好きな音楽のことについて語りたいと思います。

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EAGLES - Take It To The Limit

ブログのアクセス数が伸びず、そろそろ限界なのかなと感じてしまいました。ということで、自分を励ますためにも今回はイーグルスの「Take It To The Limit」を取り上げさせていただきます。
この曲はベース担当のランディ・マイズナーの作った曲で、1975年リリースの『One Of These Nights(呪われた夜)』に収録されています。イーグルス在籍時のマイズナーはそれほど多くの楽曲を残しておりませんが、彼が提供した作品は「一曲入魂」といった感じで明るく前向きなメッセージが歌に込められていました。グレン・フライとドン・ヘンリーの曲のように社会問題を提起した内容を陰りや哀愁のあるメロディーに乗せたり、あるいは明るい曲調であっても歌詞の中に揶揄が散りばめられているなど、彼らの作風がアルバムを発表するにつれ次第に重々しい趣に変化して行ったこととは対照的です。
1976年に発表された『Hotel California』は空前のヒットを記録しましたが、ランディ・マイズナーは翌1977年にイーグルスを去ります。脱退の理由は「家族と一緒に過ごしたい」、「スター生活に疲れた」と様々な憶測が囁かれました。前述のようにグレン・フライやドン・ヘンリーとの音楽性に関する確執があったのかもしれません。
ギタリストのバーニー・リードンが前出の『One Of These Nights』を最後に脱退しましたが、決して「円満退職」だったわけではないとされていますし、彼に替わって加入したドン・フェルダーも2000年に「バンドに貢献していない」ことを理由にリストラされました。ギターのツイン・リードがイーグルスの特徴のひとつだっただけに、少々意外に思える出来事です。フェルダーはこの件を不服として解雇無効との訴訟をイーグルスに対して起こしましたが、未だに決着がついていません。爽やかなウエスト・コースト・サウンドの裏側にはこのようなどろどろとした人間関係が存在し、どこの世界も同じなんだなと痛感させられる次第です。
イーグルス脱退後のランディ・マイズナーはソロ・アルバムをリリースしたり、ポコの再結成に加わったり、ブラック・タイというバンドを組むなど今日に至るまでマイペースで活動を続けています。彼の作り出す音楽が21世紀の社会では受け入れられなくなったのか、昨今まったく注目されなくなったことが残念でたまりません。



1977年、ランディ・マイズナー在籍時のライヴ映像が削除されてしまったので、1987年にリチャード・マークスやティモシー・B・シュミットと共演した時の映像をご覧ください。しかし、その映像も削除されました。代わってランディ在籍時のライヴ映像が再アップ。いつ消されるか分かりませんが、それまでお楽しみください。


TAKE IT TO THE LIMIT
夕暮れに一人で佇んでいると
明るい光が蒼い闇に消えて行く
俺はまだ見ぬ女のことを考えている
俺のことを愛してくれる女のことさ
俺はいつも夢見る男
(人生を彷徨の旅に費やし)
変えることは出来やしない
(落ち着いていられない)
でもこのあいだ見た夢は
現れては燃え尽き
また同じことの繰り返し

俺をハイウェイに連れて行き
行き先を示してくれ
もう一度限界までぶっ飛ばしてほしいんだ

金儲けに明け暮れて一生を費やすのもいい
情愛を時間稼ぎに費やすのもいい
でも 明日何もかもがぼろぼろになっていても
お前は俺の傍にいてくれるかい

自由を求めても
(誰も気に留めない)
出口は見つけられない
(どこにもありはしない)
信じるものが何もないのだから
お前はここに戻って来る
戻って来る
何度でも戻って来るんだ

俺をハイウェイに連れて行き
行き先を示してくれ
もう一度限界まで耐えてみたいのさ

限界までやり尽くせ
精一杯やれるとこまでやってみろ
限界までもう一度



ランディ・メイズナー脱退後はグレン・フライが代役を務めているようです。イーグルスの代表曲とはいえ退団したメンバーの楽曲を歌い続けていることを鑑みれば、喧嘩別れではないことを証明していると思われるのですが、どうでしょうか。


ランディ・マイズナーとリック・ロバーツ(元フライング・ブリトゥ・ブラザーズ、元ファイアーフォール)の共演映像です。貼り付け無効ということなので下記のアドレスをクリックしてください。

http://www.youtube.com/watch?v=3LOSPvs6B2o

女性アーティストによる競演映像です。画面左からメアリー・J・ブライジ、シェア・シーガー、パット・ベネター、シェリル・クロウ、エミルー・ハリス、ディクシー・チックス(ナタリー・メインズ、 マーティー・マグワイア、エミリー・ロビソン)、ベス・ニールセン・チャップマン、ネリー・ファタードです。ゆったりとリラックスした感じで歌われておりますが、両端にいるメアリー・Jとネリー・ファタードが場違いとは言わないまでも目立たず、大御所を前にして緊張しているような雰囲気が窺えます。


呪われた夜呪われた夜
(2005/12/21)
イーグルス

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The Beatles - Every Little Thing

日本では知名度の低いアーティストばかりを取り上げているとアクセス数がどんどん減って行きました。こういう時はいつものように起死回生の一手をビートルズに託します。
今回のお題は「Every Little Thing」、ジョン・レノンがリード・ヴォーカルを担当しているレノン=マッカートニー作品です。1964年12月4日リリースのアルバム『BEATLES FOR SALE』に収録。主にジョンが作ったとされていましたが、後の『プレイボーイ』誌のインタヴューでポールがサビを含めた殆どの部分を書いたとの証言がありました。



EVERY LITTLE THING
彼女と歩いていると
みんなにラッキーな奴だって言われる
そう 俺は運のいい男さ
初めてあったときのことを憶えている
とても孤独だったこの俺が
今では彼女に首ったけ

彼女のすることは
どんな些細なことでも俺のため
彼女のすること
すべてが俺のため

彼女といれば幸せさ
愛してくれているとわかるんだ
そう 彼女は俺を愛してくれている
これだけは自信を持って言える
俺はいつまでも彼女を愛すだろう
決して消えることのない愛だから


リンゴが叩くティンパニーの音が印象的です。紛れもないビートルズ・サウンドに仕上げられているものの、ロック・ミュージックではあまり使われないティンパニーの「ドン、ドン」という響きがユニークな効果を醸し出していました。

気を使いながらあれこれ身の回りの世話をしてくれる女性のことを歌にしているのですが、この内容だとフェミニズムの方々からクレームをつけられそうな気がします。有名な女性学の先生方から「女を所有物にしか思わない男の歌だ」との声が聞こえてきそうです。さらに、「永遠の愛なんて嘘っぱち。ずるい男はいつもそう言って女を騙す」なんて言われそうですね。あげくの果ては、「ジョン・レノンも小野洋子さんと結婚したから改心できた。彼女と巡り合わなければどうしようもない男のままで終わったはず」との批判めいた解釈がなされるかもしれません。でも、男にとってはこういったタイプの女性との出会いは貴重な経験なのかなとも思います。

イエスも1969年発表のファースト・アルバムでカヴァーしていました。私はプログレッシヴ・ロックに疎いのでメンバーについてよく分かりません。これはいつ頃のライヴ映像でしょうか。


私のブログではJ - POPのアーティストの方々を扱うことは滅多にありませんが、持田香織さんの歌声がとてもキュートなのでYouTubeの映像を貼り付けてしまいました。隣にいるサングラスを掛けたおじさん、もとい井上陽水さんも格好いいですね。


ビートルズ・フォー・セールビートルズ・フォー・セール
(1998/03/11)
ザ・ビートルズ

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Carole King - Simple Things

オード・レーベル時代のキャロル・キングの作品を取り上げたブログは枚挙に暇がなく、皆様鋭い洞察力と豊富な知識によって独自の解釈をされており、私のような者では足下にも及びません。というわけで、比較的取り上げられることが少ない作品を選ぶことが無難と思われるので、今回はキャロルがオードを離れて自らが設立したレーベルAvatarからリリースされた『Simple Things』について述べることにしました。
オードでの最後のアルバム『THOROUGHBRED』から約一年半、キャロル・キングの『Simple Things』は1977年に発表されました。前作の『THOROUGHBRED』は長く世話になったレーベルを離れる惜別の念からか、最初の夫だったジェリー・ゴフィンとの共作があり、かつて恋人と噂されたジェームズ・テイラー、デヴィッド・クロスビー、グラハム・ナッシュら最高の男友達のバック・コーラスで「I'd Like To Know You Better(邦題:気が合う二人)」を披露するなど自分と関わった人々への感謝の意味が込められていたように思われます。また、2番目の夫であるチャールズ・ラーキーとの別離があり、愛や孤独がテーマとなった曲が多く内省的な雰囲気が漂っているものの打ちひしがれたような様子はなく達観した印象さえ受けました。

拠点をL.A.からコロラドに移して制作されたこの『Simple Things』は新天地で気負うことなくリラックスして吹っ切れたような気分が伝わってきます。前作にあった陰りは殆ど感じられず、全体的に明るさや透明感が窺えました。都会の喧噪を離れて大自然の中に身を置いたことの効果が出たのかもしれません。
3番目の夫となるリック・エヴァーズは、タイトル・ナンバーを始めアルバムの中の幾つかの曲をキャロルと共作し、ギターでも参加しています。前夫との離婚で心が傷ついていたキャロルには自身のレーベルを立ち上げて再出発することへの不安がのしかかっていたことでしょう。そんな彼女を公私ともに支えたエヴァーズの功績は大きかったものと推測されます。
バックを受け持つナヴァロはコロラドのバンドで、アーシーでダイナミックなサウンドが時にイーグルスやポコを彷彿とさせます。ナヴァロはキャロルのバックアップで『Listen』(1977年)、『Straight To The Heart』(1978年)の2作品をリリース。中心メンバーのマーク・ホールマンは『Simple Things』以降も長きに渡ってキャロルをサポートし続けました。

それではアルバムから生きることの意味を歌ったタイトル・ナンバーの「Simple Things」、豪快なサウンドをバックに恋人との別離を歌う「God Only Knows」の2曲をお聴きください。


Discover Carole King!



アルバムからシングル・カットされてヒットした「Hard Rock Cafe」はYouTubeの画像を観ながらお楽しみください。



HARD ROCK CAFE
アメリカのどんな町のダウンタウンでも
ハード・ロック・カフェを見つけられる
選曲してお金を入れると音楽が流れ出す
おいでよ どんな一日だったかを聞かせてよ

ハード・ロック・カフェでハード・ロック・カフェにおいでよ
ハード・ロック・カフェに寄らずにいられない常連さんばかり

ちょっぴり寂しくなったら
くよくよ引きこもってないで
気分が晴れるところへおいでよ
ドアはいつも開いているからね

ハード・ロック・カフェで ハード・ロック・カフェにおいでよ
憂鬱な気分を吹き飛ばしてくれる
ハード・ロック・カフェ


シンプル・シングス(紙ジャケット仕様)シンプル・シングス(紙ジャケット仕様)
(2007/11/05)
キャロル・キング

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ストレイト・トゥ・ザ・ハートストレイト・トゥ・ザ・ハート
(2005/06/15)
ナヴァロ

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Gillian Welch - REVIVAL

どんどんアクセス数が減っておりますが、今回も気にせず日本では知名度の低いアーティストを取り上げます。
今回のご登場はギリアン・ウェルチです。大きな水玉模様のワンピースを着た女性が写ったモノクロのジャケット写真。まるでカーター・ファミリーが活躍し、大恐慌に襲われた1920年代後半から30年代半ばにかけてのアメリカを彷彿させるかのような雰囲気が漂っていますが、1996年にリリースされた彼女のファースト・アルバム『REVIVAL』です。

RevivalRevival
(2001/06/12)
Gillian Welch

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1968年頃に生まれたギリアン・ウェルチはロサンジェルスで育ちました。両親がテレビの音楽番組を制作する仕事に就いていたことから幼き頃より音楽に接する機会が多く、ギターやドラムの楽器にも早くから触れ、スタンダード・ナンバーやランディ・ニューマンの音楽を聴くといった生活を送っていたとのことです。思春期になるとジェームズ・テイラーやビートルズのレコードを手に入れ、高校時代にはR.E.M.に夢中になっていました。
カリフォルニア大学に進学するとヴェルヴェッド・アンダーグラウンドに感化されるとともにブルー・グラスにも興味を持ち始めます。卒業後は本格的に音楽を学ぶためにボストンのバークリー・カレッジ・オブ・ミュージックに進み、大学で音楽を勉強する傍らクラブでマウンテン・ミュージックを演奏するといった日々を送っていました。その頃、ギリアンはディヴィッド・ローリングスという男と知り合います。二人は意気投合し、一緒に曲を書いてデュオとして演奏活動をするようになりました。やがて、ギリアンはソング・ライターとしてアルモ・アーヴィング・ミュージックという音楽出版社と契約を交わし、続いてアルモ・サウンドとレコーディング契約を結びます。ギリアンはデュオとして活動していたものの様々な理由でソロ・アーティストとしてデヴューすることになりました。ギリアンをメインに据えるほうが注目度が高まると考えられたのかもしれません。
ファースト・アルバムを制作するにあたって迎えられたプロデューサーはT-ボーン・バーネット。ロス・ロボスの『How Will The Wolf Survive? 』、エルヴィス・コステロの『King Of America』(1986年)、『Spike』(1989年)、ジョニー・キャッシュの生涯を映画化した『Walk The Line』(2005年)のオリジナル・サウンド・トラック、ロバート・プラント&アリソン・クラウスの『Rising Sand』(2007年)などを手掛け、自身もミュージシャンとして何枚もアルバムを出している敏腕プロデューサーです。ボブ・ディランのローリング・サンダー・レヴューに参加した経歴もあります。さらにジム・ケルトナー(ドラムス)、ジェームズ・バートン(ギター)などの腕達者なミュージシャンが起用されました。

ギリアン・ウェルチの紡ぎ出す音楽は伝統的なカントリーやブルーグラスの影響を受けているのは確かですが、彼女なりの経験をもとにしたユニークで繊細な解釈がなされています。ジョン・スタインベックの小説『The Grapes Of Wrath(怒りの葡萄)』(1939年初版)、リチャード・ギア主演の映画『Days Of Heaven(天国の日々)』(1978年公開)などのような1920年代から30年代のアメリカを連想させる時代の雰囲気や古典的な題材をモチーフにした内容が窺えますが、同時に現代社会の現実を浮かび上がらせています。

それではアルバムの中からまず、エミルー・ハリスが『Wrecking Ball』(1995年発表)で取り上げた「Orphan Girl」、ギリアン本人がアルバムの中で一番のお気に入りだと言う「Annabelle」の2曲をお聴きください。


Discover Gillian Welch!


ANNABELLE
私たちは20エーカーの土地と1台のトラクターを
アラバマの信用基金から借りている。
綿花の半分、とうもろこしの3分の1と引き換えに
一握りの土埃が手に入るだけ

たとえどんなに努力しようとも
私たちが欲しいものすべては手に入らない
イエス様のところに召されるまで
そのことを不思議に思うほかない

私にはアナベルという娘がいた
目に入れてもいたくない存在だった
娘には恵まれなかった私とは違う人生を
送らせようと努力した
娘には泣いてほしくなかったのだ

私が死んで埋葬される時
辛く涙を流す毎日だった人生も葬ろう
アナベルは亡くなり教会の墓地に眠っている
墓碑にはそんな言葉だけが刻まれているだけ


暗く悲しい内容が淡々と語られています。前述の『怒りの葡萄』や『天国の日々』などに描かれた時代を思い浮かべてしまいがちですが、現代にも通じる普遍的な日常の断片でもあります。

ここからは収録曲の幾つかをYouTubeのライヴ映像とイメージ映像でお楽しみいただけたら幸いです。まず、何が起こっているのか自分では知らないうちに、ひとつの出来事が人生を大きく変えてしまうことを歌った「One More Dollar」。


続いて、宗教的な内容が歌われる「By The Mark」。CSで現在も放送されているジュールズ倶楽部(英BBC制作)に出演した際のライヴ映像で、リッキー・スキャッグスがマンドリンでゲスト参加していました。司会はスクイーズのキーボーディスト、ジュールズ・ホランドです。


少々音声の悪いライヴ映像で申し訳ございませんが、アルバム最後の曲、「Only One And Only」。


こちらもライヴ映像、「Annabelle」。


アルバムには収録されておりませんが、The Bandの名曲「Weight」をOld Crow Medicine Showと一緒に演奏している映像がありました。 今回はこの曲でお開きにしたいと思います。


Art Garfunkel - Breakaway

今回はアート・ガーファンクルの『Breakaway(愛の旅立ち)』を取り上げます。サイモン&ガーファンクルの来日は7月とまだ先のことですが、関西では新型インフルエンザ騒動のために幾つかのコンサートが中止になっているので少々心配です。何やらこのインフルエンザ・ウイルス、毒性が弱いので大騒ぎするほどのものではなく「政府は危機を煽リ過ぎ」、「経済的損失の責任は誰が取るんだ」との批判をメディアを通して耳にし、「インフルエンザなど寝てたら直る病気や。タミフルなんかいらんで。隔離は不必要」といった声も少なくありません。お医者様の中にもそういった見解をお持ちの方もおられるようです。でも、油断しているといつ強毒性に変異・進化して牙を向けてくるか分からないので十分留意しておくほうが懸命かと個人的には思います。政府の対策は大袈裟かもしれませんが、近いうちに必ず襲いかかって来るだろうと言われている「鳥インフルエンザ」のリハーサルとして受け止めれば決して無駄な措置ではなかったかと思うのです。一連の出来事から何を学び、どういう教訓を得て、どのような対応をして行くことのほうが大切ではないでしょうか。しかし、こういう発言をしていると「保守的」と揶揄されてしまいそうです。
そんな話はさておき、『Breakaway』は前回取り上げた『Angel Clare(天使の歌声)』に続くアートのセカンド・アルバム。1975年にリリースされました。プロデューサーはリチャード・ペリー。ハリー・ニルソン、カーリー・サイモン、リンゴ・スターと手掛けたアーティストは数知れず、当時は敏腕プロデューサーとして名を馳せました。その彼が「私の手掛けた作品の中で一番好きなのはアートの『Breakaway』だね」と言わせるほど充実した完成度の高いアルバムです。
前作に収録されていた「All I Know」でポール・サイモンとのコンビは解消しても友情は永遠であるといった具合に歌っていたアートですが、早速このアルバムで共演が実現しています。それもサイモンのほうから「ええ曲が出来たさかい使ってくれへんか」というふうに声を掛けてきたそうです。その曲は「My Little Town」。シングル・カットされて全米9位のヒットになりました。サイモンのアルバム『Still Crazy After All These Years(時の流れに)』(1975年)にも同時収録されています。
それではまず、アルバムからシンプルでキュートな「Rag Doll」。カーペンターズの1977年のヒット曲「All You Get From Love Is A Love Song」の作者として知られるスティーヴ・イートンの作品です。彼のオリジナル・ヴァージョンは『Hey Mr. Daydreamer』(1974年発表)に収録されていました。そして、前述したポール・サイモンとのデュエット・ナンバー「My Little Town」の2曲をお聴きください。





MY LITTLE TOWN
ちっぽけな町で
神の光は僕らみんなに注がれていると
俺は信じて育った
壁に忠誠を誓った時 神は俺をあてにしたものだ
やれやれ
いまだに俺はあのころの町を思い出す

学校が退けて家に帰ると
工場の門を通り抜けてバイクを飛ばす
お袋は洗濯をしていて
薄汚れた風の中で俺たちのシャツを干していた

雨が上がって虹がかかっても
真っ黒の虹
黒い虹なんかあるはずはなく
想像力が欠けているってことさ
すべてがあの頃のまま
俺の育ったちっぽけな街では 

生気も活気もない
俺の町はあのときのまま
よどみと滅び行くものだけの
マイ・リトル・タウン

ちっぽけな町では
俺は何の意味も見いだせなかった
あの親父の息子だからさ
金を貯め 名誉を夢見て
銃の引き金に当てた指のように
ぴくぴく震えながら生きていた

あばよ よどんだ滅び行くものの町
あの頃とおんなじさ
廃墟同然の俺の育った町


壁に向かって礼拝するという行為はエルサレムの「嘆きの壁」を連想させます。
サイモン&ガーファンクルが思春期を迎えていたであろう1950年代のアメリカではまだまだユダヤ人に対する差別が激しかったと推測されます。ニューヨークのクィーンズ地区という住宅地で育った彼らであっても屈辱的な思いをしたことがあったかもしれません。
真っ黒の虹とは工場の煙突から吐き出される煙で空気が汚染されていることを指しているのでしょう。工場だけが頼りで他の産業がないちっぽけな町。久しぶりに帰ってきた主人公が相変わらずの廃墟同然の光景を目にし、落胆した様子が描かれています。また、親からの自立、立身出世、思春期の少年が持つ父親への嫌悪といった感情も表現されていました。

その他の楽曲もYouTubeのイメージ映像とともにお楽しみいただければ幸いです。
アルバムの冒頭を飾る「I Believe (When I Fall In Love It Will Be Forever) 」。スティヴィー・ワンダーとイヴォンヌ・ライトが共作した1972年の作品。アートの力強い声が胸に迫ります。スティーヴィー本人の録音は「Taking Book」(1972年)に収録。


アルバムのタイトル曲「Break Away」。イギリスのデュオ・グループ、ギャラガー&ライルの書き下ろし作品です。ご本人たちのセルフ・カヴァーは1976年発表の『Breakaway』やベスト・アルバムに収録。ブログへの埋め込みが無効らしいので下記のアドレスをクリックしてください。
http://www.youtube.com/watch?v=sb4acvJpktc

ほのぼのとした雰囲気の「Disney Girls」。作者はビーチ・ボーイズのブルース・ジョンストンで、1971年に発表されたビーチ・ボーイズの『Surf's Up』や1977年にリリースしたソロ・アルバム『Going Public』に収録されていました。キャプテン&テニールも『Love Will Keep Us Together』(1975年発表)の中で取り上げています。その縁でしょうか、アートのこの曲のレコーディングにジョンストンとキャプテン&テニールのトニー・テニールも駆けつけていました。


ボサノヴァのカヴァーを1曲。アントニオ・カルロス・ジョビンのナンバーで「Waters And March」。アートのさりげない歌い方が印象に残ります。ジョビンのオリジナル・ヴァージョンは『Jobin』(1972年発表)に収録。


1959年にフラミンゴスが大ヒットさせ、Doo-Wopのスタンダードとなっているナンバー、「I Only Have Eyes For You」。アル・ダービンとハリー・ウォーレンが1934年に書いた作品です。フラミンゴスのヴァージョンは「Flamingos Serenade」(1959年)やベスト盤などに収録。アートの声の魅力が存分に引き出された曲です。ブログへの埋め込みが出来ないようなので下記のアドレスをクリックしてください。
http://www.youtube.com/watch?v=dLn1aUvB-fw

スティーヴン・ビショップ作の「Looking For The Right One」。ビッシュのセルフ・カヴァーは1978年発表の『Bish』やベスト・アルバムに収録。これもアートによく似合った選曲です。


バート・バカラックとのコンビでお馴染みのハル・ディヴィッド作詞、アルバート・ハモンド作曲の『99 Miles From L.A.』。ハモンドのヴァージョンは1975年リリースの『 99 Miles From L.A. 』、1977年発表の『When I Need You』に収録。アートの切ない声が哀感を誘うようです。


本日の友情出演はビッシュ。曲はもちろん「Looking For The Right One」です。


愛への旅立ち愛への旅立ち
(2004/02/25)
アート・ガーファンクル

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Blossom dearie - That's Just The Way I Want To Be

連日ネタ切れ、ネタ切れと叫んでいたところ、愛読している『レコード・コレクターズ』におあつらえ向きの特集があったので、ここは遠慮なく便乗させてもらうことにしました。
もう10年以上も前のことです。当時行きつけのレコード屋に入ると、とてもチャーミングな歌声が流れていました。その声に魅せられた私は、「これは誰ですか?」と店主に尋ねると、「ブロッサム・ディアリーや」との回答がありました。さらに店主は「ジャズ・ヴォーカルやけど、君みたいにクロディーヌ・ロンジェやフランソワーズ・アルディなんかのようなウィスパリング・ヴォイスが好きな人やったら気に入るかもしれへんな」とさりげなく薦めたのです。ジョニ・ミッチェルの「青春の光と影」が収録されていたこともあり私は迷わず購入。かくして愛聴盤となりました。ちなみに、そのCDは『That's Just The Way I Want To Be』(1970年発表)と『Give Him The Ooh-La-La』(1957年発表)をカップリングした日本編集盤『Whisper For You』です。

ウィスパー・フォー・ユーウィスパー・フォー・ユー
(1997/09/20)
ブロッサム・ディアリー

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今回は1970年にリリースされた『That's Just The Way I Want To Be』のほうを紹介したいと思います。
ブロッサム・ディアリーは1924年4月28日にニューヨーク州のイースト・ダーハムで誕生。5歳のころよりクラシックピアノを習い始め、ハイ・スクール時代にはジャズに興味を持ち、スクール・バンドでピアノを担当していました。ハイ・スクール卒業後はニューヨークに出てウッディ・ハーマン楽団のコーラス・グループに加入し、プロとしてのキャリアをスタートさせます。数々のコーラス・グループで経験を積んだ後にフランスへ渡り、ブルー・スターズというグループを結成して活動を始めました。ある時、プロデューサーでヴァーヴ・レコードの創設者でもあるノーマン・グランツと知り合い、彼に気に入られてソロ・シンガーとしてデヴューするきっかけをつかみます。すぐさまヴァーヴとの契約に至ってアメリカに戻り、1stアルバムを1956年にリリース。ヴァーヴには6枚のアルバムを残し、以降キャピタルやフォンタナなどのレーベルに移籍しながら順調にアルバムを制作して行きます。1974年には自身のレーベルであるダッフォディルを設立し、そこからも多くのアルバムを発表しました。1976年には来日公演を行っています。
1980年代はニューヨークやロンドンのクラブを中心に活動し、1993年にはホワイト・ハウスに招かれて歌いました。しかし、2006年頃に体調を崩して第一線から身を引き、2009年2月7日にグリニッジ・ヴィレッジのアパートの一室で静かに息を引き取ったとのことです。
この『That's Just The Way I Want To Be』は1970年にフォンタナからリリースされました。ジョン・レノンに捧げた「Hey John」、ダスティ・スプリングフィールドのことを歌った「Dusty Springfield」、ジョージ・フェイムへの「Sweet Georgie Fame」などロックやポップスのアーティストへの自作のトリビュート・ソングが収録されています。1970年代に入るとロック・ミュージックが台頭し、ポピュラー音楽の様相に変化が訪れました。ブロッサムはその時代の変化を読み取ったのか、英米の有名なアーティストを取り上げて歌にしていたことがとても興味深く思えます。

それではアルバムからタイトル曲の「That's Just The Way I Want To Be」、「エリナ・リグビー」を連想させるかのようなストリングスで始まり、スキャットが軽快な「Hey John」、心地よくスウィングする「Sweet Georgie Fame」、ジョニ・ミッチェルのカヴァー「Both Sides Now」、ストリングスが印象的な「Dusty Springfield」の5曲を聴いていただけたら幸いです。なお、再生中に楽曲の順序が前後する場合は誠に申し訳ございませんが一旦PCの更新ボタンをクリックし、改めて選曲してくださるよう宜しくお願い申し上げます。


Discover Blossom Dearie!



BOTH SIDE NOW
幾重にもなって流れる天使の髪
空に浮かぶアイスクリームの城
いたるところに羽の谷間
私はそんな風に雲を見てきた

でも今や雲は太陽を遮るだけのもの
あらゆる人の上に雨と雪を降らす
本当に多くのことが私には出来たかもしれない
でも雲が私の行く手を邪魔をしたのだ

私はいま 両側から雲を見ていた
上からも下からも どういうわけか
私が思い出すのは雲の幻影
私には雲がどんなものか少しも分からない

お月様と6月 そして観覧車
目眩がするほどに踊りまくる感覚のよう
おとぎ話が現実となる度に
私はそんなふうに恋を見てきた

でも今ではそんな恋は過去の出来事
去り行くあなたは人々の笑い者
あなたが気になっても
素振りを分からせちゃ駄目
本心をさらけ出さないで

私はいま 両側から恋を見てきた
与えたり奪ったり どういうわけか
私が思い出すのは恋の幻影
私には恋がどんなものかいまだに少しも分からない

涙と恐れ、そして誇らしげな気持ち
はっきりと大声で「愛しているわ」ということ
幾つもの夢と計画 サーカスの群衆
私はそんな風に人生を見てきた

でも今ではかつての友だちはおかしな振る舞いをし
頭を左右に振って 私が変わってしまったという
失われたものがあるけど得たものだってある
日々の暮らしの中で

私は両側から人生を見てきた
勝ったり負けたり そしてどういうわけか
私が思い出すのは人生の幻影
私には人生がどんなものかいまだに少しも分からない


ジョニ・ミッチェル自身のヴァージョンは1969年発表の『Clouds』に収録されています。

アルバムのラストを飾る「I Like A London In The Rain」です。ロンドンの街角の光景のイメージ映像とともにお楽しみください。




ザッツ・ザ・ウェイ・アイ・ウォント・トゥ・ビーザッツ・ザ・ウェイ・アイ・ウォント・トゥ・ビー
(2006/02/22)
ブロッサム・ディアリー

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青春の光と影青春の光と影
(2006/09/27)
ジョニ・ミッチェル

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The Beatles - I need you

ネタ切れでこの先どうしようかと悩んでおります。こうした苦しい時には神頼みならぬビートルズの話題を持ち出してお茶を濁すのが一番。出来うる限りの時間稼ぎをすることにしました。
さて、今回のお題はジョージ・ハリスン作の「I Need You」。ジョージが妻となるパティのことを想って書いた歌とされています。1965年リリースの『Help ! 』に収録されており、同名映画の挿入歌としても使われていました。
ビートルズ時代のジョージ・ハリスンの楽曲といえば「Something」、「Here Comes The Sun」、「While My Guitar Gently Weeps」などが有名ですが、リヴィングストン・テイラーの記事でも取り上げた「If I Needed Someone」同様、こうしたシンプルで地味な曲にもジョージの個性が発揮されており、ちょっぴり哀愁を帯びたメロディーが心に残ります。さらに切なさを誘うかのようなヴォリューム・ペダルの音が効果的でした。



I NEED YOU
どれだけ僕にとって君が必要か
君は気がついていないんだね
いつでも君を愛している
決して離さないよ
どうか戻ってきてくれ
こんなに寂しいことはないのさ
君が必要なんだ

君からひとつじゃなく
ふたつも話があるって言われ
こんなにうろたえるなんて
思いもしなかったよ
君の瞳を見つめてみても
そんなことは気づきもしなかった
君はこう言ったね

そう 君はこう言った
僕の愛はもう必要ないいんだと
僕が傷ついた瞬間さ
こんな気持ちじゃ
もうやってられないよ

僕がどんなに君を想っているのか
どうか思い出してくれ
君なしじゃ本当に生きていけないんだ
だから戻ってきてくれ
僕にとって君がどれだけ大切かわかってほしい
君が必要なんだ


ジョージがパティのことを想って書いたと前述しましたが、これでは何だか振られた女との復縁を懇願するような内容に受け取れます。これから奥さんになろうとしている女性に捧げたとはとても思えませんが、どうなんでしょうかねぇ。

HELP! - 4人はアイドルHELP! - 4人はアイドル
(1998/03/11)
ザ・ビートルズ

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ヘルプ!ヘルプ!
(2009/09/09)
ザ・ビートルズ

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Livingston Taylor - Over The Rainbow

申し訳ございませんが、再三にわたってリヴィングストン・テイラーを取り上げます。
今回紹介するアルバムは1973年リリースの3rd『Over The Rainbow』。これを最後にリヴはキャプリコーン・レコードを離れます。
このアルバムは2曲のカヴァーと9曲のオリジナル曲で構成されていました。カヴァーの1曲目はアルバムのタイトル曲でもある「Over The Rainbow(虹の彼方に)」。1939年にジュディ・ガーランド主演で制作された映画『The Wonderful Wizard Of OZ(オズの魔法使)』の主題歌です。エドガー・イップ・ハーバーグが作詞を担当し、ハロルド・アーレンが作曲したスタンダード・ナンバーで、今では世界中の人々に広く知られた名曲となりました。もう1曲のカヴァーはジョージ・ハリスン作のビートルズ・ナンバー、「If I Needed Someone」(1965年発表の『Rubber Soul』に収録)です。ビートルズの楽曲のイメージを損なわないままにもアコースティック・ギターのシンプルな演奏を主体としたリヴ独自のアレンジが施されていました。
これまでのアルバム同様、自分のこと、友だちのこと、恋人のことを誠実な人柄を表すかのように気取らず語りかけるような雰囲気の1枚です。サウンドはアコースティックな響きを基本としているもののカントリー、ゴスペル、R&Bの要素が窺われました。さらには前述の「Over The Rainbow」といったスタンダード・ナンバーも違和感なく歌いこなしています。おそらく幼少の頃からこうした音楽を聴いて育っていたので、リヴは素地や素養を自然と身につけ吸収していたのでしょう。
それではア・カペラで始まり、ゴスペル風のコーラスが印象的な「Loving In My New Horizon」、ブラス・セクションやコーラスがアーシーな「Pretty Woman」、姉のケイトも『Kate Taylor』(1978年発表)で取り上げた「Rodeo」、前述したビートルズ・ナンバー「If I needed Someone」の4曲をお聴きいただければ幸いです。再生中に曲順が前後するようなことがあれば、ご面倒ながら一旦PCの更新ボタンをクリックして選曲し直してくださるよう宜しくお願い申し上げます。



アルバムのタイトル曲である「Over The Rainbow」はライヴ映像でお楽しみください。リヴのコンサートでは必ずと言ってよいぐらい歌われているそうです。1993年にリリースされた『Good Friends』で再録され、1994年に発表されたライヴ盤『Unsolicited Material(持ち込み音源)』にも収録されていました。



時間があればジュディ・ガーランドの歌声もお聴きください。


OVER THE RAINBOW
虹を越えた空の彼方に
かつて子守唄で聴いた国があるという

虹を越えた空の彼方は空が青く
そこでは叶わぬ夢がすべて実現する

いつか星に願う
目覚めると雲を見下ろすところにいて
すべての悩みはレモンの飴玉のように溶け
煙突の先よりもずっと高いところにいる
私を人々が見つけるだろう

虹を越えた彼方に青い鳥が飛ぶ
鳥が虹の彼方に羽ばたけるのなら
私もきっと飛んで行けるだろう

幸せの青い虹を越えて小鳥が飛ぶのなら
私にだって飛べぬはずがない


このアルバム発表後にリヴィングストンは一時アルバムを制作するのを止めました。それから5年の歳月が過ぎ、CBS傘下のエピック・レコード移籍第一弾として『Three-Way Mirror』を発表したのは1978年のことです。
ということで、3回にわたってリヴのアルバムを取り上げましたがエピック移籍後の作品は日を改めて紹介したいと思います。

Over the RainbowOver the Rainbow
(1999/03/16)
Livingston Taylor

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持込音源(紙ジャケット仕様)持込音源(紙ジャケット仕様)
(2006/11/22)
リヴィングストン・テイラー

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Livingston Taylor - LIV

前回に引き続きリヴィングストン・テイラーを取り上げます。
今回記事にするのは1971年にリリースされたリヴの2nd『LIV』です。後にカウボーイを結成するトミー・タルトン(G)、ビル・ステュワート(Dr)、元アワー・グラスのポール・ホンズビー(P, Org)、後にクルセダーズに参加するロバート・ポップウェル(B)らキャプリコーンが誇る強者ミュージシャンがバックを務めていますがサザン・ロック特有の泥臭さは殆どなく、シンプルで洗練された雰囲気が漂う中、まだ青臭さが残る穏やかなリヴィングストンの歌声をしっかりサポートしているといった風情が窺えました。
粒ぞろいの楽曲ばかりなので、本当は全曲鑑賞していただきたいぐらいなのですが、取りあえずシングル・カットされた軽快な「Get Out Of Bed」を始め、「Truck Drivin' Man」、「Mom, Dad」、「On Broadway」の4曲を聴いてもらえれば幸いです。なお、再生中に曲順が前後する場合は一旦PCの更新ボタンをクリックし、改めて選曲し直してください。ご面倒をおかけしますが宜しくお願い申し上げます。



TRUCK DRIVIN' MAN
まだ子供だった頃 ママは俺に言った
ちゃんと勉強しなくてはいけないと
俺はトラックの運転手になりたいんだといったら
ままは泣き パパはため息をついて嘆いた
大きな車体と軋む車輪
俺が分かることはそれだけ
ママの愛なんて知ったことじゃない
俺はトラックの運転手

シアトルからメイコン デトロイトからリオ・グランテに
1万マイルの距離も俺の腕の中の大きなハンドルをもってすれば日曜のドライブさ
俺の右腕は鋼の輝きのように強く 左腕は真っ黒に日焼けしている
ママの愛なんて知ったことじゃない
俺はトラックの運転手

我が心のナッシュヴィル テュペロに向かうニ本道
どちらを選んだってかまわない
ただ大きな車輪の音を傍で聞いていたいだけさ


両親の期待を裏切って長距離トラックの運転手になった男の歌です。前回の記事で紹介しましたが、リヴは1stアルバムでも「Six On The Road」というドライヴァーズ・ソングを取り上げていました。ちなみにこのあと対をなすように、家を出て独立する少年の心情を歌う「Mom, Dad」に続いて行きます。こうしたアコースティック・ギターで歌われる楽曲を聴いていると兄貴のJTを彷彿とさせます。
最後の曲はアルバム唯一のカヴァー、「On Broadway」です。この曲はバリー・マン、シンシア・ワイル夫妻とジェリー・リーバー、マイク・ストーラーの共作で、ドリフターズのヴァージョンが1963年に全米9位、1978年にジョージ・ベンソンが全米7位のヒットを飛ばし(『Weekend In L.A.』に収録)、ボビー・ダーリン(1963年)、ナンシー・ウィルソン(1964年発表の『Today, Tomorrow, Forever』に収録)、ニール・ヤング(1989年発表の『Freedom』に収録)とカヴァーしているアーティストは枚挙に暇がありません。兄貴のJTも2008年リリースの『Covers』で取り上げていました。
この曲は「ブロードウェイでスターになるまでは決して諦めない」と歌われるのですが、音楽で身を立てることを決心した若き日のリヴの心の中にもそんな思いがあったのかもしれませんね。

バリー・マンもセルフ・カヴァーしていました。1971年発表の『Lay It All Out』に収録されています。30秒ぐらいでカットされてしまいますが、宜しければお聴きください。



LivLiv
(1999/06/22)
Livingston Taylor

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レイ・イット・オール・アウトレイ・イット・オール・アウト
(2000/08/25)
バリー・マン

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Livingston Taylor

知名度の低いアーティストばかりを取り上げているとこのブログのアクセス数が減少の一途を辿ることになりそうですが、ネタ切れ寸前なので細事は気にせず書いて行きます。
さて、今回登場の人はリヴィングストン・テイラー。ジェームズ・テイラーの弟さんです。
リヴィングストン・テイラーは1950年11月21日にマサチューセッツ州のボストンで生まれ、ノース・キャロライナ州のチャペル・ヒルで育ちました。幼少の頃より音楽に囲まれた環境に育ち、両親が集めていたフォーク・ソング、ジャズ、クラシックなどの多岐にわたるレコードに接し、しばしば家族全員が楽器を手にするキッチン・コンサートが開かれていたというエピソードが残っています。
そんな裕福な家庭であるにもかかわらず、兄ジェームズや姉ケイト同様、一時期を精神治療施設で過ごした経験があり、幸か不幸かそこで本格的にギターを学び作曲にも取り組み始めました。
ハイ・スクール卒業後は音楽の道に進む決心をし、地元のライヴ・ハウスで活動するようになりましたが鳴かず飛ばず。諦めかけていた時に知人の紹介で音楽評論家のジョン・ランドウと出会います。彼は後にブルース・スプリングスティーンのマネージャー兼プロデューサーとして名を馳せる人物です。
アーティストをプロデュースすることに興味を持っていたランドウはリヴィングストンの才能を見抜き、設立したばかりのキャプリコーン・レコードへ売り込みを掛けました。キャプリコーンの創始者で経営者でもあるフィル・ウォルデン(オーティス・レディングのマネージャーだった人)は交渉に応じ、リヴィングストンの才能を認めて契約することを決めました。こうしてリヴィングストンはデヴュー・アルバムを制作する機会を得たのです。

それでは1970年にリリースされた1stアルバムからシングル・カットされたカントリー・ロック風の「Carolina Day」、リンダ・ロンシュタットが1972年発表の『Linda Ronstadt』でカヴァーした「In My Reply」の2曲を聴いていただければ幸いです。


CAROLINA DAY
キャロライナの日には何かが起こる
良い構想と意味と韻を与えてもらい
ずっとはしゃいで歌いまくる
心がやすまりうまくいくのだ

そう、キャロライナの日
ローガン空港から飛行機に乗り
気分の高揚が楽しい時に語られる言葉を浮かばせる
リップルワインが発酵し
澄んでおいしい南部の空気にさらされる
我々はみんな笑い始め
人々はあの子たちは様子が変だと思いながらじっと見つめ始める
でも誰もが必要としている
キャロライナの日を待ちこがれていることを

キャロライナの日は朝も明けず
夜も暮れず
そうではなくて心のありようだ
朝に起きたら辺りを見回してごらん
君はニコニコ笑い
女の子と一緒にいる
君はここに留まっていたいかな
そうさ君はキャロライナの日にいる
今日は君のキャロライナの日

アレックとブレントは自分たちの子供を愛していた
ジェームズはスターになりつつある
ケイト姉貴はいつも笑ってばかり
弟のヒューは車をぶつけている
母親は嬉しく思いながら微笑んでいる
子供たちが家に帰ってきたのだから
そして 一番の親友のルイスが偶然訪れて
これでみんなが勢揃い

ああ 今日はキャロライナの日
CCハウスに急いで行こう
父親の真似をすることを思いつき
煙草を吸い、次に酒を飲み、それからマリワナを一服し、ハークとともにいたものだ
そのうち俺の頭がおかしくなって
精神科のシャイン先生の世話になった
お金と時間がたっぷりあった
何人かの友達が側にいてくれた
自分を取り戻せたと同時に
キャロライナの日が
俺を落ち込ませなかったと気づいたのだ


幼き時期を過ごしたノース・キャロライナを懐かしみ、一家のことや精神治療施設に入院していた頃の出来事や経験が赤裸々に描かれた歌です。それ故、思い入れがあるのでしょう。リヴィングストンは1993年発表の『Good Friends』で再録。1994年リリースのライヴ盤『Unsolicited Material(持ち込み音源)』にも収録していました。
アルバム全体の雰囲気としてはシンガー・ソング・ライターのアルバムらしく弾き語りが中心となっていますが、ジャズ、ブルース、カントリー、R&B的な要素も嗅ぎ取れ豊かな音楽性が窺えます。また、唯一のカヴァー「Six Days On The Road」はデイヴ・ダドリーの1963年のヒット曲で、カントリー・ロック風のファンキーなロックン・ロールに仕上げられていました。なお、この曲はタジ・マハール(1969年発表の『Giant step』に収録)、フェアポート・コンベンション(1973年発表の『Nine』に収録、フライング・ブリトゥ・ブラザーズ(1972年発表の『Last Of Red Hot Burritos』に収録)など多数のアーティストがカヴァーしています。

ということで手抜きしようと思っていたのですが、この曲も聴いていただきます。



さらにもう1曲。YouTubeに「Good Friends」のライヴ映像がありました。友情とはいかなるものかを歌った作品です。


なお、今回紹介した4曲のうちカヴァー曲を除く3曲のオリジナルは前述の『Good Friends』で再録音されています。

さて、最後にリンダ・ロンシュタットさんに音声のみですが友情出演していただきます。曲は「In My Reply」。リヴィングストンのヴァージョンとぜひ聞き比べてみてください。




Livingston TaylorLivingston Taylor
(1998/10/20)
Livingston Taylor

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Good FriendsGood Friends
(1993/06/23)
Livingston Taylor

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持込音源(紙ジャケット仕様)持込音源(紙ジャケット仕様)
(2006/11/22)
リヴィングストン・テイラー

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Linda RonstadtLinda Ronstadt
(1998/06/01)
Linda Ronstadt

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Marc Benno

ネタ切れのために比較的知名度が低いアーティストを苦し紛れで選びました。今回紹介する人はアメリカ南部テキサス出身のシンガー・ソング・ライター/ギタリストのマーク・ベノです。
マーク・ベノは1947年7月1日、テキサス州のダラスで生まれました。ダラスとはあのJFKが遊説中に命を落とした場所です。
レイ・チャールズやサム・クックに傾倒し、12歳で初めてギターを手にしたマーク・ベノ。15歳の頃にはプロとして活動を始めて幾つかのバンドを渡り歩くようになりました。
1966年頃にはピアニストでアレンジャーでもあるレオン・ラッセルと知り合い意気投合。ロサンジェルスでアサイラム・クワイアを結成します。彼らは1968年に『Look Inside The Asylum Choir』 を発表しますが鳴かず飛ばず。2ndの『Asylum Choir II』 (1971年発表)がリリースされる前年の1970年までには実質コンビが解消され、マーク・ベノはソロに転身する決意を固めました。
幸いリタ・クーリッジの推薦でA&Mと契約を交わし、1970年にソロ・デヴュー・アルバムのリリースに漕ぎ着けます。バンドでは成功に至らなかったマーク・ベノですが、レオン・ラッセルと活動したおかげで音楽面の成長のみならず人脈の幅を広げることが出来たのだと思われます。
この1stアルバムにはブッカー・T・ジョーンズ(ピアノ、オルガン)、ライ・クーダー(ボトル・ネック・ギター)、ヴェンチャーズのジェリー・マッギー(ドブロ・ギター)、エルヴィス・プレスリーのバック・バンドで名を馳せるジェリー・シェフ(ベース)、ジミー・カースタイン(ドラム)、ジム・ホーン(サックス、フルート)、そしてバック・グラウンド・ヴォーカルにプリシラ&リタ・クーリッジ姉妹らがまるでマーク・ベノの再出発の門出を祝うように参加していました。こうした腕利きたちに物怖じせず、堂々とした風情でギターを弾きながら歌うマーク・ベノには落ち着きと余裕が窺えます。

それではアルバムからスローでブルージーな雰囲気が漂う「Try It Just Once」、ホーン・セクションとオルガンが効果的な「Two Day Love Affair」。


アコースティックなナンバー、「Second Story Window」。


さらにもう1曲、こちらはアルバム・ジャケットの画像付きでご覧ください。


FAMILY FULL OF SOUL
パパのジョニー・ファイン・グラスは卵をただで配る
景気が悪いので彼は養鶏場を閉めてしまったのだ
ママは泣き叫んだ パパが博打で小作料を使ってしまったのだと
彼は宵越しの銭を持たぬ人
俺を楽しくさせて歌わせる

俺がお前の望みを叶えてやれるのは
ソウル溢れる家庭で育ったから
それで今の俺がいる

おじさんは店を持っていた
ササゲを毎日食べていたけど
大成功をつかんで引っ越して行った
今の彼はジョリーヴィルの夏を思い焦がれている
彼は過去に生きた人
俺を嬉しくさせて歌わせる

俺は自分の人生について考える 
今日をどのように生きるのか
こんな風にブルースを歌ってやって行けるんだろうか
パパ・ジョニーは俺に歌を教えてくれた
人間は自分が興味あることを歌わなければと
彼はその日暮らしの人
俺は嬉しくなって歌い始める


リタ・クーリッジ、プリシラ・クーリッジの姉妹によるゴスペル風コーラスが花を添えるリラックスした雰囲気の楽曲。アメリカ南部の人のおおらかさなのか、楽観的でポジティヴな生き方が何ともユーモラスに描かれています。都会でせわしなく生きる身にはとても羨ましく思われました。なお、リタ・クーリッジもこの曲を1971年発表の『Nice Feelin’』でカヴァーしています。
アーシーな雰囲気とポップな感覚が同居するマーク・ベノの音楽はシンガー・ソング・ライターというよりもスワンプ・ロックやルーツ・ミュージックの範疇に入れたほうが適切なのかもしれません。J.J.ケール、トニー・ジョー・ホワイト、ダン・ペン、ドン・ニックス、ジェシ・エド・ディヴィス、ロジャー・ティリソン、そしてマークのかつての相方レオン・ラッセル。そういった男臭さを漂わせるスワンプ・ロックのアーティストに比べてマーク・ベノの歌声は優しく繊細な印象を受けます。でも、けだるくナイーヴなヴォーカルは心に滲み渡るように残り、独特の魅力を発散させています。

マーク・ベノ(紙ジャケット仕様)マーク・ベノ(紙ジャケット仕様)
(2006/02/22)
マーク・ベノ

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Rita Coolidge/Nice Feelin'Rita Coolidge/Nice Feelin'
(2009/02/02)
Rita Coolidge

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アルバム・タイトル曲の「Nice Feelin'」もマーク・ベノの楽曲で、今回紹介した『Marc Benno』に収録されていました。

The Beatles - Rain

もはやネタが尽きて書くものがなくなりました。こういう時はビートルズでお茶を濁すことにします。
GW後半はぐずついたお天気が続き、連休直前の週間天気予報とは大きく様相が変化しました。そういうことで、まだ梅雨の季節に入っておりませんがビートルズの「Rain」を取り上げます。安易すぎる選択ですが、どうかご勘弁のほどを。

ザ・ビートルズが初めてテープの逆回転を導入したとしてあまりにも有名な「Rain」。当時としては斬新な楽曲だったようで、この後流行するサイケデリック・ミュージックの予兆を感じさせます。曲の出だしのリンゴのドラムとポールのベース・ラインが印象的。この曲はジョン・レノンとポール・マッカートニーの共作のようですが、ジョンの雰囲気が色濃く出ていました。ジョンは同時期に録音した「Tomorrow Never Knows」や「I'm Only Sleeping」(どちらも1966年8月5日発売の『Revolver』に収録)のギター演奏でもテープの逆回しを使っています。
「Rain」はシングル「Paperback Writer」のB面として1966年5月1日(6月説もあり)にリリースされ、オリジナル・アルバムに収録されていません。シングルはオリジナル・アルバムに入れないとの方針があったそうで、現在は編集盤『Past Masters Vol.2』(1988年3月7日発売)にて聴けます。と言いながらも、『Revolver』収録のYellow Submarine / Eleanor Rigby(1966年8月8日発売)はしっかりシングル・カットされているんですがね・・・。

アメリカCBSで1948年から1971年に放送されていた「エド・サリバン・ショー」に送ったヴィデオ・クリップだそうです。


RAIN
雨が降り出すと
みんな頭を覆って走り出す
まるで雨に当たると死ぬかのようだ
雨が降り出すと

お陽さまが照りつけると
みんな木陰に避難し
レモネードをすする
お陽さまが照りつけると

雨が降っても俺は気にしない
太陽が出れば天気がいいってだけのこと

教えてやろうか 雨が降り出したって
何が変わるわけでもない
それは確かさ 雨が降り出してもね

俺の言ってることが分かるかい
雨が降ろうと太陽が照ろうと
すべて気の持ちようってことだ
分かるかい 俺の言ってることが聞こえるかい


雨が降ろうが太陽が照らそうが関係ないとのぶれない姿勢に好感を持てますが、現状に照らし合わせると酸性雨と熱中症のことがふと頭の中をよぎりました。少々穿った見方でしょうか。環境問題を考えると、細事にはこだわらぬという気持ちにはなかなかなれないものです。このままでは月形半平太のように「春雨じゃ、濡れて参ろうか」と粋な言葉を口に出せなくなるかもしれません。京都は霧雨が多く、雨の風景が、時に風流にも思えるものですから。

そんな暗くなるような話はさておき、今度はA面の「Paperback Writer」に続けて「Rain」を観ていただければ幸いです。


スティーヴ・マリオットが率いるハンブル・パイも取り上げていました。ビートルズとはまた違って、ルーズでけだるいサウンドとマリオットの情感を込めた狂おしいほどのヴォーカルが胸を打ち心に残ります。1975年発表の『Streets Rats』に収録。


パスト・マスターズVol.2(期間限定)パスト・マスターズVol.2(期間限定)
(2007/10/31)
ザ・ビートルズ

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ザ・ビートルズのリマスター盤は2009年9月9日発売予定。

ストリート・ラッツ(紙ジャケット仕様)ストリート・ラッツ(紙ジャケット仕様)
(2009/04/22)
ハンブル・パイ

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Patti Smith - Because The Night

今回もしつこくサンディ・デニーを続けようと思ったのですが、私はとても気まぐれな人なので、一時中断して本来のブログの趣旨である70年代ロックに戻ります。
誰を取り上げようかと持ち駒の少なさに嘆きながら考えあぐねた結果、手を伸ばせば希望に手が届くような錯覚を覚えていた頃に大好きだった曲を記事にすることにしました。その曲はパティ・スミスの「Because The Night」。ブルース・スプリングスティーンと共作した曲です。
パティ・スミスは1946年12月30日にイリノイ州シカゴで生まれました。ごく普通の家庭に育ち、一家は彼女が4歳の時にフィラデルフィア州へ、8歳の頃にはニュージャージー州の田舎町に引っ越しています。
彼女はボブ・ディラン、ジミ・ヘンドリックス、ザ・ドアーズ、ザ・ヴェルヴェッド・アンダーグラウンド、ザ・ローリング・ストーンズらのロック・ミュージックを好み、アートや演劇に夢中になり、アルチュール・ランボーの詩に影響を受けるといった多感な時期を過ごす中で芸術に興味を持ちのめり込んで行きます。しかし、美術学校に入学するものの周囲の環境に馴染めずドロップ・アウト。在学中に教授と恋に落ちて妊娠し、未婚の母になるもののその子供を養子に出すという辛い経験もしています。
そうした荒んだ生活にやり切れなさを感じ、1967年のある時これといった目的もなくニュー・ヨークに旅立ちました。友人のアパートをあてにして転がり込むも既にその友人は引っ越した後。そこにはまだ若き頃の写真家ロバート・メープルソープが住んでいました。彼は快くパティを受け入れ、共同生活が始まります。また、一説には芸術への夢を捨てきれずに僅かのお金を握りしめてニュー・ヨークの芸術学校にやって来たパティを同級生で意気投合したメープルソープが不憫に思って自分の部屋に招き入れたとも言われています。メープルソープがゲイであったためか、恋愛関係に発展することなく二人は良き友、同志としてその後も1989年にメープルソープが亡くなるまで交流が続きました。
やがてパティはメープルソープとともに「チェルシー・ホテル」に引っ越すことが出来ました。古くは作家のマーク・トゥエイン、アーサー・ミラー、詩人のディラン・トーマスらを始めとして、ボブ・ディラン、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリンら数々のロック・アーティストが住み、そこからを巣立って行ったことで有名な伝説のホテルです。パティにとって憧れの人々が居住した同じ住まいに入居できたことは感慨ひとしおといったところだったと思われます。
パティにもそこでチャンスが訪れました。ボブ・ディランの取り巻きでロード・マネージャーでもあったボブ・ニューワースと知り合うことが出来たのです。ボブ・ディランそっくりの格好をしてチェルシー・ホテルを出入りしているパティが気になったニューワースが彼女に声を掛けたという逸話がありますが、真偽のほどは分かりません。ニューワースはパティの詩をいたく気に入り、伴奏を付けて歌うことを提案しました。また、パティはこの時期チェルシー・ホテルに住んでいた劇作家のサム・シェパードとも顔見知りになり、戯曲を共同執筆しています。ちなみにサム・シェパードは俳優としても有名で、代表作にはリチャード・ギアと共演した『天国の日々』(1978年)、トム・ウルフ原作の『ライトスタッフ』(1983年)、ヴィム・ベンダース監督作品の『アメリカ、家族のいる風景』(2005年)など数多くの映画に出演していました。なお、パティはメープルソープと男女の関係になることがなかったようだと述べましたが、この2枚目俳優とはしっかり恋仲になったそうです。
ボブ・ニューワースとの縁でパティは1975年のボブ・ディランの「ローリング・サンダー・レヴュー」にも飛び入り出演し、ディランとの親交がこの頃から始まったとされています。
ある時はストリートで、ある時は教会の中庭でエレキ・ギターの伴奏を付けて自作の詩を朗読し始めたパティは自主制作でシングル盤をリリース。マス・メディアの注目するところとなり、レコード会社からもオファーが来るようになりました。そして、1975年にアリスタ・レコードと契約を交わし、ついにデヴューのチャンスをつかみ取ったのです。少々サイケデリックな雰囲気がありながらもシンプルな演奏に自作の詩を載せたスタイルが中心に披露された1stアルバム『Horses』はジョン・ケイル(元ヴェルヴェット・アンダーグラウンド)がプロデュースを担当し、ジャケット写真はロバート・メープルソープが手掛けていました。
マス・メディアの話題を呼び、評論家に絶賛されて『Horses』は順調な売り上げを遂げて一躍スターダムへと駆け上がったパティですが、1976年に発表したセカンド・アルバム『Radio Ethiopia』は前衛的でヘヴィーでノイジーな音作りが災いしたのかセールスが伸びませんでした。さらに不運なことにその年の暮れ、パティはステージから転落して大怪我を負い1年以上の静養を余儀なくされます。起死回生を図るためアリスタ側はブルース・スプリングスティーンとの共作を提案。そうして1978年、「Because The Night」が誕生したのです。パティは当初ブルースとの仕事にあまり乗り気ではなかったもののヒット作となり、この曲が収録された『Easter』も好調な売れ行きを示しました。

私がパティ・スミスに興味を持ったのは高校生の頃です。ボブ・ディランに影響を受けた「パンク・ロック」の女性アーティストとして彼女のことがメディアで話題になっていました。ラジオで少しだけ彼女の音楽を耳にした時、その頃好きだったジョニ・ミッチェルやローラ・ニーロといった女性アーティストとははかなり違う音だと感じたのですが、ちょうどアルチュール・ランボーという詩人が気になり始めた時期のこと、パティの歌が何か心に残り啓示を受けたような感覚を覚えたのです。早速レコード店に走りパティの1st『Horses』を買い求めました。続く2nd『ラジオ・エチオピア』は前衛的過ぎて好みに合わず何度も針を降ろすことをしなかったのですが、「Because The Night」が収録された3rd『Easter』は冒頭で述べたようにほとばしるものを受け取りました。

BECAUSE THE NIGHT
さぁ好きにしてちょうだい
私はこの通りよ
もっと私を傍らに引き寄せて
心の中まで理解してね
情欲は私がささやく炎
愛は私たちが供給する宴
あなたに抱かれて
いま私がどんな気持ちでいるのか分かってね
私の手を取り 秘密の行いをして
もう誰もあなたを傷つけない
もう誰もあなたを傷つけない
もう誰もあなたを傷つけないのよ

だって夜は恋人たちのものだから
だって夜は情欲に相応しいものだから
だって夜は恋人たちのものだから
だって夜は私たちのものだから

ひとりぼっちでいるときに疑ってみるの
愛はリング、愛は電話
愛は情欲のような天使の偽装
朝がやって来るまで私のベッドにいてちょうだい
あなたの意のままの
いまの私がどんな気持ちでいるのか分かってね
太陽が沈めば私の手を取って
もう誰もあなたに触れられない
もう誰もあなたを触れられない
もう誰もあなたを触れられないのよ

だって夜は恋人たちのものだから
だって夜は情欲に相応しいものだから
だって夜は恋人たちのものだから
だって夜は私たちのものだから

愛とともに私たちは眠る
疑いとともに悪意に満ちた世界が変化して燃え尽きる
あなたなしでは私はもう生きられない
許してね 燃える切ない思い
私はその時を信じる リアルすぎて感じることが出来ないけれど
だから私に触れて
私に触れて
さあ私に触ってよ

だって夜は恋人たちのものだから
だって夜は情欲に相応しいものだから
だって夜は恋人たちのものだから
だって夜は私たちのものだから

恋人同士の今夜だから
もし私たちがその夜を信じるのなら





どこかのTVショーからの映像でしょうか、アコースティック・ギターをバックに歌われます。ますます歌心が伝わってくるような感じがしました。


ブルース・スプリングスティーンさんにも「友情出演」してもらいましょう。クールなパティ・スミスと比べて、情感豊かに表現するボスのステージは迫力がありますね。なお、パティ・スミスのヴァージョンとは一部歌詞が異なります。


R.E.M.のマイケル・スタイプさんにも登場してもらいました。ボスとの共演は胸に迫るものを覚えます。


イースターイースター
(2008/10/22)
パティ・スミス・グループ

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