好きな音楽のことについて語りたいと思います。

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Lindisfarne - FOG ON THE TYNE

一向にアクセス数が伸びない状況です。一日三桁到達は未だ叶わぬ遠い夢。独断と偏見に満ち、オリジナリティのない稚拙な内容に問題があるのでしょう。このままあまねく受け入れてもらえないとなると張り合いがなく、そろそろ潮時を考える必要があるのかもしれません。

さて、自虐的でネガティヴな思考をしていてもつまらないので、誠に勝手ながら開き直って好きな音楽を語ることに致します。今回ご登場願うアーティストは1970年代前半のイギリスで、トラッドをベースに特有のフォーク・ロック・サウンドを奏でて好評を博したリンディスファーンの皆様。取り上げるお題は彼らが1971年に発表したセカンド・アルバム『FOG ON THE TYNE』です。

Fog on the TyneFog on the Tyne
(2004/06/15)
Lindisfarne

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1. Meet Me On The Corner
2. Alright On The Night
3. Uncle Sam
4. Together Forever
5. January Song
6. Peter Brophy Don't Care
7. City Song
8. Passing Ghosts
9. Train In G Major
10. Fog On The Tyne
11. Scotch Mist
12. No Time To Lose

イングランド北東部の小都市ニューカッスルで幼なじみが中心となって結成されたリンディスファーン。アラン・ハル(ギター、ヴォーカル、ピアノ)、ロッド・クレメンツ(ベース)、レイ・ジャクソン(ヴォーカル、ハーモニカ、マンドリン)、レイ・レイドロウ(ドラムス、パーカッション)、サイモン・カウ(リード・ギター、マンドリン、ピアノ)らのメンバーによる5人組です。
最初はロッド・クレメンツ、レイ・ジャクソン、レイ・レイドロウ、サイモン・カウ、ジェフ・サドラーらでDOWNTOWN FACTIONなる名前を名乗ってブルース・ロックを演奏していましたが、シンガー・ソング・ライターでもあったアラン・ハルの経営するクラブに出演しているうちに彼と意気投合。サドラーが抜けた後任としてアラン・ハルが加わり、音楽性も彼の影響を受けていきます。
1970年に運良くカリズマ・レコードの目に留まり契約が成立。リンディスファーンと名を改め、その年にアルバム『NICKY OUT OF TUNE』でデビュー。セールス的には振るわなかったものの見事なコーラスと繊細ながらも親しみやすいメロディで徐々に人気を集め、新人グループとしての存在を示すには十分な結果を得ました。
翌71年にはボブ・ディランやサイモン&ガーファンクルらを手掛けたボブ・ジョンストンをプロデューサーに迎え、アメリカ風のフォーク・ロックの要素を加味。そうしてリリースされたのがこの『FOG ON THE TYNE』です。

それではアルバムの中から何曲か紹介します。オープニング・ナンバーは「Meet Me On The Corner」。


MEET ME ON THE CORNER
なぁ夢売り屋さんよ、どこに行っていたんだ
俺が見ることの出来る夢はあるのかい
あんたにこの歌を届けたくて俺は来たんだ
俺に夢の一つでも分けてくれないか

あんたは俺に会ったことがないし
すぐに忘れるだろうから
俺があんたの袖を引っ張っても気にしないでくれ
待ち合わせ場所を確認したいんだ
俺が信じているのはあんたの夢だけだから

街灯がつく頃に街角で待ち合わせをしよう
必ず行くと約束する
誰もいない道を歩き夜明けへと消えよう
あんたに分けてもらえる夢があるのなら

敷物の束や思い出の品々を置いて
地面に衣類を広げてみなよ
あんたが韻を踏んでくれるのなら
俺には時間がある
ただぶらぶらしているだけなんだ

街灯がつく頃に街角で待ち合わせをしよう
必ず行くと約束する
誰もいない道を歩き夜明けへと消えよう
あんたに分けてもらえる夢があるのなら

敷物の束や思い出の品々を置いて
地面に衣類を広げてみなよ
あんたが韻を踏んでくれるのなら
俺には時間がある
ただぶらぶらしているだけなんだ

「明日が昨日になってしまうのと同じくらい確実に自分のものだと思っていた愛は消えて行く」との虚無感が漂う「January Song」。


都会生活を背景に「都会の街、君の嘘は見抜ける/君のゲームには付き合わないよ」と恋人との別れが歌われた「City Song」。


2003年のツアー時のライヴ映像と思われる「Passing Ghosts」。


ブルース・ナンバーの「Train In G Major」は1972年にフランスのTVショーに出演した際のライヴ映像をご覧ください。


少々ユーモラスな曲調の表題曲「Fog On The Tyne」。


1973年のフランスでのライヴ映像のようです。


トラディショナル・フォークとロックン・ロールが融合したような「No Time To Lose」は1971年のライヴ映像でお楽しみください。


英国的な翳りを残しつつも、明るくリラックスしたような音の響き。アメリカン・ポップスやウエスト・コースト・サウンド、あるいはThe Bandのような土の香りのする音とも通じるものが窺えます。そうした音楽性はメンバーの嗜好も反映されているようで、ザ・ビートルズ、ボブ・ディラン、ニール・ヤング、レナード・コーエンなどの名前が彼らの好みのアーティストとして挙げられていました。
アルバムは全英1位を獲得し、シングル・カットされた「Meet Me On The Corner」も全英5位まで上昇。成功を決定づける作品となりました。
1972年にサード・アルバム『DINGLY DELL』を発表。順調な活動を続けて行くように思えたものの、アラン・ハルと幼なじみを中心としたメンバーとの間の関係が次第に悪化していきます。結局、ロッド・クレメンツ、レイ・レイドロウ、サイモン・カウの3人が脱退してジャック・ザ・ラッドを結成。残されたアラン・ハルとレイ・ジャクソンは新たなメンバーを補充してリンディスファーンを続けていきました。

1975年頃にTVショーに出演したジャック・ザ・ラッドの映像です。


その後は両者とも鳴かず飛ばずの状況に陥り思うような成果を上げること出来ず、1977年に脱退組がリンディスファーンに復帰。翌78年にアルバム『Back and Fourth』を発表するに至ります。1990年頃までこのオリジナルのライン・ナップで活動した後、年齢を重ね、個人的な事情もあってか一人また一人と抜けざるを得ない状況になっても解散せず、メンバーを補充しながらバンドを維持。残念ながらアラン・ハルは1995年に他界しましたが、ロッド・クレメンツを中心に据え、地元ニューカッスルを基盤として2004年頃まで活動を続けました。

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The Band - JERICHO

ボブ・ディランさんが長期に渡る来日公演に勤しんでおられます。そこで今回は彼と縁の深い方々のアルバムを取り上げることにしました。ご登場していただくのはThe Bandの面々。お題は1993年に発表された『JERICHO』です。

JerichoJericho
(2006/02/21)
The Band

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1. Remedy
2. Blind Willie McTell
3. Caves of Jericho
4. Atlantic City
5. Too Soon Gone
6. Country Boy
7. Move to Japan
8. Amazon (River of Dreams)
9. Stuff You Gotta Watch
10. Same Thing
11. Shine a Light
12. Blues Stay Away from Me

ザ・バンドがボブ・ディランやエリック・クラプトンらを始めとする錚々たるメンバーをゲストに迎えて『THE LAST WALTZ』と題するフェアウェル・コンサートを行ったのは1976年11月25日。このステージの模様はマーティン・スコセッシ監督により映画化され、サントラ・アルバムもワーナー・ブラザーズから78年にリリースされています。
ところが、豪華な解散興行を行ったにもかかわらず、77年にアルバム『Islands』がリリース。何か釈然としないものを感じましたが、ワーナーに移籍して『LAST WALTZ』を発表する見返りとしてもう1枚分のアルバムを制作するというキャピタル・レコードとの契約を履行するために発表されたことが判明して納得したものです。
ラスト・アルバムとなった『Islands』。元の所属先のキャピタル・レコードから「君らなに浮かれてんねん。もう一枚アルバム作る契約が残っとるやろ。あほか」と怒られ、「すんまへん。急いで作りますよってかんにんしておくんなはれ」という風なやり取りがあったのかどうかは定かではありませんが、名曲「Georgia On My Mind」の名演が含まれていたもののいかにも急ごしらえといった内容は消化ゲームのような出来映えと酷評されました。もし翌年に『LAST WALTZ』が発表されなければザ・バンドの活動は寂しく幕が引かれたことになったでしょう。
5人のメンバーは解散後、それぞれの道を歩み始めました。ロビー・ロバートソンはマーティン・スコセッシ監督の映画『Raging bull』(1980年公開)の音楽監督を担当。リヴォン・ヘルムはRSOオール・スターズを結成。リック・ダンコもソロ・アルバム『Rick Danko』(1977年発表)。リチャード・マニュエルとガース・ハドソンは主に他のアーティストのレコーディングに参加することを生業としていました。
1982年、リヴォン・ヘルムとリック・ダンコがアコースティック・デュオを組んでツアーを開始したのがきっかけとなってザ・バンド再結成の気運が高まります。翌83年、ロビー・ロバートソン以外の4人によりザ・バンドは再結成。メンバーを新たに補充してツアーを行いました。
1986年、リチャード・マニュエルがツアー中に自らの命を絶つという出来事があったもののその後も精力的にライヴ活動を続行。1993年にはボブ・ディランのデビュー30周年コンサートにも駆けつけています。
そうした実績が実ったのか、1990年代の初頭にCBSと契約し、スタジオアルバムを制作。しかし、 ロビー・ロバートソンのソロ・アルバム『Robbie Robertson 』(1987年発表)、『Storyville』(1991年発表)の売り上げが芳しくない状況からザ・バンドの神通力も過去のものとの判断がなされたのか発売が見送られました。そんな不運にめげず、ザ・バンドのメンバーは一部をその後再録音するなど手直しをし、1993年にようやくマイナー・レーベルから『JERICHO』と題するアルバムのリリースに漕ぎ着けます。
プロデュースはお馴染みのジョン・サイモン。ロビー・ロバートソンに代わるギタリストとしてツアー・ギタリストとして経験が豊富で、リヴォン・ヘルムのバンドのメンバーでもあったジム・ウエイダー、リチャード・マニュエルの穴を埋めるキー・ボード・プレイヤーにはジャニス・ジョプリンのフル・ティルト・ブギ・バンドのオリジナル・メンバーで、ジョン・セバスチャンやボニー・レイットらのバックで活躍して来たリチャード・ベル、さらにはランディー・シャーランテ(ドラムス)を迎えた6人編成の新生ザ・バンドの姿がここにありました。

それではアルバムの中から何曲か紹介します。オープニング・ナンバーはリヴォン・ヘルムがリード・ヴォーカルを担当する「Remedy」です。ホーン・セクションがフイーチャーされたザ・バンドお得意のニューオーリンズ風のR&B。ロビー・ロバートソンのギターが聴けないのは残念ですが、ジム・ウェイダーのプレイもなかなか味があります。今回はライヴ映像でお楽しみください。


ボブ・ディラン作の「Blind Willie McTell」。アルバム『Infidels』(1983)制作時のアウト・テイクで、1991年に発表された『The Bootleg Series Volumes 1–3 (Rare & Unreleased) 1961–1991』で陽の目を見た作品です。


BLIND WILLIE McTELL
門柱に突き刺さった矢に記されていた言葉が目に入った
「ニューオーリンズからエルサレムまでに至るまでの
土地の収用を宣告する」と
俺はテキサスの東部を通って旅して来た
そこで多くの殉教者が倒れていた
分かってるのさ
ブラインド・ウィリー・マクテルのように
ブルースを歌える者は誰一人としていないってことを

彼らがテントをたたんでいる時に
俺はフクロウがホーホーと鳴くのを聞いた
実を結ばない木々を照らす星々が
奴の唯一の聴衆だった

濃灰色のジプシーの娘たちが
羽を広げながら気どって歩く
だけどブラインド・ウィリー・マクテルのように
ブルースを歌える者は誰一人としていない

大きな農園が燃えているのを見ろよ
鞭が打たれる音を聞けよ
マグノリアの花の甘い香りを嗅げ
奴隷船の亡霊を見よ
俺には部族の人々のうめき声が聞こえる
俺には葬儀屋が鳴らす鐘の音が聞こえる
ブラインド・ウィリー・マクテルのように
ブルースを歌える者は誰一人としていない

川のほとりに一人の女が
ハンサムな若い男と立っている
彼はまるで大地主のようにめかしこみ
密造酒を片手に持っている

鎖に繋がれた囚人がハイウェイを行く
俺には奴らの反逆の叫びが聞こえる
そしてブラインド・ウィリー・マクテルのように
ブルースを歌える者は誰一人としていない

天にまします神よ
俺たちは神の恵みを望んでいる
だがそこにあるのは
権力と欲望と腐敗に思える

俺はセント・ジェームズ・ホテルの窓から
外をじっと見ている
そしてブラインド・ウィリー・マクテルのように
ブルースを歌える者は誰一人としていない

ボブ・ディランのヴァージョンです。ディランはブルースを生んだアメリカ南部という土壌や黒人の歴史を鑑みながら現代社会の状況にも目を向け、誰もブラインド・ウィリー・マクテル(1898 - 1959)のようにブルースは歌えないのだと嘆くように歌っていました。


リチャード・ベル、ジョン・サイモン、リヴォン・ヘルム共作の「Caves of Jericho」。ケンタッキー州のジェリコ炭坑での事故による悲劇が歌われています、


マンドリンやアコーディオンの音色が興味深いブルース・スプリングスティーン作の「Atlantic City」。


ブルース・スプリングスティーンのオリジナル・ヴァージョンは『Nebraska』(1982)に収録されていますが、今回はライヴ映像でお楽しみください。


リチャード・マニュエルがリード・ヴォーカルを担当した「Country Boy」。1985年に録音していたヴァージョンとのことです。


マーティ・ウェブとダニエル・ムーア共作のゴスペル・ナンバー「Shine a Light」。


確かにザ・バンドのナンバーの殆どを手掛けたのはロビー・ロバートソンです。彼の不在は残念に他なりませんが、メイン・ヴォーカルを務めたリヴォン・ヘルムとリック・ダンコの健在ぶりが示されたことは何よりも有り難く思えたものです。また、ボブ・ディランの「Blind Willie McTell」のような楽曲はアメリカ人が忘れ去った歴史や伝統を歌って来た彼らにとってこのうえない作品だったことでしょう。
新生ザ・バンドはこのあと、『High On The Hog』(1996)、『Jubilation』(1998)と2枚のアルバムをリリースします。しかし、かつてのような注目を浴びることはなく1999年にリック・ダンコが逝去。活動を停止しました。

Tom Waits - CLOSING TIME

トム・ウェイツのアサイラム時代の作品が紙ジャケット仕様でリリースされました。そこで今回は1973年に発表された彼のファースト・アルバムである『CLOSING TIME』を取り上げます。

クロージング・タイム(紙ジャケット仕様)クロージング・タイム(紙ジャケット仕様)
(2010/03/10)
トム・ウェイツ

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1. Ol' 55
2. I Hope That I Don't Fall in Love with You
3. Virginia Avenue
4. Old Shoes (& Picture Postcards)
5. Midnight Lullaby
6. Martha
7. Rosie
8. Lonely
9. Ice Cream Man
10. Little Trip to Heaven (On the Wings of Your Love)
11. Grapefruit Moon
12. Closing Time

以前にトム・ウェイツの『Blue Valentine』を扱った時に彼の簡単なプロフィールを記しましたが、少しばかり補足したいと思います。
1949年12月7日にカリフォルニア州バモーナに生まれたトム・ウェイツ。彼が10歳の頃に両親が離婚、15歳の時には母と姉とともに隣国メキシコに近い観光地であるサン・ディエゴに引っ越しました。
幼き頃よりフランク・シナトラやルイ・アームストロングに親しみ、思春期になるとフォーク、ブルース、R&B、ジャズなどに傾倒。ことにボブ・ディランがお気に入りだったようで、彼を通してジャック・ケルアックを始めとするビートニク文学に感化されていったようです。
家庭の事情もありトムは16歳で高校を中退。ピザ・ハウスで働き始めます。その後もクラブや娯楽施設の多いこの地で職業を転々と変え、学校では味わうことのない人生経験を積んでいきました。
そうした生活が続く中でミッション・ビーチへ移住し、やがて自ら歌を作り、ギターとピアノを演奏しながら地元のクラブで歌い始めるようになります。独特の個性を持った彼の歌は次第に周囲の評判を呼びました。
自信を得たトム・ウェイツは1970年初頭、名門クラブ、「トルヴァードール」の新人オーディションを受けるためにロサンゼルスへ向かいます。デビューを目指す百戦錬磨の強者が集う中、トムは見事に合格して出演が決定。数曲を人前で歌うチャンスをつかんだのでした。
翌1971年、トム・ウェイツはMFQ、フランク・ザッパ、ティム・バックリィらのマネージメントを行い、アサイラム・レコードとも関係の深いハーブ・コーエンに見初められます。 コーエンはソング・ライターとしてトムと契約を結び、デモ・テープを制作。翌72年、トムのライヴ・パフォーマンスがアサイラムの社長であるデヴィッド・ゲフィンの耳に留まり、アーティストとしての契約に至ります。
トム・ウェイツのファースト・アルバムのプロデュースには元MFQのメンバーで、アソシエーション、ラヴィン・スプーンフル、ティム・バックリィのプロデューサーとして知られるジェリー・イエスターを起用。彼はミュージシャンであり、コンポーザー、アレンジャーでもある才人でした。
ボブ・ディランを敬愛するものの、1960年代のロックよりもジャズやR&Bといった黒人音楽に多大な影響を受けたトム・ウェイツの音楽性。声質はしわがれ声のディランとは異なり、むしろルイ・アームストロングを彷彿させるだみ声。シンガー・ソング・ライターが脚光を浴び始めた1972年前後のアメリカの音楽界には少々そぐわないタイプの新人だったのかもしれません。そうしたロック・ミュージックと少し距離を置いたようなトムの個性や特性を生かしながらも時代の潮流に合わせ、リスナーに受け入れられるサウンドに仕上げるためにイエスターは苦心したものと思われます。

それではアルバムの中から何曲か紹介します。オープニング・ナンバーは「Ol' 55」。


続いて、前述のデモ・テープのヴァージョンから。このデモ録音は『The Early Years 』(1991)及び『The Early Years Vol. 2』(1993)としてリリースされました。この「Ol' 55」は『Vol. 2』に収録。


OL' 55
時は早く過ぎ行く
だから俺はいつもの「55」(高速道路)を
全速力で突っ走った
速度を落とすと心が洗われる気がした
生きていると実感したのさ

今まさに夜が明け
俺は幸福の女神を乗せて走る
フリーウェイは車とトラックで一杯
星が消え始め 
俺はパレードを先導する
もう少しこのまま走り続けたいと願いながら
この押さえられぬほどの気持ちをおまえに伝えたいのさ

朝6時になると
促されなくとも
俺は出発しなければならなかった
トラックがみんな俺を追い越し
ライトがまぶしい
こうして俺はお前のところから
自分の居場所へ帰るんだ

今まさに夜が明け
俺は幸福の女神を乗せて走る
フリーウェイは車とトラックで一杯
星が消え始め 
俺は星々のパレードを先導する
もう少しこのまま走り続けたいと願いながら
この押さえられぬほどの気持ちをおまえに伝えたいのさ

時は早く過ぎ行く
だから俺は懐かしの55へ全速力で突っ走った
速度を落とすと心が洗われる気がした
生きていると実感したのさ

今まさに夜が明け
俺は幸福の女神を乗せて走る
フリーウェイは車とトラックで一杯
フリーウェイは車とトラックで一杯
フリーウェイは車とトラックで一杯

この「55」は55年型の車を意味するとの説があります。ここではニュー・ジャージー州の州間高速道路「Route 55」として訳しましたが、ダブル・ミーニングと解釈するほうが適切なのかもしれません。

この曲はイーグルスのアルバム『On The Border』(1974)で取り上げられ、トム・ウェイツに莫大な印税収入をもたらしました。カヴァー・ヴァージョンは枚挙に暇がありませんが、今回はサラ・マクラフランのヴァージョンを紹介します。彼女が1995年にリリースしたアルバム『The Freedom Sessions』(1995)に収録。


他にもイアン・マシューズ(1973年発表の『Some Days You Eat The Bear』に収録)、エリック・アンダーセン(1975年発表の『Be True You』に収録)、ショーン・コルヴィン(1994年発表の『Cover Girl』)など秀逸なカヴァーが多数存在します。

シンガー・ソング・ライター的なサウンドのアプローチが施された「I Hope That I Don't Fall in Love with You」は『The Early Years 』から。「おまえに恋などしたくない/恋は憂鬱なものさ」と言いながらも女性の素振りが気になる純粋な男心が描かれています。


ブルージーなギター、ミュート・トランペットがジャズの色合いを濃く醸し出した「Virginia Avenue」。


ジャジーなミュート・トランペットの音色とトムの抑制されたヴォーカルが心に滲みる「Midnight Lullaby」。


40年前に愛し合ったが成就することなく別れ、お互い家族持ちになった今、かつての恋人に愛を告白する「Martha」。


孤独感が漂うピアノの音色とともに「俺は人生を知っているつもりだったが寂しい」と歌われる「Lonely」。


メランコリックな「Ice Cream Man」は『The Early Years』のヴァージョンでお聴きください。


ジャジーなバラードといった風情の「Little Trip to Heaven (On the Wings of Your Love)」。こちらも『The Early Years』収録のヴァージョンから。


ジェリー・イエスターのアレンジによるインストゥルメンタル・ナンバー「Closing Time」。
酒場で飲んだくれ、ピアノにもたれかかるようにして眠っていトム・ウェイツ。朝を迎え、行き交う人のない通りをただ一人で家路を辿るといった情景が浮かびます。


トム・ウェイツが紡ぎ出す歌には都会の姿がリアルに映し出されていました。それは摩天楼がそびえるオフィス街ではなく、薄汚れた裏通りにおける様々な人間模様が描かれていたのです。16歳という多感な時期に、夜の街で働くことを余儀なくされたことによる経験が創作の下敷きとなっていたのでしょう。都会人の悲哀、悲恋、心情の描写が自身の屈折感ともあいまって、彼特有の鋭い観察眼を通した独自の世界が構築されていました。アルバム制作時のトム・ウェイツはまだ24歳。既に人生を達観したような雰囲気を表現していたのです。

評論家の評価が高かったものの商業的には芳しくなかったトム・ウェイツのファースト・アルバム。トムも「もっとジャズ寄りの音にしたかった」と漏らします。デヴィッド・ゲフィンはそんなトムの意をくみ、セカンド・アルバム以降はジャズ・ドラマーの経験があり、フィフス・ディメンションの『Stoned Soul Picnic』(1968)のプロデューサーとしても実績のあるボーンズ・ハウにプロデュースを託しました。こうしてジャジーなトム・ウェイツ独特の世界が確立して行くのです。

The Early Years, Vol. 1The Early Years, Vol. 1
(1995/06/06)
Tom Waits

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The Early Years, Vol. 2The Early Years, Vol. 2
(1998/08/25)
Tom Waits

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Linda Ronstadt - Mad Love

今回はリンダ・ロンシュタットの『Mad Love』を取り上げます。このアルバムが1980年に発表された時、ファンの間でちょっとしたセンセーションを巻き起こしました。従来のカントリー色が薄れ、バンド・サウンドによるロックン・ロールの色合いが濃く表されていたのです。

Mad LoveMad Love
(1990/10/25)
Linda Ronstadt

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1. Mad Love
2. Party Girl
3. How Do I Make You
4. I Can't Let Go
5. Hurt So Bad
6. Look Out for My Love
7. Cost of Love
8. Justine
9. Girls Talk
10. Talking in the Dark

ジャクソン・ブラウンやエリック・カズといった無名に近かったシンガー・ソング・ライターの楽曲をいち早く取り上げて世に送り出したリンダ・ロンシュタット。このアルバムでも先見の明ありといった調子で、新進気鋭として注目を浴びていたエルヴィス・コステロ、マーク・ゴールデンバーグ、ビリー・ステインバーグといったアーティストの曲が収録されていました。
その後のエルヴィス・コステロの活躍ぶりに関しては言うに及びません。マーク・ゴールデンバーグはギタリストとして所属していたクリトーンズを解散した後、一時的に活動の場を日本に移して3枚のソロ・アルバムをリリース。ファースト・アルバム『L' HOMME A VALISE(鞄を持った男)』(1984)の収録曲の別ヴァージョンがアルチュール・ランボーをイメージしたサントリーのCMで使われました。また、ポインター・シスターズ、オリヴィア・ニュートン・ジョン、ピーター・セテラ(元シカゴ)への楽曲提供でも知られています。現在はジャクソン・ブラウンのバック・バンドで活動中。ビリー・ステインバーグは元フールズ・ゴールドのトム・ケリーとのコンビでマドンナの「Like A Virgin」(1984)、シンディ・ローパーの「True Colors」(1986)、ホイットニー・ヒューストンの「So Emotional」(1988)などのヒット曲を手掛けました。また、このコンビはi-TENというバンド名義で1983年にアルバム『Taking A cold Look』を発表しています。

マーク・ゴールデンバーグ作の「Mad Love」。「あなたに狂ってしまった。恋に狂ってしまった」と歌うリンダの表情や仕草が何ともキュートです。


エルヴィス・コステロ作の「Party Girl」。激しくシャウトした「Mad Love」とは大きく変わり、しっとりと想いを込めて歌っています。


エルヴィス・コステロのオリジナル・ヴァージョンは『Armed Forces』(1979)に収録。


ビリー・ステインバーグ作の「How Do I Make You」。「とても若いあなた/でもあなたの気持ちは深い」と年下の男性に向けて歌われているようです。この人に言い寄られたら簡単に誘惑されてしまいそう。


テレビ・ショーに出演時のライヴ映像のようです。


拙ブログではお馴染みのチップ・テイラー&アル・ゴーゴニ作の「I Can't Let Go」。


ライヴ映像です。


以前にも紹介したイーヴィ・サンズのヴァージョンです。


ホリーズのライヴ映像です。彼らのオリジナル・テイクは1966年発表の『Would You Believe?』に収録。


R&Bグループのリトル・アンソニー&ザ・インペリアルズが1965年にヒットさせた「Hurt So Bad」。リンダの感傷的なヴォーカルと胸を突き刺すようなギターの音色が印象的です。




HURT SO BAD
ここにこうして立ってあなたを見ている
私の気持ちなんてあなたには分からないでしょうね

だから教えてあげる
こんなに傷つき苦しんでいることを
悲しくてやりきれない
辛くて落ち込ませるの
再びあなたに会うことが

糸と針で縫ったように辛辣な
「君は結構うまくやっているね
アイツは今恋をしているから
邪魔しちゃ駄目だよ」
という人々の言葉

だから教えてあげる
こんなに傷つき苦しんでいることを
悲しくてやりきれない
辛くて落ち込ませるの
再びあなたに会うことが

お願い ここにいて
もう一度やり直させて
あなたが望むことなら何でもするわ
前に愛してくれたじゃないの
もう一度愛して
あの人のところになんか行かせないわ
お願い 行かないで
お願いだから 行かないで

お願い 行かないで
どうか 行かないで
辛いのよ
戻って来てね 辛いから
これ以上苦しめないで
どうかお願いだから

ああ
戻って来て 辛くてやりきれない
戻って来て 辛くてたまらない
どうか お願いだから
もう どうしようもないの

インペリアルズのオリジナル・ヴァージョンは全米10位まで上昇しました。


マーク・ゴールデンバーグ作の「Cost of Love」。「愛の価値があなたに分かるまで会いたくないわ」とお金では買えない愛を歌っていました。


女性のお喋りで始まるエルヴィス・コステロ作の「Girls Talk」。コステロのヴァージョンは1980年にリリースされたシングル「I Can't Stand Up For Falling Down」のB面に収録。後にアルバム『GET HAPPY!!』(1980年)の1994年再発盤、2002年再発盤のボーナス・トラックとして収められました。


リンダに先駆けてデイヴ・エドマンズが1979年のアルバム『Repeat When Necessary』でレコーディングしていました。ニック・ロウらと組んでいたロック・パイルのライヴ映像でご覧ください。


2008年、デイヴ・エドモンズがスクイーズのジュールズ・ホランドが司会を務めるテレビ番組『ジュールズ倶楽部』(英BBC制作)に出演したときの映像です。


今回はデイヴ・エドマンズの特集ではないのですが、もう一本。彼はリンゴ・スター・オールスター・バンドの一員でもありますので、宜しければそちらの映像もお楽しみください。

http://www.youtube.com/watch?v=T4aZ0oTHrDY

パティ・スミスを彷彿させるようなロックン・ローラーとしての存在感を示したような格好のリンダ。結果的に時流をうまく取り込むことで、従来のファン層であるウエスト・コースト・サウンドやアメリカン・ポップスの愛好者に加え、幅広い支持をこのアルバムで獲得することになったと思われます。発表当時は問題作との声が聞こえましたが、「I Can't Let Go」や「Hurt So Bad」といったオールディーズや親交の深いニール・ヤングの「Look Out For My Love」なども収録されており、さほど違和感を覚えませんでした。ここでのシンプルでストレートな味わいに、新鮮な響きが感じられたものです。
アルバムのレコーディングにはダン・ダグモア(ギター)、マーク・ゴールデンバーグ(ギター)、ボブ・グロウブ(ベース)、ラス・カンケル(ドラムス)、リトル・フィートのビル・ペイン(キー・ボード)らの腕利きを起用。楽曲を提供したマーク・ゴールデンバーグは1975年にアルバムをリリースしたサザン・ロックのジ・エディ・ボーイ・バンドに在籍し、ウェンディ・ウォルドマンのバックを務めた経歴のあるギタリストでもありました。
経験豊かなミュージシャンが織りなすサウンドを背景にある時は激しく、ある時は情感豊かにと変幻自在のリンダの歌声。新たな試みがなされ変化が取りざたされたものの、紛れもなく彼女の個性と度量が発揮された作品であると解釈できるでしょう。

Bob Dylan - Is Your Love In Vain?

来日公演が盛況のボブ・ディラン。今回は彼が1978年に発表したアルバム『STREET LEGAL』から「Is Your Love In Vain?」を取り上げます。

Street LegalStreet Legal
(2004/06/01)
Bob Dylan

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1. Changing of the Guards
2. New Pony
3. No Time to Think
4. Baby Stop Crying
5. Is Your Love in Vain?
6. Seor (Tales of Yankee Power)
7. True Love Tends to Forget
8. We Better Talk This Over
9. Where Are You Tonight? (Journey Through Dark Heat)

この曲が初めて人前で歌われたのは1978年2月28日の武道館。初来日公演での出来事でした。そして、その年の6月にリリースされたアルバム『Street Legal』の中の1曲として収められたのです。


IS YOUR LOVE IN VAIN?
愛してくれているのですか、
それともたんなる好意を差し伸べているだけ?
あなたが言葉で言う半分も私を必要としているのですか
それともやましさを感じているから?
私は前に身を焦がしたことがあるので
本質を知っている
だから愚痴をこぼしたりしない
あてにしていのでしょうか
それともむなしい恋なのですか?

あなたはとても放埒なので
私が孤独でいたいことがわからないのでしょう?
私が暗闇の中にいる時
なぜ入り込んで来るのですか?
私の世界を知っていますか
私がどういう種類の人間か分かっていますか?
それとも説明しなければなりませんか?
私を私のままでいさせてください
それともむなしい恋なのですか?

私は山に住んでいたこともあるし
風の中に住んでいたこともある
幸福だった時もあれば不幸なだった時もある
王様たちと食事をともにし
羽も提供された
それでもあまり感じたことはなかった

分かりました 賭けてみましょう 
あなたと恋に落ちましょう
私に思慮が欠けていたのならば
あなたには夜があるし朝がある
料理と裁縫ができますか
花は育てられますか
私の苦しみを理解できますか?
リスクを被ることもいとわぬ気持ちがありますか
それともむなしい恋なのですか?

ホーン・セクションとキー・ボードによる壮麗なイントロで始まり、美しいメロディを淡々と歌うボブ・ディラン。相変わらず皮肉な表現を交えているものの真摯な態度で臨む求愛のメッセージが綴られていました。
いい加減な恋をする気はないと述べるのは好感が持てますが、21世紀の社会において ”Can You cook and saw, make flowers grow(料理と裁縫ができますか/花は育てられますか)” といったようなくだりはフェミニストの方々からの抗議を受けかねません。また、男性からこんなに気難しい愛の告白をされるとなると辟易してしまう女性もおられることでしょう。

この「Is Your Love In Vain?」を含めてアルバムにはそこはかとなくゴスペル・フィーリングが漂っていました。そして、それは翌1979年に発表された『Slow Train Coming』からのいわゆる「キリスト教三部作」を予感させるものにも思えます。

来日公演の翌年である1979年にリリースされた『BOB DYLAN AT BUDOKAN』のヴァージョンです。イントロがなく全体的にシンプルでリラックスしたような雰囲気の演奏の中で歌われています。


At BudokanAt Budokan
(1996/06/03)
Bob Dylan

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モット・ザ・フープルのイアン・ハンターによるライヴ・パフォーマンス。モットのメンバーはなかなかのディラン・フリークが集まっていたようで、リード・ギターを担当していたミック・ロンソンは『Rolling Thunder Revue』(1975 - 1976)に加わり、日本公演にも帯同するのではないかと囁かれていました。


The Byrds - DR. BYRDS & MR. HYDE

前回はザ・ホリーズによるボブ・ディランのカヴァー・アルバムについて言及したので、今回はもともとディランの曲を得意としていたザ・バーズに登場していただくことにしました。取り上げるアルバムは1969年にリリースされた『DR. BYRDS & MR. HYDE』。もちろんディランのナンバーも含まれています。

Dr. Byrds & Mr. HydeDr. Byrds & Mr. Hyde
(2003/07/07)
The Byrds

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1. This wheel's on fire
2. Old Blue
3. Your gentle way of loving me
4. Child of the universe
5. Nashville West
6. Drug store truck drivin' man
7. King Apathy III
8. Candy
9. Bad night at the Whiskey
10. Medley (My back pages)
11. Stanley's song
12. Lay lady lay
13. This wheel's on fire (2)
14. Medley (2) (My back pages)
15. Nashville West (alternate version)

バーズのアルバムの中で全米153位どまりと最も売れなかった1枚に数えられる『DR. BYRDS & MR. HYDE』。しかし、クラレンス・ホワイトを正式メンバーに迎えて演奏面での充実が図られ、歌詞においてもメッセージ性が強く滲み出た内容の濃い作品でした。アルバム・タイトルはロバート・ルイス・スティーヴンソンの小説『The Strange Case of Dr. Jekyll and Mr. Hyde(ジキル博士とハイド氏)』(1930年以来、『Dr. Jekyll and Mr. Hyde』のタイトルなどで何度も映画化されている)をもじったもので、ルーツ・ミュージックへの傾倒と保守的な社会への批判といった二面性を象徴したものであると思われます。

それではアルバムの中から何曲か紹介します。オープニング・ナンバーはボブ・ディランとリック・ダンコ(The Band)の「This wheel's on fire」。ディストーションが効いたクラレンス・ホワイトのギターが唸り、緊張感のある演奏が「炎に包まれながら転がる車」の臨場感を醸し出しているようです。


THIS WHEELS ON FIRE
君の記憶が正しければ
俺たちは再び会うことになるのだ
そうしたら俺は荷物を全てほどき
遅くならないうちにくつろぐとしよう
いい話をもちかけて
君を喜ばせるような人はいない
俺たちは再び会えるんだ
君の記憶が正しければ

炎に包まれた車が道を転がっていく
まずは近親者に知らせるんだ
この車は爆発すると

君の記憶が正しければ
俺は組紐を君から取り上げるつもりだ
水兵結びを作って
君の鞄に隠すのさ
それが君のものだという確信を持っていたから
だけど ああ 気づくのは難しかった
俺たちは再び会えるんだ
君の記憶が正しければ

炎に包まれた車が道を転がっていく
まずは近親者に知らせるんだ
この車は爆発すると

君の記憶が正しければ
君は頼みを聞いてもらおうと
彼に頼んで彼らを呼んだのは
君だったと思い出すだろう
だけど君の計画が失敗に終わり
もう話すことは何もなかった
そうさ 俺たちは再び会えるんだ
君の記憶が正しければ

炎に包まれた車が道を転がっていく
まずは近親者に知らせるんだ
この車は爆発すると

1970年に発表された『Untitled』のリマスター盤(2000年発売)にボーナス・トラックとして収録されたライヴ録音です。


The Bandによるお馴染みのカヴァー・ヴァージョン。1968年リリースの『Music From Big Pink』に収録。


クラレンス・ホワイトとジーン・パーソンズ(ドラムス)が開発したストリング・ベンダー・ギターをフィーチャーしたトラディショナル曲「Old Blue」。年老いた愛犬ブルーへの思いが込められた軽快な歌です。


ギブ・ギルボーとゲイリー・パクストンが書いたカントリー・ナンバー「Your gentle way of loving me」。ギル・ギルボーはクラレンス・ホワイトやジーン・パーソンズらとナッシュヴィル・ウエストというバンドを組んでいたフィドラーで、その後はスワンプウォーターを経て、フライング・ブリトー・ブラザーズに加わります。ハーモニカの音色も印象的。


映画『Candy』(1969年公開)のためにデイヴ・グルーシンとロジャー・マッギンが共作した「Child of the universe」。テリー・サザーン原作の同名小説を映画化したこの作品はカウンター・カルチャーを背景にした青春エロティック・コメディといった内容で、マーロン・ブランド、ジェームズ・コバーン、ウォルター・マッソーらの名優に混じり、リンゴ・スターまでもが出演していたことでも知られています。なお原作者のテリー・サザーン(1926 - 1995)はスタンリー・キューブリック監督作品『Dr. Strangelove (博士の異常な愛情)』(1964年公開)でキューブリック監督らと脚本を共同執筆、『Casino Royale (007 カジノロワイヤル)』(1967)、ピーター・フォンダ、デニス・ホッパーらと脚本を共同執筆した『Easy Rider』(1969)などを手掛けた脚本家としても有名な人物。また、彼が書いた小説『The Magic Christian』もリンゴ・スター、ピーター・セラーズ、ラクエル・ウェルチ、ユル・ブリナー、クリストファー・リーなど錚々たるメンバーの出演によって1969年に映画化されました。


前述のバンド、ナッシュヴィル・ウエストのテーマ・ソングだった「Nashville West」。カリフォルニア州エル・モンテに実在したクラブからタイトルを拝借したもだそうです。


グラム・パーソンズとロジャー・マッギン共作による「 Drug store truck drivin' man」。今回はライヴ音源でお聴きください。ロック・ミュージシャンに対するナッシュヴィルの保守的な態度を皮肉った内容が描かれた曲で、クー・クラックス・クランという言葉も出て来ていました。パーソンズが南アフリカ公演を拒否して脱退する前に書かれた曲で、マッギンが新生バーズでこの曲をレコーディングしたことによりパーソンズとの関係がそれほど悪くなかったことを示しているように思えました。


フライング・ブリトー・ブラザーズ脱退後のグラム・パーソンズによる1973年のライヴ・パフォーマンス。ブログへの貼り付けが出来ないので、宜しければ下記のURLをクリックしてお楽しみください。

http://www.youtube.com/watch?v=v9_k1ypXStQ

ジョーン・バエズ&Jeffery Shurtleff によるライヴ音源。バエズはウッドストック・フェススティヴァルでもこの曲を歌っていました。


ブルースとカントリーの要素を融合させたサザン・ロック風の「King Apathy III」。1968年のライヴ音源とのことです。ロジャー・マッギンの作品。


もともとは前述の映画『Candy』のテーマ曲として書かれた「Candy」。ベース担当のジョン・ヨークとロジャー・マッギンの共作です。


サイケデリックな雰囲気の「Bad night at the Whiskey」。ロジャー・マッギンの友人であるジョーイ・リチャーズが作った曲で、当時彼らが入信していたサバド教の影響が窺われる内容の歌です。


前作『Sweetheart Of The Rodeo』と次作の『Ballad Of Easy Rider』に挟まれ、グラム・パーソンズ、クリス・ヒルマンら脱退組であるフライング・ブリトー・ブラザーズが作った『The Gilded Palace Of Sin』と比べると過小評価されている感が否めません。しかし、残留したロジャー・マッギンと新加入メンバーの意気込みが窺え、ここから本当の意味でのバーズによるカントリー・ロックが始まったようにも思える1枚でした。

The Hollies - HOLLIES sing DYLAN

まもなくボブ・ディランが来日します。今回はいつものようにディランの歌について勝手な解釈をだらだら述べるのではなく、趣向を変えてザ・ホリーズが1969年にリリースしたディランのカヴァー集『HOLLIES sing DYLAN』を取り上げることにしました。

シング・ディラン・プラス(紙ジャケット仕様)シング・ディラン・プラス(紙ジャケット仕様)
(2004/03/17)
ホリーズ

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1. When the Ship Comes
2. I'll Be Your Baby Tonight
3. I Want You
4. This Wheel's on Fire
5. I Shall Be Released
6. Blowin' in the Wind
7. Quit Your Low Down Ways
8. Just Like a Woman
9. Times They Are A-Changin'
10. All I Really Want to Do
11. My Back Pages
12. Mighty Quinn (Quinn the Eskimo)

ザ・ホリーズは小学校からの親友だったグラハム・ナッシュとアラン・クラークを中心として1962年に結成されたイギリスのロック・グループです。1963年にザ・ビートルズと同じEMIよりシングル「(Ain't That) Just Like Me 」でデヴューを飾り、その後「Stay」(ドゥー・ワップの名曲。オリジナルはモーリス・ウィリアムズ&ザ・ゾディアックス。後にジャクソン・ブラウンもカヴァー)が全英8位、翌64年に発表した「Just One Look」(オリジナルはドリス・トロイで全米10位のヒットとなったR&B。リンダ・ロンシュタットのカヴァー・ヴァージョンも有名)が全英2位、さらに65年の「I'm Alive」、66年の「I Can't Let Go」(拙ブログではお馴染みのチップ・テイラー&アル・ゴーゴニの作品)が全英1位を記録して着々と人気をつかんでいきました。

日本では1966年に全英3位、全米5位となったこの曲、「Bus Stop」があまりにも有名でしょう。作者は後に10ccで活躍するグレアム・グールドマンです。


1967年になるとカウンター・カルチャーやフラワー・ムーヴメントといった当時の時流に呼応するかのように、ホリーズは従来のポップ路線を基本としながらもサイケデリックな感覚を取り入れて音楽性に幅を広げていきました。このことは1966年の全米ツアー中にママ・キャス・エリオットやバーズのデヴィッド・クロスビーと親交を深め、ヒッピー文化にも関心を示したグラハム・ナッシュの影響力が大きかったと思われます。彼は同時にボブ・ディランにも傾倒。ロック・アーティストは社会に向けてメッセージを発信すべきとの見解を持ち始めていました。
ところが、ストリングスやブラスを導入し、シタールやSEを使ったサイケデリックな試みが必ずしも功を奏することはなく、1967年にリリースされたアルバム『Evolution』は全英13位まで上ったものの、続く『Butterfly』はチャート・インせず芳しい売り上げを残せませんでした。メンバーは次第にナッシュの志向に不満を抱くようになります。

日本公演が行われた1968年、グラハム・ナッシュはバンド内でますます孤立感を深めて行きました。リーダーとしての威厳も薄れ、後にCS&Nでもレコーディングすることになる自作の「Marrakesh Express」の発表を拒否される始末。バンドの低迷傾向を打破しようとしたのか、ディランに傾倒していたナッシュに配慮したのかリード・ギター担当のトニー・ヒックスの発案でボブ・ディランのカヴァー集が企画されたのですが、ナッシュは「我々はまだディランを演奏できる器ではない」と反対。彼にはディランの主張や感性をメンバーが十分に理解しないまま、話題性を狙って安易に扱おうとする行為に我慢がならなかったのかもしれません。また、親友アラン・クラークがヒックスらに同調したことにも失望の念を禁じ得なかったことでしょう。

1968年12月8日、ロンドン・パラディアムの公演を最後にナッシュはホリーズを脱退。アメリカに渡り、既に意気投合していたデヴィッド・クロスビーやスティーヴン・スティルス(元バッファロー・スプリングフィールド)らとクロスビー、スティルス&ナッシュを結成します。
ホリーズは元スウィンギング・ブルー・ジーンズのテリー・シルヴェスターをナッシュの後任に迎え、ディランの楽曲のレコーディングを続行。1969年5月にアルバム『HOLLIES sing DYLAN』として発表しました。

それではアルバム収録曲を全曲紹介します。オープニング・ナンバーは「 When the Ship Comes 」。バンジョーをフィーチャーして軽快に仕上げています。


ボブ・ディランのオリジナル・ヴァージョンは『The Times They Are a- Changin' 』(1964)に収録。


ピーター、ポール&マリーのカヴァー・ヴァージョンは『A Song Will Rise』(1965)に収録。ホリーズはこのヴァージョンを参考にしたと思われます。


パンク・ロックにケルト音楽の要素を融合したサウンドで注目されたイギリスのロック・バンド、ザ・ポーグスのヴァージョンは『Pogue Mahone』(1995)に収録。


アーロー・ガスリーのヴァージョンは『Hobo's Lullaby』(1972)に収録。今回はライヴ映像をご覧ください。


ハーモニカとコーラスが印象的なカントリー・タッチの「I'll Be Your Baby Tonight」。


I'LL BE YOUR BABY TONIGH
瞳を閉じて
扉を閉じて
もう心配しなくていいんだ
今夜は俺が君の恋人だから

灯りを消して 
カーテンを引いて
もう何も怖がらなくていいんだ
今夜は俺が君の恋人だから

あのモッキングバードは行ってしまうのさ
忘れてしまおう
大きくて太った月がスプーンのように輝く
好きなようにさせとこう
悔やみはしないよね

靴を脱いで 怖がらず
ワインを持ってここに
今夜の俺は君のものだから

ボブ・ディランのヴァージョンは『John Wesley Harding』(1967)に収録。


ノラ・ジョーンズのヴァージョン。2002年にマキシ・シングルで発売された中の1曲です。


転調を交えたアレンジが冴える「 I Want You」。


ボブ・ディランのオリジナル・ヴァージョンは『Blonde on Blonde』(1966)に収録。ここではライヴ音源でお聴きください。


全英2位を記録した「Stop Stop Stop」に引き続いて演奏される「This Wheel's on Fire」。ザ・バーズのロジャー・マッギンを少し意識したかのような歌い方、シャッフル調のアレンジが興味深い。


ボブ・ディランのヴァージョンは『The Basement Tapes』(1975)に収録。


ザ・バーズのヴァージョンは『Dr. Byrds & Mr. Hyde』(1969)に収録。


明るく希望が見出せるような調子で演奏される「 I Shall Be Released」。


ボブ・ディランのヴァージョンは『The Basement Tapes』に収録。今回はノラ・ジョーンズと共演したライヴ映像でお楽しみください。


The Bandのヴァージョンは『Music From Big Pink』(1968)に収録されていますが、今回はライヴ映像をご覧ください。


これは珍しい。ママ・キャス・エリオット、マリー・トラヴァース、ジョニ・ミッチェルの1969年の共演映像。


ホーンやストリングスを導入してゴスペル・フィーリング溢れるアレンジが施された「Blowin' in the Wind」。


ボブ・ディランのオリジナル・ヴァージョンは『The Freewheelin' Bob Dylan』に収録。今回はジョーン・バエズと共演した1976年の「ローリング・サンダー・レビュー」の映像でお楽しみください。


グルジア出身で、現在はイギリスを本拠に活動するシンガー・ソング・ライター、ケイティ・メルアのライヴ映像。


アコースティック・ギターの演奏が目を引く「Quit Your Low Down Ways」。


ボブ・ディランのヴァージョンは『The Freewheelin' Bob Dylan』のセッションでレコーディングされたもののお蔵入りし、1991年にリリースされた『The Bootleg Series Volumes 1–3 (Rare & Unreleased) 1961–1991』でようやく陽の目を見ました。


堂々と歌い上げた「 Just Like a Woman 」。少々幻想的なイントロのキー・ボードやホーンやストリングスを加えたアレンジでボブ・ディランとの差別化を図っているようです。


ボブ・ディランのヴァージョンは『Blonde on Blonde』に収録。今回は1976年の「ローリング・サンダー・レビュー」のライヴ映像から。スカーレット・リヴェラの弾くヴァイオリンの音色が独特の雰囲気を醸し出しています。


セルジュ・ゲンズブールとジェーン・バーキンを父母に持つシャルロット・ゲンズブールのヴァージョンはボブ・ディランの伝記映画『I'm Not There』(2007年公開)のサウンド・トラック盤に収録。カトリーヌ・ドヌーブ主演の『Paroles et Musique』(1984)でデビューし、フランコ・ゼフィレッリ監督作品『Jane Eyre』(1996)など主演作も多数。


「Times They Are A-Changin'」は1966年のライヴ音源から。


ボブ・ディランのヴァージョンは2009年2月11日ホワイト・ハウスで演奏した映像をご覧ください。オリジナル・ヴァージョンは『The Times They Are a-Changin'』(1964)に収録。


グラハム・ナッシュ、ジョン・ホール、ジェームズ・テイラー、カーリー・サイモンによるパフォーマンスは1979年に行われた「No Nukes」コンサートの映像から。


豪快に歌う「 All I Really Want to Do」。スティール・パンの音色が躍動感のある雰囲気を盛り上げています。


ボブ・ディランのヴァージョンは『Another Side of Bob Dylan』(1964)に収録。これは『Bob Dylan at Budokan』(1978)の音源。


ザ・バーズのヴァージョンは『Mr. Tambourine Man』に収録。今回はライヴ映像で。


キー・ボードと木管楽器の音色が効果的に使われた「My Back Pages」。


ボブ・ディランのデビュー30周年記念コンサートからの映像です。オリジナルは『Another Side of Bob Dylan』に収録。
http://www.youtube.com/watch?v=WThjO4IcZkg

ジャクソン・ブラウンがジョー・オズボーンとデュエットで歌うヴァージョンは2000年公開の映画『Steal The Movie』のサウンド・トラック盤に収録されていました。


バンジョーを使って陽気に仕上げた「Mighty Quinn (Quinn the Eskimo)」。


ボブ・ディランのヴァージョンは『Basement Tapes』に収録。


全英1位を獲得したマンフレッド・マンのヴァージョンは『Mighty Garvey!』(1968)に収録。


美貌とハスキー・ヴォイスで多くのファンを魅了したジャズ・シンガーのジュリー・ロンドンも歌っていました。1969年リリースのアルバム『Yummy Yummy Yummy』に収録されています。


周囲の圧力に屈したのか、歌ってみて時期尚早と判断したのか分かりませんが、グラハム・ナッシュは脱退前にディランの「Blowin' The Wind」をレコーディングしています。さらに「The Times They Are A-Changin'」もステージで披露していました。この『HOLLIES sing DYLAN』がCD化された際にこの2曲がボーナス・トラックとして追加収録されています。

Nick Decaro - ITALIAN GRAFFITI

前々回の記事でスティーヴン・ビショップの1stを扱った際にニック・デカロの「Under The Jamaican Moon」について言及しました。そこで、今回はその曲が収録されたニック・デカロの『ITALIAN GRAFFITI』を取り上げます。

イタリアン・グラフィティイタリアン・グラフィティ
(1992/01/21)
ニック・デカロ

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01. Under The Jamaica Moon
02. Happier Than The Morning Sun
03. Tea For Two
04. All I want
05. Wailing Wall
06. Angie Girl
07. Getting Mighty Crowded
08. While The City Sleeps
09. Canned Music
10. Tapestry

ニック・デカロは1938年6月23日にオハイオ州のクリーブランドに生まれました。父親がミュージシャンであったことからフランク・シナトラ、ジョー・スタッフォード、フォー・フレッシュメンなどのレコードが常に身の回りで響き渡っていたそうです。そうした環境のもと自然に音楽に慣れ親しみ、6歳でアコーディオンを始め、その後はギターもマスターしました。高校時代になると、兄のフランクや友人らとともにコーラスを主体としたグループを結成。当初はフォー・フレッシュメンやミルス・ブラザーズらのナンバーをレパートリーにしていたようですが、サックス奏者のトミー・リプーマを加えてジャズにロックン・ロールにR&Bにと幅広く演奏するようになっていったようです。
まもなくデカロ兄弟は兵役に就きグループは解散。トミー・リプーマはリバティ・レコードに入社し、A&Rを経てプロデューサーの道を歩みます。1962年、兵役を終えたニック・デカロはリプーマに誘われる形でリバティのスタッフとなり、アレンジャーとしての第一歩を進み始めました。当時のリバティにはレニー・ワロンカーやアル・シュミットといった若手のプロデューサーが在籍しており、ニック・デカロは彼らとも親交を深めていきます。
1965年、リバティの財政難からリプーマがA&Mに移り、ワロンカーもワーナーへと移籍。デカロもリバティを退社してフリーのアレンジャーとなりました。友情とは有り難いもので、彼らはデカロに次々と仕事を回すようになります。デカロはA&Mではサンド・パイパーズ、ロジャー・ニコルズ、クロディーヌ・ロンジェ、ワーナーではハーパース・ビザール、エヴァリー・ブラザーズなどを担当して業績を重ねました。
そんなニック・デカロの手腕が評価されたのか、初のリーダー・アルバムの話がA&Mから彼に舞い込み、1969年に『happy Heart』というタイトルでリリースに至ります。そのアルバムはインストゥルメンタルが中心のものでしたが、2曲のみデカロがヴォーカルを披露していました。

ハッピー・ハート(紙ジャケット仕様)ハッピー・ハート(紙ジャケット仕様)
(2006/06/21)
ニック・デカロ&オーケストラ

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シュープリームズとテンプテーションズの共演盤『Diana Ross & The Supremes Join The Temptations』 (1968年発表) で知られる「I'm Gonna Make You Love Me」。ファースト・リリースはDee Dee Warwickが1966年に発表したシングルです。B.J.トーマスも1969年リリースのアルバム『Young And In Love』の中で取り上げていました。


シュープリームズとテンプテーションズの共演ヴァージョンです。


マイケル・マクドナルドのヴァージョンは2003年リリースの『Motown』に収録。


ビーチ・ボーイズの「Caroline, No」。


ビーチ・ボーイズのヴァージョンは1966年に発表されたアルバム『Pet Sounds』に収録。


1970年代になるとニック・デカロは売れっ子アレンジャーとして業界内でその名を轟かせ、引く手あまたの状況になりました。手掛けたアーティストはレオン・ラッセル、ライ・クーダー、ドゥービー・ブラザーズ、ランディ・ニューマンと数知れず。その脂の乗り切った多忙な時期にレコーディングされたのが『Italian Graffiti』です。このアルバムはトミー・リプーマが設立したブルー・サム・レコードから1974年にリリース。ヴォーカルとアレンジはもちろんデカロ本人で、あたかも友情の絆を示しているかの如くプロデュースにトミー・リプーマ、エンジニアにアル・シュミットが駆けつけていました。
AORの先駆けとも言える洗練されたサウンド。デヴィッド・T・ウォーカーやバド・シャンクといったジャズのミュージシャンの起用も洒落た音作りに寄与しています。ニック・デカロがこれまでに織りなした音楽の集大成でもあり、後にデカロ、リプーマ、シュミットの3人が再び揃い踏みして作り上げることになるマイケル・フランクスの『Art Of Tea』(1975)の試金石になったアルバムとも言えるでしょう。

それではアルバムの中から何曲か紹介します。オープニング・ナンバーはスティーヴン・ビショップとキャス・エリオットの実妹リア・カンケルの共作、「Under The Jamaica Moon」。デヴィッド・T・ウォーカーのギターが叙情をそそります。


リア・カンケルが1979年にリリースしたアルバム『Leah Kunkel』に収録されていたヴァージョンです。


スティーヴィー・ワンダー作の「Happier Than The Morning Sun」。バド・シャンクが吹くフルートが印象的です。ニック・デカロの甘いヴォーカルは「私は朝陽より幸せだ」と歌われる歌詞の雰囲気によく似合っていました。この曲はB.J.トーマスも1972年リリースの『Billy Joe Thomas』で取り上げています。


スティーヴィー・ワンダーのオリジナル・ヴァージョン。彼が1972年に発表したアルバム『Music of My Mind』に収録されていました。


スタンダード・ナンバーの「Tea For Two」。


TEA FOR TWO
賃貸の家なんかじゃ飽き足らない
だから自分で想像してみたんだ
ベイビー ここは恋人たちのオアシス
毎日のうんざりするような追いかけ合いがなく
都会の喧噪から遠く離れて
美しい花々が小川に流れるようなところ
隠れ家として最適で 仲良く暮らすにもぴったり
夢のままにしておくのはやめよう

私の膝に乗った君を思い描き
二人で一杯のお茶
一杯のお茶に二人
君には私だけ
私には君しかいない

辺りには誰もいないし、
私たちのことは誰の目にも耳にも入らない
終末の休みに友だちや親戚が訪ねて来ることもない
電話を引いてることも知らせていないのさ

夜が明けて君が目覚め
シュガー・ケーキを焼き始める
私の会社の同僚たちのために持っていくための

二人で子供を育てよう
君には男の子 私には女の子を
どんなにしあわせかわかるかい

あまりにも有名な曲なので、カヴァー・ヴァージョンは枚挙に暇がありません。ドリス・デイのヴァージョンは彼女が1950年にリリースした『Tea For Two』に収録。


いつ頃の映像でしょうか。アニタ・オディの映像です。


そのヴェルヴェット・ヴォイスで一世を風靡したスモーキー・ロビンソン。彼が2006年に発表したアルバム『Timeless Love』に収録されていたヴァージョンです。ブログへの貼り付けが出来ないので宜しければ下記のURLをクリックしてご覧ください。

http://http://www.youtube.com/watch?v=hfcPZQBcdwU

トッド・ラングレン作の「Wailing Wall」。しっとりとした繊細なヴォーカルとコーラスが心に染み入ります。イスラエルのエルサレム神殿にある『Western Wall(嘆きの壁)』をテーマにしているとのこと。


トッド・ラングレンのオリジナル・ヴァージョンは『Runt. The Ballad Of Todd Rundgren』(1971年発表)に収録されていました。


再びスティーヴィー・ワンダーの作品「Angie Girl」。よほどスティーヴィーに傾倒していたのでしょうか、ニック・デカロ本人もお気に入りの曲と述べていました。ここでもバド・シャンクのアルト・サックスが心地よい響きを醸し出しています。ギターの音色とコーラスも絶妙的。


スティーヴィー・ワンダーのヴァージョンは1969年発表のアルバム『My Cherie Amoul』に収録。


この他、ジョニ・ミッチェルの『All I Want』(1971年発表の『Blue』に収録)、ヴァン・マッコイ作の「Getting Mighty Crowded」、幼なじみでもあるランディ・ニューマン作の「 While The City Sleeps」、ダン・ヒックス作の「Canned Music」、Gunstone-Dove作の「Tapestry」などが収録されていました。

ダンス・ミュージックやヒップ・ホップが主流になり、サンプリングや打ち込みで音作りがなされるようになった1980年代以降もヴェテラン・アーティストからの信任は厚く、グレン・フライやグレン・キャンベルなどのアルバムの中でニック・デカロのストリングス・アレンジが聴けます。1990年代になると、デカロは加藤和彦さんや尾崎亜美さんら日本人アーティストとの作品にも参加するようになり、ジャズ・シンガーの阿川泰子さんが1990年に発表した『Your EYes』では全面的にバック・アップしていました。このことがきっかけとなり、ビクター・インヴィテーションと専属契約を結び、その年の11月に山下達郎さんのカヴァーを中心としたアルバム『LOVE STORM』、翌91年に『PRIVATE OCEAN』を発表。アレンジャーのみならず、ヴォーカリストととしても健在ぶりを示していました。
アメリカン・ポップス、アメリカン・ロックを支えたニック・デカロ。気に入った楽曲、アルバムには彼の名がいつものようにアレンジャーとして記されていました。他愛もないことかもしれませんが、そのニック・デカロが日本人アーティストを手掛けたことで親近感を覚えたものです。しかし、1992年3月4日、心臓病のために53歳で他界。その衝撃の知らせにただ冥福を祈るしかありませんでした。

Ron Sexsmith - RON SEXSMITH

バンクーバー・オリンピックが終わってしまいましたが、今回はそんなこととは関係なくカナダのアーティストを取り上げることにしました。ご登場いただく方はロン・セクスミス。1995年にアルバム『RON SEXSMITH』でデヴューしたシンガー・ソング・ライターです。
RON SEXSMITHRON SEXSMITH
(1996/08/21)
ロン・セクスミス

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1. Secret Heart
2. There's a Rhythm
3. Words We Never Use
4. Summer Blowin' Town
5. Lebanon, Tennessee
6. Speaking With the Angel
7. In Place of You
8. Heart With No Companion
9. Several Miles
10. From a Few Streets Over
11. First Chance I Get
12. Wastin' Time
13. Galbraith Street
14. There's a Rhythm
15. Almost Always (Bonus Track)

ロン・セクスミスは1964年の1月8日にカナダのオンタリオ州に生まれました。幼き頃から音楽に親しみ、ビング・クロスビー、アーヴィン・バーリンなどのスタンダード、マール・ハガード、チャーリー・リッチなどのカントリー、そしてシンガー・ソング・ライターのティム・ハーディンなどを聴いていたそうです。また、とくにお気に入りのアーティストはハリー・ニルソンとキンクスのレイ・ディヴィスで、彼曰く「悲しみが奥底にそこはかと流れているユーモラスな歌を書いている」とのことでした。
当然のように音楽活動を始めたのも早く、14歳の頃よりバンドを組み、17歳の時には地元のバーで演奏するようになります。その後トロントに転居し、ザ・アンクールというバンドを結成。1985年には自主制作でカセットをリリースしました。
しかし、音楽で容易に身を立てられるはずもなく、早婚だったロンは家族を養うために郵便配達人として働きながら歌を創作する毎日を送ることになります。1991年、書きためた曲を自主制作アルバム『Grand Opera Lane』としてリリースすると、そのソング・ライティングのセンスが注目され、たちまちロサンゼルスに本拠を置くインタースコープ・レコードとの契約に漕ぎ着けました。
レコーディングではすべてのギターをロン・セクスミスが弾き、プロデュースとキー・ボード担当にはロス・ロボスの「La Bamba」(1987)やスザンヌ・ヴェガのアルバム『99.9F』(1992)などで知られるミッチェル・フルームが迎えられ、他にピーター・ガブリエルのバック・バンドやオーリアンズとのセッションなどで知られるジェリー・マロッタ(ドラムス)、エルヴィス・プレスリーのバック・バンドを始め多くのアーティストをサポートした経験を持つジェリー・シェフ(ベース)ら腕利きのミュージシャンが招かれています。ストリングスも効果的に配されていますが、敏腕プロデューサーであるミッチェル・フルームの手によって最小限の編成で最大限の効果が発揮されたと言って良いでしょう。
なお、アルバム・ジャケットの写真は童顔に写っていますが、30歳を過ぎてデヴューを飾った遅咲きの花で、この時は既に二児の父親でした。

それではアルバムから何曲か紹介します。
恋い焦がれる人に自分の思いを打ち明けようとする様が描かれた「Secret Heart」。人間なら誰でも経験するような普遍的な内容の歌です。


SECRET HEART
隠れた心よ
おまえの正体は何?
おまえが恐れているものは何?
たった三語の言葉なのか
それとも頭上にある恐怖なのか?
いったいどうしたっていうんだ?
おまえの秘密を打ち明けてしまえ 心よ

秘密の心よ
なぜそんなに不思議がっているんだい?
神聖になりすぎて
真剣になりすぎているのはなぜ?
たぶんおまえは虚勢を張っているだけ
まだまだ人間が出来ていないっていうだけ
いったいどうしたっていうんだ?
おまえの秘密を打ち明けてしまえ 心よ

おまえが隠そうとしている秘密は
おまえが明かそうとしている秘密でもあるのさ
おまえがどのような気持ちでいるのか
彼女に打ち明けてよ

秘密の心よ
姿をあらわして分かち合ってくれよ
一人きりじゃ耐えきれないこの孤独
すべきことがあるといえば
一人では切り抜けることが出来ないと
認めることじゃないのか?
いったいどうしたっていうんだ?
おまえの秘密を打ち明けてしまえ 心よ 

続いて「There's a Rhythm」。ロン・セクスミスが言うには「歌の奥にはリズムがある。どの世代にもその中にしっかりと行き渡っているリズムがあるのだ」とのことです。


人々はどうして自分たちの関係の中で面と向き合うことを避け、いつもすべてをやり過ごしているのかとの趣旨が歌われた「Words We Never Use」。


「彼に天国のことを教え込もうとしているの?/彼にこの大地の愛し方を示そうとしているの?/生まれた瞬間から彼に偏見を抱かせ心を汚してしまうつもりなのかい?」と歌い、子供たちは憎むために生まれて来たのではないというロン・セクスミスの思いが込められた「Speaking With the Angel」。ロンはテレビのニュース・リポートで、白人至上主義団体クー・クラックス・クランがどんなふうに自分たちの子供を育てているのかを観て嫌な思いをしたと語っていました。
こちらは自主制作で発表した前述の『Grand Opera Lane』に収録されたヴァージョンのようで少々荒削りな印象を受けますが、アレンジはメジャー・デヴュー盤の本作と殆ど変わりません。


アルバムの中の唯一のカヴァー曲、レナード・コーエン作の「Heart With No Companion」。ロンはコーエンのライヴでこの曲を聴き、感激して自分のテーマ・ソングと言い切っても良いと語っております。


レナード・コーエンのオリジナル・ヴァージョンは1984年発表の『Various Positions』に収録。このヴァージョンはライヴ盤『Cohen Live』(1994)から。


ロン・セクスミスの歌い方や曲調がジャクソン・ブラウンを彷彿させるところがあり、このアルバムがリリースされた当時はよく引き合いに出されました。こうした論評に対し、ロン本人は「うんざりだね。ウエスト・コーストのロック・シーンで俺が好きなアーティストはランディ・ニューマンやハリー・ニルソンで、イーグルスやジャクソン・ブラウンは好きになれなかったよ」との趣旨を語っていました。
ごく普通の人々のどこにでもある物語が描かれた簡潔ながらも奥深さが窺える内省的な歌詞。アコースティック・ギターの弾き語りを主体としたシンプルなサウンド。ロン・セクスミス自身が否定しようと、初期のジャクソン・ブラウンと共通する部分は大いに感じ取れます。
かつてエルヴィス・コステロは「私は一年中ずっと『RON SEXSMITH』を聴き続けた」と述べていました。大きなインパクトを与えるような派手さはありませんが、語りかけるような穏やかなロンの歌声に心が洗われ、言葉と音が胸に染み入ります。ロンが紡ぎ出す飾り気のない音楽、聴く度に新鮮な感動を与えてくれた一枚でした。

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