好きな音楽のことについて語りたいと思います。

Marc Jordan - MANNEQUIN

蒸し暑い日が続くので、今回も夏向きの音を取り上げて一服の清涼剤としたいと思います。ご登場を願うアーティストの方はマーク・ジョーダン。彼が1978年にリリースした『MANNEQUIN』が本日のお題です。

マネキン(SHM-CD紙ジャケット仕様)マネキン(SHM-CD紙ジャケット仕様)
(2010/08/18)
マーク・ジョーダン

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1. Survival
2. Jungle Choir
3. Mystery Man
4. Marina Del Rey
5. Red Desert
6. Street Life
7. Dancing On The Boardwalk
8. Only Fools
9. One Step Ahead Of The Blues
10. Lost Because You Can't Be Found

マーク・ジョーダンは1947年にニューヨークのブルックリンで生まれ、カナダのトロントで育ちました。父親がカナダで活躍するジャズ・シンガーだった影響からか、幼少の頃より音楽に親しんでいたとのことです。
大学はニューヨークにあるブロック・ユニヴァーシティーに進学。映画を専攻していましたが、音楽で身を立てたいという意志が芽生え、大学を中退してミュージシャンの道を歩みます。
1970年にボビー・ヴィーのバック・バンドにギタリストとして採用され、アメリカおよびヨーロッパを回る下積みの日々を経験。その間にコンポーザーとしての腕を磨き、音楽的なセンスを向上させて行きました。
1974年にはCBSとソロ契約を結ぶ機会に恵まれ、シングル盤を何枚か発表したものの鳴かず飛ばずの状況が続きます。しかし、世の中捨てたものではなく、スティーリー・ダンのプロデューサーとして知られるゲイリー・カッツの目に留まり、彼のプロデュースのもとワーナーから再デビューする運びとなりました。
1976年にボズ・スキャッギスがアルバム『Silk Degrees』で繊細かつ洗練されたサウンドを披露して成功を収めて以来、シティ・ミュージックやAORと称される音楽の流れが定着。レコード会社もこぞってこの範疇の音楽を送り出す傾向にありました。知的でいて親しみやすい雰囲気を持ったマーク・ジョーダンの音楽はその時流の中で開花したのでしょう。

アルバムのオープニング・ナンバーである「Survival」。イアン・マシューズが『Siamese Frienda』(1979)で取り上げていました。


SURVIVAL
今時の子供たちはなんて大人びているんだろう
生きるための正しい術さえ知らぬのに
あまりにも早く成長し過ぎているのだ
生きるための手だてさえ分からぬのに
人によって様々に違うものさ
天国とやらを見つけるには
誰かの地獄を見なければならない

先人は水の上を歩き
空中をも歩いた
何が正しいかを示すために
風船を膨らませてくれた

生き残れ 生き残れ 生き残るんだ

頭の中を駆け巡るとてつもない空想
私の靴は擦り切れてずたずた
足が鉛で作られていたからだ
飛ぶための翼もあった
だが、詩の持つ本当の意味を探るために
時間を費やすのだ

空気は暖かく息苦しい
地下鉄は舗道と足下の大地を揺らす
陽が昇るまで
うるさくて眠れしない
煌めくネオンよ 消えてくれ
私はしばしの安堵が欲しいのだ

少々難解な詞です。先人が水の上を歩くという部分はマルコの福音書第6章49節をもとにしていると思われますが、風船云々は何の例えかよく分かりません。マーク・ジョーダンの書く詞には皮肉や風刺が込められており、甘いラヴ・ソングとは一線を画すものです。ボズ・スキャッグスやネッド・ドヒニーを思い起こす曲調を感じ取れますが、酒、ドラッグ、売春婦、人生の敗者、アウトサイダーなどが作品の中に登場し、表現される世界はむしろトム・ウェイツを彷彿させました。このことはジョーダンがアルチュール・ランボーを好みデカダンスに傾倒していたことに起因するのでしょう。

アルチュール・ランボー(1854-1891)はフランスの詩人。主な作品に『イリュミナシオン』(1872)、『地獄の季節』(1873)など。20世紀の詩人たちに多大な影響を与えた。日本でも西条八十、中原中也、小林秀雄など影響下にあったと思われる詩人・作家・評論家は数多い。ネオ・アカデミズム華やかなりし頃の1980年代半ば、京都大学助手・準教授時代の浅田彰(現 京都造形芸術大学大学院長)がエッセイの中でランボーの詩を引用して話題となった。

デカダンスとは退廃的ということ。既成のキリスト教的価値観に懐疑的で、芸術至上主義の立ち名を取り一派に対して使われた。前述のランボーもその一派に属すとされる。また、太宰治もその作風からデカダンスの作家としてよく語られる。

「ボー・ジャングルのように踊ってくれ」と歌う「Jungle Choir」。


失恋と自暴自棄とドラッグ体験が交錯する「Mystery Man」。タイトル通り奇妙な様子が窺えます。
http://www.youtube.com/watch?v=G-c3n9-NVT0

現在もよくステージで歌われるというトロピカル風の「Marina Del Rey」。明るい曲調とは異なり、「マリナ・デル・レイを出ろよ/仕事を見つけたほうがいいぜ/この素晴らしい太陽や海から遠ざかれよ」と辛辣な言葉が投げかけられていました。


アメリカを赤い荒れ地と呼ぶ、「Red Desert」。現在は希望のない生活を続けていても、ひとつずつ願望を叶えていこうという意志が示されていました。
http://www.youtube.com/watch?v=W-MtbC0olkY

9. One Step Ahead Of The Blues
ドラッグとアルコールに浸った荒んだ生活の中での女性との出会いを描いた「Lost Because You Can't Be Found」。


適度な透明感と哀愁のあるサウンドとは裏腹に、マーク・ジョーダンが描いた歌の世界は決してソフト&メロウというものではありません。そう言えば、ウォルター・ベッカーとドナルド・フェイゲンによるスティーリー・ダンの歌詞もひねくれていて訳の分からなものが多いように思えます。ゲイリー・カッツというプロデューサーはそうした知的で退廃的な匂いのするものが趣味なのかもしれません。また、カッツはマーク・ジョーダンを見初めたように新人発掘という仕事にも携わっており、リッキー・リー・ジョーンズやプリンスといった一癖あるアーティストを見出していました。

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Ned Doheny - HARD CANDY

梅雨空を吹き飛ばそうと、今回もウエスト・コーストからの風をお願いすることにしました。ご登場いただくアーティスの方はネッド・ドヒニー。海辺、青空、パーム・トゥリーといったジャケットが示す通り明るく爽やか、それでいてちょっぴり切ない世界が表現されています。

ハード・キャンディハード・キャンディ
(1990/08/01)
ネッド・ドヒニー

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1. Get It Up For Love
2. If You Should Fall
3. Each Time You Pray
4. When Love Hangs In The Balance
5. A Love Of Your Own
6. I've Got Your Number
7. On The Swingshift
8. Sing To Me
9. Valentine (I Was Wrong About You)

ネッド・ドヒニーは1948年3月26日にロサンゼルスで生まれました。名門の出身らしく、ロサンゼルスのビヴァリー・ヒルズにあるドヒニー通りとは彼の家系に因んだものとのことです。
恵まれた環境の中で、何不自由なく育ったネッド・ドヒニー。少年期から青年期に掛けてごく自然に音楽に興味を持ち、ミュージシャンになることを夢見てドヒニー通りの近くにあるトルバドゥール、さらにはローレル・キャニオン通りに点在する有名アーティストの邸宅にも出入りするようになります。ジャクソン・ブラウン、J.D.サウザー、グレン・フライらとの交流が始まったのはこの時期のことでしょう。
1968年夏、有望な新人を求めていたエレクトラ・レコードがバッフロー・スプリングフィールドを世に送った影の功労者として知られるプロデューサーのバリー・フリードマンの発案によってあるプロジェクトを発足させました。このプロジェクトは「エレクトラ・ミュージック・ランチ」と名付けられ、いわば新人発掘が目的であり、カリフォルニア州パクストンの山奥にあるホテルで共同生活を送りながらレコーディングを繰り返すというものです。選ばれた新人はジャクソン・ブラウン、オハイオ出身のジャック・ウィルス、そしてネッド・ドヒニーの三人。
都会の喧噪を離れ、大自然に囲まれた静かな環境の中で音楽に打ち込むと思いきや、彼らは川で泳ぎ、陽光の下で昼寝をし、ドラッグでハイになるといった始末。フリードマンは注意するどころか放任し、さらには恋をしなければラヴ・ソングも書き辛かろうと女性まで送り込む有様。血気盛んな二十歳そこそこの男たちのこと、後はどうなるか言うまでもないことでしょう。楽園さながらに至れり尽くせりの緊張感のない日々を送っていたのではさしたる成果をあげることが出来ませんでした。
エレクトラ側にすれば「あほか、君ら何しとんねん。ええかげんにせい」といったところでしょうか。レコーディングされたものは採用されず、期待に応えられなかったネッドたち三人は解雇。簡単に音楽で身を立てられるほど人生は甘くないことを痛感させられます。

エレクトラの企画は失敗に終わりましたが、めげることなくネッドは心機一転、ジャズのサックス奏者チャールズ・ロイドのバンドにギタリストとして参加。ロイドのアルバム『Moon Man』(1970)のレコーディングにも加わりました。彼にはこの経験がギター演奏とソング・ライティングの腕を向上させる格好の修行の場となり得たことでしょう。
1971年、デイヴ・メイソンとキャス・エリオットの共演アルバム『Dave Mason & Cass Elliot』に彼の書いた「On And On」が取り上げられ、そのままバンドのメンバーに加わる話まで持ち上がります。結局、その話は実現することなくメイソンとママ・キャスのデュオは短期間で解散。またも念願かなわずといったところですが、実績としては十分なものとなりました。

こうした活動が功を奏したのか、1972年、ネッド・ドヒニーはジャクソン・ブラウン、J.D.サウザー、イーグルスらかつてしのぎを削り合った仲間たちが所属するアサイラムと晴れて契約。翌73年にデビュー・アルバム『Ned Doheny』がリリースされます。アコースティックな雰囲気が主体でありながらもソウルフルでファンキーかつジャジーなサウンドに優しく繊細な歌声。ラヴ・ソングが中心であるものの孤独や自由への憧れといった若者特有の悩みや青臭さを嗅ぎ取れ、どことなくジャクスン・ブラウンと共通したものを連想させました。

ネッド・ドヒニー・ファースト(SHM-CD)ネッド・ドヒニー・ファースト(SHM-CD)
(2009/08/26)
ネッド・ドヒニー

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アサイラムでのデビュー作は不発に終わり、ネッド・ドヒニーは1976年にCBSへ移籍します。プロデューサーにブッカー・T&ザ・MG‘Sのスティーヴ・クロッパーを起用した『Hard Candy』を発表。甘酸っぱく清涼感のあるネッドの歌声がホーンやストリングスが導入されたお洒落なサウンドに溶け込み、彼のソウル・ミュージックへの志向が強く表された1枚に仕上がっていました。
ここに収められたのは九編のラヴ・ソング。様々な恋の事情が綴られていますが、ひとつの曲の中でも感情が変化していることが窺われ実に味わい深いものです。そう思うと、「エレクトラ・ミュージック・ランチ」での体験もまったく無駄ではなかったのかもしれません。

アルバムのオープニング・ナンバー、「Get It Up For Love」。恋とは厄介なものであるとしながらも愛する人のために自己の犠牲も厭わない気持ちが表されています。


恋は気まぐれなものであるから、チャンスを逃がさぬようにすべてを賭けろと歌う「If You Should Fall」。


印象的なトム・スコット、ジム・ホーンらのサックスの音色で始まる軽快な「 Each Time You Pray」。心が動揺して落ち着かないほどの贅沢な恋の悩みが打ち明けられています。
http://www.youtube.com/watch?v=GlMQOf6dl8k

「愛する人のためならどうなってもいい。でも彼女の心は別の男のもの」と切ない恋心が描かれた「When Love Hangs In The Balance」。
http://www.youtube.com/watch?v=xwVgRgRKHWk

恋人を促すように「惜しまずに与えさえすればすぐに君だけの愛が手に入るよ。俺は待っている」と歌っていますが、実際に彼女が傍に来てくれることはなかったような気がする「A Love Of Your Own」。


 こちらは2014年にNumeroからリリースされた『Separate Oceans』に収録されていたデモ・ヴァージョン。


 セルフ・カヴァー・アルバム、『Postcards From Hollywood』(1991)に収録されていたヴァージョン。


A LOVE OF YOUR OWN
惜しまずに与えさえすればすぐにでも手に入る
君だけの愛が
長くかかればかかるほど
理解出来るようになる
君だけの愛が

心を捧げることを恐れないで
やってみなければわからない
自分自身をごまかしてはいけない
ためらわずに入っておいで
ドアはいつでも開いているよ
私はいつもそう望んで待っている

惜しまずに与えさえすればすぐにでも手に入る
君だけの愛が
君の行くところにはどこでも
振り向いた遠くないところにあるよ
君だけの愛が

駆け落ちすることを恐れないで
やってみなければわからない
考えを変えるのを恐れずないで
いつでもプロポーズするよ
私はいつもそう望んでいるんだ

君だけの愛
寒さから私を守る隠れ家
君だけの愛
現状はいつも許すだろう
君だけの愛

 この曲は後にポール・マッカートニーの片腕となって活躍するアヴェレージ・ホワイト・バンド(AWB)のヘイミッシュ・スチュワートとの共作です。AWBの演奏はライヴ映像でご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=RzX5BQwplNw&feature=related

元クラッキンのリード・ヴォーカル、レスリー・スミスのカヴァー・ヴァージョンは『Les Is More』(1992)に収録。
http://www.youtube.com/watch?v=Yrpqqa0t1rg&feature=related

 メリサ・マンチェスターも1977年のアルバム『Singin'』でカヴァーしていました。


「君の電話番号を知っている」と交際を迫る「I've Got Your Number」。21世紀の世の中ではストーカーとして訴えられそうですが、今に比べて個人情報という概念が希薄だった1970年代は淡い恋心として理解され、これが縁で恋の成就に至ることもあり得たのかもしれません。キーボードにクレイグ・ダーギ、シンセサイザーにデヴィッド・フォスターが配されていました。
http://www.youtube.com/watch?v=2BI3Z01Zdi0

甘いながらも翳りのあるネッドの歌声が堪能できるジャジーな失恋の歌「Valentine (I Was Wrong About You)」。ピアノはデヴィッド・フォスターが担当。


VALENTINE (I WAS WRONG ABOUT YOU)
ヴァレンタイン 私の心は傷ついたまま
平静を装うふりをしても
すぐに安らぎは消え去り
二人が語り合う言葉は何もない

ヴァレンタイン 幸運は私の手をすり抜け
購入したわずかなものでさえ争いの中で失った
じきに何もかもなくしてしまうかもしれない
君に打ち明けるにはほど遠いことなのか

君を誤解していた
君を疑うのは誤りだった
気分が優れないとき
私は青色のインクで言葉を記す

ヴァレンタイン 私はいつでも待っている
将来においても君はそのままでいてくれるだろう
何があろうと再会の日々はやって来るのだ
ひとつだけ言い残したことがある

君を誤解していた

こうして君への愛が残る
愛がいつまでも残るのだ

ネッド・ドヒニーが長い沈黙を破って2009年に新作『The Darkness Beyond The Fire』をリリースしたことがウィキペディアに記されておりました。詳細をご存知の方がおられれば、ご教示をいただくと幸いに存じます。

Jack Tempchin - Peaceful Easy Feeling

梅雨空が続くのでカリフォルニアの青い空に想いを馳せ、今回は爽やかな歌を取り上げます。
ご登場いただくアーティストの方はむさくるしい・・・・・・もとい優しさが滲み出るようなお顔をされたジャック・テンプチンさんです。

ジャック・テンプチン(紙ジャケット仕様)ジャック・テンプチン(紙ジャケット仕様)
(2007/11/15)
ジャック・テンプチン

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ジャック・テンプチンの詳しい履歴は分かりませんが、1960年代後半からロサンゼルスでシンガー・ソング・ライターとして活動していたようです。クラブで歌いながら明日の成功を夢見る日々の中で、テンプチンとグレン・フライ、J.D.サウザー、トム・ウェイツらとの交流が始まったのはこの時期のこと。以後彼らの友情は今も続きます。下積みの苦労を経験した時の友との結びつきは深いものかもしれません。
1972年、グレン・フライが結成したイーグルスのファースト・アルバム『Eagles』がリリースされます。ジャック・テンプチンは彼らに「Peaceful Easy Feeling」を提供。 サード・アルバム『On The Border』でもテンプチンの「Already Gone」が取り上げられ、その名が注目され始めました。
知名度上がった余勢を駆って、ジャック・テンプチンはジュールズ・シアー、リチャード・ステコル(元ホンク)らとファンキー・キングスを結成。ドアーズを手掛けたポール・ロスチャイルドをプロデューサーに迎えてアリスタから鳴り物入りで1976年にデビューを果たしますが、商業的には全く成功を収めることなく1枚のアルバムを残して解散しました。
しかし、アルバムに収録されていたジャック・テンプチン作の「Slow Dancing」がジョニー・リヴァースの目に留まり、「Swayin' To The Music」と改題されて全米10位のヒットを記録。テンプチンはアリスタとのソロ契約を結び、1978年に「Peaceful Easy Feeling」のセルフ・カヴァー・ヴァージョンを含んだアルバム『Jack Tempchin』の発表に漕ぎ着けました。



ジョニー・リヴァースのヴァージョンです。


プロデューサーはアラバマ州のマッスル・ショールズを拠点に活動していたギタリストのピート・カー。が担当。旧友のグレン・フライに加えて、ジャクソン・ブラウンやジェニファー・ジョーンズもテンプチンの再出発を祝うかのようにトム・ウェイツとの共作「Tijuana」にバック・ヴォーカルで参加していました。

「Peaceful Easy Feeling」のスタジオ・テイクの音源がYouTubeにはないので、ライヴ映像をご覧ください。


PEACEFUL EASY FEELING
君の煌めくイアリングが好きだ
小麦色の肌によく似合う
今宵は砂漠で君とともに眠りたい
満天の星に囲まれながら
こんなに穏やかな気分でいられるのは
君が裏切らないでいてくれるから
俺は地に足をつけて構えている

女が魂を手玉に取れること
俺はずっと以前に見抜いた
ああ でも彼女はどうしても人を騙すことが出来ない
人にはもう別れる方法が分からない
こんなに穏やかな気分でいられるのは
おまえが裏切らないでいてくれるから
俺は地に足をつけて構えている

俺がこんな気分でいられるのは
君が恋人や友だちでいてくれるから
片方の耳には
こんな声が囁きが続ける
俺は君に二度と会わないかもしれないと
こんなに穏やかな気分でいられるのは
君が裏切らないでいてくれるから
俺は地に足をつけて構えている
そうさ 俺は地に足をつけてしっかりと立っているのだ

カントリー・タッチのポップで爽やかな響きがジャック・テンプチンの真骨頂。ほのぼのとした雰囲気が浮き世の雑多な出来事を暫し忘れさせ、和みのひと時を与えてくれるかのようです。

こちらは弾き語りの映像。


イーグルスのヴァージョンはライヴ映像でお楽しみください。リード・ヴォーカルは当然の如くグレン・フライ氏が務めています。


BRUCE06さんのブログでも紹介されていましたが、ジャクソン・ブラウンも「Peaceful easy feeling」を歌っています。ジャクソンのライヴ・アルバム『Solo Acoustic Vol.1』(2005)の中では、観客からこの曲をリクエストされて困惑したことが語られておりました。このヴァージョンは正式にリリースされていないデモ録音のようですが、詳しい方からのご教示があれば幸いです。

http://www.youtube.com/watch?v=VNT979oO6Q0

シンガー・ソング・ライターで元大学教授の三浦久先生の著書『追憶の60年代カリフォルニア』(平凡社新書、1999年)にジャック・テンプチンと出会った時の記述がありました。先生はカリフォルニア大サンタ・バーバラ校に留学していた1969年に共通の友人を介してテンプチンを紹介されたそうです。

「ジャックとぼくは交互に何曲か歌った。彼のギターの弾き方も荒削りだったが、歌はとてもメローディアスで、聞いていると気持ちが落ち着いた」(『追憶の60年代カリフォルニア』P.189より)


追憶の60年代カリフォルニア―すべてはディランの歌から始まった (平凡社新書 (018))追憶の60年代カリフォルニア―すべてはディランの歌から始まった (平凡社新書 (018))
(1999/09)
三浦 久

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1980年代になるとテンプチンはグレン・フライの片腕としても活躍。フライのソロ・アルバム『No Fun Aloud』(1982)では殆どの楽曲を、『The Allnighter』(1984)では全曲を彼と共作し、「Sexy Girl」(全米20位)、「Smuggler's Blues」(全米12位)などのヒットを送り出しました。1985年にはテレビドラマ『Miami Vice』のために二人で書いた「You Belong To The City」が全米2位。そして、1988年のフライのアルバム『Soul Searchin'』でも、全米13位を記録した「True Love」を始めとする多くの収録曲の創作に協力しています。

日本のほうがヒットした印象が強い「Sexy Girl」。


ドン・ジョンソン主演の刑事ドラマ『Miami Vice(特捜刑事マイアミ・バイス)』の挿入曲「You Belong To The City」。グレン・フライもゲスト出演したことがあるそうです。アメリカNBC制作。日本ではテレビ東京系列で放送されたため京都では観ることが出来ませんでした。


現在も地道に音楽活動を続けるジャック・テンプチン。日本に彼の近況やアルバムが紹介されることは殆どありませんが、今後も注視し続けたいと思います。

Michael Nesmith - Rainmaker

今回も引き続き雨にまつわる曲を取り上げます。お題は「Rainmaker」。この曲はハリー・ニルソンとウィリアム・マーティンの共作で、1969年に出されたニルソンのアルバム『HARRY』を扱った際に紹介したしたことがありますが、今回はザ・モンキーズのマイケル・ネスミスのカヴァー・ヴァージョンについて少しばかり言及したいと思います。

Nevada Fighter / Tantamount to TreasonNevada Fighter / Tantamount to Treason
(2001/04/24)
Michael NesmithMichael Nesmith

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1. Grand Ennui
2. Propinquity (I've Just Begun to Care)
3. Here I Am
4. Only Bound
5. Nevada Fighter
6. Texas Morning
7. Tumbling Tumbleweeds
8. I Looked Away
9. Rainmaker
10. Rene
11. Mama Rocker
12. Lazy Lady
13. You Are My One
14. In the Afternoon
15. Highway 99 With Melange
16. Wax Minute
17. Bonaparte's Retreat
18. Talking to the Wall
19. She Thinks I Still Care
20. Canata & Fugue in C & W [*]
21. Smoke, Smoke, Smoke [*]
22. Rose City Chimes [*]

上記は『Nevada Fighter / Tantamount to Treason』の2in1。下記は『Nevada Fighter』のオリジナル仕様です。

Nevada FighterNevada Fighter
(2004/06/15)
Michael Nesmith

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マイケル・ネスミスがモンキーズを脱退したのは1969年のことです。67年にリンダ・ロンシュタットが在籍するストーン・ポニーズに提供した「Different Drum」が全米13位のヒットととなり、ソング・ライターとしての評価を高めていた彼は自己の音楽性を存分に表現しようと4人組のザ・ファースト・ナショナル・バンドを結成。70年4月にシングル「Little Red Rider」、6月にはアルバム『Magnetic South』を発表しました。
この『Magnetic South』からシングル・カットされた「Joanne」が全米21位を記録。その余勢を駆って同年11月に出されたシングル「Silver Moon」は42位まで上昇し、この曲が入ったアルバム『Loose Salute』もほぼ同時に発表されています。そして、間髪を入れず翌71年5月には『Nevada Fighter』をリリース。今回紹介する「Rainmaker」はこのアルバムに収録されていました。



RAINMAKER
今日は8月の最初の日
最後に雨が降ったのは5月のこと
埃ぽくなった真っ昼間に
雨乞い師がカンザスの町にやって来た

雨乞い師は人々に尋ねた
「おまえさんたちはいくら用意しているんだ」
雨乞い師は人々に言った
「さて、呪文で本日雨を降らせようかね」

木陰の下でも32度
陽のあたる場所では40度を超え
通りを行き交う女たちも足の裏を火傷しないように
駆け出す有様だ

雨乞い師は神秘的な呪文を唱えて稲妻を走らせ
それからその雨乞い師が雷を呼ぶと
突然雨が降り出した

雨乞い師は代金をもらおうと人々へ自分の帽子を回した
しかし、誰も皆知らんふり
すると雨乞い師の瞳とカンザスの空は
暗い灰色に包まれてしまった

今日は8月の最初の日
最後に雨が降ったのは5月のこと
埃ぽくなった真っ昼間に
雨乞い師がカンザスの町にやって来た

雨乞い師はにやりと微笑み
荷馬車を引き寄せて
何も言わずに走り去った
それから町の人々は彼の笑い声を聞いた
天が降り止むことがないと誰もが気づいたのだ

雨よ 止んでおくれ
いつか別の日に降ってくれればよい
雨よ 止んでおくれ
今日はもう十分だ
雨よ 雨よ 雨よ

ハリー・ニルソンのヴァージョンです。


この「Rainmaker」という言葉、かつてはネイティヴ・アメリカンの雨乞い師を指した言葉ですが、環境破壊といった問題を含むものの科学の発達とともに人工的な降雨が可能となり、その専門家も"Rainmaker"と呼ばれるようになりました。小学館のプログレッシブ英和辞典によると政界に有力なコネを持つ実力者という意味もあるようです。

前述したようにこの曲のオリジナルはハリー・ニルソン。彼の真骨頂でもある寓話的なセンスが盛り込まれた楽曲でした。以前に何度かテレビ番組で取り上げられたことがあるのでご存知の方も多いと思いますが、20世紀前半のアメリカ、カンザス州出身のチャールズ・ハットフィールド(1876-1958)という気象学者が人工降雨に成功した人物として知られています。彼は”Rainmaker”と称されました。
ハットフィールドは子供の時に読んだ書物の中に土埃が雨に関係するという記述をもとに研究を重ね、独自の降雨方法を確立したとされます。そして、あくまでも成功報酬という約束で人工降雨を商売にして活動を始めました。各地で次々と人工的に雨を降らせることに成功して評判を呼びましたが、1916年に干ばつに見舞われたサンディエゴで人工降雨を行った時に、雨が一ヵ月以上も降り続いてダムが決壊し、大洪水を引き起こしてしまいました。当然ながらハットフィールドは張本人として裁判に掛けられたものの、「降雨技術は非科学的なもので、大洪水は偶発的な自然災害」といった趣旨の判決が出て罪に問われることはなかったとのこと。しかし、自身の技術を否定されたことや良心の呵責に苛まれたのか、その後ハットフィールドは降雨技術を封印します。
ハットフィールドが人工降雨を行った期間は26年に及び、失敗は僅か2回。驚異的な確率で成功を収めていましたが、他人に技術を伝えることもなく、資料も一切残さなかったために彼の降雨技術は未だに解明されていません。現在はドライアイスや環境を汚染する恐れのあるヨウ化銀を雲に散布して氷の粒を作るといった方法がよく用いられておりますが、雲のないところに雨雲を作ることは現代の科学技術を持ってしても不可能な状況です。

おそらくハリー・ニルソンたちはハットフィールドの逸話をもとに「Rainmaker」という曲を創作したのでしょう。代金を踏み倒した町の人々に罰が当たるというニルソン一流の風刺と皮肉が込められていました。

このままでは人工降雨や気象学者のことを書いた記事で終わってしまいそうなので、前述したマイケル・ネスミスの楽曲についても触れておきます。まず、全米21位のヒットとなった「Joanne」。モンキーズ時代からカントリー・テイストに溢れた歌を発表していましたが、独立後にその才能が見事に開花したといったところでしょう。


日本でもヒットしたという「Silver Moon」。


ストーン・ポニーズに提供した「Different Drum」のネスミス自身のヴァージョンです。ファースト・ナショナル・バンドを解散した後、ソロ名義で1972年にリリースされた『And the Hits Just Keep on Comin'』に収録されていました。


ストーン・ポニーズのヴァージョン。リンダ・ロンシュタットの歌声を聴いていると、まさしく彼女のために書かれた曲と思えて仕方がありません。


マイク・ネスミスは音楽のみならず映像制作の分野、さらには小説『The Long Sandy Hair Of Neftoon Zamora』(1998)の執筆も行うなどその活動の幅は多岐に渡ります。まさに多芸多才。これからも目を離せません。

Simon & Garfunkel - Flowers Never Bend With The Rainfall

近畿地方は6月13日に梅雨に入りました。そこで今回は雨に因んだ歌を取り上げることにします。お題は「Flowers Never Bend With The Rainfall(雨に負けぬ花)」。サイモン&ガーファンクルが1966年11月に発表したアルバム『Parsley, Sage, Rosemary And Thyme』に収録されていた曲です。

パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム(紙ジャケット仕様)パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム(紙ジャケット仕様)
(2007/08/08)
サイモン&ガーファンクル

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1. Scarborough Fair/Canticle
2. Patterns
3. Cloudy
4. Homeward Bound
5. The Big Bright Green Pleasure Machine
6. the 59th Street Bridge Song (Feelin' Groovy)
7. The Dangling Conversation
8. Flowers Never Bend With The Rainfall
9. A Simple Desultory Philippic (Or How I Was Robert McNamara'd Into
10. For Emily, Wherever I May Find Her
11. A Poem On The Underground Wall
12. 7 O'Clock News/Silent Night
13. Patterns
14. A Poem On The Underground Wall



FLOWERS NEVER BEND WITH THE RAINFALL
眠りの回廊を抜け
暗く憂鬱な影を通り過ぎて
私の心は乱れ 踊り飛び跳ねる
いったい何が現実なのか知る由もなく
感じているのに触れることが出来ない
私は幻想の盾に身を隠す

だからいつまでも思い続けよう
私の命に果てはなく
花は雨に打たれて折れたりしないのだと

壁に掛けた鏡に
陰気でちっぽけな男が映っている
でもその姿が自分かどうか定かでない
私は神と真理と正義の光に目が眩み
あてもなく夜を彷徨う

だからいつまでもふりをし続けよう
私の命に果てはなく
花は雨に打たれて折れたりしないのだと

生涯において人の演じる役割が
キングであるかポーンであるかは問題ではない
喜びと悲しみの間に引かれた線など細く曖昧としたものだ
だから私の思い描く空想は現実となり
そして私はあるべき姿となり
明日に立ち向かわなければならないのだ

だからいつまでも思い込みを続けよう
私の命に果てはなく
花は雨に打たれて折れたりしないのだと

ポーン(Pawn)とは一番価値の低いチェスの駒(歩兵)。他人にいいように利用される人という意味もある。

1964年にサイモン&ガーファンクルとしてのデビュー・アルバム『Wednesday Morning,3A.M.』をCBSからリリースするも不発に終わり、失意のポール・サイモンはイギリスに渡りました。ロンドンのクラブで歌い、新しい歌を作り、地元のフォーク・シーンの中にどっぷりと浸かるポール・サイモン。サンディ・デニー、アル・スチュワートら多くのアーティストや音楽関係者との出会いもありました。
異国の環境を見聞きしながら同世代のアーティストと触れ合うことはポール・サイモンにとって大きな刺激となったことでしょう。そうして彼は巧みなギター・テクニックや幅広い音楽性を身につけて行きました。順調な音楽活動を続ける中、ロンドンでも次第にポール・サイモンの名が知れ渡り、BBSラジオへの出演も果たすことになります。その際の反響が大きかったことにより、サイモンはイギリスでの活動の証としてレコーディングを残すことを決意。それが『The Paul Simon Song Book』というアルバムです。そして、「Flowers Never Bend With The Rainfall」はもともとこの『The Paul Simon Song Book』に収められていた曲でした。
アメリカに帰国後のポール・サイモンはアート・ガーファンクルとのデュオを再開。後に二人で再録音し直したヴァージョンは、アルバム『Parsley, Sage, Rosemary And Thyme』に収録されます。




ポール・サイモン・ソングブック(紙ジャケット仕様)ポール・サイモン・ソングブック(紙ジャケット仕様)
(2007/09/05)
ポール・サイモン

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この曲を作った時のポール・サイモンは23~4歳。いかにも青年らしい苦悩や迷いが表現されているものの、諦観や達観といった心情も読みとることが出来ます。
どんな花であろうと萎れて茎が曲がってしまうのが常です。それでもサイモンは人間の命に終わりがないと無限の可能性に言及するような言葉を述べていました。それは落ち込んでいるところを周囲に悟られない強がりでしょうか。それとも前向きに生きて行こうという決意表明なのでしょうか。失望から一転、創作意欲をかき立てられたロンドンでの生活で、彼は希望を見出していたように思えます。しかし、"So I continue to continue to pretend that / My life never end, And flowers never bend with the rainfall." の"pretend (装う、思う)"という言葉を考慮すると必ずしも明るい心境ではないと推察されるのかもしれません。鏡に映った自分の姿に自信が持てず、神と真理と正義の光に目が眩むような状態には何か後ろめたい気持ちが隠されているのではないでしょうか。
でも、どのような状況に陥ろうとも、生きている限り明日がやってきます。「私は明日に立ち向かわなければならない」と強い意志が示されているようにも窺えるのですが、前述のようにふりをしなければならない、思い込まなければならないといった言葉を鑑みると半ば自暴自棄から発せられているとも受け取れるでしょう。
ダブル・ミーニングといって、歌には複数の意味が込められているとよく言われます。また、聴き手の解釈によって歌の意味が一人歩きすることも珍しくありません。真意を知るのは作者のみですが、聴き手の反応を楽しむのも作者の特権と言えるでしょう。もっとも、こんな風にあれこれと思いを巡らす自由を聴き手が楽しんでいるという見方も成り立つのですが・・・・・・。
既に還暦を過ぎたS&Gの二人。ほとばしる情熱に任せたであろう若き緑の日々と思慮分別がついた現在では歌に込める意味合いも変化していると思われます。

The Chieftains - The Long Black Veil

前回はチーフタンズのアルバム『The Long Black Veil』の中から表題曲のみを取り上げましたが、今回は残りの収録曲について述べてみることにします。


Long Black VeilLong Black Veil
(1995/01/01)
The Chieftains

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1. Mo Ghile Mear (Our Hero)
2. Long Black Veil
3. Foggy Dew
4. Have I Told You Lately That I Love You?
5. Changing Your Demeanour
6. Lily of the West
7. Coast of Malabar
8. Dunmore Lassies [Instrumental]
9. Love Is Teasin'
10. He Moved Through the Fair
11. Ferny Hill [Instrumental]
12. Tennessee Waltz/Tennessee Mazurka
13. Rocky Road to Dublin

アイルランドの伝統的な音楽に現代的なアレンジを取り入れ、ある時はオーソドックスに、ある時は斬新にと多様なスタイルで音楽の楽しさを伝えて来たザ・チーフタンズ。パディ・モローニー(ティン・ホイッスル、イーリアン・パイプ)、マーティン・フェイ(フィドル)らを中心として1962年に結成され、1965年にアルバム『The Chieftains』でデビュー。1972年、ポール・マッカートニーのソロ・シングル「Give Ireland Back To The Irish(アイルランドに平和を)」にリーダーのパディー・モローニーが参加したことで注目を浴びるようになりました。その後もアルバムをリリースしながら順調な活動を続け、1976年にスタンリー・キューブリックが監督したイギリス映画『Barry Lyndon』では音楽を担当。映画音楽の制作にも携わり始めます。
チーフタンズとロック・アーティストとの交流は古く、前述のポール・マッカートニーとのレコーディング、さらには1960年代後半、ミック・ジャガーが当時の恋人マリアンヌ・フェイスフルを伴ってチーフタンズのコンサートにしばしば足を運んでいたという逸話もあると聞きました。また、チーフタンズの名がロック・ファンに広く認識されるようになったきっかけは、1988年にヴァン・モリソンの『Irish Heartbeat』で共演した頃からであると思われます。

1995年にリリースされた『Long Black Veil』はザ・ローリング・ストーンズ、スティング、ライ・クーダー、ヴァン・モリソン、マーク・ノップラー、トム・ジョーンズ、シネイド・オコナー、マリアンヌ・フェイスフルといった錚々たるメンバーが終結したアルバムです。
アルバムのオープニングを飾る「 Mo Ghile Mear (Our Hero)」。スティング(ポリス)がリード・ヴォーカルを担当しています。もともとはチャーリー・スチュアート王子(1688年の名誉革命で王位を失った英国王ジェームズ2世の孫。スチュアート朝を復古しようと1745年に蜂起するも鎮圧される)を讃えるために18世紀の詩人ショーン・クララッフ・マクドーナルによって書かれた作品でした。スティングはアイルランド系ではありませんが、歴史を鑑みたのかオリジナルのゲール語で歌っています。


メアリー・ブラックのヴァージョン(1984年発表の『Collected』に収録)です。
http://www.youtube.com/watch?v=qDlCM_Mwtys

前回に取り上げた「Long Black Veil」。


よほどお気に入りだったのか、生涯で何度もカヴァー・ヴァージョンをレコーディングしたジョニー・キャッシュの歌声も宜しければお聴きください。
http://www.youtube.com/watch?v=p-AED1BjuJ8

アイルランド出身のシネイド・オコナーをヴォーカルに迎えた「Foggy Dew」。1916年のイースター蜂起で死んだ男たちを讃える歌です。アイルランド共和国樹立のために民族主義者らによって復活祭週間に行われたこの武装蜂起は英軍に7日間で鎮圧され、アイルランド民族主義者側の指導者たちは処刑されました。双方に多数の死傷者が出た戦闘でしたが、アイルランド独立運動の礎になったことは間違いないでしょう。
オコナーはカトリックへの愛憎が溢れた言動で何かと物議を醸した遍歴があり、1992年のボブ・ディランのデビュー30周年を記念するトリビュート・コンサートに出演した際に彼女が観客からブーイングを受けるシーンは衝撃的でした。彼女は1999年に独立カトリック教会の司祭になっています。
http://www.youtube.com/watch?v=LRvSdUh3wCE&feature=related

ヴァン・モリソンとチーフタンズが共演した「Have I Told You Lately That I Love You?」のヴァージョンがYouTubeにはなかったので、参考までにヴァンが1989年にリリースした『Avalon Sunset』に収録のオリジナル・ヴァージョンをお聴きくだされば幸いです。
http://www.youtube.com/watch?v=olqCpohdY3Y&feature=related

マーク・ノップラー(ダイアー・ストレイツ)のヴォーカルが切ない男心を表した「Lily of the West」。フィドルの音色がさらなる哀愁を誘います。


THE LILY OF THE WEST
何か楽しいことがあるだろうと
俺が最初にアイルランドにやって来た時のこと
俺は美しき乙女に見とれた
彼女の姿は俺の心をときめかせ
バラ色の頬と輝く瞳が
矢のように俺の胸を貫く
人々は彼女のことをこう呼ぶ
愛らしきモリー・オー、アイルランド西部の百合

ある日 日陰の多い涼しい木立を歩いていると
やんごとなき身分のお方が
俺の愛するあの人と話しているのが目にとまった
彼女は楽しそうに歌を歌っていた
それで俺は激しく打ちのめされて
モリー・オーに別れを告げた
アイルランドの西部の百合に

俺は小剣と短剣を手にして進み出た
邪悪となった恋人のもとから貴族の男を引きずり出し
彼にそこに立つようにと勇ましく告げた
絶望によりただ気も狂わんばかりだった俺は
男の胸を剣で突き刺すことに名誉を賭けてしまった
その時の俺はモリー・オーに惑わされていたのだった
アイルランドの西部の百合に

それから俺は裁判を受け
はっきりと抗弁を行った
俺の起訴事実に不備が見つかり
間もなく俺は釈放された
そこには俺が思いを寄せていた
まばゆくほどに美しいあの人
裁判官が彼女に向かって話しかけた
「不実なモリー・オー、行くがよい
アイルランドの西部の百合よ」

今 俺は自らの自由を勝ち得て
放浪の旅に出るつもりだ
愛しきアイルランド中を歩き回り
スコットランドにまで足を伸ばそう
彼女は自分の人生が台無しになったと思っているだろう
だが彼女は俺の眠りを妨げてくれるのだ
俺はいまだに彼女のことをこう呼ばねずにいられない
モリー・オー、アイルランドの西部の百合よ

もともとイギリスのブロードサイド・バラッドだったこの曲は、ジョーン・バエズ(1961年発表の『Joan Baez Volume 2』などに収録、ボブ・ディラン(1973年の『Dylan』に収録)、ピーター、ポール&マリー(1963年の『Moving』で「Flora」のタイトルで発表)らアメリカのアーティストに好まれて歌われています。但し、歌詞は幾分異なり、ストーリーに大差ないものの登場人物名や地名などが変えられていました。
なお、バラッドとは物語や寓意のある歌のこと。15世紀にドイツ出身のヨハネス・グーテンベルクが活版印刷技術を発明し、ヨーロッパで印刷が急速に広まります。口承が主流だったバラッドも歌詞を紙に印刷し、路上で売りながら歌うといったスタイル(ブロードサイド・バラッド)に変化して行きました。

ジョーン・バエズのヴァージョンです。
http://www.youtube.com/watch?v=txmlaZbY-f4&feature=related

ライ・クーダー参加の「Coast of Malabar」。トラッドとカリプソが融合したかのような雰囲気です。
http:///www.youtube.com/watch?v=BQOHDztmCT0

こちらもライ・クーダー参加の「Dunmore Lassies」です。
http://www.youtube.com/watch?v=0cw7PrzqC2g

マリアンヌ・フェイスフルが歌うトラディショナル曲「Love Is Teasin'」。こちらはライヴ映像でご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=FNXrq7_WWR4

トム・ジョーンズがエネルッギッシュにリード・ヴォーカルを取る「Tennessee Waltz/Tennessee Mazurka』」。
http://www.youtube.com/results?search_query=the+chieftains+tennessee+waltz&aq=f

ローリング・ストーンズが参加した「Rocky Road to Dublin」。途中で「Satisfaction」のフレーズが飛び出してきます。なお、ヴォーカルはミック・ジャガーではなく、チーフタンズのケヴィン・コーネフでした。


ライヴ映像も宜しければご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=VLcC5_antg8

オーケストラをバックにしたライヴ映像。
http://www.youtube.com/watch?v=mgEZXw7cWyU

アイルランドのこのトラッド・ナンバーは多くのアーティストが取り上げています。今回はアイルランド人のヴォーカリスト、シェイン・マガウアンを中心として活動するザ・ポーグスのヴァージョンを紹介しましょう。彼らのライヴではよく演奏されているものの正式には発表されず、2008年リリースの5枚組ボックス・セットでようやく陽の目を見ました。
http://www.youtube.com/watch?v=uEe7_b6NHtA&feature=related

ロック・アーティストらとの共演が話題になった『The Long Black Veil』。アルバムの根底には人間模様やアイルランドの歴史といった様々なテーマが存在しています。そうしたものを頭の片隅に置きながら聴いていると、当代のロック・スターたちによる演奏という贅沢な味わいとはまた違った、人間の営みにおける音楽の意味、音楽の多元性といったことへの理解が深まるかもしれません。ともあれ、多くのロック・ファンにアイルランドへの興味を抱かせた一枚であることは間違いないでしょう。

このアルバムはジャケット違いがリリースされているようです。この件に関する経緯や詳細についてご存知の方からのご教示をいただければ幸いです。

Long Black VeilLong Black Veil
(1995/01/24)
The Chieftains

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The Long Black Veil

前回扱ったシャロン・シャノンの流れで今回はアイリッシュ・トラッドを取り上げようと物色しているうちに、ザ・チーフタンズがローリング・ストーンズやスティングをゲストに招いて録音したアルバム『The Long Black Veil』が目に留まりました。以前よりその中に収録されたタイトル曲である「The Long Black Veil」が気になっていたので、この曲に絞って少しばかり述べてみることにします。


Long Black VeilLong Black Veil
(1995/01/01)
The Chieftains

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THE LONG BLACK VEIL
10年前の寒く暗い夜
公民館の明かりの下である男が殺された
その場に居合わせた何人かが口を揃えて証言した
逃げた男は俺にそっくりだったと

判事は言った「君にはアリバイがあるのか
他の場所にいたのなら死刑の判決を受けることはない」
俺は人生を賭けて何も言わずにいた
親友の女房の腕の中にいたのだから

彼女は黒色の長いヴェールを被って丘を歩いて登り
夜風が呻く俺の墓を訪れてくれるだろうか
誰も知らない 誰も見ていない
俺しか知らないことだ

絞首台は高く、あの世はすぐそば
彼女は群衆の中に立ち、一粒の涙も流さなかった
だが時おり冷たい風がうなる夜、黒色の長いヴェールを被って
彼女は俺の亡骸の上で泣いてくれている

チーフタンズのヴァージョンはミック・ジャガーをリード・ヴォーカルに迎えてレコーディングされました。儚さが滲み出た説得力のあるミックの歌声はローリング・ストーンズとまた違った趣があります。かつてミックの恋人だったマーシャ・ハント(1971年発表の『Woman Child』に収録) 、マリアンヌ・フェイスフル(1984年発表の『Rich Kid Blues』に収録) らがこの曲を彼に先んじて取り上げていました。ミックがどのような気持ちで歌っていたのかと考えると興味深いところです。

この歌は作者であるマリジョン・ウィルキンとダニー・デイルがニュー・ジャージーで実際に起こった事件をもとにして共作した曲です。1959年にレフティ・フリッゼルによってカントリー・チャートで6位となるヒットを記録しました。

ウィリー・ネルソンやマール・ハガードに影響を与えたというレフティ・フリッゼル。優しい歌声に心が和みます。



That's the Way Life Goes: The Hit Songs 1950-1975That's the Way Life Goes: The Hit Songs 1950-1975
(2004/08/24)
Lefty Frizzell

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この歌は1959年に作られましたが、描かれた世界は19世紀のアメリカ社会を連想させます。少々事情が異なりますが、リチャード・ギアー、ジョディ・フォスター主演で『Sommersby(邦題ジャック・サマースビー)』(1993年公開)という映画を観たときにこの歌のことが頭の中に浮かびました。南北戦争終結直後の1860年代後半のアメリカ南部テネシー州が舞台のこの映画。戦死したと思われた農園経営者だったジャック・サマースビーが6年ぶりに帰郷し、冷酷な性格で暴力的だった彼の性格が別人のような変貌を遂げ、小作人や黒人奴隷に領地を分けて村の人々と共同で煙草栽培に取り組むようになります。妻は困惑を隠せず偽者であることに気づくも彼の優しさにほだされ情を通わすようになって行きました。その熱心な仕事ぶりにサマースビーは次第に人々の尊敬を集めますが、ある日、警察がやって来て彼は殺人容疑で逮捕されます。実は変貌を遂げたサマースビーは偽者で、戦友となった本者のサマースビーから故郷の話を聞いており、本者が戦死したのを機に入れ替わっていたのでした。しかし、本者は故郷を出た後に殺人事件を起こしていたのです。妻は「この人は本当の夫ではない。なぜなら夫のことをこれほどまでに愛せなかった」と証言して偽者の無実を訴えますが、偽のサマースビーは「自分の人生の中で君と暮らした時が一番幸せだった。君の夫して死にたい」と本者のサマースビーであることを主張。小作人や黒人たちとの契約が反故になる事態をも鑑み、偽者であることを認めず死刑に処せられることを受け入れたのでした。処刑の日、妻は群衆をかき分け最前列に立ち、永遠の愛を近いながら彼の最後を見届けます。

不倫の代償とはいえ、親友の妻を守るために墓場まで秘密を持って行ったことが歌われた「Long Black Veil」。妻への愛と人々からの尊敬の念に殉じた『Sommersby』。異なった事情ながらどちらも重いテーマが根底にあり、裏切れぬ人への愛が貫かれていました。21世紀の日本社会ででこうした状況に置かれることはないと思いますが、私のように覚悟のない人間には決して真似の出来ないことです。

私はザ・バンドの『Music From Big Pink』(1968)に収録されていたヴァージョンでこの歌を知りました。リック・ダンコがリード・ヴォーカルを取り、セカンド・ヴァースからはリヴォン・ヘルムが絡むように加わり、リチャード・マニュエルもコーラスで参戦する様はたんなる「泣き節」を通り越した「無常」の人生観が示されているようにさえ思えました。


1970年のライヴ映像です。ここではロビー・ロバートソンがリック・ダンコを支えるようにコーラスを付けていました。

ロビー・ロバートソンはザ・バンドがこの歌を取り上げたことについて、「私がその頃やってみたかった伝統的な方式に則った、素晴らしい歌詞例だ」と述懐していました。


Music from Big PinkMusic from Big Pink
(2000/08/11)
The Band

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この曲は多数のアーティストが各々のアルバムの中でカヴァーしており、主だったものだけでもキングストン・トリオ『New Frontier』 (1963)、 ジョーン・バエズ『Joan Baez in Concert Part 2』 (1963) 、ジョニー・キャッシュ『Orange Blossom Special』(1965)、『Johnny Cash at Folsom Prison 』(1968)、『Unearthed』(2003)、ニュー・ライダーズ・オブ・ザ・パープル・セージ『Gipsy Cowboy 』(1972)、サミー・スミス(1974年にシングルで発表)、ザ・セルダム・シーン 『Scenic Roots』 (1990)、デイヴ・マシューズ・バンド『Listener Supported』(1999)、ジェリー・ガルシオ、デヴィッド・グリスマン、トニー・ライス 『The Pizza Tapes 』(2000) ロザンヌ・キャッシュ(featuring Jeff Tweedy)『The List』 (2009) と枚挙に暇がありません。

ジョニー・キャッシュとジョニ・ミッチェルが共演した映像は、1969年頃にテレビで放送されたジョニー・キャッシュ・ショーからのもののようです。『The Best of the Johnny Cash TV Show 1969-1971』 (2007) に収録。


ジョーン・バエズのスタジオ・テイクは『Joan Baez/5』(1964)、『Any Day Now』(1968)のボーナス・トラックとしてそれぞれ異なるヴァージョンが収録されています。
http://www.youtube.com/watch?v=ktRT-XVYZO8

http://www.youtube.com/watch?v=cGA2U30KGok

デイヴ・マシューズのヴァージョンはエミルー・ハリスとデュエットで歌う映像でお楽しみください。
http://www.youtube.com/watch?v=tA3RKUHhN5A

正式なレコーディングはないようですが、ブルース・スプリングスティーンもライヴでは定番のように取り上げているようです。

Sharon Shannon & Friends - The Diamond Mountain Sessions

安易にジャクソン・ブラウンが参加したアーティストの作品ばかりを続けていたのが災いしたのか、ここのところアクセス数が激減しております。勝手ながら鳩山首相の電撃辞任および菅総理大臣選出のあおりを受けたものと解釈したいのですが、稚拙な音楽ブログと全く関係あるはずもなく、ただただ内容が至らぬだけのことでありましょう。
そんなつまらぬことをぼやいておりますが、今回もジャクソン・ブラウンが参加したアルバムを取り上げてしまいました。ご登場いただくのはアイルランドのアコーディオン/フィドル奏者シャロン・シャノン。彼女が豪華ゲストを招いて2000年にリリースした『The Diamond Mountain Sessions』がお題です。

ダイヤモンド・マウンテン・セッションズダイヤモンド・マウンテン・セッションズ
(2001/01/20)
シャロン・シャノン&フレンズ

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1. Costa de Galicia
2. Galway Girl
3. Diamond Mountain
4. Slan le Van
5. Four Jimmys [The Fitz Theme]
6. A Man of Constant Sorrow
7. Say You Love Me
8. Pernod Waltz
9. Hound of Letterfrack
10. On the Banks of the Old Pontchertrain
11. Love Love Love
12. Jota Do Porto Do Cabo
13. Fire in the Bellies
14. Northern Lights

シャロン・シャノンは1968年11月12日にアイルランドのクレア州に生まれました。幼少時よりアコーディオンを弾き始め、10代半ばにしてプロとして活動を開始しています。20歳の頃にトラッド・バンドのアーカディに参加。その後、孤高の吟遊詩人と評されるマイク・スコット率いるザ・ウォーター・ボーイズに加入(1989-90)し、世界中をツアーで回りながら経験を積み、ロック、ジャズ、カントリー、ブルースといった様々な音楽の要素も吸収していきました。1991年にはファースト・アルバムを発表。彼女の門出を祝うように、ザ・ウォーター・ボーイズやU2のメンバーが参加しています。

今回紹介するのはシャロン・シャノンにとって4枚目のアルバムとなる『The Diamond Mountain Sessions』。シャロンのお気に入りのアーティストをゲストに迎えたオムニバス形式で構成された一枚です。彼女の類稀な演奏テクニックと豊かな表現力がゲスト・アーティストの個性と融合し、新たなる魅力を生み出していました。

アウトローと称されるカントリー・ロッカーのスティーヴ・アールがヴォーカルを担当した「Galway Girl」。スティーヴのオリジナル作品で、彼が2000年に発表した『TRANSCENDENTAL BLUES』にも収録されていました。


むさくるしい・・・・・・もとい雄々しいスティーヴ・アールのバックでアコーディオンを奏でる可憐なシャロン・シャノンの姿をご覧ください。


ジャクソン・ブラウンをゲスト・シンガーに迎えたトラディショナル曲「A Man of Constant Sorrow」。ボブ・ディランも1962年のデビュー・アルバム『Bob Dylan』の中で歌っていました。なお、ボブ・ディランのヴァージョンとは歌詞が異なります。ジャクソン・ブラウンはボブ・ディランのヴァージョンが昔から好きだったと語っていましたが、独自性を発揮するために歌詞を書き替えたのかもしれません。


A MAN OF CONSTANT SORROW
俺は悲しみの絶えぬ男
面倒なことばかりに出会う毎日
コロラドに別れを告げよう
そこは少年時代を過ごしたところさ
君の母さんが言うには
俺はよそ者だと
君がこの俺を見ることはもうないだろう
でも一つだけ約束しよう 可愛い人よ
俺たちは神様の黄金の岸辺でまた巡り会うのさ

俺はカリフォルニアに戻る
俺が生まれたところだ
君からこんなひどい仕打ちを受けると分かっていたなら
神に懸けて絶対にこんな所へ来やしなかったよ

この世にいる限り俺はあてもなくさまよう運命にある
氷や雪 霙や雨に打たれがら
俺は旅立とう 悲しみは水に流し
そしてスペイン南部への道をたどるのだ

ボブ・ディランのヴァージョンは1962年発表のデビュー・アルバム『Bob Dylan』に収録されています。


アリソン・クラウス&ユニオン・ステーションのライヴ映像も宜しければご覧ください。猛者たちに囲まれた紅一点のアリソン・クラウス。彼女のフィドルの音色が清涼剤のように印象的です。


一般市民の視点や感覚でアメリカ社会の苦悩を浮き彫りにすることで定評のあるジョン・プライン参加の「 Love Love Love」。シャロン・シャノンと同じくアコーディオンが本業のMary Stauntonがリード・ヴォーカルを取っています。この曲はジョン・プラインの作で、彼のオリジナル・ヴァージョンは1986年発表の『German Afternoons』に収録されていました。


この他にもジャクソン・ブラウンと関連の深いガルシアのガイタ(バグパイプ)奏者カルロス・ヌニェスが参加した「Costa de Galicia」、6本のフィドルの競演に圧巻される「Northern Lights」など聴きごたえのある曲に魅了されます。
軽快でドライヴ感溢れるアコーディオンの音色とチャーミングな容姿。1994年リリースのセカンド・アルバム『Out The Gap』ではUKレゲエの重鎮デニス・ボーヴェルのプロデュースのもとレゲエ/ダブのリズムを取り入れるなど、トラッドの枠にとらわれない姿勢で音楽性の幅を広げる作業を行ってきました。瑞々しい感性と豊富なアイデアを持ったシャロン・シャノンは今後も新しい試みに満ちたトラッド音楽を作り出して行くことでしょう。

2009年にシャロン・シャノンとザ・ウォーターボーイズが共演した映像です。この「Saints & Angels」は2009年にシングル盤でリリースされました。


もう1曲。1992年頃の映像でボブ・ディラン作の「Forever Young」です。ザ・ウォーターボーイズのグループ名の由来はルー・リードのアルバム『Berlin』(1973年発表)に収録された「The Kids」の歌詞から借用されていましたが、マイク・スコットはボブ・ディランにも影響を受けているとのこと。翳りのあるマイク・スコットの歌声ですが、ディランを彷彿させる印象も窺えます。

Jann Arden - Living Under June

ジャクソン・ブラウンの記事を連投しましたが、今回は彼がデュエット・パートナーとして参加した曲が収録されたジャン・アーデンのアルバム『Living Under Jane』を取り上げます。

Living Under JuneLiving Under June
(1995/02/28)
Jann Arden

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1. Could I Be Your Girl
2. Demolition Love
3. Looking for It (Finding Heaven)
4. Insensitive
5. Gasoline
6. Wonderdrug
7. Living Under June
8. Unloved
9. Good Mother
10. It Looks Like Rain
11. I Would Die for You [*]

ジャン・アーデンは1962年3月27日にカナダのアルバータ州カルガリーにて生を受けました。歌い始めたのは14歳の頃で、高校時代には作曲をするようにもなっています。20歳になるとバンクーバーの路上やカフェで歌い出したものの生計を立てられず、サケ漁やゴルフ場などで働く日々を送りました。
そんな生活を約十年も強いられた彼女に転機が訪れます。自主制作でシングルをリリースしたのがきっかけとなってイアン&シルビアのマネージャーと知り合ったのが1987年6月。その5年後の1992年に念願かなってデビューに漕ぎ着け、翌93年にアルバム『Time For Mercy』を発表するチャンスに恵まれたのでした。
その後はヨーロッパ各国でのショーケースやアズテック・カメラのオープニング・アクトとして全米を回るなどして腕を磨き、1994年に今回紹介するセカンド・アルバム『Living Under The June』を発表します。フォーク・ロック色を基調に繊細さと力強さが窺えるサウンドは女性らしい優しさ、支えてあげたくなるような弱さ、サケ漁に従事していたことから湧き上がったと思われる力強さが同居しているようです。

オープニング・ナンバーの「Could I Be Your Girl」。ウエスト・コースト風のロック・サウンドですが、歌詞のほうは宗教と欲望という相反するものが絡まりなかなか辛辣です。


こちらもウエスト・コースト風のロック・ナンバー「 Insensitive」。愛欲の情念が込めらた曲です。


「恋人になって、私の(恋の)特効薬となって」と懇願するように歌う「Wonderdrug」。シンプルなラヴ・ソングです。


ジャクソン・ブラウンをデュエット・パートナーに迎えた「Unloved」。アイリッシュ・フォークを思わすような節回しですが、ジャクソン・ブラウンの作風をも彷彿させます。ちなみに、このアルバムのレコーディングはジャクソン・ブラウン所有のスタジオで行われました。


UNLOVED
残念賞はないようだ
今回は見事に骨が打ち砕かれた
洗礼はなく、やり直しはきかず、甘い勝利の味もない
星はすべて空から落ちた
あいだにあるものすべても
人工衛星は目を閉じ
月は眠りに入った
愛されない 愛されない 愛されない 愛されない

私はホテルの中にいる
溢れ出た数えきれないほどの言葉に息を詰まらせて
煙草は焼けこげた穴を作り
夢は酒で潰えて一文無し
私は父親の両腕の中にいる
骨まで酔いしれた体 飲み干したウイスキー
今は優しく囁いてくれ
私は死なないだろうと言ってくれ
愛されない 愛されない 愛されない 愛されない

私は誰もいない玄関ホール
割れた窓 雨の夜
私は1962歳 戦いの準備はできている
人々がハレルヤを叫ぶ間に
弾丸が銃から放たれる
落ちて来る 落ちて来る 落ちて来る人々
どこから落ちて来るのか私には分からない  
愛されない 愛されない 愛されない 愛されない

優しさが盲目から我らを導き出すことを望む
生ける魂すべてがもうこんな風に感じなくてもいいように
愛されない 愛されない 愛されない 愛されない
愛されない 愛されない

前向きに力強く生きて行こうというメッセージが込められた「Good Mother」。


ピアノがフィーチャーされたブルージーな「It Looks Like Rain」。切なく寂しげな曲ですが恋の成就が歌われているようです。


あなたのためなら死ねると一途な愛を歌う「 I Would Die for You 」。


2009年までに8枚のアルバム(ベストやライヴを除く)を発表し、本国カナダでは高い人気を誇るジャン・アーディンですが、日本での知名度は未だに低いまま。リスナーを自然と引き込むような不思議な魅力を持った人だけに残念です。