好きな音楽のことについて語りたいと思います。

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Sandy Denny - sandy

ブログを始めて半年以上が過ぎ、毎日更新しているわけではありませんが早くもネタが尽きてしまったような気がします。というわけで、前回に引き続きサンディ・デニーを取り上げることにしました。
今回紹介するのは1972年発表のサンディ・デニーの2ndアルバム『Sandy』です。トラッド色が濃い印象を受ける曲「Quiet Joys Of Brotherhood」、「It Suits Me Well」がある反面、前作よりも重苦しさが薄れ、アラン・トゥーサンがアレンジを担当した曲「For Nobody To Hear」やスニーキー・ピート・クレイナウ(フライング・ブリトゥ・ブラザーズなどで活躍。2007年逝去)がペダル・スティール・ギターで参加した曲「It'll Take A long Time 」、「Tomorrow Is A Long Time」があり変化を持たせています。嫌みにならない程度のストリングスの導入やリチャード・トンプソンが奏でるマンドリンも効果的でした。
ジュディ・コリンズ、ジョニ・ミッチェル、ニール・ヤングらを彷彿させるようなメロディーやサウンドを時折感じますが、全体的にフォークやアメリカン・ポップスへの志向が窺われます。

まずアルバムのオープニング・ナンバー「It'll Take A Long Time」。トラッドというよりもカントリー・ロック風、あるいはニール・ヤングを思わせるようなサウンドに仕上げられています。


ボブ・ディランの「Tomorrow Is A Long Time」のカヴァー。スニーキー・ピートのペダル・スティール・ギターがサンディーの歌唱を引き立たせています。ちなみにディランのオリジナルは1971年発表の『Greatest Hits Vol.2』に収録されています。


ヴォーカルにオーヴァー・ダビングを施し、デイヴ・スウォーブリックが奏でるヴァイオリンのエンディング以外は無伴奏で歌われる「Quiet Joys Of Brotherhood」。アイルランドのトラディショナル曲ですが、歌詞はリチャード・ファリーニャの詩を載せています。静寂の中に響き渡るサンディの歌声に圧倒されるとともに心が洗われるような気がしました。なお、リチャード・ファリーニャはアイルランドとキューバの血を引くアメリカ人で、ジョーン・バエズの妹であるミミと夫婦デュオを組み、1960年代のニューヨークのフォーク・シーンで活躍しました。1966年に逝去。ミミも2001年に癌で亡くなっています。


Quiet Joys Of Brotherhood
ゆるやかな波が海の岸辺に打ち寄せ
砂と一緒に混ざり合ってひとつの色になる
風の音が絡み合い 遠くまで送られる
友愛の平穏な喜び 愛はすべてを見守る主

楢の大木も雑草も同じ大地に生えている
雌馬も種馬も 白馬も青毛の馬も
鳴り響く蹄の音は同じ
七色の虹の光景 色とりどりに調和した花
今なお私の心を虜にする
友愛の平穏な喜び 愛はすべてを見守る主

でも人間は潮流を分けて進んで海を荒らし
楢の大木を地面に切り倒した
私には自然からのうんざりした声が聞こえ
種馬が走り出す
薔薇が血を流し
風の囁きはほとんどない
流れ出す砂が思い起こさせる
愛がすべてを見守る主であったころを


ポップな仕上がりで、ストリングスの使われ方が効果的な「Listen, Listen」。紙ジャケット仕様の再発CDにはボーナス・トラックとしてフランス語ヴァージョンも収録されており、ヨーロッパ市場での展開も念頭に入れられていたようです。


カントリー・ロック的なサウンドながらそこはかとなく気品が感じられる「Bushes and briars」。


トラッド色の色合いが濃いが重苦しい雰囲気はなく、むしろフォーク・ロックに近い感触が窺える「It Suits Me Well」。オルガン・フルートかピアニカと思われる音色が印象的です。


ピアノの弾き語りで歌われる「The Music Weaver」。フェアポート時代の同僚であり親友であるリチャード・トンプソンに捧げられた曲です。


今回はYouTubeの映像だけを使って手抜きをしようと思ったのですが、アラン・トゥーサンがブラスセクションのアレンジをした「For Nobody To Hear」の画像や音源がなかったので手持ちからアップしておきました。何となくザ・バンドを思わせるような仕上がりで、意識しているのかどうかは分かりませんが、リチャード・トンプソンのギターもどこかロビー・ロバートソンのような雰囲気を感じさせます。


このアルバムのプロデュースは夫のトレヴァー・ルーカス。気心の知れたミュージシャン仲間に囲まれてまさに夫唱婦随、いや「婦唱夫随」で作り上げた1枚でした。

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Sandy Denny - The North Star Grassman And The Ravens

ブログの開設以来ほとんどアメリカのアーティストばかり取り上げてきましたが、ザ・ビートルズ以外のイギリス人をたぶん初めてメインで記事にすることにします。もっともザ・モンキーズのディヴィ・ジョーンズはイギリス人でしたが、バンドのメンバーのひとりだったので単独でイギリス人を扱うのは初めてかと思います。
今回登場するのはサンディ・デニー。ブリティッシュ・フォーク・ロック、あるいはブリティッシュ・トラッドの歌姫と称された女性シンガーです。
サンディ・デニーは1947年1月6日にロンドンで生まれました。父方の祖母はバラッドの語り手だったとのことです。このことはサンディの音楽的基盤に大きな影響を与えていると思われます。
バラッドとは物語や寓意のある歌のことで、詩の語りや、語るような曲調が韻文で表現されます。内容は歴史物語あり、ロマンスあり、社会風刺ありと多岐にわたりますが、悲しい結末に終わるものが多いようです。バラッドには幾つかの種類がありますが、17~18世紀のイギリスやスコットランドから伝承されたものが源流となってアメリカ民謡やカントリ・ミュージックに受け継がれて行ったとされています。イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」もこの体裁を取っていると言われており、トラッドのアーティストの楽曲のみならず英米のロックやポップスにはこうした伝統を踏まえたものが数多く見受けられます。

1965年頃にフォーク・クラブで歌い始めたサンディ・デニーは1967年2月にザ・ストローブスの前身であるストロベリー・ヒル・ボーイズに参加。1968年5月にはフェアポート・コンベンションに加わります。在籍時には『What We Did On Our Holidays』 (1969年発表)、『Unhalfbricking』 (1969年発表)、『Liege And Lief』 (1969年発表)と3枚のアルバムを録音しましたが、1969年11月、方向性の違いを理由に僅か18ヵ月で脱退してしまいました。
1970年、サンディは夫のトレヴァー・ルーカスらとフォザリンゲイを結成するものの『Fotheringay』 (1970発表)という1枚のアルバムを残して解散。サンディはソロ・シンガーに転じます。なお、2008年に突如フォザリンゲイ名義の『2』という2ndアルバムがリリースされ話題となりました。これは1970年に録音されていたもののバンドが解散したためにお蔵入りになっていたアルバムです。
フォザリンゲイというバンド名はエリザベス女王の暗殺を企てた疑いでフォザリンゲイ城に幽閉された後に処刑された悲劇のスコットランド女王メアリー・ステュアートに因んだものとされています。
ソロとなったサンディは『The North Star Grassman And The Ravens』、 (1971年)『Sandy』 (1972年)、『Like An Old Fashioned Waltz』 (1974年)と3枚のアルバムを順調にリリース。1973年から1974年にはフェアポート・コンベンションの世界ツアーに同行し、東京でも公演が行われました。こうして一時的にフェアポートに復帰しましたが、プロデューザーと意見が合わず『Rising For The Moon』 (1975年)発表後に再びグループを離れます。
ソロ活動に戻ったサンディは1977年に『Rendezvous』を発表しますが、翌1978年4月17日に階段を踏み外し転落、4日後の4月21日に31歳でこの世を去りました。

今回は1971年にリリースされたサンディ・デニーの1st『The North Star Grassman And The Ravens(海と私のねじれたキャンドル)』を紹介します。全体的に物憂げな雰囲気が漂いながらも彼女のオリジナル曲とカヴァーとトラッドがバランスよく収められていました。プロデュースはサンディ自身とフェアポート・コンベンション時代の同僚リチャード・トンプソン、そして録音技師のジョン・ウッドの3人によるものでした。また、夫のトレヴァー・ルーカスもギターで参加しています。

まず、オープニング・ナンバーの「Late November」をお聴きください。


Late November
ワインは空になり、船は沈んでしまった
弾丸が命中し、悲しみは消えてしまった
鳥は雲になり、花嫁と経帷子
我々が南に進むほど霧は深まって行った

緑の峡谷から小川に向かい
蛇が動いても 言葉を発する者はいなかった
川の深さや私たちを動揺させる橋が
忌まわしい日を思い出させた

寺院は奇妙な生き物で溢れていた
あるものは海辺で成り行きに任せていた
あるものは見つけられたが他の多くは沈んでしまった
涙が流されたが私にはもたらされなかった

狂気の方法論、哀れみと悲しみ
狂人と賢人に神のご加護あれ
黒と白 夜の闇
目に入るのは煙突が吐き出す煙だけ

空を越えてやって来たパイロットが私を起こした
彼は水銀の海を単独飛行したのだ
背の高い褐色の人々が夢に現れた
リンの砂の上で神聖な若者が集まっている


バラッドの影響が窺える曲です。私のように感性が鈍化した人間に取っては少々難解で、何が表されているのかよく分かりません。まさか仏教的な考え方が示されているわけではないと思われますが、哀愁や諦観というよりも、何となく「諸行無常」、「もののあはれ」に通じるものを感じてしまいました。

続いてトラッド・ナンバー「Blackwaterside」。


カヴァー曲を2曲。ボブ・ディランの「Down In The Flood」(1971年発表の『Greatest Hits Vol.2』に収録)、ブレンダ・リーの「Let's Jump The Broomstick」(1961年発表)です。サンディーはディランを尊敬しており、フェアポート時代からディランのナンバーを歌っていました。ロカビリー調のブレンダ・リーのヒット曲のカヴァーはファポート時代の同僚でこのアルバムの共同プロデューサーでもあるリチャード・トンプソンが選曲したもので、アップテンポが苦手なサンディに新境地を開かせようとしたらしいとのことです。

Discover Sandy Denny!


アルバムのラスト・ナンバー「Crazy Lady Blues」のスタジオ・ライヴ映像。親友でもあるリチャード・トンプソンのことを歌ったとされています。



少々音声が乱れる箇所がありますが、「The North Star Grassman And The Ravens」、「Crazy Lady Blues」、「Late November」のスタジオ・ライヴ映像。ジョニ・ミッチェルを思わせるような雰囲気です。埋め込み無効ということなので、下記のURLをクリックしてください。
http://www.youtube.com/watch?v=0Rd_gMrmf6g

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Paul Williams - Rainy Days And Mondays

A&Mレコードのアーティストばかりが続きますが、引き続き今回もA&Mに在籍した人を記事にします。その人はポール・ウィリアムス。前回のカレン・カーペンターと関わりが深い人でもあります。
1940年9月19日にネブラスカ州で生まれたポール・ウィリアムスは少年時代から劇団に入って俳優の活動を開始します。1965年公開の映画『Loved One』での演技の表現力が買われ、翌1966年の『The Chase(逃亡地帯)』(マーロン・ブランド、ロバート・レッドフォード主演)に出演する機会を得ました。この映画の撮影の合間に他人からギターを借りて弾いたことがきっかけとなって作詞・作曲に興味を持ち始めたと言われています。また、同時期である1965年には「モンキーズ・ショー」のオーディションを受けるものの不合格となりました。
こうして俳優の仕事の傍ら曲作りを始めたポール・ウィリアムスは1967年にビフ・ローズというコメディアン兼シンガー・ソング・ライターと知り合い共同作業を行うようになりました。2人は共作した7曲をA&Mレコードの音楽出版部門であるアルモ/アーヴィング・ミュージックに持ち込み、担当マネージャーのチャック・ケイに聴かせます。チャック・ケイは7曲の中の3曲を採用しますが、ウィリアムスの詞をいたく気に入り、彼をアルモ/アーヴィング所属の作曲家ロジャー・ニコルズに引き合わせました。なお、相方に振られた格好のビフ・ローズもシンガー・ソング・ライターとしてデヴューすることが叶い、1968年発表の1st『The Thorn In Mrs Rose's Side』にはウィリアムスとの共作曲「Fill Your Heart」を収録しています。彼は以降も数枚のアルバムをリリース。現在もオレゴン州ユージンを拠点にして地道に活動を続けているようです。
こうして巡り会ったポール・ウィリアムスとロジャー・ニコルズは意気投合。二人はコンビを組むことになりました。彼らが最初に書いた曲は先日紹介しましたクロディーヌ・ロンジェの「It's Hard to Say Goodbye」です。
この頃ニコルズはスモール・サークル・オブ・フレンズというグループを組んでいましたが、1枚のアルバムを残してほどなく解散。ポール・ウィリアムスも弟のメンター・ウィリアムスやジェリー・シェフ(エルヴィス・プレスリーのバック・バンドのベーシストとして名を馳せる。スタジオ・ミュージシャンとしての経歴も豊富)らとホリー・マッカレルというバンドを結成し、1968年にはリチャード・ベリーのプロデュースでアルバムをリリースするものの解散の憂き目に遭います。
やがて二人は本格的にソング・ライターとしてのチームの活動を始めます。数々のアーティストに彼らが作った楽曲が次々と採用されるようになりましたが、最初のヒット曲は皮肉にもモンキーズに提供した「Someday Man」(1969年5月、全米81位)でした。さらに、翌1970年にはスリー・ドッグ・ナイトが「Out In The Country」(全米15位)を、カーペンターズが「We've Only Just Begun」(全米2位)をヒットさせます。ことにカーペンターズはこの後も「Rainy Days And Mondays」(1971年、全米2位)、「I Won't Last A day Without You」(1974年、全米11位)などニコルズ=ウィリアムスの作品を取り上げてヒット・チャートに送り込んだことは言うまでもありません。
この余勢を駆って1970年にはポール・ウィリアムスにもソロ・アルバムをワーナー・リプリーズから発表するチャンスが回ってきます。『Someday Man』と名付けられたそのアルバムは全曲をニコルズ=ウィリアムスの楽曲で構成し、ストリングスを効果的に配し凝ったアレンジを施したスモール・サークル・オブ・フレンズを連想させるようなサウンドに仕上げていました。
この後ポール・ウィリアムスはA&Mに移籍。ソロ2作目の『Just An Old Fashioned Love Song』(1971年発表)ではシンガー・ソング・ライターが脚光を浴びていた時代背景を意識したのか、簡素な伴奏とシンプルな音作りを心掛けながら語るように歌っていました。その傾向は翌1972年発表の『Life Goes On』でも引き継がれ、そのことだけが原因ではないもののニコルズとの関係が次第に悪化してコンビが解消されます。
ポール・ウィリアムスは順調にアルバムを発表し続け、活動の場を映画音楽にまで広げて行きました。ジョン・ウィリアムズとテーマ曲「Nice To Be Around」を共作した『Cinderella Liberty(シンデレラ・リバティー)』(1973年公開)、当時14歳のジョディ・フォスターの妖艶な演技が注目された『Bugsy Malone(ダウンタウン物語)』(1976年公開)、バーブラ・ストライザンド、クリス・クリストファーソン主演の『A Star Is Born(スター誕生)』(1977年公開)のテーマ曲「Evergreen」、カエルのカーミットが活躍する『The Muppet Movie』(1979年公開)のテーマ曲「Rainbow Connection」など多数の作品を手掛けています。
また、ブライアン・デ・パルマ監督(1987年公開の『The Untouchables』、1996年公開『Mission: Impossible 』などが有名)による『Phantom Of The Paradise(ファントム・オブ・ザ・パラダイス)』(1974年公開)では音楽担当のみならず昔取った杵柄か、俳優としても出演。レコード会社の社長役を演じていました。
1980年代以降は体調を崩して活動を休止していたポール・ウィリアムスですが、1995年にかつての相棒ロジャー・ニコルズが「サークル・オブ・フレンズ」名義でリリースした『Be The Gentle Of Friends』に客演して再録された「Rainy Days And Mondays」を披露。1997年には日本のパイオニアLDCから『Back To Love Again』を発表し、俳優業も粉しながらマイペースで活動を続けています。

ポール・ウィリアムスが書く詞はシンプルな言葉で表現されたラヴ・ソングが中心です。恋の喜びや悲しみ、人生の機微といったものが、聴き手の心の中に滲み込んで来るような感覚で表現されています。幼き頃に一家が離散するという境遇の中で少年時代から一筋に打ち込み、一時的に注目されるものの鳴かず飛ばずだった俳優業。小柄で小太りという決して恵まれているとは言えない容姿。そうしたことから培われた人生経験が歌詞に込められているのでしょう。朴訥で誠実そうな人柄と相まって、他人への思いやりや幸福の意味などが伝わってきます。

それではまず、「Someday Man」とカーペンターズでお馴染みの「We've Only Just Begun」(1971年発表の『Just An Old Fashioned Love Song』に収録)をお聴きください。後者は希望に満ちた新婚生活をスタートさせたカップルの姿が描かれた作品です。カーペンターズのヴァージョンとは違い、地味ながらも情感を込めて歌われています。




この曲はもともと銀行のCM用に作られた曲です。明るく爽やかなカーペンターズのヴァージョンに近い躍動感が窺えるサウンドに仕上げられていました。


アート・ガーファンクルに取り上げられた「Traveling Boy」(1972年発表の『Life Goes On』収録)。恋人に背を向けて旅する青年の心情が綴られた作品です。アートのヴァージョンは先日紹介した『Angel Clare』に収録されていました。


アルバム『Life Goes On』からもう1曲。カーペンターズでヒットした「I Won't Last A Day Without You」です。都会の中のやるせない職場であってもパートーナーさえいれば癒され、本当の自分を取り戻して乗り切って行けるという意志が表されていました。


カーペンターズのヒットで有名な「Rainy Days And Mondays」(1974年発表の『Here Comes Inspiration』に収録)。しっとりしながらも爽やかなカーペンターズのヴァージョンとは異なり、物寂しげな雰囲気が漂っています。

Rainy Days And Mondays
独り言を言うなんて年を取ったなぁと思う
何も上手くいかない感じがして
ただぶらぶらするだけで
しかめっ面する以外に何もない
雨の日と月曜日は
いつも落ち込んでしまうんだ

人がよく言う憂鬱だという気分さ
どこが悪いってことはないのに
なんだか場違いなところにいる気がして
あちこち歩き回る
寂しい道化みたいに
雨の日と月曜日は
いつも落ち込んでしまうんだ

おかしいんだけど
気がつけばいつもここで君と一緒にいるよね
誰かに愛されているって素敵なこと
おかしいんだけど
唯一できることと言ったら
愛してくれる人を見つけて駆けつけることなんだ

いままでに何度もこんな感情を味わった
話すまでもないことさ
もう分かりきったこと
ただぶらぶらするだけで
しかめっ面する以外に何もない
雨の日と月曜日は
いつも落ち込んでしまうんだ


再び「Rainy Days And Mondays」。前出のロジャー・ニコルズがA Circle Of Friends名義でリリースした『Be Gentle With My Heart』に客演したヴァージョンです。


最後はカーペンターズの皆様に友情出演を願います。曲はもちろんニコルズ=ウィリアムス作の「Rainy Days And Mondays」です。


ユア・ソング~ポール・ウィリアムスユア・ソング~ポール・ウィリアムス
(2007/04/11)
ポール・ウイリアムス

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Karen Carpenter

図らずもクロディーヌ・ロンジェ、ザ・サンド・パイパーズと初期A&Mレコーズを代表するアーティストを紹介してきましたので、今回はそのA&Mの大看板だったザ・カーペンターズを取り上げることにしました。しかし、カーペンターズを扱ったブログの記事については星の数ほど存在します。というわけで、私は比較的論じられているのが少なそうなカレン・カーペンターの唯一のソロ・アルバムについて語ってみたいと思います。
リチャード・カーペンターが睡眠薬依存症の治療のために休養を余儀なくされた1979年、カレンはニュー・ヨークに渡りフィル・ラモーンをプロデューサーに迎えてソロ・アルバムを制作することを決意しました。フィル・ラモーンはポール・サイモンの『Still Crazy After All These Years(時の流れに)』(1976年発表)やビリー・ジョエルの『Just The Way You Are(素顔のままで)』(1979年)、『52nd Street(ニューヨーク52番街)』(1980年)などのアルバムのプロデューサーとして有名ですが、彼がプロデューサーとして関わったアーティストのアルバムや楽曲は枚挙に暇がありません。
カレンとラモーンは入念に打ち合わせをし、「カーペンターズのようなサウンドと一線を画すもの」、「歌詞の面でより成熟味を出すこと」の2点をコンセプトに決めました。1950年生まれのカレン。30歳という年齢を目前にした立派な大人の女性です。カレンは従来のイメージを払拭しようと努めたのでしょう。それ故完璧なものを目指したためか、当初半年の予定だった制作期間が一年掛かりの大仕事となり、余分に発生した制作費をカレンが私費で負担するはめになりました。
これほど苦労して作り上げたアルバムですが、完成された録音を聴いたリチャードの反応は鈍く、当時のA&Mの重役たちも発売に難色を示しました。失望したカレンはこのアルバムをお蔵入りさせることに決め、回復したリチャードとともにカーペンターズとしての活動を再開させて新しいアルバムの制作に取り掛かります。
このアルバムに収録された楽曲の中の4曲(「Lovelines」、「If I had You」、「If We Try」、「Remember When Lovin' Took All Night」)はカーペンターズ名義で出された『Lovelines(愛の軌跡)』(1989年発表)で世に出ており、また、カレンが亡くなった1983年に発表された『Voice Of The Heart』ではソロ・アルバム用に録音された「Make Believe It's Your First Time(遠い初恋)」のふたつのヴァージョンのうちの片方が収録され、シングル・カットもされています。ちなみにこの曲はボビー・ヴィントンが1980年にカレンに先んじてリリースし、小ヒットを記録していました。
まるで楽曲が小出しにされていたような印象を受けますが、『Make Believe It's Your First Time』のもう一方のヴァージョンを収録したカレンのソロ・アルバムは1983年に彼女が亡くなってから13年が経った1996年にようやく陽の目を見ます。

カレン・カーペンターはもともと内向的な性格だったらしく、それ故自分がリード・ヴォ-カルという目立つポジションにいることをためらっていたと言われています。レオン・ラッセル作の「Superstar」(1971年発表の『Carpenters』収録)の中の「And I can hardly wait to sleep with you again」という歌詞の一文をボニー・ブラムレット(1970年にシングルで発表、1972年発表のデラニー&ボニーの『D&B Together』に収録)やリタ・ク-リッジ(1970年発表のジョー・コッカーの『Mad Dogs & Englishmen』に収録)やベット・ミドラー(1972年発表の『The Divine Miss M』に収録)らは原文のまま歌っているのに対し、その内向的な性格からかカレンはどうしても「Sleep」と発することが出来ず、カーペンターズのヴァージョンは「Be with you again」と変更されていました。カーペンターズのキャラクターも考慮されたのかもしれませんが、当時の社会背景やカレンの生い立ちや年齢なども念頭に入れて取られた措置だったのでしょう。
しかし、前述のようにこのソロ・アルバムでは成熟した「大人の女」の雰囲気を醸し出そうとしたためか、過激で刺激的な歌詞が目立ちます。

元シカゴのピート・セテラの作品、「Makin' Love In The Afternoon」。カレンとのデュエットの相手として彼の歌声も聴けます。「Sleep」さえ口に出せなかった人が、「Makin' Love」とは年相応というのか、自然な成長を遂げられたというのか、人間とはそんなものなんでしょうね。


Makin' love in the afternoon
Makin' love to another Beatle tune
And I know you're feelin' the same way too

午後の情事
ビートルズの曲で愛を交わす
あなたもまた同じような気分じゃないかしら


アルバムの中から2曲続けて聴いたいただければ幸いです。「Remember When Lovin' Took All Night」 、ポール・サイモン作の「Still Crazy After All These Years(時の流れに)」(1976年発表の同名アルバムに収録)です。


Discover Karen Carpenter!


Remember When Lovin' Took All Night
You're close enough
To touch again
Where you should be
I'd love to think what your smile is leading to
I feel your eyes, starting a fire all over me
Oh baby you know, I know what your arms can do

Remember whe lovin' took all night
Remember the feelin' of doing it right
It's been so wrong
You've been gone too long
Now it's gonna be all right
We'll take all night again tonight

And I think you know that missing you
Took all my time
Loneliness never ran so deep till then
Now here we are
Lost in a feelin' of feelin' good
Baby you know, I'll love you again and again

Remember when lovin' all night
Remember the feeling of doing it right
It's been so wrong you've been gone too long
Now It's gonna be alright
We'll take all night again tonight

手を伸ばせば届くほど近くに
あなたは戻って来た
あなたがいるべきところに
あなたの微笑みが誘う意味を
考えるのが好き
あなたの視線を感じ
私の体中に火がつき始める
あなたの腕が何をするのか分かっている

憶えてる? 一晩中愛し合ったことを
憶えてる? 上手くいったあの感じを
ずっと間違っていたのよ
あなたが長い間いなかったなんて
もう大丈夫
今夜も一晩中愛し合いましょう

分かってると思うけど
会えなくて辛いと
ずっとそのことばかりを考えている
あのときほど孤独が身に滲みたことはなかった
今はこうして
最高にいい感じの夢中
ベイビー、何度でも愛してあげたいわ

憶えてる? 一晩中愛し合ったことを
憶えてる? 上手くいったあの感じを
ずっと間違っていたのよ
あなたが長い間いなかったなんて
もう大丈夫
今夜も一晩中愛し合いましょう


アルバムから「If I Had You」。


続いて「My Body Keep's Changing My Mind」。1970年代末から80年代始めに流行ったディスコ調のサウンドです。バックにはブラザーズ・ジョンソンのルイス・ジョンソンや元ルーファスのジョンソン・ロビンソンなどが参加していました。このソロ・アルバムが発売された1996年に聴いたときは古めかしく感じたのですが、いま耳にするといやに新鮮な気がして何とも妙です。


最後に「Make Believe It's Your First Time」。時間が宜しければソロ・アルバムに収録されたヴァージョンとカーペンターズ名義で発表されたヴァージョンを聴き比べていただければ幸いです。




この他にもカレンがビリー・ジョエル・バンドを従えた「Still Love With You」を始めとして心に残る曲が揃っておりますが、とても全曲紹介しきれません。また、このソロ・アルバムのセッションでレコーディングされた曲の中にはポール・サイモン作の「I Do It For Your Love」などアルバム未収録曲が幾つか存在します。それらはブートレグとして発売されておりますし、YouTubeでもアップされていました。

遠い初恋遠い初恋
(2003/01/29)
カレン・カーペンター

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The Sandpipers - Guantanamera

このブログはもともと1960年代から1980年代のロック・ミュージックを中心に語りたいとの趣旨で始めたのですが、ここ最近はかなりかけ離れて行ってしまったような気がしています。出来るだけ他の方々の記事と被らないことを念頭に心掛けると、なかなか適切なネタが見つからないものです。

今回紹介するのはザ・サンド・パイパーズ。ロサンゼルスを拠点に活動したヴォーカル・グループです。1960年代のA&Mレコードの創成期に登場し、ヒットを連発したわけではないもののレーベルを代表するアーティストとして評価されています。
メンバーはマイケル・ピアノ、ジム・ブラディ、リチャード・ショフの3人。アルバムにクレジットがありませんが、サポート・メンバーとしてパメラ・ラムシャーという女性も加わっています。
ミッチェル・ボーイズ・クワイアという聖歌隊に所属していたマイケル、ジム、リチャードの3人はグラッズと名乗ってヴァリアント・レコードからシングル盤をリリースしますが鳴かず飛ばず。ほどなくA&Mに移籍し、ザ・サンド・パイパーズと改名します。
前回のクロディーヌ・ロンジェの記事でも少し触れましたが、当時のA&Mはアメリカン・ポップス、スパニッシュ/メキシカン・ポップス、ブラジル音楽などが融合したサウンドを得意としていました。その例に習い、プロデューサーのトミー・リプーマはサンド・パイパーズにキューバの国民的歌謡「guantanamera(グァンタナメラ)」をカヴァーさせます。この曲は全米9位まで駆け上がり、彼らの最大のヒットとなりました。
このヒットの余勢を駆ってデヴュー・アルバム『guantanamera』が1966年にリリースされます。全12曲中6曲がスペイン語(英語との併用含む)で歌われるというこだわりよう。わざわざスペイン語に訳したアメリカ・ポップスまで収録されていました。

まず、アルバム・タイトル曲でもある「Guantanamera」です。この曲はキューバの文学者で19世紀のキューバ独立革命に参加した革命家ホセ・マルティの詩を元にして後年曲が付けられ歌い継がれるようになりました。アメリカではサンド・パイパーズよりも前にピート・シーガー在籍時のウィーバーズのカヴァーで知られています。日本でも加藤和彦さんや北山修さんらが参加していたフォーク・クルセダーズが、1967年に作られた自主制作盤『ハレンチ』の中に収録しています。


スペイン語で歌われていますが、途中で英語の解説が入ります。
歌詞は「俺は椰子の木の育つ島から来た正直者で、あの世に行く前に俺の魂からそれらの詩を取り分けたい。俺が呟く詩は薄い緑。俺の詩は燃え盛る深紅。俺の詩は避難所を探す傷を負った森の子鹿のよう」。最後の一行は「この地球の恵まれない哀れな人々とともに運命を分かち合いたい。山々から流れ落ちる水流が海よりも俺を喜ばせる」と歌う。

続いて「La bamba」。もともとはメキシコ民謡ですが、リッチー・ヴァレンス(1958年)やロス・ロボス(1987年)のカヴァーがあまりにも有名。この曲もフォーク・クルセダーズが前述の『ハレンチ』に収録しています。


ソフト・ロックに仕上げたというより、この時点ではソフト・ロックを予兆させるといったほうが相応しい「What Makes You Dream, Pretty Girl」。


バリー・マン&シンシア・ウェイルのコンビによる「Angelica」。この曲もソフト・ロックを予感させます。


アルバムからさらに2曲聴いていただけると幸いです。フランク・シナトラでお馴染みの「Strangers In The Night」(1966年発表)。もともとはベルト・ケンプフェルトが作曲したアメリカ映画『ダイアモンド作戦』(1965年公開)の主題歌でした。そして、シャルル・トレネが書いたシャンソンの名曲「La Mer (Beyond The Sea)」。レーベル・メイトのウィ・ファイヴも『You Were On My Mind』(1965年発表)でカヴァーしています。




もう1曲。ザ・ビートルズのカヴァー「Things We Said Today」(1964年発表の『A Hard Day's Night』に収録)です。ビートルズ時代からメキシカン・ポップスの名曲「Besame Mucho」を歌っていたポール・マッカートニーですが、自身が作ったこの曲もメキシカン、あるいはラテンを思わすような哀愁を帯びたメロディー・ラインが窺われます。ちょっぴりエスニックな雰囲気がこのアルバムにぴったりの選曲と言えるでしょう。


前述したようにわざわざスペイン語に翻訳して歌った「Louie, Louie」を始め他にも優れたカヴァー曲が揃っているのですが、とても紹介しきれません。ちなみに「Louie, Louie」は1956年にリリースされたリチャード・ベリーという黒人シンガーのものがオリジナルで、1963年のキングスメンのヴァージョンが有名です。他にもザ・キンクス(1964年発表の『Kingsize Session』に収録)、ザ・ビーチ・ボーイズ(1964年発表の『Shut Down Volume 2』に収録)、オーティス・レディング(1964年発表の『Pain In My Heart』に収録)、イギー・ポップ(1993年発表の『American Caesar』に収録)など枚挙に暇がないほどのアーティストが取り上げていました。

アメリカ人の中にはメキシコやキューバや南米などの異国に憧れる人々が多く存在し、こうした異国情緒が溢れる楽曲やアルバムは強く支持をされる傾向がありました。そうした異国への憧憬は少々かたちを変えて、J.D.サウザー、ジェームズ・テイラー、ライ・クーダー、ケニー・ランキンらの楽曲にも反映されていると思います。

このアルバムのアレンジはモート・ガーソンが全12曲中8曲を担当、ニック・デカロが任されていたのは残りの4曲でした。トミー・リプーマとのコンビで後にA&M流のソフト・ロックを創成して行くニック・デカロですが、ここではまだ前哨戦といったところでしょうか。本格的に開花し始めるのはクロディーヌ・ロンジェのアルバム以降ということになります。

Guantanamera/The SandpipersGuantanamera/The Sandpipers
(2001/02/13)
The Sandpipers

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Claudine Longet

前回、前々回と英語圏の人ではない女性アーティストを取り上げました。今回もまた、英米人ではない女性アーティストを記事にします。
今回紹介するのはクロディーヌ・ロンジェ。歌手であり女優でもあったフランス人で、アンディ・ウィリアムスの奥さんだった人です。
彼女は1942年にパリで生まれ、幼きころより子役としてテレビや舞台で活躍していたそうです。アンディ・ウィリアムズとの出会いはアンディが渡仏してテレビ出演した際に彼女と共演したのがきっかけで恋に落ちたとか、クロディーヌがラスヴェガスのショーに出演していた時にアンディと知り合ったとかと諸説ありますが、そんなことはともかく1961年に二人は結婚しました。
結婚後のクロディーヌはアメリカでも女優業を続け、「コンバット」や「ラット・パトロール」などに出演。1965年の「Run For Your Life」というテレビ・ドラマの中ではアントニオ・カルロス・ジョビン作のボサノヴァ・ナンバー「Meditation」を歌って話題になると、アンディとハーブ・アルパート(トランペット奏者でティファナ・ブラスのリーダー。A&Mレコードの設立者のひとりでもある)の勧めもあってA&Mからデヴューすることになりました。当時のA&Mの名プロデューサーであるトニー・リプーマと看板アレンジャーであるニック・デカロという才人に支えられ、クロディーヌのウィスパリング・ヴォイスと称される魅惑的な歌唱が大人のリスナーの支持を得て行きます。ボサノヴァとフレンチ・ポップとアメリカン・ポップスが融合したようなお洒落なサウンドの詰まったアルバムを次々と送り出し、1stアルバム『CLAUDINE』(1967年発表)の全米11位を筆頭にまずまずのセールスを記録しました。なお、前述の「Meditation」は1stアルバムに収録されています。
また、映画でもピーター・セラーズ主演のコメディ『The Party』(1968年公開)に出演。ヘンリー・マンシーニ作曲のテーマ曲「Nothing To Lose」を歌っています。
アンディとの間に3人の子供が授かり公私ともども順調に思えたものの夫婦の関係は次第に冷えきって行き、1970年に別居。1975年にとうとう終止符を打ちました。翌年スパイダーことウラジミール・サビッチというスキー選手と同棲を始めましたが、銃の暴発事故によって誤って彼の命を奪ってしまい、過失致死の判決が下されて彼女の芸能活動も終わりを告げることになりました。現在は彼女の弁護を担当した弁護士と再婚。コロラド州アスペンで静かに暮らしているとのことです。

今回紹介するのは1968年に発表されたクロディーヌ・ロンジェの3rdアルバム『Love Is Blue』です。ニック・デカロのメロウでドリーミーなアレンジに加えて、効果音も各所に散りばめて楽曲の雰囲気を盛り上げていました。また、クロディーヌ・ロンジェのキャラクターに合わせてぴったりの選曲をしたトニー・リプーマのセンスも白眉です。
まずアルバムのタイトル曲『Love Is Blue』です。作曲はアンドレ・ポップ。ポール・モーリア楽団であまりにも有名で、カヴァーしたアーティストも枚挙に暇がありません。ジェフ・ベック(1967年にシングルでリリース。現在は1968年作の『Truth』のボーナス・トラックとして収録)さえも取り上げていました。ここでのクロディーヌは英仏両方の歌詞で歌っています。


Love Is Blue
昨日まで二人は一緒だった 甘い日々
今日あなたは行ってしまった 悲しみに暮れる日々
愛は水色 


続いてビージーズ1967年の大ヒット曲のカヴァー、「Holiday」。クロディーヌの儚く悲しげな歌声が胸に滲みます。


ロジャー・ニコルズとポール・ウィリアムスの共作「It's Hard to say goodbye」です。彼らがコンビを組んで最初に作った曲とのこと。クロディーヌ・ロンジェの叙情的かつさやかなヴォーカルが心に残ります。彼女のためだけに作られたわけではないと思うのですが、ウィリアムスやニコルズらの録音に心当たりがありません。どなたかご存知の方があれば教えてください。


It's Hard To Say Goodbye
後悔なく顔を背けるために
後悔や涙もなく 気の利いた嘘もない
そんな風に人生が向かうとは思えない
さようならを言うのがつらい

後ろを振り向かずに立ち去るために
愛は消えたと知りながら
悲しみに沈むことなく
さようならを言うのがつらい

あなたと私は偶然出会った
あなたがくれた愛は素晴らしかった
ただタイミングが悪かったの
わかるでしょう

だからさようなら この愛にさようなら
もうこれ以上言うことはないわ
だけどあなたのことを忘れない
今日のあなたの顔を憶えておくわ
さようならを言うのはつらいけど
さようなら さようなら


アルバムからもう2曲聴いていただければ幸いです。まず、「Who needs you」。掛け合うように歌う男性ヴォーカルはトニー・リプーマ。ボサノヴァ風のこの曲は1950年代に活躍したカナダ出身のヴォーカル・グループ、フォー・ラッズの1957年のヒット曲のカヴァーということです。次は「Small Talk」。タートルズの1967年の大ヒット曲「Happy Together」を作ったアラン・ゴードンとゲイリー・ボナーによる楽曲です。




さらにもう1曲。ミュージカル『南太平洋』(1949年初演)からのナンバーで、「Happy Talk」をお聴きください。この曲はオスカー・ハーマスタイン2世(脚本・作詞)、リチャード・ロジャース(作曲)のコンビによって作られました。1958年には映画化もされています。クロディーヌ・ロンジェのヴォーカルが微笑ましくなるぐらい愛くるしく魅力的です。ハーパース・ビザールも『Feelin' Groovy』(1967年発表)でカヴァーしています。


時おり出演していた「アンディ・ウィリアムス・ショー」(1962年~1971年に米NBCで放送。日本でもNHKが1966年~1969年に放送)の映像でしょうか。名曲「My Favorite things」を歌っています。この曲はもともとミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』(1959年初演、1965年にはジュリー・アンドリュース主演で映画化)の中のナンバーで、前述のオスカー・ハーマスタイン2世、リチャード・ロジャースのコンビが手掛けました。


映画『The Party』の一場面です。


恋は水色恋は水色
(2002/02/06)
クロディーヌ・ロンジェ

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Astrud Gilberto - The shadow Of Your smile

前回はフレンチ・ポップを取り上げましたが、今回はボザノヴァを記事にしたいと思います。
今回登場の歌手はアストラッド・ジルベルト。彼女は1940年、ブラジルのバイーア州でブラジル人の母親とドイツ人の父親の間に生まれ、リオ・デ・ジャネイロで育ちました。
アストラッドは1959年に歌手でありギタリストでもあるジョアン・ジルベルトと結婚し、二人は1963年にアメリカ合衆国に移住。アストラッドはジョアンの妻であり通訳を担当していたのですが、その透明感のある歌声にサックス奏者のスタン・ゲッツやプロデューサーのクリード・テイラーが目をつけ、アルバム『Getz/Gilberto(ゲッツ/ジルベルト)』(1963年発表)で夫のジョアン・ジルベルト、スタン・ゲッツ、アントニオ・カルロス・ジョビンらと共演することになりました。彼女が英語で歌った「The Girl From Ipanema(イパネマの娘)」はアメリカを中心に大ヒット。グラミー賞まで獲得しました。しかし、幸せな日々は長く続かずアストラッドとジョアンは1960年代の半ばに離婚することになります。
一躍スターダムにのし上がったアストラッドはソロ・シンガーとしてデヴュー。ボサノヴァのみならずジャズ・スタンダードやポップスまで歌いこなし、数々のアルバムを発表し続けて現在に至ります。
今回は彼女が1965年に発表した『The Shadow Of Your Smile』を取り上げます。このアルバムはボサノヴァの楽曲だけではなく、映画やミュージカルでお馴染みの曲やジャズのスタンダード・ナンバーも数多く選曲されていました。オーケストラを効果的に使っているのも印象的です。
まず、タイトル曲「The Shadow Of Your Smile」。この曲はもともとエリザベス・テイラー、リチャード・バートン主演のアメリカ映画『The Sandpiper(いそしぎ)』(1965年公開)のテーマ曲です。映画の一場面でもなくアストラッド本人も出てきませんが、イメージ映像をバックに彼女の歌声をお楽しみください。



The Shadow Of Your Smile
あなたの微笑みの面影が
あなたが去ってまったいま
私の夢に彩りを添え
夜明けを照らしてくれるだろう
私の目を見つめれば分かるでしょう
私にとってあなたが
どんなに愛しいものなのか

私たちの思いを込めた小さな星は
遥か空の彼方
一粒の涙の雫があなたの唇に触れ
私もあなたの唇に触れてみた
いま 春の日を思い起こせば
愛に満ちた喜びがもたらされ
私はあなたの微笑みの面影を
ずっと憶えているだろう


続けて、アルバムから「Gentle Rain」。


明るいスキャット・ソング「O Ganso」。


フランス、ブラジル、イタリアの合作映画『Orfeu Negro(黒いオルフェ)』(1959年公開)のテーマ曲、「Manha De Carnaval(カーニバルの朝)」です。


さらに2曲聴いていただければ幸いです。1954年にバート・ハワードによって作られたジャズのスタンダード・ナンバー「Fly Me To The Moon」、フランク・シナトラ、エラ・フィッツジェラルド、ナット・キング・コールなどカヴァーは枚挙に暇がありません。そして、「Day By Day」。1945年にサミー・カーンが作詞、アレックス・ストーダール、ポール・ウェストンが作曲した曲で、トミー・ドーシー楽団、フランク・シナトラ、ジョー・スタフォード(ウェストンの妻)、サラ・ヴォーンなどの録音が有名です。





このアルバムは『The Astrud Gilberto Album』(1965年発表)に続くソロ2作目。ヴォーカルに不安定さが残ると酷評されたようですが、そんなことが気にならないぐらいの瑞々しい歌声に心地よさを感じる1枚です。

いそしぎいそしぎ
(2003/04/23)
アストラッド・ジルベルト

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Francoise Hardy - En Anglais

今回は英語圏のアーティストではなく、フランス人のアーティストを取り上げたいと思います。
フランソワーズ・アルディは1944年1月17日にパリの下町に生まれたパリ・ジェンヌです。歌手としてのスタートは1962年、18歳の時。自作の曲を引っさげてレコード会社のオーディションを受けているなかでヴォーグ・レコードのプロデューサーに認められたのがデヴューのきっかけだそうです。
当時のフレンチ・ポップ界は、ロックの影響を受けて誕生した「イエイエ」と呼ばれるポップスがブームを起こしていました。アルディのデビュー曲「男の子女の子」は200万枚を売り上げる大ヒットとなり、たちまちシルヴィー・バルタンらと肩を並べるほどの存在となったのです。そうして人気アイドルの仲間入りをしたアルディはファッション雑誌「エル」の表紙をモデルとして飾ったり、フランソワーズ・サガン原作、ロジェ・ヴァディム監督『スウェーデンの城』(1962年公開)、ジャン・リュック・ゴダール監督の『男性・女性』(1965年公開)、三船敏郎さんやイブ・モンタンでお馴染みの『グランプリ』(1966年公開)などの映画に出演して活躍の場を広げて行きました。
アルディの名はフランスのみならずイギリス、アメリカまで知れわたるようになり、ビートルズやローリング・ストーンズ、ボブ・ディランらロック・ミュージシャンの注目するところとなって行きます。ことにディランは『Another Side Of Bob Dylan』(1964年発表)の中に掲載された「Some other kinds of songs・・・」という詩の中でアルディに捧げる記述を添えていました。また、映画『グランプリ』の撮影中の1965年に一時帰国したアルディはパリのオランピア劇場にてディランのコンサートを鑑賞。体調不良だったディランは第一部終了後にアルディが来ていることを知り、「アルディを連れてこなければ第二部をキャンセルする」と言い出したため急遽バック・ステージで面会が実現したとの逸話があります。

アルディの代表曲と言えばイギリスの歌手ヴェラ・リンが1954年にヒットさせた「It Hurts To Say Good Bye」にセルジュ・ゲインズブールがフランス語の訳詞を付けた「さよならを教えて」(1968年発表。日本では1973年に発売)や1978年にTBS系列で放送された「沿線地図」のテーマ曲として使われて話題になった「もう森へなんか行かない」(1973年発表)です。でも、アルディはもともと自分で楽曲を作ることのできる女性。彼女の描く私小説のような歌詞の魅力は女性の自立を強く主張するのではなく、淡々と愛や人生を歌うところにあります。失恋や裏切りといったものが扱われていても、その繊細で透明感のある声も手伝ってか決して恨みがましくなくあっさりとした印象を受けました。

本来ならばフランス語で録音されたアルバムを紹介するべきなのですが、私は大学で第二外国語としてフランス語を選択した経験があるもののいまだにさっぱり理解できません。かと言って英語が得意なわけでもなく、毎度ごまかしながら翻訳したものを記事に掲載しています。幸運なことにアルディは英米のアーティストの歌を英語で吹き込んだカヴァー中心のアルバムを何枚か制作していました。今回はそういうわけで、アルディが英語で録音した『En Anglais』(1968年発表)というアルバムを取り上げます。

まず、キャロル・キングのナンバーから「Will You Love Me Tomorrow」。数多くのアーティストがカヴァーしていることは言うまでもありませんね。


バディ・ホリーが1957年にヒットさせた「That'll Be The Day」のカヴァーです。


1955年にジルベール・ベコーが作り、1960年にエヴァリー・ブラザーズが大ヒットさせた「Let It Be Me」。この曲も枚挙に暇がないほどのアーティストが歌っていました。ボブ・ディランも『Self Portrait』(1970年発表)の中でカヴァーしています。


Let It Be Me
あなたに初めて逢った日のことを感謝している
いつまでもあなたと一緒にいたい
だからお願い 傍にいさせて

私から天国を奪わないで
誰か心の支えが欲しいのなら
ずっと永遠に 私が傍にいてあげる

あなたに会う度に
成就した愛だと気がつくの
あなたの優しい愛がなければ
人生ってなんなのかしら

だからひとりぼっちにさせないで
私だけを愛してるって言って
そして いつも傍にいさせてくれるわね


もう2曲聴いていただければ幸いです。まずエルヴィス・プレスリーのナンバーで、彼が主演した映画『Loving You(邦題:さまよう青春)』(1957年公開)で使われた「Loving You」、続いてクリフ・リチャードのヒット曲でティム・ハーディン作の「Hang On To A Dream」です。




最後にアルディの近年の映像を掲げておきます。2004年に発表された『Tant de belles choses』からのタイトル曲ですが、髪が白くなっても雰囲気は変わりません。美しい人です。



Bob Dylan - You Ain't Going Nowhere

ニュー・アルバム『Together Through LIfe』(国内盤は5月27日予定)がリリースされたボブ・ディラン。 今回は過去のナンバーから「You Ain't Going Nowhere」を取り上げます。カントリー・タッチのほのぼのとした曲ですが、少々お気楽な感じがしないでもありません。

まずは『Bob Dylan's Greatest Hits Volume 2』(1971年発表)に収録されていたヴァージョン。


続いて、The Bandとのプライヴェートなセッションを取りまとめた『The Basement Tapes』(1975年発表)に収録されていたヴァージョン。


さらに本人のヴァージョンよりも有名と思われるザ・バーズのカヴァー・ヴァージョンのライヴ映像。スタジオ録音は1968年発表の『Sweet Heart Of The Rodeo』に収録。同じくディラン作の『This wheel's On Fire』(1968年発表の『Dr.Byrds & Mr.Hyde 』に収録)とメドレーで演奏しています。なお、既にグラム・パーソンズやクリス・ヒルマンの姿はなく、ロジャー・マッギン(Vo. G.)、クラレンス・ホワイト(G.)、ジョン・ヨーク(B.)、ジーン・パーソンズ(Ds.)といった陣容と思われます。画像が悪いのが残念。なお、ディランの『This Wheel's On Fire』は前述の『The Basement Tapes』に収録されています。


続いて『Bob Dylan 30th Anniversary Concert』(1993年発表)からの映像。ジョニー・キャッシュに紹介されて登場したのはショーン・コルヴィン、メアリー・チェイピン・カーペンター、そして、ジョニー・キャッシュの娘ロザンヌ・キャッシュの三人です。


You Ain't Going Nowhere
雲の流れは早く
雨は上がらず
門は閉まらず
手すりも凍ったまま
冬は気が滅入る
どこにも行けやしない

おーい 俺を気分よくさせてくれ
明日は花嫁がやってくる日なんだ
おお 俺たちは飛んで行くのか
安楽椅子の中に

奴らがいくら手紙をよこそうか知ったことじゃない
朝がやって来て去って行った
金をまとめて テントをたたんで
どこにも行かなくてよい

フルートを買って いい銃を買って
荷馬車の後部開閉板と代用品
しっかり根を張った木に身を縛り付けとけよ
どこへも行けやしないのさ

ジンギスカンは彼の諸王に眠りを供給し続けることができなかった
俺たちはあの丘を登る どんなに険しくとも
そこまで行った時には
 
おーい 俺を気分よくさせてくれ
明日は花嫁がやってくる日なんだ
おお 俺たちは飛んで行くのか
安楽椅子の中に


ボブ・ディランの歌詞は難解なので、いったい何を意味しているのか実のところよく分かりません。シンプルな歌詞ですが、簡素あれば簡素であるほど難しいものです。ジンギスカン(チンギス・ハーン)のくだりはどういったつもりの比喩なのか。あまり考え込まないほうが良いのかもしれませんね、

グレイテスト・ヒッツ Vol.2(紙ジャケット仕様)グレイテスト・ヒッツ Vol.2(紙ジャケット仕様)
(2005/09/21)
ボブ・ディラン

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(2009/05/27)
ボブ・ディラン

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ロデオの恋人ロデオの恋人
(2005/04/20)
ザ・バーズ

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The Beatles - Till There Was You

2009年9月9日にザ・ビートルズのアルバムがデジタル・リマスターされてリリースされることになりました。嬉しい悲鳴で懐の痛みが取れなくなった今日この頃です。
そういうわけで、少し前にビートルズの「Anna」を記事にしたばかりですが、早くも再びビートルズを取り上げることにしました。今回の曲は「Till There Was You」。セカンド・アルバム『With The Beatles』に収録されていた曲で、もともとは1957年にミュージカル「ミュージック・マン」の中でロバート・プレストンとバーバラ・クックが歌ったスタンダード・ナンバーです。ビートルズがお手本にしたのは1960年にアニタ・ブライアントが歌ったヴァージョンで、ポール・マッカートニーのお気に入りの楽曲とのことでした。
ポールの優しく瑞々しい歌声もさることながら、ジョージ・ハリスンが奏でる間奏も心地よく響きます。
2000年に発行された『The Beatles Anthology』の中でポールは、「Till There Was Youを演奏したおかげで我々の音楽の幅が広がった」との趣旨を述懐していました。



ソロになってもポールはこの曲を歌い続けています。埋め込み無効らしいので下記のアドレスをクリックしてください。
http://www.youtube.com/watch?v=vJaap5XwiPA

Till There Was You
丘の上に鐘があった
でも その鐘の音を一度として聞いたことがなかった
君に出逢うまでは

空に鳥がいた
でも 羽ばたく鳥の姿を一度として見たことがなかった
君に出逢うまでは

すると 美しい音楽と咲き乱れる薔薇が
甘く香しい草原で語りかけてくれる
夜明けと朝露の煌めきを

愛はそこらじゅうに溢れていた
でも 愛の歌を一度として聴いたことがなかった
君に出逢うまでは


この人も歌っていました。御大レイ・チャールズです。実に渋い。


このミュージカルは1962年に映画化されています。後に映画監督として名を馳せるロン・ハワードが子役として出演していました。もちろんこの場面には出ておりません。彼はコクーン(1985年)、ダ・ヴィンチ・コード(2006年)などを多数の作品を監督。『アメリカングラフィティ』(1973年)では俳優として好演しています。


さらに2003年にはディズニー制作でテレビ・ドラマ化されていたようです。


ウィズ・ザ・ビートルズウィズ・ザ・ビートルズ
(1998/03/11)
ザ・ビートルズ

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Art Garfunkel - Angel clare

サイモン&ガーファンクルの16年ぶりの来日が決まりました。もっとも、前回1993年は東京と福岡のドーム球場においての公演だったので、私の地元である関西の地を彼らが訪れるのは27年ぶりということになります。
そういうわけで今回はアート・ガーファンクルのファースト・アルバム『Angel Clare(邦題:天使の歌声)』を取り上げることにします。このアルバムは1973年の秋にリリースされました。1970年に発表された『Bridge Over Troubled Water (邦題:明日に架ける橋)』制作時にポール・サイモンとアート・ガーファンクルの音楽に対する意見の違いが表面化し、事実上の解散を遂げてから3年の歳月が過ぎています。相方のポール・サイモンは1972年に既にソロ・アルバムを発表。このアルバム『Angel Clare』は満を持してのアートのソロ・デヴュー作でした。
このアルバムが発表された当時、ポール・サイモンも2枚目のソロ・アルバム『There Goes Rhyhmin' Simon(邦題:ひとりごと)』をリリース。音楽雑誌ではどちらの出来がいいとか悪いとかの論争が評論家によって繰り広げられていたのを憶えています。私が尊敬していた小倉エージ大先生はポール・サイモンに賛辞を贈り、それに対して中村とうよう御大はサイモンを批判した上でアート・ガーファンクルの肩を持つ論評をされていました。でも、今となってはそんなことは無意味に思えます。かつて同じ道を歩んだ二人が違った道を選び、各々が趣の異なる個性を発揮。お互いのアルバムに参加し合ったり、幾度かの再結成公演を行ったりと適度の距離を置きながら活動を続けていることは言うまでもありません。

なお、アルバムのタイトルはイギリスの作家トマス・ハーディ(1840-1928)作の『Tess of The d'Urbervilles (邦題:テス)』(1891年発表)に出てくる登場人物(主人公テスと恋に落ちる牧師の息子)の名前から取られました。ちなみにこの小説は1979年にロマン・ポランスキー監督、ナスターシャ・キンスキー主演(テス役)で映画化されています。19世紀末のイギリスの東北部の農村を舞台に、貧しい行商人の子として生まれた娘テスの波乱に富んだ生涯を描いた名作です。余計な話ですが、私はこの時ナスターシャ・キンスキーが実に美しく思えました。

まず、アルバムからのファースト・シングルで全米9位のヒットとなった「All I Know(邦題:友に捧げる讃歌)」のライヴ映像をご覧ください。1996年にニューヨークで収録されたもののようです。ジミー・ウェブの書き下ろしで、彼自身は1996年発表の『Ten Easy Pieces』でセルフ・カヴァーしていました。


アート・ガーファンクル、シェール、ジミー・ウェブの三人による珍しいコラボ。曲は「All I Know」と5th Dimentonで1966年に大ヒットした「Up Up And Away」(ジミー・ウェブ作)のメドレーです。三人とも若い。


All I Know
僕たちは傷つけ合い
互いがいとも容易く傷つく
簡単すぎて本当のことが分からないんだ
君を思う その心がすべて

夢はいつのまにか破れた
夢は君次第
成し遂げるには君の助けが必要
君を思う その心がすべて

シンガーが去り行くとも
歌声は続く

終わりは必ずやって来る
あまりに早く訪れる
あまりに早くやって来ても
だが 過去はすぐには消えない
君を思う その心がすべて

シンガーが去り行くとも
歌声は続く
それは闇と夜明けの境目の美しさ
暗闇の中で人は言う
夜明けは彼方と


アート・ガーファンクルによるポール・サイモンへの思いが表されたような歌です。一緒にいるときはお互いの悪いところばかりが目に付いていたけれど、離れて初めてお互いの大切さに気づいたと言っているように受け取れました。コンビを解消しても友情は永遠であるということですね。
かつてジョン・レノンの『Imagine』(1971年発表)の中に「How Do You Sleep? 」という曲が収録されていました。当時この曲はジョンのポールに対する皮肉だとか非難だとかと騒がれましたが、よくよく聴いてみると私にはポールのことを心配するジョンの気持ちが込められた忠告の歌に思えます。本当のことは二人にしか分からないでしょう。それと同じくS&Gに起きた出来事や心の中は彼らにしか分かり合えないことだと思います。

次はアフロ・ロック・グループのオシビサのナンバー、「Woyaya」をお聴きいただければ幸いです。


アートが熱唱するアルバムのオープニング・ナンバー「Traveling Boy」です。ポール・ウィリアムスとロジャー・ニコルズの共作で、ポール・ウィリアムスが1972年に発表した『Traveling Boys』に収録されていました。


続いては日本でシングル・カットされてヒットした「Mary Was An Only Child」。アルバート・ハモンドがマイク・ヘイゼルウッドとロス・インカスのホルヘ・ミルシュベルグと共作したナンバーです。


最後にセカンド・シングルとなったヴァン・モリソン作の『I Shall Sing』。ヴァンのヴァージョンに心あたりがありません。申し訳ございませんが、どなたかご存知の方がおられれば教えてください。


天使の歌声天使の歌声
(2004/02/25)
アート・ガーファンクル

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上記のジャケット写真ではよく分からないと思いますが、アートの着ているセーターの右肩に穴があいています。スタイリストやスタッフは気が付かなかったんでしょうか。いや、飾らないアートのこと、日常の姿をそのまま映し出したのかもしれません。

kenny Rankin - Professional Dreamer

春がよく似合うアーティストを何人か思い浮かべているとケニー・ランキンの名前が頭の中をよぎりました。別にいつ聴いても良いのですが、彼はこの季節にぴったりの雰囲気を持った人だと思います。
さて、今回紹介するのはケニー・ランキンが1995年に発表した「Professional Dreamer」です。彼は優れたオリジナル作品を作る一方、他人の楽曲を好んで取り上げ自分流にアレンジし、その多くはジャジーで洗練されたアレンジを施して原曲のまた違った魅力を引き出すことにも長けていました。このアルバムもオリジナルはただ1曲。ほかは全てジャズ・スタンダードという内容です。

まず、コール・ポーター作詞・作曲であまりにも有名な「You'd Be So Nice To Come Home To 」をお聴きください。もともとは1943年にミュージカル映画『Something To Shout About』の主題歌として書かれた作品で、同年にダイナ・ショアの歌でヒットしました。日本ではクリフォード・ブラウンのトランペットをフィーチャーしたヘレン・メリルのヴァージョン(1954年録音)のほうががよく知られているようです。



You'd Be So Nice To Come Home To
君が待っていてくれるのなら家に帰るのもさぞかし嬉しい
そよ風が空高く子守唄を歌うあいだ
暖炉の側で君と過ごせたら本当に素敵だろう
俺が欲しいのは君のすべて
凍てつくような冬の星空の下でも
燃えるような8月の月の下でも
家に帰り君を愛せるのならさぞ嬉しく
天国にいるほどの喜びだ



続いては「More Than You Know」です。エドワード・エリスキュー、ビリー・ローズ、ヴィンセント・ユーマンスの3人によってミュージカル『Grate Day』(1929年初演)のために書かれた作品。カヴァーしたアーティストはペリー・コモ、ビリー・ホリディ、エラフィッツ・ジェラルド、カーメン・マクレエ、フランク・シナトラ、ダイナ・ワシントン、ローズマリー・クルーニー、シェール、スモーキー・ロビンソンと枚挙に暇がありません。ちょっと変わったところでは1989年公開の映画『The Fabulous Baker Boys 邦題:恋のゆくえ)』の中で、主演のミシェル・ファイファーがこの曲を歌うシーンがあるそうです。


YouTubeにはさらにこのアルバムの収録曲からの音源が2曲ありました。まず、「My One And Only Love」。ロバート・メリン、ガイ・ウッドの共作で、1953年にフランク・シナトラがヒットさせています。リッキー・リー・ジョーンズが1991年発表の『Pop Pop』の中で、カーリー・サイモンも2005年発表の『Moonlight Serenade』においてカヴァーしていました。


そして、「Blame It On My Youth」。1934年にエドワード・ヘイマンとオスカー・レヴァントが書いた作品で、フランク・シナトラ、ナット・キング・コール、カーメン・マクレエ、クリス・コナー、キース・ジャレットなど多くのアーティストに歌われ、演奏されて来た曲です。


今回はYouTubeの映像だけで済まそうと思ったのですが、やはり1曲アップすることにしました。曲はアルバムの中でケニーの唯一のオリジナル「How Can I Forget (Song For Margo)」です。並みいるスタンダード・ナンバーと相対しても、決して引けを取らない楽曲に仕上がっています。


笑みを浮かべたような穏やかな表情が印象的です。ケニーの品のある歌声が春風のように爽やかな1枚でした。
プロフェッショナル・ドリーマープロフェッショナル・ドリーマー
(2008/03/26)
ケニー・ランキン

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Crystal Gayle - Don't It Make My Brown Eyes Blue

前回のトム・ウェイツを繋がりで、今回はクリスタル・ゲイルを取り上げます。二人にどういう関係あるというと、トム・ウェイツが担当したフランシス・フォード・コッポラ監督の映画『One From The Heart』(1982年公開、フレデリック・フォレスト、ナスターシャ・キンスキーらが出演)のサウンドトラックにクリスタル・ゲイルも参加。3曲をウェイツとのデュエットで、3曲をソロで歌っていました。

クリスタル・ゲイルは1951年にアメリカのケンタッキー州に生まれたカントリー・シンガーです。長い黒髪としなやかで伸びのある歌声をトレード・マークとして1970年にデヴューし、1977年には「Don't It Make My Brown Eyes Blue(邦題:瞳のささやき)」が大ヒットして日本でもその名が知られるようになりました。なお、実の姉はアメリカを代表するカントリー・シンガーのロレッタ・リンです。




Don't It Make My Brown Eyes Blue
こんなに憂鬱な気分になってどのくらい経つのかしら
あなたに何があったのかわからない
誰かいい人ができたのね
私の鳶色の瞳がブルーになってしまうわ

あなたがいなくなれば私は元気になれると思う
でも今は一晩中泣き明かすだけ
だから嘘だと言って
私の鳶色の瞳がブルーになってしまうわ

秘密を打ち明けないで いっそのこと嘘を言って
言い訳なんかしないで アリバイがあるのね
ただ愛してるって言って これ以上悲しい思いをさせないで
何か私に言葉をかけて さよなら以外なら何でもいい

あなたに冷たくしたことはなかった
大切な人だってわからなかった
でも、今はわかっているの
このままじゃ私の鳶色の瞳がブルーになってしまうわ
このままじゃ私の鳶色の瞳がブルーになってしまうわ
このままじゃ私の鳶色の瞳がブルーになってしまうわ


画像は出てきませんが、1978年のヒット「Hello I Love You」をお聴きください。


スタンダードも歌います。曲目は「Cry Me A River」。1980年代以降の彼女はカントリーのみならずポップスやゴスペルなど次第に歌うジャンルの幅を広げて行きました。1999年にはホギー・カー・マイケルの作品集をリリースしています。


映画『one From The Heart』のサントラから「Old Boyfriends」です。


情感を漂わせながらも決して大げさではなく清々しい魅力を放つクリスタル・ゲイル。落ち着いた大人の雰囲気を感じさせるシンガーの一人です。

We Must Believe in Magic/When I DreamWe Must Believe in Magic/When I Dream
(2007/05/29)
Crystal Gayle

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ワン・フロム・ザ・ハート(エクスパンディッド・ヴァージョン)ワン・フロム・ザ・ハート(エクスパンディッド・ヴァージョン)
(2004/03/24)
クリスタル・ゲイル トム・ウェイツトム・ウェイツ

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Tom Waits - Blue Valentine

前回のリッキー・リー・ジョーンズの記事を「My Fanny Valentine」で締めくくったので、今回は彼女のかつての恋人トム・ウェイツのアルバム『Blue Valentine』を取り上げたいと思います。少し季節外れのようで申し訳ございません。
1973年にアサイラムからデヴューしたトム・ウェイツはしわがれ声で都会の薄汚れた風景を描写するシンガー・ソング・ライターです。ロサンゼルスを拠点に活動を始めましたが、彼の作品には当時のウエスト・コーストから連想される青空や乾いた空気といった爽やかさとは正反対の世界が描かれていました。
ノスタルジックな雰囲気を漂わせる「ピアノマン」としてランディ・ニューマンと対比されることがあります。アイロニーや風刺、庶民の生きざまが歌詞の中に込められている点では共通するものがありますが、ニューマンがスタンダード的な気品を感じさせるのに対して、不協和音や即興演奏といったスタイルで知られるジャズ・ピアニストのセロニアス・モンクやビートニクの作家ジャック・ケルアック、詩人アレン・ギンズバーグなどの影響を受けたウェイツの作風はジャズの色合いの強い独特のサウンドを響かせ、都会人の哀愁のみならず旅や放浪をもテーマにした曲も多く見受けられました。

トム・ウェイツの本作『Blue Valentine』は1978年に発表された6作目です。レナード・バースタインとスティーヴン・ソンダイムのコンビによる名作ミュージカル「ウエスト・サイド・ストーリー」(1957年初演、映画化は1961年)でお馴染みのバラード「Somewhere」で幕が開きますが、このあとに続くのはトムのオリジナル曲。従来通りの裏町や場末の酒場の雰囲気が庶民の哀感と相まって綴られ、彼のストーリー・テラーとしての実力が発揮されていました。

今回はアルバムの中からまず、季節外れですが「Christmas Card From A Hooker In Minneapolis」とタイトル曲「Blue Valentine」を聴いていただけたら幸いです。




Blue Valentine
遠いフィラデルフィアの地から
彼女はブルー・ヴァレンタインを送ってくる
昔の俺との思い出を記念とするために
まるで逮捕状が出ている気分だ
彼女はバック・ミラーで俺の行動をチェックしている
俺はいつも逃げ続けている
俺が名前を変えたのもおまえのせい
居場所をつきとめられるなんて思ってもみなかった

半分忘れかけた夢のように
通りを歩いていると思い出す
靴の中に入り込んだ小石のように
彼女はブルー・ヴァレンタインを送ってくる
おまえとの思い出の中の亡霊は
接吻の時に感じるアザミの棘
そして薔薇の花をへし折る強盗
それは俺が袖の下に隠している
果たせなかった約束の刺青
過去を振り返るといつでもおまえが見える

俺は多方面に留まろうとしているのだが
彼女はブルー・ヴァレンタインを送ってくる
俺たちの愛は賞賛されるに違いないと
皆が言い張る
なぜ俺はこの狂気のすべてを
ナイトテーブル付きのタンスにしまっているのか
俺を悩ますだけなのに
ベイビー、分かっているんだよ
襟の折り返しの下で眠っている
俺の盲目で傷ついた心とともに
あちこち歩き回れるだけで運がいいことを

彼女の送ってくるブルー・ヴァレンタインは
俺が犯したきわめて重要な罪を思い出させてくれる
俺は罪を洗い流すことも
両手に付いた血痕を取り去ることも出来ない
悪夢を追い払うために浴びるようにウイスキーを飲む
毎晩痛めた心を切り刻み
セント・ヴァレンタイン・デーが来るたびに
少しずつ死んで行くのさ
おまえに約束したことを憶えているかい
書き送るよ
ブルー・ヴァレンタインを


「Romeo Is Bleeding」と「Kentucky Avenue」はライヴ映像でご覧ください。




Blue ValentineBlue Valentine
(1995/03/24)
Tom Waits

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Rickie Lee Jones - My Funny Valentine

前回のビートルズの「Anna」の記事の最後でリッキー・リー・ジョーンズの珍しいカヴァー映像を使ったこともあり、今回は彼女のことを取り上げることにしました。
イリノイ州シカゴの出身ながら幼少期から転居を繰り返し、思春期に酒とドラッグにのめり込み、家出や中絶をも経験する波乱の人生を送ったせいか、リッキー・リーの発音には時折独特の訛りが感じられます。意識的なのか、思春期の頃の「若者ことば」の名残なのかどうかはよく分かりません。ともすれば、ネイティヴでも歌詞カードなしでは彼女の意図が十分に理解できないのではないかと思います。
リッキー・リーが織りなすサウンドのほうはデヴュ一当時から一貫してシンプルでナチュラル。愛くるしい容姿とは対照的に物憂げで少々けだるい様子のヴォーカルで、ベレー帽をかぶった1stアルバム『浪漫』(1979年発表)のジャケットのような無垢な少女をイメージしていると、急にあばずれ女に変身するなど彼女は実に表現力が多彩です。ジョニ・ミッチェルの水彩画のような世界を連想する部分もあり、ランディ・ニューマンのようなユーモアに満ちた言葉も持ち合わせており、初期の頃より豊かな才能を感じました。
さて、今回は彼女が1983年にリリースした「Girl At Her Volcano(邦題:マイ・ファニー・ヴァレンタイン)」を紹介します。このアルバムは発売当初は10インチ(25㎝)のLPレコードの体裁を取っていました。10インチのレコードはたぶん彼女のファンの多くに馴染みがないはずの代物ですが、却って懐古趣味を煽る意図があったのかもしれません。収録曲は「Lush Life」、「Something Cool」、「My Funny Valentine」などのスタンダード・ナンバー、ドリフターズが1964年に大ヒットさせた「渚のボードウォーク」のカヴァー、かつての恋人トム・ウェイツの「Rainbow Sleeves(邦題:虹の袂)」など他人の曲が中心で、彼女のオリジナルは2曲にしか過ぎませんでした。ちなみに、私はトム・ウェイツ本人が歌う「Rainbow Sleeves」をこれまで耳にしたことがございません。どなたかご存知の方があれば教えていただけると有り難いです。
このアルバムはスタジオ録音とライヴが混ぜこぜになっており、「Rainbow Sleeves」はリッキー・リーがデヴューする前である1978年の録音。さらに、前作『Pirates』のために用意されたものの結局は収録されなかった曲も含まれているとのこと。そうしたデーターだけを目で追っているととりとめのない寄せ集めのような印象を受けますが、ところがどっこい彼女の半生を鑑みながら聴いていると彼女の思い出が詰められたようなアルバムであることに気づかされました。こうしたパーソナルな1枚であればあるほど彼女の魅力が輝くように思えます。

今回はまず、アルバムの中から「Under The Boardwalk」と「Rainbow Sleeves」の2曲を聴いていただれば幸いです。



邦題のタイトルになった「My Funny Valentine」は映像でご覧ください。



My Funny Valentine
私の素敵なヴァレンタイン
優しくおどけたヴァレンタイン
あなたは私を心から微笑ませる
あなたの容姿、笑えるわ
写真じゃうまく写せないけど
それでもあなたは私のお気に入りの芸術作品

あなたの姿はギリシャ彫刻に劣るかしら
あなたの口元はちょっと貧弱かしら
その口が話そうと開くとき
気の利いた台詞を言えるのかしら

ねえ、私のために髪の毛一本だって変えないでね
私のことを気に掛けてくれるのかどうか分からないけれど
そのままでいて 私の素敵なヴァレンタイン
毎日が私のヴァレンタイン・デー


マイ・ファニー・ヴァレンタインマイ・ファニー・ヴァレンタイン
(1990/10/10)
リッキー・リー・ジョーンズ

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The Beatles - Anna (Go to Him)

カントリー・ロックを続けたのが災いしたのかブログへのアクセス数が減少しました。と言ってももともと少ないのですが、このままでは片手の指で十分数えられるといった状態に陥りそうです。起死回生を図るには内容を充実させるほかはないのですが、薄っぺらな人生経験、稚拙な文章表現、乏しい音楽知識では現状打破はままならぬものです。
アクセス数の増加を願い、今回は久しぶりにザ・ビートルズを取り上げてみたいと思います。紹介する曲は「Anna (Go To Him)」。ビートルズのオリジナルではなくアーサー・アレキサンダーが1962年にリリースした曲のカヴァーです。

Anna (Go To Him)
アンナ 別れてほしいと言いに来たんだな
あの男のほうが俺よりもおまえを愛してくれるというのか
だったら自由にしてやるよ
とっととそいつのところに行けばいい

アンナ おまえを手放す前に
これだけは言っときたい
今でもおまえを愛してる
でもあの男の愛のほうが強いと言うのなら 
そいつのところに行けばいい

ずっと探しているんだ
俺がおまえを愛するように俺を愛してくれる女をな
だけど どの女も俺の心を傷つけ悲しませるだけさ
俺はいったい
いったいどうしたらいいんだ

アンナ もう一言だけ言わせてくれ
俺がやった指輪を返してくれ
そしたらおまえは自由だ
そいつのところへ行けよ


切ない歌ですね。こういった経験は誰にでもあることではないでしょうか。ビートルズ、とくにジョン・レノンの作品にはこういった半ば自虐的な失恋の歌が多いのが事実です。「Anna」が収められた『Please Please Me』(1963年発表)収録の「Misery」では明るい曲調とは裏腹にタイトル通りの惨めな悲恋が歌われていましたし、『Beatles For Sale』(1964年発表)に収録されていた「No Reply」ではさらに屈折した感情が描かれていました。
「Anna」はビートルズのメンバーが作った歌ではないのですが、思春期の彼らの経験や心情にぴったりあった思い出深い曲だったのでレコーディングしたのかもしれません。彼らは「Anna」の他にも『Live At The BBC』(1994年発表)でアレキサンダーの楽曲を2曲(「A Shot Of Rhythm And Blues」、「Soldier Of Love」)も録音しています。





こちらはアーサー・アレキサンダーのオリジナル。ジョンのヴォーカルとは違い、落ち着いた雰囲気で大人の余裕が漂っています。上記に掲げた下品な拙訳を改めたほうが良いですね。



続いてハンブル・パイのカヴァー。スティーヴ・マリオットのけだるく情感たっぷりの歌声を聴いていると思わず涙が出そうです。1974年発表の『Thunderbox』に収録。



これはちょっと珍しいリッキー・リー・ジョーンズのライヴ映像。彼女の少女時代におけるビートルズ体験の話から始まっています。



プリーズ・プリーズ・ミープリーズ・プリーズ・ミー
(1998/03/11)
ザ・ビートルズ

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THE GREATEST ARTHUR ALEXNDERTHE GREATEST ARTHUR ALEXNDER
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(2006/06/21)
ハンブル・パイ

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2009年4月22日にSHM-CDでも発売予定だそうです。

Ricky Nelson - Hello Mary Lou

申し訳ございませんが、今回もカントリー・ロックです。前回NGDBの「永遠の絆」を取り上げた時にロギンズ&メッシーナについて言及しましたが、彼らのことを思い浮かべていると今度はリッキー・ネルソンのカヴァー「Hello Mary Lou」が耳の中で鳴り響いて離れなくなりました。そういうことで、今回はリッキーが放った大ヒット、「Hello Mary Lou」を紹介することにします。
リッキー・ネルソンは1930年代に活躍したスイング・ジャズの作曲家のオジー・ネルソンの次男として生まれました。1953年にネルソン一家が実名で主演したテレビのホームドラマ「The adventures of Ozzie & Harriet」(NHKで放映された日本公開時のタイトルは「陽気なネルソン」)が放映され、リッキーは一躍スターになりました。このドラマで彼は歌も披露。1957年にファッツ・ドミノの「I'm walkin'」やエルヴィス・プレスリーの「Love Me Tender」を歌って評判を呼び、これを機に歌手として売り出すことになったのです。このドラマは60年代の半ばまで続く長寿番組だったようですが、私はそこまでオジさんではないので伝説しか知りません。
こうして歌手としてデヴューしたリッキーは端整な顔立ちと甘い歌声がうけて立て続けにヒットを飛ばしました。今回紹介する「Hello Mary Lou」はそんな中の1曲です。ともすればアイドル歌手のような雰囲気に受け止められがちですが、作曲家の息子ということもあり音楽性は確かなものでした。なお、この時期の彼のバック・ミュージシャンの中には後にエルヴィスのバックを受け持って名を馳せるギタリストのジェームス・バートンがいました。
もともと子役としてデヴューして歌手に転向したリッキー・ネルソンですが、俳優としても幾つかの映画に出ています。ジョン・ウェインと共演した西部劇『リオ・ブラボー』(1959年公開)は日本でも大ヒットしました。また、だいぶ前のことなので記憶が曖昧になっておりますが、「刑事コロンボ」か「警部マクロード」のどちらかに犯人役の歌手としてリッキーが出ていたのを憶えています。
この「Hello Mary Lou」がヒットした1961年にリッキーはリック・ネルソンと名を改め、1970年にはストーン・キャニオン・バンドを結成してカントリー・ロックに転身、1972年には「Garden Party(邦題:思い出のガーデン・パーティー)」をヒットさせ順調に活動を続けましたが、1985年の12月31日、ニューイヤー・コンサートに向かう途中にテキサスのダラス郊外で飛行機が墜落して45年の生涯を閉じました。ちなみに、このバンドの初期のメンバーにはこの後イーグルスに加入するランディ・マイズナーが在籍していました。
その後、1990年には父の遺志を継ぐかのように、双子の息子さんたちがネルソンというハード・ロック・バンドでデビューしています。

Hello Mary Lou
ハロー メリー・ルー
グッバイ・ハート
素敵なメリー 君に首ったけ
ねぇメリー・ルー、僕らは決して別れないだろう
だからメリー・ルー グッバイ・ハート

ある晴れた日 君は僕の前を素通りした
その大きな茶色の瞳を僕の前でまばたきさせながら
その瞬間、僕は君が恋しくてたまらなかった
いいかい 僕はふらふらしたお調子者じゃない
本当さ しっかり地に足をつけていると誓って言うよ
これまで君に一度も逢ったことがなかったけれど

君の唇が目に焼き付き
君の声が耳にこびりついた
信じてくれよ 自分じゃどうにもならなかったんだ
荒馬だって僕を引きずり離しておけなかっただろう
月明かりの夜を思い浮かべ
僕の腕で君を優しくしっかりと抱きしめる
僕に言わせりゃそれで十分さ





こちらは「思い出のガーデン・パーティー」のライヴ映像。亡くなった年に収録されたもののようです。


これはニュー・ライダース・オブ・ザ・パープル・セージのカヴァー。スティール・ギターの間奏が印象的です。1972年発表の「Powerglide」に収録。


続いてC.C.R。ジョン・フォガティのシャウトする歌声が魅力的ですが、ここではいくぶん落ち着いた感じであっさりと歌っていました。1972年発表の「Mardi Gras」に収録。


こんな方々も歌っていました。私はブリティッシュ・ロックには疎いのでよく分かりませんが、1992年リリースの『Live At Wembry '86』に収められているそうです。


他にもジーン・ピットニーが1962年に、冒頭に述べたロギンズ&メッシーナが1975年発表の『So Fine』の中で取り上げており、カヴァー・ヴァージョンは枚挙に暇がないといったところです。ロギンズ&メッシーナの映像はYouTubeで探しましたが見つかりませんでした。

The Best of Ricky NelsonThe Best of Ricky Nelson
(2008/08/12)
Ricky Nelson

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Mardi GrasMardi Gras
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