好きな音楽のことについて語りたいと思います。

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Delaney & Bonnie - Accept No Substitute

 前回の記事ではジョージ・ハリスンがボブ・ディランらと立ち上げたザ・トラヴェリング・ウィルベリーズの皆様に登場していただきましたが、今回は彼が惚れ込んだアメリカの夫婦デュオを取り上げることにしました。そのデュオとはデラニー&ボニー。おふたりが1969年に発表したアルバム、『The Original Delaney & Bonnie/Accept No Substitute』を今回のお題とします。

オリジナル・デラニー&ボニーオリジナル・デラニー&ボニー
(2013/06/12)
デラニー&ボニー

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 デビュー・アルバム『Home』発売をR&B曲にオンエアを拒否されたなどの諸般の事情でスタックス・レコードに発売を凍結されたデラニー&ボニー。ここで諦めてはなるものかとばかりに心機一転、ロサンゼルスに拠点を移し、セカンド・アルバムの制作に入りました。幻のファースト・アルバムとなった『Home』ではブッカー・T&ザ・MG‘s、エディ・フロイド、アイザック・ヘイズら錚々たる面々の力を借りてR&B色の濃い仕上がりとなっていましたが、今回のレコーディングでは旧知のレオン・ラッセル(ピアノ)、ジェリー・マッギー(ギター)、ボビー・ウィットロック(キーボード)、カール・レイドル(ベース)、ジム・ケルトナー(ドラムス)、ボビー・キース(サックス)、ジム・プライス(トロンボーン)、リタ・クーリッジ(バッキング・ヴォーカル)などが参加。こうして黒人音楽に魅了された白人ミュージシャンたちが、南部仕込みのカントリーの要素も加えて醸し出す、「スワンプ・ロック」とも「カントリー・ソウル」とも称されるアーシーなサウンドを展開して行くことになります。また、友人である元ザ・バーズのグラム・パーソンズの紹介で、アラン・パライザーがマネージャーに就任。彼は1967年に開催されたモンタレー・ポップ・フェスティヴァルの仕掛人でした。
 業界に顔が利くアラン・パライザー、グラム・パーソンズ、レオン・ラッセルらの人脈が功を奏したのでしょうか、やがてエレクトラ・レコードがデラニー&ボニーに目をつけ、無事契約完了。晴れてエレクトラ・レコードからの再デビューに漕ぎ着けることになりました。
 ところが、デラニー&ボニーに注目していたのはエレクトラだけではありません。ジョージ・ハリスンがレコーディングされたデラニー&ボニーのテープを聴いていたく感動したのです。ジョージが彼らの存在を知るきっかけは親交のあったグラム・パーソンズの紹介であった旨がボニー・ブラムレットのインタビューの中で語られておりますが、アップルの広報担当でアメリカ西海岸のミュージシャンの広報も同時に手掛けていたデレク・テイラーからも基礎知識程度は耳にしてたでしょうし、敏腕マネージャーであるアラン・パライザーがジョージを始めとするイギリスのミュージシャンや業界関係者に、デラニー&ボニーのテープを配って広報活動をしていたという話もあります。
 そんなこんなでジョージはアップルからデラニー&ボニーのアルバムをリリースしようと画策し、テスト盤をプレス。しかし、エレクトラから「何をしはるんや。うちが先に契約しましたんやで。いくらビートルズやゆうても横取りされたら困りまんなあ」といった調子のクレームが入りあえなく断念することに。でも、どうしてジョージがそんな勇み足をしたのでしょう。おそらくアラン・パライザーが有利な契約を取り付けるために二股を掛けていたのかもしれません。
 ともあれ、デラニー&ボニーのアルバム『The Original Delaney & Bonnie/Accept No Substitute』は1969年7月にリリース。彼らが脚光を浴び始めると見るや、スタックスもその年の11月に『Home』を慌てて発売しました。
 デラニー&ボニー獲得に失敗したジョージでしたが、なんとか彼らとの縁を結び続けたかったのか、親友のエリック・クラプトンにブラインド・フェイスのコンサートのオープニング・アクトに起用するよう推薦します。ジョージからデラニー&ボニーのテープを聴かされたクラプトンは大感激。即座に「OK」しました。

 それではアルバムの中から何曲か紹介しましょう。オープニングはボニー・ブラムレットとカール・レイドル共作の「Get Ourselves Together」。ホーン・セクションをフィーチャーし、R&Bと泥臭いカントリーが融合した「カントリー・ソウル」といった風情の曲です。
 心が通い合わなくなった恋人たちが、お互いを見つめ直してやり直そうとする様が描かれた歌のようですが、「誰が正しくって、誰が間違っているかについて/俺には分からない、耐えられないんだ/一部の人を見放すなんて/でも、それが現実さ」といった歌詞に社会批判的なものが込められていると読み取れました。


GET OURSELVES TOGETHER
感情を抑えなくっちゃ
時間をかけて話し合おうよ
落ち着いて冷静になろう
お互いを理解しあう努力をしようよ
今がその時
今しかないよ、過ぎ去って行くまで
待っているわけにはいかないんだ

近ごろ、すべてがおかしくなったような気がする
誤解があるんだ
誰が正しくって、誰が間違っているかについて
俺には分からない、耐えられないんだ
一部の人を見放すなんて
でも、それが現実さ

これまで一度も話さなかったことが山ほどあるんだ
ふたりともすべてを何とか解決してきたと思っていた
ひとりがいつも正しいなんてあり得るのかい
世界は耐え難いもの、そう本当さ
俺には信じられない
感情を抑えなくっちゃ
時間をかけて話し合おうよ
落ち着いて冷静になろう
お互いを理解しあう努力をしようよ

 続いてドクター・ジョンことマック・レベナックとジェシー・ヒル共作の「When The Battle Is Over」。ドクター・ジョンはニュー・オーリンズ出身のシンガー・ソング・ライター。ニュー・オーリンズの古い音楽を、彼一流のセンスで料理して現代に甦らせた1972年の『Dr. John's Gumbo』は高い評価を受けました。ジェシー・ヒルは「Ooh Poo Pah Doo」(1960年)のヒットを持つニュー・オーリンズ系のシンガーです。
 恋愛においての男女の駆け引きが描写された歌。もっとも、勝った負けたと騒いでいる間は、まだまだお熱い時期なのかもしれません。


 こちらはプロモーション映像のようです。 


WHEN THE BATTLE IS OVER
またしてもあなたは私を傷つけた
自分が勝ったと思ったのね
あなたが不安になる理由がもうひとつ
私を打ち負かしたからって
捕らぬ狸の皮算用をしちゃいけないわ、ダーリン
だって私は信じてる、信じてるの、心から
やっとぴったりのお相手に巡り会えたんだと

この闘いが終わるとき
王冠を被るのは誰?
この闘いが終わるとき
王冠を被るのは誰なの?
いったい誰? 誰なのかしら?
それはあなたなの? 私なの?
誰が王冠を被ることになるのかしら?

おまえにキスをする度に
俺は優越感に浸れるぜ
おまえに降参してほしいんだ
そして俺がおまえの恋人だと言ってほしい
ちょっとした失言がなあ
船を沈めてしまうこともあるのさ
俺は信じる、信じてるのだ、心から
俺はやっと勝者の証明書を得たのだと

 ボニー・ブラムレット作の「Love Me A Little Bit Longer」。明るく軽快な作風とは裏腹に、恋人を友人に取られてしまう内容になっています。未練がましく、「せめて今だけでも愛してくれ」と懇願しても、離れてしまった心は戻らないものでしょう。


LOVE ME A LITTLE BIT LONGER
もう少し愛し続けてくれよ
もう少しだけ時間が欲しいんだ
頼むから、もう少し愛し続けてくれ
ちょっとだけ装っていたいんだ
おまえが俺のものでいてくれる間

おまえは去って行きたいのだな
一度もそんなことは言わなかったのに
でもおまえは俺のもとを去りたいと
おまえが出て行くのを見るのは忍びない

誰かがおまえの隣にやって来て
すぐにおまえは心変わりをしてしまった
ああ、なんてこったい、誰かがおまえのところにやって来たのだ
そいつは俺の友達だと思う

もう少し傍に詰めて
おまえの耳元で囁きたいのだ
俺にはおまえが必要だ、頼むよ
おまえがまだここにいる間に愛したい
ただ俺に触れてほしいだけ
とことんぞくぞくさせてくれよ
ああ、連れて行って、俺に触れてほしいのだ
他の誰にも出来ないように

もう少し愛し続けて
もう少し愛し続けて
もう少し愛し続けてくれ

 マッスルショールズを代表するソング・ライターのダン・ペンとエルヴィス・プレスリーやB.J.トーマスを手掛けたプロデューサーのチップス・モーマンのペンになる「Do Right Woman」。アレサ・フランクリンでお馴染みの曲ですが、まともに彼女に当たって行ってもかないません。デラニー&ボニーのヴァージョンは巧みに差別化を図る如く、カントリー・フレイヴァーを漂わせながらストリングスを効果的に配したアレンジに仕上げられていました。
 さて、男の思い上がりを叱責する内容が歌われておりますが、何かと思い当たる方も多いことでしょう。


DO RIGHT WOMAN
私を受け入れて
そうしたらいつでもあなたを愛すだろう
ほかの誰にも惑わされることなく
私という存在を当たり前だと思って
愛を曖昧なまま置き去りにすれば
意志の働きが萎え
誘惑が増すのよ

女だってただの人間
これを理解しなきゃ
彼女は遊び道具じゃないの
生身の人間なのよ
男と同じように

だから一日中品行方正な女性がほしいのなら
男も一晩中品行方正にならないと

ここは男の世界だって人は言う
私の傍ではそれを証明できないでしょ
私たちが一緒にいる間は、ベイビー
ちょっとは私に敬意を払ってよ
だって一日中品行方正な女性がほしいのなら
男も一晩中品行方正にならないと

 ソウル・クィーンの名称をほしいままにしたアレサ・フランクリンのオリジナル・ヴァージョン。群を抜く歌唱力と豊かな表現力には圧倒されます。1967年発表の『I Never Loved a Man the Way I Love You 』に収録。


 作者であるダン・ペンのセルフ・カヴァー・ヴァージョン。自分の人生を悔恨しながら噛み締めるにして歌う様子に男の哀愁が漂います。1994年リリースの『Do Right Man』に収録。


 この曲は他にも多くのアーティストによって取り上げられています。ウィリアム・ベル(1967年の『The Soul of a Bell 』収録)、グラム・パーソンズ率いるザ・フライング・ブリトー・ブラザーズ(1969年の『The Gilded Palace of Sin』収録)、ディオンヌ・ワーウィック(1969年の『Soulful』収録)、シェール(1969年の『3614 Jackson Highway 』収録)、ブレンダ・リー(1970年の『Memphis Portrait』収録)、ジョーン・バエズ(1971年の『Carry It On』収録)、ルル(1973年の『Lulu』収録)、イアン・マシューズ(1974年の『Journeys from Gospel Oak』収録)、ウィリー・ネルソン(1982年の『Always On Mind』収録)、シネイド・オコナー(2003年の『She Who Dwells in the Secret Place of the Most High Shall Abide Under the Shadow of the Almighty』収録 ) など枚挙に暇がありません。

 ブラインド・フェイスのステージの前座に起用されたデラニー&ボニーでしたが、彼らのパフォーマンスを目の当たりにしたエリック・クラプトンは「これや、これやがな。俺の求めていた音はこれやがな」とばかり、すっかり魅了されて行きました。やがてクラプトンはブラインド・フェイスを解散させ、デラニー&ボニーのツアーのサポートを買って出ることに。さらに1970年に発表されたソロ・アルバム『Eric Clapton』のプロデュースをデラニー・ブラムレットに任せるなど、その執心ぶりがよく窺われます。また、ジョージ・ハリスンも1969年12月に行われたデラニー&ボニーのイギリス・ツアーの中の幾つかの公演に参加。既にボブ・ディラン、ザ・バンド、ザ・バーズといったアメリカのミュージシャンと親交のあったジョージですが、ますますアメリカン・ルーツ・ロックや南部のサウンドに惹かれて行くことになりました。

Eric Clapton: Deluxe EditionEric Clapton: Deluxe Edition
(2006/05/23)
Eric Clapton

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 ジョージ・ハリスン参加のライヴ映像です。


 順風満帆と思われたデラニー&ボニーの音楽活動でしたが、その代償は大きく苦難の道がここから始まります。そのあたりの話はまた別の機会に。今回はこの辺りでお開きとしましょう。

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Delaney & Bonnie - Home

前回の記事の中でドン・ニックスがデラニー&ボニーの『Home』をプロデュースしたことに触れました。そこで今回はデラニー&ボニーの御二方に登場していただくことにしましょう。

HomeHome
(2006/05/23)
Delaney & Bonnie

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1. A Long Road Ahead
2. My Baby Specializes
3. Things Get Better
4. We Can Love
5. All We Really Want To Do
6. It's Been A Long Time Coming
7. Just Plain Beautiful
8. Everybody Loves A Winner
9. Look What We Have Found
10. Piece Of My Heart
11. A Right Now Love
12. I've Just Been Feeling Bad
13. Dirty Old Man
14. Get Ourselves Together
15. Pour Your Love On Me
16. Hard To Say Goodbye

デラニー・ブラムレットは1939年7月1日、ミシシッピ州ポントトック・カウンティの出身。実家が経営していた農場で働く黒人たちからの影響で、幼き頃からブルースに感化されていたと言います。やがて青年となった1960年頃、デラニーはロサンゼルスに出て、バンドを組んで活動するようになりました。その時期に知り合ったのがレオン・ラッセル。二人は親交を深めて行き、1964年にレオンがディレクターを務めたABCの音楽番組「シンディグ」が売り出したバンド、シンドッグズのメンバーに迎えられています。このバンドには後にエルヴィス・プレスリーのバック・バンドや数々のアーティストのレコーディングに参加して名を馳せるギタリストのジェイムズ・バートン、レオン・ラッセルの片腕となって行動を共にするドン・プレストンらが在籍。LAスワンプを形成する面々が若き日に篠木を削っていたとの様相が窺えます。

番組内でビートルズの「Ticket To Ride」を演奏するThe Shindogs(シンドッグズ)。後方でテレキャスターを弾いているのがジェイムズ・バートン、ベースを弾きながら歌っているのがデラニー・ブラムレットと思われます。


対するボニー・ブラムレット(結婚前の名はボニー・リン・オファレル)は1944年11月8日、イリノイ州アルトンに生まれました。幼き頃は教会の聖歌隊に所属。16歳頃にアルバート・キングやリトル・ミルトンのバック・ヴォーカルを務めるようになり、1962年頃にはアイク&ティナ・ターナーのコーラス隊、ジ・アイケッツに参加しています。1966年頃、ボニーはザム・ザ・ソウル&ボニー・リンというR&Bデュオを組んでロサンゼルスに進出。ナイト・クラブの仕事でデラニー・ブラムレットと出会い、恋に落ちて結婚しました。夫婦デュオ、デラニー&ボニーはこうして誕生したのです。

前述したようにデラニー・ブラムレットはレオン・ラッセルと親密な関係にあり、彼のファミリーの一員と言える存在でしょう。デラニー&ボニーの二人は1966年から67年にかけてシングル盤を何枚か発表(これらの音源は1971年に編集盤『Genesis』としてリリース)していましたが、レオンの弟分であるドン・ニックスの仲介によりスタックス・レコードと契約が成立。まず、ファースト・シングルとして68年5月に「It's Been A Long Time comin'」が発売され、R&Bチャートを上昇します。しかし、デビュー前に行ったライヴで二人が白人だと知ったR&B局のDJは次第に彼らの曲を敬遠するようになりました。
そんな状況の中、ドン・ニックスと彼の旧友でブッカー・T&MGsのメンバーでもあるドナルド・ダック・ダンがアルバムのプロデュースを担当し、MGsの面々に加えてアイザック・ヘイズ、ウィリアム・ベル、エディ・フロイドといった大御所がバック・ヴォーカルで参加して順調にレコーディングは進みます。ところが、当時のアメリカ南部はマーティン・ルーサー・キング牧師暗殺事件や暴動が各地で頻繁に起こっていた時代。いわば逆人種差別ともいえる問題に晒されたデラニー&ボニーが社会に与える影響を配慮し、スタックスはアルバムのリリースを凍結しました。
失望したデラニー&ボニーの二人はスタックスを去り、新たにエレクトラと契約してアルバム『Accept No Substitute - The Original Delaney & Bonnie』を1969年に発表。セールス面では芳しくはなかったものの、彼らは徐々に認知度を高めて行きました。キング牧師の暗殺から一年以上が過ぎ、アメリカ社会の緊張した状態が緩和。黒人の放送局で白人の音楽が流れ、白人の放送局で黒人の音楽が聴こえるような時代へと変わって行き始めたのです。その年の11月、スタックスは慌てて『Home』を発売するに至りました。



A LIGHT NOW LOVE
私を抱きしめてくれる愛するあなたなしでは
日々は長く、夜風は冷たく感じる
大切な時間を無駄にしていたのがおまえにも分かるだろう
おまえのもとに帰ろう お前を満足させるために

二人には愛が必要
今すぐに
二人には愛が必要
今すぐに

渇望した私の心 あなたは私を夢中にさせる
いつもと変わらぬ言葉が私を溢れんばかりに癒してくれる
大切な時間を無駄にしていたのがおまえにも分かるだろう
二人が一緒なら時間なんて問題じゃないのさ

夜よりも長く陽光を浴びているのは
あなたが私を愛し続けてくれているようなもの
大切な時間を無駄にしていたのがおまえにも分かるだろう
二人でこっそり抜け出そうぜ 俺とおまえだけでな

愛し合わなければならない 今すぐに

エディ・フロイドのナンバー「Things Get Better」。「おまえといればうまくいく/あなたといればうまくいく」と歌う様はこの頃の夫婦仲の良さを彷彿させます。


1970年に発表された『On Tour With Eric Clapton』に収録されていたヴァージョンです。


Jerry Ragovoy & Bert Berns作の「Piece Of My Heart」。「私の心のかけらを奪って」と魂のこもったボニーの熱唱が胸に迫ります。アレサ・フランクリンの妹、アーマ・フランクリンが1967年にリリースしたのがファースト・レコーディングのようです。ダスティ・スプリングフィールド(1968年の『Dusty... Definitely 』収録)、ブライアン・フェリー(1973年の『A Foolish Things』収録)、フェイス・ヒル(1993年の『Take Me As I Am』収録)、フィービー・スノウ(1998年の『I Can't complain』収録) などカヴァー・ヴァージョンは枚挙に暇がありません。


カントリー・シンガー、フェイス・ヒルのヴァージョンです。

http://www.youtube.com/watch?v=qPseJvXVVfo&ob=av2el

ジャニス・ジョプリンもアルバム『Cheap Thrills』(1968)で歌っておりました。宜しければ今回はライヴ映像でご覧ください。

http://www.youtube.com/watch?v=-7JVxE2SYxo

デラニー&ボニーはR&B、ゴスペル、ブルースなどの黒人音楽を白人としての解釈で昇華させていったデュオです。とりわけこの『Home』は黒人音楽への憧憬が素直に溢れた彼らの原点とも言えるアルバム。幼き頃から黒人や黒人音楽に親しんできた二人には当たり前の感覚から発せられた作品だったのかもしれません。それ故に、黒人DJからオンエアを拒絶されたことはこの上もないほどの衝撃を与えられたかと思われます。
 
今回は『レコード・コレクターズ』1998年8月号に掲載されたデラニー・ブラムレットへのインタビュー記事を参考文献として参照しました。
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