好きな音楽のことについて語りたいと思います。

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P.F. Sloan - From A Distance

前回のジミー・ウェッブの記事でP.F.スローンのことについて言及しましたので、今回は彼自身に登場していただくことにしました。取り上げる曲はもちろん「From A Distance」。1966年にリリースされたものの本国アメリカでは話題にもならず、1969年に日本でヒットした曲です。

Here's Where I Belong: Best of the Dunhill YearsHere's Where I Belong: Best of the Dunhill Years
(2008/05/27)
P.F. Sloan

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1. Sins Of A Family
2. Take Me For What I'm Worth
3. What Exactly's The Matter With Me
4. I'd Have To Be Out Of My Mind
5. Eve Of Destruction
6. This Mornin'
7. I Get Out Of Breath
8. This Is What I Was Made For
9. Ain't No Way I'm Gonna Change My Mind
10. All The Things I Do For You Baby
11. (Goes To Show) Just How Wrong You Can Be
12. What Am I Doing Here With You
13. From A Distance
14. The Man Behind The Red Balloon
15. Let Me Be
16. Here's Where You Belong
17. This Precious Time
18. Halloween Mary
19. I Found A Girl
20. On Top Of A Fence
21. Lollipop Train (You Never Had It So Good)
22. Upon A Painted Ocean
23. City Women
24. A Melody For You
25. Sunflower, Sunflower
26. Karma (Study In Divinations)
27. I Can't Help But Wonder, Elizabeth

P.F.スローンは1945年9月18日にニューヨークで誕生し、幼い時に彼の一家はロサンゼルスに移住しています。詳しい経歴は分かりませんが、スローンが音楽業界に関わり始めたのは早く、なんと12歳の頃。1957年に地元のマイナー・レーベルと契約を交わしたのがキャリアのスタートのようです。しかし、このレーベルはスローンがシングル盤をリリースした直後の1959年に閉鎖されてしまいました。そんな不運にめげず、スローンはヴィー・ジェイ・レコードのA&Rマンに転身して修行を積む日々を送ります。
1963年、当時ジャン&ディーンのマネージャーだったルー・アドラーの紹介でスローンはスティーヴ・バリと出会いました。スティーヴ・バリも幼き頃にニューヨークからロサンゼルスに移り住み、数枚のシングル盤をリリースするものの鳴かず飛ばずの状況におかれていた身。境遇の似た二人は意気投合したのか、ジャン&ディーンのバック・ヴォーカルを担当すると同時にソング・ライティングのチームを組み、「Summer Means Fun」、「Tell 'Em I'm Surfin'」などの楽曲の提供もジャン&ディーンに行いました。
1964年、スローンとバリはファンタスティック・バギーズ名義で、アルバム『Tell 'Em I'm Surfin'』を発表。ドラムスのハル・ブレインらスタジオ・ミュージシャンと作り上げた作品であり、ライヴを含めたバンド活動を行う予定がなかったためか、アルバムのジャケットに写る二人以外のメンバーは友人を連れて来て撮影に臨んだとのことでした。
こうした実績が認められたのか、スローンとバリのチームはルー・アドラーが設立したダンヒル・レコードのソング・ライター兼プロデューサーとして契約を結び、多くのヒット曲を世に送り出して行きます。

Anywhere the Girls Are the B.O.Anywhere the Girls Are the B.O.
(2000/12/19)
Fantastic Baggys

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1965年、ザ・バーズがボブ・ディランの「Mr. Tambourine Man」をヒットさせていたことからルー・アドラーはフォーク・ロックが音楽の潮流となると確信しました。そこで彼はスローンとバリのコンビにプロテスト色が醸し出されたフォーク・ロック調の楽曲を書くように指示。二人は冷戦における核戦争の恐怖をテーマにした「Eve Of Destruction」を作り、アドラーはニュー・クリスティ・ミンストレルズのリード・ヴォーカルで「Green, Green」の作者であもあるバリー・マクガイアにこの歌を歌わせました。アドラーの狙い通り「Eve Of Destruction」は全米1位の大ヒットとなり、ダンヒル・レコードは幸先の良いスタートをきったのです。


P.F.スローンのセルフ・カヴァー・ヴァージョンです。1965年発表の『Songs Of Times』に収録。日本では「From A Distance」のB面としてもリリースされていました。


フォーク・ロック・サウンドの流行の中、ダンヒル・レコードはママス&パパスやグラス・ルーツといったグループを続けて輩出。スローンとバリもスタッフとしてダンヒルのサウンドを支えると同時に外部のアーティストにも楽曲を提供して名声を高めて行きます。

1966年に全米3位となったジョニー・リヴァースの「Secret Agent man」。彼はダンヒルの所属ではありませんが、ルー・アドラーがマネジメントを担当していたことがあるので、その縁で楽曲が提供されたものと思われます。


もともとアーティストだったスローンとバリ。スローンが単独でシングルやアルバムを出す傍ら、二人は適当なバンド名を付けてシングルをリリースしたこともありました。その中の一曲が The Glassroots(グラスルーツ)名義で発表された「Where Were You When I Need You」です。この曲はローカル・ヒットとなり気を良くしたスローンはメンバーを集めてステージに立ち、ツアーに出ようと考えました。しかし、ダンヒル側はスローンが抜けるとレコードの制作に支障が出ることを理由に難色を示し、ベドウィンズというグループをグラスルーツに仕立て上げたのです。そして、スローンとバリを中心としたスタジオ・ミュージシャンが楽曲を録音し、グラスルーツがステージで演奏するというスタイルで事が進行しはじめました。


ところがグラスルーツはそんなスタイルに飽き足らず、自分たちもレコーディングに参加する事を望んで離脱してしまいます。このトラブルを乗り越えるために、ダンヒルは彼らに代わってデビュー間近のサーティンス・フロアを「The Grass Roots(グラス・ルーツ)」に改名させて打開。このバンドはデビュー当時は鳴かず飛ばずだったものの1967年にイタリアのグループ、ローグスの「Live For Today」をカヴァーして全米8位となるヒットを放ちました。
こうして順調にプロジェクトが進行して行くように思われましたが、業を煮やしたのか今度はスローンが離脱。ソロ活動に専念します。

今回紹介する「From A Distance」は冒頭で述べた通り1966年にP.F.スローン単独で発表されましたが話題にもならずに終わりました。やがてダンヒルとの契約も打ち切られ、幾つかのレーベルを渡り歩く羽目に会います。そんな中で1969年当時日本でのダンヒルの発売権を持っていた東芝(現 EMI Japan)が強力にプッシュ。シンプルなメロディーと哀愁を帯びた切ない歌声が好まれたのか、翌70年にかけて日本だけのヒット曲となりました。ちなみにこの曲は1966年発表のアルバム『Twelve More Times』に収録されています。



FROM A DISTANCE
人里離れた教会の鐘の音を聴いたことがあるかい
天使が泣きながら歌う声を聴いたことがあるかい
遠くから 遠くから
人々は天使の嘆きが聞こえるんだ
ああ 天使は明日の罪がもたらす悲しみに泣いている

空から流れ落ちて来る星を見たことがあるかい
遠くから眺めていると
天が片目をなくしたように見えるよ
遠くから 遠くから眺めていると 
天が片目をなくしたように見えるのさ
そう、神様が君と俺を見るためのチャンスを
ひとつなくしたんだ

信念とは、友よ
何であるのか悟るのは困難なことだ
夜中に一人彷徨うときには

君は思いめぐらしたことがあるかい
高いってどのくらい高いかということを
遠くからだと
高い建物でさえもとても小さく見える
遠くからだと 遠くからだと
高い建物だってとても小さく見えるもの
そう、誰のことも何のことも計ることなどできやしないのさ

信念とは、友よ
何であるのか悟るのは困難なことだ
夜中に一人彷徨うときには
灯りを消しなさい そうすれば

人里離れた教会の鐘の音を聴いたことがあるかい
天使が泣きながら歌う声を聴いたことがあるかい
遠くから 遠くから
天使の嘆きが聞こえるんだ
ああ 天使は明日の罪がもたらす悲しみに泣いている

前述したようにその後のスローンはヒットに恵まれず、次第に忘れ去られた存在になりました。ソング・ライターとして成功しているので生活に困窮することはなかったと思われますが、干されたような状況に耐え忍んでいたのかもしれません。スローンのウェブ・サイトを閲覧すると、1990年代にニューヨークで何度かステージに立った事が記されているので、完全に引退したわけではなかったようです。

細々と活動していたことを裏付ける1990年のライヴ映像。


そして、1994年に日本先行発売で、パイオニアLDC(現 ジェネオン・ユニバーサル・エンターテイメントジャパン)から12年ぶりの新作『SERENADE OF SEVEN SISTERS』を発表。新曲に加えて環境保護をテーマに改作した「Eve Of Destruction」のニュー・ヴァージョンや「Secret Agent Man」のセルフ・カヴァーなどが収録されており、スローンの健在ぶりが示されました。なお本国アメリカでは1997年に『STILL ON THE EVE OF DESTRUCTION』と改題されてリリースされています。

明日なき世界明日なき世界
(1994/06/25)
P・F・スローンP.F.スローン

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忘れ去られたアーティストにとって続けてアルバムを出すというパフォーマンスは容易なことではなく、再びスローンの歌声が届けられたのは10年以上の年月を経た2006年。今作は「From A Distance」の再録や三度目の再演となる「Eve Of Destruction」を含む新旧取り混ぜた楽曲で構成されていました。

Sailover (Dig)Sailover (Dig)
(2006/08/22)
P.F. Sloan

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ニュー・ヴァージョンの「From A Distance」。苦難を乗り越えた彼の噛み締めるようなヴォーカルが印象的です。


ジミー・ウェッブの記事の中で触れた「Sins Of A Family」。1965年のアルバム『Songs Of Our Times』に収められていた楽曲の再録音です。ボブ・ディランを意識したようなスローンのヴォーカルにルシンダ・ウィリアムスの少々はスキーな歌声が絡みます。二人のヴェテラン・シンガーによって人生の酸いも甘いも噛み分けたような雰囲気が醸し出されていました。


現在も地道に活動を続けるP.F.スローン。2006年頃のライヴ映像で今回はお開きとします。

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Jimmy Webb - JUST ACROSS THE RIVER

朝夕が涼しくなりつつも昼間は真夏の勢いがまだまだ衰えない京都。来年以降に冷夏になることもあり得るので、行く夏を惜しむといった風情を味わうことにしたいと思います。

Just Across the RiverJust Across the River
(2010/06/29)
Jimmy Webb

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1. Oklahoma Nights (featuring Vince Gill)
2. Wichita Lineman (featuring Billy Joel)
3. If You See Me Getting Smaller (featuring Willie Nelson)
4. Galveston (featuring Lucinda Williams)
5. P.F. Sloan (featuring Jackson Browne)
6. By The Time I Get To Phoenix (featuring Glen Campbell)
7. Cowboy Hall Of Fame
8. Where Words End (featuring Michael McDonald)
9. Highwayman (featuring Mark Knopfler)
10. I Was Too Busy Loving You (featuring J.D. Souther)
11. It Won't Bring Her Back
12. Do What You Gotta Do
13. All I Know (featuring Linda Ronstadt)

拙ブログではお馴染みのジャクソン・ブラウンが、ジミー・ウェッブの「P.F.Sloan」を歌う音源がYouTubeにアップされていました。1990年頃のライヴを録音したもののようです。
http://www.youtube.com/watch?v=QssJS_8YqS8

そこで今回はジミー・ウェッブが2010年に発表したアルバム『JUST ACROSS THE RIVER』を取り上げることにしました。これは彼が1996年にリリースした『TEN EASY PIECES』に続く二作目のセルフ・カヴァー・アルバム。ジャクソン・ブラウンを始めとする錚々たる面々が、ジミー・ウェッブの作品の魅力を引き立てるために駆けつけています。

ジミー・ウェッブとジャクソン・ブラウンはアサイラム・レコードの創始者デヴィッド・ゲフィンを介して知り合ったといいます。それはジャクソン・ブラウンがデビューする少し前のこと。しかし、二人はその後交流することなく、長い年月が過ぎ去って行きました。ジャクソン・ブラウンはウェッブとの出逢いを大切にしたかったのか、彼が作った「P.F.Sloan」をしばしばステージで披露しています。
ジミー・ウェッブはジャクソン・ブラウンのそうした姿勢にたいそう胸を打たれたことでしょう。このアルバムにおいて二人の旧交を暖めるかのような共演が実現の運びとなりました。


P.F. SLOAN
ずっとP.F.スローンを探している
彼の行方を知る者はいない
ときめきを送ってくれた歌を聴いた者もひとりとしていない

いま君はため息をついたかもしれない
嘆いたかもしれない
痩せこけるほどに汗水たらして働く日々
でも君は微笑みながら
ローリングストーン誌を読んでいた
彼が歌い続けていた間のことだ
さあ、彼が歌うのを聴いてごらん

No No No No
この歌を歌わないでくれ
歌ってはいけない
No No No No
歌わないでくれ
この歌は今からP.F.スローンのものだから

旧友が銃で命を絶った
遺体は剥製にするために詰め物をされて乾かされ
皮膚はなめされた
彼は十字架に張り付けにされ
ガラス製の目玉をきらきらさせて
扉の外を見つめている

ロンドン橋がついに完成した
橋は別の町に移されたのだ
古い橋が崩れ落ちるのを見ようと
多くの人々がまわりに集まっている
だけど橋が崩れてなるものか

No No No No
この歌を歌わないでくれ
歌ってはいけない
No No No No
歌わないでくれ
この歌は今からP.F.スローンのものだから

ニクソンがやって来て暫くここに留まった
彼は犯した罪を洗い清めることが出来なかった
今日ニュースで聞いたんだ
そのことが耳にこびりついている
私がP.F.スローンに最後に会ったとき
彼は夏の陽射しに焼け、冬の風に凍えていた
彼はたったひとりで苦難を乗り越えた
でも彼は歌い続け、歌うことをやめなかった

No No No No
この歌を歌わないでくれ
歌ってはいけない
No No No No
歌わないでくれ
この歌は今からP.F.スローンのものだから

ロンドン橋は大昔から何度も崩壊したり架け替えられてきた橋です。歌詞の中に出て来るくだりは1831年に完工した橋が1968年にアメリカの企業家に売却され、アリゾナ州のハヴァス湖に復元されたことをもとにしているのだと思われます。古い橋をP.F.スローンの姿と重ね合わせているのでしょう。また、「夏の陽射しに焼け、冬の風に凍えていた」という表現はおそらく、「音楽界の辛酸を舐め、苦難に耐えた」という風な意味に受け取れます。

P.f. Sloan(P.F.スローン)とは1960年代にサーフィン/ホットロッド、フォーク・ロックのソング・ライターとして活躍した人。ジャン&ディーンの「Summer Means Fun(青春の渚)」、全米1位となったバリー・マクガイアの「Eve Of Destruction(明日なき世界)」、ジョニー・リヴァースの「Secret Agent Man(秘密諜報員)」などが代表曲です。自らもファンタスティック・バギーズやグラス・ルーツなどでも活動し、ソロとして1966年に発表した「From A Distance(孤独の世界)」が1969年に日本でヒットしました。


1970年代になるとP.F.スローンはヒットに恵まれず、彼の名は次第に忘れ去られて行きます。ジミー・ウェッブはスローンの復活を願ってこの曲を書きましたが、スローンがシーンに本格復帰を果たすまでにはかなりの時間を要し、1994年になってようやく彼は新作を発表することが出来ました。


続いて、マーク・ノップラー(ダイアー・ストレイツ)参加の「Highwayman」。アイリッシュ・トラッドの雰囲気を彷彿させるアレンジに仕上げられていました。追いはぎ、船乗り、ダムの建設作業員など名もなき人々をテーマにした歌ですが、自らの人生の興隆や軌跡を重ね合わせているようです。この歌はグレン・キャンベルが『Highwayman』(1979)でレコーディングし、1985年にはウェイロン・ジェニングス、ウィリー・ネルソン、ジョニー・キャッシュ、クリス・クリストファーソンら四人による共演アルバム『Highwayman』でも取り上げられていました。
なお、ジミー・ウェッブのヴァージョンは『EL MIRAGE』(1977)、『TEN EASY PIECES』(1996)、息子たちと共演したアルバム『COTTONWOOD FARM』(2009)などに収録。


グレン・キャンベルのヴァージョンはライヴ映像でご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=ukjYAuq6nGs

御大たちによるヴァージョンです。
http://www.youtube.com/watch?v=dQ03ngpdU80

リンダ・ロンシュタットとの共演が堪能出来る「All I Know 」。リンダはこれまでにもジミー・ウェッブの楽曲を自分のアルバムで何曲もレコーディングしています。今回はアート・ガーファンクルのソロ・デビュー・アルバム『Angel Clare』(1973)からシングル・カットされて全米9位のヒットを記録した「All I Know」を選曲。息が合ったデュエットを存分に聴かせてくれています。


こちらはジミー・ウェッブが『TEN EASY PIECES』でセルフ・カヴァーしたヴァージョン。
http://www.youtube.com/watch?v=hQC6TMazIxk

アート・ガーファンクルのヴァージョンです。
http://www.youtube.com/watch?v=33aoxUeAw0E

この他にもヴィンス・ギル、ウィリー・ネルソン、ルシンダ・ウィリアムスらカントリー系のアーティストとの共演やビリー・ジョエル、グレン・キャンベル、マイケル・マクドナルド、J.D.サウザーがフィーチャーされた興味深い楽曲が並んでいます。ことにルシンダ・ウィリアムスのエモーショナルなヴォーカルに胸を打たれました。彼女はシンガー・ソング・ライターでもあり、メアリー・チェイピン・カーペンターが歌って1993年にヒットした「Passionate Kisses」の作者として知られています。また、ルシンダは2006年にリリースされたP.F.スローンのアルバム『Sailover』収録の「The Sins Of The Family (Fall On The Daughter) 」ではスローンとデュエット。円熟味が漂う二人のパフォーマンスが心に滲み渡りました。

Jackson Browne - That Girl Could Sing

台風が通り過ぎても一向に涼しくならない京都。9月に入り、青く澄み切った空と乾いた空気がカリフォルニアを連想させるような日もありましたが、今日は再び猛暑が復活してしまいました。

ホールド・アウトホールド・アウト
(2005/09/21)
ジャクソン・ブラウン

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1. Disco Apocalypse
2. Hold Out
3. That Girl Could Sing
4. Boulevard
5. Of Missing Persons
6. Call It a Loan
7. Hold on Hold Out

今回ご登場を願う方はジャクソン・ブラウン。彼が1980年にリリースしたアルバム『Hold Out』から「That Girl Could Sing」を取り上げます。新境地を開いたとされるこのアルバムで彼は初めて全米1位を獲得し、シングル・カットされた「That Girl Could Sing」も22位まで上昇しました。



THAT GIRL COULD SING
俺が必要とした時、彼女は友だちでいてくれた
自分が何をしたのか分からないが
彼女のためにしたことではなかった
彼女は俺に欠けたあるものを返してくれた
彼女はほぼ誰にでもなれただろう
ほぼ誰にでも
俺が彼女になってほしい人物を除いては

彼女は風に服をはためかせながら
真夜中へ向かって走って行く
優しさを持った暗闇の深部に到達しようとしている
街の灯りの中へ偶然に入り込み
再び影の中へと戻って行く
それぞれの不幸が隠された笑いを包みながら

天体と翼の上の天使について話し
彼女は近くで待つようなことは
あまり得意でなかった
でも、彼女は歌える
歌えるのだ

草木も眠る真夜中に
彼女は人が行ったこともないところに
灯りを灯すことが出来た
そんな灯りの中で
君は視力を失うこともあり得た
そしてそこには勝つべきものがあると信じた
君は君の力で
彼女をしっかりと抱きしめることが出来た
しかし、彼女は風のように君の腕をすり抜けていただろう
そしてフライトに戻り
夜の闇へと消えて行く
もう彼女に会うことはないかもしれない

俺が彼女を見つけられると思えば思うほど
俺の幻想は薄れて行く
彼女の背後で無駄に騒ぎ
彼女のせいにしようと考える
でも彼女はそれほど親切にはなれなかっただろう
彼女が戻って来て言い訳しようとしたとしても
彼女はサヨナラが言えない女
でも彼女は歌える
歌えるのだ 

この歌のモデルは諸説あります。国内盤CDの対訳をされた山本沙百理さんは、夜行便のフライト・アテンダント(キャビン・アテンダント)のことを歌ったものではないかと記されていました。また、音楽評論家の天辰保文先生はヴァレリー・カーターが2003年に発表したアルバム『Midnight Over Honey River』の解説の中で、「That Girl Good Sing」はジャクソン・ブラウンがヴァレリーのことを思い描いて書いた歌であると述べられています。さらに、ローラ・ニーロの英語版ウィキペディアの中には「ローラ・ニーロについて創作された」との趣旨の記述があり、誰に捧げられた歌であるのか何だか良く分かりません。ジャクソンの親密で複雑な女性関係をも窺わせます。
しかし、こんな疑念を一蹴するかのような言葉がジャクソン・ブラウン自身の口から語られました。

<ザット・ガール・グッド・シング>は、明らかに10年近く前のジョニ・ミッチェルとの関係を歌ったものだ。ブラウンはこう話している。「関係が終わると、人はすっかり路頭に迷うものだね。<ザット・ガール・グッド・シング>はぼくが知っている実在の人についての歌なんだ。愛を信じないで、自分自身の探求を信条としているぼくがいてー気づいたら束縛されたがらない人に引き寄せられていた。それでどうなったか。あっという間になりたくない自分になってたよ。その女性を所有したいと思ってしまった。一週間前に言ったことと完全に逆のことだった。それでその点でぼくは折り合いをつけて、自分にこう言い聞かせたわけだー『彼女が出て言ったのは、理由も言わずに姿を消したのは、彼女がなし得た一番分別のある行為だったのだろう』ってー気づいたらまた、路頭に迷っていた」(マーク・ビーゴ著、水決まり訳『ジャクソン・ブラウン~ヒズ・ライフ・アンド・ミュージック』P.181 蒼氷社 2007年)

ジャクソン・ブラウン―ヒズ・ライフ・アンド・ミュージックジャクソン・ブラウン―ヒズ・ライフ・アンド・ミュージック
(2007/11)
マーク ビーゴ

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ジャクソン・ブラウンとジョニ・ミッチェルの愛憎渦巻く親密な関係については、以前に書いたジョニのアルバム『Turbulent Indigo』の記事を参照していただければ幸いです。なお、ジャクソン・ブラウンはデビュー直前、ローラ・ニーロのツアーのオープニング・アクトとして起用された経歴があり、それ故「That Girl That Sing」がローラのことを歌ったのではないかとの憶測が囁かれたのでしょう。

Valerie Carter - Just A Stone's Throw away

9月に入っても猛暑が続いております。こういう時は逞しい男性ヴォーカルよりも、美しい女性の歌声で癒されるのが一番。ということで、今回はヴァレリー・カーターさんに登場していただくことにしました。取り上げるアルバムは『Just A Stone's Throw Away』。1977年に彼女が発表したソロ・デビュー・アルバムです。


Just a Stone's Throw AwayJust a Stone's Throw Away
(1994/01/25)
Valerie Carter

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1. Ooh Child
2. Ringing Doorbells In The Rain
3. Heartache
4. Face Of Appalachia
5. So, So, Happy
6. A Stone's Throw Away
7. Cowboy Angel
8. City Lights
9. Back To Blue Some More

ヴァレリー・カーターは1954年、フロリダ州ポーク・シティに生まれました。父親が空軍将校だったために幼少の時期からアリゾナ州のトゥーソンを始め南部各地を転々としていたといいます。
彼女は18際の頃に歌手を目指してニューヨークに向かい、グリニッチ・ヴィレッジのクラブでプロとしてのキャリアをスタートさせました。19歳の頃にはカリフォルニアに移住。ジョン・リンド(元フィフス・アヴェニュー・バンド)、リチャード・ホーヴェイらとハウディ・ムーンというグループを結成します。
そんなある日、ヴァレリーは友人の家で行われたパーティーでジュディ・コリンズと出逢いました。千載一遇のチャンスとばかり、彼女は自作の「Cook With Honey」をジュディ・コリンズに弾き語りで聴かせたところいたく気に入られ、ジュディのアルバム『The Stories And Others』(1973年発表)に収録されることになりました。この曲はシングル・カットされ全米32位まで上昇しています。
早くも機が熟した格好のハウディ・ムーン。ラヴィン・スプーンフル、フィフス・アヴェニュー・バンド、リトル・フィートなどを扱ってきたボブ・キャヴァロがマネージャーに就任し、1974年に「Cook With Honey」のセルフ・カヴァーを収めたアルバム『Howdy Moon』でA&Mよりデビューを飾ります。このアルバムはリトル・フィートのローウェル・ジョージがプロデュースを担当し、ジョン・セバスチャンやヴァン・ダイク・パークスがサポートしていましたが、さほど話題にもならずにこの一枚でグループは解散。ヴァレリーはジャクソン・ブラウンやリンダ・ロンシュタットといった様々なアーティストのバック・ヴォーカルの仕事に就きます。なお、ジョン・リンドは後にアース、ウインド&ファイアー(EW&F)の「Boogie Wonderland」(1979)、マドンナの「Crazy For You」(1985)などのヒット曲のソング・ライターとして活動するようになりました。
ヴァレリーにとってそうした下積みの日々が続く中、再び表舞台へのチャンスが巡ってきます。ハウディ・ムーンのマネージャーだったボブ・キャヴァロがアース、ウインド&ファイアーのマネージャーに就任。彼の推薦でCBSとの契約に至ったのです。
ヴァレリー・カーターのファースト・ソロ・アルバムにはジャクソン・ブラウンやリンダ・ロンシュタットが彼女の再出発を祝うかのように参加。総合プロデュースはジョージ・マッセリングがあたっていますが、曲によっては友情の証を示すかのようにローウェル・ジョージ、レーベル・メイトにもなったモーリス・ホワイト(EW&F)が担当していました。

それではアルバムの中から何曲か紹介します。オープニング・ナンバーは「Ooh Child」。ニーナ・シモン(1971年の『Here Comes The Sun』収録)でもお馴染みの曲です。ヴァレリー・カーターの歌声は可憐ながらも妖艶と言えばカーラ・ボノフを連想しがちですが、カーラとはまた違った愛くるしさや奔放さが滲み出ていました。


OOH CHILD
ねぇ 物事はきっとよくなっていくわ
ねぇ すべては輝いていくのよ
ねぇ 私たちは手をつなぎ、そして解き放たれるのよ
ねぇ 世界はもっと明るくなるわ

いつか太陽の陽射しを浴びて歩くときに
いつか世界がもっと輝いているときに
いつか私たちは手をつなぎ、そして解き放たれるのよ
いつか私の髪がもっと軽くなったとき
物事はきっとよくなっていくわ
すべては輝いていくのよ

ねぇ 物事はきっとよくなっていくわ
ねぇ すべては輝いていくのよ
ねぇ 私たちは手をつなぎ、そして解き放たれるのよ
ねぇ 世界はもっと明るくなるわ

ニーナ・シモンのヴァージョンです。
http://www.youtube.com/watch?v=6odkM5o038A

ファースト・リリースはたぶんこの人たち。The Five Stairstepsが1970年に発表した『Step By Step By Step』に収められていました。今回はTV番組『Soul Train』出演時の映像を宜しければご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=OVF4r3fLBrU

ホール&オーツも2004年発表のアルバム『Our Kind Of Soul』で取り上げていました。彼らならではの個性と技量が発揮されたカヴァーではあります。
http://www.youtube.com/watch?v=0RY0uS6KPRc&feature=related

ローウェル・ジョージ作の「Heartache」は2006年リリースの『Midnight Over Honey River』に収録されたライヴ・ヴァージョンをお聴きください。恋人のことが重荷となり、”Heartache”(心の痛手)と表現されています。


ヴァレリー・カーターとローウェル・ジョージ共作の「Cowboy Angel」。プロデュースはローウェル・ジョージが担当しています。ジョン・セバスチャンの郷愁を誘うようなハーモニカの音色が印象的。去って行った昔の恋人への未練が描かれた歌です。


モーリス・ホワイトらの作で、ホワイト自身がプロデュースも行っている「City Lights」。ホーン・セクションが弾むファンク調の曲に仕上げられていました。まるでヴァレリー・カーターがEW&Fに加入したかのような錯覚を起こさせます。


清楚と妖美が同居しているかのようなヴァレリー・カーターのヴォーカル。ロック、ポップス、ジャズ、ソウルなど様々なジャンルの音楽が溶け合い洗練されたサウンド。1970年代後半のウエスト・コースト、およびアメリカの音楽シーンを象徴するかのような響きがこの一枚の中に凝縮されているかのようです。
しかし、このアルバムは音楽関係者や熱心なファンの間でしか支持が得られませんでした。優れた音楽が大衆の支持を得られるとは限らないものです。

Scott Mckenzie - San Francisco(Be Sure To Wear Flowers In Your Hair)

いつまでたっても厳しい猛暑が続いています。こんな日はカリフォルニアの青い空と爽やかな風に思いを馳せてしまいがちですが、今回はサンフランシスコに目を向けることにしました。取り上げる曲は「San Francisco(Be Sure To Wear Flowers In Your Hair)」。スコット・マッケンジーが1967年に大ヒットさせた「花のサンフランシスコ」です。

花のサンフランシスコ(ヴォイス・オブ・スコット・マッケンジー)(紙ジャケット仕様)花のサンフランシスコ(ヴォイス・オブ・スコット・マッケンジー)(紙ジャケット仕様)
(2006/09/20)
スコット・マッケンジー

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スコット・マッケンジーは1939年1月10日、フロリダ州ジャクソンヴィルに生まれました。キャリアのスタートはドゥー・ワップ・グループで歌い始めた14歳の頃。数年後にジョン・フィリップスと知り合い、1959年にアブストラクツを結成。翌60年にスムージーズと改名してデッカ・レコードからデビューするも不発に終わっています。61年、グループ名をジャーニーメンと変えて活動を再開。3枚のアルバムを発表した後、スコットはソロに転向して65年にキャピタル・レコードからシングルをリリースしました。
1966年、ジョン・フィリップスはジャーニーメンをママス&パパスに発展させ「California Dreaming(夢のカリフォルニア)」をヒットさせます。スコットは彼の口利きでCBS傘下のエピックに移籍。翌67年にミシェル・ポルナレフ、ジェフ・スティーヴンス共作の「No, No, No, No, No」を移籍第一弾としてリリースしました。



この曲はさほど話題になりませんでしたが、同年、ジョン・フィリップスはモンタレー・ポップ・フェスティヴァルのテーマ曲となる「San Francisco (Be Sure To Wear Flowers In Your Hair)」をスコットに提供。全米4位、全英1位の大ヒットを記録しました。
公民権運動、女性解放運動(ウーマン・リヴ)、環境保護運動、ヴェトナム反戦運動などが相次いで起こった激動の1960年代。自然への回帰や個人の魂の解放などを訴え、ヴェトナム戦争に反対する平和運動、伝統や制度などの既成の価値観への疑問、既存の社会への異議申し立てを行ったカウンター・カルチャーの隆盛とフラワー・ムーヴメントと呼ばれるヒッピーたちの様子がこの歌の中に描写されています。
また、1960年代は伝統的なキリスト教的価値観が若者たちの間で疑問視される一方で、東洋の思想や宗教に目が向けられた時代でした。曲中に使われたシタールの音色がそうした雰囲気を的確に表現しています。



SAN FRANCISCO (BE SURE TO WEAR FLOWERS IN YOUR HAIR)
サンフランシスコへ行くんだったら
必ず髪に花を挿しなさい
サンフランシスコへ行くんだったら
きっと優しい人々に出会うはずだから

サンフランシスコに来る人々のために
夏にはそこでラヴ・インが行われるだろう
サンフランシスコの通りには
花を髪に挿した優しい人々がいる

国中を揺るがす
この不思議なヴァイブレーション(振動)
人々はじっとしていられない
新しい考え方を持った
巨大なジェネレーションが集まる
人々はじっとしていられない
人々はじっとしていられない

サンフランシスコに来る人々のために
必ず花を挿して上げなさい
サンフランシスコに来るんだったら
夏にはそこでラヴ・インが行われるだろう
もしサンフランシスコに来るんだったら
夏にはそこでラヴ・インが行われるだろう

1960年代のカウンター・カルチャーの動きは70年代に入ると終焉に向かいました。いくら反戦を叫んでいても、当時のアメリカの若者たちは自国が敗北濃厚という結果に何かやりきれぬ違和感や喪失感、そして、手放しでは喜べぬ感情を覚えていたのでしょう。種々の抵抗運動や異議申し立ても既存の体制の寛容さの中に飲み込まれて行ってしまいました。そうした状況の中で、ある人は引き続き政治活動を続け、ある人は環境保護運動に関わり、ある人は反核・反原発を唱え、ある人は宗教に帰依することになります。しかし、そんな活動は過激な側面を含み、現代社会においてとても容認できない結果をもたらしていることは言うまでもありません。

モンタレー・ポップ・フェスティヴァルにおけるスコット・マッケンジーとママス&パパスの共演映像です。


1964年代に「Down Town」のヒットで一躍イギリスを代表する女性シンガーとなったペトゥラ・クラークも1967年発表のアルバム『These Are My Song』で取り上げていました。
http://www.youtube.com/watch?v=5CFNwNE5b4s

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