好きな音楽のことについて語りたいと思います。

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Emmylou Harris - ANGEL BAND

拙ブログとリンクしていただいているPurple_Hazeさんが、エミルー・ハリスの『Luxury Liner』を記事にされていました。初期のアルバムはこの方にお任せするとして、今回はエミルー・ハリスが1987年に発表した『Angel Band』を取り上げることにします。
Angel BandAngel Band
(1987/07/22)
Emmylou Harris

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1. Where Could I Go But to the Lord
2. Angel Band
3. If I Be Lifted Up
4. Precious Memories
5. Bright Morning Stars
6. When He Calls
7. We Shall Rise
8. Drifting Too Far
9. Who Will Sing for Me?
10. Someday My Ship Will Sail
11. Other Side of Life
12. When They Ring Those Golden Bells

このアルバムがリリースされた1987年のアメリカは貿易赤字と財政赤字が併存する「双子の赤字」を抱え、さらには10月にブラック・マンデーという株価の大暴落が起こり経済の立て直しが迫られていた時期です。
暗く混沌とした世相の反映か、人々が戦争の敗北という結果を冷静に受け止められるようになったのか、この年は前年の12月に封切られた『Platoon』(オリヴァー・ストーン監督)を始め、『Hamburger Hill 』(ジョン・アーヴィン監督)『Full Metal Jacketフルメタル・ジャケット』(スタンリー・キューブリック監督)、『Gardens Of Stone (友よ風に抱かれて)』(フランシス・コッポラ監督)、『Good Morning Vietnam』(バリー・レヴィンソン監督)などヴェトナム戦争を描いた映画が相次いで公開されました。
一方、ポピュラー音楽のトレンドはダンス・ミュージックやヘヴィ・メタルであり、数々のアーティストがヒット・チャートを賑わしていました。デュラン・デュラン、ワムといったイギリス勢が「第二次ブリティッシュ・インベイジョン」の波に乗って80年代中頃のアメリカを席巻した後にU2が台頭。アメリカ勢ではザ・バングルズやホイットニー・ヒューストンらの女性陣の躍進も見逃せません。メタル/ハード・ロックのカテゴリーではホワイト・スネイクやエアロスミスらが復権し、ボン・ジョヴィ、ガンズ・アンド・ローゼズらの新興勢力と篠木を削っていました。こうしたアーティストの活躍はビデオ・クリップを流し続けるMTVの効果を活かしたもので、マドンナやマイケル・ジャクソンがスーパー・スターへと成長する要因をもたらしていたのです。

音楽が巨大な産業へと肥大化して行く状況の中で、エミルー・ハリスがリンダ・ロンシュタット、ドリー・パートンらと共演したアルバム『Trio』は全米6位を記録します。カントリー・ロックやシンガー・ソング・ライター系のサウンドを基調にした音楽が受け入れられなくなった時代、口当たりの良いポップスやヘヴィ・メタルを好まぬ人々にカントリー・ミュージックの素晴らしさを再認識させたのか、消耗品ではなく自分と一緒に年を取っていけるアーティストに親近感がわいたのか、成熟した層のニーズに合致したのか考えられる要素は幾つもあるでしょう。ともあれ、『Trio』は彼女たちが再び脚光を浴びる結果となりました。

その余韻が覚めやらぬうちにリリースされたアルバム『Angel Band』。トラディショナル・ナンバーを含む収録曲のほぼすべてがキリスト教への帰依と信仰が描かれ、神への愛に溢れています。これは神への信仰を心のよりどころとして日々を送るというアメリカ人が元来持っていた普遍的な価値観。アメリカ南部アラバマ州で生まれ育ったエミルー・ハリスにはそうした傾向がより強いことでしょう。
ヒット・チャートに現れては消えるあまたのアーティストを横目に、独自の新鮮な感覚と解釈でカントリー・ミュージックの伝統を継承するエミルー・ハリス。何事にも捕われず、自分自身に正直に生きることが何よりも大切だということを物語っているかのように思えます。

アルバムのオープニング・ナンバーはミシシッピ州出身の教師で多くのゴスペル作品を残したJ.B.コーツ作の「Where Could I Go But to the Lord」。
http://www.youtube.com/watch?v=VFU1Vj4vjyQ

WHERE COULD I GO BUT TO THE LORD
罪に溢れるこの世界に生き
安らぎに至る余裕は殆どない
誘惑に負けまいと戦い
主の身許に行かんとするのみ

どこへ行けば見つかるのか
魂の安息地を探して
私を救う友を求めて
主の身許に行かんとするのみ

隣人たちは陽気で、私は皆を愛して止まない
ともに仲良く暮らしている
だけど私が死神のような冷たい手を差し出した時
主の身許に行かんとするのみ

個々での生活は申し分なく、友を愛して止まない
神の言葉が私を励ましてくれる
だけど私が天与の糧を求める時
主の身許に行かんとするのみ

この曲は多くのアーティストに取り上げらています。今回はエルヴィス・プレスリーのヴァージョンをお聴きくだされば幸いです。彼が1967年に発表した『How Great Thou Art』に収録されていました。
http://www.youtube.com/watch?v=J_s23-_uK4w

表題曲はトラディショナル・ナンバー、「Angel Band」。神に懺悔し、天使に永遠の安息の地に連れて行ってもらうことを願う歌です。
http://www.youtube.com/watch?v=6gptQW7jACc

神のご加護を祈るトラッド、「If I Be Lifted Up」はライヴ映像をご覧ください。


人生の苦難に陥った時、貴く神聖な思い出が甦って励まされることを歌った「Precious Memories」。これもトラディショナル・ナンバーです。
http://www.youtube.com/watch?v=IG0oIZ0Spxc

天国の父母に想いを馳せ、暁の星とともに心が晴れ晴れとして行く様が描かれた「Bright Morning Stars」はシェリル・クロウ、ギリアン・ウェルチとの共演映像でお楽しみください。


イエス・キリストに導かれて生きることが肝要と説かれたトラッド、「Drifting Too Far」。
http://www.youtube.com/watch?v=WHcDZlnahMg

人生と言う旅を終える自分のために歌ってくれる人を求めた「Who Will Sing for Me?」。末期の水ということでしょう。
http://www.youtube.com/watch?v=kTWXbr39CAk

いつか魂の満たされる日まで人生という荒波を航海して行こうとの意志が表された「Someday My Ship Will Sail」。


心の中に歓喜の歌があれば死は恐れるものではないと歌われる「Other Side of Life」はヴィンス・ギルとの共演映像をご覧ください。


天の楽園では黄金の鐘の音が鳴り響くという「When They Ring Those Golden Bells」。これもトラディショナル・ナンバーで、鎮魂歌のようです。


伝統を踏まえた上で、カントリー・ミュージックに新しい息吹を吹き込むエミルー・ハリス。自らも含めた既存のスタイルを崩壊させるような彼女の挑戦的な試みは1990年代以降に開花することになります。

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Gorgoni, Martin & Taylor - GOTTA GET BACK TO CISCO

こんな稚拙なブログでも続けていると良いこともあるようで、かなり以前に書いたチップ・テイラーの記事がトムス・キャビン/SXSW-ASIA代表の麻田浩様の目に留まりました。どなたかのブログの記事から辿って来られたのであれ、偶然検索に引っ掛かったのであれ嬉しい限りです。
麻田様からいただいたコメントにはチップ・テイラーが来年(2010年)1月に来日する旨が記されていました。拙ブログではすっかりお馴染みのアーティストであると思いますが、実績の割に日本では知名度が低いままに甘んじているようです。そこで今回は彼がアル・ゴーゴニとトレイド・マーティンとグループを組み、1971年にリリースしたアルバム『GOTTA GET BACK TO CISCO』を取り上げることにしました。

ガッタ・ゲット・バック・トゥ・シスコガッタ・ゲット・バック・トゥ・シスコ
(2000/07/26)
ゴーゴニ・マーティン&テイラー

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1. Carolina Timber
2. country Song
3. I Can't Do It For You
4. Stick-A-Lee
5. Sweet Dream Woman
6. Cisco
7. To Know The Girl
8. Love Was Not A Word
9. Dirty Matthew
10. Got The Feeling Something Got Away
11. The Baby

チップ・テイラー、アル・ゴーゴニ、トレイド・マーティンの三人はシンガー、ソング・ライター、プロデューサー、アレンジャー、セッション・ミュージシャンと多彩な顔を持つ人々です。チップ・テイラーはトロッグスに提供した「Wild Things」(全米1位、全英2位)、アル・ゴーゴニとの共作曲でザ・ホリーズ、イーヴィ・サンズ、リンダ・ロンシュタットなどの歌唱で知られる「I Can't Let Go」を始めとするヒット曲を持ち、アル・ゴーゴニとともにジェイムズ・テイラーがダニー・クーチらと結成していたフライング・マシーンのプロデューサーとしても才覚を発揮していました。そのアル・ゴーゴニは1960年代初めからセッション・ギタリストとしても知られていた人で、チップ・テイラーと組んで前出のイーヴィ・サンズに楽曲を提供し、プロデュースも担当。また、1970年にはバリー・マンの『Lay It Out』やB.J.トーマスの『Billy Joe』などのプロデュースとアレンジも手掛けています。

1965年、チップ・テイラーとアル・ゴーゴニは Just Us というデュオを組んで「I Can't Peaches On A Cherry Tree(桜の木に桃はならない)」をリリースし、翌66年に全米34位まで上昇するヒットを放ちます。彼らはこの曲と同名のアルバムも発表。そこにはトレイド・マーティンもギタリストとして参加していました。


トレイド・マーティンは1960年から64年にかけて幾つかのレーベルよりシングル盤を発表。62年の「That Stranger Used To Be My Girl」は全米28位のヒットを記録しています。1965年にはアル・ゴーゴニと共同でプロダクションを設立してイーヴィ・サンズの売り出しに尽力。ソング・ライターとしての才能もあり、イーヴィ・サンズには「Take Me For A Little While」(1965)を提供していました。こうしたことからチップ・テイラー、アル・ゴーゴニらとの交流が深まり、三人は言わば盟友関係にあったといえるでしょう。トレイド・マーティンはまた、ギター、ベース、ピアノ、ドラムスなど数多くの楽器を操るマルチ・プレイヤーでもありました。

1971年、テイラー、ゴーゴニ、マーティンの三人は裏方稼業に飽き足りなかったのか、クロスビー、スティルス&ナッシュを意識するかのようなトリオを組んで表舞台に打って出ます。当時の音楽界のトレンドに沿ったフォーク・ロックやカントリーの味わいが漂うアコースティックなサウンドが、三人の音を楽しむ職人の手によって見事に織りなされていました。前述のようにトレイド・マーティンがマルチ・プレイヤーぶりを発揮し、ギター、ベース、ピアノ、それにフレンチ・ホーンまで担当していますが、ドラムスには適材適所、餅は餅屋でという判断がなされたのかボビー・サンドラーを迎えてレコーディングが行われています。

今回はアルバムから3曲紹介します。まず、理想の女性像が綴られた「Sweet Dream Woman」。チップ・テイラーとアル・ゴーゴニの共作です。1972年にウェイロン・ジェニングスが取り上げ、カントリー・チャート7位となるヒットを記録しました。


SWEET DREAM WOMAN
彼女は人が生まれた子宮
彼女は人が持ち続けた誇り
彼女は人が若き日々に失った純粋
彼女は人が読んだ詩
彼女は人が食べさせる扶養者
彼女は神聖で真実の存在

素敵な夜の女よ
今宵は俺を抱きしめてくれ
素敵な夜の女よ
俺の心の人になってくれ

彼女は人類の母親
彼女は愛らしい空色
寒い時でも彼女はまったく冷たくない
彼女は不運と幸運
彼女は自分に出来ること全てを実現し
彼女の理性が俺の糧となるのが分かる

素敵な夜の女よ
今宵は俺を抱きしめてくれ
素敵な夜の女よ
俺の心の人になってくれ

ウェイロン・ジェニングスのヴァージョン。1972年のアルバム『Good Hearted Woman』に収録されていました。
http://www.youtube.com/watch?v=f8MjOj9TSiM

トレイド・マーティンの力強くも哀愁を帯びた歌声が心に滲みる「To Know The Girl」。三人の共作曲です。


美しいバラード、「Love Was Not A Word」。こちらも三人の共作です。テイラーとマーティンのハーモニーが繊細で、ソフト・ロック的な味わいのある曲に仕上がっていました。同時期に活躍したブレッドやハーパース・ビザールなどを彷彿とさせます。


ゴーゴニ、マーティン&テイラーの三人は1972年にセカンド・アルバムを発表しますが、鳴かず飛ばずのままにグループは消滅。彼らは各々の活動を始めます。アル・ゴーゴニは前述のバリー・マンやB.J.トーマスの作品のプロデュースのほか、ジャニス・イアンの『Between The Lines』(1975)、『Aftertones』(1976)、キャロル・ベイヤー・セイガーの『Carol Bayer Sager』(1977)などにギタリストとして参加。トレイド・マーティンは1972年にソロ・アルバム『Trade Martin』を発表。近年はB.B.キングへのトリビュート・アルバムの制作や自身の新曲「Come Back To New York City」を発表して健在ぶりを示しています。そして、チップ・テイラーは1971年の『GASOLINE』を皮切りに、その後も『Chip Taylor's Last Chance』(1973)、『Some Of Us』(1974)、『This Side Of The Big River』(1975)、『Somebody Shoot Out The Jukebox』(1975)、『Saint Sebastian』(1979)とアルバムをコンスタントに出し続けて行きました。80年代から90年代にかけての一時期ギャンブラーに転身し、音楽と距離を置く生活を送っていた時期もありましたが、1996年にセルフ・カヴァー集『Hit Man』をリリースして活動を再開。今日に至るまでステージ演奏に、アルバム制作にと気を吐いている模様です。

最後にチップ・テイラーの最近の映像を宜しければご覧ください。来日公演もこのような編成になると思われます。


チップ・テイラー来日公演の詳細は下記のTOM'S CABINのサイトを参照してください。
http://www.toms-cabin.com/

Al Stewart - Orange

フェアポート・コンベンション、ストローブスとブリティッシュ・フォークの香りが漂うグループの記事を続けてしまい、英国ロックの深い森からなかなか抜けられそうにありません。というわけで、今回は英国王家の血を引くというアル・スチュアートに登場していただくことにしました。取り上げるアルバムは『Orange』。ストローブスに在籍したリック・ウェイクマンが参加しています。

OrangeOrange
(2007/06/22)
Al Stewart

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1. You Don't Even Know Me
2. Amsterdam
3. Songs Out Of Clay
4. The News From Spain
5. I Don't Believe You
6. Once an Orage, Always an Orange
7. I'm Falling
8. Night Of the 4th Of May
9. Soho (Needless To Say)
10. Elvaston Place
11. It Doesn't Matter Anymore

アル・スチュアートは1945年9月5日、スコットランドのグラスゴーで誕生。生後間もなくグリーノックに移り、幼少期から思春期の頃まではボーンマスで過ごしました。
17歳で学校を退学。幾つかのバンドを転々とした後、19歳でロンドンに出てフォーク・クラブでボブ・ディランのナンバーや自作の曲を歌って注目されるようになります。
1966年、シングル「The Elf」でデビュー。翌67年、CBSと契約してアルバム『Bedsiitter Images』を発表します。69年にはリチャード・トンプソンやアシュリー・ハッチングスらフェアポート・コンベンションのメンバー、レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジが参加したセカンド・アルバム『Love Chronicles』をリリース。メロディ・メイカー紙の "Folk Album Of The Year" に選ばれ高い評価を得ました。タイトル曲では自身の恋の遍歴が18分に渡って延々と歌われ、生々しい描写と衝撃的な言葉が波紋を呼びます。表現の自由とはいえ、この歌の直接的な描写はあからさま過ぎてこれ以上とても説明できません。当然ながら、当時の本国イギリスで放送禁止となりました。続く1970年のサード・アルバム『Zero She Files』ではロック色を強め、恋愛だけではなく戦争をテーマに取り上げるなど変化の兆しが訪れます。

1972年、『Orange』では再びリアルなラヴ・ソングを中心とした内省的な歌に戻り、アル・スチュアートによる私小説的な世界が繰り広げられていました。自分自身の実体験をもとに、その想いを赤裸々にさらけだす作風が痛々しくも魅力的で心を打ちます。恋愛とは濃淡や程度の差こそあれ、誰もが経験し想い悩むこと。アル・スチュアートの描く歌はそうした男性と女性の価値観の違いや考え方の変化を的確に捉え、リスナーの共感を呼ぶ所以となっているのでしょう。

主な参加ミュージシャンはTim Rebeick(ギター)率いるイギリスのフォーク・ロック・グループQuiverの面々、既にイエスに移籍していたリック・ウェイクマン(キーボード)、Brinsley Schwarzからブリンズリー・シュウォーツ(12弦ギター)、ボブ・アンドリュース(オルガン)など。ジミー・ペイジのような大物の名は見当たりませんが、腕達者な人々が駆けつけていました。

それではアルバムの仲から何曲か紹介します。オランダのアムステルダムへの想いと愛する女性への恋慕の情を重ね合わせたポップな曲、「Amsterdam」。


叙情を激しくかきたてるような「The News From Spain」。恋人マンディとの別れが描かれた曲です。アルは彼女との関係が破綻した後の十ヵ月間は何も手がつけられず、歌も歌えない状態だったとのこと。過ぎ去った出来事を振り返りながら、ドラマティックな演奏をバックに切々と歌う様はようやく吹っ切れて現実を直視出来るようになったあらわれでしょう。


THE NEWS FROM SPAIN
スペインからの知らせを耳にした
まだ知りたいことがたくさんあるし
そして戻りたいのかどうかも分からないと君は言う
物事すべてがうまく行くかどうかにかかっている
カルヴァハルでどうにか出来ればの話さ

スペインからの知らせを耳にした
君は君を束縛しない誰かさんを見つけたんだってね
その人は君の涙を拭き、それから君の傍らに横たわった
時の流れというシンプルなワインが
俺たちをカルヴァハルで引き離した

タクシーに乗り込み空港へ
俺は着の身着のままで立っていた
走り書きした住所、歯ブラシ、パスポート
俺たちがビスケットの缶に貯めていた金
不安に駆られながら見知らぬスペインの街へと急ぐ
砂浜や海岸線を捜し求めて

スペインからの知らせを耳にした
冬の風が南の地を占有し
海はマントのように砂浜を包む
人ごみは去り
俺は歌を残して来た
カルヴァハルで
孤独に苛まれて息絶えるように

悲しいけれど、恋をする相手を
人は思うがままに選べるものではない

ボブ・ディランのナンバー、「I Don't Believe You」。アル・スチュアートは当時、「ディランはもう卒業したよ」と嘯いていたという逸話が残っています。情事の後によそよそしい態度を取った恋人への不信が描かれたこの曲を取り上げたことは、パーソナルで内省的なラヴ・ソングと訣別しようとするアルの決意の表れだったのかしれません。


ボブ・ディランのヴァージョンは『Another Side Of Bob Dylan』(1964)に収録。
http://www.youtube.com/watch?v=oNj6n6BJjIg

こちらは『Live 1966』(1998)に収録されていたヴァージョン。
http://www.youtube.com/watch?v=B_HPYuDC8Ks&feature=related

恋人と愛を交わす描写が鮮やかに表現された「I'm Falling」。


アルバム『Orange』発表後、アル・スチュアートは「私の歌は愛の歌だ。だが私は愛の歌を書き続けようと思わない」とコメントしたとされています。その言葉の通り、1974年には「ノストラダムスの大予言」を扱った『Past Present And Future』をリリース。個人的な愛の歌は影を潜め、戦争、歴史などに目を向けて物事を客観視する姿勢を窺わせました。言わば叙情詩人から叙事詩人へと転向したと理解してもいいのでしょう。

Strawbs - From The Witchwood

前回のフェアポート・コンベンションの記事の中で、サンディ・デニーがストローブスというグループに所属していたことに言及しました。そこで今回はストローブスに登場していただくことにします。取り上げるアルバムは『From The Witchwood』。彼らが1971年にリリースした四作目のアルバムです。

From the WitchwoodFrom the Witchwood
(1998/09/29)
Strawbs

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1. A Glimpse Of Heaven
2. Witchwood
3. Thirty Days
4. Flight
5. The Hangman And The Paptist
6. Sheep
7. Cannondale
8. The Sheperd's Song
9. In Amongst The Roses
10. I'll Carry On Beside You
11. Keep The Devil Outside

1960年代の半ば、ストローブスの前身であるストロベリー・ヒル・ボーイズがデイヴ・カズンズ(vo, g, banjo,etc)、トニー・フーパー(vo, g)、アーサー・フィリップス(mandolin)の三人によって結成されました。彼らはフォークやブルーグラスのナンバーを主なレパートリーとして、クラブを中心に演奏活動を始めます。
やがてアーサー・フィリップスが抜け、ロン・チェスターマン(b)が加入。さらに1968年、紅一点のサンディ・デニーを迎えて充実したラインナップが実現し、ブリティッシュ・フォーク・グループとしての確固たる地位を固めて行きました。
しかし、サンディ・デニーとストローブスの蜜月期間は長く続かず、代わって後のカーヴド・エアのヴォーカリストでポリスのステュアート・コープランド夫人となるソーニャ・クリスティーナが加わるもごく短期間でグループを去っています。彼女のワイルドな歌唱はストローブスには合わなかったのでしょう。


サンディ・デニーのストローブス在籍時の録音はアルバム『All Our Own Work』として1973年に発売されました。

All Our Own WorkAll Our Own Work
(2010/07/13)
Sandy Denny

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トリオ編成に戻ったストローブスですが、地道な努力が実を結びます。1969年、A&Mからアルバム『STRAWBS』にてデビュー。ここではジョン・ポール・ジョーンズ(レッド・ゼペリン)、ニッキー・ホプキンスらのサポートを得て、シンプルなフォークからフォーク・ロック路線へと脱却した音作りがなされていました。翌70年、トニー・ヴィスコンティをプロデューサーに起用したセカンド・アルバム、『Dragonfly』を発表。クレア・デニス(チェロ)、リック・ウェイクマン(キーボード)らが参加し、前作とは一転して原点回帰を試みたようなブリティッシュ・フォーク色の濃い雰囲気を漂わせていたのです。これら2作の評価は高かったものの、芳しいセールス結果を残すことが出来ませんでした。
フォークやトラッドに捕われることなく、より幅広い音楽性を追求することが事態の打開につながると考えたデイヴ・カズンズはリック・ウェイクマンを正式メンバーに迎えてサウンド面での拡充を図ります。さらにロン・チェスターマンが抜け、ジョン・フォード(b)、リチャード・ハドソン(dr)が加わりリズム・セクションも強化されました。
新生ストローブスはクイーン・イーライ・ホールでのライブ録音で、サード・アルバムとなる『Just A Collection Of Antiques And Curios』(1970年発表)を発表。ファースト・アルバム『STRAWBS』に収録の「Where Is This Dream Of Your Youth」以外はすべて新曲を収めた画期的なアルバムは全英チャート27位を記録し、まずまずのヒットとなりました。
ようやく脚光を浴び始めたストローブスは翌71年、『From The Witchwood』をリリース。ダルシマーやシタールを使用し、フォーク、ロック、バロックなどを融合させた彼らの音楽は独特の響きを醸し出しています。アルバムのコンセプトも魔女伝説や宗教をコンセプトとし、哀愁と翳りを帯びたサウンドを背景に不気味な色彩を放っていました。

アルバムのオープニング・ナンバーはリック・ウェイクマンが弾く教会音楽風のオルガンの音色が印象的な「A Glimpse Of Heaven」。デイヴ・カズンズのペンによる美しいメロディーを持った曲ですが、悟りの境地といった厳かなムードが漂います。


デイヴ・カズンズ作で、物悲しく悲劇的な結末が描かれた「Witchwood」。控えめに奏でられるクラリネットはリック・ウェイクマンによるものです。


WITCHWOOD
私はが魔女の森に迷い込んだのは
好奇心にかられてのこと
鬱蒼とした木々は時間を止めていたので
私の心はここにあらず
聞こえる音は私の声だけ
けれどその声は無意識のうちに音楽を奏でた

複雑に絡み合った枝には
深い雪が積もり
優しく輝く虹が行く手を指し示した
私は眼が霜に縁取られるまで
その虹の色を注意深く見つめた
道に迷うのを恐れ
私は足跡を残そうと懸命に試みた

この世のものとは思えない奇妙な歌が
魔女の森に響き渡り始め
私の指は枝のように灰色を帯び
大地に根を生やして立ちすくんだ
呪文はいまだ解かれぬまま
私は今なお彼女の命じるままの奴隷
棺が魔女の森から墓穴に運ばれるまで

ジョージ・ハリスンの楽曲を連想させるようなジョン・フォード作の「Thirty Days」、続けてこれもジョージ・ハリスンを彷彿させるリチャード・ハドソン作の幻想的なバラード、「Cannondale」を宜しければお聴きください。


リチャード・ハドソン作の「Flight」。甘美で優しいタッチの曲です。
http://www.youtube.com/watch?v=MeMDp9-jDQs

デイヴ・カズンズ作の「The Hangman And The Paptist(死刑執行人とローマ・カトリック教徒)」。リック・ウェイクマンの流麗なオルガンで始まり、カズンズが力強く歌い上げます。


リック・ウェイクマン在籍時のライブ映像。


大幅なメンバー・チェンジがなされた後年の映像のようです。
http://www.youtube.com/watch?v=lxao1lkf66c

サイケデリック風のドラマティックなロック、「Sheep」。デイヴ・カズンズの作品です。リック・ウェイクマンのオルガンがザ・ドアーズを思い起こさせました。
http://www.youtube.com/watch?v=HOOVzlM67NI

憂いを帯びた「In Amongst The Roses」。デイヴ・カズンズの作品です。
http://www.youtube.com/watch?v=WzJu0vNzWgM

デイヴ・カズンズ作の「I'll Carry On Beside You」。ホンキー・トンク調のリック・ウェイクマンのピアノがバッファロー・スプリング・フィールドの「Kind Woman」、あるいはThe Bandのリチャード・マニュエルを想起させます。デイヴ・カズンズらは意識していたのか、ウエスト・コースト・サウンド的な曲調が窺えました。


ストローブスに限らず、1960年代後半から1970年代前半にかけては悪魔や魔女や魔法に関心を示したアーティストが多数いました。ローリング・ストーンズは「Sympathy For The Devil(悪魔を憐れむ歌)」を呪文のように演奏し、密教や魔術の世界に耽溺して魔術師と暮らした経験があるというマーク・ボラン(T.REX)は奇想天外な解釈で禁断の雰囲気を漂わせ、ネーミングの由来は魔女と悪魔の集会「サバト」に因んだとするブラック・サバスはあたかも悪魔が登場するかのような重く力強いサウンドで聴くものを圧倒していたのです。
また、「Season Of Witch(魔女の季節)」を歌ったドノヴァンは魔女の子供であるという根も葉もない噂が実しやかに囁かれたことがあり、ブリティッシュ・フォークの雄と称されたペンタングルも「Solomon's Seal(ソロモンの封印)」というアルバムをリリースしています。
こうした傾向はイギリスだけのものではありません。イーグルスが「Witchy Woman」と「Take The Devil」という2曲をファースト・アルバムに収録したのも偶然の産物ではないでしょう。ちなみにこのアルバムはイギリス人のグリン・ジョーンズがプロデュースを担当し、ロンドンでレコーディングされました。

ソロモンの封印
旧約聖書に登場するソロモン王が神から授かった印鑑つきの魔法の指輪のこと。この指輪で王は悪魔たちを支配したとされる。印鑑の印は六芒星の形をしており、ダビデの星と呼ばれた。

前述の『Just A Collection Of Antiques And Curious』の余勢を駆って送り出した『From The Witchwood』でしたが、全英チャート37位と前作を超えられませんでした。しかし、さらに高い評価を得てストローブスの存在を知らしめるには十分の結果となったようです。ストローブスはこのまま順調な活動を続行していくように思われましたが、神のいたずらか悪魔の仕業か、行く手に不運が待ち受けていました。
豊かな才能と華麗なテクニックでストローブスに新風を吹き込んだリック・ウェイクマンが、この『From The Witchwood』を最後に脱退。イエスが彼に目をつけ、強引に引き抜いたのです。さらには結成以来デイヴ・カズンズの盟友として同じ道を歩んだトニー・フーパーも退団し、ストローブスはまたも新たなる方向を模索することを余儀なくされました。

Fairport Convention - What We Did on Our Holidays

ザ・バーズを扱った前回の記事で、サンディ・デニーがリード・ヴォーカルを取るフェアポート・コンベンション「The Ballad Of Easy Rider」のカヴァー・ヴァージョンを紹介しました。そこで、今回は1969年に発表されたフェアポート・コンベンションの『What We Did On Our Holidays』を取り上げることにします。

What We Did on Our HolidaysWhat We Did on Our Holidays
(2003/04/22)
Fairport Convention

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1. Fotheringay
2. Mr Lacey
3. Book Song
4. The Lord is in this Place, How Dreadful Is This Place?
5. No Man's Land
6. I'll Keep It With Mine
7. Eastern Rain
8. Nottamun Town
9. Tale In Hard Time
10. She Moves Through The Fair
11. Meet on the Ledge
12. End of a Holiday
13. Throwaway Street Puzzle
14. You're Gonna Need My Help
15. Some Sweet Day


ホワット・ウィ・ディド・オン・アワ・ホリデイズ+3ホワット・ウィ・ディド・オン・アワ・ホリデイズ+3
(2010/11/24)
フェアポート・コンヴェンション

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フェアポート・コンベンションは1967年にアシュレイ・ハッチングス、サイモン・ニコル、リチャード・トンプソンらを中心として結成されました。今でこそ伝統的なイギリスの民謡とロック・ミュージックが融合したサウンドで知られるグループですが、当初はアメリカ志向が強く、ザ・バーズ、ボブ・ディラン、ジェファーソン・エアプレインらのような音作りを模索していたのです。
やがて彼らはウエスト・コースト風のハーモニーやコーラスを再現するためにジュディ&フォークメンというユニットで歌っていたジュディ・ダイブル、ピラミッドというグループの男性ヴォーカリストだったイアン・マシューズをスカウト。念願ともいえるジェファーソン・エアプレインのような編成が実現し、フェアポート・コンベンションはクラブを中心とした精力的なライヴ活動を始めました。
そうした地道な努力がアメリカ人プロデューサーのジョー・ボイドの目に留まります。ボイドはマネージャーを買って出て、彼の尽力によりフェアポート・コンベンションは1968年にポリドールからのデビュー・アルバムの発表へと漕ぎ着けました。

Fairport ConventionFairport Convention
(2003/04/15)
Fairport Convention

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後にキング・クリムゾンの中心メンバーとなるイアン・マクドナルドの恋人だったジュディ・ダイブル。彼女はイアンがクリムゾンの母体となるジャイルズ、ジャイルズ&フリップに参加したのを機にフェアポートを脱退し、彼の後を追います。技量不足のために引導を渡されたとの説もありますが、どちらも正しいのかもしれません。「辞めたかったら好きにせいや。代わりはなんぼでもおるんやしな」といったところでしょうか。
女性ヴォーカリストに去られたフェアポートですが、人を介してサンディ・デニーを紹介されます。ソロとしてザ・ストローブスのメンバーとしてのキャリアがあり、ジョー・ボイドも一目置く存在だったサンディですが、フェアポートのメンバーは彼女のことを知りませんでした。そこでサンディは「You Never Wanted Me」(Jackson C. Frank)を披露。フェアポートの面々はサンディの実力を思い知らされます。



こうしてサンディ・デニーは一発採用。彼女を加えたフェアポート・コンベンションは心機一転アイランド・レコードに移籍。1969年にセカンド・アルバムをリリースしました。深く重みのあるサンディの歌声とイアン・マシューズの甘く優しいヴォーカルが絶妙の味わいを醸し出し、リチャード・トンプソンのリード・ギターも二人の個性をうまく引き出すために貢献しています。リチャード・トンプソンはグループのコンポーザーでもあり、ソング・ライターでもあるサンディの存在は大きな刺激となってお互いが共振する効果の源にもなり得たことでしょう。

サンディ・デニー(ヴォーカル、ピアノ、アコースティック・ギター)
イアン・マシューズ(ヴォーカル)
リチャード・トンプソン(ギター、アコーディオン)
サイモン・ニコル(ギター、オートハープ、ヴァイオリン)
アシュレイ・ハッチングス(ベース・ギター)
マーティン・ランブル(ドラムス、パーカッション)

それではアルバムの中から何曲か紹介します。オープニング・ナンバーの「Fotheringay」。トラディショナル曲の雰囲気が漂いますが、サンディ・デニーのオリジナル作品です。スコットランド女王メアリー・ステュアートの波乱に富んだ生涯をもとに創作された歌で、胸が締め付けられるような物悲しさが表されていました。サンディーはフェアポート・コンベンション脱退後に結成したグループにもフォザリンゲイと名付けるなど、メアリー・ステュアートに並々ならぬシンパシーを寄せていたことが分かります。


FOTHERINGAY
彼女は幾度か城の窓から外の景色をじっと眺め
そして幾度も幽閉された壁の中で過ぎ行く日の光を見つめていた
彼女の呼びかけに応える者など誰もいない
黄昏時は夕陽がだんだんと小さくなって萎み
寂しい一瞬に、残り火も消え去り
最後に若鳥たちが飛んで行く
彼女の貴重な自由の日々はずっと以前に奪われた
厳重な扉の奥でむなしい年月を送るために
だけど、こんな日々はもう続かない
明日のこの時刻、彼女は遠く離れたところにいるだろう
これらの島々よりも遥か遠く、人里離れたフォザリンゲイ城に

メアリー・ステュアート(Mary Stuart, 1542-1587)
エリザベス1世を従妹に持つスコットランド王ジェイムズ5世とフランス貴族ギーズ公家出身王妃メアリー・オブ・ギーズの長女。父ジェイムズ5世の急死に伴い、兄二人が早世していたため生後6日で即位。1547年、スコットランドはイングランドの攻撃を受け、翌48年にメアリー・ステュアートは母の母国であるフランスに避難。メアリーはこの地で育ち、1558年にアンリ2世の皇太子フランソワと結婚。アンリ2世の死後、フランソワが即位し、彼女はフランス王妃となる。同年、エリザベス1世がイングランド女王に即位するとメアリーとフランソワは王位継承権がメアリーにあると主張。エリザベスを激怒させた。
1560年、フランソワが夭折したため、翌61年にメアリーはスコットランドに帰国。しかし、当時のスコットランドでは宗教改革が進み、貴族を含めた国民の多くがプロテスタントに改宗していたので旧教徒(カトリック)であるメアリーの帰国は必ずしも歓迎されなかった。
1565年、メアリーは従弟のダーンリー卿と再婚。旧教の復活を目論むが、夫は政治にも宗教にも無関心であった。二人の間にはジェイムズが生まれたものの夫の傲慢と放蕩から仲が冷えきり、メアリーは名門貴族出身のボズウェル伯ジェイムズ・ヘバーンに心を寄せるようになる。1667年、ダーンリー卿が殺害された直後にメアリーはボズウェルと再婚。当然ながら二人がボズウェル殺害に関与していると疑われ、国民の不信を買う。間もなく反ボズウェル派の貴族たちが中心となり暴動が勃発。メアリーは投降しロッホリーヴン城に幽閉され、ボズウェルは逃亡した。メアリーは退位させられ、息子ジェイムズが即位。
1568年、メアリーは城を抜け出し挙兵するも鎮圧され、エリザベス女王を頼ってイングランドに亡命。エリザベスは王位まで狙っていた旧教徒メアリーの処遇に困惑。議会からは死刑が要求されたが、旧教国スペインの存在と関係悪化を恐れて幽閉するのが得策と考えた。また、血縁のよしみもあり、命を奪うには忍びなかったとも推測される。
以後メアリーは19年に渡り、各地を転々とする軟禁生活を送った。その間もメアリーは自らの王位継承権の正当性
を訴え、旧教徒の多いイングランド北部から支援を受けようと画策する。1586年、イギリス廷臣で旧教徒のアンソニー・バビントンらがエリザベス女王殺害を企てバビントン事件を起こし、裁判過程でメアリーが関与した証拠の手紙が提示された。メアリーはバビントンらとともに有罪となり、死刑宣告を受ける。エリザベス女王はメアリーの死刑執行を一旦躊躇したが、1587年にメアリーはフォザリンゲイ城にて最期の時を迎えた。
この事態を受けて、イングランドと断続的に紛争関係にあったスペイン王フェリペ2世はイングランドに無敵艦隊を派遣。新旧両教の争いを背景にした悲劇は1588年のアルマダの海戦の契機となったのである。なお、フェリペ2世の妻のメアリー1世はエリザベスの異母姉にあたり、イングランド女王に就いていた治世では旧教(カトリック)を復活させて新教徒(プロテスタント)を弾圧し、エリザベスも不遇の時代を送った。自分の地を脅かされていたにもかかわらず、メアリー・ステュアートの死刑執行を躊躇したのは自分の人生と彼女の人生を重ね合わせて同情や哀れみの念を抱いていたからかもしれない。また、メアリー・ステュアートらが主張していたように、エリザベスには王位継承権がないとする議論もある。英西戦争の背景にはそうした複雑で様々な因縁が絡んでいることは言うまでもない。

リチャード・トンプソンのギターが冴えるブルージーな「Mr Lacey」。のボーナス・トラックとして収められたエヴァリー・ブラザーズのナンバー、「Some Sweet Day」と続けてお聴きください。エヴァリー・ブラザーズのヴァージョンは『It's Everly Time!』(1960年発表)に収録。


サンディ・デニーとイアン・マシューズのデュエットが美しく溶け合う「Book Song」。グラハム・ナッシュあたりのナンバーを彷彿させるような仕上がりです。


アコーディオンの音色が印象的なリチャード・トンプソン作の「No Man's Land」。ケイジャン風のサウンドを取り入れた軽快な曲です。
http://www.youtube.com/watch?v=SaQ1bDSIexM

ボブ・ディラン作の「I'll Keep It With Mine」。少々ハスキーなサンディ・デニーの歌声が心に滲みます。ディランのヴァージョンは『Biograph』(1985)、『The Bootleg Series Vol. 1-3』(1991) 、『The Witmark Demo』(2010)などに収録されていました。


ディランは1964年頃にこの曲を書き上げましたが、当時は正式に発表することを見送りました。その後、ニコがファースト・アルバム『Chelsea Girl』(1967年発表)をレコーディングするにあたって、ディランはこの曲を彼女に提供したとのことです。
http://www.youtube.com/watch?v=TcnYkf5nm14

ジョニ・ミッチェル作の「Eastern Rain」。ジョー・ボイドにはジョニ・ミッチェルと音楽出版社との契約を取りはからった経験があり、この曲はおそらくボイドから紹介されたものでしょう。なお、ジョニ・ミッチェルはこの曲を正式にレコーディングしていません。


ボブ・ディランの「Masters Of War」とよく似たメロディを持つトラディショナル曲、「Nottamun Town」。
http://www.youtube.com/watch?v=om4KMCKBJuY

リチャード・トンプソン作の「Tale In Hard Time」。時代を反映してか少々サイケデリックな雰囲気が窺えます。
http://www.youtube.com/watch?v=qLvDinvnMwk

サンディ・デニーがフェアポート・コンベンション加入以前からレパートリーにしているトラッド曲、「She Moves Through The Fair」。
http://www.youtube.com/watch?v=8cN2JYnBTZw

シングル・カットされたリチャード・トンプソン作の「Meet on the Ledge」。ソロ転向後も彼の代表的なレパートリーとなっています。


The Byrds - Ballad Of Easy Rider

簡単ながら前回、前々回とパメラ・ポランドに関して述べました。今回はそのパメラ・ポランドが書いた楽曲「Tulsa County」が収録されたザ・バーズのアルバム、『Ballad Of Easy Rider』(1969年10月発売)を取り上げます。

イージー・ライダーイージー・ライダー
(2005/04/20)
ザ・バーズ

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1. Ballad Of Easy Rider
2. Fido
3. Oil In My Lamp
4. Tulsa County
5. Jack Tarr The Sailor
6. Jesus Is Just Alright
7. It's All Over Now, Baby Blue
8. There Must Be Someone
9. Gunga Din
10. Deportee
11. Armstrong, Aldrin And Collins

BONAS TRACKS
12. Way Beyond The Sun
13. Mae Jean Goes To Hollywood
14. Oil In My Lamp
15. Tulsa Country
16. Fiddler A Dram
17. Ballad Of Easy Rider
18. Build It Up

12弦ギターの音色と透明感のあるハーモニーを特徴とした独特のフォーク・ロック・サウンドを表現して人気を得たザ・バーズ。グラム・パーソンズを迎えた『Sweet Heart Of The Rodeo』以降はカントリー・ロックを基本にした路線を歩んで行きました。
1969年10月にリリースされたこの『Ballad Of Easy Rider』ではカントリー・ミュージックのみならず、ゴスペルやイギリスのトラッドの要素も窺え、多彩な音作りが試みられています。メンバーは前作『Dr. Byrds & Mr. Hyde』と同じくロジャー・マッギン、クラレンス・ホワイト、ジーン・パーソンズ、ジョン・ヨークの四人。クラレンスのギターが随所に渡ってフィーチャーされ、ジーン・パーソンズのドラム・ソロもあり、充実したバンド・サウンドが展開されていました。
前作『Dr. Byrds & Mr. Hyde 』は全米153位に沈み、気分一新を狙ってか、久々にテリー・メルチャーがプロデューサーに復帰。バーズとメルチャーの息のあった共同作業が、温かみのあるアルバムを作る上での効果を存分に発揮しています。

このアルバムには彼らのオリジナル作品があまり収録されていません。もともと他人の曲を取り上げ、自己流の解釈によるパフォーマンスで高い評価を得ていたバーズですが、リーダーでソング・ライティングの中心人物でもあるロジャー・マッギンの作品はタイトル曲のみ。その他はクラレンス・ホワイトとジーン・パーソンズの共作が1曲、パーソンズ単独作品が1曲、ジョン・ヨークが1曲、あとはカヴァー・ヴァージョンという構成でした。

早速アルバムの中から何曲か紹介しましょう。オープニング・ナンバーは映画「Easy Rider」のテーマ曲として知られる「Ballad Of Easy Rider」。当初、ピーター・フォンダはボブ・ディランに映画の主題歌を依頼。ディランは断ったものの、ナプキンに数行の詩を走り書きし、それを持ってロジャー・マッギンのを訪ねるようにとフォンダに指示しました。マッギンは親分からの命令は拒めないとばかりに詩を書き足し曲を付けて完成させます。

映画の大まかなあらすじ
ピーター・フォンダとデニス・ホッパー扮する若者二人がマリファナの密輸で稼いだ金をもとにオートバイに乗って旅に出た。途中でジャック・ニコルソン扮する弁護士と意気投合し三人連れとなる。彼らはニュー・オリンズの謝肉祭を見物しようとバイクを走らせた。マリファナを吸い、野宿する三人。沿道の人々は自由を体現するかのような彼らに悪意を抱いて襲撃する。弁護士は惨殺され、若者二人は命からがら逃げ出した。アメリカ南部の保守性を呪い、そこには自由がないと叫ぶ二人。それでも彼らはオートバイの旅を続けた。やがて州境にさしかかったとき、農夫が乗ったトラックが近づいて二人を罵りながら銃弾を発射。二人は射殺されてしまった。

映画には偏見に満ち保守的で殺伐としたアメリカの現状が描かれ、自由を体現するかのようなピーター・フォンダらが扮する若者たちの言動が拒絶される様が目の当たりに映し出されます。この詩には1960年代後半の混沌としながらも変革されないアメリカの社会情勢から逃れ、自由に生きたいという願望が表されているように思えました。それ故に、映画のテーマとこの曲は相応しく、いまなお説得力を持ち続けているのでしょう。
前述したようにこのアルバムでのロジャー・マッギンによるオリジナル作品はこれ一曲ですが、まさに「一曲入魂」といった風情が窺えました。



BALLAD OF EASY RIDER
川は流れる
海へと向かって
流れを追って
俺は行きたい
川よ果てしなく流れて行け
この道路から俺を水の中に引きずり込んで
どこか他の町へ連れて行ってくれ

彼が望んだのは自由
そうさ
つまり自由が欲しかったのさ
川よ果てしなく流れて行け
この道路から俺を水の中に引きずり込んで
どこか他の町へ連れて行ってくれ

陰になる木立を抜け
どこまでも進め川の流れよ
海に向かって行け
海に向かって流れよ

リズム・セクションが強調され、クラレンス・ホワイトのリード・ギターがフィーチャーされたヴァージョン。


映画のエンディングで流れるロジャー・マッギン単独ヴァージョン。サントラ盤に収録されています。



イージー・ライダー ― オリジナル・サウンドトラックイージー・ライダー ― オリジナル・サウンドトラック
(2000/10/25)
ステッペンウルフロジャー・マッギン

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カヴァー・ヴァージョンはあまり多くないようですが、フェアポート・コンベンションのアルバム『Unhalfbricking』(1969年発表)のリマスター盤(2003年発表)にボーナス・トラックとして収録されていました。ヴォーカルはサンディ・デニーが担当しています。
http://www.youtube.com/watch?v=lkGD13YcKE0&feature=fvst

ジョン・ヨーク作の「Fido」。犬の行動を観察しながら人生観が語られた歌です。ジーン・パーソンズの痛快なドラム・ソロが印象的。


クラレンス・ホワイトがリード・ヴォーカルを取る「Oil In My Lamp」。ホワイトとパーソンズの共作です。


パメラ・ポランド作の「Tulsa County」。ジョン・ヨークがパメラ・ポランドのジェントル・ソウルをサポートしたベーシスト(たぶんビル・プルマー)と親交があったことから持ち込まれたとのことです。このアルバムではロジャー・マッギンがリード・ヴォーカルを担当していますが、ライヴではしばしばヨーク自身も歌い、彼によるスタジオ・ヴァージョンもリマスター盤のボーナス・トラックとして陽の目を見ました。ヨークにすれば面白くない話ですが、リード・ヴォーカル交代の要因はおそらくマッギンの歌唱に表現力があり、リーダーとしての存在感が希薄にならないようにとられた措置かと思われます。クラレンス・ホワイトのギターとゲスト参加のバイロン・バーロインのフィドルが織りなす演奏の妙がマッギンの歌声を盛り立てていました。
この楽曲の著作権はテリー・メルチャーが所有していたこともあり、メルチャー自身も後にソロ・アルバム『Terry Melcher』(1974年発表)でレコーディングしています。


TULSA COUNTY
タルサ郡に来て以来
寂しい夜が続く
いったい何をすればよいのか
俺にはまったく見当がつかない
南の国境に沿って
ぶらぶらと旅をしてみようか
おまえへの思いをふっきらねば
ならないことは分かっているからな

どこへ行けばよいのか分からない
メキシコあたりに行くのがよさそうだ
メキシコへ向かうのさ

チャールストンでおまえの手紙を受け取った
俺の助けが必要だってな
でも俺が駆けつけてみれば
おまえは俺の助けなど求めていなかった
俺はお利口さんじゃないのかもな
でも俺にはおまえの生き方ぐらいは分かってるぜ
おまえは大勢の男どもを相手にしながら
手玉に取るやり口を覚えちまったんだろうな

1971年にリリースされたメイベル・カーターの次女にあたるアニタ・カーターのヴァージョンです。今回はジョニー・キャッシュ・ショー出演時の映像をご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=giqRX1U8MOI

アート・レイノルズ作のゴスペル・ナンバー、「Jesus Is Just Alright」。


こちらはライヴ映像。


アート・レイノルズ・シンガーズのオリジナル・ヴァージョンです。1966年リリースの『Tellin' Yt Like It Is』に収録。
http://www.youtube.com/watch?v=wtWOaqcXplw

あまりにも有名なドゥービー・ブラザーズのヴァージョン。1972年発表の『Toulouse Street』に収録されていました。宜しければ、今回は1996年のライヴ映像をご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=Ie9sY_zp9xg

ボブ・ディランのナンバーはバーズにとって必修科目のようです。今回は1965年リリースの『Bringing It All Back Home』に収録されていた「It's All Over Now, Baby Blue」を取り上げていました。


ボブ・ディランのヴァージョンです。
http://www.youtube.com/watch?v=euMjDhZlYHE

ジーン・パーソンズ作の「Gunga Din」。ジョン・ヨークと彼の母親のエピソードをもとにした歌です。


ウッディ・ガスリーの作品から「Deportee」。農作業のために雇われた不法移民の歌で、さんざん重労働させられたあげくに契約が切れれば国外追放され、おまけに帰路の飛行機だ墜落するといったやるせない様子が描かれています。


映画のヒットも手伝い、アルバム『Ballad Of Easy Rider』は全米チャート36位まで上昇。前作の不振を打ち消し、見事に汚名返上。名誉挽回、起死回生とばかりのリベンジを果たしました。
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