好きな音楽のことについて語りたいと思います。

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Jackson Browne - For Everyman

前回の記事でクロスビー、スティルス&ナッシュの「Wooden Ships」が、「選ばれた者だけがユートビアに行けるとの感が拭えない」と疑義を呈したのがジャクソン・ブラウンの『For Everyman』である」との趣旨を述べました。という訳で、今回はジャクソン・ブラウンが1973年10月に発表したアルバムの表題曲でもある「For Everyman」を取り上げます。

For EverymanFor Everyman
(1999/07/28)
Jackson Browne

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1. Take It Easy
2. Our Lady Of The Well
3. Colors Of The Sun
4. I Thought I Was A Child
5. These Days
6. Red Neck Friend
7. The Times You've Come
8. Ready Of Not
9. Sing My Songs To Me
10. For Everyman

1986年のドイツ公演の映像です。


FOR EVERYMAN
俺が話しかける人々は皆
朝の光が差し込んで来るのと同時に立ち去ろうとしている
世の終わりが訪れるのを目の当たりにして
最後の警告を聞かされたのだと信じこんでしまっているのだ
誰もがひとりぼっちで立ち尽くし
それぞれの手にチケットを握りしめている
そして黄昏が訪れる時
俺は座り込んで普通の人のことを考えている

気兼ねなく落ち着けるどこか他の場所を
俺はこれまでずっと見つけようとしていたみたいだ
そこでなら何人かの気のおけない友とともに人生の競争から抜け出し
何かもっとましなものを見つけ出せると思っていたのだ
だが、俺の儚い夢の数々も
根城を手に入れようと考え抜いた周到な計画も
結局はすべてが普通の人がやって来るのを待つことに関わっていたのだ

俺はここで普通の人がやって来るのを待っている
うまくやれると思うのなら君一人でやってみればいい
どこか行くところがあるのなら、了解だ
俺はここで普通の人がやって来るのを待っている
その人が本当に現れるなんて聞かないでくれ
俺にも分からんのだよ

うまくやれると思うのなら君一人でやってみればよい
どこかで後になって君は自分の立場を明らかにしなければならないだろう
それから助けを必要とすることになるんだ

誰もが待っているんだ
自分たちに答えを与えてくれる人からの言葉を聞くのを
そして自分たちを太陽の温もりのある場所へと連れ戻してくれるのを
そこでは今でも素敵な幼少時代が心弾む
だが、この先誰がやって来て
逞しくて優しい父の手を差し出してくれるのか?
随分昔に俺は普通の人についての話を誰かに聞かされたものだ

俺はここで普通の人がやって来るのを待っている
うまくやれると思うのなら君一人でやってみればいい
どこか行くところがあるのなら、了解だ
俺があの計画を分かっていたなんて言おうとしているのではない
そう思うのなら背中を向けて立ち去ってくれ
でも、砂を握りしめたまま取り残された人のことをあまり悪く思わんでくれよ
彼もたんなる夢を見る人間のひとりにしか過ぎない
普通の人と出会うことを夢見ているのさ

ジャクソン・ブラウンは自らの人生経験や愛の遍歴をもとに、私的で内省的な歌をうたうことによってリスナーの心をとらえたアーティストです。彼の歌はまるでこの世の不幸を一身に背負い、社会の現状と先行きを憂えるような響きが紡ぎ出されていたと言えるでしょう。しかし、深く絶望しながらも実際は時に楽観的すぎると思えるほど未来に希望を託し続けるという姿勢が根底に流れていました。
核戦争で放射能に汚染された島から選ばれし者だけが救われる「Wooden Ships」。ジャクソン・ブラウンの目には現代、あるいは近未来版「ノアの方舟」をデヴィッド・クロスビーらが気取っているかのように映ったのかもしれません。ジャクソン・ブラウンについて書かれた『ジャクソン・ブラウン・ストーリー』には以下のような記述がありました。

「<For Everyman>は最初デヴィッド・クロスビーに宛てて書かれた。<Wooden Ships>でうたっていたように、クロスビーはどこかの島へ行ってそこに自分たちだけのユートピアを築き、この悪い終末のような時代を忘れようと考えていた。曲を書き進めて行くうちに、ジャクソンはチリの国民的詩人パブロ・ネルーダの詩の一つに大きなインスピレーションを受けた。ネルーダの詩はこう歌っていたーもし自分が喜べるのなら。自由にいろいろな場所に出かけたり、戻って来たり、好きなふうにやるがいい。ただし、もし危機が訪れたときは、同志諸君、ぼくはきみらとともにいて、バイオリンで心を慰めよう、そして君たちとともに死ぬ覚悟があるのだー。」(リッチ・ワイズマン著、室矢憲治訳、『ジャクソン・ブラウン・ストーリー』P.137 CBSソニー出版 1983年)

米ソ冷戦構造の下での核戦争をテーマにした「Wooden Ships」でしたが、アンサー・ソングといわれる「For Everyman」は仏教でいうところの自利利他(自らの悟りのために修行する努力を惜しまず、他の人の救済のためにも尽くすということ)にも通じるものを感じました。また、人との出会い、一期一会の楽しみと捉えて解釈してみるのも興味深いところです。

1986年に日本で催された「JAPAN AID」出演時の映像です。


1987年の「The Secret Policeman’s Third Ball」出演時の映像。


アメリカで放送されているテレビ番組 "Storytellers"(1996年4月18日放映) に出演した時の映像のようです。


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Crosby, Stills & Nash - Wooden Ships

福島第一原発の事故がいまだに予断を許さぬ状況です。札幌医科大学のある教授が、「中国による核実験で日本に飛んできた放射線・黄砂よりも、今回の福島原発からの放射線量は安全圏である。福島原発正門前に防護服なしで立っても問題なし」との趣旨を述べれば、京都大学のある助教が「とっくの昔にレベル7。チェルノブイリをはるかに超える放射性物質が放出される可能性がある。」といった具合で主張されていました。両極端な見解なのでどちらの説を信じていいのか分かりません。さらに『東京に原発を! 』や『危険な話』などの著書で原子力の危険性を指摘し、原子力撤廃運動の論客と知られる作家の広瀬隆氏に至っては、「施設全体をコンクリートで固めてしまえ」といった内容の発言を「ニュースの深層」(朝日ニュースター)でされていたのです。結局のところ、専門家といえども誰も解決に向けての決定打を持ち合わせていないのではないかという気がして、ますます不安感が募りました。

クロスビー、スティルス&ナッシュクロスビー、スティルス&ナッシュ
(2008/01/23)
クロスビー、スティルス&ナッシュ

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1. SUITE: JUDY BLUE EYES
2. MARRAKESH EXPRESS
3. GUINNEVERE
4. YOU DON'T HAVE TO CRY
5. PRE-ROAD DOWNS
6. WOODEN SHIPS
7. LADY OF THE ISLAND
8. HELPLESSLY HOPING
9. LONG TIME GONE
10. 49 BYE-BYES
11. DO FOR THE OTHERS
12. SONG WITH NO WORDS
13. EVERYBODY'S TALKIN'
14. TEACH YOUR CHILDREN

そういった不安の中で、今回はクロスビー、スティルス&ナッシュの「Wooden Ships」を取り上げることにします。彼らが1969年にリリースしたファースト・アルバムに収録されていた曲で、放射能に汚染された島から脱出するというストーリーが描かれていました。
スティーヴン・スティルスとデイヴィッド・クロスビーの対話形式で歌が始まり、恐怖を煽るような出来事が劇的に展開されて行きます。ここでは放射能汚染を象徴的に掲げておりますが、物質文明への批判、人の心が失われつつある荒廃した現実社会からの訣別などが内包されていると解釈してよいでしょう。
歌詞の内容を鑑みると、旧約聖書の『創成期』(第6章~9章)に登場するノアの方舟の話が浮かんできます。人間の業に怒りを覚えた神は「神に従う無垢な人間」ノアに方舟を作らせ、彼の家族とすべての動物の雌雄一組ずつをその方舟に乗せて大洪水に対処させました。以前にB.J.トーマスの『Everybody's Out Of Town』の記事でも少し述べましたが、人々が欲望のままに暮らし、自然環境を破壊し、社会を荒廃させた報いとしたことを非難する例えとして「ノアの方舟」が引用されることが多々あるように思われます。


WOODEN SHIPS
S : 君が俺に微笑みかけてくれたら理解出来るだろう
  だってそんなことは同じ言語で誰もがどこでもしていることだから
D : 君のそのコートで分かったよ、君が反対側から来た人間だってことをな  
  知っておかなければならないことが一つだけあるんだ
どうか教えてくれないか、誰が勝ったのかを
S : まあとにかく、君の紫色のベリー(果粒)を少し食べさせてくれないか?
D : ああ、俺6週間か7週間もそれらを食べ続けてるんだ
一度も具合が悪くなったことがないぜ
S : たぶん俺たち二人を生きながらえさせてくれるのさ

水面に浮かんだ木の船はとても自由で安らか
どんなふうになっているのか分かるだろう
海岸に銀色の防護服を着た作業員たちが見過ごしてくれたおかげで
自由で気楽に話が出来るのさ

君が死ぬのを見る時、俺たちは恐怖に支配される
俺たちに出来ることは君の苦悶に満ちた叫びを響き渡らせるだけ
すべての人間の感情が死滅するのをじっと見つめて
俺たちは去って行く 
君には俺たちが必要ではないから

妹の手を取り、行こう
この異郷の地から彼女を連れ出すんだ
遥か彼方の地へ向かえば
俺たちは再び笑えるかもしれない
俺たちは去って行く 
君には俺たちが必要ではないから

そして俺の肩越しに心地よい風が南から吹いて来るぬくもりを感じて
俺は進路を定めて出発することにしよう

紫色のベリーとはヨウ素剤のことでしょうか。原子力災害時の放射能予防薬として一躍有名になりました。

この「Wooden Ships」を記事にするにあたり歌詞を検索していると、見慣れない言葉が冒頭に綴られているのを目にしました。それは、「Black sails knifing through the pitchblende night・・・・・・・」で始まるもので、CS&Nがその言葉を発しているのを耳にしたことがありません。「Wooden Ships」はデイヴィッド・クロスビー、スティーヴン・スティルス、そしてジェファーソン・エアプレインのポール・カントナーの共作曲。しかし、ジェファーソン・エアプレインのヴァージョンでも冒頭に記されたヴァースのようなものを聴いた憶えがなかったのです。
私はジェファーソン・エアプレインに関しては疎く、「Wooden Ships」が収録された名盤『Volunteers』を所有しておりません。この歌詞のようなものは何か、リマスター盤やBOXセットなどに別ヴァージョンが収められているのだろうか、と想いを巡らしていたところ、ジェファーソン・エアプレインに詳しい方のサイトがあったことを思い出したのです。早速そのサイトである「Pooneil House」掲示板で尋ねさせてもらい、管理人のプーニールさんから「LP『Volunteers』に付属している "Wooden Ships" の歌詞の冒頭に書かれているもので、歌の内容を補足する前書きとしてたぶんポール・カントナーが付け足したものであろう」との趣旨の回答をいただきました。自らの不勉強を恥じるとともに、プーニールさんにはこの場を借りて感謝の意を表したいと思います。

ということで、その冒頭の部分を訳してみると、少々抽象的な印象を受けた歌詞が明確に放射能汚染を描いていることが読み取れました。同時にカウンター・カルチャー特有の楽観的な様子も窺えます。

瀝青ウラン鉱の夜を切りつけるように暗黒が船出する
放射能による大陸の狂気を後にして
汚染されていない食料と海岸の避難所を捜索している
銀色の上下の防護服を着た作業員からも逃れて
光るような金属を使っていない木製の俺たちの舟
宇宙で裸になった自由でハッピーでクレイジーな人々
俺たちは大地の言葉を喋っている
音楽に乗って行くのだ

1977年のライヴ映像です。


こちらは1991年のライヴ映像です。



CS&Nに数ヶ月遅れて発表されたアルバム『Volunteers』に収録されていたジェファーソン・エアプレインのヴァージョンです。


VolunteersVolunteers
(2004/06/18)
Jefferson Airplane

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この歌を聴いていると、荒んだ現実社会から抜け出し、選ばれた者だけが理想の社会へ向かうことが出来るといった雰囲気が否めません。取り残された者はどうなるのでしょうか。そんな冷酷な様子に疑義を呈した歌が、ジャクソン・ブラウンの「For Everyman」です。

Olivia Newton - John - "Long Live love"

最近は深刻なテーマばかりを扱っているようなので、今回はオリビア・ニュートン・ジョンさんの歌声で癒されることにしましょう。性懲りもなく捕鯨やイルカの問題を持ち出すんだろうって? 私はそんなイケズな人やおへん。美人の前であれこれ言うのは野暮ってもんでしょう。

Long Live LoveLong Live Love
(1999/01/12)
Olivia Newton-John

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1. Free The People
2. Angel Eyes
3. Country Girl
4. Someday
5. God Only Knows
6. Loving You Ain't Easy
7. Home Ain't Home Anymore
8. Have Love Will Travel
9. I Love You, I Honestly Love You
10. Hands Across The Sea
11. The River's Too Wide
12. Long Live Love

ボーナス・トラック(「 I Love You, I Honestly Love You」のフランス語、ドイツ語ヴァージョン)収録のSHM-CD。

とこしえの愛+2とこしえの愛+2
(2011/03/02)
オリビア・ニュートン・ジョン

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オリビア・ニュートン・ジョンについてはご存知の方が多いと思いますが、バイオグラフィーを簡単に紹介しておきます。彼女は1948年9月26日、イギリスのケンブリッジで誕生しました。母方の祖父はノーベル賞授賞の物理学者マックス・ボルン。1953年、父がオーストラリアの大学に採用されて一家はイギリスを離れます。
音楽に興味を抱いた思春期のオリビア。高校時代は友人らとバンドを結成し、カフェで歌い始めました。やがて、TVショーに出演するまでになりましたが、友人たちが学業に専念するためにバンドは解散。ショー・ビジネスの世界で生きることが心に芽生えたオリビアは1964年にタレント・コンテストに出場して見事に優勝し、翌65年に賞品として贈られたイギリス旅行で12年ぶりの帰国を果たします。
母国イギリスで待っていたのはデッカ・レコード。オリビアはデッカと契約し、翌65年、ジャッキー・デシャノン作で、サーチャーズが65年にヒットさせたシングル「Till You Say You'll Be Mine」をリリース。レコードの売り上げは芳しくなかったものの彼女はオーストラリア映画『Funny Things Happen Down Under』に出演し、シャドウズのバック・コーラスへ参加、さらにパット・キャロルとデュオを組んで活動するなどの実績を積み、着々とスターへの足固めを行っていったのです。


1970年、オリビアはザ・モンキーズの仕掛人のひとりであるドン・カーシュナーの目に留まり、彼女をメインに据えたグループ、トゥモローが結成に至ります。同年、グループを主役にした映画『Toomorrow』とアルバムがリリースされましたが、不発に終わりました。でも、オリビアの名を知らしめるには十分だったようで、翌71年にソロ・シンガーとしてパイ・レコードからリリースしたボブ・ディランのナンバー、「If Not For You」が全英7位、全米25位のヒット。念願のソロ・デビュー・アルバム『Olivia Newton - John』も発表されます。注目され始め、ソロとしてのキャリアを充実させる一方で彼女は決して驕ることなく、クリフ・リチャードのバック・コーラスという裏方も務めていました。
1973年、シングル「Let Me Be There」が全米6位を記録。その年のグラミー賞でオリビアは "Best Female Country Vocal Performance" を授賞。翌74年にはシングル「I Love You, I honestly Love You」が全米1位に輝き、グラミー賞の "Record Of The Year " と ”Best Female Pop Vocal Performance” の二部門で賞を獲得して人気を決定づけます。

今回は「I honestly Love You(愛の告白)」が収録されたアルバム『Olivia Newton - John』を取り上げました。1974年にEMI移籍第一弾としてリリースされた作品です。ソロ・デビュー当初はカントリー・シンガーとして捉えられていたオリビアですが、本作では明るく活発なイメージに加えてエレガントな雰囲気も加わっています。シングル「I Honestly Love You」のようなバラードも歌いこなし、ルックス先行ではない実力派の歌い手として成長を遂げた一枚と言えるでしょう。

それではアルバムの中から何曲か紹介します。ひたむきな思慕の情とともに恋人の帰りを待つ様子が描かれたワルツ風のナンバー、「Angel Eyes」。


タイトルから察せられるようにカントリー調の「Country Girl」。家族に別れを告げ、地方から都会へ旅立つ女性を主人公にした歌です。田舎育ちといえどもプライドがあり、決して都会の生活に流されずに生き抜く意気込みが込められていました。


ポップで清々しいバラード、「Loving You Ain't Easy」。どんな困難な道でも恋人と一緒に歩むといった決意が表された歌です。


軽快なバラード曲、「Home Ain't Home Anymore」。人生の酸いも甘いも味わったことによって物事の変化を受け入れられるようになり、環境が変化した故郷が既に自分の居場所ではないことを悟る様子が歌われていました。


二度と戻らないと告げて東部に旅立った恋人が帰って来ると知らされて、新品のドレスを着てワクワクした気持ちで彼を待つ女心が伝わる「Have Love Will Travel」。初々しさがまだ残るライヴ映像でお楽しみください。


情感溢れるバラード、「I Honestly Love You」。ドリー・パートンの「I Always Love You」同様、男女の不倫が描かれた歌です。


I HONESTLY LOVE YOU
たぶんここで佇んだままなの
少し長居しすぎね
私がいてはいけないってことを
二人には分かっている
でも、あなたに言いたいことがあったの
口に出すなんて思ってもいなかったことだけど
あなたにはどうしても知っておいてほしい

愛してる
心から愛してる

返事はいらない
あなたの瞳を見れば分かるわ
たぶん言わずにおいたほうが良かったこと
純粋で飾り気のない気持ち
あなたはきっと分かってくれるはず
頭で考えたものではなく、心から生まれた告白だと

愛してる
心から愛してる

あなたを気まずくさせたくないの
あなたに何もさせたくないの
でも、いつでもこんな気持ちになれるものではないのよ
こんな機会を無駄にしないでね
伝えるチャンスがあなたにある時は

もしも二人が
別の場所、別の時間に生まれていたら
このひと時は口づけで終わったかもしれない
あなたにはあなたの人生があり
私には私の人生がある
だからこのままお別れしようと思うの

愛してる
心から愛してる

1976年の映像です。宜しければご覧ください。


こちらは1982年のライヴ映像。


浮き浮きとしたカントリー風のアレンジが印象的な「The River's Too Wide」。


サミー・ディヴィスJr.のレパートリーとしてよく知られた曲だそうです。
http://www.youtube.com/watch?v=oSIXWchb4cQ

人々の幸せを高らかに願う表題曲、「Long Live Love」。


1974年のユーロ・ヴィジョン・コンテストにエントリーした際の映像です。


この他にもビーチ・ボーイズで有名な「God Only Knows」の秀逸なカヴァーが収録されていましたが、YouTubeに映像・音源がないので割愛させていただきました。オリビアの美貌によろめき、本家のヴァージョンよりも彼女の歌声のほうに軍配を上げてしまいそうになるほどの出色の出来です。

John Hall - Power

福島原子力発電所の被災で思い出されるのがこの曲。ジョン・ホールが1979年にリリースしたアルバムの表題曲、「Power」です。

パワーパワー
(1991/11/21)
ジョン・ホール

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1. Home At Last
2. Power
3. Heartbreaker
4. So
5. Run Away with Me
6. Firefly Lover
7. Arms/Half Moon
8. Cocaine Drain



POWER
太陽の暖かい力をください
弛まぬ滝の流れの力をください
土に還る生けとし生きる者の魂をください
絶えることなく吹き続ける風の力をください
薪の心地よい温もりをください
でも、どうか原子力の毒の力は取り除いていただきたいのです

暗闇と寒さから身を守るために
誰にもいくらかの力が必要です
それが売買される時
誰かが統制する方法を探し出しているかもしれません

生命が危機に瀕しているのです
あなた方と私の、そして私たちの子孫の代まで
得るものも大きいが失うものも大きい
すべては人類が選択しなければならないことです

太陽の暖かい力をください
弛まぬ滝の流れの力をください
土に還る生けとし生きる者の魂をください
絶えることなく吹き続ける風の力をください
薪の心地よい温もりをください
でも、どうか原子力の毒の力は取り除いていただきたいのです

私のためにどうかお願いします
原子力の毒の力は取り除いていただきたいのです

ウッドストックのカンガルーというバンドの活動やタジ・マハール、カレン・ドルトンなどのバックで活躍したギタリストのジョン・ホール。彼が中心となって1972年にオーリアンズが結成され、翌73年にはABCのダンヒル・レーベルからデビュー・アルバムの発表に至ります。バリー・ベケットとロジャー・ホーキンスをプロデューサーに迎えたサザン・ソウル風のサウンドが展開される意欲作でしたが、大きな成果を上げることができませんでした。翌74年のセカンド・アルバムはアメリカでの発売が見送られ、日本とヨーロッパでのリリースという屈辱を味わいます。そして失意の中、彼らはダンヒルを去りました。
1975年、アサイラム・レコードに移籍してリリースされたサード・アルバム『Let There Be Music』に収録された「Dance With Me」が全米6位を記録。オーリアンズは一躍注目を浴びます。翌76年のアルバム『Waking And Dreaming』からシングル・カットされた「Still The One」も全米5位の大ヒット。アルバムも30位まで上昇し、人気を決定づけました。
本来はR&Bやロックン・ロールを基本としたアーシーなサウンドを特徴としていたオーリアンズですが、大ヒット曲のおかげでコーラスやハーモニーを重視するポップな路線に転じ、不満を抱いたリーダー格のジョン・ホールは77年にバンドを脱退。ソロ・アーティストの道を歩みます。
また、ジョン・ホールには脱退の理由がもうひとつあるように思えました。オーリアンズが拠点をウッドストックからロサンゼルスに移したことにより、ジョン・ホールはジャクソン・ブラウン、ボニー・レイット、グラハム・ナッシュらウエスト・コーストのアーティストたちと交流を深めて行きます。1979年、この人脈をもとにジョン・ホールはMuse(Musicians United for Safe Energy)という団体を結成。スリーマイル島の原発事故があった同年、「より安全なエネルギー源を求め、幸福な未来を願う」というスローガンのもと、ニューヨークのマジソン・スクウェア・ガーデンでNo Nukes(原子力発電所建設反対運動)と称する大規模なコンサートを主宰しました。出演アーティストはジョン・ホール、ジャクソン・ブラウン、ボニー・レイット、CS&N、ドゥービー・ブラザーズ、ポコ、ライ・クーダー、ジェシ・コリン・ヤング、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ、ブルース・スプリングスティーン、当時夫婦だったジェイムズ・テイラー&カーリー・サイモンといった錚々たる顔ぶれ。ジョン・ホールは原発反対運動に精魂を傾けるためにソロ活動へ転身したとも受け取れるのです。

No NukesNo Nukes
(1997/10/21)
Various Artists

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「No Nukes」の映像から。


ジョン・ホールは1986年にオーリアンズに復帰。来日ツアーも含め精力的に活動を続けました。2006年には下院議員に当選し、政界に進出するも2010年に落選しています。

ウエスト・コーストのミュージシャンのスピリットに多大な影響を与えられた少年時代の私は当然の如く「原発=悪」との認識を持つようになりました。さらに京都という土地柄からもリベラルな思想に接することが多かったのです。
1981年、ジャクソン・ブラウンがロサンゼルスの北西約200キロに位置する町、サン・ルイ・オビスポに建設が計画されている原子力発電所への抗議のために現場のメイン・ゲートのところで座り込み運動に参加して逮捕されるという報道を耳にしました。まだ若かった私は深いショックと強い憤りを覚えましたが、時が経つにつれて疑問を抱くようになったのです。それは、「ジャクソン・ブラウンはレコード(CD)をリリースし、コンサート会場のステージに立ってエレキ・ギターを弾きながら歌うことで生活の糧を得ている。そうしたパフォーマンスの対価で豪邸に住んでいるのだ」という思いが募り出しました。
ジャクソン・ブラウンに限らず、成功したミュージシャンには同様のことが当てはまります。誰もが「電化」の恩恵を受けて快適な生活を送っているはず。言っていることとやっていることが矛盾しているのではないかと。

前述しましたが、リベラルな勢力が根強い京都では原発反対派の方々の運動も以前から盛んでした。有名な活動家や大学教授が「原発は大災害をもたらす」、「原発は軍事兵器に転用可能」との主張をメディアや大学キャンパスで声高に叫んでいたのです。スリーマイル島やチェルノブイリの原発事故(1986年)、1991年と2004年の美浜原発のトラブルも追い風になっていたことでしょう。今回の福島原発の事故の直後に活動家を代表とする環境市民団体が関西電力へ美浜、大飯、高浜の運転停止を求め、大学教授らでつくる「日本科学者会議京都支部」がシンポジウムを開き、事故のメカニズムを語るとともに「自然エネルギーへの転換」を訴えたそうです。原発反対派の方々は目的達成のための強い信念を常に示されているようですが、事故現場で命を賭けて任務を遂行される東京電力および関連会社の作業員、自衛隊、警察、消防の方々への感謝や労いの言葉を表されているのを見聞きしたことがありません。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いといったところでしょうか。私の見聞不足かもしれませんが、事実ならば同じ人間として、日本人として非情に残念に思えます。

日本は言論の自由が保障された国家です。原発反対派の方々がどのような意見を申されても勝手ですが、具体的かつ有効で現実的な代替エネルギーの提案に欠けるような気がしてなりません。まるで反対することが目的と思えてならないのです。
原子力に代わる代替エネルギーとは何でしょうか。水力発電所の新設は原発反対派の主張と重複するところであり、脱ダムの動きがある以上無理な話です。また、国内において適切な場所もあまり残っていないでしょう。火力発電も二酸化炭素排出による地球温暖化、海水温の上昇、環境汚染が原発反対派を含む様々な立場の人々から指摘されて久しいところ。もっとも、最近では二酸化炭素は温暖化や海水温の上昇の原因ではないとの学説があるのも事実です。近年注目を浴びる太陽光発電は天候に左右されるため十分な電力を生み出すことが困難で、現状ではとても代替となりえません。装置を作るだけでも多くの電力を使うことも懸念材料でしょう。
自然エネルギーに目を向けると地熱発電は燃料の高騰や枯渇の不安がないものの、硫化水素による大気汚染、騒音、地盤沈下といった問題点も数多くあげられます。風力発電はその名の通り風の力で発電しランニング・コストも低いのですが、風速によって出力が変動。騒音、鳥の巻き込み事故も懸念されます。また、地震、津波、落雷に弱いのは言うまでもないでしょう。風力発電は理論的に原発を上回る電力の供給が可能だそうですが、日本中のいたる所に発電機を建設してのこと。あちこちで巨大風車がそびえ立つ光景は異様に感じざるを得ません。

やはりリスクがあっても原発と付き合って行くしか方法がないのでしょうか。東京都知事の石原慎太郎氏は「日本は資源のない国だから原発に頼らざるを得ない」との趣旨の発言をされています。しかし、私は数年前に日本近海にメタン・ハイドレートというエネルギー源が大量に埋蔵されていることを知りました。メタン・ハイドレートは石炭や石油に比べて燃焼時の二酸化炭素排出量が半分と温暖化対策にも打ってつけだそうです。尖閣諸島近辺にはメタン・ハイドレートに加えて石油や天然ガスも豊富に存在するとされており、日本は資源大国になれる可能性もあるとのこと。採取が困難なのか実用化の動きが見られませんが、政府も本腰を入れて採掘を行ってほしいものです。

あれこれ思いを巡らせても現在の経済活動や生活水準を維持するために、現状では原発抜きでは生きていくことが出来ないのかもしれません。個人や企業の節電にも限界があります。機械を動かしたら制作・製造過程において途中で止めることの出来ない製品を作っているような工場も少なくないとのこと。
原発は健全な状態でも完全停止し廃炉になるまで十年以上の歳月を要すると聞きました。ならば代替エネルギーが確立するまで原発に耐震補強を施して活用するほうが現実的でしょう。原発なしでも電力がまかなえるとの声があるようですが、震災により火力発電も被災して停止に陥ったために電力不足が起きたために関東地方では計画停電を行うことになり、信号停止による交通事故や前述した製造過程のリスクを引き起こす原因となりました。もし美浜や高浜の原発が停止すればどうなるのでしょうか。関東よりも原発の依存度が高い関西では想像を絶する事態が引き起こされるかもしれません。原始時代という極端なことは申しませんが、産業の停滞、電車での通勤通学への影響はもちろん、日常生活においても例えばエアコンの自粛、音楽を聴く、インターネットに没頭する機会が失われるぐらいの覚悟はしなければならないでしょう。どのみち景気の悪化や低迷が引き起こされることは必至であり、余暇や楽しみ娯楽に興じることは夢物語となりえます。

ジョン・ホールが「Power」の中で述べたように、「得るものも大きいが失うものも大きい/すべては人類が選択しなければならない」ということは自明の理。リスクを承知で当面の快適な生活を選ぶか、安全度は高いが制限された日常を送るかのどちらかなのかもしれません。
また、「暗闇と寒さから身を守るために/誰にもいくらかの力が必要です/それが売買される時/誰かが統制する方法を探し出しているかもしれません」といった歌詞にはいずれ環境保護を商売にする人々が出て来るだろうとの予測が示唆されているようにも思えました。たぶん70年代にはなかったであろう二酸化炭素の排出権取引もその一例でしょう。
人類は核エネルギーをコントロールする術を身につけるのか、核エネルギーに代わる新たなエネルギーを選択するのか。一聴すると理想主義を掲げただけにも受け取れますが、そのことに終始しない重要なジョン・ホールのメッセージと提案がこの歌の中には含まれていたのだと理解しております。

説明によると近年のジョン・ホールのようですが、変貌した姿を信じられません。そっくりさんのパフォーマンスと疑うのは野暮というものでしょうか。


参考文献
『原発安楽死のすすめ』(槌田敦著、学陽書房、1992年)
『Jackson Browne - His Life And Music』(マーク・ビーゴ著、水木まり訳、蒼氷社 2007年)
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