好きな音楽のことについて語りたいと思います。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Everly Brothers - Stories We Could Tell

POCO、The Byrdsとカントリー・ロックの源流と称される有名どころのアルバムを扱ってきましたが、今回はどうしても忘れてはいけない方々を取り上げます。ご登場を願うはエヴァリー・ブラザーズのお二人。この人たちもカントリー・ロックの始祖として位置づけられていました。
一般的に1954年にカントリー・バンドだったビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツがR&Bの要素を加えた楽曲、「Rock Around The Clock」を発表したことがロック・ミュージックの起源とされているようです。でも、ポピュラー・ミュージックは様々な音楽が融合して形成され進化して行った音楽であると思われ、それ故、カントリー、ゴスペル、R&Bなどとジャンル分けして境界線を引くことのほうが無意味なのかもしれません。

1937年2月1日生まれのドンと1939年1月19日生まれのフィルの2人の兄弟からなるケンタッキー州ブロウ二ー出身のエヴァリー・ブラザーズ。両親がカントリー・ミュージックのミュージシャンでだった関係からか幼き頃に芸能活動を始め、ステージに立ち、ラジオにも出演していました。やがて彼らはナッシュヴィルに向かい、クラブで歌っている時にチェット・アトキンスに認められてレコード・デヴューする運びとなりました。
1956年、CBSよりデヴュー曲「Keep A Lovin' Me」をリリース。翌1957年にはケイデンス・レコードと契約して「Bye Bye Love」、「Wake Up Little Susie」「All I Have To Do Is Dream」などのヒットを放ち、カントリー・ミュージックとロックン・ロールを基盤にした美しいハーモニーとさわやかな曲調で本格的な人気を獲得しました。
彼らのハーモニーはクローズ・ハーモニーと呼ばれるカントリー・ミュージックの伝統的なスタイルです。このクローズ・ハーモニーとは二人のヴォーカリストが全く同じ歌詞で音程だけが異なるメロディー・ラインを同時に歌うというもので、ジャズと賛美歌を基本にしたビーチ・ボーイズのスタイルとともに後のポピュラー・ミュージックのハーモニーのスタイルを形成する大きな柱となって行きました。

「Bye Bye Love」はブログへの貼付けが出来ないようなので、宜しければ下記のアドレスをクリックしてご覧下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=vFoIdxLBm_A

「Wake Up Little Susie」。


「All I have to do is dream + Cathy's Clown」。


エヴァリー・ブラザーズは1960年には破格の契約金でワーナー・ブラザーズに移籍。しかし、彼らは1962年に徴兵に取られ、活動休止を余儀なくされました。僅か1年ほどの兵役でしたがこのブランクは大きく、人気が低迷するきっかけとなります。
何とか巻き返しを図ろうと、1967年にはイギリスに渡ってホリーズと共演した『Two Yanks In England』、1968年にはレニー・ワロンカーをプロデューサーに迎え、カントリー・ミュージックから始まる彼らのルーツを浮き彫りにした『Roots』、1969年にはバーズのクラレンス・ホワイトとジーン・パーソンズが参加したシングル「Cuckoo」をリリースするものの不発に終わり、1970年のライヴ・アルバム『Everly Brothers Show』を最後にワーナーとの契約は打ち切られました。

ヒット曲が出ず、忘れ去られた存在になろうとしていたエヴァリー・ブラザーズですが、ビートルズ、ホリーズ、サイモン&ガーファンクル、バーズ、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング、イーグルスなど彼らの織りなすサウンドとハーモニーに影響を受けたアーティストは枚挙に暇がありません。

拙ブログに度々出ていただいているグラム・パーソンズの「Sleepless Night」もエヴァリー・ブラザーズのナンバーでした。グラムのエヴァリー・ブラザーズに対する傾倒ぶりはかなりのもので、他にも「Brand New Heartache」、「Love Hurts」などをカヴァーしています。


スリープレス・ナイツ+6(紙ジャケット仕様)スリープレス・ナイツ+6(紙ジャケット仕様)
(2009/09/02)
フライング・ブリトウ・ブラザーズグラム・パーソンズ

商品詳細を見る


何と言ってもS&Gのこのカヴァー・ヴァージョンは外せません。


さて、捨てる神あれば拾う神ありとはよく言ったもので、1971年、エヴァリー・ブラザーズは言わば恩人であるチェット・アトキンスが専属アーティスト兼エグゼグティヴ・プロデューサーを務めるRCAに迎え入れられます。心機一転、彼らはドアーズやジャニス・ジョプリンを手掛けたプロデューサーのポール・ロスチャイルドを起用して移籍第一弾となるアルバムを制作することになりました。それが今回取り上げる『Stories We Could Tell』(1972年4月リリース)です。

ストーリーズ・ウィ・クッド・テル(紙ジャケット仕様)ストーリーズ・ウィ・クッド・テル(紙ジャケット仕様)
(2009/10/21)
エヴァリー・ブラザース

商品詳細を見る

1. All We Really Want to Do
2. Breakdown
3. Green River
4. Mandolin Wind
5. Up in Mabel's Room
6. Del Rio Dan
7. Ridin' High
8. Christmas Eve Can Kill You
9. Three Armed, Poker-Playin' River Rat
10. I'm Tired of Singing My Song in Las Vegas
11. Brand New Tennessee Waltz
12. Stories We Could Tell
13. Poems, Prayers And Promises (Bonus Track)

このアルバムはプロデューサーのみ大物を迎えたわけではありません。エヴァリー・ブラザーズをサポートするために豪華なアーティストが集結していました。ギターにデラニー・ブラムレット(デラニー&ボニー)、クラレンス・ホワイト(バーズ)、ジェフ・マルダー(ポール・バターフィールズ・ベターデイズ)、ワディ・ワクテル、ジョン・セバスチャン、ライ・クーダー、ジェリー・マギー。ドラムスにジム・ゴードン(デレク&ドミノス)、ジョニー・バーバータ(ジェファーソン・エアプレイン)、ラス・カンケル(セクション)。キー・ボードはバリー・ベケット、スプーナー・オールダム。ベースにクリス・エスリッジ(フライング・ブリトゥー・ブラザーズ)、バック・ヴォーカルにはデラニー&ボニー、ジョン・セバスチャン、デヴィッド・クロスビー、グラハム・ナッシュという錚々たる面々がエヴァリー・ブラザーズの新たな門出を祝うように駆けつけています。

ヴェトナム戦争が敗戦という形で終結に向かいつつあった1972年のアメリカは、60年代の混乱にかわって重苦しさや閉塞感が漂う雰囲気の中にも平静な空気に包まれかけていた時期でした。いくら反戦を叫んでいても、当時の若者たちは自分の国が負けてしまうという結果には何かやりきれぬ違和感や喪失感、そして、手放しでは喜べぬ感情を覚えてしまっていたことでしょう。そんな中、ジャクソン・ブラウンとイーグルスは「Take It Easy」で、「心の重荷を振り払って気楽にやろうよ」と挫折から立ち直ろうとする意志を歌に込めていました。
そうしたカントリー・ロックの潮流が大きな本流となり、シンガー・ソング・ライターが台頭したことによってウエスト・コーストのロック・サウンドが興隆を極め、エヴァリー・ブラザーズが復活を懸けて満を持したように送り出したこの「Stories We Could Tell」も大きな期待が寄せられたのです。しかし、売り上げは伸びず、ヒット曲も出ないままに終わりました。
1973年にエヴァリー・ブラザーズはチェット・アトキンスのプロデュースによる『Pass The Chicken & The Listen』をリリースしますが、こちらも思うようなセールスを上げられず、これを最後に二人はデュオを解消。低迷によって自信を失うことで、影を潜めていた兄弟間の確執が露呈されたのでしょう。
その後10年間に渡って不和の状態が続きましたが、1983年にクリフ・リチャードの呼びかけに応じリユニオン・コンサートを開催しました。翌1984年にはデイヴ・エドモンズをプロデューサーに迎え、ポール・マッカートニーが提供した「On the Wings of a Nightingale」を含むアルバム『EB84』を発表。1986年には功績がたたえられ、第一回の「ロックの殿堂」入りを果たし、その後も二人で地道に活動を続けています。

それではアルバムの中から何曲か紹介致します。
アルバムのオープニング・ナンバーはデラニー&ボニー作の「All We Really Want To Do」。ファンに向けて復活の決意を語るような内容の歌です。デラニー&ボニーのオリジナル・ヴァージョンは1969年に発表された『HOME』のCDが2006年に再発された際にようやくボーナス・トラックとして収録されました。



ALL WE REALLY WANT TO DO
僅かでも時間を割いてくれるのならば
俺たちが考えていることを理解してもらえるのに
誰かにメッセージを伝えるために
言葉や詩を書くよりも
もっといいやり方があると考えている人たちがいる

俺たちがしたいことっていったら
人々に素敵な歌を歌い
一日をほんの少し明るく照らし
肩の荷を気持ちだけ軽くしてあげたいだけ
それが俺たちのしたいことさ

俺たちが一番だなんて言う気はさらさらないよ
他の人たちより目立つような存在じゃないかもしれない
でもひとつだけやりたいことがあるんだ
一日をほんの少し明るく照らし
肩の荷を気持ちだけ軽くしてあげたいだけ
それが俺たちのしたいことさ


続いてクリス・クリストファーソン作の「Breakdown」。自分たちの人生を噛み締めるように、「歩いて来た長い道のりを誇りに思えば良い」と歌っていました。クリス・クリストファーソンのオリジナル・ヴァージョンは『The Silver Tongued Devil And I』(1971年発表)に収録されています。


フィル・エヴァリーとテリー・スレイター共作の「Up In Mabel's Room」。ハリー・ニルソンを少し連想させるようなノスタルジックな曲です。


エルヴィス・プレスリーのヒット曲「Burnin' Love」の作者として知られるデニス・リンディ作の「Christmas Eve Can Kill You」。ブログへの貼付けが出来ないので宜しければ下記のURLをクリックしてご覧下さい。

http://www.youtube.com/watch?v=_FyCU87phGw

ジョン・セバスティアン作の「Stories We Could Tell」とジェシ・ウィンチェスター作の「Brand New Tennessee Waltz」です。ジョン・セバスティアンのセルフ・カヴァー・ヴァージョンは『Tarzana Kid』(1974年発表)、ジェシ・ウィンチェスターのオリジナル・ヴァージョンは『Jesse Winchester』(1970年発表)に収録されていました。


「Stories We Could Tell」とヒット曲のメドレーです。


スポンサーサイト

The Byrds - SWEET HEART OF THE RODEO

前回はカントリー・ロックにポップ・フィーリングを持ち込み、爽やかなサウンドを響かせるPOCOを取り上げました。今回はバーズが1968年に発表し、「カントリー・ロックの起源」と称される『SWEETHEART OF RODEO』について語りたいと思います。

ロデオの恋人ロデオの恋人
(2005/04/20)
ザ・バーズ

商品詳細を見る


1. You ain't goin' nowhere
2. I am a pilgrim
3. Christian life
4. You don't miss your water
5. You're still on my mind
6. Pretty boy Floyd
7. Hickory wind
8. One hundred years from now
9. Blue Canadian Rockies
10. Life in prison
11. Nothing was delivered
12. You got a reputation
13. Lazy days
14. Pretty Polly
15. Christian life
16. Life in prison
17. You're still on my mind
18. One hundred years from now
19. All I have is memories

こちらはデモやアウトテイク、そしてグラム・パーソンズがバーズ加入以前に在籍したインター・ナショナル・サブマリン・バンドの音源が収録されたデラックス・エディションです。
ロデオの恋人ロデオの恋人
(2003/11/06)
ザ・バーズインターナショナル・サブマリン・バンド

商品詳細を見る


前述したように「カントリー・ロックの起源」と称されるアルバム『SWEETHEART OF THE RODEO』ですが、これ以前にカントリー・ミュージックを取り入れたロッカーはあまたに存在しています。例えばバッファロー・スプリングフィールドの1stに収録されていた「Go and Say Goodbye」は1966年のリリースでバーズよりも2年早く、ザ・ビートルズの『HELP! 』に収められた『I've Just Seen A Face』は1965年に発表されていましたし、このアルバムではバック・オウエンズの「Act Naturally」をカヴァーしていました。また、ジョージ・ハリスンの奏法はチェット・アトキンスから大きな影響を受けています。
さらに、ナッシュヴィルで録音されたボブ・ディランの『John Wesley Harding』に入っている「Down Along the Cove」や「I'll Be Your Baby Tonight」といった曲にはあきらかにカントリー・ミュージックの影響が窺えました。
バーズも1965年の『Turn! Turn! Turn! 』の中でポーター・ワゴナーが歌ったカントリー・ナンバーの「Satisfied Mind」やスティーヴン・フォスターの「Oh! Suzannah」などカントリー志向が窺える曲をレコーディングしており、1966年にリリースの『Younger Than Yesterday』に収録されたクリス・ヒルマン作の「Time Between」はカントリー・ロックの先駆けと解釈できる楽曲でしょう。
しかしながらナッシュヴィルのミュージシャンを起用し、正統派カントリーの色合いが濃い曲で占められた本格的なアルバムとしてはこの『SWEETHEART OF RODEO』が最初のものだったと言えます。

バーズはアルバムの中でカントリー風の楽曲を演奏していても、全体的には斬新なアイデアが目立つ曲を提示してきました。それがどうして全編をカントリー・サウンドで埋められたアルバムを発表したのでしょうか。もともとロジャー・マッギンはカントリーのアルバムを作ることに乗り気でなかったと言われています。彼の構想では伝統的なフォーク、カントリー、そしてロックン・ロールに至るまでのアメリカ音楽史全体を網羅するようなコンセプトが描かれていました。
前作『Notorious Byrd Brothers』を最後にデヴィッド・クロスビーとマイケル・クラークが脱退。ロジャー・マッギンは新たなメンバーとしてマッコイ・タイナーのようなジャズのピアノが弾けるピアニストを求めていました。しかし、もともとブルーグラス畑出身のクリス・ヒルマンの頭の中にはカントリー・ミュージックへと舵を切りたい考えがあったのでしょうか、バーズと共通のスタッフがいたということが縁でグラム・パーソンズ率いるインター・ナショナル・サブマリン・バンドのアルバム『Safe At Home』のレコーディングを見学し、グラムとすっかり意気投合してしまいました。このときクリスは腹を決めたのかもしれません。

Safe at HomeSafe at Home
(2004/12/07)
The International Submarine Band

商品詳細を見る


幸いグラム・パーソンズはピアノも達者で、ロジャー・マッギンの前でジャズ風のピアノ演奏を行い、バック・オウエンズの曲を歌ってみせました。マッギンはグラムの実力と才能を認め、クリス・ヒルマンの後押しもありバーズのメンバーに加えることを承諾します。さらにヒルマンはマッギンに構想を断念するように説得。また、マイケル・クラークの後任のドラマーには自分の従兄弟のケヴィン・ケリーを既に加えており、着々とロジャー・マッギン包囲網を張り巡らしていました。こうして全編カントリーのアルバム制作というヒルマンの思いは実現の運びとなります。

この『SWEETHEART OF THE RODEO』ではロジャー・マッギンのオリジナル作品がなく、ボブ・ディラン作の2曲、グラム・パーソンズの書いた2曲以外はカントリー・ミュージック系の楽曲で占められていました。マッギンはディランの歌では持ち味を発揮していますが、やや精彩を欠く印象が否めません。対して、グラム・パーソンズは自作を含めて5曲のリード・ヴォーカルを担当していました。
しかし、グラム・パーソンズのバーズへの電撃移籍に関してインター・ナショナル・サブマリン・バンドのマネージャーからクレームが入り、グラムの歌う「The Christian Life 」、「You Don't Miss You Water」はロジャー・マッギンのヴォーカルに差し替えられ、「One Hundred Years From Now」はマッギンとクリス・ヒルマンのコーラスが添えられました。こうしてロジャー・マッギンのパフォーマンスが追加された結果、幸か不幸か彼のリーダーとしての面目を保つ格好に収まったように思えます。

バーズが自信を持って送り出した『SWEETHEART OF THE RODEO』は話題になったもののロック・ファンから温かく迎えられることはなく、カントリーのファンからは反発を受け、評論家の論評も賛否が分かれました。セールス的にも芳しい成績を上げることが出来ず、次回作の方向は修正を余儀なくされることになります。
グラム・パーソンズは自分のヴォーカルが差し替えられたことに落胆し、南アフリカ公演にも賛同できずバーズを離れる決心をします。恵まれた家庭環境に育ち何不自由なく育ったといわれるグラム・パーソンズ。彼にはバーズを自分の意のままに動かせるという慢心があったのかもしれません。それ故、乗っ取りが叶わないと判断しての離脱は必然的なことでしょう。
クリス・ヒルマンも責任を取るかのようにバーズを辞め、グラム・パーソンズと合流してフライング・ブリトゥ・ブラザーズを結成します。彼らにとっては『SWEETHEART OF THE RODEO』はその後のキャリアの出発点に過ぎなかったのかもしれません。
クリス・ヒルマンが抜けたバーズに居場所を無くしたのか、ケヴィン・ケリーも脱退。残されたロジャー・マッギンは『SWEETHEART OF THE RODEO』を含めたこれまでのアルバムのレコーディング・セッションに度々参加していたクラレンス・ホワイト(ギター)を正式メンバーに迎え、さらにジーン・パーソンズ(ドラムス)、ジョン・ヨーク(ベース)などを加えて新生バーズを始動させます。

それではアルバムの楽曲を紹介して行きます。
オープニングはボブ・ディラン作の「You ain't goin' nowhere」。


グラム・パーソンズとクリス・ヒルマンが抜け、クラレンス・ホワイト(ギター)、ジーン・パーソンズ(ドラムス)、ジョン・ヨーク(ベース)を新たに加えた陣容でのライヴ映像。「You Ain't Goin' Nowhere」に続いて、同じくボブ・ディラン作の「Wheels On Fire」を演奏しています。


ブルーグラスに拘ることなくジャンルを超えて幅広い活動を行うバンジョー・プレイヤー、アール・スクラッグスとのセッション映像。この時期にはベースがジョン・ヨークからスキップ・バッティンに交替していました。


ボブ・ディランのヴァージョン。ザ・バンドとの共演盤『The Basement Tapes』(1975年発表)に収録。



続いて、「ヨルダン河に降りて行って疲れた魂の許しを請うことにしよう。主の着物のへりにでも触れれば幸運だ。そのとき主は私を故郷に連れ戻してくださるはずさ」と歌われる「I am a pilgrim」。宜しければ下記のURLをクリックしてお聴きください。
http://www.youtube.com/watch?v=I-rcAuk6UGE

ジューン・カーター、ジョニー・キャッシュ、ピート・シーガーによるヴァージョン。


The Soul Stirrersのヴァージョン。こちらはゴスペルのアレンジです。


「人の助けはいらない。神の光があるから。俺はクリスチャンの生活が好きなのさ」と歌われる「Christian life」。
http://www.youtube.com/watch?v=SBAz7iwPPdg

グラム・パーソンズがヴォーカルを取るヴァージョン。


恋人が去って行った悲しみの気持ちが込められた「You don't miss your water」。もともとは黒人シンガーのウィリアム・ベルが書いた楽曲で、オーティス・レディングも1965年発表の『OTIS BLUE』でソウルフルに歌っていました。
http://www.youtube.com/watch?v=Nj1AxSYOxLc

グラム・パーソンズのヴォーカル・ヴァージョン。


ウィリアム・ベルのヴァージョン。


ブラス・セクションも印象的なオーティス・レディングのヴァージョン。


失恋した相手の面影が忘れられない切なさが描かれた「You're still on my mind」。
http://www.youtube.com/watch?v=8Ua2EMC_Qsc

大恐慌時代におけるアウトロウの物語、「Pretty boy Floyd」。
http://www.youtube.com/watch?v=Mtxan0bJw7k

ロジャー・マッギンのソロ・アクト。2007年にC.F.マーティン社の主催で行われた横浜レンガ倉庫におけるライヴの映像のようです。


ウディ・ガスリーのオリジナル・ヴァージョン。


郷愁を誘うようなグラム・パーソンズの歌声が胸を打つ「Hickory wind」。グラムとインター・ナショナル・サブマリン・バンドのボブ・ブキャナンの共作です。
http://www.youtube.com/watch?v=9VX-GdOTw9A

HICKORY WIND
サウス・キャロライナには
背の高い松の木が沢山
俺は樫の木を思い出す
その木によく登ったものさ
でも今じゃおれは一人きり
ヒッコリーの風を感じるように
いつも装っていた

俺は若い頃から
殆ど全てのことをやってきた
富と喜び
人生にはそれ以外に何があるっていうんだ
だがあの頃を思い出す度に落ち着くのさ
俺を故郷に呼び戻してくれ
ヒッコリーの風よ

道を見つけるのは辛いことさ
困難は現実のこと
街を遠く離れて
心も遠く
俺を故郷に呼び戻してくれ
ヒッコリーの風よ
呼び続けてくれ
ヒッコリーの風よ


キース・リチャーズのカヴァー・ヴァージョン。グラム・パーソンズのトリビュート・コンサートからの映像です。バーズはイギリス・ツアーを行った際にローリング・ストーンズと交流を深め、特にキースとグラムは意気投合して親しくなりました。


エミルー・ハリスのカヴァー・ヴァージョン。
http://www.youtube.com/watch?v=WCCAZgI_hrE

ギリアン・ウェルチのカヴァー・ヴァージョン。グラム・パーソンズの作品は歌い継がれて行きます。
http://www.youtube.com/watch?v=lbMM8LnrirQ

グラム・パーソンズ作の「One hundred years from now」。
http://www.youtube.com/watch?v=i_9AXakWgxQ

グラム・パーソンズのヴァージョン。
http://www.youtube.com/watch?v=APLrlL3YsPY

クリス・ヒルマンが歌うカントリのスタンダード・ナンバー、「Blue Canadian Rockies」。
http://www.youtube.com/watch?v=oGRq5_X3Gw0

マル・ハガードのナンバー、「Life in prison」。妻を殺した罪で一生を監獄で過ごすことが強いられた男の嘆きが描かれていました。
http://www.youtube.com/watch?v=UEbgsj14UDs

ボブ・ディラン作の「Nothing was delivered」。
http://www.youtube.com/watch?v=Zfq91LLXRyY

ボブ・ディランのヴァージョン。前述の『The Basement Tapes』に収録。


ボーナス・トラックとして加えられた「You got a reputation」。
http://www.youtube.com/watch?v=_uSBJTjEliQ

こちらもボーナス・トラックとして収められた「Lazy days」。後にフライング・ブリトゥの『Burrito Deluxe』(1970年発表)で再演されました。
http://www.youtube.com/watch?v=xrdYSY7YR18

こちらはバーニー・リードンがリード・ヴォーカルを担当するヴァージョンの映像です。


ブリティッシュ・トラッドと共通する雰囲気を持つ「Pretty Polly」。ロジャー・マッギンはこの曲をソロ・アルバム『Cardiff Rose』(1976年発表)にて違ったアレンジで再演していました。
http://www.youtube.com/watch?v=-Ni2uOVcPCA

ブルーグラスの大御所ラルフ・スタンリーとパティ・ラヴレスの共演ヴァージョン。


最後はインストゥルメンタル、「All I Have Are Memories」。


POCO - LEGACY

今回は拙ブログとリンクしていただいているPurple_Hazeさんのブログ『Blues Power』でPOCOの1st『PICKIN' UP THE PIECES』が記事にされているのに触発されて、1989年に彼らがオリジナル・メンバーで集結したアルバム『LEGACY』を取り上げることにしました。

LegacyLegacy
(2001/09/03)
Poco

商品詳細を見る

1. When It All Began
2. Call It Love
3. Nature of Love
4. What Do People Know
5. Nothin' to Hide
6. Look Within
7. Rough Edges
8. Who Else
9. Lovin' You Every Minute
10. If It Wasn't for You
11. Follow Your Dreams

ポコは1968年に元バッファロー・スプリングフィールドのリッチー・フューレイ(ギター)とジム・メッシーナ(ギター)の二人が中心になって結成されました。彼らはバッファロー3rdアルバム『Last Time Around』(1968年発表)のレコーディングに参加したスティール・ギタリストのラスティ・ヤングを誘い、さらにラスティとバンドを組んでいたことのあるジョージ・グランサム(ドラムス)を加え、そこにコロラド出身のバンド、プアーのメンバーだったランディ・メイズナー(ベース)が参加してオリジナル・ポコの誕生となります。
ところがファースト・アルバム『PICKIN' UP THE PIECES』のレコーディング途中にランディ・メイズナーが脱退。アルバムは残りの4人で完成に漕ぎ着け、1969年に発表されました。
ランディ・メイズナーはその後、リック・ネルソンのバック・バンドを経てイーグルスに参加。1977年のイーグルス脱退から現在に至るまでマイペースで音楽活動を続けています。
バッファロー時代は途中参加の弱みもあり、ニール・ヤングとスティーヴン・スティルスといった先輩の陰に隠れるようにベースを弾かされていたジム・メッシーナですが、ポコでは本業であるギターを思う存分プレイすることができました。しかし、彼もまた1971年発表のサード・アルバム『Deliverin'』を最後にバンドを離れます。その後はケニー・ロギンズとロギンズ&メッシーナを結成し成功を収めました。
リーダー格としてポコを引っ張っていたリッチー・フューレイも1973年、アルバム『Crazy Eyes』発表後に突如脱退を表明。J.D.サウザーや元バーズのクリス・ヒルマンらとサウザー、フューレイ&ヒルマン・バンドを結成します。このバンドは2枚のアルバムを残して解散。リッチー・フューレイはソロ活動を始めると同時に、宗教へ帰依して牧師となりました。
ジョージ・グランサムは1977年の『Indian Summer』を最後にバンドを脱退。その後は自分のバンドの結成やポコへの再加入を繰り返しましたが、2004年に病で倒れ、現在は参加していないようです。
こうして最後まで残ったオリジナル・メンバーはラスティ・ヤングただ一人のみでした。
このようにメンバーの入れ替わりが激しかったバンドですが、ティモシー・シュミット(ベース)、ポール・コットン(ギター)など才気ある腕達者なミュージシャンが在籍し、カントリー・ロックを基盤とした快適なサウンド、清涼感溢れるコーラスを継承し続けます。また、ランディ・メイズナーが脱退したイーグルスにティム・シュミットが加入するという因縁めいた出来事も起こりました。

どうしてポコが1989年にオリジナル・メンバーの再結集したアルバムを作ったのかよく分かりません。低迷していた時期の話題作りだったのでしょうか。
結果的にオリジナル・メンバーによるアルバムは1枚限りに終わりました。話題を呼んだもののセールス面ではヒット曲「Heart of the Night」を含んだ『Legend』(1978年発表)を凌ぐことなく、芳しい成績を上げることが出来なかったのです。ポコは1990年に来日していますが、その時のメンバーにリッチー・フューレイの顔はありませんでした。牧師としての職務を優先させたのが理由とされています。また、1991年の来日ではまたもやジョージ・グランサムが抜けていました。
この来日公演の後、ジム・メッシーナはソロ活動に戻り、ランディ・メイズナーも自身のバンド、ブラック・タイに復帰しました。またも一人残されたラスティ・ヤングはポール・コットンを呼び戻し、ポコとしての活動を継続。幾度か休止状態に陥ったこともあるようですが積極的にライヴを行い、2002年には久々のアルバム『Running Horse』をリリースしました。その後も2004年に『The Last Roundup』、『Keeping The Legend Alive』、2005年に『Bareback At Big City』、2006年に『The Wildwood Sessions』などのライヴ・アルバムを発表しています。

アルバム『LEGACY』に話を戻しましょう。メンバー自身が年齢を重ね、それなりに紆余曲折の人生を経験したと思います。初期のアルバムと比べると当然ながら落ち着きと余裕が感じられますし、太陽のような明るさの中にも翳りと哀愁が漂っていました。でも、決して同窓会的な気分ではなく、真剣にポコのサウンドを追求した結晶のようなものがここには存在します。なお、プロデューサーにはボブ・シーガーやリチャード・マークスを手掛けたデヴィッド・コールが起用されました。

それではアルバムの中から何曲か紹介して行きましょう。
オープニング・ナンバーはリッチー・フューレイがヴォーカルを担当する「When It All Began」。伸びのあるハイテナーの歌声は衰えず、存在感を示しています。デヴュー当時を振り返り、再出発にあたっての心境が歌詞の中で語られていました。


WHEN IT ALL BEGAN
それほど遠くない あの日の気分を思い出す
若者たちは踊り、心に夢を抱いた
音楽は「ライヴ・ポコ」だった
カントリーだと呼ぶヤツがいれば
ロックン・ロールだと呼ぶヤツもいた
サウンドがどうであろうと
音楽はハートとリズムと魂で見つけるものだった

憶えているかい 最初の頃を
憶えているかい 最初に音楽を感じた時のことを

ああ 君たちは憶えているかい
最初にすべてが始まった時のことを
あの頃のことを憶えているかい

ニューヨークもボストンも そりゃ楽しかったぜ
夏の夜の公園で 音楽が始まると
いつまでも「 A good feelin' to know」を俺たちは一緒に歌い
音を大きく上げて聴衆に心を捧げた
でもショウの終わりはやって来た

あの瞬間を捕らえて
俺たちのものにするとしよう
俺たちには思い出せるのさ
全てが始まった頃のことを


「A good Feelin' to know」は1972年リリースの同名タイトルのアルバムに収録されていたリッチー・フューレイ作の楽曲。

シングル・カットされた「Call It Love」。軽快なカントリー・ロックに仕上げられたこの曲にはラスティ・ヤングの歌声がよく似合っています。


2007年のライヴ映像。メンバーは画面左からラスティ・ヤング、ポール・コットン、ジャック・サンドルーのようです。



ランディ・メイズナーが歌うサザン・ロック調の「The Nature Of Love」。


こちらもランディ・メイズナーがリード・ヴォーカルを担当する「Nothing to hide」。リチャード・マークスの作品ですが、まるでイーグルス時代のランディ・メイズナーを彷彿させます。リチャード・マークスが楽曲を提供したのはこの『LEGACY』のプロデューサーがデヴィッド・コールだったからかもしれません。
ランディ・メイズナーはこのアルバムでもう1曲、「Rough Edges」でもリード・ヴォーカルを担当していました。こうした働き具合や貢献度を鑑みると、現在のポコのメンバーには甚だ失礼ですが、ランディ・メイズナーはポコに戻ったほうがいいのではと思ってしまいます。
残念なことにこの映像は途中で終わってしまいます。


甘く切ない「It Wasn't For You」。リッチー・フューレイの作品です。こちらは少々バッファロー・スプリングフィールド時代や初期のポコを思わせるようなメロディー・ラインや何故かイーグルス風にも受け取れるコーラス・ワークが窺えました。


アルバムの締めくくりはジム・メッシーナの「Follow Your Dreams」。ロギンズ&メッシーナ時代を連想させるかのような楽曲です。


ライヴ映像です。


今回のボーナス・トラックは「Pickin' Up The Pieces」。2004年に行われたライブの映像をご覧ください。リッチー・フューレイがゲスト出演していました。


James Taylor - HOURGLASS

今回は前回のキャロル・キングに続く来日予定便乗企画第二弾です。ご登場いただく方はもちろんジェームズ・テイラー。彼が1997年に発表した『HOURGLASS』を取り上げました。

Hourglass [Enhanced CD]Hourglass [Enhanced CD]
(1997/05/22)
James Taylor

商品詳細を見る

1. Line 'Em Up
2. Enough to Be on Your Way
3. Little More Time With You
4. Gaia
5. Ananas
6. Jump up Behind Me
7. Another Day
8. Up Er Mei
9. Up from Your Life
10. Yellow and Rose
11. Boatman
12. Walking My Baby Back Home

このアルバムはプロデューサーのドン・グロルニックに捧げられていました。彼はブレッカー・ブラザーズなどで活躍したピアニストで、これまでにもJTの『Never Die Young』(1988)、『New Moon Shine』(1991)などをプロデュースした人です。この『HOURGLASS』もドン・グロルニックがプロデュースを担当する予定でしたが、彼が他界したために望み叶わずJT自身とフランク・フリペッティがその任に当たりました。

ジェームズ・テイラーといえばどうしてもフォーク系のシンガー・ソング・ライターとしてのイメージが強いようですが、彼の音楽のルーツを考えてみると他の兄弟たちと同様にジャズやR&Bといった黒人音楽、はたまたラテンやボザノヴァの影響が垣間みられます。そのことを証明するかのように、これまでのアルバムにおいてもR&Bやスタンダードの楽曲をよく取り上げていました。
今回の『HOURGLASS』は前述のようにジャズ=フュージョン系のアーティストであるプロデューサーのドン・グロルニックを失い、自らがプロデュースしたためか原点回帰の様相がそこはかとなく感じ取れます。かと言って、決して『Sweet Baby James』の頃のようなサウンドに仕上げられているわけではなく、シンプルで繊細で暖かみのある彼本来の特色が醸し出されているように受け取れました。

それではアルバムに収録された楽曲を紹介して行きます。
ラテンとフュージョンを融合したような雰囲気のオープニング・ナンバー、「Line 'Em Up」。冒頭でニクソン元大統領がホワイト・ハウスを去る場面を皮肉った後に、1974年当時のJT自身を振り返り、「山あり谷あり」だったことを偲んでいました。


ライヴ映像です。






アイリッシュ風で始まる「Enough to Be on Your Way」。「さようなら、長年の友よ」という言葉があり、ドン・グロルニックに捧げられた歌のようです。
http://www.youtube.com/watch?v=z2t9QcMoZ0M

シングル・カットされた「Little More Time With You」。麻薬中毒だった自身を語っているようです。


LITTLE MORE TIME WITH YOU
番犬に俺を見てもらわねばな
荷造りをしている俺を見てもらわねばな
あいつは俺が街を離れるのを知っているんだ
厄介なことだとは俺にも分かっている
どうして自分の愛する暮らしを捨てて行くのか
この素晴らしいメイン州での暮らしを
輝く線路を走る列車に乗り込むだけなのに
束縛されるだけなのに

おまえと一緒にもう少し多くの時間を過ごさねば
おまえと一緒にもう少し多くの時間を過ごさねば
おまえと一緒にもう少し多くの時間を過ごさねば
そうしよう そうするんだ
おまえと一緒にもう少し多くの時間を過ごさねばな

コカインには目もくれず
メタドン(モルヒネやヘロインに似た麻薬)にもおさらばした
酒瓶はもう一日しまっておこう
煙草もそろそろやめにしよう
それでも俺はまだ麻薬常用者のような気分さ
ノーと言えない男のようだぜ
振り返るとあの猿(麻薬常用者)がいる
悪党どもが放してくれないんだ

おまえと一緒にもう少し多くの時間を過ごさねば
おまえと一緒にもう少し多くの時間を過ごさねば
そうしよう そうするんだ
おまえと一緒にもう少し多くの時間を過ごさねばな

俺はハイになったまま正気に戻れない
俺はハイになったまま時間をつぶしている
俺はハイになったまま遺失物取扱所に行く
俺はハイになったままなんだ

おまえと一緒にもう少し多くの時間を過ごさねば
おまえと一緒にもう少し多くの時間を過ごさねば
そうしよう そうするんだ
おまえと一緒にもう少し多くの時間を過ごさねばな


ライヴ映像です。


こちらも別の会場でのライヴ映像。ブログへの貼り付けが出来ないので宜しければ下記のURLをクリックしてご覧下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=vUBZhSPoe2k

環境保護へのメッセージが込められた「Gaia」。なお、「ガイア」とは地球、母なる大地という意味で、環境保護論者が好んで使う表現です。
http://www.youtube.com/watch?v=Ynttgx6lNL4

あたかも人間は人間自身による創造物であるかのように
あたかも人間は神に選ばれし者のように
そして人間を取り巻く世界が粗暴で危険な侵略者のように
母なる大地ガイアよ

誰かがいま人間たちの過ちを止めなければ
人間の過ちから人間を救おう ガイアよ
誰もいま人間たちを止めようとしないから

JTからさりげなく投げかけられたメッセージは説得力のあるものでした。

扉を開けて俺を迎え入れてくれと歌う「Ananas」。ラヴ・ソングのようです。
http://www.youtube.com/watch?v=HKqLw2diG0w

ライヴ映像です。


http://www.youtube.com/watch?v=k8LhAiuklSM

「大事なことはただひとつ、誠実な愛」と歌われる「Jump up Behind Me」。


恋人とともに明日への希望が前向きに歌われる「Another Day」。


ライヴ映像です。


身近なところに楽園があることに気づいたことが歌われる「Up Er Mei」。
http://www.youtube.com/watch?v=a8ayMmM4mmo

自分の運命は結局は自分次第であると説くかのような「 Up from Your Life」。
http://www.youtube.com/watch?v=80RtZUE1FRA

オーストラリアの自然環境破壊をテーマにした「Yellow and Rose」。

http://www.youtube.com/watch?v=ySZ2P_io3v4

「The are blue and green no more. They are yellow and rose」と歌われており、「Blue」が青空や海、「green」が森林および自然環境全体を指すことは容易に想像がつきますが、「yellow」と「rose」が何の喩えなのかよく分かりません。砂漠の「yellow」との解釈は出来ますが、バラ色の「rose」は何を意味しているのでしょうか。

アルバムのテーマはJTが語るところによると、「暗闇から明るさ」、「再生と変容」だそうです。この「Boatman」での「I would forever run free(そうすれば俺は永遠に自由に走れるだろう)」という言葉も再生と変容をあらわしているのでしょう。
http://www.youtube.com/watch?v=8osv63yWTuo

アルバムの最後を飾る他愛ないラヴ・ソング、「Walking My Baby Back Home」。


ヒドゥン・ボーナス・トラックとして収録されていた「Hangnail」。
http://www.youtube.com/watch?v=WT-vNmMLNQk

Carole King - PEARLS

キャロル・キングとジェームズ・テイラーが2010年の4月にジョイントで東京公演を行うとの記述がそれぞれのウェブ・サイトに記されていました。デフレ経済と反比例するかのように外国人アーティストのコンサートのチケット料金が高騰する昨今、二人でいったいいくらになるのだろうかと思ったのと同時に、2008年に行われたキャロル・キングの大阪公演で空席が目立っていた状況を鑑みると観客動員は厳しいのではないのかとの不安も頭の中をよぎります。
さて、今回は遠慮なく話題に便乗させてもらうことにしました。ご登場願うはキャロル・キング。お題は1980年にリリースされた『PEARLS』です。このアルバムはキャロル・キングが、当時の夫であったゲリー・ゴフィンと組んでコンポーザーとして活躍していた1960年代の楽曲を集めて構成されたセルフ・カヴァー集でした。
1975年に発表した『Thoroughbred 』を最後にオード・レコードを離れ、キャピトル・レコードに移籍。『Simple Things』(1977)、『Welcome Home』(1978)、『Touch The Sky』(1979)と毎年のようにアルバムをリリースするものの売り上げが芳しくない状況が続きます。
そうした中で、1980年に出されたセルフ・カヴァー集『PEARLS』は話題を呼び、全米44位まで上昇しました。オード時代に比べると華やかさに欠けるものの一定の存在感を示すことが出来たのです。しかし、企画ものの域を出ないこのアルバムはアレンジに目新しさがなく、決してキャロル・キングのファンを満足させるという内容でなかったことも事実でした。

パールズ(紙ジャケット仕様)パールズ(紙ジャケット仕様)
(2007/11/05)
キャロル・キング

商品詳細を見る

1. Dancin' with Tears in My Eyes
2. Locomotion
3. One Fine Day
4. Hey Girl
5. Snow Queen
6. Chains
7. Oh No Not My Baby
8. Hi de Ho
9. Wasn't Born to Follow
10. Goin' Back

昨今は洋の東西を問わずセルフ・カヴァーや他人の楽曲のカヴァーなどを集めた企画ものが横行する時代のようです。こうして新曲「Dancin' With Tears In My Eyes」で始まり、幼少期への憧憬を歌った「Goin' Home」で終わるという構成がなされたキャロル・キングの『PEARLS』を改めて聴いていると、彼女には自分の作品と距離を置き冷静な視点でそれらを見つめ直すといった姿勢が窺えました。決してノスタルジーではなく、未来へ向かって進むためのの区切りという思いが伝わって来るかのようです。売り上げを伸ばす意図で安易に作られたものでないことがよく分かりました。

それではアルバムに収録された楽曲を紹介して行きます。
オープニング・ナンバーはこのアルバム唯一の新曲、「Dancin' With Tears In My Eyes」。


ここからセルフ・カヴァーのオン・パレードが始まります。まず、皆様よくご存知の「Locomotion」。リトル・エヴァの歌で1962年に全米チャート第1位に輝き、1974年にはグランド・ファンクが取り上げ(同年発表の『Shinin' On』に収録)、これも全米1位を獲得する大ヒットです。他にも1963年にザ・シフォンズ(同年リリースの『One Fine Day』に収録)、1988年にはカイリー・ミノーグ(同年発表の『Kylie』に収録)。


お馴染みのリトル・エヴァのヴァージョンです。


SMAPの皆さんが出演する携帯電話会社のCMに使われて好評のグランド・ファンクのヴァージョンはライヴ映像でご覧下さい。


シルヴィー・ヴァルタンも1962年にカヴァーしていました。


カイリー・ミノーグのヴァージョンはユーロ・ビートにアレンジされていましたが、今回はひと味違うライヴ映像でお楽しみいただければ幸いです。ブログへの貼付けができないので宜しければ下記のURLをクリックしてご覧下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=1z-cjxaZNiw

日本では伊東ゆかりさんのヴァージョン(1962年発表)が有名だとのことです。


続いて「One Fine Day」。


続いてそのライヴ映像。


ザ・シフォンズのオリジナル・ヴァージョンはアルバム『One Fine Day』(1963年発表)に収録 。


デヴィッド・フォアマンのヴァージョンは1976年リリースの『DAVID FORMAN』に収録されていました。


他にもカーペンターズがアルバム『Now & Then』(1973年発表)で、リタ・クーリッジが『Satisfied』(1979年発表)で、ナタリー・マーチャント 『One Fine Day』 (1996年発表) でそれぞれ取り上げていました。

ダニー・クーチやチャールズ・ラーキーらと組んだザ・シティ時代にレコーディングした「Snow Queen」の再録。


ザ・シティ時代の録音。アルバム『Now That Everything's Been Said 』(1968年発表)に収録されています。


ロジャー・ニコルズ・トリオのヴァージョンは1967年にシングルで発表。翌1968年にロジャー・ニコルズ&ザ・スモール・サークル・オブ・フレンズとしてアレンジが変えられたものがアルバムに収録されました。


他にもアソシエーションがアルバム『Waterbeds In Trinidad!』(1972年発表)で、BS&Tが『New Blood』(1972年)で取り上げていました。

比較的印象が薄いながらも様々なアーティストに取り上げられている「Hey Girl」。


1963年にリリースされたフレディー・スコットのオリジナル・ヴァージョン。


マイケル・マクドナルドのヴァージョンはアルバム『Blink of an Eye』 (1993年発表) に収録。今回はライヴ映像をご覧下さい。


マイケル・マクドナルドはレイ・チャールズとも共演しています。レイ・チャールズのアルバム『Genius Loves Company』 (2004年発表) に収録。


この曲は多くのアーティストに取り上げられています。 他にもライチャス・ブラザーズ(1966年発表の『Soul & Inspiration』 に収録) 、ジョージ・ベンソン(1979年発表の『Livin' Inside Your Love』に収録)、ビリー・ジョエル(1997年発表の『Greatest Hits Volume III 』に収録)など枚挙に暇がありません。

続いて「Chains」。


クーキーズが歌って1962年に全米17位を記録したヴァージョンがオリジナルですが、映像がないのでビートルズのデヴュー・アルバム『PLEASE PLEASE ME』(1963年発表)に収録されていたヴァージョンをお聴きいただければ幸いです。他にもシルヴィー・ヴァルタン(1963年にシングル盤で発表)が取り上げていました。


アルバム『Wrap Around The Joy』の2007年版のボーナス・トラックや2001年リリースの『Love Makes The World』でも再演されることになる「Oh No Not My Baby」。


マキシン・ブラウンのオリジナル・ヴァージョンは1964年に全米24位を記録。今回はライヴ映像でご覧下さい。


ダスティ・スプリングフィールドのヴァージョンは アルバム『Ev'rything's Coming Up Dusty 』(1965年発表)に収録。


マンフレッド・マンは1965年にシングル盤で発表。


リンダ・ロンシュタットのヴァージョンは『Winter Light』 (1993年に発表) に収録。


他にもザ・シレルズがアルバム『The Shirelles Swing the Most』(1965年発表)で、アレサ・フランクリンが『Spirit in the Dark 』(1970年発表)で取り上げていました。ロッド・スチュワートも1973年にシングル盤でカヴァーしています。

前述のザ・シティ時代のアルバムでも録音していた『Hi-De-Ho』の再録ヴァージョン。


BS&Tのヴァージョンは『Blood, Sweat & Tears 3』(1970年発表)に収録。今回はローラ・ニーロ作の「And When I Die」とのメドレーで演奏されるライヴ映像でお楽しみください。


こちらも前述のシティ時代のアルバムでもレコーディングしていた「Wasn't Born To Follow」。


ザ・バーズのヴァージョンは1968年リリースの『The Notorious Byrd Brothers』に収録されていました。今回はピーター・フォンダ主演の映画『Easy Rider』(1969年公開)の映像とともにご覧下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=gWhgLjim6Rc

アルバム『Writer』(1970年発表)でもレコーディングしていた『Goin' Back』。


GOIN' BACK
若い頃に学んだことを懐かしく思う
真実がよく分かる若き日々に戻っているようね

時間つぶしのゲームをすることもなく
おもちゃの電車もなければ木登りもしなくなった
若い気分のままで
年を重ねるのは罪ではない
人生というゲームで勝つことが出来るから

憶えている
恥ずかしがらずに友だちの手を伸ばせたこと
人に貸すためのおもちゃ以上のものを
今の私は持っている

静かに進むヨットを眺めている以外にも
やるべきことはたくさんあるわ
毎日が魔法の絨毯に乗っている気分
私たちに欠けているのはほんの少しの勇気
出来ることなら私を受け止めて
あの頃に戻って行くのだから

私たちに欠けているのはほんの少しの勇気
出来ることなら私を受け止めて
あの頃に戻って行くのだから


ダスティ・スプリングフィールドのヴァージョンは1966年にシングルで発表されました。


この曲を『The Notorious Byrd Brothers』で取り上げたことが、デヴィッド・クロスビーがバーズを脱退する原因となったといわれています。今回はテレビ・ショー出演時の映像でご覧下さい。『The Notorious Byrd Brothers』のレコーディング・セッションの途中で脱退したデヴィッド・クロスビーに代わってバンドに一時復帰したジーン・クラークの姿が観られる貴重な映像です。


ボン・ジョヴィもステージで取り上げているようです。
http://www.youtube.com/watch?v=gWhgLjim6Rc

私はブリティッシュ・ロックに疎いのでよく分からないのですが、クイーンのフレディー・マーキュリーがバンドとして正式にデヴューする前にLarry Lurexと名乗って発表したシングル『I Can Hear Music』 (1973年発表) のB面に「Goin' Back」が収録されていたようです。
http://www.youtube.com/watch?v=kIO9VHPsf8Q

他にもニルス・ロフグレンがアルバム『Nils Lofgren 』(1975)、ザ・プリテンダーズが『 Fever Pitch 』(1997年発表) 、ダイアナ・ロスが『The Very Best of Diana Ross - Love & Life 』(2001年発表) で取り上げていました。

The Beatles - Honey Pie

少々重苦しい記事が続いたので、今回はザ・ビートルズの皆様にご登場を願って気分を一新したいと思います。
取り上げる曲は「Honey Pie」。1968年に発表された『The BEATLES』(通称ホワイト・アルバム)に収録されていた1曲です。

ザ・ビートルズザ・ビートルズ
(2009/09/09)
ザ・ビートルズ

商品詳細を見る


Disc:1
1. Back in the U.S.S.R.
2. Dear Prudence
3. Glass Onion
4. Ob-La-Di, Ob-La-Da
5. Wild Honey Pie
6. Continuing Story of Bungalow Bill
7. While My Guitar Gentley Weeps
8. Happiness Is a Warm Gun
9. Martha My Dear
10. I'm So Tired
11. Blackbird
12. Piggies
13. Rocky Raccoon
14. Don't Pass Me By
15. Why Don't We Do It in the Road?
16. I Will
17. Julia
Disc:2
1. Birthday
2. Yer Blues
3. Mother Nature's Son
4. Everybody's Got Something to Hide Except Me and My Monkey
5. Sexy Sadie
6. Helter Skelter
7. Long, Long, Long
8. Revolution I
9. Honey Pie
10. Savoy Truffle
11. Cry Baby Cry
12. Revolution 9
13. Good Night

ポール・マッカートニー主導で作られたこの曲はディキシー・ランド調のジャズをベースにヴォードヴィル・スタイルに仕上げられ、ノスタルジックな雰囲気を醸し出していました。
リード・ギターはジョン・レノンが担当しています。
イングランド北部に住んでいた娘がアメリカに渡って大スターに出世。恋人だった男は落ちぶれて、「戻って来てくれ」と懇願する様子が描かれた歌でした。



HONEY PIE
イギリス北部の町で働いていた彼女
今じゃアメリカで大スター
もし俺の言葉に耳を貸してもらえるんなら
言いたいことがあるんだ

ハニー・パイ、おまえは俺を夢中にさせる
愛しているが 俺は怠け者
だから どうか戻ってきておくれ

ああ ハニー・パイ 俺のありさまは悲惨
ハリウッド中を震撼させたおまえのその歌の魔力を
俺にも見せに来てくれよ

おまえが銀幕の伝説になった今は
会うことを想像しただけで膝ががくがく震えちまう

ああ ハニー・パイ おまえは俺を半狂乱にさせる
おまえのもとへ行けるなら
大西洋だって渡って行きたい気分だぜ
ハニー・パイ 戻って来てくれよ

おお、俺はこんな音楽 こんなホットな音楽が好きなのさ
俺に聴かせてくれよ あのハリウッドのブルースを

彼女を乗せたボートを海の向こうに運んだ風が
どうか俺のところに彼女を送り戻してくれないものか

ハニー・パイ、おまえは俺を夢中にさせる
愛しているが 俺は怠け者
だから どうか戻ってきておくれ


ビートルズの歌にはいわゆる「駄目男」、「情けない奴」が主人公としてよく登場します。とりわけ初期に発表されたジョン・レノン主導で書かれた曲ではネガティヴな要素が強く表されていましたが、ポール・マッカートニー主導で作られた作品はユーモラスな雰囲気が漂っていました。
先進諸国では元来、「男は弱音を吐かない、人前で泣かない」といった「男らしさ」が美徳とされていました。1960代の後半になると各人が持つ個性が評価されるようになり、「男らしさ」は画一的なものとして否定の対象となり徐々に崩壊し始めます。そうした変革の時代の中で、人間としての素直な心のありようを描いたビートルズの歌は人々の心を捉え、彼らが広く支持を集める一因になり得たのでしょう。

1996年にリリースされた『Anthology 3』に収録されていたヴァージョン。こちらはアレンジがハワイアン風です。


アンソロジー(3)アンソロジー(3)
(1996/10/30)
ザ・ビートルズ

商品詳細を見る

Joni Mitchell - TURBULENT INDIGO

申し訳ございませんが、今回もジャクソン・ブラウン関連の記事です。と言っても、ご本人のアルバムや楽曲を取り上げるわけではありません。ジョニ・ミッチェルに登場していただきます。

Turbulent IndigoTurbulent Indigo
(1994/10/13)
Joni Mitchell

商品詳細を見る

1. Sunny Sunday
2. Sex Kills
3. How Do You Stop
4. Turbulent Indigo
5. Last Chance Lost
6. Magdalene Laundries
7. Not to Blame
8. Borderline
9. Yvette in English
10. Sire of Sorrow (Job's Sad Song)

どうして今回1994年にリリースされたジョニ・ミッチェルの『TURBULENT INDIGO』を記事にしようとしたかと言いますと、収録曲 「Not To Blame」において、あたかもジャクソン・ブラウンと思しき人物が恋人の関係にあった女優のダリル・ハンナを殴ったことばかりでなく最初の妻フィリスを自殺に追いやったことをも非難していると受け取れる内容が示されていました。これに対し、ジャクソン・ブラウンは「ジョニはあまり健康でなく,沢山の問題がある」という公式なコメントを出しています。しかし、ジョニ・ミッチェルはこのような曲を書いたことで何を物語りたかったのでしょうか。両者のファンである私には今もよく分かりません。
ジャクソン・ブラウンがデヴューまもない1972年2月、ジョニ・ミッチェルのツアーの前座に抜擢されて4ヵ月も全米及び全英各地を一緒に回ったことがありました。二人の関係はその時に恋愛へと発展したとされています。ジャクソン・ブラウンはジョニ・ミッチェルを「理想の相手」としてかなりのめり込んでいたようですが、当時は二人の格に大きな開きがあり関係は長く続くことなく終止符を打ちました。
ジャクソン・ブラウンもジョニ・ミッチェルも二人の関係について多くは語りません。ただ、ジョニ・ミッチェルが1973年に発表したアルバム『For The Roses』の中の1曲「Lesson In Survival」で、「My sweet tumbleweed」という名の恋人に向かって「静かな時を過ごしたかったのにあなたは友人たちに守られ、私は彼らの視線に脅かされていた」といった趣旨の言葉を掛けていました。これがジャクソン・ブラウンとジョニ・ミッチェルの関係を示すものであるとされています。
バラにおくるバラにおくる
(2006/09/27)
ジョニ・ミッチェル

商品詳細を見る


フィンセント・ヴァン・ゴッホの『耳に包帯をした自画像』を連想させるかのようなアルバム・ジャケットの『TURBULENT INDIGO』は1990年代のアメリカ社会の様々な問題を扱った作品です。ゴッホの『耳に包帯をした自画像』が穏やかな緑の色調で描かれているのに対して、ジョニ・ミッチェルの『TURBULENT INDIGO』は直訳すると「荒れ狂う藍色」、「騒然とした藍色」。深い青色の世界の中に家庭内暴力、AIDS、性 宗教、差別などアメリカが抱える問題、ひいてはどの国の現代社会にも存在する諸問題、人間が抱える基本的な問題を盛り込みながら彼女はそれらに対するメッセージを投げかけていました。決して個人的な異議申し立てに終始するのではなく普遍性を持たせた描き方がなされています。

それでは、アルバムの収録曲を何曲か紹介して行きます。
まず、オープニング・ナンバーの「Sunny Sunday」。美しいギターの調べにのせて淡々と歌われ日曜の午後のまどろみを思い浮かべてしまいそうですが、歌詞の内容は「彼女は夜の帳が降りるのを待っている。それからドア越しにピストルを向け、街頭に狙いを定める。フリー・ウェイに行き交う車の音がする。」といった言葉が出てくるように穏やかなものではありません。


続いて「Sex Kill」。タイトルから察せられる通り人間の欲望や性犯罪を扱ったもので、ヘルス・エンジェルズによる集団強姦事件や保育園でさえも惨劇の場となることを力を込めたやや強い口調で訴えかけるように歌い上げています。「正義(Justice)とは氷(Just ice)のように冷たいものなのか」という言葉が印象的でした。


アコースティック・ギター1本によるライヴ映像。


エレキ・ギターに持ち替えてバンドをバックに歌うライヴ映像。1994年に奈良の東大寺で行われた「あおによし」コンサート(ボブ・ディラン、ライ・クーダー、X-Japanも参加)の時のものでしょうか。ジョニ・ミッチェルの傍らでリード・ギターを弾く布袋寅泰さんの姿も見えますね。


アイルランドのダブリンで実際に起こった事件をテーマに描いた「The Magdalene Laundries」。ふしだらであると烙印を押された女たちが次々と修道院へ送られて過酷な労働を強いられるという状況が18世紀から1970年代まで行われていたと言います。メロディの美しさが歌詞の内容とあいまってよけいに哀感を誘いました。


冒頭で述べた「Not To Blame」です。

NOT TO BLAME
その話がアメリカ全土の話題となった
伝えるところによると
あなたが最も愛した女性を殴ったのだとのこと
あなたの慈善活動も偽善的に思える
彼女の顔にはその美しさとともに
あなたのげんこつの跡が残されている
あなたの仲間たちは皆あなたの味方
彼らは富と名声を賭けて
彼女が人の道を外れた行いをしたからで
あなたは悪くないのだと言う

60万人の医師たちが
ゴム手袋をはめて
愛が作った惨めな傷跡を詮索している
彼らが言うには虐待された妻たちを
見つける方法を学んでいるとのこと
女性たちの間では
人生を通して血を流す行為をみてきているはず
あなたの倒錯には私も血を流す
汚点を残す赤い血の言葉
潔白であるとごまかそうとするあなたの主張
彼女が人の道を外れた行いをしたからで
あなたは悪くないのだと言う

あなたの子供は3歳の時にこう言ったそうだ
「ダディー 女を見つけようよ
一人はダディーのため 一人は僕のために」と
彼の母親は性格が弱く
あなたがそのことを嫌悪していた
だが彼女の容姿を
自殺に追いつめたくなるほどあなたは愛している
誰も涙を流さなかった彼女の寂しく小さな墓には
こう書かれている
「人の道を外した行いをしたのは彼のほうで
あなたは何も悪くない」と


妻への虐待をテーマにした歌のようですが、具体性を表すためにジャクソン・ブラウンに関する醜聞をモデルケースにしたようにも思われます。彼の息子に対しての人格さえも批判しているような箇所もあり、憤りとは行かないまでも何とも言えない虚脱感や不信感が込み上げてきました。

デヴィッド・クロスビーとの共作、「Yvette In English」。パリが舞台となっており、そこでの日常のエピソードを描いたもののようです。アルバムの中では比較的安心して聴ける1曲でした。


Bonnie Raitt - Give It Up

前回掲載したジャクソン・ブラウンの「Doctor My Eyes」の記事の中で、シェリル・クロウと彼女のファンの皆様方には誠に失礼ながらボニー・レイットとジャクソンのジョイント・コンサートが観てみたいといった趣旨の発言をしました。ミズーリ大学でクラシック・ピアノを専攻して音楽の基礎を固め、マイケル・ジャクソンを始めとする大物アーティストのバック・ヴォーカルとして下積みの経験を長く送ったシェリル・クロウの実績や音楽性を決して否定する意図で申し上げたわけでありません。ただ、プロモーターの安易と思えるようなジョイント方法やブッキングに少なからず違和感を覚えました。
また、昨今の活動を鑑みて、名前を挙げたボニー・レイットのほうが今となってはジャクソン・ブラウンとそれほど近い存在ではないのではとおっしゃる方も多々おられることでしょう。そこで、今回はボニー・レイットの素晴らしさを理解し、確認してもらう意味を込めて、1972年にリリースされた彼女の2ndアルバム、『Give It Up』を取り上げます。
このアルバムは感動的で愛情のこもった記事を他人様のブログ(例えばPurple_Hazeさんのブログ「Blues Power」)で何度も拝見したことがありました。私のような者が書く陳腐な文章はそうした記事の足下にも及びませんが、何とかボニー・レイットの魅力が伝われば幸いです。

ギヴ・イット・アップギヴ・イット・アップ
(2008/05/28)
ボニー・レイット

商品詳細を見る

1. Give It Up or Let Me Go
2. Nothing Seems to Matter
3. I Know
4. If You Gotta Make a Fool of Somebody
5. Love Me Like a Man
6. Too Long at the Fair
7. Under the Falling Sky
8. You Got to Know How
9. You Told Me Baby
10. Love Has No Pride

1949年11月8日にカリフォルニア州バーバンクで生まれたボニー・レイット。父親がミュージカル・シンガーだったことから幼き頃より音楽に親しむ環境に恵まれていました。10歳の頃にはフォークやブルースに興味を持ち、ミシシッピ・ジョンハート、ロバート・ジョンソン、マディ・ウォーターズがお気に入りのアーティストだったそうです。やがて大学進学のためにマサチューセッツ州のケンブリッジ(チャールズ川を隔てたボストンの対岸に位置する都市。ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学がキャンパスを構える)に向かい、学生生活の傍らコーヒー・ハウスに出演する日々を送りました。マリア・マルダーやジェフ・マルダーが在籍したジム・クウェスキン・ジャグ・バンドやクリス・スミザーと交流を育むようになったのもこうした活動がきっかけとなったようです。
コーヒー・ハウスでボトル・ネック・ギターを弾きながらブルースを歌う女がいる。そんな彼女のパフォーマンスが話題となり、ワーナー・ブラザーズが注目。たちまちボニー・レイットとレコーディング契約を交わします。1971年にデヴュー・アルバム、そして、翌1972年にセカンド・アルバムであるこの『Give It Up』がリリースされました。

それでは、スタジオ録音のヴァージョンとは少々ニュアンスの違いがありますが、YouTubeにある映像を使ってアルバムに中の楽曲を幾つか紹介して行くことにします。
オープニング・ナンバーはデキシーランド・ジャズ風の演奏をバックにボニー・レイットの豪快なボトル・ネック・ギターが唸る、「Give It Up Or Let Me Go」。彼女のオリジナル作品です。ホルンかチューバかよく分かりませんが、少々ユーモラスな音色を出していました。


ディクシー・チックスによるカヴァー・ヴァージョン。1998年リリースの『Wide Open Spaces』に収録されていました。 


続く「Nothing Seems To Matter」もボニー・レイットのオリジナル。「一人ではとても生きて行けないわ。だから急いで帰って来て。あなたがいなければ何も始まらないの」と情感込めて歌われ、サックスのサポートが味わい深く心に響きます。


ニュー・オーリンズ出身のシンガー・ソング・ライター、クリス・スミザー作の「Love Me Like A Man」。ボニー・レイットの巧みなギター・プレイが心に沁みるかのようなブルース・ナンバーです。クリス・スミザーのオリジナル・ヴァージョンは『I'm Stranger Too!』(1971年発表)に収録。


こちらはカナダ出身のジャズ・シンガー兼ピアニスト、ダイアナ・クラールのカヴァー・ヴァージョン。『Live At The Montreal Jazz Festival』(2004年発表)に収録。彼女はエルヴィス・コステロの奥さんでもあります。


ジョエル・ゾス作の「Too Long At The Fair」。彼のヴァージョンは1975年リリースの『Joel Zoss』に収録。「イエスは涙を流し、この世を去った」という歌詞で始まり、中ほどでは「私の魂をアブラハム(『旧約聖書』に出て来る預言者)に捧げてもよい。私の魂を苦しめてもよい」と歌われます。演奏面にもゴスペル的なフィーリングが窺えました。


ジャクソン・ブラウンの作品、「Under The Falling Sky」。1972年リリースの『Jackson Browne』に収録。ジャクソン・ブラウンのヴァージョンは比較的シンプルでくつろいだ雰囲気に仕上げられていましたが、ボニー・レイットはソウルフルに歌い上げ、演奏も分厚い感じがします。


別の会場でのライブ映像。


ジャクソン・ブラウンのヴァージョンは下記のURLをクリックして聴いてもらえれば幸いです。
http://www.youtube.com/watch?v=1-5JOEvw248

エリック・カズとリビー・タイタス共作の「Love Has No Pride」。


エルヴィス・コステロとの共演映像でもご覧ください。エリック・カズのセルフ・カヴァーはクレイグ・フラーらと組んだアメリカン・フライヤーのファースト・アルバム(1976年発表)に収録されていますが、リード・ヴォーカルを担当していたのはクレイグ・フラーでした。


LOVE HAS NO PRIDE
あまりにも多くの悪い夢を見てきた
そんなものはたいした意味がないとはね
楽しい日々が過ぎ 悲しみにつつまれた家が残っただけ
かつて親しかった友だちも去って行く
あなたの名を大声で叫ぶ時 愛にプライドなんて無用
誰にも責任がない時 愛にプライドなんていらないの
もう一度あなたに会えるなら何でも捧げるわ

あまりにも多く夜をひとりぼっちで過ごしてきた
あなたが戻って来るかもしれないなんてね
あなたが話しているのを耳にした
彼女は夢中ですがりついてくるんだと
でもあなたは私の恋人
どんなことを言おうと気にしない
あなたの名を大声で叫ぶ時 愛にプライドなんて無用
誰にも責任がない時 愛にプライドなんていらないの
もう一度あなたに会えるなら何でも捧げるわ

あなたの愛をお金で買うことができるなら
私は本気で試みるわ
祈ってすむことなら
私は永遠に祈り続けるわ
あなたが私に乞い願えと望むなら
私はひざまずくでしょう
戻って来てほしいと願い
あなたに戻って来てほしいと懇願するわ
戻って来てほしいと請うのよ
あなたの名を大声で叫ぶ時 愛にプライドなんて無用
私以外の誰にも責任がない時 愛にプライドなんていらないの
もう一度あなたに会えるなら何でも捧げるわ


割と未練がましい思いが込められた内容の歌詞なので、ボニー・レイットのようにあっさりと歌ってもらったほうが落ち着きます。情感たっぷりで熱唱されたならば少々気分が重たくなるかもしれませんね。男性が歌うと女々しいなどと言われる方がおられる方がおられるかもしれませんが、男の弱さや哀愁が込められていて、それもまた味わい深いものになるでしょう。前述のクレイグ・フラーのヴォーカルはそうした雰囲気の中で、愛する人への偽らざる気持ちと決意を堂々と歌っていました。



アメリカン・フライヤーに関してはPurple_Hazeさんのブログ「Blues Power」を参照してください。

リビー・タイタスのヴァージョン。1977年リリースの『Libby Titus』に収録されていました。


リンダ・ロンシュタットのカヴァー・ヴァージョン。1973年リリースの『Don't Cry Now』に収録。


ギタリストにのみならず、ソング・ライターとしての実力を兼ね備えながらも同時代のシンガー・ソング・ライターたちの楽曲をいち早く取り上げて世の中に紹介していたボニー・レイット。彼女はそんな発掘者としての顔も持ち合わせた才気あふれるアーティストです。

Jackson Browne - Doctor My Eyes

2010年の3月にジャクソン・ブラウンが来日します。今度はシェリル・クロウとのジョイントらしいのですが、チケット代金が13,000円。ビートルズのリマスターCDを地元京都の清水の舞台から2度(モノラルとステレオの両方を購入したため)も飛び降りた気分を味わった身には辛く、二の足を踏んでしまいました。シェリル・クロウのファンの皆様には誠に失礼な言い方かもしれませんが、ジャクソン・ブラウンとボニー・レイットとの共演ならば無条件に反応し、何とか工面して臨むところです。

そんな話はさておき、今回はタイムリーなネタを意識してジャクソン・ブラウンの「Doctor My Eyes」を取り上げます。彼が1972年に発表したデヴュー・アルバム、『Jackson Browne (Saturate Before Using)』に収録されていた1曲で、シングル・カットされて全米第8位まで上昇するヒットを記録しました。

ジャクソン・ブラウン・ファーストジャクソン・ブラウン・ファースト
(2005/09/21)
ジャクソン・ブラウン

商品詳細を見る

1. Jamaica, Say You Will
2. Child in These Hills
3. Song for Adam
4. Doctor My Eyes
5. From Silver Lake
6. Something Fine
7. Under the Falling Sky
8. Looking into You
9. Rock Me on the Water
10. My Opening Farewell

若々しい1978年の映像。


DOCTOR MY EYES
ドクター 私の目は泣くこともせずに何年も
ゆっくりと巡り来る恐怖を見続けて来ました
私は知りたいのです
善と悪を包み隠さず見分けようと努めてきました
出来るなら助けてください

ドクター 私の目ですが
どこが悪いのか教えてください
ずっと目を見開いていたままにした
私が愚かだったのでしょうか

この世界を彷徨い歩き
瞬間瞬間が広がるように
私は夢から目覚めるのを待っていたのです

人々は好き勝手な方向へ行きます
こんなに遅くなっているという気分になるまで
私は気がつきませんでした

ドクター 私の目が
どうなっているのか教えてください
叫びが聞こえるんです。
私には遅すぎたのなら言ってください

教えてください ドクター 
ドクター 私の目には
空が見えないのです
泣かない方法を学んだ代償なんでしょうか


明るく軽快なナンバーですが根底には深いメッセージが込められていました。ジャクソン・ブラウンの歌の傾向から察すると「That It's Later Then It Seems」( こんなに遅くなっていることに気がつきませんでした)という抽象的な部分は、後に「Running Of Empty」の中で、「Running behind」(「人の後ろを走る」、「人より遅れて走る」)と歌われているように、人生が足早に過ぎ去って行き、自分だけが取り残されていることへの焦りが込められていると捉えて解釈できるでしょう。また、彼が頻繁に隠喩として使う「空」は希望であり、至福の状態です。こうして歌詞の内容を鑑みると、歌の調子から受ける印象とは異なり、多くの人々が青年期に経験するであろう何とも言えぬ絶望感が窺えました。

幾つか年代の違う映像を宜しければご覧ください。
ピアノからギターに持ち替えた1986年の映像。


いつ頃のライヴでしょうか。バンドの中にデヴィッド・リンドレーの姿が見えます。


これはちょっと珍しい。ローウェル・ジョージの娘、イナラ・ジョージ(The Bird & The Bee)との共演映像です。


2002年にリリースされた『The Naked Ride Home』に収録の「About My Imagination」とのメドレーでお聴きください。昨年(2008年)の日本公演でもこの形で演奏されていました。


ABOUT MY IMAGINATION
私は目を見開いて
目の前で起こる出来事の要点をつかもうとした
感動させるものを残し 他のことは忘れ
真価を問うものを若々しい想像力で理解した

当時 愛が出来ることを述べるのは簡単だった
自分たちの世界が始まる時なら簡単だった

自分の道を見つけることは時として非常に困難だった
迷える我が世界を喜びにまかせていた
正直に言えば 私には何も見えていなかったのだ
心の中にあることに気を取られて この人生についてのすべてに

当時 愛が行ける場所を述べるのは簡単だった
知らないことがたくさんあれば簡単でだった

私の想像力に関して述べれば そのおかげで何とかして上手く切り抜けてきた
想像力なしでは 私は今ここにいないだろう

当時 愛が保証されていた時は簡単だった
必要なのが愛なら簡単なこと

私の想像力に関して述べれば 
この想像力を調査しているところ
私の計算によると
我々は変化に向かって遅れをとっている
あるいはそれは想像の産物か

私は目を見開き
可能性の関係からこの人生を眺めようとしている
あまりにも多くの変化 より悪い方向への変化ばかりだ
しっかりと頭を上げてなければならない
揺りかごから墓場まで

当時 愛が行けるところを述べるのは簡単だった
愛しか知らなければ簡単だったのだ

私の想像力に関して述べれば
祝福の準備はできている
この想像力を持って
自己の尊厳の管理を引き受けるのだ

恐怖もなく 戦慄もなく
自己の肯定を表明するのだ
疑いもなく ためらいもなく
人々は乗船の準備をする
私の想像力に関して述べれば
国中に声を出して呼びかけている
ある意味で改めて献身すべき時だ
我々の同世代のことばかりを言っている場合ではない
私はこの祈りを送り届け
これらの興奮を覚えたままでいる
もっと光を もっと愛を
もっと真実を もっと革新を


この「About My Imagination」には「Doctor My Eyes」の奥底に横たわるメッセージを補完する意味合いが含まれていると思われます。また、「The acid test」を「真価を問うもの」と訳しましたが、ハーバート大学教授のティモシー・リアリーや『カッコーの巣の上で』で知られる作家のケン・キージーらが行ったLSD体験による意識革命とのダブル・ミーニングであると推測することも可能でしょう。


シェリル・クロウのカヴァー・ヴァージョン。2008年発表の『Detours』の i Tune Store版のみに収録されていました。


続けては別のライヴ会場の映像。


この方も「King Of Pop」と称される前に歌っておられました。ジャクソン5時代の『Lookin' Through the Windows』 (1972年発表)に収録 。


他にもマリー・トラヴァース(PP&M)が『All My Choices』(1973年発表)で、ベン・フォールズが映画『Banger Sisters』(2002年)のサントラ盤の中で、ウィルソン・フィリップスがアルバム『California』(2004年発表) でそれぞれ取り上げていました。

ピアノの弾き語りにパーカッションとコーラスを付けただけのシンプルな編成のヴァージョンで、今回はお開きにしたいと思います。


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。