好きな音楽のことについて語りたいと思います。

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Great Speckled Bird

今回紹介するグレイト・スペックルド・バードは、カナダのフォーク・デュオ、イアン&シルヴィアを中心に結成されたバンドです。イアン・タイソン(1933年生まれ)とシルヴィア・フリッカー(1940年生まれ)は1959年にトロントで出会い、フォーク・デュオとして活動を開始しました。その後ニューヨークに拠点を移し、ボブ・ディランのマネージャーであるアルバート・グロスマンに見初められて彼の事務所に入り、ヴァンガード・レコードとの契約に漕ぎ着けます。彼らは1963年にトラディショナル・ソングを中心に収録した1stアルバム『IAN & SYLVIA』を発表し、翌1964年に二人は結婚しました。
おしどり夫婦デュオとして注目を集めた二人は、1963年のニューポート・フォーク・フェスティヴァルに出演し1964年には後にニール・ヤングがカヴァーして有名になった「Four Strong Winds(風は激しく)」(ニール・ヤングのヴァージョンは1978年発表の『Comes A Time』に収録)を含む2ndアルバム『FOUR STRONG WINDS』をリリースするなどの順調な活動を展開。ことに本国カナダでは絶大な人気を誇りました。ちなにこのアルバムにはボブ・ディランの「Tomorrow Is ALong Time」も収録されていました。イアン&シルヴィアの二人はこの後も6thアルバムの『So Much For Dreaming』(1967)でジョニ・ミッチェルの「Circle Game」をいち早く取り上げるなど、彼らの下の世代のアーティストを世に送り出す作業にも積極的でした。
彼らの音楽にはフォーク・ソングのみならずカントリーやゴスペルの要素も含まれており、次第にロック色も強めて行きました。MGMに移籍した1968年にはナッシュヴィル録音の『NASHVILLE』、『Full Circle』というカントリー・アルバムまで出しています。
この時期のイアン・タイソンはカントリーとロックの融合に興味を持ち始めていたようで、友人であったギタリストのエイモス・ギャレットにバンドを組む話を持ちかけました。イアン&シルヴィアとエイモスのもとにケン・カルムスキー(ベース)、バディ・ケージ(スティール・ギター)、N.D.スマート2世(ドラムス)ら腕利きのミュージシャンが集められ彼らはグレイト・スペックルド・バードとなのるバンドを結成することになります。バンド名の由来はカントリー界の大スター、ロイ・エイカフが歌った古いゴスペル・ソングから取られているとのことです。
プロデューサーにはトッド・ラングレンが起用されました。ナッズというバンドで活躍した彼は当時、アルバート・グロスマンの事務所であるベアズヴィル・レコードでエンジニアとして働いていたのです。
アルバムはイアン&シルヴィア所属のベアズヴィル・レコードによって原盤制作され、オーディオ機器メーカーとして有名なアンペックスを通して発売されました。しかし、ベアズヴィルとアンペックスの蜜月は長く続かず、様々な契約問題もあってこのアルバムはごく短期間で市場から姿を消し、幻の名盤となってしまいます。

グレート・スペックルド・バード+1(K2HD/紙ジャケット仕様)グレート・スペックルド・バード+1(K2HD/紙ジャケット仕様)
(2007/03/07)
グレート・スペックルド・バードグレイト・スペックルド・バード

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1. Love What You're Doing Child
2. Calgary
3. Trucker's Cafe
4. Long Long Time To Get Old
5. Flies In The Bottle
6. Bloodshot Beholder
7. Crazy Arms
8. This Dream
9. Smiling Wine
10. Rio Grande
11. Disappearing Woman
12. We Sail
13. New Trucker's Cafe (Live Version)

それではアルバムの中から何曲かご紹介しましょう。まず、少々アーシーな雰囲気が漂うオープニング・ナンバー、「Love What You're Doing Child」。


ソロ転向後のシルヴィアの重要なレパートリーとなった軽快な「Trucker's Cafe」。
http://www.youtube.com/watch?v=fO2acfK_Gr0

レイ・プライスが1956年にヒットさせた「Crazy Arms」。リンダ・ロンシュタットも『Linda Ronstadt』 (1972)でカヴァーしています。
http://www.youtube.com/watch?v=3x3WKkKh1kg

ゴスペル風のアレンジが心に滲みる「We Sail」。
http://www.youtube.com/watch?v=dfjdX8fUvZw

先ほどのスタジオ録音よりもノリが良くエイモスのギターもご機嫌なNew Trucker's Cafe (Live Version)
http://www.youtube.com/watch?v=FDKc8ODUEIc

NEW TRUCKER'S CAFE
私は毎日トラック野郎のカフェで働いているの
夜になればお酒も出すのよ
立ち寄ったお客には何も言うことがないから
懇ろになることなんてない
お金目当てだって思われるかもしれないけれど
私が働き続ける理由はそれだけじゃない
私は朝から真夜中まで働き
真夜中から夜明けまですすり泣いているのだから

幸福なときもあった 
若い娘が考えそうな夢に満たされていたこともあった
愛の時間は一塊に包まれ
ひとりの男の意のままにされた
でもあの人は他の女を見つけ
彼女のことを愛していると私に言い
トラックの運転席まで辿り着くと
そのままどこかへ行ってしまった
だから私は朝から真夜中まで働き
真夜中から夜明けまですすり泣いているのだから

行きて行くこと容易くなく
正気を保とうとしても私はほとんど気が狂いそう
もしあの人と会えればもう一度やり直せると思う
泣いてばかりいられないのよ
そのときになれば
私のありったけの愛をあの人に捧げるつもり
哀れな母親にしか出来ないようなかたちでね
だから私は朝から真夜中まで働き
真夜中から夜明けまですすり泣いているの
そう 私は朝から真夜中まで働き
真夜中から夜明けまですすり泣いているの


1970年の夏に開催されたフェスティヴァル・エクスプレス出演時の映像。アーティストたちがカナダを横断する列車に乗り込み、トロント、ウィニベグ、サスカトゥーン、カルガリーと移動しながら各地でコンサートを催すという試みが行われました。この列車に乗り込んだアーティストはグレイト・スペックルド・バードの他に、ジャニス・ジョプリン、グレイトフル・デッド、ザ・バンド、フライング・ブリトゥー・ブラザーズ、デラニー&ボニーなど錚々たる面々です。グレイト・スペックルド・バードはボブ・ディラン『 The Basement Tapes 』(1975) やザ・バンド『 Music From Big Pink』 (1968) で有名な「Tears Of Rage」を演奏。若き日のエイモス・ギャレットがプレイする姿は貴重です。


あくまでもイアン&シルヴィアのバック・バンドであるためか、エイモス・ギャレットのギターは控えめで、彼のユニークなプレイは片鱗程度しか見せておりません。また、メンバーの他にデヴィッド・ブリッジズ(エリア・コード615)がピアノで参加していますが、これはイアン&シルヴィアがナッシュヴィルでレコーディングした際に培われた人脈かと思われます。
レコーディング終了後にケン・コロムスキーが脱退。ジム・コルグローブが替わって加入し、前述のフェスティヴァル・エクスプレスに出演したり、来日して大阪万博(1970)のカナダ館で演奏するなど精力的な活動を続けました。しかし、その直後エイモス・ギャレット、N.D.スマート2世、ジム・コルグローブの三人はハングリー・チャックを結成。バディ・ケージもフェスティヴァル・エクスプレスでジェリー・ガルシアらとセッションしたことが縁で意気投合し、ニュー・ライダーズ・オブ・ザ・パープル・セージに参加するなど次々とメンバーが抜けて行きました。イアン&シルヴィアはこの後CBSに移籍してイアン&シルヴィアwithグレイト・スペックルド・バードとして2枚のアルバムを残すものの、オリジナル・メンバーでの録音はこのアルバムが唯一のものとなります。
イアン&シルヴィアの間に子供が生まれたこともあり、イアン・タイソンはソロ活動を余儀なくされ活動が縮小して行きました。さらに夫婦の関係も不和を来し、1975年に彼らは離婚してそれぞれの道を歩んでいます。

フェスティバル・エクスプレス [DVD]フェスティバル・エクスプレス [DVD]
(2005/07/29)
ドキュメンタリー映画

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グレイト・スペックルド・バードが「C.C.ライダー」を演奏するシーンではジェリー・ガルシアやデラニー・ブラムレットも参加していました。

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Mary Chapin Carpenter - SHOOTING STRAIGHT IN THE DARK

日本ではカントリー・ミュージックが好まれないのか、大型CDショップでも片隅に僅かばかりの在庫が並べられたコーナーが申し訳程度に設けられているのが現状です。独特の節回しが敬遠されるのでしょうか。このブログでもカントリーのアーティストを記事にするとアクセス数が激減しました。しかし、そんな状況にもめげずにカントリー・シンガーを取り上げます。
今回ご登場を願うのはメアリー・チェイピン・カーペンター。1958年2月21日に生まれた彼女はニュージャージー州のプリンストンの出身で、ワシントンD.C.で育ち、ロード・アイランド州のプロヴィデンにあるブラウン大学(アイヴィー・リーグ)で学んだ才媛です。ライフ誌の幹部だった父親の仕事の関係から1969年から1971年に掛けて日本に住んだ経験もありました。
少女時代は姉の影響もあり、ビートルズ、ママス&パパス、ジュディ・コリンズらに夢中になり、また、母親の持っていたウディ・ガスリーのレコードを聴いて興味を覚えていたそうです。その後、カントリー・ミュージックやブルー・グラスにも傾倒するようになり、大学へ進学するとバーやクラブでギターを持って歌い始めました。やがて、ギタリストのジョン・ジェニングスと知り合い、活動を共にするうちにCBSからオファーが舞い込み契約が成立。1987年に『HOMETOWN GIRL』というアルバムでデヴューします。自作の曲にトム・ウェイツの「Downtown Train」(オリジナルは1985年の『Rain Dogs』に収録)などのカヴァーを含めた構成で、カントリーというよりもフォークといったほうが似合う雰囲気が窺えました。このアルバムは芳しいセールスを上げることが出来ませんでしたが、1989年に発表された2nd、『STATE OF THE HEART』からは「Never Had It So Good」、「Quittin' Time」といった2曲のトップ10ヒット(U.S.カントリー・チャート)が生まれアカデミー・カントリー・ミュージックの最優秀新人女性アーティスト賞を獲得し、グラミー賞にもノミネートされるなどの注目を浴びます。
今回紹介する『SHOOTING STRAIGHT IN THE DARK』は1990年にリリースされた3rdアルバムです。

Shooting Straight in the DarkShooting Straight in the Dark
(2007/05/29)
Mary-Chapin Carpenter

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1. Going out Tonight
2. Right Now
3. The More Things Change
4. When She's Gone
5. Middle Ground
6. Can't Take Love for Granted
7. Down at the Twist and Shout
8. Halley Came to Jackson
9. What You Didn't Say
10. You Win Again
11. Moon and St. Christopher

このアルバムからも「You Win Again」、「Right Now」、「Down at the Twist and Shout」、「Going out Tonight」の4曲のヒットが飛び出し、ことに「Down at the Twist and Shout」は全米カントリー・チャートの2位まで駆け上がりました。
日本では地味な存在のカントリー・ミュージックですが、YouTubeにはふんだんに映像が投稿されています。まず、前述の「Going out Tonight」、一夜の恋のお相手となる男性を求めて週末のバーに繰り出す女性が描かれていました。ダイアン・キートン主演の映画『Looking for Mr. Goodbar(ミスター・グッドバーを探して)』(1977)をちょっぴり連想させるような内容です。



失恋がテーマの「Can't Take Love for Granted」。歌詞の中の「You can shoot straight in the dark(直訳すると闇の中で正直に喋りまくれるという意味でしょうか)」という一節がアルバムのタイトルになっています。


大ヒット曲「Down at the Twist and Shout」。これも失恋の歌ですが、メリーランド州のベテスタに実在する「Twist And Shout」というバーへの讃歌であり、同時にケイジャン・ミュージックへの讃歌でもあるそうです。


DOWN AT THE TWIST AND SHOUT
土曜の夜 月が昇ると
私はツイスト&シャウトに駆け込みたくなる
2ステップのパートナーを見つけ
ケイジャン・ビートにのって
気分が高まり 雰囲気に馴染めそう
広いダンス・フロアの真ん中で
あのフィドルを聴くとたまらない
今夜はルイジアナのバンドに合わせて踊るのよ

ニュー・オリンズには旅したことがないし
バイユーの流れに漂ったこともない
でもあの音楽をラジオで聴いて
いつか行きたいと心に誓ったの
ハイウェイ10でラフィエットを過ぎると
そこはバトン・ルージュ
私はあなたに悔いる思いの手紙を送るのを忘れないわ
だって私はもう戻らないから

名物はアリゲーターのスープとナマズのパイ
今夜はメキシコ湾の嵐が町の中に吹き込む
デルタの生活 それはショーのように楽しい
風が吹くたびにハリケーン・パーティー
でもここ北部は冷たい雨
今日の私の憂さは晴れそうもない
でも新聞が町に美しい太陽がやって来ると言うなら別
さあベイビー 行かなくては

ママもパパも妹も連れておいで
音楽も部屋もたくさんあるわ
1910年のワルツが奏でられると
少し若返った気がするはずよ
ロックン・ロールで踊りを憶え
ドはドでスウィングを学んだあなた
フェイドードー(ケイジャン・ミュージックのダンス・パーティー)で
愛を知るの
心地よいジョリー・ブロン(最もポピュラーなケイジャン・ソング)を聴きながら

1910年に出現したハレー彗星のことを歌にした「Halley Came to Jackson」。複雑な思いが込められたラヴ・ソング中心のアルバムの中の一服の清涼剤と言ったところでしょうか。


「ベイビー、またあなたの勝ちね」と歌われる「You Win Again」も失恋の歌。貼り付け無効らしいので下記のURLをクリックしてください。
http://www.youtube.com/watch?v=W0DaALgV_pk

ショーン・コルヴィンとのデュエットが聴ける「Moon and St. Christopher」。


カントリー・シンガーとしての地位を確立したメアリー・チェイピン・カーペンターですが、彼女の歌にはそれほどカントリーの色合いが濃く感じ取れません。個人的にはエミルー・ハリス、ショーン・コルヴィン、ルシンダ・ウィリアムスらと同様、カントリー、フォーク、ロックの要素を持ったシンガーであると思います。それ故、カントリーという枠に捕われることなく、先入観を捨てて彼女が紡ぎ出す音楽を聴いていただければ幸いです。

Harry Nilsson - PANDEMONIUM SHADOW SHOW

以前にハリー・ニルソンのスタンダード・ナンバー・アルバム『A little touch of SCHMILSSON in the night (邦題:夜のシュミルソン)』を記事にしましたが、今回は彼のメジャー・デヴュー・アルバム『PANDEMONIUM SHADOW SHOW』を紹介します。
銀行に勤務しながら音楽活動を始めたニルソン。やがて彼の才能はフィル・スペクターの目に止まり、ロネッツやモダン・フォーク・クァルテット(MFQ)への楽曲提供を足がかりとしてモンキーズに「カドリー・トイ」、ヤード・バーズに「テン・リトル・インディアン」が取り上げられました。こうしてニルソンはソング・ライターとして脚光を浴び始め、マイナー・レーベルからアルバムをリリースした後、ついにRCAというメジャー・レーベルとの契約にこぎつけました。そのアルバムが1967年10月にリリースされた『PANDEMONIUM SHADOW SHOW』です。

パンディモニアム・シャドウ・ショウ(紙ジャケット仕様)パンディモニアム・シャドウ・ショウ(紙ジャケット仕様)
(2007/08/22)
ニルソン

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1. Ten Little Indians
2. 1941
3. Cuddly Toy
4. She Sang Hymns Out of Tune
5. You Can't Do That
6. Sleep Late, My Lady Friend
7. She's Leaving Home
8. There Will Never Be
9. Without Her
10. Freckles
11. It's Been So Long
12. River Deep, Mountain High
13. As I Wonder Lonely (Bonus Track)
14. She Sang Hymns Out of Tune (Bonus Track)

アルバムの収録曲はニルソンのオリジナル・ナンバーに加えて、ビートルズの楽曲、「You Can't Do That」、「She's Leaving Home」、フィル・スペクター作品「River Deep, Mountain High」などのカヴァーで構成されていました。

ニルソンのオリジナル、「Ten Little Indians」。有名な童謡を題材として、モーゼの「十戒」をモチーフにアイロニーが込められた歌詞が展開されます。アルバムのオープニング・ナンバーとしては異色な雰囲気が漂っていました。差別発言との抗議はなかったのでしょうか。


TEN LITTLE INDIANS
10人の小さなインディアンが並んで立っている
ある者が他の奴の妻を眺めて立っていた
それから9人になった
9人の小さなインディアンの心は憎しみで一杯だった
ある物が隣の奴のものを取り上げた
それから8人になった
8人の小さなインディアンは天国から降りて来た
ある者が仲の良い友だちに嘘をついた
それから7人になった
7人の小さなインディアンは楽しくやろうとした
ある者が別のやり方で天国に行けるのだと思った
それから6人になった
6人の小さなインディアンは生き続けようとした
ある者がひとりの命を奪った
それから5人になった

5人の小さなインディアンは扉を見つけようとした
ある者が母親を虐待した
それから4人になった
4人のインディアンは自由になろうと考えた
ある小さなインディアンが祈りを捧げることを忘れた
それから3人になった
3人の小さなインディアンは何をやって行くべきかを決めた
ある者がみだりに神の名を使った
それから2人になった
2人の小さなインディアンは何か楽しいことをやるべきだと考えた
ある者が自分の写真を撮ることが気に入った
それからひとりになった
一人の小さなインディアンは6時に太陽を探した
月が昇り
それから誰もいなくなった


続いてこちらもニルソンのオリジナル、「1941」。ノスタルジックな雰囲気のする楽曲です。1941とは彼の生まれた年を指し、自分の生い立ちを元にしたエピソードが物語風に語られていました。ここではギターの弾き語りによるライヴ映像でお楽しみください。


ビートルズのカヴァー、「You Can't Do That」。曲中には「She 's A Woman」、「Drive My Car」、「Rain」など幾つものビートルズ・ナンバーの一節が間奏やバック・ヴォーカルとして登場し、さながらトリビュートの様相を呈しています。


ニルソン作のバラード作品、「Without Her」。作風にはポール・マッカートニーから受けた影響が感じ取れました。グレン・キャンベル(1967年発表の『Gentle on My Mind』に収録 ) 、BS&T (1968年の『Child Is Father to the Man』に収録) 、アストラッド・ジルベルト(1969年の『I Haven't Got Anything Better to Do』に収録 )など多数のカヴァーがあります。


『Aerial Pandemonium Ballet』 (1971)に収録の別ヴァージョンです。貼付け無効なので、宜しければ下記のURLをクリックしてください。
http://www.youtube.com/watch?v=VOZi8HCnGQ4

多重録音や斬新なアレンジが功を奏して、この『PANDEMONIUM SHADOW SHOW』は音楽評論家に高く評価されたもののセールス的には芳しい結果を残せませんでした。しかし、ジョン・レノンとポール・マッカートニーはいたくこのアルバムを気に入り、ジョン・レノンは直接ニルソンへ賛辞の電話を掛けたという逸話が残っています。

Cass Elliot - BUBBLE GAM, LEMONADE & SOMETHING FOR MAMA

前々回の記事でママ・キャスことキャス・エリオットのシンガーとしての魅力に溢れたファースト・ソロ・アルバムを紹介しました。ジョン・サイモンをプロデューサーに迎えてのヴァラエティに富み、かつ実験的な試みがなされた意欲作でしたが、芳しいセールスを上げることが出来なかったのです。所属のダンヒル・レコードは彼女の持つ天真爛漫なキャラクターをもとにしたポップス路線に転向することを要請し、エリオットもそれを受け入れてセカンド・アルバムが制作されることになりました。

バブル・ガム、レモネード&・・・サムシング・フォー・ママ+1バブル・ガム、レモネード&・・・サムシング・フォー・ママ+1
(2002/05/29)
ママ・キャス

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1. It's Getting Better
2. Blow Me a Kiss
3. Sour Grapes
4. Easy Come, Easy Go
5. I Can Dream, Can't I
6. Welcome to the World
7. Lady Love
8. He's a Runner
9. Move in a Little Closer, Baby
10. When I Just Wear My Smile
11. Who's to Blame
12. Make Your Own Kind of Music

いかにも愛と平和を伝える「Fat Angel(太った天使)」というイメージがアルバム・ジャケットに表されています。ダンヒル側の戦略だったのでしょうが、コマーシャルなポップスよりも大人の歌を歌いたいという彼女には葛藤があったようです。ママス&パパスの頃と同じ見方をされるのにほとほと疲れ果てていたのかもしれません。
プロデューサーはスティーヴ・バリを起用。グラス・ルーツやハミルトン、ジョー・フランク&レイノルズなどを手掛け、ダンヒルの屋台骨を支えてきたスタッフの一人です。バックを受け持つミュージシャンはハル・ブレイン(ドラムス)、ジョー・オズボーン(ベース)、ラリー・ネクテル(キー・ボード)らの腕達者が集められました。
こうして1969年7月にリリースされたアルバム『 BUBBLE GAM, LEMONADE & SOMETHING FOR MAMA』はバリー・マン&シンシア・ワイル作の「It's Getting Better」で幕が開きます。名うてのソング・ライター・コンビによるこの曲はシングル・カットされて全米12位のヒットとなりました。


続いては少しノスタルジックな雰囲気な「Blow Me A Kiss」。


こちらもお気楽な雰囲気の「When I Just Wear My Smile 」。


ボーナス・トラックとして収録されたバリー・マン=シンシア・ワイル作の「Make Your Own Kind Of Music」。


ダンヒル側による大衆向けのヒットを狙って制作されたアルバムですが、キャス・エリオット自身の意向が反映されて選曲された楽曲も収録されていました。のびやかに歌うデラニー・ブラムレット作の「Lady Love」、都会で生きる女性の寂しさが滲み出るようなローラ・ニーロ作の「He's A Runner」(1966年発表の『More Than a New Discovery』に収録)、感情を抑制したように歌った妹のリア・カンケル作の「Who's To Blame」など、これらの曲の中にキャス・エリオット本来の姿が映し出されているように感じます。
今回はこのうち「He's A Runner」、「Who's To Blame」の2曲をお聴きいただければ幸いです。




HE'S A RUNNER
彼はランナー
やがて去って行く
まもなくいなくなる人
女は彼を留まらせるようには生まれついていない
女は出来るうちに逃げたほうが良い
彼はあなたをおいて去ってしまうのだから

彼はランナー
やがて去って行く
真夜中の列車に乗って
女は彼を留まらせるようには生まれついていない
裁きの日がやって来る
何が起ころうとも
彼はあなたをおいて行ってしまうのだ

別れのときがやって来る
彼は行かなければならないことを知っている
彼を引き止めたり 理由を聞いたりしてはいけない
私を置いて行く理由
私の未来を運び去ってしまう理由
今の私は残され鎖につながれている
死ぬまでずっと


このアルバムはママ・キャス・エリオットが意図していたものとはかけ離れているのかもしれませんが、バリー・マンの楽曲を歌う彼女の歌声もこれはこれで魅力を十分に発散させていました。結局ママ・キャスはこのアルバムを最後にダンヒルを離れ、新境地を開いて行くことになります。

Cass Elliot - DREAM A LITLE DREAM MAMA CASS

前回はビートルズの楽曲でうまくネタ切れを逃れました。続けてビートルズを取り上げるのもミエミエなので、今回はアクセス数の減少覚悟で臨みます。
さて、ご登場いただくアーティストはキャス・エリオット、本名エレナ・ナオミ・コーエン。ママス&パパスで豊満なボディを誇っておられた女性です。天真爛漫なキャラクターからママ・キャスの愛称で親しまれていました。
1968年のママス&パパス解散後、キャス・エリオットはソロ・シンガーとして再出発を望みます。所属のダンヒル・レコードもソロとしての彼女の可能性に賭け、ママス&パパスの抜けた穴を埋めるには十分だと考えました。そうして両者の思惑が一致し、1968年の10月にママ・キャスのファースト・アルバムがリリースされることになります。
ママス&パパス時代のイメージを払拭しようとしたキャス・エリオットはプロデューサーにジョン・サイモンを迎えました。サイモンの起用はエリオットがザ・バンドの『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』をとても気に入っていたことによるものだそうです。
参加ミュージシャンはジョン・セバスティアン、スティーヴン・スティルス、サイラス・ファーヤー(MFQ)、ジェイムズ・バートン(ドブロ・ギター)、ジム・ゴードン(ドラムス)など彼女と気の合った仲間たちが呼びかけに応じています。また、ジョン・サイモンもプロデュースのみならず、ピアノで腕前を振るっていました。

私の小さな夢私の小さな夢
(2001/06/27)
ママ・キャス

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1. Dream A Little Dream Of Me
2. California Earthquake
3. The Room Nobody Lives In
4. Talkin' To Your Toothbrush
5. Blues For Breakfast
6. You Know Who I Am
7. Rubber Band
8. Long Time Loving You
9. Jane, The Insane Dog Lady
10. What Was I Thinking Of
11. Burn Your Hatred
12. Sweet Believer

それでは収録曲をYouTubeの映像を使って紹介して行きます。まず、アルバムのタイトル曲「Dream A Little Dream Of Me」。オリジナルはWayne King & His Orchestraが1931年にヒット・チャート1位に送り込んだ曲で、他にもナット・キング・コール、ドリス・ディ、ルイ・アーム・ストロング、エラ・フィツジェラルド、ディーン・マーティン(1959年発表の『 Sleep Warm』に収録)、アン・マレー(2004年発表の『All of Me 』に収録)など多数のアーティストがレコーディングしています。この曲はママス&パパスの4枚目のアルバム『The Papas & The Mamas』(1968)に収録され、シングル・カットもされていました。キャス・エリオットだけがヴォーカルを取っていたので、バンドからソロへの転身の意味合いを表しているかのようです。おそらくダンヒル側の方針として考え出された措置でしょうが、エリオットにとってはあまり有り難くなかったかもしれません。この曲のみ上記のメンバーではなく、ハル・ブレイン(ドラムス)、ラリー・ネクテル(キー・ボード)、ジョー・オズボーン(ベース)らがバックを担当していました。ママス&パパスのヴァージョンにストリングスやSEが加えられ、印象の違ったものに仕上げられています。少々画像が悪いのですが、ここではTVショーに出演した際の映像をお楽しみください。


DREAM A LITTLE DREAM OF ME
空には星が明るく輝いている
夜風が「愛してるよ」と囁いている
スズカケの木から鳥のさえずる声
ささやかな私の夢を見てほしい

おやすみと言って私にキスをし
しっかりと抱きしめて
君に会えないと寂しいと言ってくれる
私がひとりぼっちで寂しくて仕方ない時
あなたと会えるささやかな私の夢

星が消えても私の思いは留まったまま
あなたのキスを懇願する
夜明けまであなたを思い続け
こう言うの

太陽の光があなたに差し込んで来るまで素敵な夢を
すべての悩みを忘れさせてくれる良い夢を
でもどんな夢であろうと
ささやかな私の夢を見てほしい



続いては ジョン・ハートフォード作の「California Earthquake」。ジョン・サイモンのピアノとホーン・セクションがフィーチャーされたR&B色の濃い楽曲です。セカンド・シングルとしてリリースされました。


次はジャジーな雰囲気が漂うジョン・サイモン作の「Talkin' To Your Toothbrush」。ジェームズ・バートンのドブロ・ギターが渋い味わいを醸し出しています。


リチャード・マニュエル作の「Blues For Breakfast」。ザ・バンドのヴァージョンはボブ・ディランの『Basement Tapes(地下室)』(1975年発表)に収録されています。貼付け無効ということなので、下記のURLをクリックしてください。
http://www.youtube.com/watch?v=dj_lNc-gJwY

サイラス・ファーラー作の「Rubber Band」。行進曲調で拍手や歓声が入る楽しそうな曲です。


カントリー風の楽曲「Jane, The Insane Dog Lady」はジョン・サイモンの作品。この曲も歓声が効果的に使われています。


グラハム・ナッシュ作の「Burn Your Hatred」。貼付け無効ということなので、下記のURLをクリックしてください。難しそうな楽曲ですが、うまく歌いこなしています。
http://www.youtube.com/watch?v=w7WAhe4Tf2U

アルバムの最後を締めくくるのはサイラス・ファーヤー作の「Sweet Believer」。美しいメロディ・ラインがキャス・エリオットの優しい歌声によく似合います。なお、サイラスのヴァージョンは1971年発表の『Cyrus』に収録。


この他にもレナード・コーエンのブルージーな佳曲「You Know Who I Am」(コーエンのヴァージョンは1968年発表の『Songs From A Room』に収録)、ジョン・セバスティアンの「The Room Nobody Lives In」(セバスティアンのヴァージョンは1970年リリースの『John B.Sebastian』に収録)、キャス・エリオットの妹であるリア・コーエン(後のリア・カンケル)の作品「 What Was I Thinking Of」などの興味深い楽曲がが収録されていました。レナード・コーエンは「You Know Who I Am」を抑制した雰囲気で少々ぶっきらぼうな歌い方をしていましたが、キャス・エリオットのヴァージョンは後半部分にゴスペル風のコーラスが付けられてソウルフルな印象を受けます。
期待されたキャス・エリオットのファースト・ソロ・アルバムでしたが、ヴァラエティに富んだ楽曲が揃っていたものの、難しいメロディと凝った作りが災いしたのかセールス的には全米87位と芳しい成績を上げることが出来ませんでした。ダンヒル側は彼女にポップな路線へ戻るように要請し、彼女もそれに応えてバリー・マン=シンシア・ワイル作の「It' Getting Better」、「Make Your Own Kind Of Music」などのヒット曲を連発して行きます。しかし、この路線は脱ママス&パパスを標榜していたエリオットの本意ではなく、結局彼女は2枚のアルバムを残してダンヒルを去りました。
その後はデイヴ・メイソンとコンビを組んでアルバムをリリース。一時的に再結成したママス&パパスに加わったり、RCAに移籍してソロ・アルバムを発表するなど精力的な活動を続けましたが、1974年7月29日、イギリス公演のために滞在していたロンドンで心臓麻痺のために帰らぬ人となりました。享年32歳。早すぎる死でした。

The Beatles - I've Just Seen A Face

前回の記事にしたケニー・ランキンの『Here In My Heart』の中でビートルズの「I've Just Seen A Face」がカヴァーされていました。気になったので今回は本家のほうを取り上げることにします。


I'VE JUST SEEN A FACE
たった今 顔を見かけただけの
あの時 あの場所が忘れられない
二人が初めて出逢った時から
彼女はまさしく運命の人だった
俺たちの出会いを世界に知らせたい

別の日だったら
俺は違う方向を向いてすれ違っていたかもしれない
一度たりとも気づくことがなかっただろう
でも実際は今夜
俺は彼女の夢を見るのだ

落ちて行く
ああ 恋に落ちて行く
彼女は俺を呼び戻してくれる
呼び戻してくれるんだ

こんな気分は味わったことがなかった
俺はずっとひとりぼっちだった
数々の機会を見逃し
人目を避けていた
他の娘がまったくこんなふうじゃなかったから


しっとりとしたケニー・ランキンのカヴァー・ヴァージョンとは異なり、ビートルズのオリジナル・ヴァージョンは軽快に演奏されていました。これはカントリーというよりスキッフルというスタイルに当てはまるかと思います。この曲はジョン・レノンがリード・ヴォーカルを取る「You've Got To Hide Your Love Away」(アルバム『HELP』に収録)同様、ボブ・ディランの影響を受けた作風とも言われています。
歌詞はシンプルなラヴ・ソング。引っ込み思案だった男性が素敵な女性に一目惚れをして希望を見いだし意欲的な人間に変わろうとする様が描かれていますが、思いが成就できずに夢見るだけの少々情けない状況で終わっているようです。発展家の人は別として、たいていの男性なら気に入った女性になかなか話しかけられず遠くで見つめるだけだったという経験をお持ちではないでしょうか。ビートルズの面々はそういった思春期の感情を表すのが実に巧みです。ちなみに、ポール・マッカートニーはよほどこの曲がお気に入りなのか、ビートルズ解散からウイングスを経てソロになった現在に至るまで定番の如くステージで歌っています。
ビートルズのオリジナル・ヴァージョンは1965年8月6日リリースの『HELP』に収録。ウイングスのヴァージョンは『Wings Over America(ウイングスU.S.A.ライヴ!!)』(1976)、ソロでは『Unplugged-The Official Bootleg(公式海賊盤)』(1991年)に収録されていました。また、2003年5月にロシアの「赤の広場」で行われたライヴを収めたDVD『In Red Square』(2005)にも収録されています。

1991年にアンプラグドで行ったライヴ映像です。


ウイングス時代のライヴ映像。亡き妻、リンダと一緒に歌っています。


Kenny Rankin - Here In My Heart

ケニー・ランキンさんが6月7日にロサンゼルスの病院にて逝去されました。享年69歳。死因は肺がんによる合併症であると診断されています。
昨年日本国内で旧作が一気に再発されて再び脚光を浴びる中、ニュー・アルバムの制作が進めらているとの情報もありました。突然の訃報に驚くばかりで悲しみの言葉を言い表すことが出来ません。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

今回は1997年に発表されたケニー・ランキンの『Here In My Heart』を取り上げました。プライヴェート・ミュージックからの2作目にあたります。

ヒア・イン・マイ・ハートヒア・イン・マイ・ハート
(2008/03/26)
ケニー・ランキン

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1. Day in the Life of a Fool
2. Life in the Modern World
3. Puzzle of Hearts
4. Those Eyes
5. Lover's Touch
6. Stay
7. A Slight Infatuation
8. I've Just Seen a Face
9. This Happy Madness
10. Even You and I
11. Come Rain or Come Shine
12. Art of Survival
13. Here in My Heart

ジャズやボザノヴァ風のアレンジはケニー・ランキンの得意とするところでしたが、1997年発表の本作はブラジル音楽に真正面から取り組んだ作品と言えるでしょう。
それでは、作者のルイス・ボンファ自らがギターを弾き、ハーモニカのトゥーツ・シールマンスが参加した「A Day In The Life A Fool」(「Manha de Carnaval ~ 黒いオルフェ」の英語版)、ポール・ウィリアムスとの共作「A Lover's Touch」、ビートルズのカヴァー「I've Just Seen A Face」、オリジナル作品でアルバムのタイトル曲「Here In My Heart」の4曲をお聴きいただけたら幸いです。なお、3曲目以降は面倒をおかけするようで誠に申し訳ございませんが、一旦ブラウザの更新ボタンを押してから改めて選曲し直してください。


Discover Kenny Rankin!


A DAY IN THE LIFE OF A FOOL
愚かに暮らす一日
悲しく長く孤独な一日
私は街を歩く
こちらに向かって駆け寄る君に
偶然会えればよいのに

君の家のすぐそばで立ち止まる
もう君はそこにいないのに
仕方なく自分の部屋に戻り
薄暗い中で
私は別れの涙に暮れる

君が戻って来るまで
そんな風に過ごすのだろう
毎日を愚かに暮らすのだ


このアルバムにはイヴァン・リンスの作品が4曲( 「Life in the Modern World」、「A Slight Infatuation」、「Even You and I」、「 Art of Survival」)、ジャヴァンの「Puzzle of Hearts」、アントニオ・カルロス・ジョビンの「This Happy Madness」、サンバ風にアレンジされたスタンダード・ナンバー「Come Rain Or Come Shine」などが収録されていました。また、「Lover's Touch」を共作したポール・ウィリアムスとの交友関係が少々意外に思えます。

私が彼の名前を知ったのがいつだったかはよく憶えておりません。ボブ・ディランの『Bringing It All Back Home』でギタリストとして参加していたのを目にしておりましたが、とくに気に留めることはありませんでした。それから数年が経ってAORのシンガーとして彼が注目を浴びていた頃にようやく興味を持った次第です。彼のヴェルヴェット・ヴォイスと称される優しい声、ジャジーで洗練されたアレンジにたちまち魅了されました。
今回は多くを語りません。皆様がケニー・ランキンの音楽を聴き、何を感じ、どのようなメッセージを受け取るかが彼への供養になると思うからです。

このアルバムからの楽曲の映像がYouTubeにはないようです。ブラジル音楽風の曲ではないので誠に申し訳ありませんが、代わりに2004年頃のライヴ映像をお楽しみください。曲は『MIND DUSTERS』(1967年発表)に収録の「Peaceful」です。


FOLKWAYS

申し訳ございませんが、今回もトリビュート・アルバムです。

Folkways: A Vision Shared - A Tribute to Woody Guthrie & LeadbellyFolkways: A Vision Shared - A Tribute to Woody Guthrie & Leadbelly
(2008/03/01)
Various Artists

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1. Sylvie - Sweet Honey In The Rock
2. Pretty Boy Floyd - Bob Dylan
3. Do Re Mi - John Mellencamp
4. I Ain't Got No Home - Bruce Springsteen
5. Jesus Christ - U2
6. Two Timin' Woman - Fishbone;Little Richard
7. East Texas Red - Arlo Guthrie
8. Philadelphia Lawyer - Willie Nelson
9. Hobo's Lullaby - Emmylou Harris
10. The Bourgeois Blues - Taj Mahal
11. Gray Goose - Sweet Honey In The Rock
12. Goodnight Irene - Brian Wilson
13. Vigilante Man - Bruce Springsteen
14. This Land Is Your Land - Pete Seeger with Sweet Honey In The Rock, Doc Watson & The Little Red School House Chorus

フォークウェイズ・レコードはモーゼズ・アッシュによって1948年に設立されたレーベルです。ウディ・ガスリー、レッドベリーらのトラディショナルなフォーク・シンガーの作品からアパラチアンのマウンテン・ミュージックや北アメリカの原住民の音楽などのフィールド・レコーディングに至るまで、アメリカン・ルーツミュージックの歴史的音源を豊富に集めていました。アッシュの方針によりフォークウェイズはほぼ毎週1枚の割合でアルバムをリリース。しかも一度作ったレコードは欠品させないようにしていました。1948年の創業からアッシュが亡くなる1986年までの約40年間に出されたアルバムのタイトルは2000種を超えていました。商業的成功よりも文化的価値を重視するといった商売のやり方はユーザーにとっては良心的に思えますが、結果的には大量の在庫を抱えて赤字経営に陥ることは誰の目にも明白です。
アッシュが亡くなったことによりフォークウェイズは存続の危機を迎えました。レーベル存続の資金集めのために制作されたのが、1988年にリリースされたこのウディ・ガスリー、レッドベリー作品集です。ウディ・ガスリーとレッドベリーはフォークウェイズに多大な貢献をしたフォーク・シンガーでした。その後、フォークウェイズはスミソニアン協会に引き継がれて「Smithsonian Folkways Recordings」として現在に至っています。

ウディ・ガスリー
1912年7月14日、オクラホマ州オクフスキー・カウンティのオキマに生まれる。バンジョーを弾く父親の影響があってか、幼き頃よりフォーク・ソングに目覚めた。姉の事故死、父親が事業に失敗し、母親もハンティントン・コリアで入院するという不幸が重なり、15歳の時にウディはハーモニカを持って旅に出た。生活のためにダンス・ホールや街角でハーモニカを吹いて稼ぎ、その後ギターも覚えた。結婚後に自作の曲を書き始め、その多くは貧困や差別などに翻弄される労働者らの思いを題材としたものであった。フォーク・ソングや反体制ソングで人気を博したが、1952年に母親と同じハンティントン・コリアにかかり、1967年10月3日に他界した。

レッドベリー
1885年1月20日(1988年1月23日説もある)、ルイジアナ州のムーリングスボートに生まれた。本名ハディ・ウィリアム・レッドベター。南北戦争後の黒人たちの生活は厳しく、レッドベリーも貧しき少年期を過ごした。10歳の時におじからアコーディオンをもらい、ワーク・ソングやスピリチュアルを演奏し、次いで父からギターをもらって16歳の時に旅に出る。ありとあらゆる仕事をしながら夜にはクラブなどで歌い始めた。
レッドベリーが歌う内容は、女性、酒、差別を歌ったゴスペルやブルース、カウボーイ、刑務所、労働を歌ったフォークソングなど多岐にわたった。高慢でもめ事を好む性格ゆえに事件に巻き込まれることもしばしばあり、殺人の疑いをかけられ服役した経歴もある。そうした経験が彼の歌の題材となったのであろう。ウディ・ガスリーと交流し、労働者のために歌い続けたが、金銭的には不遇のまま筋萎縮性側索硬化症にかかり1949年12月6日に他界した。

それでは、まずYouTubeのライヴ映像とイメージ映像から収録曲を楽しんでいただければ幸いです。最初にご登場いただくのはSweet Honey In The Rock。1973年にデヴューしたアカペラ・ゴスペル・グループです。曲はレッドベリーとポール・キャンベル作の「Sylvie」。彼女たちはフェミニズム運動やエコロジー活動に熱心な姿勢を見せていることでも知られています。


続いてボブ・ディラン。彼が最も影響を受けたというウディ・ガスリーの作品「Pretty Boy Floyd」を歌います。


ブルース・スプリングスティーンの登場です。曲はウディ・ガスリー作の「Vigilante Man」と「I Ain't Go Home」。ボスのパフォーマンスはいつ観てもかっこいいですね。彼は1986年発表の『LIVE 1975 - 1985』でもウディ作の「This Land Is Your Land」をカヴァーしていました。


少し意外かと思われますが、U2による「Jesus Christ」。ウディ・ガスリーの作品です。U2は社会派ロック・バンドとしての側面を持ち、ディランやスプリングスティーンらとの親交も深いことからこのアルバムに参加したのでしょう。


エミルー・ハリスで「Hobo's Lullaby」。彼女の澄んだ歌声が清々しく魅力的です。この曲はウディ・ガスリーの作品ではありませんが(Goebel Reeves作)、彼のパフォーマンスによってよく知られる歌となりました。他にもウディの息子のアーロ・ガスリー、ピート・シーガー、キングストン・トリオのヴァージョンなどが有名です。


HOBO'S LULLABY
おやすみ、くたびれ果てたホーボーよ
街をゆっくりと彷徨いながら通り過ぎ
鉄のレールの響きが聞こえるだろう
それがホーボーの子守唄

明日のことなどくよくよ考えなさんな
知らないうちに過ぎて行くもの
今夜は暖かいゆ有蓋列車の中
風も雪も吹き込んでは来ない

あなたの服はぼろぼろに破け
髪にも白髪がまじっている
でも 顔を上げて 厄介なことなんて笑い飛ばそう
そのうちいつか のんびりと暮らせるようになるから



さらに2曲お聴きください。ブライアン・ウィルソン(ザ・ビーチ・ボーイズ)でレッドベリー作の「Goodnight Irene」。この曲はゴードン・ジェンキンス&ザ・ウィーヴァーズ(1950年発表)、ライ・クーダー(1976年発表の『Chicken Skin Music』に収録)、トム・ウェイツ(2006年発表の『Orphans - Brawler, Bawlers & Bastards』に収録)など多くのアーティストがこの曲を取り上げていますが、ここでのブライアンのカヴァーは彼らしい軽快なサウンドに仕上がっています。なお、契約の関係かLDにはウィリー・ネルソンの歌うヴァージョンが収録されていました。
続いて、ピート・シーガー、スゥイート・ハニー・イン・ザ・ロック、ドク・ワトソンらによる「This Land Is Your Land」。ウディ・ガスリーの代表曲です。

Discover Brian Wilson!


CDに収録されていないのですが、LDのほうにはピート・シーガー&アーロ・ガスリーのパフォーマンスでウディ作の「Alabama Bound」が収められていました。あいにくそのヴァージョンではございませんが、アーロがこの曲を歌った2008年のライヴ映像がありましたのでボーナス・トラックとして紹介しておきます。


最後に、映画『BOUND FOR GLORY(ウディ・ガスリー/我が心のふるさと)』 (1976)でウディ・ガスリー役を演じた俳優のデイヴィッド・キャラダインさんが2009年6月4日に逝去されました。享年72歳。キャラダインさんは他にもテレビドラマ『Kung Fu(燃えよカンフー)』 (1972-1975)、ライ・クーダーが音楽を担当した映画『The Long Riders』 (1980)、悪の組織のボスを演じた『Kill Bill』 (キル・ビル)(2003)など多数の出演作品を残されています。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

Come Together :America Salutes The Beatles

240_8さんのブログ「音楽の杜」で1995年にリリースされた『A GRP ARTISTS' CELEBRATION OF THE SONGS OF THE BEATLES』というアルバムが紹介されていました。GRPレーベル系所属のジャズ/フュージョン系のアーティストによるビートルズのカヴァー集です。
そこでも少々触れられておりましたが、同じ年にカントリーのアーティストによるビートルズの楽曲のカヴァー・アルバムが発表されていました。これまでに何度かビートルズのナンバーを記事にしてきましたが、今回は趣向を変えてこのカントリーのアーティストによるカヴァー集『Come Together :America Salutes The Beatles~アメリカがビートルズに敬礼した日』(1995)を取り上げます。

Come Together: America Salutes the BeatlesCome Together: America Salutes the Beatles
(2003/03/25)
Various Artists

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01 - I'll Follow the Sun - David Ball
02 - Something - Tanya Tucker
03 - One After 909 - Willie Nelson
04 - The Long And Winding Road - John Berry
05 - Come Together - Delbert McClinton
06 - If I Fell - Sammy Kershaw
07 - Let It Be - Collin Raye
08 - We Can Work It Out - Phil Keaggy
09 - Yesterday - Billy Dean
10 - Can't Buy Me Love - Shenandoah
11 - Nowhere Man - Randy Travis
12 - Oh! Darling - Huey Lewis
13 - Help! - Little Texas
14 - In My Life - Susan Ashton & Gary Chapman
15 - Get Back - Steve Wariner
16 - All My Loving - Suzy Bogguss & Chet Atkins
17 - Paperback Writer - Kris Kristofferson

ビートルズのアメリカン・ミュージックにおける影響は多大なものであり、現在のカントリー・ミュージックのシーンで活躍するアーティストも決して例外ではないでしょう。そうしたアーティストたちがビートルズに敬意を払い、各自の解釈でより魅力溢れた楽曲として再現されたのがこのアルバムです。

とても全曲を紹介することが出来ません。まず、タニヤ・タッカーの「Something」、スージー・ボッガス&チェット・アトキンスの「All My Loving」の2曲を聴いていただけたら幸いです。
タニヤ・タッカーはテキサス州セミノール出身。1972年に13歳で「Delta Dawn」をヒットさせて一躍脚光を浴びた女性シンガーです。日本では1976年頃にマックスウェル・コーヒーのCMに使われた「Hello, Mr. Sunshine」(日本のみの発売)のヒットで有名になりました。ここでは繊細ながらも情念を込めた彼女の歌いっぷりが堪能できます。
スージー・ボッガスは1987年のデヴュー。アクの強い女性カントリー・シンガーが多い中、彼女のあっさりとした歌い方が親近感を持って迎えられました。カントリー・ヨーデルが歌えるのも彼女の強みです。
チェット・アトキンスに関しては説明不要。ギター・ファンならジャンルに関係なく誰もが知っている存在かと思います。

Discover Tanya Tucker!


ここからはYouTubeのイメージ映像とともにお楽しみください。アルバムのタイトル曲である「Come Together」を歌うのはデルバート・マクリントン。少年時代であった1950年代中頃よりソウルフルなヴォーカルを身上として活動してきたシンガーです。彼はジョン・レノンとも交流があり、ジョンのハーモニカの師匠だったそうです。


ランディ・トラヴィスによる「Nowhere Man」。彼は80年代にカントリー復興運動の中心人物として注目され、その後もヒットを飛ばし続けた実力派です。


次はヒューイ・ルイスによる「Oh! Darling」。彼については何の説明もいらないでしょう。カントリー・シンガーではありませんが、過去には彼が在籍するニュースとともにハンク・ウィリアムスの「Honky Tonk Blues」(1983年発表の『SPORTS』に収録)をレコーディングしていました。ここでは彼にしては少し抑え気味ながらも、入魂のR&Bスタイルで熱唱しています。


Oh! DARLING
オー ダーリン どうか信じてくれ
おまえを傷つけたりしない
信じてほしい 俺のこの言葉
おまえを傷つけたりしない

オー ダーリン おまえに捨てられたら
俺はひとりでやって行けない
信じてほしい 後生だ
俺をひとりにしないでくれ

俺などもう必要じゃないと
おまえが言った時
俺は泣き崩れてしまいそうだった
俺にはもう用がないと
おまえが言った時
俺は打ちひしがれ死にそうになった

オー ダーリン おまえに捨てられたら
俺はひとりでやって行けない
信じてほしい 俺のこの言葉
おまえを傷つけたりしない

俺などもう必要じゃないと
おまえが言った時
俺は泣き崩れてしまいそうだった
俺にはもう用がないと
おまえが言った時
俺は打ちひしがれ死にそうになった

オー ダーリン どうか信じてくれ
決しておまえを悲しませたりしない
信じてほしい 俺のこの言葉
おまえを傷つけたりしない


最後はクリス・クリストファーソンによる「Paperback Writer」。彼はカントリー・シンガーと言うよりはシンガー・ソング・ライターの草分け的な存在です。ジャニス・ジョプリンが『Pearl』(1971)で取り上げた「Me and Bobby McGee」の作者としても有名。俳優としても活動しており、ビリー・ザ・キッドの生涯を描いた『Pat Garrett & Billy the Kid』 (1973年)、バーブラ・ストライザンドと共演した『A Star Is Born (スター誕生)』 (1976年)、マイケル・チミノ監督作品『Heaven's Gate(天国の門)』 (1980年)など出演作多数です。


Joni Mitchell - WOODSTOCK

今年はウッドストック40周年とのことで、未発表シーンを満載したDVDがリリースされるそうです。そこで、今回は映画版の主題歌となったジョニ・ミッチェル作の「Woodstock」を取り上げました。

ウッドストックとは
ウッドストック・フェスティバル(Woodstock Music and Art Festival)は1969年8月15日(金)から17日(日)までの3日間、アメリカ合衆国ニューヨーク州サリバン郡ベセルのヤスガー農場で開催された大規模な野外コンサート。予想を遥かに超える40万人もの入場者が押し寄せた。主な出演者はリッチー・ヘブンス、ジョーン・バエズ、サンタナ、キャンド・ヒート、ジャニス・ジョプリン、グレイトフル・デッド、ザ・フー、ジョー・コッカー、ザ・バンド、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング、ジミ・ヘンドリックスなど。コンサートの模様はレコードとしてリリースされ、映画化もされた。
ウッドストック・フェスティバルはたんなる音楽イベントとしてのみならず、人間性回復のための集会でもあり、カウンター・カルチャーの集大成としても捉えられている。
公民権運動、女性解放運動(ウーマン・リヴ)、環境保護運動、ヴェトナム反戦運動などが相次いで起こった激動の1960年代を体験した人々にとってウッドストックは輝かしい時代の象徴として語られてきたが、実際には犯罪やドラッグが場内に横行し、フェスティヴァル終了後のゴミ問題も露になった。現代にも渦巻く諸問題の原点であるとの見方も出来よう。
そうしたカウンター・カルチャー幻想の終焉と崩壊について述べられた歌のひとつがイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」である。



WOODSTOCK
神の子に出逢った
彼は道をまっすぐ歩いていた
どこに行くのかと尋ねると
彼はこう言った
ヤスガー農場に行くんです
そこでロックン・ロール・バンドに加わり
自然の中でキャンプをし
魂を解放しようとするのです

私たちは星屑 黄金に輝く星屑
みんな一緒に
あの楽園に帰るべきなのよ

あなたと一緒に行ってもいい?
私はスモッグから逃げ出してきたの
自分がぐるぐる回る歯車か何かになっている気がするのよ
そうね たぶん今が潮時よ
たぶん人類にとっても潮時かも
私は自分が何者かも分からない
でも人生は学ぶためにあるのね

ウッドストックに着いた頃
私たちは50万人にもなっていた
まわりには歌と祝祭
私は夢を見た
重装備の爆撃機が空を飛んでいたが
蝶々に変わって行った
私たちの国の上で

私たちは星屑 黄金に輝く星屑
みんな一緒に
あの楽園に帰るべきなのよ

私たちは星屑
私たちは10億年を経た炭素
黄金に輝く星屑
私たちは悪魔との契約にとらわれている
みんな一緒に
あの楽園に帰るべきなのよ


この映像は1984年リリースのヴィデオ『REFUGE OF THE ROADS / 放浪』(DVDは2005年に発売)からのもののようですが、オリジナル・ヴァージョンは1970年発表の『LADIES OF THE CANYON』に収録されていました。映像ではエレキ・ギターを弾いていますが、アルバムではピアノの弾き語りでした。
ジョニ・ミッチェル自身はウッドストックに出演していません。当時恋仲だったグラハム・ナッシュの話を聞いてこの歌を書き上げたそうです。

リンク切れとなったようですので、1970年のスタジオ・ライヴの映像をご覧ください。


実際に映画の中で使われていたのはジョニ・ミッチェルではなくて、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングのヴァージョンです。タイトル・エンドで流されていました。1970年発表の『DEJA VU』に収録されています。


クロスビー、スティルス&ナッシュのライヴ映像。1990年頃のもののようです。


ジョニ・ミッチェルのオリジナル・ヴァージョンとクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングのヴァージョンでは歌詞が一部異なります。赤で示した部分が変更ならびに入れ替えられた言葉です。

神の子に出くわした
彼は道をまっすぐ歩いていた
どこに行くのかと尋ねると
彼はこう言った
ヤスガー農場に行くのさ
そこでロックン・ロール・バンドに加わり
自然の大地に戻って
魂を解放するんだ

俺たちは星屑 黄金に輝く星屑
俺たちは10億年を経た炭素
みんな一緒に
あの楽園に帰るべきなんだ

一緒に行っていいかい
俺はスモッグから逃げ出してきたんだ
自分がぐるぐる回る歯車か何かになっている気がする
そうだね たぶん今が潮時だ
たぶん人類にとっても潮時かもな
俺は自分が何者かも分からない
でも人生は学ぶためにあるんだよな

ウッドストックに着いた頃
俺たちは50万人にもなっていた
まわりには歌と祝祭
俺は夢を見た
重装備の爆撃機が空を飛んでいたが
蝶々に変わって行った
俺たちの国の上で

俺たちは星屑 黄金に輝く星屑
俺たちは悪魔との契約にとらわれている
みんな一緒に
あの楽園に帰るべきなんだ

爆撃機や悪魔など物騒なものが歌詞の中に登場しますが、スティーヴン・スティルスのヴァージョンは「矢でも鉄砲でもミサイルでも核爆弾でもまとめて持ってきやがれ」という具合に頼もしく、逞しく思えるような歌と演奏を展開しています。

マシューズ・サザン・コンフォートのカヴァー・ヴァージョンです。1970年にシングル盤としてリリースされましたが、同年発表の『SECOND SPRING』にボーナス・トラックとして収録されています。


マシューズ・サザン・コンフォートのヴァージョンはナイーヴな若者のうつろいやすさが表現されているかのようです。まるで砂上の楼閣のようにもろくも崩れていったカウンター・カルチャーの終焉のイメージでしょうか。また、イアン・マシューズの甘く優しく切ない歌声とスティール・ギターの音色がさらなる哀愁を誘います。
テキサス訛りが入ったスティーヴン・スティルスのヴァージョンは歌詞カードを目で追わなければ何を言っているのか分からないほどです。それに比べてイギリス人のマシューズの発音は実に美しく気品さえ漂っているように思えました。
なお、イアン・マシューズもウッドストックには出演しておりません。

放浪放浪
(2005/03/09)
ジョニ・ミッチェル

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レディズ・オブ・ザ・キャニオンレディズ・オブ・ザ・キャニオン
(2006/09/27)
ジョニ・ミッチェル

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デジャ・ヴデジャ・ヴ
(2008/12/17)
クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング

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セカンド・スプリング+3(紙ジャケット仕様)セカンド・スプリング+3(紙ジャケット仕様)
(2009/05/27)
マシューズ・サザン・コンフォート

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ディレクターズカット ウッドストック 愛と平和と音楽の3日間 40周年記念 アルティメット・コレクターズ・エディション [DVD]ディレクターズカット ウッドストック 愛と平和と音楽の3日間 40周年記念 アルティメット・コレクターズ・エディション [DVD]
(2009/08/05)
グレイトフル・デッドザ・フー

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Mary Hopkin - POST CARD

男性アーティストが続いたので今回は女性シンガーを取り上げます。ご登場願うのはメリー・ホプキン、ビートルズのアップル・レコードが生んだシンデレラ・ガール、アップルの歌姫などと称された人です。
メリー・ホプキンは1950年5月3日(5日説もあり)、イギリスのウェールズに生まれました。幼き頃より歌のレッスンに通い、10歳の時には地元のクラブに出演するまでに至るほどの実力を付けていたそうです。その後はフォーク・バンドのメンバーとして活動し、バンドが解散をしたのを機にテレビのオーディション番組に出演し、見事に優勝の栄冠を勝ち取りました。
当時この番組を見ていたツィギー(イギリスの女優、モデル、歌手。ミニ・スカートで一世を風靡した)が懇意にしていたビートルズが新人歌手を探していたのを思い出し、ポール・マッカートニーに連絡してメリー・ホプキンを推薦したとの逸話が残っています。ともあれ、このことがきっかけとなり、アップルの重役だったピーター・ブラウン、そしてポール自らもメリー・ホプキン獲得に乗り出し、彼女とアップルとのレコーディング契約が結ばれることになりました。
ポールはメリーのために長年温めていた曲を用意しました。それが、1968年8月30日にリリースされ、ビートルズの「Hey Jude」に代わって全英1位に輝いた「Those Were The Days」です。同時期にこの曲を録音したサンディ・ショウやジョニー・マティスらと競作の形になったようですが、彼らの盤はメアリーに遠く及びませんでした。
この曲はもともと1920年代にアレキサンダー・ヴェルテンスキーが録音したロシアもしくはウクライナ民謡で、1962年にアメリカ出身でイギリスで活躍した歌手のジーン・ラスキンがアレンジして仕上げました。1963年に発表されたライムライターズのヴァージョンがオリジナルとされています。
60年代の半ばにポールはラスキン夫妻のライヴでこの曲を聴いて感銘を受けたそうです。いつの日かこの曲を歌うに相応しいシンガーを自分の手でプロデュースして世に出したいという思いを胸に抱いていたのでしょう。


THOSE WERE THE DAYS
昔ある居酒屋があった
そこでよく乾杯をしたものだ
笑って時を忘れたのを憶えている
大きな夢を抱きながら

あの頃は良かった
終わりが来るとは思わなかった
私たちはいつまでも歌て踊っていた
自分の選んだ人生を過ごし
どんなものにも負けないと立ち向かっていた
若かった私たちは自分の生き方をはっきりと持っていた

それから年月が過ぎ去り
私たちはキラキラ輝く信念を失ってしまった
運良くあの酒場で姿を見かけたら
お互い笑顔でこう言いましょう
あの頃は良かった 懐かしいあの頃は

今宵酒場の前に立っていると
何もかもが昔と変わっていた
ガラス窓の中に私は不思議な姿を見た
あの寂しげな女が私だったのか

ドア越しに聞き慣れた笑い声が聞こえてきた
あなたの顔が見え、私の名前を呼ぶのが聞こえた
ああ お互い老けたけど中身は変わらないのね
私たちの心の中に抱いた夢は今でもあの頃と同じ


このヒットの余勢を駆って、メリー・ホプキンのファースト・アルバムが制作されます。プロデュースはもちろんポール。選曲にあたって彼は自分のお気に入りのスタンダード・ナンバーを配し、親しいアーティストに楽曲の提供を依頼しました。また、アルバムジャケット用の写真には後にポールの妻となる写真家のリンダ・イーストマンを起用しています。
こうしてポールが情熱と意欲を込めたメリー・ホプキンのファースト・アルバム『Post Card』は1969年2月21日にイギリスで発売され、全英6位を記録。メアリーは世界を代表するポップ・シンガーへの道を歩み始めました。

ポスト・カード(紙ジャケット仕様)ポスト・カード(紙ジャケット仕様)
(2005/04/27)
メリー・ホプキン

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YouTubeの映像でアルバムの楽曲を何曲か観ていただければ幸いです。
まず、1932年にレイ・ノーブルが発表したダンス・ミュージック、「Love Is Sweetest Thing」。


アイリッシュ・ハープをバックにウェールズ語で歌われる「Y Blodyn Gwyn 」。ウェールズのトラディショナル・ソングだそうです。


ギリシャの作曲家ミキス・テオドラキスが作曲し、1959年にマニュエル&ザ・ミュージック・オブ・マウンテンズが発表したインストゥルメンタル・ナンバー「The Honeymoon Song 」。まずペトゥラ・クラークが歌詞を付けてリリースしているようですが、詳細が分かりません。その後、ビートルズも1962年頃にレパートリーに加えています。ビートルズのヴァージョンは『Live At The BBC』(1994年発表)に収録されています。


ハリー・ニルソン作の「The Puppy Song」。子犬を題材にした曲です。ニルソンのヴァージョンは『Harry(ハリー・ニルソンの肖像)』(1969)に収録。


フランク・ルーサーの作品で、1952年に制作されたダニー・ケイ主演のミュージカル映画『HANS CHRISTIAN ANDERSEN(アンデルセン物語)』の主題歌、「Inch Worm」です。


ドノバン作の「Voyage Of The Moon」。ポールとドノバンがギターで参加しています。ドノバンのヴァージョンは1971年リリースの『HMS Donovan』に収録。


1932年に発表されたスタンダード・ナンバー、「Lullaby Of The Leaves」。メリーの他にはエラ・フィツジェラルドの録音(1964年発表の『Hello, Dolly!』に収録)があります。


ジョージ・ガーシュインが音楽を担当した映画『Rhapsody In Blue』の挿入歌、「Someone To Watch Over Me」。この曲のカヴァー・ヴァージョンは、エラ・フィツジェラルド『Ella Sings Gershwin』 (1951) 、ロースマリー・クルーニー『 Love 』(1963) 、ウィリー・ネルソン 『Stardust』 (1978) 、リンダ・ロンシュタット『What's New 』(1983) 、リッキー・リー・ジョーンズ『It's like This』 (2000) 、アート・ガーファンクル『Some Enchanted Evening』( 2007) など枚挙に暇がありません。


シングル「Those Were The Days」のB面として収録されていたピート・シーガー作の「Turn! Turn! Turn!」。ザ・バーズのカヴァー・ヴァージョン(1965年発表の『Turn! Turn! Turn!』に収録)があまりにも有名です。ピート・シーガーのオリジナル・ヴァージョンは『The Bitter and the Sweet 』(1962) に収録。他にもジュディ・コリンズ(1963年発表の『Judy Collins #3 』に収録)など多数のアーティストが取り上げています。


メリー・ホプキンの『POST CARD』はダンス・ミュージックやスタンダード・ナンバーのようにノスタルジックな雰囲気が漂う楽曲が多く収録されていました。ハリウッド映画の雰囲気さえ漂わせています。ポールの趣味・嗜好がメリー・ホプキンという女性シンガーによって体現されたアルバムと言えなくもありません。
ポールはメリー・ホプキンを一流のポップス・シンガーに育て上げたかったようですが、もともとフォーク・バンドを組んだ経験があり、ジョーン・バエズやジュディ・コリンズを目標としていたメアリーが目指す音楽的な方向は異なっていました。セカンド・アルバム『Earth Song』は彼女の意向を反映し、電気楽器を用いずアコースティックなサウンドを基調に仕上げられています。これについてはまた別の機会に述べるとして、今回はこれでお開きにしたいと思います。

MIKE FINNIGAN

前回の記事でイーグルスの「Take It To The Limit」を取り上げたところ、デイヴ・メイソンの『Certified(ライヴ~情念)』(1976年発表)に収録されたカヴァー・ヴァージョンが好きだと言われる方々からコメントをいただきました。そこで今回は本丸のデイヴ・メイソンを述べる前に少々ひねくれて、彼のバックを務めたキーボーディスト、マイク・フィニガンについて話をしたいと思います。
マイク・フィニガンは1946年頃にオハイオ州トロイで生まれ、カンサス州ウィチタに育ち、長身をいかしてカンサスの大学でバスケット・ボールの選手になることを目指したものの夢は叶わず、替わって音楽にのめり込むようになりました。地元の仲間とザ・サーフスというバンドを組んでブルースやR&Bのナンバーを中心に演奏し、1969年にアルバムもリリースしたとされています。その後、サンフランシスコに活動の拠点を移しブラザー・ヘッドというバンドに加入、1970年にアルバムを発表しました。1972年にはザ・サーフス時代の同僚、ジェリー・ウッドと組み、フィニガン&ウッドとしてアルバムをリリース。また、フィニガンはセッション・キーボード奏者としても活動し、ジミ・ヘンドリックスの『ELECTRIC LADYLAND』(1968年)やジャニス・ジョプリンの抜けたビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニーのレコーディングにも参加しています。
1974年頃にはロサンゼルスに移り、ボブ・グロウブ、ジム・クルーガーらとともにデイヴ・メイソン・バンドに起用され、アルバム『デイヴ・メイソン』のレコーディングに参加します。これ以降は長きに渡りメイソンと行動をともにし、1977年の来日公演にも同行、片腕の如く活動しました。彼らの充実したライヴ・パフォーマンスが堪能出来るのが冒頭で紹介した『ライヴ~情念』です。
デイヴ・メイソンのバックで活躍するのと同時にマイク・フィニガンは売れっ子のセッション・キーボード奏者としての顔を持ち、マリア・マルダーの『Sweet Harmony』(1976)、『Southern Winds』(1978)、クロスビー、スティルス&ナッシュの『CSN』(1977)、後にバンドを組むレス・デューデックの『Ghost Town Parade』(1978)、同僚ジム・クルーガーの『Sweet Salvation』、ロッド・スチュワートの『Blonde Have More Fun』(1978)など多数のアルバムのレコーディングに参加しています。そして、マリア・マルダーのレコーディングに参加したことがきっかけとなり、彼女の紹介でワーナー・ブラザーズからソロ・アルバムを出す話がまとまり、1976年に今回記事として取り上げた『MIKE FINNIGAN』がリリースされました。彼の紡ぎ出す音楽はアメリカ南部のルーツ・ミュージックを土台にし、優しく豪快な歌声や演奏からアーシーな雰囲気が漂うものの洗練された都会的な感覚も窺え、甘く切ない哀愁といったものも感じ取れます。

まずアルバムから教会音楽からの影響が表されたと思えるオープニング・ナンバーの「Saved By Grace Of Your Love」、マリア・マルダーとのデュオが好印象の「Southern Lady」(リタ・クーリッジも1977年発表の『Anytime...Anywhere』で熱唱)の2曲をお聴きいただければ幸いです。


Discover Mike Finnigan!


続いて、ビリー・ジョエル作の「New York State Of Mind」。彼のオリジナル・ヴァージョンは1976年発表の『Turnstiles(ニューヨーク物語)』に収録されていました。大ブレイクする前のビリー・ジョエルの曲をカヴァーしていたことは同じキーボード・プレイヤーとして何らかのシンパシーを感じていたのでしょうか。フィニガンの切々とした歌声とエイモス・ギャレットのギターが泣かせます。YouTubeのイメージ画像とともにお楽しみください。


ジェシー・ウィンチェスターの「Mississippi On My Mind」。彼のオリジナル・ヴァージョンは『Learn To Love It 』(1974年発表)に収録。フィドルやマンドリンやドブロ・ギターをバックにフィニガンが優しく、逞しく歌い上げており、心に滲み渡ります。


MISSISSIPPI ON MY MIND
ガタゴトと走るワゴンが見えたような気がする
轍と轍の間に雑草が高く生い茂る道
そして片側には
錆び付いた有刺鉄線のフェンスが続く
向こう側には古ぼけたタール紙の小屋

我が心のミシシッピ
我が心のミシシッピ
ミシシッピ、おまえが忘れられない

ジョン・ディアじいさんの耳障りな声が
聞こえたような気がする
汚れた綿くずが散らばる畑の中で
そしてその畑の下には
湿った小さな入江があり
涼しげなミントの葉が見つかるだろう

スイカズラのつるが香るような気がする
甘ったるくて気分が悪くなりそうだ
ああ、そして犬たちは
いつも腹を空かせている
生い茂った草むらには
蛇が眠っている

とても熱いオーブンの熱を感じたような気がする
南の太陽が空から照りつけ
ほこりっぽい野原で
太った年寄りのバッタが跳ねる
俺も蒸発してしまう前に
あの入江に行き着かねばな


このアルバムには他にもアラン・トゥーサン作の「Performance」、「Holy Cow」、ジョン・セバスティアン作の「The Room Nobody Lives In」など粒ぞろいの楽曲が収められておりますが、とても紹介しきれません。まさに捨て曲なしの名盤です。

マイク・フィニガンはこの後、1978年に親方デイヴ・メイソンの所属するCBSに移籍してセカンド・アルバム『Black & White』を発表、ボズ・スキャッグスのバンドで活躍したレス・デューデック、同僚ジム・クルーガーらとDFKバンドを結成し、1980年にアルバム『DFK』をリリース。バンド解散後はデイヴ・メイソンのアルバムはもちろん、ダン・フォーゲルバーグ『Innocent Age』(1981)、リンゴ・スター『Stop & Smell The Roses』(1981)、クロスビー、スティルス&ナッシュ『Daylight Again』(1982)、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング『American Dream』(1988)、『Looking Forward』(1999)、レナード・コーエン『Future』(1992)など関わったアルバムは枚挙に暇がありません。さらに少年時代からの憧れだったというエタ・ジェームズの『Life, Love & The Blues』(1998)を始めとする何枚かのアルバムに参加。2000年にはタジ・マハールのバンドのメンバーとして来日していました。ソロ・アルバムのリリースこそありませんが、現在もセッション・キーボーディストとして活動する傍ら、ソロ・ライヴも行い健在ぶりを示しています。

マイク・フィニガンマイク・フィニガン
(1998/11/26)
マイク・フィニガン

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