社会の動きや時事問題と音楽を絡めた「ニューミュージック・マガジン」の編集方針に心を惹かれた。音楽は社会を映す鏡とはよくいったものである。

このように熱心に『ミュージック・マガジン』を読んでいたにもかかわらず、自分が所有しているレコードやCDのライナーに中村とうようの名前は殆ど目にすることがない。中村御大が、アメリカのロックやウエスト・コースト・サウンドには厳しい立場を取っていたからだろう。『ニューミュージック・マガジン』1979年11月号の「ロック革命の中のヨーロッパの影」と題する記事の中にこういう記述がある。「それにしてもディランの『鈍行列車がやって来た』に見るように、ダイア・ストレイツのレイドバックしたスロウ・ディスコ・ビートとキリストへの逃避がエセ・ヒューマニズムの行き着いた先だというのは、あまりに情けない。このディランやイーグルスの新作のただよわすどうしようもない暗さは、泥沼の中へ足を引っぱり込まれている暗さのようにぼくには感じられ、それと対照してパンク以後のロックの持っている暗さは、ヨーロッパにもはや闇しか残されていないことを見据えてその暗さを自ら逆手に取って力としているというふうに見える。だから暗くはあっても『黄昏の光』なのである」と述べていた。なお、『鈍行列車がやって来る』は『Slow Train Coming』、イーグルスの新作とは『The Long Run』のことである。

1960年代のボブ・ディランのアルバムを担当していたのは中村御大その人なのだが、66年の『Blond On Blonde』を最後にピンとこなくなり、67年の『John Wesley Harding』や 69年の『Nashville Skyline』のサウンドがカントリー風になったことに抵抗感を抱いた旨を『Bob Dylan Disc Guide』の記事の中で吐露していた。90年代以降、中村御大は『ディランはもうソング・ライターとしては興味ないけども、パフォーマーとしてはすごく興味がある」といった発言を繰り返し、「もし自分にプロデュースを任せてもらえるならアフリカ音楽をバックに取り入れる」との趣旨を述べておられたことがある。関心がないとは言えど、中村御大にとって気になるアーティストに変わりがないようだ。
また、ディランに関しては著書『ポピュラー音楽の世紀』にて、「フォーク・ソングが掲げる理念をただのタテマエに終わらせないためにはそこにロックという爆弾を仕込む必要があると考えたディラン。ロックのエネルギーを商業主義に盗み取られないために歌詞に社会の真実を盛り込もうと模索するレノン。この二人の方向性がひとつにまとまろうとしていた。このときロックは本当の姿を取り戻しかけた。しかし、それ以降もロックを抱き込もうとする商業主義の強い働きかけは止まなかった」と記述している。

中村御大はもともとラテン音楽、ジャズ、R&B、ブルース、民族音楽に精通していた人。言葉は悪いがロックは片手間で評論していた嫌いが見受けられることもある。その御大も『ニューミュージック・マガジン』を創刊するにあたり、「かつてはぼくもロックなんて低級な音楽だと思っていた。そうじゃないと考えるようになると、こんどは世間一般のロックに対する偏見・蔑視が気になってくる。(中略)いまやロックは新しい若者の大衆文化として、重要な役割をになうようになっているのだから、文化論的な立場からロックを正当に把握するための活字メディアが必要だ・・・・・・というのがこの雑誌の発刊の趣旨なのだが、正直いって、自分でもよくわからないところもある」(1969年4月創刊号の後記より)と述べていた。また、さらに誌名を『ミュージック・マガジン』に変更した1980年1月号の後記にも「60年代の後半に大きく盛り上がった新しい若者の音楽を表すのに最適の用語として”ニュー・ミュージック"という言葉を使った。アメリカの『シング・アウト』誌でフィル・オクスが、ビートルズとディランを起点とする大きな動きを"ニュー・ミュージック"と読んでいたのがヒントになった」との趣旨を語っている。

『ミュージック・マガジン』にはとうようズトークという連載がある。中村御大が音楽の紹介のみならず、政治、経済、風俗などといった時事問題や社会問題をも歯に衣着せぬ辛口の視点で一刀両断にする名物コーナーだ。しかし、的を射た発言が多々あるものの独善的で到底受け入れ難い発想も提起され、ことに近年ではテレビや新聞の報道を鵜呑みにして短絡的に文章を書く傾向が否めないと感じられた。ボブ・ディランについても何度か扱われ、批判的な論調が多かったのだが、ここでも常に気にかけていた様子が窺える。まったく嫌いな人間なら無視をすればすむこと。とやかく口出しするだけ愛情が残っていたことのあらわれなのかもしれない。

『ニューミュージック・マガジン』創刊時のいきさつを語る中村とうよう御大。


アルバム『Nashville Skyline』のオープニングを飾る「Girl From North Country」。ボブ・ディランとジョニー・キャッシュが共演するヴァージョンだ。御大はCDのライナー(LP発表時に掲載されたものの転載)で「俗気を去った坊主の禅問答のような境地・・・というと少々オーバーかもしれぬが、とにかく小手先にこだわらぬご両所のおおらかなデュエットぶりは爽快である。最後に『トゥルー・ラヴ・オブ・マイン』と掛け合いになるところなど、実に人間味にあふれている」と評していた。



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(2004/08/18)
ボブ・ディラン

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現在も中村御大の解説が使われているかは不明。

仏教では釈迦を始め悟りを開いた聖者であれば、自殺をしても良いという考え方がある。人間が生きていくには動物や植物の命を奪わねばならない。人間自体が業(行為)を作っていると言えるだろう。そこで、悟りを開いた聖者であれば、余計な業を作らないために自殺したほうが良いというのだ。もっともこれは聖者にのみ許されることであり、一般人はいくら苦しくてもこの世で修行を積まなければならない。悟りを開いていない者は輪廻し、来生に生まれ変わって修行を続けるが、自殺をすることで積んだ修行は帳消しとなってしまう。聖者は輪廻から解脱しているので、自ら命を絶っても問題がない。
宗教嫌いでも有名だった中村御大であるが、仏教には造詣が深かった。まさかこうした仏教の教えを知らないはずがないし、自分が聖者であると思い上がってもいなかったであろう。それだけに自死という結末は不可解でならない。

KARAが表紙を飾り、K-POPの特集が組まれた『ミュージック・マガジン』8月号。時代の変化とはいえ、何か釈然としないものを感じる。もちろん最後となるであろうとうようズトークも掲載されている。
ワールド・ミュージックに精通していた中村御大の心にはK-POPという音楽が、どのように映っていたのだろう。月並みな言葉だが何かひとつの時代の終わりを象徴するように思えた。

もう中村とうよう御大はいない。謹んで冥福を祈ろう。そして、「ありがとうございました」と感謝の言葉を送りたい。

参考文献
『ニューミュージック・マガジン』(1974年4月号ー1969年4月創刊号を再収録)
『ニューミュージック・マガジン』(1979年11月号)
『ミュージック・マガジン』(1980年1月号)
『大衆音楽の真実』(株式会社ミュージック・マガジン 1986年)
『ポピュラー音楽の世紀』(岩波新書 1999年)
レコード・コレクターズ増刊『ボブ・ディラン・ディスク・ガイド』(株式会社ミュージック・マガジン 2010年)

Paul McCartney - Junk

ポール・マッカートニーのファースト・アルバムがデラックス・エディションとして再発されました。今回はその中から「Junk」を取り上げます。この曲は拙ブログとリンクしていただいているマーヤさんのブログ、「始まりはいつもジョン・デンバー」記事にされていますが、八分通り出来上がったのをボツにするには惜しいので公開させてもらうことにしました。勝手ながらご容赦くださるようお願い申し上げます。

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(2011/06/22)
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ポールのファースト・ソロ・アルバムの中に収録されていた「Junk」ですが、ビートルズのメンバーが1968年にインドへ滞在していたときに書き始められました。ファンやマスコミとの接触を断ち、心の平安を取り戻そうと夫人や恋人同伴で旅立ったインド。ドノヴァンや女優のミア・ファローなども同行し、傾倒していたマハリシ・ヨギから直接メディテーション修行を受け、瞑想にふける日々を送っていたのです。
ところが、リンゴ・スターが食事が合わないと言い出し、11日間で離脱。ポールも当初の予定通り三週間で帰国の途につきました。ジョン・レノンとジョージ・ハリスンは残って暫し修行を続けることを選択。しかし、インドに滞在して二ヵ月が過ぎようとしていた頃、導師であるマハリシ・ヨギがミア・ファローにセクハラ行為を行ったとの疑惑を持ったジョンが幻滅して彼のもとを離れ、ジョージもほどなく帰国を決意します。
滞在中の彼らは瞑想に多くの時間を費やしたものの楽曲創作にも十分過ぎるほどの機会を得ました。マハリシの言動に疑問や矛盾を抱いて短期間で袂を分かつことになったことは否めませんが、このメディテーションの旅がビートルズのその後の音楽活動に多大な影響を与えたのは間違いないところでしょう。

イギリスに戻った4人は5月末にジョージ・ハリスンの自宅に集結。『ホワイト・アルバム』用のデモをレコーディングしました。その中の一曲が「Junk」です。『ホワイト・アルバム』収録の「I Will」、「Blackbird」、「Mother Nature's Son」などに通じる表現力が豊かで表情のあるギターの響き。ポールによるアコースティック・ギターの弾き語りとして「Yesterday」や「Michelle」があまりにも有名ですが、明らかに変化が見られます。インド滞在中にドノヴァンの手ほどきを受けたと言われておりますが、精神面の修行のみならずアーティストとしての技量をも向上させた旅だったといえるのかもしれません。

これはブートレグに収められたもののように思われますが、「Anthology3」に収録されたヴァージョンはもう少し音が鮮明です。



アンソロジー(3)アンソロジー(3)
(1996/10/30)
ザ・ビートルズ

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結局「Junk」は『ホワイト・アルバム』以降のビートルズのアルバムに採用されることがありませんでしたが、ポールの初のソロ・アルバムで陽の目を観ることになりました。


JUNK
自動車、ハンドル、二人乗りの自転車
傷心の記念祭
パラシュート、アーミーブーツ、二人用の寝袋
センチメンタルなお祭り騒ぎ

ショー・ウィンドウの看板が「買って、買って」と訴え
ガラクタが「どうして? どうして?」と言い放つ
ロウソク立て、積み木、古くて新しいものたち
君と俺の思い出が詰まっている


ビートルズ時代のセッションでは歌詞が完全に定まらなかったようですが、「ショー・ウインドウの看板が・・・・・・」といった以降の言葉を眺めていると、まるでビートルズ時代の栄光や思い出を "Junk" (ガラクタ)に見立てて訣別しようとの想いが込められているかのようです。


アルバムにはインストゥルメンタル・ヴァージョンの「Singalong Junk 」も収録されていました。こちらは1991年にMTVアンプラグドに出演した際の映像。同年にリリースされたライヴ・アルバム『Unplugged-The Official Bootleg(公式海賊盤)』にも収められています。


公式海賊盤公式海賊盤
(1991/05/25)
ポール・マッカートニー

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ポール・マッカートニーのファースト・ソロ・アルバム『McCartney』は発表当時、「散漫である」、「お遊びか?」と評判が芳しくありませんでした。しかし、ポール節と言われる美しいメロディーは健在で、何よりビートルズ解散という悲しみやソロ・アーティストとして再出発して行く希望などパーソナルな面が窺える一枚です。

Clarence Clemons & Jackson Browne - You're Friend Of Mine

今回は先日亡くなられた The Big Man ことクラレンス・クレモンズがジャクソン・ブラウンをデュエットのパートナーに迎えた「You're Friend Of Mine」を取り上げます。この曲は1984年にリリースされたクレモンズのソロ・アルバム、『Hero』に収録されていましたが、1985年にシングル・カットされて全米18位を記録しました。

HeroHero
(2008/10/21)
Clarence Clemons

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1. You're A Friend Of Mine
2. Temptation
3. It's Alright With Me Girl
4. Liberation Fire
5. The Sun Ain't Gonna Shine Anymore
6. I Wanna Be Your Hero
7. Cross The Line
8. Kissin' On U
9. Christina

クラレンス・クレモンズは1942年1月11日、ヴァージニア州ノーフォークに生まれました。祖父が南部バプテスト教会の説教師だったことから幼き頃よりゴスペル音楽に親しみ、9歳の頃にはサックスを手にしていたとされます。また恵まれた体を活かし、メリーランド州立大学時代はフットボールの選手としてもならしました。
彼はNFLからも注目を浴びる逸材でしたが、膝の負傷でプロ入りは断たれ、結局クレモンズはミュージシャンの道を歩むことになります。
ブルース・スプリングスティーンとは1971年に出逢い、翌72年に彼のファースト・アルバムとなる『Greetings from Asbury Park, N.J.』のレコーディングに参加。その流れからブルースのバック・バンドであるEストリート・バンドを結成し、以来バンドの要としてブルースを支え続けました。
また、豪快ながらも確実なプレイと人柄の良さも手伝ってか、クレモンズは他のアーティストからのレコーディングにも多数参加しています。アレサ・フランクリンの「Freeway Of Love」(1985年の『Who's Zoomin' Who?』収録』)の客演が有名ですが、最近ではレディー・ガガからのオファーを受けて、彼女のアルバム『Born This Way』の中の「The Edge Of Glory」で控えめながらも存在感のあるサックスを吹いていました。

ジャクソン・ブラウンとブルース・スプリングスティーンは1979年に開催された「Museコンサート(No Nukes)」を始め、幾度も同じステージに立つ機会がありました。また、1985年にはEストリート・バンドの僚友だったスティーヴ・ヴァン・ザントが提唱した反アパルト・ヘイト・キャンペーンの「Sun City」にも参加しています。そうした交流の中で、ジャクソンとクラレンス・クレモンズの友情の絆も自然に育まれて行ったのでしょう。



YOU'RE FRIEND OF MINE
独立して新しいことを始めるんだって
だったら俺を頼りにしてくれよ
どんなことがあろうと
俺はおまえの傍にいてやるよ
疑う余地なしさ
勝ったも同然
人生の修羅場を潜るのも
俺たちがずっといるこの場所に比べりゃ悪くない

なぁ、あてにしてくれていいんだぜ
何度でも何度でも、何度でも何度でも
俺がいつも傍にいるってことを覚えておけよ
俺はおまえにうれし涙を流させようってしている奴さ
お前が死ぬその日まで俺に世話をやかせくれていいんだ

歳月は過ぎ行くもの
だけどこれだけは分かってる
人生において
おまえがかけがえのない友だってことをな

あの時の口論
俺は忘れられない
激しくやり合ったので
うまく仲直り出来るなんて思ってもいないけど
今だから言うけど、俺たちが知ってるあの女の子たち
おまえのことをかっこいいと思ってたんだぜ
だから俺のお気に入りの娘をおまえに決して紹介しなかったんだ

なぁ、あてにしてくれていいんだぜ
何度でも何度でも、何度でも何度でも
俺がいつも傍にいるってことを覚えておけよ
俺はおまえにうれし涙を流させようってしている奴さ
お前が死ぬその日まで俺に世話をやかせてくれていいんだ

歳月は過ぎ行くもの
だけどこれだけは分かってる
人生において
おまえがかけがえのない友だってことをな


こちらはプロモーション・ビデオです。ジャクソン・ブラウンと当時恋人関係だったダリル・ハンナの姿も観えます。トム・ハンクスと共演した映画『Splash』(1984年公開)の人魚役で注目を浴び、洗練された容姿と不思議な役柄で人気を博しました。2003年公開のクエンティン・タランティーノ監督作品、『Kill Bill』では武闘派に転向。近年では悪名高きシー・シェパードの支援者としての活動も話題を集めています。


リンゴ・スターとの共演映像です。デュエットの相手はビリー・プレストン。親友というよりは「義兄弟」といった風情が窺われます。


小柄なブルース・スプリングスティーンと巨漢クラレンス・クレモンズ。ライヴでは対照的な二人が見事な掛け合いを毎度のように演じてくれていたのです。例えばステージの端からギターを抱え込んだブルースがクラレンス・クレモンズのところへ走り込み、直前でスライディングしたブルースをクラレンスが抱え込んで抱擁するといったパフォーマンスで観客を楽しませてくれました。
2008年のダニー・フェデリシに続くクラレンス・クレモンズの逝去。短期間の間に盟友を二人も失ったブルース・スプリングスティーンの心痛は計り知れないものかと思います。
2011年6月18日、脳卒中の合併症のためクラレンス・クレモンズさん死去。享年69歳。心よりご冥福をお祈り致します。

Linda Ronstadt - It's So Easy

5回に分けてリンダ・ロンシュタットの『Simple Dreams』に収録された楽曲を紹介してきましたが、いよいよ大詰めを迎えることになりました。フィナーレを飾るのは「It's So Easy」と「Blue Bayou」。オールディーズ2曲が今回のお題です。

夢はひとつだけ夢はひとつだけ
(2011/02/23)
リンダ・ロンシュタット

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1. It's So Easy
2. Carmelita
3. Simple Man, Simple Dream
4. Sorrow Lives Here
5. I Will Never Marry
6. Blue Bayou
7. Poor Poor Pitiful Me
8. Maybe I'm Right
9. Tumbling Dice
10. Old Paint

リンダは前作『『HASTEN DOWN THE WIND』でもバディ・ホリーのナンバー、「That'll Be The Day」をレコーディングしていましたが、本作でも彼の作品、「It's So Easy」を取り上げてオープニングに持ってきました。バック・バンドの男たちを従えての堂々としたリンダの歌いっぷりには安定感が窺えます。この曲はシングル・カットされて全米5位まで上昇するヒットとなりました。


IT'S SO EASY
恋に落ちるなんて簡単
恋に落ちるなんて容易いことよ
恋にうつつを抜かすは愚か者と言われても
私はそんな言葉に捕われない

簡単に出来そう
バカみたいに簡単ね
何度でも出来そう
あなたが相手なら
難なく習得できる

自分の胸に聞いてごらんなさいよ
あなたの恋愛通帳に私から借りた分がどれだけあるのか

リンダはかつて、「衣服や車を買い替えるように男性を取り替えてもいいんじゃないの」と公言して物議を醸したことがありました。この歌では「男を陥落させるのはいとも容易い」といった感じで、この時期の彼女の自信が表されているようにも思えます。

惚れたはれたで恋に落ちることは簡単かもしれませんが、駆け引きが行われたり、鞘当てを経験したりと複雑な展開が生じることも少なくありません。それでも誰かに恋愛感情を抱くのは人の性(さが)というものでしょう。

1977年のアトランタでのライヴ映像です。
http://www.youtube.com/watch?v=_AtnfDo4PE8

これは80年代のライヴ。バックのメンバーも大きく変わっています。
http://www.youtube.com/watch?v=kcJPX3LE63A

バディ・ホリーのオリジナル・ヴァージョン。1958年9月12日にリリースされました。


ベスト・オブ・バディ・ホリーベスト・オブ・バディ・ホリー
(2006/01/25)
バディ・ホリー

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全米3位のヒットを記録した「Blue Bayou」。望郷の念や恋人への思慕が切なく綴られていました。"Bayou" とはアメリカ南部の川・湖・湾の湿地になった入り江や流れの緩い河口のことで、ケイジャン(フランス系)、クレオール(フランス系とアフリカ系、あるいはネイティヴ・アメリカンとの混血)の文化と密接な関係がある地帯です。


BLUE BAYOU
気が沈み心落ち着かず
いつも感じる孤独感
大切な人を残してきたからね
ブルー・バイユーに

あれやこれやと節約して
お陽さまが沈んでも働いて
今より幸せな時が来るのを待ちわびている
ブルー・バイユーで

何があろうといつか帰るつもり
ブルー・バイユーへ

気心知れた仲間たちがいる私の世界
ブルー・バイユー
釣り船が帆を上げて浮かぶところ
眠い目をまばたきさせて
かつて見慣れた日の出の光景を
見ることが出来たなら
どれほどうれしいだろう

大切な人に会いに行き
友達たちと一緒に過ごせば
私はまた元気になるかもしれない
ブルー・バイユーで

あれやこれやと節約して
お陽さまが沈んでも働いて
今より幸せな時が来るのを待ちわびている
ブルー・バイユーで

私の大切なあの人が
傍らにいてくれたなら
銀の月と夕方の波の音が
ああ いつの日か
消し去ることでしょう
心をうずかせるこの痛みを
二度と憂鬱にならず
夢が叶う
ブルー・バイユーで

1977年のアトランタでのライヴ映像です。
http://www.youtube.com/watch?v=jXY4bZtJaao

80年代のライヴ映像です。
http://www.youtube.com/watch?v=neKX4qiUHGQ

1983年にTVショーに出演した際の映像と思われます。
http://www.youtube.com/watch?v=03kQPsCgS8c

宜しければユーモラスなマペットたちとの共演映像もご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=cbjsMGyZVDw

ロイ・オービソンのオリジナル・ヴァージョン。艶やかで哀愁溢れる彼の歌声には男の色香が漂います。1963年発表の『In Dreams』に収録。



イン・ドリームス(紙ジャケット仕様)イン・ドリームス(紙ジャケット仕様)
(2011/05/11)
ロイ・オービソン

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