好きな音楽のことについて語りたいと思います。

Loggins & Messina - Full Sail

近畿地方は一向に梅雨明けしないので、気分だけでも爽やかに行きたいと思います。
ということで、今回もウエスト・コースト・サウンドを取り上げました。紹介するのは1974年にリリースされたロギンズ&メッシーナの『Full Sail』。彼らの3rdアルバムにあたります。本来なら1stの『Sittin' In』から記事にするのが当然なのでしょうが、それに関してはこのブログをリンクしていただいているPurple_HazeさんのブログBlues Powerやsintanさんのブログ3度のメシよりCDやBIRDさんのブログBYRD'S SELECT MUSICなどをご覧下さい。

1947年12月5日にカリフォルニア州メイウッドに生まれたジム・メッシーナ。5歳の頃よりギターを手にし、17歳の時にサーフィン・サウンドを奏でるインスト・バンド、ジェスターズでデヴューしていました。バンドは2枚のアルバムを発表するものの売り上げは芳しくなく、メッシーナはエンジニアに転身して様々なアーティストのアルバムの制作現場に立ち会うことになります。その後、バッファロー・スプリング・フィールドの2ndアルバム『Again』(1967)にエンジニアとして関わったのが縁でベーシストとしてバッファローに加入。スティーブン・スティルスやニール・ヤングといった個性豊かな先輩方を前にして、「俺にもギターを弾かせてください」とはなかなか言えなかったことでしょう。もっとも、この頃スティルスもヤングも新たな活動の道を踏み出し始め、バンドは既に空中分解の状況。3rdアルバム『Last Time Around』(1968)の編集にスティルスもヤングも携わることがなく、メッシーナは裏方として培った経験を見込まれてプロデュースも任せられます。
ほどなくバッファローは解散。メッシーナはメンバーだったリッチー・フューレイとアルバムのレコーディングに参加したスティール・ギター奏者のラスティ・ヤングらとともにPOCOを結成します。しかし、3枚のアルバムに参加した後にメッシーナはPOCOを離れ、裏方の世界に戻りました。

ケニー・ロギンズは1948年1月7日にワシントン州のエヴェレットに生まれ、ロサンゼルスで育ちました。幾つかのロック・バンドのメンバーとして活動するものの鳴かず飛ばすの状況が続きます。そんな時、彼がソング・ライターとして音楽出版社に登録していた楽曲の中から4曲をニッティ・グリティー・ダート・バンドがアルバム『Uncle Charlie & His Dog Teddy』(1970)で取り上げ、ことに「House At Pooh Corner(プー横丁の家)」がヒットしたことによりケニー・ロギンズの名が一躍注目を浴びました。その結果、CBSからロギンズにソロ・アーティストとしてデヴューする機会が与えられたのです。

そのケニー・ロギンズのアルバムのプロデュースを担当することになったのがジム・メッシーナでした。レコーディング作業を進めるうちに同年代の2人は意気投合。メッシーナはプロデュースのみならず演奏やソング・ライティングにも参加します。当初はケニー・ロギンズのソロ・アルバムだった予定が、蓋を開ければケニー・ロギンズ with ジム・メッシーナという名義になり、『Sittin' In』(1972)と題されたアルバムのジャケットには2人仲良く写っていました。

Sittin' InSittin' In
(2008/02/01)
Loggins & Messina

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こうして2人は正式にデュオを組むことになり、翌1973年には『Loggins & Messina』というユニット名でアルバムを発表。シングル・カットされた「Your Mama Don't Dance(ママはダンスを踊らない)」が大ヒットしました。

Loggins & MessinaLoggins & Messina
(2008/02/01)
Loggins & Messina

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今回紹介するのは1974年にリリースされた実質的な3rdアルバムとなる『Full Sail』です。

Full SailFull Sail
(2008/02/01)
Loggins & Messina

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1. Lahaina
2. Travelin' Blues
3. My Music
4. A Love Song
5. You Need a Man/Coming to You
6. Watching the River Run
7. Pathway to Glory
8. Didn't I Know You When
9. Sailin' the Wind

それではアルバムから何曲か聴いていただけたら幸いです。オープニング・ナンバーはハワイのマウイ島の町ラハイナのことを歌った「Lahaina」。カリプソ風のアレンジが際立ちます。


次はジャージーなサックスの音色が印象的な「Travelin' Blues」。
http://www.youtube.com/watch?v=L7Oa4yJhp5w

シングル・カットされてヒットした「My Music」。軽快に弾むロックン・ロールです。ライヴでお楽しみください。


続いて「Danny's Song」を彷彿させるかのような「A Love Song」。
http://www.youtube.com/watch?v=kuXh5z9KVH8

アメリカ南部のアーシーなフィーリングが漂いながらもスティール・パンを取り入れたトロピカルな雰囲気へと引き継がれる「You Need a Man/Coming to You」。
http://www.youtube.com/watch?v=8mjEX_e0GM4

ほのぼのとしながらも次第にドラマティックに盛り上がって行く「Watching the River Run」。フルートの音色が効果的です。


WATCHING THE RIVER RUN
君が今までひとりぼっちだと思っていたのなら
もう寂しがらなくていいよ
二人一緒なら充実するのさ
俺が川で君は岸辺だから

どこまでも続く
川の流れを見つめてごらんよ
過去の俺たちから遠く遠く離れて行き
俺たちの思い出をひとつずつ残し
俺たちはいま歩き始めたばかり
川の流れを見つめながら
その流れの音に耳を傾け、学び、あこがれ
川の流れのように走り始めよう

曲がりくねり、渦巻き、舞いながら
古い柳の木を通り過ぎると
そこは俺たちが歌う間、恋人たちが抱擁を交わすところ
海に敬意を表する時、二人をより合わせるのさ


ほのかに東洋的なアレンジが施された「Pathway to Glory」。サックス、クラリネット、オーボエ、ヴァイオリンなど様々な楽器が用いられた大作です。


打って変わって明るく力強いロックン・ロールの「Didn't I Know You When」。
http://www.youtube.com/watch?v=ceMH0JEnJSI

爽快な風に吹かれて海で戯れるかのような「Sailin' the Wind」。幻想的な雰囲気も醸し出されています。
http://www.youtube.com/watch?v=AfzPfwIg9HU

ロック、カントリー、ラテン、ジャズなど様々な音楽を融合して斬新なサウンドを展開し、ウエスト・コースト・サウンドの旗手として最前線に立ち続けたロギンズ&メッシーナでしたが、1976年にデュオは解消されます。2人はそれぞれソロ・アーティスの道を歩みました。ロギンズが発表したアルバムは一定の評価を得ることが出来、『Foot Loose』(1984)、『Top Gun』(1976)など数々の映画の主題歌や挿入歌として楽曲を提供して「サントラ請負人」の如く順調に活躍します。メッシーナもソロ・アルバムを次々とリリースしましたが、かつてのような勢いはなく輝きを失ってしまったかのように窺えました。しかし、1989年にはランディ・マイズナー(元イーグルス)らとともにPOCOに復帰し、アルバム『Leracy』を発表。翌年には来日公演を行って元気な姿を見せ、ファンを大いに喜ばせてくれたのです。そして、2005年にはロギンズ&メッシーナが再結成を果たし、ライヴ・ツアーを行っています。

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(2006/02/08)
ロギンス&メッシーナ

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Bruce Johnston - GOING PUBLIC

京都は時折にわか雨のふる相変わらずの梅雨空。青空と輝く太陽はしばらく期待できそうにもありません。そこで、今回の記事は乾いた空気と青い空を連想させるウエスト・コースト・サウンド。ザ・ビーチ・ボーイズ関連のアーティストの織りなす音の世界で一服の清涼を味わっていただければ幸いです。
さて、ご登場願うのはブルース・ジョンストン。オリジナル・メンバーではなく途中参加ですが、ビーチ・ボーイズを支えたこの人の尽力には並々ならぬものがありました。
ブルース・ジョンストンは1942年6月27日、イリノイ州シカゴに生まれました。その後ロサンゼルスに転居し、10代の頃よりプロとして音楽活動を開始。1958年頃から幾つかのバンドで何枚かのシングル盤をリリースしています。また、この時期にはセッション・プレイヤーの経験を積み、同時にプロデュース業にも手を染めるようになりました。
そうしたセッションを通じてブルース・ジョンストンは、女優のドリス・デイの息子で後にザ・バーズのプロデューサーとして名を馳せるテリー・メルチャーと知り合います。意気投合した二人は親交を深めて行き、サーフィン/ホット・ロッドの楽曲を共同でプロデュースするようになりました。さらにブルース&テリーとしてデュオを組み、シングル盤を何枚も発表しています。
そんなふうにアーティスト、ソング・ライター、プロデューサーとして堅実に地位を固めていたブルース・ジョンストンに転機が訪れたのは1965年。心身の状態が思わしくなくステージのパフォーマンスから身を引くようになっていたブライアン・ウィルソンの後任としてビーチ・ボーイズから誘いを受けたのです。アルバムとしては『Summer Days』(1965)から加わったブルース・ジョンストンはセッション・ミュージシャンやソング・ライターとしての実力を発揮。明るい性格も手伝って次第に頭角を現し、かけがえのない存在となりました。ことに彼が提供した『Sunflower』(1970)収録の「Deirdre」や「Tears In The Morning」、『Surf's Up』(1971)収録の「Disney Girls」などの楽曲はメロディアスでドリーミーな雰囲気が窺え、ブライアン・ウィルソンと違った個性によってビーチ・ボーイズに新風を送り込んだのです。しかし、マネージャーとそりが合わず1972年にブルース・ジョンストンはビーチ・ボーイズを脱退。裏方の世界へ戻りました。
1974年になるとブルース・ジョンストンはかつての盟友テリー・メルチャーとイクィノックス・プロダクションを設立。ビル・ハウスの『Give Me A Break』、バリー・マンの『SURVIVOR』(1975)などを制作します。次いで、キャプテン&テニールのファースト・アルバムに、「Disney Girls」と未発表の「I Write The Songs(歌の贈り物)」を提供。キャプテンことダリル・ドラゴンはビーチ・ボーイズのサポート・メンバーとしてキー・ボードを担当していた経歴がありました。
この「I Wrote The Song」はバリー・マニロウが1975年に発表した『Tryin' To Get The Feeling』でカヴァー。翌1976年にシングル・カットされて全米1位を獲得したことにより、作者のブルース・ジョンストンも注目されるようになりました。
大ヒットのおかげかこれを契機としてCBSからソロ・アルバムの話がブルース・ジョンストンのもとに舞い込みます。こうして制作されたのが今回紹介する『GOING PUBLIC』です。アルバムは1977年にリリースされていますが、前述のイクィノックスは経営難のため1976年に閉鎖されていたので、捨てる神あれば拾う神ありといったところでしょうか。路頭に迷わずに住んだようです。
なお、このアルバムのプロデューサーはゲイリー・アッシャー。ブルース・ジョンストンとは旧知で、テリー・メルチャーの後を受けてバーズのアルバムを担当した人物です。

歌の贈りもの(紙ジャケット仕様)歌の贈りもの(紙ジャケット仕様)
(2006/03/24)
ブルース・ジョンストン

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1. I Write the Songs
2. Deirdre
3. Thank You Baby
4. Rendezvous
5. Won't Somebody Dance With Me
6. Disney Girls
7. Rock and Roll Survivor
8. Don't Be Scared
9. Pipeline
10. Pipeline(Single Version)
11. Pipeline(12' Disco Version)

それではアルバムの中から何曲かお聴きください。まず、オープニング・ナンバーの「I Write The Songs」。前述したようにバリー・マニロウのヴァージョンが大ヒットしましたが、デヴィッド・キャシディもブルース・ジョンストンのプロデュースによるアルバム、『The Higher They Climb the Harder They Fall 』(1975) にてカヴァーしています。


I WRITE THE SONGS
私は永遠に生き続ける
歌に埋もれてしまうだろう
私は言葉とメロディーを一緒にする
私は音楽、私は歌を書く

私は世界中で歌われる歌を書く
愛や個人的なことの歌
若い女性の涙を誘う歌
私は歌を書く 歌を書くんだ

私の心は君の中に奥深く横たわる
君の魂の中に私の場所があるのだ
いま、君の目を通して物事を見ると
私は若さを取り戻す たとえ年老いていても

ああ 私の音楽は君を踊らせる
精神を奮い立たせるのさ
私が作った何曲かのロックン・ロール
それが君をノリノリにさせるのさ
音楽が君の心を満たす時
それは本当に素晴らしいスタート
私からの音楽 君からの音楽
それは世界に広がるシンフォニー


次はブライアン・ウィルソンとの共作「Deidre」。アップテンポでベース・ラインが弾むディスコ調のアレンジが1977年頃の流行の音だったのだと思い出させます。


こちらはビーチ・ボーイズのヴァージョン。


続いて、しっとりとシンプルに歌い込む「Disney Girls」。アート・ガーファンクルが『Breakaway』(1975)で、キャス・エリオットが『Cass Elliot』で取り上げていました。


こちらはビーチ・ボーイズのヴァージョン。


この2曲に関してはビーチ・ボーイズのヴァージョンのほうが良い出来映えなのかもしれませんが、苦心して何とか差別化を図ろうとしたブルース・ジョンストンのセルフ・カヴァーも捨て難いものです。

最後にベンチャーズでお馴染みの「Pipeline」。こちらもディスコ・サウンドを意識したようなアレンジに仕上げられていました。いま聴いていると個人的な思い出が頭の中を走馬灯のように駆け巡るのですが、それはそれとして、この時期に吹き荒れたディスコ・サウンドというものが音楽界を凌駕し、いかに凄まじかったかを思い知らされる次第です。


ブルース・ジョンストンは1978年にビーチ・ボーイズに復帰。1979年には彼のプロデュースで『L.A. (Light Album)』をリリース。その後もフル活動ができないブライアン・ウィルソンの穴を埋めるべく奮闘しました。1989年には盟友テリー・メルチャーに声を掛けて『Still Cruisin'』を制作。シングル・カットされた「Kokomo」はトム・クルーズ主演の映画『Cocktail』(1988)の挿入歌として使用され、全米第1位に輝きました。ちなみにこの曲はメンバーのマイク・ラヴに加えてテリー・メルチャー、ジョン・フィリップス(ママス&パパス)、1967年に「San francisco(花のサンフランシスコ)」をヒットさせたスコット・マッケンジーらが共作者として名を連ね、まさしく総力戦で望んだ結晶と言えるでしょう。
現在のビーチ・ボーイズはソロとして活動するブライアン・ウィルソン、ファミリー・バンドを率いるアル・ジャーディン、マイク・ラヴとブルース・ジョンストンを中心としたビーチ・ボーイズの3組に分裂しています。マイク・ラヴとブルース・ジョンストンのビーチ・ボーイズはライヴを中心に精力的な活動を行っており、2005年にはフジ・ロック・フェスティヴァルにも出演しました。

2008年のステージの模様です。


Severin Browne

近畿地方の梅雨明けは大幅に遅れています。気象庁の3ヵ月予報では8月は雨が多く気温が低め、冷夏になる恐れもあるとか。過ごしやすくて良いという声も多々あるようですが、冷たい夏は景気の動向を左右しかねません。これからでも遅くないので、ぜひ太平洋高気圧にきばってもらって、猛暑や酷暑までは望まないもののせめて平年並みの夏に向かってもらいたいものです。
気候が不順と言っても今のところ夏の暑さが影を潜めているわけではありません。うだるような感覚はあまり覚えないものの、じめじめ蒸し蒸しの毎日です。
何か涼を取れるものはないかと思いめぐらしていると、この季節は爽やかな音楽が一番。ウエスト・コースト・サウンドが似合います。
今回ご登場を願うのはセヴリン・ブラウン。ジャクスン・ブラウンの弟さんです。その彼が1973年に発表した1stアルバム『SEVERIN BROWNE』。ウエスト・コースト・サウンドなどと紹介してしまいましたが、モータウンからのリリースが手伝ってかフリー・ソウル風な雰囲気が話題になった楽曲があり、兄とはひと味違います。

セヴリン・ブラウンは父親が軍関係の仕事をしていたことにより、1949年にドイツのフランクフルトに生まれました。ジャクソンとは1歳違いの年子ということになります。
セヴリンが音楽界と正式に関わりを持ち始めたのは1971年。モータウン・レコード傘下の音楽出版社とソング・ライターとして契約を結んだのです。その頃モータウンは創業の地デトロイトからロスアンジェルスに本拠を移し始め、白人のリスナー獲得への動きを見せていました。もともとモータウンは創業者のベリー・ゴーディ・ジュニア曰く、「黒人向けのR&Bではなく、白人層にも自分たちの音楽の良さを理解して欲しい」という思いで会社を設立したとのことで、誰にでも聴きやすいサウンドが特徴のひとつでした。こうしてモータウンは人種や聴き手の生活環境とは関係なく支持を高めて行きましたが、それ故白人迎合主義と揶揄されていたこともあります。
そのモータウンは1970年代になると白人アーティストとも次々と契約していきました。白人ロック・バンドのレア・アースは1970年に「Get Ready」(1969年発表の同名アルバムにはデイヴ・メイソンの「Feelin' Alright」も収録)の大ヒットを放ちました。セヴリン・ブラウンがモータウンからデヴューしたのもその流れの一貫でしょう。なお、モータウンの白人マーケットを意識した戦略は80年代になっても続き、シャリーンという女性シンガーが1976年にリリースした「I've never been to me(愛はかげろうの中に)」という曲が、1982年に再発されて全英1位、全米3位に輝いています。

セヴェリン・ブラウンセヴェリン・ブラウン
(2007/06/20)
セヴェリン・ブラウン

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1. Stay
2. Darling Christina
3. Snow Flakes
4. Raggedy Ann & Me
5. Skip Tune
6. Sister
7. Not Quite Time
8. There's A Lot To Be Said
9. Just A Matter Of Time
10. The All-American Boy And His Dog

セヴリン・ブラウンの声は優しく繊細。歌い方はともすれば一本調子になりがちなジャクソン・ブラウンと比べて伸びやかな印象を受けます。曲調もメロディアスで甘さを備えており、個性の違いが明白に感じられました。

フリー・ソウル風の雰囲気が醸し出された曲、「Stay」。どことなくジェシ・コリン・ヤングを彷彿させるかのようです。


STAY
ベイビー 君が微笑みかけてくれる時
心の内側にあるものすべてが俺をワイルドにぶっとばす
俺はおかしな雀だった
でも世界は俺が飛ぶにはあまりに狭かった

とどまりなよ 俺と一緒にいてくれないか
とどまりなよ 俺と一緒にいてくれないか
俺は君をあちこちで楽しませたいんだ
君がはく寝室のスリッパを降ろしたいのさ
俺は君をそこで楽しませたいんだ

さてベイビー 参考になるよ
俺たちの思いを示させようと何時間も座っていられること
他人とともに危険に晒されることはとても辛い
でも、これはママのクッキング・ショーなんかじゃない

とどまりなよ 俺と一緒にいてくれないか
とどまりなよ 俺と一緒にいてくれないか
俺は君をあちこちで楽しませたいんだ
君がはく寝室のスリッパを降ろしたいのさ
俺は君をそこで楽しませたいんだ


セヴリン・ブラウンの優しさが滲み出るような「Snow Flakes」。こういう楽曲を聴いていると、兄ジャクソンよりもむしろジェームズ・テイラーを連想させます。


さらに2曲お聴きください。まず、効果的なシンセサイザーの音とスヌーキー・ピートのペダル・スティール・ギターがフィーチャーされた「Darling Christina」。クレジットはありませんが、兄ジャクソンとリンダ・ロンシュタット、それにJ.D.サウザーまでもがバック・ヴォーカルで参加していたとの噂があります。


もう1曲は涙を誘うような感動的なバラード、「Sister」。


最近のステージの映像がYouTubeにありました。兄ジャクソンとはだいぶ雰囲気が違いますね。もっとも、彼にすれば比較されてうんざりしているかもしれません。


昔から男の兄弟は口をきかないほど仲が悪いと言われております。JTとリヴィングストン・テイラーはステージで共演することもあるので、まずまず良好ではないでしょうか。ジャクソンとセヴリンのブラウン兄弟も一緒にステージに上がったことがあると聞きました。ともあれ、最悪の状況ではないと察せられます。

Van Dyke Parks - Discover America

今回の記事は前回エッソ・トリニダード・スティール・バンドを取り上げた際に言及したヴァン・ダイク・パークスの『Discover America』です。
ヴァン・ダイク・パークスは1943年1月3日にミシシッピ州のハティスバーグで生まれ、ルイジアナ州のレイクチャールズで育ちました。父親がトランぺッターだったことから幼き頃より様々な音楽に接していたようですが、子役の経験もあり、グレース・ケリー主演の映画『The Swan(白鳥)』(1956)に出演しています。
パークスは大学では音楽を専攻し、ピアノを学びました。しかし、やがて大学をドロップアウトしてロサンゼルスへ向かい、兄とグリーンウッド・カウンティ・シンガーズというバンドを組みミュージシャンとしての第一歩を踏み出します。このバンドは数枚のアルバムを発表しましたが、パークスはさらにソロとしてもデビュー。1964年にMGMから「Come To The Sunshine」というシングル盤をリリースしました。この曲はハーパース・ビザールが『Feelin' groovy』(1967)でカヴァーしています。
この頃には女優のドリス・デイの息子で、ザ・バーズのプロデューサーとして名を上げるテリー・メルチャーと知り合い、キー・ボード・プレイヤーとして数々のレコーディングに参加して行くことになりました。ザ・ビーチ・ボーイズの『Pet Sounds』(1966)、ザ・バーズの『Fifth Dimension』などでキー・ボードを弾いているのはヴァン・ダイク・パークスです。
レコーディング・セッションを通じてビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンと意気投合したヴァン・ダイク・パークスは、次回作に予定されていた『Smile』で彼と楽曲を共作しアレンジをも引き受けました。しかし、このアルバムは諸般の事情で発売中止。録音した楽曲の幾つかはその後のビーチ・ボーイズのアルバムに収録されています。
人間万事塞翁が馬。ブライアン・ウィルソンとの蜜月は長く続かなかったものの、ワーナー・ブラザーズのプロデューサーであるレニー・ワロンカーに見初められ、ヴァン・ダイク・パークスはアレンジャーとして迎えられました。そこで初めて担当したのが前出のハーパース・ビザールの『Feelin Groovy』です。さらにはプロデュースも任されるようになり、ワーナーではRandy Newmanの『Randy Newman』(1968)、やRy Cooderの『Ry Cooder』(1971)など多数のアルバムを残しました。
1968年にはソロ・アルバムも制作。ファースト・アルバムである『SONG CYCLE』はラグタイム、ニューオーリンズ・ジャズ、ハリウッド音楽などの伝統的な音楽を現在のポピュラー・ミュージックと結びつけ、また、オーケストラを多用し、SE処理を各所に施した斬新な仕上がりが特徴として窺えます。自らの人生の集大成でもあり、その後の彼の音楽スタイルを確立したアルバムと言えるでしょう。しかし、このアルバムは評論家の間で好評を博しましたが、セールス面では芳しい成果をあげることが出来ませんでした。
それから4年後の1972年、ヴァン・ダイク・パークスはエッソ・トリニダード・スティール・バンドのアルバムをプロデュースしたことから幼き頃の郷愁が蘇ったのか、自らカリプソ音楽のアルバム『Discover America』を制作します。でも、そこはヴァン・ダイク・パークスのこと、ただ単にカリプソの楽曲をカヴァーするのではなく、オーケストラを配して大胆なアレンジを施すなど彼一流の世界が繰り広げられていました。
白人による黒人支配が続いたトリニダード・トバゴではカリプソの歌詞の中に風刺や批評が込められています。賛辞であっても決して額面通りには受け取れません。こうしたスタイルを使ったのは、当時泥沼化していたヴェトナム戦争に対してのヴァン・ダイク・パークスの強烈なアイロニーであり、彼なりの異議申し立てや意思表示だったのでしょう。また、西へ向かって開拓したピューリタンの視点ではなく、南アメリカからの影響を示そうとしたことも注目されます。
カリプソの名曲で占められたアルバムですが、リトル・フィートのカヴァー「Sailin' Shoes」(オリジナルは1972年発表の『Sailin' Shoes』に収録)、ニュー・オリンズの巨匠アラン・トゥーサン作の「Occapella」、「Riverboat」が収録されています。このアルバムにはリトル・フィートからローウェル・ジョージ(ギター)、ロイ・エストラーダ(ベース)、リッチー・ヘイワード(ドラムス)の3人が参加していますが、彼らにしてみればカリプソの楽曲よりもアラン・トゥーサンの作品のほうに興味が惹かれたかもしれません。
また、ジャケットに描かれた2台のバスの右側はハリウッド行き、左側はトリニダード行きになっています。ご丁寧にも右側のバスのボディにはワーナー・ブラザーズの社名ロゴまで書かれていました。トリニダード・トバゴからニュー・オリンズを経てハリウッドに至り、また同じ道を辿るといったアルバムの流れを示唆しているようにも受け止められます。
ヴァン・ダイク・パークスなりの視点でアメリカの歴史をひもとこうとした音楽の旅、歌詞に含まれたメッセージ、それがこの『Discover America』というアルバムのコンセプトなのでしょう。
ディスカヴァー・アメリカ<紙ジャケットCD>ディスカヴァー・アメリカ<紙ジャケットCD>
(2007/12/26)
ヴァン・ダイク・パークス

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1. Jack Palance
2. Introduction
3. Bing Crosby
4. Steelband Music
5. The Four Mills Brothers
6. Be Careful
7. John Jones
8. FDR In Trinidad
9. Sweet Trinidad
10. Occapella
11. Sailin' Shoes
12. Riverboat
13. Ode To Tobago
14. Your Own Comes First
15. G-Man Hoover
16. Stars & Stripes Forever

ヴァン・ダイク・パークス自身によるライナーにも書かれておりますが、このアルバムはカリプソの作曲家たちに正当な報酬を与えるという目的を持っていました。トリニダード・トバゴの作曲家たちはアメリカで音楽出版登録をしていないので、アメリカのラジオで彼らの曲が流れたり、アーティストが楽曲を取り上げたりしても報酬を得ることができません。ヴァン・ダイク・パークスはこのような状況を打開するために自ら音楽出版社を作り、このアルバムに収録されたカリプソの楽曲の著作権登録を行い、そこに入ってくる著作権収入を原曲の作曲家(故人の場合はその遺族)に分配したのです。熱烈なるグリーン・ピースの支持者として知られ、近年は反捕鯨を始めとして何かと物議を醸すことのあるヴァン・ダイク・パークスですが、このように情のある行動をする人物でもありました。もっとも捕鯨問題は文化の違いであり、アイデンティティに関わることでもあるので、今後も決してお互いが納得するような解決策を見いだすことが出来ないのかもしれません。

それではアルバムから2曲お聴きください。まず、ライ・クーダーの『Into The Purple Valley』(1972)にも収録されていた「FDR In Trinidad」。そして、エッソ・トリニダード・スティール・バンドを迎えて演奏された「Stars & Stripes Forever(星条旗よ永遠なれ)」です。しかし、「Stars & Stripes Forever」がリンク切れになったので、代わりに「Steelband Music」と「John Jones」をお聴きください。







F.D.R. IN TRINIDAD
ルーズベルトがハミングバードの島を訪れた時
歓迎の大合唱がわき起こったそうだ
「ハミングバード、ハミングバード、ハミングバード」ってな具合に
彼の来訪は島の歴史では画期的な出来事
トリニダードとアメリカの間の
確実に新しい時代を作る出来事だ

かの大統領はコーデル・ハル国務長官を従えて
平和会議に出席するため
ブラジルとアルゼンチンをまわって来られたってわけだ

そのさりげないスタイルに印象づけられ
名高きルーズベルト・スマイルで島民は魅了された
熱烈歓迎ルーズベルトと
島民すべてが喜んで彼を迎え入れた

島民は偉大な共和国の庶民的な大統領にお目にかかる特権を与えられた
魅力的で暖かい人柄と洗練された都会的センスを持った大統領
戦争や残虐行為を止めさせ
民主主義の安全な世界を築く
苦難にあえぐ人間のための
今世紀最大のイベントだ

スペインの港が合衆国の大統領のために門戸を開いた
トリニダード・トバゴにルーズベルトが来てくれて
島民は心底嬉しかったのだ


ヴァン・ダイク・パークスが「Sailin' Shoes」を演奏するライヴ映像がありました。マリア・マッキー(元ローン・ジャスティス)ディヴィッド・サンボーン、スティーヴィー・レイ・ヴォーンらとの豪華共演です。

The Esso Trinidad Steel Band

近畿地方はまだ梅雨明けせず、鬱陶しい日々が続いております。こういう時は陽気で目の覚めるような音楽を聴くのが一番。不快な気分を吹っ飛ばすことにしました。
今回取り上げるのはエッソ・トリニダード・スティール・バンドが1971年に発表した『THE ESSO TRINIDAD STEEL BAND』です。
スティール・バンドとはスティール・ドラムを中心として編成されたバンド。スティール・ドラムはトリニダード・トバゴではスティール・パンと呼ばれるのが一般的なようです。
イギリス統治下のトリニダード・トバゴではアフリカからの黒人奴隷の行動を制限するため、アフリカ伝来の舞踊や楽器の使用、神々への礼拝を禁止していました。その措置は19世紀に奴隷制度が廃止されても続き、黒人たちは音階のある打楽器バンブー・タンブーを発明して凌ぎますが、これもたちまち禁止の憂き目に遭います。時は流れて、1940年頃にウィンストン・スプリー・サイモンという人が海岸に打ち上げられていたドラム缶に着目しました。叩く場所によって音が違うことに気づいた彼が中心となって、ドラム缶を音階を持った打楽器へと発展させて行ったと言われています。
エッソ・トリニダード・スティール・バンドは「ESSO」の企業名を冠したバンド。総勢23人の大所帯とのこと。エッソの石油缶が叩くのに良質で最適であるという理由で使用していたらスポンサーに付いてくれたという逸話があります。

私が初めてスティール・ドラムの音を意識したのはスティーヴン・スティルスのファースト・ソロ・アルバム『Stephen Stills』(1970)に収録されていた「Love The One You're With」。この曲の中でスティルス自身が演奏する奇妙な響きが気になったのです。それから間もなく、今度はヴァン・ダイク・パークスのアルバム『Discover America 』(1972)でもこの音を耳にしました。実に心地よく音の余韻が心に残ったものです。
ヴァン・ダイク・パークスのセカンド・アルバム『Discover America』は南から北へと「アメリカ探し」の旅を続けることをテーマにしながらトリニダード・トバゴの音楽カリプソを紹介しようとしたアルバムです。イギリスから移住してきたピューリタンの視点ではなく、南アメリカからの影響を描こうとしたのでしょう。幼き頃よりカリプソに親しんできた ヴァン・ダイクはエッソ・トリニダード・スティール・バンドのアルバムをプロデュースしたのをきっかけとして自身のカリプソ集を制作しました。
ヴァン・ダイク・パークスの音楽に興味を持った私はやがてこのエッソ・トリニダード・スティール・バンドのアルバムに辿り着きます。南国の情熱と甘くまろやかな雰囲気。そこはかとなく漂う感傷的な切なさ。たちまちエッソ・トリニダード・スティール・バンドの織りなすサウンドに心を奪われました。

エッソ・トリニダード・スティール・バンド!エッソ・トリニダード・スティール・バンド!
(1998/11/26)
エッソ・トリニダード・スティール・バンド

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1. Apeman
2. If You Let Me Make Love To You Then Why Can't I Touch You?
3. Ride On Sammy
4. Simple Calypso
5. Cecilla
6. I Want You Back
7. Sabre Dance
8. Come To The Sunshne Erasmus B. Black
9. If I Had The Wings (Like A Dove)
10. Singer Man
11. Aquarium

それではアルバムからサイモン&ガーファンクルでお馴染みの「Cecilia」、アラム・ハチャトゥリアンのバレエ『ガイーヌ』の最終幕で用いられるあまりにも有名な楽曲「Sabre Dance(剣の舞)」の2曲をお聴きいただければ幸いです。




CECILIA
セシリア おまえは俺の心を傷つける
日ごとに俺の自信を揺り動かす
ああセシリア ひざまづいて頼んでいるんだ
どうか戻ってきて俺を喜ばせてくれ

セシリア おまえは俺の心を打ち砕く


続いてYouTubeからキンクスのカヴァー、「Apeman」(1970年リリースの『Lola versus Powerman and the Moneygoround, Part One』に収録)をお楽しみください。


最後にジャクソン5時代のマイケル・ジャクソンのヒット・ナンバー、「I Want You Back」(1969年リリースの『Diana Ross Presents the Jackson 5』に収録)でお開きしたいと思います。

Paul Simon - The Paul Simon Song Book

サイモン&ガーファンクルの大阪公演のリポートを記事にしたおかげでアクセス数が増加傾向。この特需を有効に使わせていただくことにして、今回もS&Gネタを扱います。
お送りする作品は「ポール・サイモン・ソング・ブック」。1965年に発表されたポール・サイモンの最初のソロ・アルバムです。
サイモン&ガーファンクルとしてのファースト・アルバム『WEDNESDAY MORNING, 3AM(水曜の朝、午前3時)』が思ったほど注目されず、アート・ガーファンクルは大学院に戻り、失意のポール・サイモンはイギリスに渡りました。クラブで歌い、新しい歌を作り、地元のフォーク・シーンの中にどっぷりと浸かるポール・サイモン。いわば武者修行といったところでしょうか。この時期、サンディ・デニー、アル・スチュワート、バート・ヤンシュ(ペンタングルのギタリスト)らと交流を深めています。そんな中、ロンドンを訪れたガーファンクルはサイモンのギター・テクニックの向上やソング・ライティングの成長に目を見張りました。若いときの苦労は買うてまでせいというもはや死語のような言葉がありますが、サイモンは1964年暮れから1965年にかけての約1年間のロンドン暮らしにおいて、異国の環境を見聞きしながら同世代のアーティストと触れ合い刺激し合う中、おそらくニューヨークで落ち込んだままでは習得できなかったであろう技術や幅広い音楽性を身につけることが出来たのです。
ロンドンでも名前が知られるようになったポール・サイモンはBBSに出演する機会を得ました。その反響が大きかったこともあり、サイモンはイギリスでの活動の証としてアルバムをレコーディングする決意をしました。

ポール・サイモン・ソング・ブックポール・サイモン・ソング・ブック
(2009/06/10)
ポール・サイモン

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ポール・サイモン・ソングブック(紙ジャケット仕様)ポール・サイモン・ソングブック(紙ジャケット仕様)
(2007/09/05)
ポール・サイモン

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ジャケット写真が左右反転しています。こちらがもともとイギリスで発売されたオリジナル・ジャケットなのでしょう。
1. I Am a Rock
2. Leaves That Are Green
3. Church Is Burning
4. April Come She Will
5. Sound of Silence
6. Most Peculiar Man
7. He Was My Brother
8. Kathy's Song
9. The Side of a Hill
10. Simple Desultory Philippic (Or How I Was Robert McNamara'd into Submission)
11. Flowers Never Bend with the Rainfall
12. Patterns
13. I Am a Rock [Alternate Version]
14. Church Is Burning [Alternate Version]

収録曲のうち「Sound of Silence」と「He Was My Brother」は『WEDNESDAY MORNING, 3AM』で発表済み。「I Am a Rock」、「Leaves That Are Green」、「April Come She Will」、「Most Peculiar Man」、「Kathy's Song」 は『SOUNDS OF SILENCE』(1966)に、「Simple Desultory Philippic」、「Flowers Never Bend with the Rainfall」 、「Patterns」は『PARSLEY, SAGE, ROSEMARY AND THYME(パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム)』(1966)にてS&Gとして再録音。「Side of a Hill」は詞を一部変えて「Scarborough Fair/Canticle」の詠唱部分に使用。「Church Is Burning」はライヴ・ヴァージョンが『Old Friends』(1999)、『LIVE FROM NEW YORK CITY 1967』(2002)に収められています。ちなみに、アルバム『SOUNDS OF SILENCE』収録の「Sound of Silence」は、『WEDNESDAY MORNING, 3AM』のヴァージョンにギター、ベース、ドラムスを加えたものでした。
全曲ポール・サイモンが単独で歌い、アート・ガーファンクルのハーモニーが付けられていないこともあり、S&Gのヴァージョンとは異なった味わいが醸し出されています。「Sound Of Silence」は各所で怒鳴るように発し、メッセージ性を高めているような印象を受けました。とくに「Fool」(馬鹿者)という言葉が力強く発せられ、ヴェトナム反戦の気運が高まる状況の中、ポールの怒りが政治家たちに向けられていると解釈できます。もっとも、自信を持って送り出した『WEDNESDAY MORNING, 3AM』が世間で冷たくあしらわれたことへの不満を吐露しているとも受け取れなくはありません。
ギター1本で歌うという全体的に同時期のボブ・ディランに似たスタイルを踏襲していますが、むしろディランへの皮肉が込められているかのようにも思えます。ポール・サイモンは決してスター街道をばく進し始めたディランへの妬みの気持ちを持ってたわけではないのでしょうが、心底に彼への羨望の眼差しとライバル心が相克していたのかもしれません。
そのボブ・ディランやミック・ジャガーやジョン・レノンといった有名人が多数登場する「Simple Desultory Philippic (Or How I Was Robert McNamara'd into Submission)」は後の『PARSLEY, SAGE, ROSEMARY AND THYME(パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム)』収録のものと歌詞に登場する人物が一部違います。ここで出て来たウォルト・ディズニーやカシアス・クレイ(モハムド・アリ)の名前が後者では消え、フィル・スペクターやバリーサドラーらに差し替えらました。僅か1年ほどの時間しか経過しておりませんが、短期間で世界情勢や価値観も変化した時代です。ちなみに、バリー・サドラーはグリーン・ベレーに所属していたヴェトナム帰還兵で、除隊後に歌手へ転身して「悲しき戦場」をリリース。1966年に全米1位を獲得しました。
「The Side Of Hill」は戦火の犠牲となった子供の命の価値とは何かと問う反戦歌です。公民権運動をテーマにした「He Was My Brother」の再演もサイモンが社会に訴えかけようとしていたことが如実に示されていました。ヴェトナム戦争や公民権運動といった出来事がどれだけこの時期のサイモンの心を捉えていたのかよく分かります。と同時にこの激しいメッセージがサイモンの心を痛めて行くことにもなりました。
それではまず、ポール・サイモンが歌う「April Come She Will」と「Sound Of Silence」をお聴きいただけたら幸いです。

Discover Paul Simon!


YouTubeの映像から「The Side The Of The Hill 」。


続いて、「Simple Desultory Philippic (Or How I Was Robert McNamara'd into Submission)」。


さらに、「 Flowers Never Bend with the Rainfall」。


最後は「I Am A Rock」(Alternate Version)です。


I AM A ROCK
ある冬の日
深くて暗い12月
俺はただ一人
窓にもたれて上から通りを見ていた
新雪が静かに降り積もっている
俺は岩
俺は島

城壁を築こう
誰も侵入できぬ急勾配の壁を施した強大な要塞のような
友情なんているものか
友情なんて苦痛を引き起こすだけ
それは俺が忌み嫌う高笑いと愛らしさ
俺は岩
俺は島

愛なんて語るんじゃない
それは遥か以前に聞いた言葉
俺の記憶の底に眠っている
死に絶えた感情のまどろみをかき乱すつもりはない
愛そうともしなかったし泣こうともしなかった
俺は岩
俺は島

俺には本がある
守ってくれる詩だってあるんだ
鎧でがっちりこの身を防御した
自分の部屋に隠れて 
子宮の中のように安全だ
誰にも触れず 誰にも触れられない
俺は岩
俺は島
岩は痛みを感じない
島は決して泣きはしない



プライベートな色合いの濃いこのアルバムは当初アメリカではリリースされず、1965年にイギリスを始めとするヨーロッパ諸国で発表されました。1969年には日本でも発売されています。しかし、イギリスでは早くに回収の措置が取られました。様々な理由があるようですが、メッセージ性が強く吐き出された若き日の心の叫びに対するサイモン自身の反省やS&Gとのレパートリーと重複することなどが主たるものであったとされています。
S&Gが活動を停止した後に何年も経って、ポール・サイモンから日本での発売元であるCBSソニー(現 ソニー・ミュージック・エンタテイメント)にもこのアルバムも廃盤にしてくれとの要請があったそうです。当初ソニーは即応せず市場で販売が続けられていたのですが、1982年にサイモン&ガーファンクルが初来日するにあたり、彼らがレコード店に寄ることもあり得るのでさすがにこれはまずいと思ったのか慌てて回収したとの逸話が残っています。なお、イギリス盤と日本盤でジャケットが異なり、イギリス盤は当時サイモンの恋人だったキャシーと思われる女性とともに撮影されたものですが、日本盤は無精髭を生やした少々むさ苦しい(見方によっては孤高の男の格好良さが滲み出ている)サイモンのモノクロ写真が使われていました。なお、1974年にポール・サイモンが単独で来日した際に、来日記念盤としてイギリス仕様のジャケットでステレオ盤がリリースされています。
ようやくサイモンのこのソロ・アルバムがCDとして再発されたのは2004年。再会を果たすには長い年月を待たねばなりませんでした。実は2000年前後にブートレグCDが比較的安価で出回っていたので、思わず手を出しかけたのですが止めました。何故か気が進まなかったのです。
不謹慎ながら正規盤はポール・サイモンが亡くなるまで世に出ることがないと諦めていました。サイモンが聞けば「あほっ、おまえはワシが死ぬのを待っとんのか」と怒られてしまいそうです。しかし、実際には遺産相続人らが権利を主張して問題が複雑になって行く場合が多く、出るものも出なくなることがあると聞きました。人の死を期待するような邪な考えは捨て去ったほうが良さそうですね。当然です。

Simon & Garfunkel - Live At KYOSERA DOME OSAKA

7月13日に京セラドーム大阪で行われたサイモン&ガーファンクルのコンサートに行って来ました。昨秋のキャロル・キングの公演以上に、私よりも年配と思われる方々の姿が目立ちます。
今回は初めてアリーナ席が当たりました。214番と端っこのほうながら前から23列目とまずまず。席に関してはいつも苦杯を飲んでいたのですが、今回は豆粒鑑賞の憂き目は免れました。案内係の美しい女性の方に自分の席まで誘導してもらい、13,000円という高額チケットの怒りの溜飲は少し下がった模様です。
そのように料金が高額だったためかA席やB席が先に売れ、チケットぴあのプレイガイドでいつまでたってもS席が売れ残っている光景を目にしていました。それ故、昨年のキャロル・キングの時のように空席が目立つ状態が再現されるのではなかろうかと心配しておりましたが、7時の開演時刻間際に次々と観客席が埋まって行きそんな懸念は一気に吹っ飛びました。
ただ開演しても私の席の前4席が空いたままです。アリーナには段差や傾斜がないので関取やプロレスラーのように立派な体型をお持ちの方が来られたらどうしようと不安にかられておりましたが、最後まで誰も座ることがありませんでした。
開演予定時刻を10分過ぎて、「America」をBGMにステージ中央と左右のスクリーンにサイモン&ガーファンクルの誕生から現在に至るまでの時代の変遷が世界の歴史映像を交えて映し出される中、二人が登場。「Old Friends / Bookends」で幕が開きました。
目の前のステージに立つ彼らの姿が、いましがたスクリーンで観た若いときの映像とギャップを感じざるを得ないのは仕方がないことです。歌声のほうもこれまでに観たり聴いたりした全盛期のライヴに比べるとさすがに声が出ていないような気がしました。しかし、それもアートが来ていたベストを脱ぎ捨てて歌い出した「A Hazy Shade Of Winter」、「I Am A Rock」、「America」と曲を追うごとに解消して行き、若い時にはなかった渋い味わいと艶が滲み出ている印象さえ受けました。
アート・ガーファンクルが「My Favorite song」と言って、「Kathy's Song」を披露。続いて「Hey Schoolgirl」、エヴァリー・ブラザーズのことに言及して「Be bop-a-lula」、「Scarborough Fair」ではバックでギターを弾いていたマーク・ステュワートがチェロに持ち替えました。さらに同じく『PARSLEY, SAGE, ROSEMARY AND THYME』に収録されていた「Homeward Bound」。「家、そこは心の隠れ家。好きな音楽が鳴り響く場所。愛する人が静かに待っていてくれるところ」と歌われるのですが、まだまだコンサートは終わらず、家路につこうとする人などありません。
S&Gが音楽を担当したダスティン・ホフマン主演の映画『Graduate(卒業)』の映像が「The 59th Streets Bridge Song」をBGMにしてスクリーンに流された後、「Mrs Robinson ~ Not Fade Away ~ Mrs Robinson 」、「Slip Slidin' Away」、「El Condor Pasa」と続きます。マーク・ステュワートはケーナのような縦笛を吹いていました。器用な人ですね。もう一人のギタリストもチャランゴを演奏していました。
終了後はほどなくアート・ガーファンクルのソロ・アクトへと移ります。
歌われた曲は「Bright Eyes」、「A Heart in New York」、「Perfect Moment ~ Now I Lay me Down」。ソロの合間には「ソーデスネ、ワタシハニホン、オデンシテ・・・」と喋り始めたので、てっきり居酒屋かどこかでおでんを賞味したのかと思ったら、「Cross the country」とか何とか英語で言い直していたのでたぶん「横断して」とでも言いたかったのでしょう。アートは放浪癖のある人らしく、以前に日本各地を自転車で走り回ったという逸話が残っています。
そして、アートと入れ替わったポール・サイモンのソロ・アクトでは「The Boy in the Bubble」、「Graceland」、「Still Crazy After All Years」が演奏されました。wakwakuさんが行かれた11日の東京ドームのステージでも「Glaceland」が歌われたようですが、8日のナゴヤドーム、10日の東京ドームの公演では「Diamonds On The Soles Of Her Shoes」に差し替えられていたと聞きます。
アート・ガーファンクルが戻ってきて「Only Living Boy in New York」、「My Little Town」と続き、コンサートは佳境を迎えます。ピアノのイントロとともに「Bridge Over Troubled Water」が始まりました。歌詞の1番をアートが歌い、2番をポールがソロを取り、3番の「Sail on silvergirl , Sail on by.」からは二人がデュエット。会場で涙ぐむ人の姿が目に入りました。

あまり画像が良くないのですが、シドニーで行われた最近のライヴ映像です。だいたいの雰囲気はつかめるものと思います。


いったん全員がステージを去った後、万雷の拍手に迎えられてアンコールが始まり、「The Sound of Silence」、「The Boxer」の2曲を演奏。
当然のように拍手が鳴り止むことなくダブルアンコールへ突入し、再び二人が「The Boxer」を歌います。続けて、「The Leaves That Are Green」、「Cecilia」。最後に全員がステージに並び、バンドのメンバーが紹介されました。これで終わりかと思いきや、再び楽器を手にして「Cecilia」をリプレイ。ようやくお開きのときを迎えます。
前期高齢者のお二人が元気な姿をステージで見せてくれたのに、場内の人ごみに酔ったのか、帰路の満員電車がこたえたのか、もともと丈夫でない私はくたくたに疲れました。せっかくの感動的なコンサートを体験することが出来たのに、余韻を味わうことなく家路をたどる途中で息絶え絶えといったところです。

オールド・フレンズ:ライヴ・オン・ステージ [DVD]オールド・フレンズ:ライヴ・オン・ステージ [DVD]
(2005/01/19)
サイモン&ガーファンクルジ・エヴァリー・ブラザーズ

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2003年から2004年にかけてのリユニオン・ツアーを収めたものです。

Live 1969Live 1969
(2009/06/24)
サイモン&ガーファンクル

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全盛期である1969年のライヴ。こちらの「明日に架ける橋」も泣かせます。

Beth Nielsen Chapman

立て続けに知名度の低いアーティストばかりを取り上げてしまったためか、訪問される方々の数が日を追うごとに激減して散々な状況です。ここはいつものようにビートルズで起死回生を図ろうと思ったのですが、もはやその神通力も通用しなくなってきたので開き直って趣味に走ることにしました。
本日登場のアーティストはベス・ニールセン・チャップマン。1990年に発表されたアルバムが話題となり、透明感のある歌声で注目された女性です。透明感と言っても消えてなくなりそうな声ではなく、切々と訴えかけてくるような印象を受けました。無色透明ではなく艶も感じ取れます。
ベス・ニールセン・チャップマンは1958年9月14日にテキサス州のハーリンゲンで生まれました。空軍に所属していた父の仕事の関係から幼き頃より合衆国各地、果てはドイツにまで転居を繰り返し、ようやく1970年にアラバマ州モントゴメリーに落ち着いたそうです。
3歳ぐらいから詩を書き始め、10歳の頃には曲を書いていたと言う彼女。ビートルズやソウル・ミュージックに興味を惹かれたり、母親の持っていたブロードウェイ・ミュージカルのレコードを聴いて感銘を受けていたとのこと。でも、最も影響を受けたのはジェイムズ・テイラーやジョニ・ミッチェルといったシンガー・ソング・ライターでした。ベス・ニールセン・チャップマンの音楽を聴いていると、どことなくジョニ・ミッチェルを連想します。これはベスに限ったことではなく、同時代、同年代の女性シンガーに言えることでしょう。
高校生の頃にはバンドを結成して活動し、曲も書きためていたベス。18歳の時には地元や周辺の町のクラブでオリジナル曲を歌うようになりました。そんな彼女は1979年に結婚。アラバマ州のモーガンという町に引っ越したことが契機になったのか、有名なプロデューサーであるバリー・バケットの元で1980年に『Hearing At First』というアルバムをレコーディングしています。このアルバムはマッスル・ショールズ・スタジオで録音され、ロジャー・ホーキンス(ドラムス)、ジミー・ジョンソン(ギター)、ジム・ホーン(フルート、サックス)などの名うてのミュージシャンが参加。このアルバムは大手であるキャピタル・レコードからリリースされました。私はジャケット写真だけを見たことがあるのですが、今回紹介する2ndに通じる雰囲気が既に醸し出されているという批評を目にしたことがあります。
その後は長男を出産したこともあり、子育てに専念するべく歌手活動から遠ざかりました。時が流れ夫の薦めもあってカム・バックを決意。ナッシュヴィルに移住し、曲を書きためて1985年に音楽出版社と契約を交わしました。翌年にはタニア・タッカーのために書いた「Strong To Enough To Bend」が、1989年にはウィリー・ネルソンに提供した「Nothing' Can I Do About It」がカントリー・チャートの1位に輝いています。
そのようにソング・ライターとしての実績を積んだベス・ニールセン・チャップマンに再び自身のアルバムをレコーディングする機会が訪れました。カントリー・シンガーへの楽曲の提供により頭角を現した彼女ですが、自分のヴォーカルを最大限に生かせることを心掛けたジャンルに捕われない独自のサウンドを披露しています。その憂いを帯びた艶のある歌声はスタイルはカーラ・ボノフやジェニファー・ウォーンズらと通じるものを受け取りました。
AOR風のサウンドが好評で、まずまずのセールスを記録したと聞きます。
Beth Nielsen ChapmanBeth Nielsen Chapman
(1990/09/25)
Beth Nielsen Chapman

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1. Life Holds On
2. No System for Love
3. I Keep Coming Back to You
4. Walk My Way
5. All I Have
6. Child Again
7. Take It as It Comes
8. Down on My Knees
9. Avalance
10. That's the Easy Part
11. Emily
12. Years
それではまず、ニック・デカロがアレンジを担当し、シカゴのビル・チャンプリンがバック・ヴォーカルで参加した「All I Have」、続けて「心の中で傷ついていることを隠す術がないときは成り行きまかせにすると良い」と明るく語りかける「Take It As It Comes」の2曲をお聴きいただければ幸いです。


YouTubeに「That's The Easy Part」の映像がありました。


THAT'S THE EASY PART
ひとりぼっちの夜
無言の電話
私の窓のカーテンは暗く引きっぱなし
眠らずに見る夢
ほとんどわかっているの
夜が私を狂おしくさせることを
もうあなたは行ってしまった でも

それは容易いこと
ひとりになって 泣くってことが
それは容易いこと
笑う必要もなく そのように努める必要もない

陽光の端っこが
私の窓から突き出た棚で踊っている
再び世界に直面する時
時間がぼんやりと現れる
午後の砂漠の中で
私が車で家に帰り 太陽が沈むのを見るまでは
そして


NHKのBS-2で放送されている「ER緊急救命室」の中でベス・ニールセン・チャップマンの楽曲が挿入歌として使われていたという話を聞いたことがあります。日本のドラマの中でも彼女の曲が度々使用されているとの記事を見かけたこともありました。私はテレビ・ドラマに疎いのでよく分からないのですが、どなたかご存知の方があれば教えていただけると幸いに思います。

Trade Martin - Let Me Touch You

前回チップ・テイラーを取り上げたので、かつて彼とバンドを組んでいたトレイド・マーティンについても書き記しておくことにしました。この人はイーヴィ・サンズの記事で取り上げた「Take Me For A Little While」作者でもあります。


トレイド・マーティンはニュー・ジャージー州ユニオン・シティ出身。1936年頃に生まれたようです。デビューしたのは1960年で、今回紹介するアルバムを1972年に発表するまでに幾つかのレーベルからシングル盤をリリースしていました。
1962年に全米28位のヒットを記録した「That Stranger Used To Be My Girl」。


1963年に発表したシングル「Joanne」。軽快なロッカ・バラード風のナンバーですが、これはあまり売れなかったようです。


1967年リリースのシングル、「Sixteen Tons」。


ギターが本業ですがベース、キー・ボード、ドラムスと多くの楽器をこなせるマルチ・プレイヤーらしく、様々なアーティストのレコーディングに加わっていたようです。また、アレンジャーとしてイアン&シルヴィアの『So Much For Dreaming』(1967)に、アル・ゴーゴニらともにプロデューサーとしてエリック・アンダーセンの『More Hits From Tin Can Alley』(1968)などのアルバムに名前が記載されていました。

こうした活動の中でチップ・テイラーと出会い、チップとアル・ゴーゴニのデュオ、ジャスト・アスのレコーディングにギタリストとして加わったのを契機に3人でトリオを組み、ゴーゴニ、マーティン&テイラーとして1971年、72年にアルバムを発表しました。
そんななか、バンド活動と並行してソロ・アルバムを制作したチップ・テイラー同様、トレイド・マーティンもソロ・アルバムの録音を始めました。一部の曲を除き、ホーンやストリングス以外はすべての楽器を自らが演奏。コーラスも自分でオーヴァーダビングを施すなど前述のマルチ・プレイヤーぶりを発揮しています。アコースティックなサウンドを基調としたソフト・ロックといった雰囲気のゴーゴニ、マーティン&テイラーとは異なり、先ほど紹介したソロ時代のシングルやイーヴィ・サンズに提供した「Take Me For A Little While」などからも分かるように、R&Bやモータウン・サウンドに影響された趣の音を背景にワイルドでエモーショナルヴォーカルを披露していました。

レット・ミー・タッチ・ユーレット・ミー・タッチ・ユー
(2000/09/20)
トレイド・マーティン

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1. Sulky Driver (Funky Rider)
2. We Got A Need For Each Other
3. A Chilly Windy Rainy Morning
4. Can You Spare A Quarter
5. All That's Left
6. Union City Blues
7. Take Me For A Little While
8. Don't Come Back
9. Keepin' Our Love In Motion
10. I Wouldn't Do Anything (That Might Hurt You)
11. Makin' Believe
12. I Don't Want To Love You
13. It's So Hard To Say Goodbye
14. If You Don't Hear From Me By Monday
15. I Can't Do It For You
16. To Know The Girl
17. TAKE ME FOR A LITTLE WHILE
18. Moanin'
19. Sixteen Tons
20. Theme From "Made For Each Other" (Opening Credits)

それではアルバムから何曲か聴いていただければ幸いです。まず、「Union City Blues 」。


続いてこちらもソウルフルな「I Wouldn't Do Anything (That Might Hurt You) 」。


さらに、もう2曲。まず、イーヴィ・サンズに提供した「Take Me For A Little While」のセルフ・カヴァー。続いて、「俺にとっておまえは最高の女だった。もうおまえのような女には会えないだろう。だからさよならとは言い出せないんだ」と切なく歌う「It's So Hard To Say Goodbye」。 さりげないストリングスが効果的です。

Discover Martin%2C+Trade!


TAKE ME FOR A LITTLE WHILE
おまえに愛してもらいたいと努力してきた
でも俺が何を試みても
おまえは俺から遠ざかるばかり
俺のことを愛していないんだな
そりゃないぜ
だから冷たい仕打ちをするんだな
だけどどんなにおまえが俺を傷つけても
俺はいつでもおまえのピエロを演じよう

だけど永遠に俺を求めてくれないのなら
そして、もし俺を永遠に必要としないのなら
そして、もし俺を永遠に愛せないのなら
ほんの少し俺に時間をくれないか
そうすれば俺はおまえを抱きしめるようになれる
おまえを愛せるようになれるんだ

歯止めをかけたいんだ
物事にはルールがあるはずさ
だからおまえが俺をがっかりさせる度に
おまえへの愛は強くなっていくんだ
まったくお手上げの気分さ
おかしくはないぜ 嘘じゃない
だから心の奥底でわかってるんだ
おまえが俺を愛さないってことが

ほんの少し俺に時間をくれないか

ああ おまえにいてほしい
そうすればおまえに愛してもらえるのだ
どれだけ俺がおまえを必要としているかわかるだろう
お願いだ 俺の傍にいてくれ
おまえが欲しくてたまらない
おまえが必要だ
お願いだから


山下達郎さんがファースト・ソロ・アルバム『サーカス・タウン』を制作するにあたって、アレンジャーとしてトレイド・マーティン、アル・ゴーゴニ、チャーリー・カレロの3人を候補にあげたという話を聞いたことがありました。結局チャーリー・カレロに落ち着いたのですが、その後も山下さんはラジオ番組などでトレイド・マーティンについて言及することが度々あったそうです。音楽に精通した山下さんならではのエピソードですね。なお、チャーリー・カレロはフォー・シーズンズの楽曲やブルース・スプリングスティーンの「Jungleland」(1975年リリースの『Born To Run』に収録)のアレンジ、ローラ・ニーロの『Eli And The Thirteenth Confession』、『Smile』(1976)のプロデュースを手掛けたことで有名です。
トレイド・マーティンは近年B.B.Kingに楽曲を提供したり、彼へのトリビュート・アルバムを制作したりと現在も元気に活動中です。

B.B. King TributeB.B. King Tribute
(2003/08/19)
Trade Martin

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Chip Taylor - GASOLINE

メリリー・ラッシュ、イーヴィ・サンズを扱ったとなれば、ここで親方チップ・テイラーにご登場してもらわねばならないでしょう。ということで、今回は彼が1972年にリリースした1stアルバム『GASOLINE』を紹介します。
チップ・テイラー(本名ジェイムズ・ウェズリー・ヴォイト)は1940年にニューヨーク州のヨンカーズに生まれました。兄は俳優のジョン・ヴォイト(1938年生まれ)。映画『Midnight Cowboy(真夜中のカーボーイ)』(1969)、アカデミー賞主演男優賞を獲得した『Coming Home(帰郷)』(1978)、『Mission: Impossible』(1996)など主演、出演作多数を誇る名優です。よってジョン・ヴォイトの娘である女優のアンジェリーナ・ジョリーとは叔父と姪の関係になります。
高校時代にカントリー・ミュージック・バンドに加わり早くから音楽に目覚めていたチップ・テイラー。父親がゴルファーだった影響からか高校卒業後はその道を目指すものの怪我で断念。再びミュージシャンへと進路を変更しました。1961年にMGMから、翌1962年にはワーナー・ブラザーズからシングルを発表するもさしたるヒットにはならず下積み時代を送ります。
そんな彼に転機が訪れたのは1966年。イギリスのロック・バンド、ザ・トロッグスがチップ・テイラー作の「Wild Thing」を全米1位、全英2位のヒットに導き、翌1967年にはジミ・ヘンドリックスがモンタレー・ポップ・フェスティヴァルでこの曲をステージで取り上げて注目されることになったのです。なお、ジミ・ヘンドリックスのこの時の録音は2007年にリリースされた『Live At Monterey』に収録されていました。




メリリー・ラッシュやイーヴィ・サンズの記事の中でも言及しましたが、このヒットを皮切りに、「Angel Of The Morning」や「Any Way That You Want Me」、「I Can't Let Go」(アル・ゴーゴニとの共作)など、チップ・テイラーの作品が次々とチャートを賑わすことになります。また、チップ・テイラーはソング・ライターのみならず、プロデューサーとしても才覚を発揮し、ジェームズ・テイラーがダニー・クーチらと組んでいたバンド、フライング・マシーンのアルバム(1967年)を手掛けました。
ザ・トロッグスが放ったヒットの時期と前後して、チップは盟友アル・ゴーゴニとジャスト・アスというデュオを組んでいます。1966年には「I Can't Grow Peaches On A Cherry Tree(桜の木に桃はならない)」という変わったタイトルのナンバーをヒットさせていました
。さらにはこのデュオはギタリストのトレード・マーティンを加えてゴーゴニ、マーティン&テイラーに発展し、1971年と1972年にアコースティックなサウンドを基調としたアルバムを発表しています。バンド名からも察せられるようにクロスビー、スティルス&ナッシュに触発されたのかもしれません。
そんなバンド活動と並行して制作されたソロ・アルバムが今回紹介する『GASOLINE』。バンドのアルバムと同じくアコースティックなサウンドを基調に、ストリングスを効果的に使ったソフト・ロック風のサウンドに仕上げていました。チップ・テイラーの少し鼻にかかった人なつこい声はポール・ウィリアムスを連想させ、温厚な人柄がしのばれるようです。

ガソリンガソリン
(2000/09/20)
チップ・テイラー

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1. Londonerry Company
2. Angel of the Morning
3. Home Again
4. Lady Lisa
5. Oh My Marie
6. Gasoline
7. Lightning (Don't Stay Mad With Me)
8. Dirty Matthew
9. You Didn't Get Here Last Night
10. Swear to God, Your Honor

それではアルバムから3曲をお聴きいただければ幸いです。まず、オープニング・ナンバーの「Londonerry Company」。シングル・カットされればヒットしても良さそうな曲です。続いて、前述の「Angel of the Morning」のセルフ・カヴァー。抑揚を抑えてしっとりと歌い込んでいます。最後にキャロル・キングのカヴァー、『Home Again』。こちらもキャロル・キングのヴァージョンを踏襲しながらも、チップ・テイラー独特の優しい味わいを醸し出しています。
なお、ご面倒をかけるようで申し訳ございませんが、3曲目はブラウザを一旦停止してあらためて選曲してくださるようお願いします。

Discover Chip Taylor!


LONDONDERRY COMPANY
ああ、おまえの名前は何度も聞いたよ
この刑務所の向こう側から
おまえが再び立ち上がることはないだろう
でも、お呼びとあらばいつでも参上するぜ
ロンドンデリーの友よ

メイドストーンに影が忍び寄り
俺は次のページがめくれない
おまえがあの二重の塀の向こうで
まだ彼と一緒にいるなんて俺には信じられないよ
ロンドンデリーの友よ ロンドンデリーの友よ

今日ニュースを聞いた
通りで一か八かやってみるよ
馬鹿な奴だとおまえは言うだろう
銃を置き 走るなよ
おまえは光のほうに向かって行くんだ
光のほうへ 光のほうへ

ああ灯台からの灯りが見える
その輝きが俺の瞳に映る
自分がここにいることを感じるよ
だから俺は向こう側に行かない
ロンドンデリーの友よ
ロンドンデリーの友よ


この後もチップ・テイラーは精力的にソロ・アルバムをリリースして行きます。兄のジョン・ボイトを意識したわけでもないのでしょうが、『MELVIN AND HOWARD』(1980)という映画にも出演しました。しかし、1980年代に入るとどういうわけかギャンブラーに転身。音楽界に復帰するのは1990年代に入るまで待たなければなりませんでした。
カムバックしたチップ・テイラーは1995年にセルフ・カヴァー集『Hit Man』をリリースし、堰を切ったようにその後も次々とアルバムを発表します。日本で紹介される機会は少ないのですが、チップ・テイラーは現在もマイ・ペースで活動を行っている模様。最近はフィドラーでシンガー・ソング・ライターのCarrie Rodriguezとデュオを組んでアルバムを発表していました。


Live from the Ruhr TriennaleLive from the Ruhr Triennale
(2007/10/02)
Chip Taylor & Carrie Rodriguez

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Evie Sands - Any Way That You Want Me

前回取り上げたメリリー・ラッシュの記事の中でイーヴィ・サンズのことについて言及しました。そこで今回は早速彼女に登場してもらうことにします。
イーヴィ・サンズはニューヨーク州ブルックリンの出身。シンガーだった母親の影響もあり、幼き頃からジャズやブルースやR&Bのレコードを聴きながら育ち、自らも歌手になることを夢見ていたそうです。そんな彼女にシンガーとしての仕事が舞い込んできたのは十代前半のこと。音楽出版社のデモ・シンガーとして採用されてレコーディングした「The Roll」、「My Dog」という曲がABCパラマウントに注目されてデビューする機会を得ました。1963年のことです。翌年には別のレコード会社から「Danny Boy, I Love You So b/w I was Moved」をリリースするも反響なく終わりました。そんな鳴かず飛ばずの状況の中、ギタリストでソング・ライターのアル・ゴーゴニと彼の友人でソング・ライターであるチップ・テイラーの目に止まり、1965年に彼らのプロデュースのもとブルー・キャットというレーベルから「Take Me For A Little While」をリリースします。


まだあどけなさの残る十代という年齢とは思えぬほどのソウルフルな歌声ですね。
ところがこの曲は発売前のプレス盤を手に入れたチェス・レコードが同社所属のジャッキー・ロスに歌わせて競作の形となり、ロスのヴァージョンはR&Bチャートでヒットするもののイーヴィのほうは全米チャート114位止まりと振るいませんでした。気を取り直してチップとアルのコンビによる「I Can't Let Go」をリリースするも今度も不発。翌1966年にホリーズがこの曲を取り上げて全英1位、全米42位のヒットを記録します。なお、1980年にはリンダ・ロンシュタットがアルバム『Mad Love(激愛)』の中に収録し、シングル・カットされて全米31位まで上昇しました。また、作者のチップ・テイラーも1996年発表のソロ・アルバム『Hit Man』でセルフ・カヴァーしています。


1967年にイーヴィはキャメオ・レコードに移籍。チップ・テイラー作の「Angel Of The Morning」をリリースします。この曲は発売前からラジオ局にリクエストが殺到するほど評判がよく、大ヒット間違いなしの予感をはらんでいました。ところが発売直後にキャメオが倒産。十分なプロモーションがなされぬまま、在庫も裁判所に差し押さえられて出荷できぬ状況に陥ったのです。前評判の高かった曲を音楽関係者が放っておくはずはなく、翌1968年にベル・レコードがメリリー・ラッシュという新人歌手に歌わせて全米7位の大ヒットとなりました。

不運続きのイーヴィ・サンズですが、世の中には捨てる神あれば拾う神あり、1968年にA&Mに移籍して今回紹介するアルバム『Any Way That You Want Me』の発売に至ります。
Any Way That You Want MeAny Way That You Want Me
(2005/08/08)
Evie Sands

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1. Crazy Annie
2. But You Know I Love You
3. I'll Never Be Alone Again
4. Any Way That You Want Me
5. Close Your Eyes Cross Your Fingers
6. Its This I Aa
7. Shadow Of The Evening
8. Take Me For A Little While
9. Until Its Time For You To Go
10. Ill Hold Out My Hand
11. Carolina In My Mind
12. One Fine Summer Morning
13. Maybe Tomorrow

アルバムはオーケストレーションやエコー処理を適度に施し、女性コーラスを配してイーヴィ・サンズのソウルフルなヴォーカルを盛り上げていました。いかにも1960年代末から1970年代初頭を思わすジャケットのイメージ通り、ナチュラルな雰囲気が醸し出されています。なお、1965年にブルー・キャットからリリースした「Take Me For A Little While」を再録音していました。

まず、アルバムのタイトル曲でもあるチップ・テイラー作の「Any Way That You Want Me」。シングル・カットされて全米53位を記録しています。この曲はザ・トロッグスが1966年に全英6位となるヒットを放った曲で、1982年にもメラニーが『Arabesque』 (1982)でカヴァーしていました。チップ自身のヴァージョンは1996年発表の『Hit Man』に収録されています。
チップ・テイラーは再起をかけるイーヴィのためにヒットの見込めるこの曲を用意したのだと思えます。情感の込められたイーヴィの歌声はもちろん女性コーラスや控えめなストリングス・アレンジも心地よく胸に迫りました。


続いてチップ・テイラー&アル・ゴーゴニ作の「I'll Never Be Alone Again」。重厚なバラードです。


アルバムからさらに2曲聴いていただければ幸いです。バフィー・セント・メリー作の「Until It's Time For You To Go」。しっとりしたイーヴィのヴォーカルが印象的です。バフィ・セント・メリーのオリジナル・ヴァージョンは『Many a Mile』(1965) に収録。多数のアーティストによって取り上げられている曲で、クローディーヌ・ロンジェ『Claudine』 (1967) 、バーブラ・ストライザンド『What About Today? 』(1969) 、ニール・ダイヤモンドTouching You, Touching Me (1969)、ロバータ・フラック『Chapter Two』 (1970) 、フランソワーズ・アルディ『If You Listen』(1972)、アンディ・ウィリアムス『Love Theme from The Godfather』 (1972) 、 エルヴィス・プレスリー『Elvis Now』 (1972)、ウィリー・ネルソン『 City of New Orleans 』(1984)など枚挙に暇がありません。
もう1曲はクインシー・ジョーンズが作曲した「Maybe Tomorrow」。ダスティン・ホフマン、ミア・ファロー主演の映画『John & Mary(ジョンとメリー)』(1969)の挿入歌として使われた曲です。もともとはアルバム未収録でしたが、ボーナス・トラックとして収められました。これまでと少々趣が異なった雰囲気のする曲で、イーヴィは感情を抑えるように歌っています。




UNTIL IT'S TIME FOR YOU TO GO
あなたは夢じゃない
あなたは天使じゃない
あなたは男
私は女王様じゃない
私は女
私のこの手を取って
お互いが先のことを考えて行きて行ける
居場所を作りましょう
一緒にここで過ごしましょう
あなたが行ってしまうまで

そう 私たちは違った存在
違った世界に生きてるの
二人とも同じじゃない
笑ってじゃれ合った私たち
最初から
ゲームの中にいるようね
私の心の外側にいたのに
あなたは入ってきた
一緒にここで過ごしましょう
あなたが行ってしまうまで

何故かと聞かないで
どうしてなのかと聞かないで
永遠に聞かないで
ただ愛して 今すぐ愛して
私のこの愛には始まりがなかった
終わりもないの
樫の木のようにかたくなだった私
今では柳の木のようにしなやか
もう諦めてもいいのよ
私の人生の中で
再びあなたに会えることはないだろうけど
それでも私は留まるの
あなたが行ってしまうまで


今回のボーナス・トラックとして、イーヴィがジョニー・キャッシュ・ショーに出演した際の映像をお楽しみください。


Merrilee Rush - Angel Of The Morning

知名度が決して高くないカントリー・ロックのアーティストばかりを取り上げ続けたので、ビートルズに登場していただいてもアクセス数が伸びず、すっかり過疎ブログとなってしまいました。それでも代わり映えのしない地味な人選で今回も臨みます。
本日ご紹介するのはメリリー・ラッシュ。つぶらな瞳のキュートなシンガーです。ジャケット写真からはポップ・カントリーかソフト・ロックなサウンドを想像しがちですが、ところがどっこいちょっぴりハスキーな声で渋めの曲を落ち着いた感じで歌っていました。

朝の天使朝の天使
(2004/04/21)
メリリー・ラッシュ&ザ・ターナバウツ

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1. It's Worth It All
2. Sandcastles
3. Billy Sunshine
4. Handy
5. San Francisco (Be Sure to Wear Some Flowers in Your Hair)
6. Angel of the Morning
7. That Kind of Woman
8. Working Girl
9. Observation [From Flight 285 in 3/4 Time]
10. Hush
11. Do Unto Others
12. Sunshine & Roses

メリリー・ラッシュはワシントン州シアトルの出身。1960年代の初頭からバンドを組んで
ピアノを弾き、R&Bを歌っていたとのことです。1965年には彼女自身のバンド、ザ・ターナバウツを結成してシアトルを拠点に活動していました。
メアリー・ラッシュ&ザ・ターナーバウツは当時絶大なる人気を博していたシアトル出身のバンド、ザ・レイダーズのリーダー、ポール・リヴィアに気に入られ、ポール・リヴィア&レイダーズの全米ツアーに同行して前座を務め次第に名前が知られるようになります。そんな彼女たちの活動が功を奏して1968年にベル・レコードとめでたく契約に至り、同年5月に発売された「Angel of the Morning(朝の天使)」が全米チャート7位まで上昇する大ヒットを記録しました。アルバムはその余勢を駆って10月にリリースされています。


この曲は俳優ジョン・ヴォイトの実弟で、女優アンジェリーナ・ジョリーの叔父であり、トロッグス「Wild Things」(1966)、ホリーズ「I Can't Let Go」(1966)、ジャニス・ジョプリン「TRY (Just A Little Bit Harder)」 (1969年発表の『I Got Dem Ol'Kozmic Blues Again Mama!/コズミック・ブルースを歌う』に収録)などの作者として知られるチップ・テイラーの作品です。もともとイーヴィ・サンズという女性シンガーが録音していたのですが、シングル盤の発売直後に所属レコード会社が倒産するという憂き目にあい、プレスした在庫を出荷出来ぬ状況に陥ってしまいました。ところが、発売前からラジオ局へのリクエストが殺到していたほど評判の高かった曲なので、このまま埋もれさせてしまうのは惜しいと関係者が思ったのか、メアリー・ラッシュという新人歌手に歌わせて仕切り直しを行った結果、予想通りの大ヒットへと繋がったのです。なお、悲運のイーヴィ・サンズもA&Mに移籍してアルバムを発表しています。

ANGEL OF THE MORNING
あなたを繋ぎ止める糸などないわ
私の愛でさえあなたの心を縛ることが出来ないのだから
立場をはっきりさせる必要などないの
きっかけとなることを選んだのは私だから
私を家に連れ戻す理由はないの
もう子供じゃないのでこのまま夜明けを迎えるわ

朝の天使と呼んで
別れる前に私の頬に触れて
朝の天使と呼んで
それからゆっくりと私のもとから立ち去って

陽射しが翳って来るかもしれないわ
でもたいしたことじゃないの
朝のこだまが二人に罪を宣告しても
そう それこそ私が望んでいたことよ
もし私たちが夜の犠牲者であっても
私は光で目が眩んだりしないわ

朝の天使と呼んで
別れる前に私の頬に触れて
朝の天使と呼んで
それからゆっくりと私のもとから立ち去って
私はあなたに一緒にいてほしいなんて懇願しない

一日中涙を流しながら幾後月を重ねるのよ


この曲は多くのアーティストに取り上げられています。宜しければ聴き比べてみてください。
Juice Newton
http://www.youtube.com/watch?v=HTzGMEfbnAw
Skeeter Davis
http://www.youtube.com/watch?v=Kv2iSqerOj4
Nina Simone
http://www.youtube.com/watch?v=X7PceQx4rt0

YouTubeにもう1曲映像がありました。アルバムのラストを飾る「Sunshine & Roses」。マーク・ジェイムズとジョージ・クラインの共作によるフォーク・ロック調の佳曲です。


このアルバムにはチップ・テイラー作の(8)、テイラーとアル・ゴーゴニ共作の(3)、ダン・ペン、ダリル・カーター、スプーナー・オールダム共作の(4)、マーク・リンゼイ(ポール・リヴィア&ザ・レイダーズ)作の(9)、(11)、ジュー・サウス作で1968年にディープ・パープルのヴァージョンが全米4位の大ヒットを記録した(10)などが収録されていました。
そういった中からもう2曲お聴きいただければ幸いです。まず、このアルバムのプロデューサーでスタックス・レコードで手腕を振るったチップス・モーマンとスプーナー・オールダムの共作、「Sandcastles」。かつてR&Bを歌っていたメリリーのこと、こんな曲調のほうが似合っているのでしょう。ソウルフルな印象を受けました。続いてママス&パパスのジョン・フィリップス作で、スコット・マッケンジーが1967年に歌って全米第4位のヒットとなった「花のサンフランシスコ」。少々意外な選曲ですが、地味で渋い曲が多いので明るい曲調のものを入れてアクセントをつけようとしたのでしょう。





 ディープ・パープルでお馴染みの「Hush」も追加しました。


なお、メリリー・ラッシュは現在も元気に活動中です。

The Beatles - Got To Get You Into My Life

カントリー・ロックを扱うと案の定アクセスが減少の一途を辿りました。今回はいつものようにビートルズで起死回生、と言うよりも窮余の一策を講じます。
さて、お題は「Got To Get You Into My Life 」。1966年リリースの『Revolver』に収録されていました。ほとんどポール・マッカートニーのペンによるものですが、仕上げはもちろん作詞の段階からジョン・レノンとジョージ・ハリスンもアイデアを出していたようです。
ブラス・セクションを加えた曲調はモータウン・サウンドに影響を受けたことをポールはインタビュー(マイルズ編『ビートルズ伝説』)で明言していました。


GOT TO GET YOU INTO MY LIFE
孤独を紛らわすため旅に出た
何が起こるか分からなかったけれど
もうひとつの道を辿ることで
気分も変わるではないかと

すると突然君に出会った
君が必要だって伝えたかな
毎日君にいてほしいんだ

君は逃げもしなければ嘘もつかなかった
君を抱きしめたいという
俺の気持ちを分かっていた
もしあのまま君と別れても
俺が言った通り
また出逢っていただろう

君は俺の傍にいる運命なんだ
俺が言うことを聞いてほしい
ずっと一緒だって言ってくれよ

君だけを手に入れられれば良いのさ
他に何も考えられないし何も出来やしない
ただ君の傍に一緒にいたいだけ
どこへも行かず君に尽くそう
もし君の元を去ることがあっても
必ず戻るよ


ビートルズの作品では初めて本格的に使われたと言っても良いぐらい、ブラス・セクションがフィーチャーされた曲です。前述したモータウンはもちろんのこと、オーティス・レディングらスタックス系のサウンドやメンフィス・ソウルからの影響が強いと言ったほうが適切かもしれません。このあとアメリカではソフト・ロック・サウンドにホーン・セクションを導入したザ・バッキンガムス、さらにはロックとジャズを融合したシカゴやBS&Tといったバンドが台頭し、ブラス・ロックといったジャンルが誕生しました。
「Got To Get You Into My Life」はビートルズ解散後の1976年、編集盤『ROCK'N' ROLL MUSIC』がリリースされたのを機にアメリカと日本でシングル・カットされ、ビルボードのヒット・チャートでは7位まで上昇しました。

1996年リリースの『ANTHOLOGY 2』に収録された別テイクです。


ポールはビートルズ解散後、ウイングスを経てソロに至る今日でもこの曲を演奏し続けています。映像はウイングス時代のもの。


1990年の「Get Back」Tourの頃の映像です。


イギリスBBC制作の人気番組「ジュールズ倶楽部」に出演した時の映像。2007年の大晦日から2008年の元旦にかけて放送されたようです。


リボルバーリボルバー
(1998/03/11)
ザ・ビートルズ

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リボルバーリボルバー
(2009/09/09)
ザ・ビートルズ

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