好きな音楽のことについて語りたいと思います。

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Lynyrd Sknyrd - Sweet Home Alabama

前回ニール・ヤングの「Southern Man」を取り上げて論じました。あのままでは南部人は保守的で残酷な人々と受け取られかねません。実際の南部の人々は社交好きで人をもてなすことを得意とした気さくな人が多いと言われています。敬虔なクリスチャンでありながらもピューリタンのように厳格さや潔癖さに縛られることのない奔放な一面もあり、付き合ってみれば人間臭い部分に魅了されてしまうことでしょう。ウィリアム・フォークナーやテネシー・ウィリアムズの諸作に登場する人物のように、伝統や因習にとらわれながらもゆったりとした優雅な日常を送ることも南部人の特徴です。
そして、何より南部は音楽の素晴らしさを伝えてくれました。ジャズ、ゴスペル、ブルースなどの西アフリカにルーツを持つ黒人音楽。後にカントリーやブルーグラスへと発展するイングランド、スコットランド、アイルランド出身の白人が移入した音楽。そして、それらが融合されて誕生したロックン・ロール・ミュージックなど南部が育んだともいえる音楽についての興味が尽きないところです。

ニール・ヤングは「Southern Man」に続き、1972年発表の『Harvest』では「Alabama」というタイトルの曲を歌って変化を促していました。デヴューから今日に至るまで、政治や社会問題を扱うのは彼の真骨頂と言えるのでしょう。


ハーヴェストハーヴェスト
(2009/11/11)
ニール・ヤング

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それらの曲へのアンサー・ソングとしては、レイナード・スキナードが1974年にリリースしたアルバム『Second Helping』に収録されていた「Sweet Home Alabama」がよく知られています。
Second HelpingSecond Helping
(1997/11/04)
Lynyrd Skynyrd

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1. Sweet Home Alabama
2. I Need You
3. Don't Ask Me No Questions
4. Workin' for MCA
5. Ballad of Curtis Loew
6. Swamp Music
7. Needle and the Spoon
8. Call Me the Breeze
9. Don't Ask Me No Questions [Single Version]
10. Was I Right or Wrong [Sounds of the South Demo]
11. Take Your Time [Sounds of the South Demo]

自分の故郷を悪く言われて気分のいい人はいないでしょう。フロリダを本拠にしているレイナード・スキナードの皆さんの本拠地はフロリダですが、南部という点では共通の意識があるだろうし、何よりアラバマ州にあるマッスル・ショールズ・スタジオへの敬意が払われていると思われます。彼らにもこのスタジオでレコーディングをした経験があり、いわばアラバマは第二の「Sweet Home」と言えるかのかもしれません。
実際のニール・ヤングとレイナード・スキナードは親交が深く、対立した感情はなかったそうです。レイナード・スキナードのヴォーカルであるロニー・ヴァンザントはニール・ヤングのTシャツを着てステージに上がったことがあり、ヤングも彼らに「Power Finger」という曲を提供しています。しかし、この曲は1977年にレイナード・スキナードが飛行機事故でヴァンザントを始めとする数人のメンバーを失ったためレコーディングがされずに終わり、1979年に発表されたヤングのアルバム『Rust Never Sleeps』で陽の目を見ました。
もちろん出来レースとは言いませんが、「ニールの兄さん、ちょっと言い過ぎやで。カナダから来はったお人には南部のええとこが分からへんみたいで残念やな」ぐらいの気持ちだったのではないかと推測されます。南部人としてのプライドもあったことでしょう。また、18世紀の啓蒙主義を代表するフランスの哲学者、ヴォルテールの「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」という有名な言葉の如く、民主主義国家アメリカの言論の自由が表された例とも言えるのかもしれません。



SWEET HOME ALABAMA
大きな車輪が回り続けている
俺を故郷へと運び、親しき人に会わせてくれる
南部の歌を歌いながら
俺は再びアラバマを離れる
そして俺はそれを罪なことと思う そう罪なことだぜ

俺はニール・ヤングさんがアラバマのことを歌っているのを聴いた
親愛なるニールがアラバマをこき下ろしてるのを耳にしたんだ
ニール・ヤングは憶えておいたほうがいいぜ
南部の人間はもはやあんたなんか必要としていないってことをな

素晴らしき故郷 アラバマ
そこでは空がとても青い
愛しき故郷 アラバマ
ああ 俺はこの地に戻って来たんだ

バーミンガムじゃ人々は知事を愛している
そう 俺たちはみんな自分たちにできることをやったのだ
ウォーターゲート事件なんておれにはまったく問題じゃない
あんたの両親があんたには気になるのかい?
本当のことを言ってみなよ

アラバマにやって来た

マッスル・ショールズにはスワンプ・サウンドの強者たちが集まってるぜ
奴らは1、2曲かき鳴らして有名になった連中だ
ああ、俺はすっかりあいつらにハイにさせられちまってるぜ
憂鬱な俺の気分を回復させてくれるんだ
さあ、みんなはどうだい?

素晴らしき故郷 アラバマ
ああ 懐かしの故郷よ
そこでは空がとても青い
そして知事は誠実だ
愛しき故郷 アラバマ
おお
ああ 俺はこの地に戻って来たんだ
そうだ そうだ モントゴメリーに答えがあるんだ


レイナード・スキナードが「Sweet Home Alabama」を歌った時期にアラバマ州知事を務めたのはジョージ・ウォレスです。彼のスローガンは「今ここで人種隔離を、明日も人種隔離を、永遠に人種隔離を」という人種差別主義に溢れたものでした。彼は民主党から出馬し、1963年~1967年、1971年~1979年、1983年~1987年と何度も再選されるほど高い支持を集めています。1972年には銃撃事件で下半身不随となりながらも、不屈の精神で知事職を務めました。そんなたくましい知事でしたが、1998年に南北戦争時代に南部連合の首都だったモントゴメリーで逝去しています。
私には "In Birmingham they lone the governor"(バーミンガムじゃ人々は知事を愛しているぜ)と歌った直後のバック・コーラスが、盛り上げているようにもブーイングのようにも聴こえます。知事への賞賛とも揶揄とも受け取れるダブル・ミーニングなのでしょうか。また、アラバマ州バーミンガムはウォレス知事が在任中の1963年に黒人教会爆破テロによって少女4人が命を落とした事件で知られる土地です。同じ年の6月には知事が2人の黒人学生のアラバマ大学入学拒否を言明しました。結局連邦政府の命令により黒人学生は無事入学を許可され、ジョン・F・ケネディ大統領はテレビを通じて、「人種問題は、アメリカの生活や人生に入り込む余地はない」との声明を発表しました。
民主党から人種差別を標榜するような知事がいた事実。南北戦争の頃の民主党は奴隷制度存続を求めていました。今でも南部では民主党が保守層の根強い支持を集めています。
日本では共和党が保守、民主党がリベラルといったイメージで解釈されることが多いと思われます。しかし、一概には言えません。サダム・フセインとのイラク戦争やイスラム過激派などとのアフガニスタン紛争は共和党政権が決断して行ったたものですが、ヴェトナム戦争を始めたのは民主党政権でした。両党の大きな相違点は自由貿易と保護貿易、小さな政府と大きな政府といった政策面に表れていると理解するほうが適切でしょう。

ライヴ映像です。


これもライヴです。いつ頃の映像でしょうか。


観客のリアクションが興味深い2003年のライヴ映像。


アラスカ州出身の女性シンガー・ソング・ライター、ジュエルによるカヴァー・ヴァージョンです。2002年公開の映画『Sweet Home Alabama』のサウンド・トラック盤に収録。


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Neil Young - Southern man

昨秋にニール・ヤングの初期4作品がリマスターで再発されました。今回は1970年に発表された3作目のアルバム、『AFTER THE GOLD RUSH』に収録されていた「Southern Man」を取り上げます。
この曲はアメリカ南部における人種差別について書かれたメッセージ性の強い曲です。既に多くの先達が詳しく解説されており、私には大きく異なる解釈が見出せません。それゆえ重複するところも多々ございますが、自分なりの見解で確認してみたいと思います。

アフター・ザ・ゴールド・ラッシュアフター・ザ・ゴールド・ラッシュ
(2009/11/11)
ニール・ヤング

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1. Tell Me Why
2. After the Gold Rush
3. Only Love Can Break Your Heart
4. Southern Man
5. Till the Morning Comes
6. Oh, Lonesome Me
7. Don't Let It Bring You Down
8. Birds
9. When You Dance You Can Really Love
10. I Believe in You
11. Cripple Creek Ferry

旧盤とリマスター盤では「Southern Man」を始めとする収録曲の収録タイムやミックスが異なるそうです。そのあたりの詳細は遼 ( parlophone )さんtetsupc2 さんのブログの記事を参照してください。


SOUTHERN MAN
南部の人よ 冷静になったほうがいいぜ
聖書の教えを忘れずにな
南部もとうとう変わるんだ
あんたの十字架も激しい勢いで燃え落ちて行く
南部の人よ

俺は見たぜ 綿畑の黒人
そびえる白亜の豪邸にちっぽけな掘建て小屋
南部の人よ
いつになったらみんなに償いをするんだ?
俺は悲鳴を聞いたんだ
鋭く響く鞭の音
いったいいつまで いつになったら

南部の人よ 冷静になったほうがいいぜ
聖書の教えを忘れずにいろよな
南部もとうとう変わるんだ
あんたの十字架も激しい勢いで燃え落ちて行く
南部の人よ

リリィ・ベル 輝く黄金色の髪
あんたの仲良しの黒人がまわりをうろちょろしてたぜ
俺は神に誓って
ヤツをバラバラに引き裂いて殺してやる
俺は悲鳴を聞いたんだ
鋭く響く鞭の音
いったいいつまで いつになったら

1969年にニール・ヤングが南部アラバマのロードハウスを訪れて酒を飲んでいたところ、地元の男性がやって来て店の外に連れ出されて殴られたことが「Southern Man」を書く契機となったとの逸話がまことしやかに語られてきました。彼が暴行されたのは理由は髪が長かったからだとか。19世紀ならいざしらず、1960年代後半にそうした差別的で排他的な出来事が頻繁にあったのでしょうか。

1969年公開のアメリカ映画『イージー・ライダー』にはニール・ヤングが受けたような暴行が連想される場面が描かれていました。もちろん脚色されていることは否めません。でも、60年代後半において実際にそのような風潮があったことは窺えます。

映画の大まかなあらすじ
ピーター・フォンダとデニス・ホッパー扮する若者二人がマリファナの密輸で稼いだ金をもとにオートバイに乗って旅に出た。途中でジャック・ニコルソン扮する弁護士と意気投合し三人連れとなる。彼らはニュー・オリンズの謝肉祭を見物しようとバイクを走らせた。マリファナを吸い、野宿する三人。沿道の人々は自由を体現するかのような彼らに悪意を抱いて襲撃する。弁護士は惨殺され、若者二人は命からがら逃げ出した。アメリカ南部の保守性を呪い、そこには自由がないと叫ぶ二人。それでも彼らはオートバイの旅を続けた。やがて州境にさしかかったとき、農夫が乗ったトラックが近づいて二人を罵りながら銃弾を発射。二人は射殺されてしまった。

続いて、人種差別のほうに視点を移しましょう。白亜の豪邸からは映画化されたマーガレット・ミッチェル作の『風と共に去りぬ』(Gone With Wind, 1936) のワン・シーンが目に浮かび、黒人が綿畑で働かされたり鞭で打たれたりする様はストウ夫人作の『アンクル・トムの小屋』(Uncle Tom's Cabin, 1852) やアレックス・ヘイリー作の『ルーツ』(Roots, 1976) に描かれた世界を思い起こさせました。
アメリカの奴隷制度は1607年にイギリス人がヴァージニアに入植した直後の1619年に始められたのが起源とされています。彼らは資本を投じてタバコや綿などの栽培を行いますが、広大な農園の仕事をまかなえる労働力が必要でした。年季奉公の白人労働者だけでは到底人手が足りず、人件費も高くつきます。そうした悩みを解消するために、奴隷商人を介してアフリカ大陸から大量に連れて来られた黒人たちが廉価な労働力として目が付けられたのでした
南北戦争(1861年-1865年)終結以降、連邦議会が奴隷制度を廃止し、公民権や黒人男性の参政権を認めて黒人奴隷の解放が実現されます。しかし、公共機関や施設においての差別的待遇の撤廃にまでには至らず、白人至上主義団体クー・クラックス・クラン(KKK)の威嚇により黒人の投票行動が妨害される事態が頻繁に起こっていました。ルイジアナ州では黒人と白人で鉄道車両を分離する人種差別法案が可決。連邦最高裁までもが「分離すれども平等」という法律上の見解を示し、事実上人種差別を容認する判断を下したのです。この判決を受けて、ジョージア州、アラバマ州、ミシシッピ州などの南部各州では人種差別が法律によって正当化され、公共機関、公共施設、ホテルやレストランに至るまで徹底的な隔離が押し進められ、公民権法は無効となってしまいました。なお、「Southern Man」の中で「あんたの十字架も激しい勢いで燃え落ちて行く」といった意味の歌詞が出てきますが、これはクー・クラックス・クランの集会で十字架が焼かれることに因んでいるのでしょう。
こうした法律が可決された背景には黒人男性が白人男性と性的接触を持つ恐怖、政治や経済に黒人が影響を及ぼし白人の既得権が縮小されるという恐怖が白人社会にあったと想像されます。「Southern Man」の中で「リリィ・ベル 輝く黄金色の髪/あんたの仲良しの黒人がまわりをうろちょろしてたぜ/俺は神に誓ってヤツをバラバラに引き裂いて殺してやる」といった歌詞が登場しますが、これはその恐怖を表していると言えるでしょう。ただ、よく考えてみるとこの箇所には南部の改革を叫んでいる人が、どうして黒人の殺害を行おうとしているのかという矛盾点があります。殺害を企てる人の声を耳にしたということなのか、人種に関係なく悪人は存在するという意味なのか、いかようにも解釈出来るのかも知れません。
黒人差別が長年に渡って続く状況の下、1955年12月1日にアラバマ州モントゴメリーで黒人女性のローザ・パークスが市営バスに乗り込んだ際、黒人用座席に空席がなかったために白人席に腰掛けました。バスの白人運転手は白人に席を譲るように命じたもののパークスは拒否。彼女は「人権分離法」違反で逮捕され、簡易裁判所で罰金刑を宣告されました。この事件に対してモントゴメリー在住の黒人は決起集会を開き、抗議を申し入れます。指導者はマーティン・ルサー・キング牧師。彼はモントゴメリーの黒人たちにバス・ボイコットを呼びかけました。この運動は黒人のみならず白人にも賛同者が続出。やがて全米に反響を呼び、合衆国最高裁はバス車内における人種分離を違憲とする判決を出すに至ったのです。
これを契機に南部各地で反人種差別運動が盛り上がって行きました。この運動は人種差別を受け続けていた黒人を始めとする有色人種がアメリカ合衆国市民として法律上平等な地位を獲得することを目的としていたので「公民権運動」と呼ばれるようになったのです。ジョン・F・ケネディ大統領も南部諸州の人種隔離法を禁止する法案を次々と成立させ、「公民権法」制定の実現に尽力。そして、この運動は1963年8月、白人、黒人を問わず差別と隔離の撤廃を求めた25万人以上の民衆による「ワシントン大行進」へと発展しました。ケネディ大統領が凶弾に倒れたのはこの年の11月のことです。
大きな犠牲を払っても南部の人種差別の根強さは簡単には是正されません。1964年の夏、3人の若い公民権運動家がミシシッピ州フィラデルフィア近郊で失踪するという事件がありました。3人のうち2人は北部出身の白人、残る1人は南部の黒人。結局、彼らは死体となって発見され、保安官を含む21人の白人が起訴され、7人が刑に服しました。この事件をもとに制作された映画が、『ミシシッピー・バーニング』(Mississippi Burning, 1988) です。名優ジーン・ハックマンと『プラトーン』(Platoon, 1986) で注目を浴びたウィレム・デフォーが事件を解決するFBI捜査官を演じていました。
ケネディの後を受けたリンドン・ジョンソン大統領は公民権法制定に理解を示し、反対派議員を説得し議会懐柔策に務めました。こうして1964年7月2日に公民権法が制定され、法の上での人種差別が撤廃されます。しかし、公民権法制定に陰で活躍したケネディ大統領の実弟であるロバート・ケネディ、指導者として先頭に立っていたキング牧師らが1968年に相次いで暗殺されました。

こうした経緯を鑑みると、ニール・ヤングがアラバマで暴行を受けたという前述のエピソードもあながちデマではないことが分かります。もとより公民権運動や人種差別問題に関心を示していたというニール・ヤング。彼一流の心情の吐露といったところでしょう。

2000年のライヴ映像。CSN&Yとしてのステージのようです。


ローリング・ストーンズの「Gimme Shelter」(1969年発表の『Let it Bleed』に収録)のレコーディングに参加したことで知られるニュー・オリンズ出身のR&Bシンガー、メリー・クレイトンのカヴァー・ヴァージョン。1971年発表の『Merry Clayton』に収録されていました。彼女は1969年に発表されたニール・ヤングのソロ・デヴュー・アルバム『NEIL YOUNG』にもバック・コーラスを担当していました。


U2のカヴァー・ヴァージョン。1987年頃のライヴ映像とのことです。


STEPHEN STILLS MANASSAS

報道によると、ボビー・チャールズもケイト・マッガリグルも癌との闘病生活の末に旅立たれたそうです。そういえば前立腺癌を克服したスティーヴン・スティルスはその後どうしているのか、彼のことがふと頭の中をよぎりました。この病気を患われた天皇陛下はお元気になられてなによりですが、ダン・フォーゲルバーグは帰らぬ人となっています。また、この病を治療しながら「アースマラソン」を続ける間寛平さんのことも心配でなりません。

スティーヴン・スティルスのことに話を戻します。彼は2009年秋に新作ライヴ盤をリリースしていました。
Live at Shepherd's BushLive at Shepherd's Bush
(2009/11/17)
Stephen Stills

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録音されたのは2008年とのこと。2009年の夏にクロスビー、スティルス&ナッシュとしての新作をレコーディング中との情報も耳にした憶えがあり、再発もなく順調に復帰しているようで安心しました。

ということで、今回はスティーヴン・スティルスが1972年にマナサスを率いて発表したアルバム『MANASSAS』を取り上げます。マナサスはスティルスのサード・アルバムの制作中に集められたメンバーが中心となって正式なバンドに発展しました。このアルバムについてはBYRDさんが詳しい記事を書いておられますので、そちらも参照していただければ幸いです。

マナサスマナサス
(1998/05/25)
スティーブン・スティルス

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1. Song of Love
2. Rock and Roll Crazies/Cuban Bluegrass
3. Jet Set
4. Anyway
5. Both of Us
6. Fallen Eagle
7. Jesus Gave Love Away for Free
8. Colorado
9. So Begins the Task
10. Hide It So Deep
11. Don't Look at My Shadow
12. It Doesn't Matter
13. Johnny's Garden
14. Bound to Fall
15. How Far
16. Move Around
17. Love Gangster
18. What to Do
19. Right Now
20. Treasure [Take One]
21. Blues Man

メンバーはスティーヴン・スティルス(G, Vo)クリス・ヒルマン(G, Vo)、アル・パーキンス(Steel Guitar, Vo)、ジョー・ララ(Percussion, Vo)、カルヴィン・サミュエルズ(B)、ダラス・テイラー(Ds)、ポール・ハリス(Keyboards)の7人。前述のように、もともとは1971年6月に2枚目のアルバムを発表してソロ活動を始めたスティーヴン・スティルスのバンドが母体です。スティルスはフライング・ブリトゥ・ブラザーズを脱退した旧知のクリス・ヒルマンに声を掛けて参加を要請。ヒルマンはフライング・ブリトゥの同僚だったアル・パーキンスを引き連れてバンドに加わりました。ソング・ライティングの実力があり、ハーモニー・ワークもこなせるヒルマンの存在と貢献はスティルスにとって心強かったことでしょう。
スティーヴン・スティルスは多様な音楽性を示していたアーティストですが、マナサスを組んだことによりさらにその傾向は進化。従来からの持ち味であるラテン・フレーバーやブルース・フィーリングに加えて、クリス・ヒルマンとアル・パーキンスからブルー・グラスの要素がもたらされたことによるカントリー・ロック風の趣も備わります。演奏面ではスティルス独特のギター・プレイ、アル・パーキンスの豪快なスティール・ギター、脇を固めるクリス・ヒルマンのリズム・カッティング、ダラス・テイラー、カルヴィン・サミュエルズ、ジョー・ララのリズム・セクション、ポール・ハリスのキー・ボードが重量感のあるダイナミックなバンド・サウンドを醸し出していました。

ちなみに、マナサスというバンド名はヴァージニア州の地名から付けられたものです。かつて南北戦争の激戦地だったマナサス。1945年1月3日に南部テキサス州のダラスで生まれたスティーヴン・スティルスは幼少期に各地を転々とし、パナマやコスタリカに居住した経験もありました。ラテン感覚はこの頃に自然と身に付いたのでしょう。アメリカに戻ってからはニュー・オリンズに住み、その後フロリダの大学に進学したそうです。マナサスに思いを馳せる南部人スティルスの歴史観が垣間見えるようで興味深く思えました。

余談ですが、マナサスのツアーでパリを訪れたスティルスは歌手のヴェロニク・サンソンと出逢って恋に陥り、1973年に彼らは結婚します。しかし、ヴェロニク・サンソンのコンサートでスティルスがバックを担当し、彼女のサード・アルバム『Le maudit』 (1974年発表)でもスティルスが参加するなど仲の良いところを見せつけていましたが、2人の結婚生活は僅か3年で破局を迎えました。

この人がヴェロニク・サンソンです。宜しければご参考までに。


1994年に元夫婦と2人の間に出来た息子クリストファーが共演した映像です。離婚訴訟で10年に渡って両者は争ったのですが、すっかり和解しているようなので取りあえず一安心。曲は「Daylight again」(CS&Nが1982年に発表した『Daylight Again』に収録)。


姿が小さすぎてはっきりと確認できませんが、2008年にステージで親子3人が共演した時の映像とのことです。曲は「Love The One You're With」(1970年発表の『Stephen Stills』に収録)。


話が脱線して行きそうなので、ここからアルバムの中から何曲か紹介することにします。スワンプ・ロック風の雰囲気を持つオープニング・ナンバーの「Song of Love」はドイツのテレビで放送されていた音楽番組『BEAT CLUB』出演時の映像かと思われますが、途中で切れてしまうのが残念。1960年代から70年代にかけてのヴェトナム反戦運動を始めとする闘争を背景に、「だって君は知っているだろう/愛の歌は涸れ果て空しいことを」と脱力感や空虚感を表しながらも現状を冷静に見つめ、どのようにして前向きに進めば良いのかを提起し問いかけた歌です。


ヘヴィーなブルース・フィーリングに溢れた「Jet Set (Sigh)」はジェット機に乗って世界狭しと各地のリゾート地を飛び回るセレブやエリート層の若い女性を皮肉った内容が歌われていました。残念ながらこの音源も途中で切れてしまいます。


別れた恋人への未練が歌われるカントリー・ロック・ナンバー「Hide It So Deep」。


スティーヴン・スティルス名義でシングル・カットされ、全米61位を記録した「It Doesn't Matter」。スティルスお得意のラテン風のアレンジが施されています。


IT DOESN'T MATTER
落ちて行く くるくると回りながら
負けたり 勝ったり
正気を保ちながら
シグナルを探している
うんざりする座り込み
俺は欺かれていたのか
おまえは言ったよな
俺を忘れたくないって
もうどうでもいいことさ
二人のうちどちらが途方もない夢を失ったのかなんて

来る日も来る日も
察知しようと模索している
今日の気配を
もう少し早く走れよ
仕事を全うしようと
捕獲者のおでましだ
留まらないほうがいいぜ
まもなく囲まれてしまうだろう
もうどうでもいいことさ
二人のうちどちらが途方もない夢を持ち続けるかなんて

任務を覚え
誰かの助けを借り
たった今を生きる
何か浅薄で
醜くうつろだ
生活のために生きねばならない方法さえ
認めてくれない
与えられたものを与えるために
一瞬一瞬を
その日ごとに
もうどうでもいいことさ
もはや夢に過ぎないことだから

スティルスのアコースティック・ギターをフィーチャーした「Johnny's Garden」。都会の喧噪から逃れて静寂の庭で安らぎを求めたいというスティルスの願望が歌われているようです。


1974年に行われたCSN&Yのコンサートのライヴ映像です。


順調に事が運んでいたのにちょっとした油断で人生に躓く絶望感が歌われた「Bound to Fall」。


ロッキー・マウンテンからやって来た女に魅せられ、手に手を取って都会へと旅立つカントリー・ボーイの話が歌われている「Treasure [Take One]」。


アルバムの最後は「あんたは夢を共有しようとし、俺はあんたの心を感じた」とブルース・シンガーに呼びかける内容の味わい深いブルース・ナンバー「Blues Man」。1972年のライブ音源でお聴きください。


1973年にマナサスはセカンド・アルバム『Down The Road』を発表。順調な活動が続けられるように思えたもののスティルスはCSN&Yの再結成話に心を奪われ、次第にマナサスの運営がおろそかになって行きました。業を煮やしたクリス・ヒルマン、アル・パーキンス、ポール・ハリスらはマナサスを脱退してJ.D.サウザー、リッチー・フューレイ(元ポコ)らとサウザー・フューレイ・ヒルマン・バンドを立ち上げます。こうしてマナサスは僅か2枚のアルバムを残しただけで崩壊してしまいました。

kate & Anna McGarrigle - KATE & ANNA McGARRIGLE

先日のボビー・チャールズさん逝去の悲しみが癒えぬところにまたも訃報が飛び込んできました。ケイト・マッガリグルさんが2010年の1月18日に旅立たれたのです。報道によると、癌を患い2006年の夏から闘病生活を送っていたとのことでした。

最近ではルーファス・ウェインライトやマーサ・ウェインライトの母として脚光を浴びているようですが、彼女は姉のアンナ・マッガリグルとデュオを組んで活動して来たアーティストです。アンナが1944年、ケイトが46年の生まれ。姉妹はカナダのモントリオールという英語圏とフランス語圏が混在した、いわば二重言語文化の中で育ちました。彼女たちの話によるとフランス系とアイルランド系の血筋だそうです。
両親が音楽好きであったことから姉妹は幼い頃にスティーヴン・フォスターの楽曲やフランスの古い曲を教え込まれました。小学校でピアノを習い、思春期になるとギターを独習。やがてアコーディオンも弾き始めたとのことです。
そんな彼女たちは1960年代のフォーク・リヴァイヴァルの影響を受け、自らも地元のコーヒー・ハウスで歌い出すようになりました。と言っても、最初から二人きりで歌っていたわけではなく、一緒にグループへ加入したり、別々にバンドを組んでいたりしたのです。その後、ケイトはニューヨークに渡り活動し始め、1971年にシンガー・ソング・ライターのラウドン・ウェインライト3世と結婚。73年には長男ルーファスが生まれています。

アルバムIII(紙ジャケット仕様)アルバムIII(紙ジャケット仕様)
(2007/09/19)
ラウドン・ウェインライトIII

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この人がラウドン・ウェインライト。1976年に長女マーサが生まれましたが、翌77年に離婚しています。

1973年、マリア・マルダーがソロ・デヴュー作『Maria Muldaur』でケイト作の「Work Song」を歌い、翌74年のセカンド・アルバム『Waitress in a Donut Shop』でもアンナとオードリー・ビーン作の「Cool River」が取り上げられ、ケイトとアンナもバック・ヴォーカルで参加しています。同年、アンナ作の「Heart Like A Wheel」がリンダ・ロンシュタットのアルバムのタイトル曲となりました。姉妹が作った楽曲は注目を集め、こうしたことがきっかけとなってワーナー・ブラザーズとデュオとして契約に至ります。

Heart Like a WheelHeart Like a Wheel
(1998/06/01)
Linda Ronstadt

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Maria MuldaurMaria Muldaur
(2009/02/03)
Maria Muldaur

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Waitress in a Donut ShopWaitress in a Donut Shop
(1993/09/14)
Maria Muldaur

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1976年、満を持したかのようにファースト・アルバム『Kate & Anna McGarrigle』がリリースされました。

Kate & Anna McGarrigleKate & Anna McGarrigle
(2008/08/12)
Kate & Anna McGarrigle

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1. Kiss and Say Goodbye
2. My Town
3. Blues in D
4. Heart Like a Wheel
5. Foolish You
6. (Talk to Me Of) Mendocino
7. Complainte Pour Ste-Catherine
8. Tell My Sister
9. Swimming Song
10. Jigsaw Puzzle of Life
11. Go Leave
12. Travellin' on for Jesus

フォーク、ケルト系の伝承曲、シャンソン、ゴスペル、ポップス、スタンダード曲に至るまで、様々な音楽の影響が垣間見え、かつ彼女たちなりに昇華し独特の個性を放っていました。それでいて気取ることなくさりげない雰囲気は心の琴線に触れるようでもあり、心が洗われるようでもあります。
メロディが美しく、ハーモニーの優雅さに耳を奪われますが、歌詞の内容はアイロニーに富んで哲学的な一面も。このあたりも彼女たちの特異な点が醸し出されたゆえの魅力なのかもしれません。

それではアルバムの中から何曲か紹介します。まず、1990年にニューヨークで行われた「Heart Like a Wheel」のライヴ映像をご覧ください。


HEART LIKE A WHEEL
心はまるで車輪のようだと言う人がいる
折り曲げてしまったら元に戻せないと
私のあなたへの愛は沈み行く船のよう
そして私の心は海の真ん中に出ていくその船の中

死は悲劇的だと人々は言う
生涯一度だけ訪れて終わり
だけど私が唯一求めているのは
その深くて暗い深淵
真実の恋人がいないのに
生きていて何になるの

ひどいことをされたら
勝ち得る愛は何もない
そんなことはよくあること
私には理解出来ない
ああ どうか神様
私の手を取ってください
どうしてあんなことが私に起こったのでしょう

それは愛だけ
愛だけが人間をめちゃくちゃにして
ひっくりかえるほどの混乱に陥れる

それは愛だけ
愛だけが人間をめちゃくちゃにして
ひっくりかえるほどの混乱に陥れる

ルーファスとマーサは十代の頃よりマッガリグル姉妹に連れられ、各地でステージの経験を積んでいました。これは2008年8月30日のニューヨークで行われたライヴ映像。貼付け無効なので宜しければ下記のURLをクリックしてご覧ください。

http://http://www.youtube.com/watch?v=O7BoJq_21kk

リンダ・ロンシュタットのヴァージョンはライヴ映像でご覧ください。


こちらは1976年のドイツ公演の模様です。


私はリンダに大甘なのでもう1本アップします。こちらは2004年のニューヨークはビーコン・シアターでのライヴ映像。風格が出ています。


アイルランドを代表するシンガー、メアリー・ブラックの1979年の映像です。


アイルランド出身のフォーク・ロック・バンド、ザ・コアーズの2005年のライヴ映像。ケルト・サウンドとポップスが融合されたサウンドで人気を博しています。スタジオ録音は2005年リリースの『Home』に収録。


バカなあなたがほしいの、とユーモラスに歌われる「Foolish You」は1979年ドイツのTVショー出演のライヴ映像。


これも1991年のニューヨークのライヴ・ハウスの映像で、「(Talk to Me Of) Mendocino」。Mendocino(メンドシーノ)とはカリフォルニア州にある岬です。歌の内容はニューヨークに別れを告げてカリフォルニアへと向かうまでの思いを描いたもの。


こちらはRTE/BBC共同制作の音楽番組「トランス・アトランティック・セッション」の映像から。


2008年のヴァレンタイン・デーに行われたニューヨークのラジオ・シティ・ホールにおけるライヴ映像です。


こちらも2008年8月30日のニューヨークにおけるライヴ映像。貼付け無効なので宜しければ下記のURLをクリックしてください。

http://www.youtube.com/watch?v=FPopA5Y0XcE

今回はリンダの記事ではないのですが、彼女に再び登場してもらいます。このヴァージョンは1982年のアルバム「Get Closer」に収録されていました。


Complainte Pour Ste-Catherineは1984年にニューヨークで収録されたTVコンサートの映像。フランス語で歌われています。


1977年にドイツのTVショーに出演した時の映像です。


恋人に別れを告げる歌、「Go Leave」は1984年のソロ・パフォーマンス。TV番組のためにニューヨークで撮られたもののようです。


最後にもう2曲。アルバム収録曲ではありませんが、姉妹のルーツでもあるフォスターの楽曲「Better times Are Coming」で今回はお開きにしたいと思います。ルーファスも参加した1991年の映像です。


同じくフォスターの「Hard Times come Again No more」。ルーファスに加えて、エミルー・ハリス、メアリー・ブラックらの顔も見えます。


Thanks, Ms. Kate McGarrigle

karla Bonoff - KARLA BONOFF

今回の記事は再び細面の女性シンガー・ソング・ライターの作品です。ご登場いただくのはカーラ・ボノフ。彼女が1977年に発表したファースト・アルバム、『Karla Bonoff』を取り上げます。

Karla BonoffKarla Bonoff
(2008/03/01)
Karla Bonoff

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1. Someone to Lay Down Beside Me
2. I Can't Hold On
3. Lose Again
4. Home
5. Faces in the Wind
6. Isn't It Always Love
7. If He's Ever Near
8. Flying High
9. Falling Star
10. Rose in My Garden

以前に240さんが素晴らしい記事を書いておられて重複するところも多々ありますが、私なりの見解を述べさせていただくことに致します。至らぬ記述が出て来ると思われますが、どうかご容赦ください。

カーラ・ボノフは1952年12月27日、カリフォルニア州ロサンゼルスに生まれました。幼い頃からピアノを習い、ピート・シーガーが在籍したことで知られるザ・ウィーバーズのメンバーだったフランク・ハミルトンからギターの手ほどきを受けたといいます。
そうした音楽の英才教育のおかげか、彼女が16歳の頃には姉とデュオを組んでロサンゼルスの老舗クラブ、トルバドールに出演するようになりました。そこで知り合ったのが当時リンダ・ロンシュタットとストーン・ポニーズというバンドで活動していたケニー・エドワーズ。彼は1969年にストーン・ポニーズが解散するとカーラ・ボノフに白羽の矢をたて、アンドリュー・ゴールドとウェンディ・ウォルドマンを加えた4人でブリンドルというグループを結成します。
ブリンドルはA&Mレコードと契約し、1970年にシングル「Work Up This Morning / Let's go Home Again」をリリース。アルバムも制作されましたが、諸般の事情で陽の目を見ることなくグループは解散してしまいました。カーラは再びトルバドールで歌う傍ら、一足先にソロ・デヴューしたウェンディ・ウォルドマンのバック・ボーカルを担当するといった下積みの日々を送ります。


そんな彼女に転機が訪れたのは5年後。ベーシストとしてリンダ・ロンシュタットのバック・アップを引き受けていたケニー・エドワーズがブリンドルのメンバーをリンダに紹介したのです。リンダはカーラ・ボノフとウェンディ・ウォルドマンをバック・ボーカルとして起用。ソロ・アルバムを出してマルチ演奏家としての才能を見せつけたアンドリュー・ゴールドも加わり、ギターにピアノにバック・ヴォーカルにと重宝されました。さらにリンダはカーラのソング・ライターとしての素質を見抜き、彼女が作った「Lose Again」、「If He's Ever Near」、「Someone To Lay Me Down Beside Me」の3曲を取り上げています。こうして元ブリンドルの面々が集結した格好のリンダ・ロンシュタットのアルバムは1976年に『Hasten Down The Wind』のタイトルでリリースされました。

Hasten Down the WindHasten Down the Wind
(2009/03/24)
Linda Ronstadt

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リンダ・ロンシュタットのアルバム『Hasten Down The Wind』に収録されたカーラ・ボノフの楽曲は注目を浴び、同時にリンダの評価をもますます高めることになりました。女心の機微を描いたカーラの作品を歌うことにより、リンダは女性ならではの感情を巧みに表現できる力を発揮していたのです。
リンダへの貢献の見返りといっては語弊があるかもしれませんが、リンダやケニー・エドワーズらの後押しでカーラにも遂にソロ・デヴューの機会が巡ってきました。ケニー・エドワーズのプロデュースのもと、リンダ・ロンシュタット、グレン・フライ、J.D.サウザー、ワディ・ワクテル、ダン・ダグモア、リー・スクラー、ラス・カンケルといったリンダ人脈ともいえる錚々たるメンバー、ブリンドル時代の仲間であるアンドリュー・ゴールドやウェンディ・ウォルドマンがカーラの門出を祝うように駆けつけたのです。

それではアルバムの中から何曲か紹介します。オープニング・ナンバーは「Someone To Lay Down Beside Me」。物悲しい雰囲気の中で孤独な女性の心理が歌われます。一夜の情事やひと時の至福感を求める様に心が痛みました。


SOMEONE TO LAY DOWN BESIDE ME
通りで佇むひとりぼっちの誰か
行き交う人が声を掛けてくれるのを待っている
あなたはこの街で一人きり
傍らにいた人はどこへ行ったの
夜になれば寂しげな顔があなたをじっと見つめる
彼らは言うだろう ねえ、一緒に帰らないかと
あなたは目を輝かせ、その気になり、解放された気分を味わうけど
そんなことはありふれた情事
そんな愛は胸をときめかすほどのものじゃない
でもいまのあなたが必要としているのはそんなことなのね

私の隣で寝てくれる誰か
本気でなくてもいい
私の隣で寝てくれる誰か
そんな運命にある人

私の隣で寝てくれる誰か
本気でなくてもいい
私の隣で寝てくれる誰か
そんな運命にある人

朝が来て 街の灯りが消えると
太陽がこのつれない世間の苦痛を和らげてくれる
そんな愛は胸をときめかすほどのものじゃない
でもいまのあなたが求めているのはそんなことなのね

私の隣で寝てくれる誰か
本気でなくてもいい
私の隣で寝てくれる誰か
そんな運命にある人

リンダ・ロンシュタットのヴァージョンは1977年頃のライヴ映像でお楽しみください。


打って変わって軽快な「I Can't Hold On」。歌詞の中では「あなたの振る舞いに声を上げて叫びたくなる/遊び半分なんだから/あれこれ悩みながら/あなたが変わってくれるんじゃないかと期待している」との微妙な心の動きが描かれていました。


2009年9月27日のライヴ映像です。この人は幾つになってもキュートで清楚ですね。 


ピアノの弾き語りで「まだ思い焦がれている/どうかしているわね/愛していながらまたふられた私」と別れた恋人への未練と後悔が歌われる「Lose Again」。


2007年発表の『Karla Bonoff Live』から。


1976年11月16日のドイツ公演でのリンダ・ロンシュタット。


こちらもリンダのライヴ映像。


カントリー・ロック調の「Home」。人生で関わった人々の顔を思い浮かべながら望郷の念が語られていました。2005年3月の東京公演の映像でご覧ください。マンドリンを弾いているのはケニー・エドワーズです。


1995年にブリンドルは再結成しています。これは2002年11月に行われたのコンサートのライヴ音源とのこと。


チャーミングな声で「いつも絶望させるのは愛じゃないの?/いつも泣かされるのは愛じゃないの?/でもいつも涙を拭ってくれるのも愛じゃないかしら?」と歌われる「Isn't It Always Love」。ウェンディ・ウォルドマンがバック・ヴォーカルで参加。


アコースティック・ギターの響きをバックにして「愛を見分けるのは難しい/私の前にあるのなら/そうだと知りたい」としみじみに歌われる「If He's Ever Near」。ケニー・エドワーズ、グレン・フライ、J.D.サウザーのコーラス陣がかよわきカーラを支えているかのようです。


こちらも2005年3月の東京公演から。ベースはケニー・エドワーズが務めていました。


これも未練心を描いた「Falling Star」。寂しく鳴り響くハルモニウムはアンドリュー・ゴールドが弾いていました。


リンダ・ロンシュタットがバック・ヴォーカルで参加の「Rose in My Garden」。庭に植えられた薔薇に気を配って咲かす努力をすれば恋人の心も開かれるという願望が込められた歌でした。リンダとカーラの声質はよく似ています。


このファースト・アルバムでのカーラ・ボノフは決して歌がうまいわけでなく、ピアノ演奏にもどこかぎこちなさが窺えます。しかし、そんなカーラの繊細さが彼女が描く世界、微妙な女性の心理や感情を表しているようであり、持ち前の可憐ではかなげな魅力がよく示されているようにも受け取れました。
明るく活発なリンダ・ロンシュタットに対して物憂げで透明感のあるカーラ・ボノフ。声質は似ていても対照的な個性と雰囲気を持つ二人。でも、案外芯の強いのはカーラ・ボノフのほうなのかもしれません。
カーラ・ボノフにしろリンダ・ロンシュタットにしろスタジオ録音のオリジナル・アルバムが久しくリリースされていません。現代の音楽産業の状況や潮流の変化、景気の動向などが大きく関わっているのでしょう。音楽をめぐる環境も大きく変わりました。それ故にCDというパッケージであれ音楽配信であれ、どういう形になろうと近いうちに彼女たちの新作が聴けることを心待ちにしております。

Bobby Charles - Wish You Were Here Right Now

ボビー・チャールズさんが2010年1月14日に71歳の生涯を閉じられました。今回は彼が1994年に発表したサード・アルバム、『Wish You Were Here Right Now』を取り上げます。

君がここにいてくれたならWish You Were Here Right Now(君がここにいてくれたなら)
(1994/11/25)
ボビー・チャールズ

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Wish You Were Here Right NowWish You Were Here Right Now
(1995/04/25)
Bobby Charles

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1. Not Ready Yet
2. Jealous Kind
3. See You Later, Alligator
4. I Want to Be the One
5. Promises, Promises (The Truth Will Set You Free)
6. Walking to New Orleans
7. Mardi Gras Song
8. I Remember When
9. Ambushin' Bastard
10. Peanut
11. I Don't See Me
12. Wish You Were Here Right Now

ボビー・チャールズの作品といえばファースト・アルバムである『Bobby Charles』が有名ですが、こちらはpurple_hazeさんwhiteさんsugarmountainさんらが素晴らしい記事を書かれており、私如きが語るのはおこがましく敢えてこの『Wish You Were Here Right Now』についての私見を述べさせていただくことにします。また、purple_hazeさんkaorakさんkingさんの追悼記事も合わせてご覧くださると幸いです。

ボビー・チャールズ+4(K2HD/紙ジャケット仕様)ボビー・チャールズ+4(K2HD/紙ジャケット仕様)
(2007/03/07)
ボビー・チャールズ

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ボビー・チャールズは1938年2月21日にルイジアナ州アベヴィルに生まれました。10代の頃よりR&Bに親しみ、フアッツ・ドミノやジョー・ターナーを聴いていたといいます。
やがて、仲間とザ・カーディナルズを結成。当時流行ったR&Bのナンバーを演奏する傍ら、ボビーは自分で曲を書き始めるようになりました。
地道な活動が認められたのか、1955年、ボビー・チャールズはチェス・レコードのオーディションを受けてレナード・チェスに見初められ同社と契約。レーベル初の白人アーティストとしてデヴューする運びとなります。チェスには1957年まで在籍。その後も幾つかのレコード会社を渡り歩きながらシングルを発表し続けるもののヒットには恵まれませんでした。
シンガーしては成功をつかめない日々を送りましたが、ソング・ライターとしての才能は高く、1955年にリリースした「See You Later Alligator」は翌1956年にビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツに取り上げられてヒットしました。


ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツのヴァージョンはライヴ映像でご覧ください。


1970年代から80年代にかけて人気があったイギリスのロック・バンド、ドクター・フィールグッドも1986年にカヴァーしていました。


その後は仕事が減少してドラッグに手を出すようになり、さらに父親が亡くなってどん底の毎日に陥ります。そんな失意の中、故郷を離れ街から街へ彷徨う旅に出たボビー・チャールズ。ナッシュヴィルを経てニューヨークを北上、たまたま辿り着いたニューヨーク州郊外のウッドストックでザ・バンドのメンバーとの運命的な出会いがありました。彼らはアメリカのルーツ的な音楽要素を昇華し再構築しようとの意図を持っていたのです。伝統に根ざしたロック・ミュージックを作り出そうとする試み。当時のウッドストックのミュージシャンにはそんな気運が高まっていました。
言わば伝説の人であるボビー・チャールズは温かく迎えられ、ウッドストックのミュージシャンたちと親交を深めて行きます。ナッシュヴィル時代の旧友であるベン・キースの仲介でボビー・チャールズはボブ・ディランのマネージャーとして有名なアルバート・グロスマンとも知り合い、彼が立ち上げたベアズヴィル・レーベルからファースト・アルバムのリリースのオファーさ受けました。
レコーディングにはロビー・ロバートソンを除くザ・バンドのメンバーが参加。ベン・キース、エイモス・ギャレットら後にハングリー・チャックを結成する面々にドクター・ジョン、デヴィッド・サンボーンらも駆けつけ、アルバムはウッドストックの腕利きたちが集結した様相を呈します。プロデュースはボビー・チャールズ自身とジョン・サイモン、そしてザ・バンドからリック・ダンコの3人。完璧なまでの豪華な布陣によって穏やかなボビーの歌唱が支えられ、ゆったりとした味わい深い世界が繰り広げられていました。しかし、セールス的には成功を収められずに終わります。

放浪生活を長く送ったのが災いしたのか、ツアーに出るのが苦手だったボビー・チャールズ。そのことが売れなかった一因になったようです。それでもヒット曲「See you Later Alligator」の印税のおかげで路頭に迷うことなくマイペースで活動を続け、1987年にセカンド・アルバム『Clear Water』を発表。そして、1995年にリリースされたのがこの『Wish You Were Here Right Now』です。

それではアルバムの中から何曲か紹介します。サニー・ランドレスが弾くギター・ソロが味わい深い「The Jealous Kind」。


THE JEALOUS KIND
ベイビー、怒らないでくれ
おまえに熱を上げていたっていう
昔の知り合いに出会う度に
俺は荒っぽくなるかもしれないけれど
ただ怖いだけなんだ
誰かがおまえを横取りしてしまうんじゃないかと
そしたら俺は気が変になっちまうよ
許してくれよ 俺が時々言うぼやきを

俺は嫉妬深いタチなんだろうなぁ
おまえと初めて会ったときは気にもしてなかったので
問題はなかった
でも今は変わっちまって
以前の俺じゃない
おまえを独り占めしたい気持ちに気づいているんだ
他の誰かとおまえを分かち合いたくない
だから時々抑えることが出来なくなるんだ
俺は嫉妬深いタチなんだろうなぁ

その言葉がどんなに俺を傷つけるのか
おまえに分かっていれば
二人が出会う前の楽しい日々が懐かしいとおまえは言う
どうして俺をそんなに傷つけるんだ
もう我慢出来ない 俺だって本当に努力してるんだ
ベイビー おまえがやきもちを嫌いなことは知っている
だから俺はそのことを必死に出すまいとしていたんだ
でも俺は嫉妬深いタチたちなのさ

ファースト・リリースは1962年のClarence "Frogman" Henry とのことです。


リタ・クーリッジが1978年発表の『Love Me Again』で取り上げています。リタは当時夫だったクリス・クリストファーソンとのデュエット・アルバム『Full Moon』(1973年発表)でもボビー・チャールズの「Tennessee Blues」(前述の『Bobby Charles』に収録)をカヴァーしていました。


フランキー・ミラーのカヴァー・ヴァージョンは2004年リリースのアルバム『Standing on the Edge』に収録。


ファースト・リリースは1962年のClarence "Frogman" Henry とのこと。他にもジョー・コッカーが『Stingray』(1976年発表)で、エタ・ジェイムズが『Seven Year Itch』 (1988発表)でそれぞれ取り上げていました。

歌詞に「ホワイト・ハウスの通じる道は嘘で固められている」、「悪魔が救われてしまったら伝道師はどうするつもりだろうか」と社会批判や政治的なメッセージが込められた「Promises, Promises (The Truth Will Set You Free)」。アメリカ社会に存在する様々な不正が歌われていました。


1960年に敬愛するフアッツ・ドミノに提供した「Walking To New Orleans」のセルフ・カヴァーヴァージョン。ドミノ自身もレコーディングに参加していました。


ファッツ・ドミノのヴァージョン。全米6位のヒットを記録しました。


ニール・ヤング、ウィリー・ネルソン参加の「I Don't See Me」。


人間性が滲み出ているかのような朴訥な歌声。辛辣なメッセージが込められていてもどこかのんびりとして癒されます。他にも「See You Later Alligator」の再録、ニール・ヤングや旧友ベン・キースが参加した「I Want Be The One」など捨て曲なしの構成。暫し手を休め、時が経つのを忘れて耳を傾けていたい1枚でした。

Thank You, Mr. Bobby Charles

Renee Armand - The Rain Book

前回のローラ・ニーロに続いて今回も女性シンガー・ソング・ライターの記事です。ご登場いただくのはレネー・アーマンド。彼女が1972年に発表したファースト・アルバム『The Rain Book』を取り上げます。
ザ・レイン・ブックザ・レイン・ブック
(2001/10/24)
レネー・アーマンド

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1. England
2. Elizabeth Rain
3. I Think You're Letting Me Go
4. Does Anybody Loves You
5. Friends
6. You & I
7. Falling Ladies
8. Raining In L.A.
9. Guess I Never Knew You
10. I'm Going Away

生年月日や出身地などの詳しいプロフィールは不明ですが、カレッジ在籍時にジャズ・バンドのリード・ヴォーカルを担当していたことが彼女の音楽活動のスタートのようです。その後カレッジを中退。1968年頃にウディ・ハーマンのビッグ・バンドに迎えられてプロ・シンガーの道を歩み始めます。
若くしてビッグ・バンドのシンガーとしてステージに立ち、多くのジャズのスタンダードやミュージカル・ナンバーを歌ったことは彼女にとって貴重な経験となりました。艶のある歌声、パワフルでダイナミックな唱法や静と動を巧みに使い分ける豊かな表現力はここで体得したものと思われます。ソング・ライティングの技量を身につけたのもこの頃のことでしょう。
ビッグ・バンドに3年ほど在籍してウディ・ハーマンのもとを去ったレネーはソング・ライターとしてコマーシャルの仕事を手掛けるようになりますが、1971年にリリースされた映画『Bless The Beasts And Children(動物と子供たちの詩)』のサウンド・トラック・アルバムの1曲に歌手として抜擢され、収録曲「Lost」(バリー・デヴォーゾン&ベリー・ボトキン・ジュニア作)をレコーディング。ちなみに主題歌はカーペンターズが歌っていました。
このレコーディングがきっかけとなったのか、レネー・アーマンドはA&Mレコードと契約を交わし、デヴュー・アルバム『The Rain Book』がリリースされる運びとなります。参加ミュージシャンにはダニー・クーチ(ギター)、ラリー・カールトン(ギター)、ジュー・オズボーン(ベース)、リー・スクラー(ベース)、ジム・ホーン(フルート)など腕利きのミュージシャンが参加。A&M側の期待が大きかったことを彷彿させました。
また、このアルバムはレネー・アーマンドの夫となるジム・ゴードンが殆どの曲でプロデュースを行っています。彼は天才的ドラマーとしてフィル・スペクターのレコーディング・セッションで頭角を現し、以後売れっ子ミュージシャンとして引く手あまたとなってジョン・レノン、カーペンターズ、ハリー・ニルソンなど数多くのアーティストの作品に参加。エリック・クラプトンとのデレク&ドミノス、スティーヴィー・ウィンウッドとのトラフィックのメンバーとしても活躍しました。ことにデレク&ドミノス時代には「Layla(いとしのレイラ)」の共作者としてクラプトンとともに名を連ねています。
レネー・アーマンドとジム・ゴードンが結婚したのは1973年。アルバムのレコーディング中は恋愛関係にあったと推測されます。ゴードンは妻となる愛する女性のためにいいところを見せようとハッスルしたのか、本職のドラムスだけでなくギターやピアノも弾いて懸命にバック・アップ。しかし、そんな涙ぐましい献身とは裏腹に歌詞の内容は別離について書かれたものが目立ちます。ゴードンの恋い焦がれる思いがレネーには重荷になっていたのでしょうか。
伝えられるところによると、実際の破局の理由はジム・ゴードンの暴力とのこと。もともとジム・ゴードンにDVの傾向があったのかどうか定かではありませんが、長年のドラッグ摂取の後遺症によると思われる幻覚や幻聴に苛まれ、レネーに暴力をふるって大怪我を負わす始末。当然ながら結婚生活は破綻。二人の幸福な期間は僅か半年で終わります。
ゴードンの症状はその後さらに悪化。1980年代に入ると精神分裂症となり一線を退きました。1983年には錯乱状態の中で実母を銃殺するという事件を起こし、現在も服役中だそうです。

この『The Rain Song』が発表された1972年はシンガー・ソング・ライターが脚光を浴び始めた時代でした。発売当初レネー・アーモンドの作風はローラ・ニーロやキャロル・キングと比較されましたが、曲調や歌声はむしろイーヴィ・サンズを連想させます。

期待されながらのデヴュー・アルバムの不発、離婚といったアクシデントにいつまでも滅入ることなく、レネー・アーマンドはスタジオ・シンガーや楽曲提供でバック・バンドのシンガーとして活動を続けます。スタジオ・セッションではリア・カンケルのファースト・アルバム『LEAH KUNKEL』(1979年発表)収録の「I've Got To Get A Message To You(獄中の手紙)」やリトル・フィートの『Let It Roll』(1988年発表)収録の「Hangin' on to the Good Times」などへの参加がよく知られているところ。楽曲提供ではサム・ブラウンとの共作「One Day In Your Life」をマイケル・ジャクソンが歌って1981年に全米55位、全英1位のヒットを記録しています。なお、この曲はマイケルが1975年リリースしたアルバム『Forever, Michael』に収録されていました。
また、1977年頃にジョン・デンバーのバンドにバック・ヴォーカルとして加わり、78年には彼のレーベルであるウインドソングから2作目のアルバム『In Time』を発表。サックス/フルート奏者としてお馴染みのジム・ホーンがプロデュースにあたり、ダニー・クーチ、ラリー・カールトン、スティーヴ・クロッパー、フレッド・タケット、デイヴィッド・フォスターら錚々たるメンバーが参加していました。
1984年には旧知のリア・カンケル、マーティ・グインらとコヨーテ・シスターズを結成してアルバム『THE COYOTE SISTERS』をリリース。リア・カンケルはママ・キャス・エリオットの実妹で、バック・ヴォーカルとしての実績とソング・ライターとしての実力を持ち、2枚のソロ・アルバムを発表。マーティ・グインも様々なアーティストのアルバムにスタジオ・シンガーとして参加し、自身もソロ・アルバムをリリースした経歴がありました。
しかし、このアルバムを最後にレネー・アーマンドの名前は聞かれなくなり、2001年に突然発表されたコヨーテ・シスターズのセカンド・アルバム『WOMAN AND OTHERVISIONS』に作詞提供が1曲だけあるのみ。再び表舞台に戻って来てほしいところです。

なおレネー・アーマンドの『In Time』については田中タケル様のサイト「IN A FAR AWAY LAND」を参照させていただきました。この場を借りて感謝の言葉を述べさせていただきます。ありがとうございました。

それではアルバムの中から何曲か紹介しましょう。オープニング・ナンバーはジム・ゴードンとの共作、「England」。ジム・ホーンの奏でるフルートの爽やかな音色にしっとりとしたレネー・アーマンドの歌声が印象的。タイトルが示すように、何となくサンディ・デニーらブリッティッシュ・トラッドのシンガーの雰囲気が窺えました。ジム・ゴードンはドラムス、パーカッション、ピアノ、ギターと獅子奮迅の大活躍です。


控えめながらもソウルフルな歌唱が心に残る「Elizabeth Rain」。この曲のギターはダニー・クーチとルイ・シェルトンが担当しており、ジム・ゴードンはドラムスのみです。


シングル・カットされた「Raining In L.A.」。ゲイリー・パケット&ザ・ユニオン・ギャップの元メンバー、ケリー・チェイターとの共作です。この曲のギターはラリー・カールトンが弾いていました。


RAINING IN L.A.
電話であれこれ話したわ
あなたがどこへ行ったのか聞こうとして
いつ電話してもつながらない
私の留守番電話を聞いたはずよね

ロサンゼルスは雨だってね
思いもよらない嵐に見舞われているって
ロサンゼルスは寒くて雨が降っているのね
誰があなたを暖めてくれるのかしら

空白のページにたくさんの言葉を書いたわ
私が何をしたかをあなたに聞きたくて
手紙を送っても返事をくれない
私が書いた言葉を呼んだはずよね

ロサンゼルスは雨だってね
思いもよらない嵐に見舞われているって
ロサンゼルスは寒くて雨が降っているのね
誰があなたを暖めてくれるのかしら

少し前に聞いたのはあなたが一人でいるということ
もう誰も必要としないのね
いつもあなたを愛していたのに受け入れてもらえなかった
もうあなたは本当にいないのね

アルバムの最後を飾るのはケリー・チェイターとの共作曲「I'm Going Away」。少々仰々しいオーケストラの演奏で始まるこの曲は「I'm going away / He knows my love is stronger than he cares to say(私は行くわ/彼が思っている以上に私の愛は強いけど)」といった歌詞にレネー・アーマンドとジム・ゴードンの行く末を暗示しているかのように受け取れました。力強いゴードンのドラムスは却って虚しく響き、情感豊かなレニーのヴォーカルが涙を誘うかのようです。この曲での作風と歌唱はローラ・ニーロを思い起こさせました。


コヨーテ・シスターズのアルバムから1曲お聴きください。


1973年に放映されたナタリー・ウッド主演のアメリカのテレビ・ドラマ『The Affair』からの映像。ナタリー・ウッドが劇中で歌った「I Can See You Anymore」を提供していました。


ジョン・デンバーに提供された「The River」。この曲が収録された彼のアルバム『perhaps Love』(1980)は諸般の事情でお蔵入りしていましたが、1988年にリリースされた未発表曲集『Forever, John』にて陽の目を見ました。


前述のマイケル・ジャクソンに提供した「One Day In You Life」。


ライヴ映像です。


Laura Nyro - Eli And The Thirteenth Confession

今回は1968年に発表されたローラ・ニーロの『Eli And The Thirteenth Confession』について言及したい。このアルバムも遼さんの「DAYS OF MUSIC & MOVIES」MASAさんの「rolling beat blog」DEB DYLANさんの「DEB DYLAN の 風に吹かれて」purple_Hazeさんの「Blues Power」といった先達が私のような者の知識や技量では足下にも及ばぬ記事を書かれており、今さら取り上げるに及ばないのかもしれない。しかし、勝手ながら敢えてこの場で私見を述べさせていただくことにする。

イーライと13番目の懺悔イーライと13番目の懺悔
(2002/08/21)
ローラ・ニーロ

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1. Luckie
2. Lu
3. Sweet Blindness
4. Poverty Train
5. Lonely Women
6. Eli's Comin'
7. Timer
8. Stoned Soul Picnic
9. Emmie
10. Woman's Blues
11. Once It Was Alright Now (Farmer Joe)
12. December's Boudoir
13. The Confession
14. Lu (Demo) (Bonus Track)
15. Stoned Soul Picnic (Demo) (Bonus Track)
16. Emmie (Demo) (Bonus Track)

ヴァーヴ・レコードから放り出されたもののマネージャーとなったデヴィッド・ゲフィンの働きが功を奏し、念願のCBSとの契約が結ばれ自由な創作の場を与えられたローラ・ニーロ。プロデューサーにフォー・シーズンズのアレンジャーとして名高いチャーリー・カレロを迎え、1968年1月から2月にかけてセカンド・アルバムとなる『Eli And The Thirteenth Confession』のレコーディングが行われた。ちなみにチャーリー・カレロは山下達郎氏のアルバム『CIRCUS TOWN』(1976年発表)のプロデューサーとしても知られる。
チャーリー・カレロの起用はローラが紡ぎ出そうとするサウンドや変幻自在のヴォーカルを具現化するには適任だった。ローラ・ニーロ自身もたんなる自作自演歌手ではなく、共同制作者として深く関与している。歌のみならず殆どの曲で自らピアノを弾き、バック・ヴォーカルも彼女本人によるものだ。
そうした二人の妥協を許さぬ心意気がダイナミックな音作りへと発展して行く。チャーリー・カレロによって結集されたチャック・レイニー(ベース)、ヒュー・マクラッケン(ギター)、バディ・サルツマン(ドラムス)、ポール・グリフィン(ピアノ)といった腕利きのスタジオ・ミュージシャンを配しての重厚なサウンド。加えてジョー・ファレル(サックス、フルート)、ズート・シムズ(サックス)などジャズ界の名手が参加。ローラの織りなす楽曲にさらなる斬新な息吹を吹き込み、輝きと説得力が増した。
アルバムには女性であることの喜びと絶望、都市生活の光と影、恋愛と失恋、憧れ、怨恨、孤独、飲酒、ドラッグ、死といった人生における様々な体験や機微といったものが13篇の物語の中に綴られている。好奇心が人一倍に旺盛で、死をも恐れぬほど気丈な反面、純粋で傷つきやすく一途な人だったローラ・ニーロ。彼女のひたむきに自分の音楽に向き合う誠実さ、ほとばしる情熱、溢れ出るエネルギーといったものが昇華され結実した作品と言えよう。

オープニングを飾る「Luckie」。軽快でグルーヴィーなシャッフルに胸が躍るナンバーだ。都会を闊歩するような感覚を覚えるものの歌詞にはドラッグの匂いが嗅ぎ取れる。


ポップなR&Bが心に沁みる「Lu」。途中でリズムが変わるのはローラ・ニーロならではのもの。


心弾むようなポップなナンバー「Sweet Blindness」。


1960年代後半に活躍したコーラス・グループ、5th Dimentionのカヴァー・ヴァージョン。1968年にシングルでリリースされ、全米13位を記録した。


少々不気味な雰囲気で始まるジャジーな「Poverty Train」。ジョー・ファレルのフルートが効果的。歌詞の中に出て来る悪魔やコカインといった言葉が不気味な印象を放っている。


1967年に開催されたモンタレー・ポップ・フェスティヴァル出演時のライヴ映像。「Wedding Bell Blues」のエンディングから「Poverty Train」へと続いて歌われる。


ズート・シムズの哀愁を帯びたサックスの音色が都会の女の孤独を物語るかのような「Lonely Women」。「寂しい女のために誰ひとりとして家路を急がない」、「死なせて」と具体的な言葉が記され非痛な叫びが歌われる。


「Eli's Comin'」。ブラス・セクションが畳み掛けるように迫る。ここでのピアノはローラではなく、ポール・グリフィンが担当していた。


1970年代に数多くのヒット曲を放って人気を誇ったバンド、スリー・ドッグ・ナイトのカヴァー・ヴァージョン(1969年シングルにてリリース)はライブ映像でご覧いただきたい。全米10位まで上昇した。


ローラのヴォーカルの魅力が十二分に表されたような「Timer」。語りかけるような、力強くシャウトするような歌声とオーヴァーダビングされたローラ自身によるコーラスが変化に富んでいる。


魂がぶっ飛ぶようなピクニックとでも訳すのだろうか。この「Stoned Soul Picnic」はドラッグやアルコールでハイになった状態のことであろう。


5th Dimentionのカヴァーは1968年にシングルにてリリース。全米3位の大ヒットとなった。


ジャジーでお洒落なサウンドで知られるスウィング・アウト・シスターのカヴァー・ヴァージョンは1997年リリースの『Shapes and Patters』に収録。


一転してチャーミングな楽曲「Emmie」。多感な少女時代に決別し、大人の女性へと成長して行く瞬間が表されている。母と子の愛と受け取れる表現、あるいはフェミニズムと窺える面もあるが、女性讃歌的な要素はローラ・ニーロ自身がその後も綴り続けたテーマのひとつだ。
アルバムの裏ジャケットに大人の女性が少女の額にキスをするモノクロのシルエット写真が使われているが、この曲を象徴する印象的な1枚に思えた。


EMMIE
ウー ラララ
エミリーと未来の恋人は
ベリーの木に心の印を彫った
だけどそれは愛の別れを告げる言葉
女へと成長する時
私に触れて
ああ 私を目覚めさせて
エミリー
あなたは私のために大地を飾り立ててくれる

エミリー
あなたは無垢の雪
自然の海
あなたはカメオ
私は断言出来る
あなたは機織りの恋人として
生まれて来たのだと
織機を悦ばすために生まれて来たのよ
私を動かして
揺らして
エミリー
あなたは私のために大地を飾り立ててくれる

エミリー
あなたのママがあなたをずっと呼んでいたわ
おお
誰がママの心を虜にしたの
誰がこの庭で抱擁したの
愛しきエミー
ウー ラララ
あなたは私の友だちだった
私はあなたを愛している
エミリー

ライヴ・ヴァージョンは1989年に発表された『LIVE AT THE BOTTOM LINE』から。歌声に深みが出ている。


タイトルからも察せられるように、失恋して自暴自棄になった女を描いた「 Woman's Blues」。物悲しい雰囲気から一転して激しい曲調へと変化して行く様は怨念めいたものさえも感じてしまう。


ファンキーな「 Once It Was Alright Now (Farmer Joe)」。リード・ヴォーカルとしてBS&Tからローラ・ニーロが誘われた理由がよく分かるようなポップなブラス・ロックに仕上げられている。ここでもポール・グリフィンがピアノを弾いていた。


情念が揺らめくような美しいバラード曲、「December's Boudoir」。


アルバムを締めくくるフォーキーでソウルフルな「The Confession」。奔放な愛の表現が目立ち、"Love my lovething"という言葉が意味深である。


The Byrds - Untitled [Studio Recording]

今回は前回に取り上げたザ・バーズのアルバム『Untitled』のスタジオ・ヴァージョンについて言及します。

UntitledUntitled
(2000/02/24)
The Byrds

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Disc : 1
1. Lover of the Bayou [Live]
2. Positively 4th Street [Live]
3. Nashville West [Live]
4. So You Want to Be a Rock 'N' Roll Star [Live]
5. Mr. Tambourine Man [Live]
6. Mr. Spaceman [Live]
7. Eight Miles High [Live]
8. Chestnut Mare
9. Truck Stop Girl
10. All the Things
11. Yesterday's Train
12. Hungry Planet
13. Just a Season
14. Take a Whiff on Me
15. You All Look Alike
16. Welcome Back Home
Disc:2
1. All the Things [Alternate Version]
2. Yesterday's Train [Alternate Version]
3. Lover of the Bayou [Studio Recording]
4. Kathleen's Song [Alternate Version]
5. White's Lightning, Pt. 2 [Studio Recording]
6. Willin' [Studio Recording]
7. You Ain't Goin' Nowhere [Live]
8. Old Blue [Live]
9. It's Alright, Ma (I'm Only Bleeding) [Live]
10. Ballad of Easy Rider [Live]
11. My Back Pages [Live]
12. Take a Whiff on Me [Live]
13. Jesus Is Just Alright [Live]
14. This Wheel's on Fire [Live]

まず、1曲目はロジャー・マッギンとジャック・レヴィの共作「Chestnut Mare」。この曲は『人形の家』で知られる劇作家ヘンリク・イプセンの戯曲『ペール・ギュント』を原作としたジャック・レヴィ演出のミュージカルのために書かれた曲です。自由奔放なペール・ギュントが放浪の旅に出て放蕩を繰り返したあげく年老いて故郷に戻るという物語で、栗毛の雌馬は原作には出てきませんが、果てしない夢や人生を象徴しているのでしょう。それらはロジャー・マッギン自身が生きてきた中での経験や体験とも重ね合わされていると思われました。
なお、残念ながらこのミュージカルは十分な資金を集めることが出来ずに上演されなかったとのことです。


CHESTNUT MARE
群れから離れていつも一頭だけ
今まで見た中で一番綺麗な雌馬
俺の言葉を信じてもらっていい
出来るならあの馬を捕らえてみせる
そうして俺の焼き印を押すんだ

この栗毛の雌馬を何週間も追いかけて
石だらけの尾根を登って行った時
彼女の姿がちらりと目に入った
食事をしたり 水浴びしているところを
美しい雌馬よ
ある日
彼女のごく近くに居合わせて
すぐそこに立っているのを見つけた
それで俺はそっと忍び寄り
ロープを出して宙に投げたんだ

出来るならあの馬を捕らえてみせる
そうして俺の焼き印を押すんだ
そして俺たちは生涯の友になる
彼女は俺のワイフのようになるだろう
あの馬を捕らえるつもりさ

彼女にロープを掛けて引っ張っても
梯子にのぼった頑固者のように引っぱり返す
だから俺はチャンスに賭けて彼女に飛び乗った
うまく背中に乗れなかったら大事だ
彼女は尾根のほうへと走り出す
俺がこれまで行ったこともない高いところへと
彼女は素晴らしく駆けていたが立ち止まった
何かがぬっと出て来たのだ
とぐろを巻いたガラガラヘビが攻撃しようとしている
彼女は一瞬どうしていいのか分からなかったが
崖っぷちから飛び降りたので俺はしがみついていた

丘の上 鷲よりも高く俺たちは飛んでいる
空の中を浮遊しているみたいだ
月を越えまっすぐ太陽に向かって
俺たちは浮かんでいた
俺の眼は光で満たされ
俺たちの後ろには黒い壁があり
下には底なしの峡谷があった
音もなくふわふわとしていたかと思うと
はるか下にいたカモメが突然浮上して来たようになり
まわりが爆発した

出来るならあの馬を捕らえてみせる
そうして俺の焼き印を押すんだ
そして俺たちは生涯の友になる
彼女は俺のワイフのようになるだろう
あの馬を捕らえるつもりさ

俺たちはおよそ1マイルも下にある谷間へ
落ちて行こうとしていた
下を見ると赤いものが俺たちの真下にあり
それがものすごい速さで近づいて来る
それはなんと幅約6フィート、深さ1フィートの
小さな水たまりに映った俺たちの姿だったのだ
そして俺たちはまっすぐにそこへ突っ込んだ
激しく水面に激突したので
水たまりの水はすべてはじき飛ばされ
その時俺は手を放し 彼女は逃げてしまった
でもいつの日か俺は彼女を捕まえてみせるつもりさ

出来るならあの馬を捕らえてみせる
そうして俺の焼き印を押すんだ
そして俺たちは生涯の友になる
彼女は俺のワイフのようになるだろう
あの馬を捕らえるつもりさ

1971年にドイツのTVショーに出演した際の映像。Jimmy Seiterというパーカッショニストが加わっていました。時おり手振りを交えて訴えかけるようなロジャー・マッギンの姿には説得力があります。


ロジャー・マッギンはこの曲がお気に入りのようで、解散後もステージで歌い続けています。これは1986年のシアトルで行われたライヴ・パフォーマンスの映像です。


2009年10月9日にカリフォルニア州にあるPepperdine Universityで行われたステージの映像。


ローウェル・ジョージとビル・ペイン共作の「 Truck Stop Girl」。クラレンス・ホワイトがリード・ヴォーカルを担当しています。若いトラック運転手がトラック停車場の女と恋に落ちる話が切なく歌われます。クラレンスの悲しげな歌声を聴いていると、1973年に泥酔いした運転手の車に撥ねられてこの世を去った彼の姿が重なってしまいました。リトル・フイートのヴァージョンは1971年発表の『Little Feat』に収録。


ロジャー・マッギンとジャック・レヴィが共作したこの「All the Things」も前述のミュージカルのために作られた曲です。バック・ヴォーカルにはグラム・パーソンズが参加していました。


ジーン・パーソンズとスキップ・バッティン共作の「Yesterday's Train」。リード・ヴォーカルとハーモニカはジーン・パーソンズが担当していました。
スキップ・バッティンは共作を含めこのアルバムで4曲も手掛けており、ベース・ギターの演奏力のみならずソング・ライティングの実力を買われてのバーズ入団であったことが窺われます。この曲は「黄昏から黄昏へ。それでも何一つ死に絶えはしない」と再生がテーマにされた歌のようですが、バッティン曰く、「私は仏教を信じているので、再生や霊魂についての考え方も理解している」とのこと。ならば、再生というより輪廻転生といったほうが良いのかもしれません。


ボーナス・トラックとして収録された別ヴァージョンです。


これもミュージカルのためにロジャー・マッギンとジャック・レヴィによって書かれた曲、「 Just a Season」です。波瀾万丈の人生がマッギンの哀愁を帯びたヴォーカルで切なく歌われています。歌詞の最後で「I had my fun in the bull ring / And never got a scar / It really wasn't hard to be a star(俺は闘牛場で楽しみたい/傷つけられることなく/スターでいることよりも大変じゃないはずさ)」と心情を吐露するかのような部分があり、「Chestnut Mare」と合わせて鑑みると興味深い示唆を受け取れました。


スキップ・バッティン作のヴェトナム反戦歌「Welcome Back Home」。前述したようにスキップ・バッティンは仏教を信仰しており、この曲の中でも「南無妙法蓮華経」と歌われています。


ロジャー・マッギンとクラレンス・ホワイトの共作によるインストゥルメンタル、「White's Lightning, Pt. 2」。クラレンス・ホワイトの渋いギター・プレイが堪能出来ます。


ローウェル・ジョージ作でリトル・フイートでお馴染みのナンバー、「Willin'」。ジーン・パーソンズがリード・ヴォーカルを取っています。彼は1973年リリースのソロ・アルバム『Kindling』でも再録音していました。
リンダ・ロンシュタットが1974年発表の『Heart Like A Wheel』で、コマンダー・コディ&ヒズ・ロスト・プラネット・エアメンが1975年発表の『Commander Cody and His Lost Planet Airmen』で取り上げるなど、カヴァー・ヴァージョンは枚挙に暇がありません。
リトル・フイートのオリジナル・ヴァージョンは1971年の『Little Feat』と1972年発表の『Sailin' Shoes』に収録。


The Byrds - Untitled

今回はThe Byrdsが1970年に発表した『Untitled』を取り上げます。
このアルバムはもともとライヴ録音とスタジオ録音で構成された2枚組LPでしたが、CD化の際にその2枚組を1枚に収め、さらに未発表ヴァージョン集1枚を加えた2枚組として新装されました。

UntitledUntitled
(2000/02/24)
The Byrds

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Disc : 1
1. Lover of the Bayou [Live]
2. Positively 4th Street [Live]
3. Nashville West [Live]
4. So You Want to Be a Rock 'N' Roll Star [Live]
5. Mr. Tambourine Man [Live]
6. Mr. Spaceman [Live]
7. Eight Miles High [Live]
8. Chestnut Mare
9. Truck Stop Girl
10. All the Things
11. Yesterday's Train
12. Hungry Planet
13. Just a Season
14. Take a Whiff on Me
15. You All Look Alike
16. Welcome Back Home
Disc:2
1. All the Things [Alternate Version]
2. Yesterday's Train [Alternate Version]
3. Lover of the Bayou [Studio Recording]
4. Kathleen's Song [Alternate Version]
5. White's Lightning, Pt. 2 [Studio Recording]
6. Willin' [Studio Recording]
7. You Ain't Goin' Nowhere [Live]
8. Old Blue [Live]
9. It's Alright, Ma (I'm Only Bleeding) [Live]
10. Ballad of Easy Rider [Live]
11. My Back Pages [Live]
12. Take a Whiff on Me [Live]
13. Jesus Is Just Alright [Live]
14. This Wheel's on Fire [Live]

メンバーはロジャー・マッギン(g, vo)、クラレンス・ホワイト(g, vo)、スキップ・バッティン(b, vo)、ジーン・パーソンス(ds, vo)の4人。腕達者なミュージシャンが揃い、安定力のある充実した演奏が堪能出来ます。ことにクラレンス・ホワイトのギター・プレイは圧巻。ライヴ・バンドとしてのバーズの姿が反映されていました。

今回はまず、1970年初頭にニューヨークのクィーンズ・カレッジとフェルト・フォーラムで行われたライヴ録音(未発表ヴァージョンはフィルモア・イーストの音源を含む)のほうを紹介します。Youtubeにこのアルバムからの音源があまりないので、近い年代の映像を参考に掲げて言及して行くことを悪しからずご了承ください。
オープニング・ナンバーはサザン・ロック風のテイストが感じ取れるロジャー・マッギンと作詞家兼演出家であるジャック・レヴィ共作の「Lover of the Bayou 」。もともとはレヴィが演出したブロードウェイ・ミュージカルのために作られた曲で、南北戦争の頃の密輸業者や奴隷貿易業者のことを題材にしたとされています。


LOVER OF THE BAYOU
魔除けの袋に入れたなまずパイ
俺はよどんだ入江の恋人
半分ぬれた敷物でおまえの玄関に印をつけてくれ
俺はよどんだ入江の恋人
ワニと一緒に育てられて泳いだ
蛇の目からマリファナを教え込まれ
鶏の胆汁に葉をのせて吸っていた
俺はよどんだ入江の恋人

俺はマスター・ロックに合わせる鍵を知り
水時計の浮きも知った
稲妻のショックを捕らえることも学んだ
俺はよどんだ入江の恋人
売るための猫や歯や髪の毛も持っている
俺はよどんだ入江の恋人
おまえの尻尾には男爵のゾンビ
俺はよどんだ入江の恋人
ガンボ鍋でコウモリを料理し
錆びた缶から血を飲んで
最低の人間になった
俺はよどんだ入江の恋人

スタジオ・ヴァージョンです。むせび泣くような哀愁を帯びたハーモニカの音色が胸に迫り、ハウリングしながらエンディングを迎えるギターの音が心を打ちました。


1970年に行われたフォレスト・ナショナル・ホールでのライヴ映像。パーカショニストが加わってサウンドに厚みが出ていました。ボブ・ディランのカヴァー「You Ain't Go Nowhere」と続けてご覧下さい。
このパーカッショニストは誰かよく分かりませんでした。度々セッションに参加していたジョー・ララでもないようです。誰かご存知の方があればご教示していただけると幸いです。


1973年2月頃のTVショー、「Midnight Special」出演時の映像から「So You Want to Be a Rock 'N' Roll Star」。この番組は日本でも放送されました。解散直前の貴重な姿が映し出されています。なお、この時点で既にジーン・パーソンズが脱退しており、John Guerin か Jim Moon か Denis Dragon のいずれかでしょう。


バーズ解散後、ロジャー・マッギンのバンドによる同じ年に行われたコンサートのライヴ映像のようです。


ちなみに、こちらがスタジオ・ヴァージョン。1967年発表の『Younger Than Yesterday』に収録。


前述の「Midnight Special」からの映像。この「Mr. Tambourine Man」はアコースティック主体で演奏されており、クラレンス・ホワイトのギターがフィーチャーされたアルバムのヴァージョンと比べてかなり雰囲気が違い恐縮なのですがご覧いただければ幸いです。


10分以上の長い演奏に及ぶ「Eight Miles High 」。LPでは16分以上の長尺で、片面全部を占めていました。適当に切り上げてもらってかまいません。1970年9月23日、フィルモア・イーストで行われたライブの映像です。


こちらはスタジオ・ヴァージョン。3分37秒ほどで終わります。1966年発表の『Fifth Dimension』に収録。


CDに収録された「Old Blue」は1970年のフィルモア・イーストでのライヴですが、同じ年に行われたオランダでのライヴ映像を参考に掲げておきます。


これも1970年のフォレスト・ナショナル・ホールのステージからの映像。「Jesus Is Just Alright」と「Mr. Spaceman」(途中で切れてしまうのが残念)と続きます。


お詫びと言っては何ですが、宜しければ「Mr. Spaceman」(1966年発表の『Fifth Dimension』に収録)のスタジオ・ヴァージョンをお聴きください。


最後に「You Ain't Go Nowhere ~ This Wheel's on Fire」は1968年9月28日のTVショーの映像で。メンバーはベースがスキップ・バッティンの前任者であるジョン・ヨーク以外は『Untitled』と同じです。


Linda Ronstadt - Cry Like A Rainstorm - Howl Like The Wind

政権交代しても世の中の状況は好転の兆しがなかなか見られず、今後も暫く厳しい状況が続くように思えます。また、昨年はよく訪問させていただいていたブログが相次いで閉鎖されました。それぞれの事情があり、熟慮されたうえでのご決断であろうがゆえに他人がとやかく口を挟むことは出来ません。残念ですが、こうした出来事に嘆いてばかりはいられないので、新年の幕開きはリンダ・ロンシュタットさんで明るく元気にスタートして行くことにします。

1970年代を代表する女性シンガーとしてミス・アメリカと形容されたリンダ・ロンシュタット。彼女は1982年発表の『Get Closer』以後、ネルソン・ラドルと組んだスタンダード・アルバムで新境地を開き、ドリー・パートンやエミルー・ハリスとのカントリー・ミュージック・アルバム『Trio』でも持ち前の愛くるしさを発散させ、自らのルーツの一端を探るかのようなメキシカン・ミュージックのアルバム『Canciones De Mi Padre』を発表と順調な活動を続けていました。当時の彼女の口から「もう子供の歌は卒業よ」とのコメントが発せられたという噂が流れ、以前のようなポップス~ロックのフィールドには戻って来ないのではないかという雰囲気さえ漂わせていたものです。
そんな一抹の不安を払拭するかのようにリリースされたのが、今回取り上げる『Cry Like A Rainstorm - Howl Like The Wind』(1989年)。ここでは以前のような若さに任せた強引さは影を潜め、落ち着き、情感溢れたリンダの歌声が聴けます。お馴染みのエリック・カズ、ジミー・ウェブ、カーラ・ボノフなどのナンバーを取り上げ、アーロン・ネヴィルとのデュエット4曲を含む殆どの曲でオーケストラを配すなど豪華なポップ・アルバムに仕上がっており、従来の彼女が持っていた魅力とネルソン・ラドルとの共演の成果が十二分に発揮されたとも言えるでしょう。なお、アルバムのジャケットには "featuring Alone Neville" と記されておりました。

Cry Like a Rainstorm, Howl Like the WindCry Like a Rainstorm, Howl Like the Wind
(1995/04/12)
Linda Ronstadt

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1. Still Within the Sound of My Voice
2. Cry Like a Rainstorm
3. All My Life
4. I Need You
5. Don't Know Much
6. Adios
7. Trouble Again
8. I Keep It Hid
9. So Right, So Wrong
10. Shattered
11. When Something Is Wrong with My Baby
12. Goodbye My Friend

オープニングはジミー・ウェブのナンバーで「Still Within the Sound of My Voice」。去って行った恋人への思いを「私の声の届くところにいてくれればいいのに」と切なく歌い上げています。作者のジミー・ウェブもピアノで参加していました。


続いての「Cry Like a Rainstorm」はエリック・カズの作品。ゴスペル風のコーラスとバンド・サウンドとオーケストラがゆったりと歌うリンダのヴァーカルを盛り立てています。エリック・カズのオリジナル・ヴァージョンは1972年発表の『If You're Lonely』に収録。


アーロン・ネヴィルとのデュエット、カーラ・ボノフ作の「All My Life」はライヴ映像でお楽しみください。ブログへの貼付け無効なので下記のURLをクリックしてご覧いただけると幸いです。
二人の息のあった歌声が堪能出来ますが、アーロン・ネヴィルはお得意のヨーデルを控えめにしてリンダのサポートに徹していました。リンダはヴォーカルのみならず体格にも貫禄が出始めた、なんて言うのはなしにしましょうね。
カーラ・ボノフのヴァージョンは1988年発表の「New World」に収録。

http://www.youtube.com/watch?v=9jNO6Jj0TU8

こちらもアーロン・ネヴィルとのデュエット。バリー・マン&シンシア・ウェイル夫妻とトム・スノウの共作「Don't Know Much」。バリー・マンのセルフ・カヴァーは2000年に発表された『Soul & Inspiration』に収録されていました。


ジミー・ウェブ作の「Adios」。アレンジとバック・ヴォーカルにはブライアン・ウィルソンが参加。ジミー・ウェブ自身のヴァージョンは1993年発表の『Suspending Disbelief』に収録されていました。


ライヴ映像です。


再びジミー・ウェブ作の「Shattered」。


サム&デイヴやオーティス・レディング&カーラ・トーマスなどの歌唱で知られるアイザック・ヘイズとデヴィッド・ポーター共作の「When Something Is Wrong with My Baby」。


WHEN SOMETHING IS WRONG WITH MY BABY
恋人の身に何が起こったの
俺にも何かが起こるはずだよね
彼女が不安でいるなら
俺も同じように辛い気分さ
私たちは一緒に切り抜けて来たわ
二人で力を合わせたら
どんなことも上手くやっていけるのよ
恋人の身に何かが起これば
自分にも何かが起こりるはずだから

彼女が今、俺に望むこと
ああそれは 他人には分からないこと
人々が彼女の悪い噂を立てても
俺の恋人に変わりない
俺は彼女の恋人だ
もし彼が困っていたら
手を差し伸べざるにはいられない
恋人の身に何かが起これば
自分にも何かが起こりるはずだから

恋人の身に何かが起これば
自分にも何かが起こりるはずだから
恋人の身に何かが起これば
自分にも何かが起こりるはずだから

サム&デイヴのヴァージョンです。


マイケル・マクドナルド&カーラ・トーマスのデュエットも宜しければご覧下さい。


アルバムの締めくくりはカーラ・ボノフ作の「Goodbye My Friend」。彼女のオリジナル・ヴァージョンは前述の『New World』に収録されていました。


このアルバムは他にもカーラ・ボノフ作の「Trouble Again」(カーラ自身のヴァージョンは1979年発表の『Restless Nights』に収録)、スクィーズやマイク&メカニックス(ジェネシスのベーシストであるマイク・ラザフォードのグループ)で活躍したキー・ボード・プレイヤーのポール・キャラックらが書いた「I Need You」、「So Right, So Wrong」(1982年発表の『Suburban Voodoo』に収録)、ジミー・ウェブの「I Keep It Hid」(1968年発表の『Jimmy Webb Sings Jimmy Webb』に収録)など秀逸な選曲がなされていました。
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