好きな音楽のことについて語りたいと思います。

Pamela Polland

前回の記事でジェントル・ソウルを取り上げましたが、今回はグループ解散後のパメラ・ポランドについて少しばかり述べることにします。

パメラ・ポランド(紙ジャケット仕様)パメラ・ポランド(紙ジャケット仕様)
(2006/10/18)
パメラ・ポランド

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1. In My Imagination
2. Out Of My Hands (Still In My Heart)
3. Sing-A–Song Man
4. When I Got Home
5. Please Mr. DJ
6. Abalone Dream
7. The Rescure
8. Sugar Dad
9. The Teddy Bears' Picnic
10. The Dream (For Karuna)
11. Texas
12. Lighthouse

周囲から大きな期待を寄せられていたにも関わらず、ジェントル・ソウルのアルバムは話題にもならずに市場から姿を消しました。過去に才能を買われてティン・パン・アレイに乗り込んだものの相手にされず挫折を味わった経験があるとはいえ、パメラ・ポランドにとって苦汁をなめる思いだったに違いありません。ほどなくしてグレッグ・コープランドとの結婚生活も破綻。パメラはアーティストとして、一人の女性としての人生の岐路に立たされました。
再びソロ活動を始める決心をしたパメラはテリー・メルチャーとライ・クーダーを頼るものの意見が合わず交渉決裂。レコード会社も結果の残せなかったアーティストを厚遇することはありません。パメラはそんな状況に嫌悪を抱き、絶望感や幻滅感から逃れようとサンフランシスコ郊外のミル・ヴァレーに転居。友人のダイアン・スウァード・ラパポートをマネージャーに迎え、コーヒーハウスなどに出演しながら英気を養うことになりました。

ミル・ヴァレーでの充実した時期を過ごすパメラ。ある日、友人から全米ツアーに出るバンドのリハーサルがあるのでロサンゼルスのA&Mレコードのスタジオに来るようにと誘われます。パメラが向かったその場には旧知のレオン・ラッセルがディレクションを担当していて、バック・ヴォーカルの列に並ぶようにと彼女に指示。リハーサルが終了するやいなや、レオンはパメラに採用を告げました。

そのバンドとはマッド・ドッグス&イングリッシュメンです。ジョー・コッカーの後ろでパメラがちらっと映っているのが確認出来ました。

http://www.youtube.com/watch?v=n6splB7acXc&p=D1CB0DAE6C24E235&playnext=1&index=5

パメラにとってバンドに加わり全米を旅した経験は傷心を癒すには絶好の機会となり、再起へのきっかけとなり得たことでしょう。努力すれば運が向いて来るようで、ミル・ヴァレーに戻るとマネージャーのダイアンの尽力によってメジャー・レーベルのオーディションが受けられる手はずになっていたのです。その中には古巣CBS、そしてジャクソン・ブラウンが所属することになるアサイラム・レコードの名がありました。
1970年、CBSとアサイラムの間でパメラ・ポランド獲得を巡って争奪戦が繰り広げられます。CBSはクライヴ・デイヴィス、アサイラムはデヴィッド・ゲフィンといった社長自らが直々に交渉へ乗り出すほどの熱の入れよう。既にアサイラムと契約をすませたジャクソン・ブラウンからもパメラに勧誘があったと言われています。
こうした両者の熱烈なラヴ・コールにパメラは嬉しい悲鳴を上げて逡巡。熟慮を重ねた結果、条件面で優った古巣CBSとの再契約を選択したのです。
レコーディングはサンフランシスコとナッシュヴィルで行われました。1971年のサンフランシスコのセッションではニッキー・ホプキンスやタジ・マハールが参加。翌72年のナッシュヴィルのセッションではギタリストのエディ・ヒントンら腕利きのスタジオ・ミュージシャンらが動員されました。こうしてクライヴ・デイヴィスの期待のほどを表すかのような豪華な面々の強力を得たアルバムは1972年にリリースされたのです。

それではアルバムの中から何曲か紹介しましょう。ナッシュヴィルで録音の「Out Of My Hands (Still In My Heart)」と地名ではなく「テキサス」という名の男性への思いが込められたサンフランシスコ録音の「Texas」の2曲を続けてお聴きくだされば幸いです。


OUT OF MY HANDS (STILL IN MY HEART)
物事が思い通りに行かなかったなら
私に言ったわね
その時は一緒になろうと
そう、私たちってなんて幸せなのかしら

私たちの人生は迷路のようで
自由になろうと無我夢中なのね
そしてもう手に負えないけれど
でもまだ気は確かよ

実家に帰ろうと思うの
ここにいるのは良くないわ
強く生きようと試みたけれど
ここにいたら日ごとに気弱になっていく
人生は迷路のようで
自由になろうと必死だったのね

今じゃもう手に負えない
でも心はしっかりしてるわ
もう手に負えないけれど
まだ心は確かなのよ

この「Out Of My Hands」でのちょっぴりハスキーでソウルフルなパメラのヴォーカルにはアーシーなサウンドがよく似合っています。

TEXAS
テキサス、あなたを殆ど見たことがないけれど
飛行機でアメリカを横切り
ロックン・ロール・ショーの旅をしていたら
テキサス、あなたをとても不思議な場所で見かけたことがあるわ
以前はコロラドでも見たことがあるの

でもテキサス、私はあなたをずっと前から知っているように思う
あまり詳しくはないけれど
私はそこで銀貨一枚のお土産を買おうと思う
そして私は言うの、そこへ言ったことがあるって

一度だけ、あなたが私を連れに来てくれると思ったことがあるわ
私は毅然としていて だから世界中に見えていた
期待の翼を広げて飛びながら
あなたが私のために考えてくれたどんなプランも見えなくなっていた

でも聞いて、テキサス、私はあなたをずっと前から知っているように思う
あまり詳しくはないけれど
あなたはもういなくなってしまったけれど
愛は留まっている
そして私はこの歌とともに家にいる

一緒に連れて行ってよ、テキサス
どうかお願い、あなたと一緒に

新しい世界がやって来るのを見ようと夜明けまで起きて待っていた
でもやって来たのはこの歌だけ

一方の「Texas」はシンガー・ソング・ライターのリー・クレイトンとZ.Z.トップのビリー・ギボンズに捧げた歌とパメラ自身は述べておりますが、ジャクソン・ブラウンのことを歌っているのではとついつい邪推してしまいます。また、パメラの近くにいたテキサス出身のアーティストといえばスティーヴン・スティルス。しかし、パメラは彼に最初のデートをすっぽかされてそれきりになったと言っておりましたので、恋慕の情が残っているとは考えにくいでしょう。

日常の鬱屈の癒しを求めるかのように、ラジオのDJへ曲のリクエストを懇願する「Please Mr. DJ」。ピアノの弾き語りに説得力があります。この曲もナッシュヴィルで録音されました。


収録曲は短いインストゥルメンタルの「The Teddy Bears' Picnic」を除いて全曲パメラ・ポランドのオリジナルです。なお、「The Teddy Bear's Picnic」は1907年にイギリスのジョン・W・ブラトンが作曲したキッズ・ソングで、1932年にアイルランドのジミー・ケネディが詞を付けて広く知られるようになりました。

パメラ・ポランドのソロ作がリリースされた1972年といえばシンガー・ソング・ライターが脚光を浴びていた時期です。敗色濃厚のヴェトナム戦争によってアメリカ社会が挫折を味わい、カウンター・カルチャーが衰退して行く中、反戦を叫んだ人々の心も喪失感や虚脱感に覆われていました。そんな鬱屈した状況を癒すように、私的な体験や自己の内面の揺らめきを表現するシンガー・ソング・ライターの歌が台頭する土壌が形成されていったのです。私小説的な内容を持ったありのままの歌が、いかにして人々の共感を得ることが出来るかが成功の要因となるのでしょう。CBSもアサイラムもパメラ・ポランドの才能を見抜き、キャロル・キングやジョニ・ミッチェル同様の存在になり得ると大きな期待を掛けていたと言えます。
でも、ソロとしてのパメラ・ポランドのファースト・アルバムは好成績を残せず、セカンド・アルバムもレコーディングしていたものの後ろ盾となっていたクライヴ・デイヴィスが社内事情によって退任に追い込まれたためにお蔵入りとなりました。
もしパメラがアサイラム・レコードを選んでいれば、彼女のその後の音楽活動は違ったものになった可能性があったでしょう。まったく異なったタイプのプロデューサーやアレンジャーが担当し、別の人脈のミュージシャンがバックを受け持ったことでしょう。旧知のジャクソン・ブラウンを始め、リンダ・ロンシュタット、イーグルスの面々など交流の深いアーティストが手を貸し、パメラの個性と魅力を最大限に演出出来たと思われます。しかし、人生においてたらればは禁物かもしれません。誰でも岐路に立たされた時に、右と左のどちらを選べばよかったかなんて往生の瞬間にしか分からないのではないでしょうか。華やかな成功を収めても哀れな末路を辿る場合も往々にしてあるものです。
パメラはその後ハワイに移住。ファースト・アルバムのリリースから23年の歳月が過ぎた1995年にボニー・レイット、ケニー・ロギンズ、クリス・ヒルマン(元バーズ)らをゲストに迎えたアルバム『Heart Of The World』を発表。現在はヴォイス・トレーニングを教えたり、ジャズ・ヴォーカリストとして、さらにフラ・ダンスのユニットを組んで歌い続けています。

いつ頃のものかよく分かりませんが、ジャズ・スタンダード・ナンバーを歌う映像がありました。


ハワイアン風にアレンジされた「Stand By Me」です。


ライ・クーダーと組んでいた頃の音源がありました。これで今回はお開きにしたいと思います。


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The Gentle Soul - THE GENTLE SOUL

今回は1967年にジェントル・ソウルが発表した『THE GENTLE SOUL』を取り上げることにしました。以前、ジャクソン・ブラウンの「Shadow Dream Song」の記事で言及したパメラ・ポランドが在籍したユニットです。

Gentle SoulGentle Soul
(2003/03/25)
Gentle Soul

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1. Overture
2. Marcus
3. Song For Eolia
4. Young Man Blue
5. Renaissance
6. See My Love (Song For Greg)
7. Love Is Always Real
8. Empty Wine
9. Through A Dream
10. Reelin
11. Dance
12. Tell Me Love (Bonus Track)
13. Song For Three (Bonus Track)
14. 2 10 Train (Bonus Track)
15. Flying Thing (Previously Unissued) (Bonus Track)
16. God Is Love (Previously Unissued) (Bonus Track)
17. You Move Me (Bonus Track)
18. Our National Anthem (Bonus Track)
19. Tell Me Love (Previously Unissued Version) (Bonus Track)
20. Love Is Always Real (Prev Unissued Version) (Bonus Track)

カリフォルニア州サン・フェルナンドで育ったパメラ・ポランド。正確な生年月日は不明ですが、1948年生10月9日まれのジャクソン・ブラウンが14歳の時に17歳のパメラ・ポランドに出会ったということから彼女は1945年生まれと推測されます。
パメラは両親がミュージシャンだったことから幼少の頃にリコーダーやピアノを習い始め、クラシックやブロードウェイ・ミュージカルに親しみながら日々を過ごしていました。思春期になるとポップスにも興味を持ち始め、自分で曲を作り始めるようになります。16歳の頃には地元のコーヒーハウスやライヴ・ハウスで歌うようになり、17歳の時にはアッシュ・グローヴというクラブでギタリストのライ・クーダーと知り合い、デュオを結成。古いフォーク・ソングやブルースを主なレパートリーにしていたといいます。その時ライ・クーダーは15歳(1947年3月15日生まれ)。若年ながら既に大人たちを圧倒する腕前を披露していました。

1964年、高校を卒業してオレンジ・カウンティにあるカレッジの音楽科に入学したパメラは地元のコーヒーハウスでジャクソン・ブラウンとグレッグ・コープランドに出会います。アーティスト志向の三人はたちまち意気投合。お互いに刺激し合い、感性や技量を高めて行きました。ジャクソンはパメラにほのかな恋心を抱き、彼女をプリンセスと形容して作った歌が「Shadow Dream Song」です。

http://www.youtube.com/watch?v=zC900yVOxqU

翌1965年、パメラは有名な女性シンガーのナンシー・エイムスにソング・ライターとしての才能を高く評価され、ニューヨークの音楽出版社を紹介されました。ティンパン・アレーで仕事をするチャンスが訪れたのです。しかし、フォーク、ポップス、ロックが融合したパメラの音楽性はティンパン・アレーの作風と異なり、相手にされぬままカリフォルニアへの帰路につきました。
しかし、神はパメラを見放しません。1966年、CBSレコードの宣伝部長であるビリー・ジェイムズがパメラを見初め、ザ・バーズのプロデューサーとして知られるテリー・メルチャーに引き合わしたことでデビューへの道が開かれます。当初、ソロとして売り出す計画が立てられていたようですが、パメラがエヴァリー・ブラザーズのようなハーモニーの実現を追求していたためにデュオのパートナーを探すことになりました。また、ビリー・ジェイムズはジャクソン・ブラウンの才能にも注目。CBSを辞職してウエスト・コーストの音楽の潮流に目を向けようとしていたエレクトラ・レコードに転職した後、ジャクソンをソング・ライターとしてエレクトラ直属の音楽出版社ニーナ・ミュージックと契約させることに至らせたのです。

ある日、友人を介してパメラはボストンからやって来たリック・スタンリーを紹介されます。パメラと同じくボブ・ディランやエヴァリー・ブラザーズ好きの青年リック。ピート・シーガーやジム・クウェスキンらのフォーク・ソングやジャグ・バンド・ミュージックにも傾倒していたといいます。
たちまち二人は意気投合。リックのアーティスとしての素養もテリー・メルチャーのお眼鏡にもかなったことで、めでたくデュオ結成と相成り正式にCBSと契約に至りました。
デュオの名はザ・ジェントル・ソウルと決まり、サポート・メンバーも決定。テリー・メルチャーの継父で、ドリス・デイの夫でもあるマーティ・メルチャーがマネージメントを買って出て万全の体制が取られることになります。彼はレコード会社や音楽出版社を経営して来た業界の実力者でした。

順調なスタートを切るかと思われたジェントル・ソウルですが、リック・スタンレーが個人的な悩みを抱えて突然失踪。困り果てたパメラはジャクソン・ブラウンに白羽の矢を立てます。憧れの人からのオファー。ソロ志向の強かったジャクソンですが、デビューを約束されたグループに加わるほうが得策と判断したのか、パメラの誘いを受け入れました。ところが二週間後、リックが平身低頭、悔い改めて戻って来たことによりジャクソンの淡く甘い夢は僅か数日間で終わったのです。

こうして周囲の大きな期待を寄せてデビューしたジェントル・ソウルですが、ファースト・アルバムは良好な売り上げを示すどころか、話題にもなりませんでした。フォーク・ロックを基調に、当時の流行だったサイケデリック・サウンド的なアレンジを施し、弦楽器、フルート、ハープシコードを導入してバロック音楽風の味わいを取り入れたことが却って仇となったのかもしれません。テリー・メルチャーの努力も空回りといったところでしょうか。

それではアルバムの中から何曲か紹介します。ブルースとトラディショナル・フォークの雰囲気が漂う。「Young Man Blue」。


フルートの音色が印象的な「Renaissance」。ハーモニーではなく、ユニゾンの妙が新鮮に聴こえます。


RENAISSANCE
君と出会わなければ不幸になっていただろう
その日が来なければ夜の鳥になっていただろうな
かつて白昼夢を見た
すべてが叶ったんだ
何もかもが君に出会うために私を待っていたもの
どこを見ても黄金の感触
愛の一部であることが分かる

山を放浪し
君がどこにいるのかと考えていた
大洋を航海し、満天のどの星を眺め
君が私のところに来てくれた白昼夢を見ていた
君の存在の豊かさが私を自由にしてくれる翼
どこを見ても黄金の感触
愛の一部であることが分かる

君と出会わなければ不幸になっていただろう
その日が来なければ夜の鳥になっていただろうな
かつて白昼夢を見た
すべてが叶ったんだ
何もかもが君に出会うために私を待っていたもの
どこを見ても黄金の感触
愛の一部であることが分かるんだ

パメラ・ポランドがグレッグ・コープランドに捧げた曲、「See My Love (Song For Greg)」。パメラの歌声とハープ、およびヴァン・ダイク・パークスが弾くハープシコードの音色が溶け合い、美しい響きを漂わせています。


美しいメロディ・ラインを持った「Empty Wine」。


シングルとしてリリースされた「Tell Me Love」。ブリティッシュ・トラディショナル・フォークを彷彿とさせますが、どことなくビートルズ・サウンドを連想させるような雰囲気を持ち合わせた曲です。アレンジはジャック・ニッチェ。


1968年になると結果を残せないままグループは解散状態に陥り、パメラとリックの二人は別々の道を歩む決心をします。パメラはジャクソン・ブラウンの立ち会いのもと、グレッグ・コープランドと結婚してヨーロッパに旅立ち、マハリシ・ヨギに傾倒していたリックはソロ活動に入りました。

参考文献
リッチ・ワイズマン著、室矢憲治訳『ジャクソン・ブラウン・ストーリー』1983年、CBS・ソニー出版

ジャクソン・ブラウン・ストーリージャクソン・ブラウン・ストーリー
(1983/01)
リッチ・ワイズマン

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Nicolette Larson - NICOLETTE

京都の日中は10月の半ばを過ぎても夏日が続いておりましたが、街を行き交う人々の服装も長袖が大半を占め、ようやく季節がほんの少しだけ前に進んだと言えるでしょう。

愛しのニコレット愛しのニコレット
(2008/05/28)
ニコレット・ラーソン

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1. Lotta Love
2. Rhumba Girl
3. You Send Me
4. Can't Get Away From You
5. Mexican Divorce
6. Baby, Don't You Do It
7. Give A Little
8. Angels Rejoiced
9. French Waltz
10. Come Early Morrnin'
11. Last In Love

今回はニコレット・ラーソンが1978年に発表したデビュー・アルバム、『NICOLETTE』を取り上げることにしました。おてんば娘を連想させるジャケットがとても愛らしく思えます。

ニコレット・ラーソンは1952年7月17日にモンタナ州ヘレナに生まれました。幼少の頃より財務省勤務の父親の仕事の都合で各地を転々とした後、一家はミズーリ州カンザス・シティに落ち着き、ニコレットもその地を故郷と心得ます。
ニコレットは歌手を目指したことのある母親の影響を受けて育ち、ピアノを習い、思春期の頃はビートルズやローリング・ストーンズを通じてポップスに親しみました。歌手になることを目指してミズーリ大学を中退した後の1973年頃に単身サンフランシスコへ向かい、ゴールデン・ステイト・カントリー・ブルーグラス・フェスティヴァルの事務局を手伝ったことからカントリー・ミュージックにも興味を持ち始めます。
事務局職員という裏方としての仕事ながら多くのミュージシャンとの出会いがあり、パーティなどで交流するうちにニコレットが彼らの前で歌を披露することもありました。ニコレットの歌声はミュージシャンの間で評判となり、彼女にはバック・アップ・シンガーとしてステージに立つ機会が訪れます。

1975年、ニコレットはスティール・ギター奏者のハンク・デヴィートと結婚。ハンクがエミルー・ハリスのバック・バンドに参加することになったことにより、二人はロサンゼルスに転居しました。この地でニコレットはエミルー・ハリスの紹介でリンダ・ロンシュタットとも知り合い、多くのアーティストのバック・アップ・シンガーとして活動して行くことになります。リンダの知遇を得たことは歌手として歩むうえで大きな収穫となったことでしょう。
心をくすぐられるようなニコレットの歌声は引く手あまた。コマンダー・コディ(1975年発表の『Tales From The Ozone』、1977年の『Rock'n Roll Again』)、ホイト・アクストン(1976年の『Fearless』など)、ニール・ヤング、(1977年の『American stars'n Bars』、1978年の『Comes A Time』)、エミルー・ハリス(1977年の『Luxuary Liner』)ドゥービー・ブラザーズ(1978年の『Minute By Minute』)らのレコーディングに参加しました。ことにニール・ヤングとの出会いは大きく、『American Stars'n Bars』でのパフォーマンスによって彼女の名が世に知られるきっかけになったと思われます。ちなみにニコレットがリンダ・ロンシュタットのアルバムに参加したのは1980年発表のアルバム『Mad Love』が最初ですが、『American Stars'n Bars』に収録された「Bite The Bullet」で共演していました。

1978年、エミルー・ハリス、ドゥービー・ブラザーズらを擁するワーナー・ブラザーズでの仕事によりニコレットは敏腕プロデューサーであるテッド・テンプルマンに見初められ、ソロ・シンガーとしてデビューする話が持ち上がります。同時にコマンダー・コディが所属するアリスタ・レコードも獲得に名乗りを上げましたが、エミルー、リンダ・ロンシュタット、ニール・ヤングらの後押しや仲介によりワーナー・ブラザーズに落ち着きました。

それではアルバムの中から何曲か紹介します。まずオープニング・ナンバーの「Lotta Love」。貼り付け無効なので下記のURLをクリックしてお聴きくだされば幸いです。

http://www.youtube.com/watch?v=reSa2ipIH8s

LOTTA LOVE
溢れる愛が必要
現状を変えるための
溢れる愛が必要
じゃなきゃ私たちは遠くに行けそうもない
あなたが私のほうを向いても
二人が目と目を合わせることはない
心が怖じ気づいているわ
私自身がそう思ってるの
溢れる愛が必要
二人が夜を過ごすために
溢れる愛が必要
まさしく愛を成就するために
あなたが向こうで待っているのなら
すぐに姿を見せてほしいの
私が欲しいのは孤独ではなく
二人の関係なの

溢れる愛が 溢れる愛が必要

溢れる愛が必要
現状を変えるための
溢れる愛が必要
じゃなきゃ私たちは遠くに行けそうもない
溢れる愛が必要(溢れる愛が)
溢れる愛が必要(溢れる愛が)
溢れる愛が必要(溢れる愛が)

1991年の来日公演からの映像です。


ディスコ・ヴァージョンもお時間が宜しければお聴きください。
http://www.youtube.com/watch?v=R-In6JYLYNU

ニール・ヤングのヴァージョンは前出の『Comes a Time』に収録。
http://www.youtube.com/watch?v=ELakJxPiieU

ちょっぴりハスキーな甘い歌声で、「あなたに夢中」と歌われるサム・クック作の「You Send Me」。今回はライヴ・ヴァージョンでお聴きください。


サム・クックのヴァージョンは1957年にリリースされました。今回はライヴ映像をご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=oqzv1ZS6uZs

ライ・クーダー(1974年発表の『Paradise And Lunch』収録)でもお馴染みのバート・バカラックのナンバー「Mexican Divorce」。明るい曲調ですが、歌詞の内容は離婚問題を扱ったものです。"One day married next day free (一日だけ結婚しても次の日は自由の身)" という歌詞からは偽装結婚さえ窺わせました。こちらもライヴ音源でお楽しみください。


信仰心が薄く、家庭を顧みず道楽を繰り返した男が妻の死によって神に祈るようになった姿が描かれた「Angels Rejoiced」。アイラ&チャーリー・ルーヴィン(ルーヴィン・ブラザーズ)の作品です。今回はアンソニー・クロフォードとのデュエットでのパフォーマンスをご覧ください。後にカントリー・シンガーへ転身するニコレットですが、このアルバムにはもう1曲、ボブ・マクデイル作の「Come Early Mornin'」というカントリー・ソングが収められていました。
なお、ルーヴィン・ブラザーズのオリジナル・ヴァージョンは1959年リリースの『Satan Is Real』に収録。他にもエミルー・ハリスも1996年発表の『Portraits』で取り上げています。


ザ・キッスをコンポーザーとして支えたことで知られるアダム・ミッチェル作の「French Waltz」。


J.D.サウザーとグレン・フライがニコレットのために書き下ろしたラヴ・ソング、「Last In Love」。後にJ.D.もアルバム『You're Only Lonely』(1979)でセルフ・カヴァーしています。


J.D.サウザーのヴァージョンです。
http://www.youtube.com/watch?v=IRTjV8B_Q7I

この他にもジェシ・ウィンチェスター作(1977年の『Nothing But A Breeze』収録)の「Rhumba Girl」、マーヴィン・ゲイが1964年にヒットさせ、The Bandでもお馴染みの「Baby, Don't Do You Do It」(1972年発表の『Rock of Ages』などに収録)など興味深い作品が目白押し。爽やかながらも堂々とした佇まいで歌うニコレット・ラーソンの瑞々しい魅力が溢れた一枚でした。

ニコレット・ラーソンに対するワーナー・ブラザーズの期待は大きかったようで、アルバムの発売直後にプロモーションのために来日。深夜番組に出演して「Lotta Love」を歌う彼女の姿を今でもよく憶えています。

B.J. Thomas - RAINDROPS KEEP FALLIN' ON MY HEAD

昼間はまだ夏の勢いがかろうじて残っているようですが、朝夕めっきり涼しくなって来ました。この後に心配なのは秋の長雨。通常は9月の風物詩ですが、今のところあまり実感することなく過ごしています。一部地域では被害をもたらしていると聞くものの、幸いにして京都では何日も降り続くようなことが未だにありません。そんな状況に因んだわけではありませんが、今回はB.J.トーマスが1970年にリリースしたアルバム『RAINDROPS KEEP FALLIN' ON MY HEAD』を取り上げることにしました。


雨にぬれても+1(紙ジャケット仕様)雨にぬれても+1(紙ジャケット仕様)
(2010/07/21)
B.J.トーマス

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1. Little Green Apples
2. Raindrops Keep Falling on My Head
3. This Guys in Love with You
4. If You Ever Leave Me
5. Guess Ill Pack My Things
6. If You Must Leave My Life
7. The Greatest Love
8. Do What You Gotta Do
9. Mr. Mailman
10. Suspicious Minds
11. Long Ago And Tomorrow (Bonus Track)

こちらはサード・アルバムとの2in1です。

Raindrops Keep Fallin' On My Head/Everybody's Out Of TownRaindrops Keep Fallin' On My Head/Everybody's Out Of Town
(2009/10/20)
B.J. Thomas

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B.J.トーマスことビリー・ジョー・トーマスは1942年8月7日、オクラホマ州ヒューゴに生まれました。父親がカントリー・ミュージックの大ファンであったことからハンク・ウィリアムスやレフティ・フリーゼルなどを幼い頃から聴いて育ったといいます。
そんな彼も少年時代はエルヴィス・プレスリーやリッキー・ネルソンに夢中。次第に歌手志望の気持ちが芽生え、手始めに地元の教会の聖歌隊で歌うようになります。この経験はその後の彼の歌手活動においての大きな財産となったことでしょう。
1959年頃、B.J.トーマスは地元で活動していたトライアンフスにリード・シンガーとして加入。ジェイムズ・ブラウンやジャッキー・ウィルソンらのR&Bナンバーを中心にカヴァーしながら活動し、1960年頃より幾つかのローカル・レーベルからシングルをリリースするようになります。
1966年、トライアンフスはローカル・レーベルであるペース・メイカーからハンク・ウィリアムスの「I'm So Lonesome I Could Cry」を収録したアルバムをリリースして評判を呼びました。そして、B.J.トーマスと同郷でかつては別のバンドでライヴァルとしてしのぎを削った後にA&Rマンに転身したスティーヴ・タイレルの後押しで彼らはセプター・レコードと契約。同じ年に「I'm So Lonesome I Could Cry」はセプター・レコードから再発され、全米8位のヒットを記録します。また、この曲を収録したアルバムも一部の曲を差し替えて全米発売。バンドにはいよいよ全米進出の機会が巡ってきましたが、メンバー個々の学業の問題があって地元を離れることが出来ず、B.J.のみがソロ・シンガーとして独立することになります。


メジャー・デビューを果たし、アルバムからシングル・カットされた曲も次々とヒット。その余勢を駆ってか、B.J.トーマスはジョージ・ロイ・ヒル監督、ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード主演の映画『Butch Cassidy and the Sundance Kid(邦題:明日に向かって撃て)』(1969年公開)の主題歌「Raindrops keep fallin' On My Head」を歌う歌手に抜擢されました。この映画の音楽を担当したバート・バカラックは当初ボブ・ディランを起用したかったようですが、彼に断られたためにB.J.にお鉢が回って来たのです。まだそれほど実績のないB.J.の大抜擢にはスティーヴ・タイレルのバカラックへの強い働きかけがありました。タイレルはバカラックがプロデュースを担当していたディオンヌ・ワーウィックの一連のアルバムに関わっていたことからバカラックの信任が厚かったのだと思われます。

映画『Butch Cassidy and the Sundance Kid』で使用されたヴァージョンです。B.J.トーマスは当時、喉頭炎を発症して万全の体調ではなかったもののスケジュールの関係で延期出来ず、せっかくのチャンスを棒に振りたくない一心からレコーディングに臨みました。そのため少々ハスキーなしわがれ声になっていますが、ボブ・ディランを起用したかったバカラックにとっては却って当初の念願通りになったようです。B.J.にとってはまさしく怪我の功名といったところでしょうか。


こちらは1969年11月にシングルとしてリリースされ、アルバム『RAINDROPS KEEP FALLIN' ON MY HEAD』にも収録されているヴァージョン。全米1位に輝いています。


RAINDROPS KEEP FALLIN' ON MY HEAD
雨の雫が俺の頭に降り掛かる
ベッドに収まりきれないほどの長い足を持った男のようさ
うまくいくことは何もない
雨の雫が俺の頭に降り掛かる
降り続けているんだ
だから俺はお天道様にちょっと一言
あんたのやり方は気に食わねえってな
さぼってないでちゃんと照らしてくれよってね
雨の雫が俺の頭に降り掛かる
降り続けているんだ
でも俺には分かっていることがひとつあるんだ
憂鬱なことが襲いかかってこようとも俺は滅入りやしない
喜びのほうから挨拶しに俺に近寄って来るまでには
そんなに時間がかからんだろう

雨の雫が俺の頭に降り掛かる
だがなぁ 
だからと言って俺の目がすぐに赤くなってしまうわけじゃない
なくなんて俺の趣味じゃないのさ
なぜって 俺が文句を言っても雨を止められるわけではない
俺は自由だし 心配事など何もないからね

喜びのほうから挨拶しに俺に近寄って来るまでには
そんなに時間がかからんだろう
雨の雫が俺の頭に降り掛かる
だがなぁ 
だからと言って俺の目がすぐに赤くなってしまうわけじゃない
なくなんて俺の趣味じゃないのさ
なぜって 俺が文句を言っても雨を止められるわけではない
俺は自由だし 心配事など何もないからね

動くB.J.トーマスの映像もお時間があればご覧ください。


バート・バカラック&ハル・デヴィッドのコンビによる「This Guys in Love With You」。ハーブ・アルパート&ザ・ティファナ・ブラスで1968年に全米1位となり、タイトルを「This Girl’s In Love With You」に変えたディオンヌ・ワーウィック(1968年の『Promises, Promises』に収録)やダスティ・スプリングフィールド(1968年の『Dusty... Definitely』に収録)などのヴァージョンでもお馴染みの曲です。他にもアレサ・フランクリン、ダイアナ・ロス&ザ・スプリームスなど、この曲を取り上げているアーティストは枚挙に暇がありません。


このアルバムにはジミー・ウェッブの曲が2曲も取り上げられていました。まず、「If You Must Leave My Life」。最近はハリー・ポッター・シリーズの魔法学校の校長役で知られ、古くは『The Bible: in the Beginning(天地創造)』(1966)、ソフィア・ローレン主演の『The Cassandra Crossing』(1976)、近年ではクリント・イーストウッド監督作品『Unforgiven(許されざる者)』(1992)などで重厚な演技を見せたアイルランド出身の俳優リチャード・ハリスのアルバム『A Tramp Shining』(1968)に収録されていた曲です。このアルバムには同じくジミー・ウェッブの代表作である「MacArthur Park」も収められていました。


以前にもリンダ・ロンシュタットの歌声(1993年発表の『Winter Light』)で紹介したことのある「Do What You Gotta Do」。繊細でありながらも躍動感が窺え、切なさと爽やかさが同居するジミー・ウェッブの数々の作品。彼が紡ぎ出す楽曲には歌い手本来の個性と魅力を引き出す魔力のようなものが存在しているかのようです。


シンガー・ソング・ライター、マーク・ジェイムズ作の「Suspicious Minds」。エルヴィス・プレスリーが歌って1969年に全米1位を記録した大ヒット曲のカヴァーです。南部のフィーリングに溢れたアーシーな演奏とソウルフルな雰囲気が漂う曲。巧みな歌唱力と表現力でバカラック・ナンバーを歌い上げるB.J.に心を打たれますが、この曲ではR&Bを自らのルーツに持つ彼の本領が発揮されたと言えるでしょう。


こちらはエルヴィス・プレスリーのヴァージョン。
http://www.youtube.com/watch?v=SBmAPYkPeYU

マーク・ジェイムズのヴァージョン(1968年発表)も宜しければお聴きください。
http://www.youtube.com/watch?v=XlKmvy6LX5Q

このアルバムには他にもイギリスのバート・バカラックと称されたトニー・ハッチ&ジャッキー・トレント夫妻による「If You Ever Leave Me」、「The Games People Play」のヒットで知られるジョー・サウス作の「The Greatest Love」など興味深い楽曲が収められています。

「Raindrops Keep Fallin' On My Head」がアカデミー賞最優秀主題歌賞を授賞し、全米1位に4週間も君臨したおかげでB.J.トーマスは一躍時の人となり、ラスベガスの一流ホテルや名門クラブなどから引く手あまたの状況に。エンターテイナーの道が約束されたようなものです。しかし、彼はショー・ビジネスの道へは進まず、あくまでもR&B、ロックン・ロール、カントリー・ミュージックをルーツに持つ自分の音楽を追求することを選びました。人生の岐路に立たされてどちらの道を選択して進むのか、それは振り返ったときにしか分からないことなのかもしれません。
B.J.トーマスはこの後、次第にロック色の濃い作品を発表して行きます。

Jackson Browne - These Days

前回は来日公演が盛況だったネッド・ドヒニーを取り上げたので、今回は拙ブログではお馴染みさんで、彼の旧友でもあるジャクソン・ブラウンに登場してもらうことにしました。お題は「These Days」。1974年にリリースされたジャクソンのセカンド・アルバム、『For Everyman』に収録されていますが、書き上げたのは彼が16歳の頃です。

フォー・エヴリマンフォー・エヴリマン
(2005/09/21)
ジャクソン・ブラウン

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1. Take It Easy
2. Our Lady of the Well
3. Colors of the Sun
4. I Thought I Was a Child
5. These Days
6. Redneck Friend
7. Times You've Come
8. Ready or Not
9. Sing My Songs to Me
10. For Everyman



THESE DAYS
そうさ、俺はずっとあちこち出歩いていたんだ
近頃は他人とあまり言葉を交わすことがない
近頃
近頃はいろいろと考え込んじゃうのさ
君のためにしようとして忘れていた物事について
できるチャンスはいつもあったのにってね

かつて俺には愛する人がいたんだ
近頃は別の女に恋をするリスクなんて負いたくないのさ
近頃
歌にしたような人生を送ることを
怖がっているように思えるのなら
それはまさしく俺がこれまでずっと負けてきたからだろう

だけど俺は前に進むことにするよ
物事はきっと良くなって行くのさ
近頃
近頃は隅石に座って時間を四分音で十まで数えている
友よ、俺の過ちを責めないでくれ
忘れたわけじゃないんだから

切ないメロディと相まって喪失感が漂う「These Days」。失ったものは去って行った恋人だけではなく、若き日々の思い出、引いては人生そのものであるかと推測されます。このような感情は思春期から青年期の若者には度々起こり得ることで、誰もが通る道であると言えるでしょう。歌の締めくくりは絶望的な結末に終わることなく、明日への希望を見出しています。

ジャクソン・ブラウンについて書かれた書物に以下のような解説が記されていました。
「少年の心から遠ざかることを成長と呼ぶのだとすれば、それは人一倍少年の心を持ったジャクソンにはつらい体験だったのだろう。以後歌詞は何度か手が加えられ、十八歳以後のジャクソンの内側の成長をこの歌は印画紙のように鮮やかに焼き付けている。(リッチ・ワイズマン著、室矢憲治訳『ジャクソン・ブラウン・ストーリー』P.56 CBSソニー出版 1983年)


2002年頃のライヴ映像です。


この「These Days」はカヴァー・ヴァージョンが幾つも存在しますが、その多くは前述の言葉が示す通り、ジャクソン・ブラウン自身のヴァージョンと歌詞が異なります。それはジャクソンが1967年にニューヨークに滞在した時、音楽出版社のニナ・ミュージックのデモ用に自作曲をレコーディングしたヴァージョンを手本にしているからでしょう。

ファッション・モデルや女優として知られ、ヴェルヴェッド・アンダーグラウンドにも参加した経歴のあるニコのヴァージョンは彼女が1967年に発表したソロ・アルバム、『Chelsea Girl』に収録。浅からぬジャクソン・ブラウンとの関係はまた別の機会に述べたいと思います。


散歩をして来たところ
このごろは他の人とあまり喋らない
このごろ
このごろはいろいろと考え込んでしまうの
あなたのためにしてあげたかったことについて
いつもそうしてあげられたのにってね

ぶらつくのはやめにしよう
もう無茶もしない
このごろ
このごろは考えるようになったわ
この変化はどうしたことだろう
常道を理解することがあるのかしら

かつて私には愛する人がいた
このごろは新たな恋をする危険を冒したくないの
このごろ
歌にしたような人生を送ることを
怖がっているように思えるのなら
それはまさに私がこれまでずっと負けてきたせいよね

もう夢を見るのはやめよう
野心も抱かないこのごろ
このごろ 
このごろは隅石に座って時間を四分音で十まで数えている
友よ、私の過ちを大目に見てね
決して忘れたわけじゃないから

最後のヴァースがジャクソン・ブラウン自身がレコーディングした歌詞と大きく異なります。人間的な成長とともに諦観を捨て、新たな夢を見るために勇気を持って歩み続ける決意をしたのでしょう。この「These Days」に限らず、ジャクソン・ブラウンが書く歌はこうした人生の瞬間を描くことによって多くの人々の心を捉え、共感を呼んでいるのかもしれません。

ジャクソン・ブラウンが短期間ながら在籍していたニッティ・グリッティ・ダート・バンドのヴァージョン。ジャクソン・ブラウンのヴァージョンで醸し出された哀切感が少々影を潜め、何か吹っ切れたような明るさが窺えます。1968年リリースの『Rare Junk』に収録。


ジャクソン・ブラウンとの共演も多いジェニファー・ウォーンズも「These Days」をレコーディングしています。1972年リリースの『Jennifer』に収録。余談ながらこのアルバムには先日の記事で扱った「P.F.スローン」も収められていました。


ザ・バーズのプロデューサーとして、ブルース・ジョンストン(ビーチ・ボーイズ)の相棒として拙ブログではお馴染みのテリー・メルチャーも取り上げていました。母であるドリス・デイトとの共演はまるで自身の波乱の人生を振り返るようで胸に迫る思いがします。1974年発表の『TERRY MELCHER』に収録。


この他にもトム・ラッシュ(1972年発表の『Tom Rush』に収録)、イアン・マシューズ(1973年の『Valley High』)、グレッグ・オールマン(1973年の『Laid Back』)、シェール(1975年の『Stars』)などカヴァー・ヴァージョンは枚挙に暇がありません。

グレッグ・オールマンとグラハム・ナッシュの共演映像を見つけました。1990年頃のライヴ映像のようです。

Ned Doheny - POSTCARDS FROM HOLLYWOOD

京都は秋の気配を感じさせる過ごしやすい日が続いておりましたが、10月に入って一転、夏を思わす暑さが戻って来てしまいました。こういう時は気分だけでも少しばかりセンチメンタルな雰囲気にさせてくれる音楽を聴いて癒されるのが一番かと思います。

ポストカーズ・フロム・ハリウッドポストカーズ・フロム・ハリウッド
(2009/01/21)
ネッド・ドヒニー

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1. Postcards from Hollywood
2. If You Should Fall
3. Fineline
4. Get It Up For Love
5. Whatcha Gonna Do For Me?
6. Valentine (I Was Wrong About You)
7. A Love Of Your Own

そこで今回はネッド・ドヒニーの『POSTCARDS FROM HOLLYWOOD』を取り上げることにしました。1991年8月25日にリリースされたこの『POSTCARDS FROM HOLLYWOOD』。同じ年の3月25日に『LOVE LIKE OURS』を発表したばかりだったので、早くも新作が登場かと驚かされたものです。
アルバムの内容はネッド・ドヒニー本人がDJを担当していたFM横浜のプログラム「ポストカーズ・フロム・ハリウッド」(1990年4月~93年9月放送)での月一回の弾き語りのコーナーから選曲されたセルフ・カヴァー集。私はこのアルバムが発売されるまでネッドが日本の放送局で番組を持っていたという話を耳にしたことがなく、当時この番組が関西のFM局でネットされていたのかどうかも分かりません。

番組の中の企画とはいえ決してやっつけ仕事ではなく、何度も録り直して納得の行く出来のテイクのみを世に出していたとのこと。相変わらずの巧みなギターさばきとファルセットの掛かった澄んだ甘い歌声が絶妙な雰囲気を漂わせています。このあたりは妥協を許さぬネッドの人間性が表されていると思われ、旧友ジャクソン・ブラウン同様の完璧主義者ぶりが示されているのかもしれません。現在のアメリカの音楽界の事情はもとより、彼のこうした誠実な姿勢が寡作である所以の一つとなっているのでしょう。

なお、このセルフ・カヴァー・アルバムに収められた楽曲のネッド本人によるオリジナル・テイクは「Postcards from Hollywood」と「Fineline」 がファースト・アルバム『NED DOHENY』(1973)、「If You Should Fall」 、「Get It Up For Love」 、「Valentine (I Was Wrong About You)」 、「A Love Of Your Own 」の4曲が『Hard Candy』(1976)、「Whatcha Gonna Do For Me?」 が『Life After Romance』(1988)に収録されていました。

それではアルバムの中から何曲か紹介しましょう。まず、表題曲「Postcards from Hollywood」。恋人との往復書簡といった体裁の歌ですが、幾つになっても微笑ましくなるような風情が窺えます。
この曲はジョニー・リヴァースが1975年発表の『New Lovers And Old Friends』の中で取り上げていました。


POSTCARDS FROM HOLLYWOOD
俺のことは心配しないで
凍てつく季節の間には
俺の好きな夏がある
ハリウッドからの絵葉書
こちらは海がとても素敵
コモ・エスタ?(お元気?)
まだ私のことを思っていてくださるの?

時間のことなんか気にしなくていいよ
急いだりしないで
自分のやりたいことをやっておいで
ハリウッドからの絵葉書
私が言いたいことをお分かりかしら
あなたが傍にいてくれたら
今日にでも飛んで帰りたい気持ちなの

恋の魔力で
夢中に惹き付けあう二人
思いがけず生まれた
俺と君

そんなに興奮しないで
溶けてしまうから
俺には君が必要
想像がつかないぐらい君を愛しているんだ
ハリウッドからの絵葉書
もろもろのことはさておき
もうすぐ帰るわ
愛するあなたのもとへ

恋の魔力で
夢中に惹き付けあう二人
思いがけず生まれた
俺と君
ねえ、それは真実
真実の愛さ

シャカ・カーン(1981年の『Whacha Gonna Do For Me?』収録)でお馴染みの、「Whatcha Gonna Do For Me?」。アヴェレージ・ホワイト・バンド(AWB)のハミッシュ・スチュアートとの共作です。AWBのヴァージョンは1980年の『Shine』に収録。


ブルージーな失恋の歌、「Valentine (I Was Wrong About You) 」。アルバム『Hard Candy』に収められたオリジナル・テイクではデヴィド・フォスターの弾くイントロのピアノが印象的でしたが、ネッドのアコースティック・ギターだけのヴァージョンも切なく胸を打ちます。


こちらもハミッシュ・スチュアートとの共作曲「A Love Of Your Own」。 AWBのヴァージョンは『Soul Searching』(1976)にスタジオ録音、『Best Of AWB』(1981)にライブ音源が収録されていました。メリッサ・マンチェスター(1977年発表の『Singing』に収録)を始めとしてカヴァー・ヴァージョンも枚挙に暇がありません。


この年の7月28日、大阪万博記念公園もみじ川芝生広場で開催されたFM802主催の野外フリー・コンサートに出演。アコースティック・ギター一本でステージに登場して貫禄あるパフォーマンスを披露しました。演奏された曲は「Secret Society」、「Blue Moon Rising」(1991年の『Love Like Ours』収録)、「On And On」(1973年の『Ned Doheny』)、「Get It Up For Love」、 「Whatcha Gonna Do For Me?」、「Postcards from Hollywood」の6曲。9月にはとんぼ返りの如くバンドを引き連れての来日公演を行っています。