好きな音楽のことについて語りたいと思います。

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Tommy Boyce & Bobby Hart - TEST PATTERNS

 熊本県は3月5日、微小粒子状物質(PM2.5)の大気中濃度が、県内の観測地点のひとつである荒尾市役所にて午前5時に91マイクロ・グラム、同7時に101マイクロ・グラムを観測し、環境省が示した基準値(1日平均70マイクロ・グラム超)を超えたため、ホームページなどで外出を控えるよう注意喚起しました。この日は福岡市で午前7時に84マイクロ・グラム、大分県日田市で午前9時に95マイクロ・グラム、長崎市でも午前2時に84マイクロ・グラムを観測したとのこと。また、広島県内でも測定器のある10か所のうち8か所で環境基準をオーバーし、大阪府柏原市では、一時91マイクログラムを記録するなど西日本各地で非常に高い数値となっております。
 その翌日以降も大阪府や京都府を含む近畿各地で環境基準を超える濃度が観測されたとの報道を耳にし、このままでは外出自粛が出されるのではとの懸念が生じました。また、9日には九州、近畿、北陸、東海などで黄砂を観測。外に出て近所を歩くと青空の中で白く靄のかかったような比叡山や大文字山が目に映り、いつもの春霞とは異なった光景がとても気になっています。
 さて、そんな心配を吹き飛ばそうと、今回もしつこくA&Mに所属したソフト・ロック系のアーティストを取り上げることにしました。ご登場を願うのはトミー・ボイス&ボビー・ハート。ザ・モンキーズに数々のヒット曲を提供した方々です。

テスト・パターンズ(紙ジャケット仕様)テスト・パターンズ(紙ジャケット仕様)
(2012/07/25)
トミー・ボイス&ボビー・ハート

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 1939年9月29日にヴァージニア州シャーロッツヴィルで誕生したトミー・ボイス。同年2月18日にアリゾナ州フェニックスで生まれたボビー・ハート。二人とも早くから音楽に目覚め、ソロ歌手として、そしてソング・ライターとして活動を始めました。そんな二人が出会ったのは1959年のロサンゼルス。ソング・ライターとして楽曲が取り上げられるようになっても、シンガーとして鳴かず飛ばずの状態だった彼らはお互いに親近感を憶えたのか、すっかり意気投合してコンビを組むことになったのです。
 トミーとボビーによる共同作業はチャビー・チェッカーの「Lazy Elsie Molly」(1974年に全米40位)、ジェイ&アメリカンズの「Come A Little Bit Closer」(1964年に全米3位)とヒット曲を連発。翌65年にはディーン・マーティンの「Little Lovely One」、ジーン・ピットニーの「I'd Like To See Me Stop You」なども手掛けるようになりました。業界注目のソング・ライター・チームとなった二人。そんな彼らのところに舞い込んだのがザ・モンキーズへの楽曲提供です。
 NBCテレビの番組「ザ・モンキーズ」と連動して活動を始めたモンキーズ。ボイス&ハートの書いた「Last Train To Clarksville」、「Steppin' stone」、「Words」、「Valerie」などがモンキーズによって歌われ、次々とヒット・チャートを駆け上がりました。日本のファンにはこれらの他に、「I Wanna Be Free」が特に心に残っていることでしょう。さらにボイス&ハートの二人は楽曲提供のみならず演奏やプロデュースなどにも参画し、モンキーズとの関係を深めていくことになります。
 元々はパフォーマー志望だったボイス&ハート。欲が出たのか、チャンス到来と見たのか、自分たちも表舞台に立ちたいとA&Mと契約。1967年から1969年にかけて3枚のアルバムをリリースしてまずまずの実績を残しました。1970年代に入るとそれぞれがソロ活動に転じましたが、1975年にモンキーズの再結成に二人して参加。1976年にミッキー・ドレンツ、ディヴィー・ジョーンズ、トミー・ボイス、ボビー・ハートというメンバーで『Dolentz, Jones, Boyce & Hart』というアルバムを発表しています。
 再結成されたモンキーズがヒット・チャートを賑わすことはなかったのですが、ライヴ活動は精力的に行われました。1976年7月には日本公演も実現し、来日中に堺正章さんが司会をされていた『NTV紅白歌のベストテン」という番組にゲスト出演されていたの憶えています。モンキーズの面々による演奏は行われず、たんなるプロモーションのため出演のようでしたが、懐かしい顔が拝見できただけでも感激。当時、拙ブログで度々言及するトリオ編成の女性ヴォーカル・グループではない別の女性シンガーが目当てでこの番組を観ていたのですが、少しばかりラッキーな出来事に遭遇できたと実感したものです。

 それでは今回は1967年にリリースされたファースト・アルバム、『Test Patterns』から2曲を紹介しましょう。まず、全米39位まで上昇した第1弾シングルでもある「Out & About」。本来はモンキーズのために書かれた曲だったとのことですが、プロデューサーのチップ・ダグラスが採用を見送り、「ほな、俺らでやりまっさ」とばかりにレコーディングしたいわれのある曲です。


OUT & ABOUT
ここでは何も起きていない
1年中、何も進んでいないんだ
明けても暮れてもそこに留まり
外で遊べたら良いのになあと願っている

病が癒えてやっと外に出られる
すべてが俺のために動いてるのさ
やっと外に出られるようになったんだ
うんざりさせられていたものすべてから解放されたんだ
やっとおんもにでられるようになったんだぜ
街中を車でぶっ飛ばそう
お外に出られたんだ
女の子たちはみんなカワイコちゃん
外へ出られていい気分さ
欲しいものを手に入れる余裕なんてないさ
この家にあるのは退屈だけ
雑誌は引き裂かれぼろぼろ
読むものはもうないのさ

外に出て、この目で何が起こっているかを見るとしよう

病が癒えてやっと外に出られる
太陽はいつも輝いている
やっと外に出られるようになったんだぜ
とても楽しく過ごしているんだ
やっとおんもに出られるようになったんだ
ダチのところを訪ねて笑い合うのさ
お外に出られたんだ
なんていかした時間なんだ
一緒に楽しく過ごそうぜ

俺たちは外に出られるようになったんだ、外に
おんもに出られるようになったんだ、おんもにさ
お外へ出られるようになったんだ、お外にな

 アメリカNBC制作のテレビドラマ『I Dream of Jeannie(かわいい魔女ジニー)』からの一場面です。冒頭にはフィル・スペクター氏も登場。私は幼少の頃に放送されていたこの番組に毎回釘付けでしたが、こんな貴重なシーンの記憶がありません。人気番組にわざわざ出演させるとは、A&Mがよほどボイス&ハートの売り出しに執心だったことが察せられます。


 続いて第2弾シングルとなった「Sometimes She's A little Girl」。モンキーズを彷彿とさせる曲調で、ザ・ビートルズを意識したかのような「She's A Woman」という歌詞も飛び出します。途中でテンポを変えたり、ストリングスを導入するなどの工夫されたアレンジが興味深いところですが、全米110位とヒットには至りませんでした。


SOMETIMES SHE'S A LITTLE GIRL
彼女をご機嫌な気分のままにさせておきたいのなら
近所で流れている
バンドが演奏する音楽に合わせ
彼女の心配事などすべて忘れさせて踊らすんだ

彼女は女、知っておいたほうが良いぜ
彼女が着ている服で分かるんだ
自分が何をしているかを彼女はいつでも分かっているんだ
彼女はうまくやってるよ
若き女の誉れっていったところだ

でも、ときどき少女のようになるのさ
この大きな既成の社会がとても怖くなって
そんな時、俺はこの腕の中で彼女を抱きしめ
そして言うんだ(俺がついてるぜ)

勝ち誇ったか彼女の顔を見てみろよ
生娘じゃないってことが分かるぜ
ともかく彼女はその綺麗な顔を向けるのさ
自分が格好良く見えることを知っているからだよ

一瞬だけ彼女は君と歩調を合わすが
君の頭を振り向かせると彼女はすぐに忘れてしまうだろう
彼女が間違ってるなんて
彼女を見てたら君は決して思わないだろう
出来ることなら俺は彼女に対しての
考えを変えるつもりはない
出来ることなら 出来ることなら

綺麗な彼女
彼女は女
だけど彼女は少女なのさ

 モンキーズとの活動を終えた2人は再びそれぞれの道を歩みます。トミー・ボイスは自らのバンドを率いてアルバムをリリースする傍ら、1981年にイギー・ポップの『Party』をプロデュース。ボビー・ハートは1979年にソロ・アルバムを発表した後、1983年公開の映画『Tendar Mercies』の劇中でベティ・バックリーによって歌われた「Over You」をオースティン・ロバーツと共作し、第56回アカデミー賞にノミネートされてソング・ライターとしての実力を発揮。1989年にはニッカ・コスタ(サラ・ヴォーンやフランク・シナトラのアレンジャーとして知られるドン・コスタの娘)のアルバム『Here I Am』に楽曲提供とアレンジで携さわっています。しかし、残念ながらトミー・ボイスは1994年11月23日に自らの命を絶ち、ボイス&ハートのリユニオンは叶わぬこととなりました。

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