好きな音楽のことについて語りたいと思います。

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The Nitty Gritty Dirt Band - Ricochet

今回はマーヤさんのブログ「始まりはいつもジョン・デンバー」」で、ジョン・デンバーとニッティ・グリッティ・ダート・バンドが共演した”And So It Goes”が扱われていたのに触発されて、NGDBを取り上げることにしました。お題は彼らが1967年に発表したセカンド・アルバム『Ricochet』です。

RicochetRicochet
(1996/02/07)
Nitty Gritty Dirt Band

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1. Shadow Dream Song
2. Ooh Po Pe Do Girl
3. Coney Island Washboard
4. Put a Bar in My Car
5. It's Raining Here in Long Beach
6. I'll Search the Sky
7. Truly Right
8. Tide of Love
9. Happy Fat Annie
10. I'll Never Forget What's Her Name
11. Call Again
12. Teddy Bear's Picnic

1970年代にカントリー・ロックを代表する地位を確立したNGDBですが、1960年代の中頃にバンドが結成された時期はジャグ・バンドの特徴を色濃く持っていました。ジャグ・バンド(Jug Band)とは20世紀初頭のアメリカ南部で興った音楽の形式で、ヴォードヴィルやブルースに影響を受けた大衆音楽です。もともとはジャグと総称されることになる身の回りにある瓶(Jug)、洗濯板(ウォシュ・ボード)、洗濯桶(ウォッシュ・タブ)、ノコギリ、スプーンなどの生活用品を楽器の代わりとして演奏されていました。こうした工夫は貧困のために楽器を手に入れることが困難だった黒人たちが編み出した知恵の賜物と言えるでしょう。
こうした代用品に、正式な楽器であるハーモニカ、カズー、ギター、バンジョー、マンドリン、アコーディオンなども加わって発展し、音楽ジャンルとしての名称もスキッフルと呼ばれ始めます。また、白人の間にも広まって行ったこともあってカントリーの要素も窺えるようになりました。
ジャグ・バンド(スキッフル)はケンタッキー州ルイビルが発祥の地とされていますが、やがてメンフィスでも盛んになり、この二つの都市を中心に1920年代から30年代にかけて最盛期を迎えました。しかし、音楽の流行は移ろいやすく、1930年代後半には衰退してしまったのです。
忘れ去られた音楽となりかけていたスキッフルですが、1950年代のイギリスでブームが起こりました。ジャグをあまり用いず、ギターを中心としたアンサンブルでスキッフルに興じる十代の若者たち。その中にはビートルズの前身であるクォーリーメンの姿もありました。
そうしたイギリスでのブームに呼応するように、アメリカでも1950年代後半から60年代にかけて、フォーク・リヴァイヴァルの動きとともにジャグ・バンド(スキッフル)が浸透し始めます。ボストンを拠点としたジム・クェスキン・ジャグ・バンド、後にラヴィン・スプーンフルを結成するジョン・セバスティアンが参加していたニューヨークのイーヴン・ダズン・ジャグ・バンドなどが脚光を浴びました。なお、この二つのバンドにはマリア・マルダーが在籍しています。

時を同じくして、土曜の午後になるとカリフォルニア州ロング・ビーチの喫茶店に集まり、ステージに上がっては手当り次第に側にあるものを楽器に見立てて鳴らしまくっていた数人の少年たちがいました。彼らはやがてバンドを組み、人前で演奏をするようになります。あくまでも逸話ですが、これがニッティ・グリッティ・ダート・バンド結成のいきさつでした。

結成当初はイルジティメイト・ジャグ・バンドと名乗っていたNGDG。メンバーはジェフ・ハンナ(ギター、マンドリン、ウォッシュ・ボード、ドラムス)、ジミー・ファッデン(ギター、ハーモニカ、ウォッシュ・タブ・ベース、ジャグ)、ラルフ・バー(ギター、クラリネット)、レス・トンプソン(ギター、ベース、マンドリン)、ブルース・カンケル(ギター、カズー)、そしてジャクソン・ブラウン(ギター)です。
ジャクソン・ブラウンがNGDBに在籍していたのは1966年初頭からのほんの数ヶ月間。彼らの付き合いは古く、NGDBがパラドックスを始めとするオレンジ・カウンティのクラブや学校などを回っていた65年頃からとされています。
前述のようにアメリカでもジャグ・バンドやラグタイム・ミュージックが見直されている最中にジャクソン・ブラウンとNGDBは巡り会いました。彼らはセッションを繰り返し、音楽的な方向に差異があったもののメンバーの陽気さに惹かれてジャクソン・ブラウンはバンドに加入します。この当時、ジャクソン・ブラウンは高校生でしたが、既にソロ・シンガーとしてクラブで歌うようになっていました。好奇心おう盛な年頃、バンドでのパフォーマンスも自らの音楽活動のための貴重な経験となり得ると判断しての参加だったのかもしれません。
NGDBは地元オレンジ・カウンティのクラブ「パラドックス」で催されたタレント・コンテストで優勝。次々と仕事が舞い込み、ラヴィン・スプーンフルとの共演を果たしてカリフォルニア以外の地域にもその名が知られるようになりました。しかし、ジャクソン・ブラウンの才能をNGDBのメンバーは認めながらも、彼の作る曲はバンドのトーンと違いすぎることが次第に浮き彫りとなっていたのです。後にジャクソン・ブラウンの代表曲となる "These Days" (1973年発表の『For Everyman』に収録)の原型はこの頃に作られており、NGDBもサード・アルバム『Rare Junk』(1968年発表)でこの曲をレコーディングしました。
高校卒業を控えたジャクソン・ブラウンはNGDBを脱退し、再びソロ・シンガーとしての道を歩むことになります。NGDBには彼に替わり、バンジョーの名手であるジョン・マッキューエンが加わりました。

NGDBは1966年秋にリバティ・レコードと契約し、翌67年にデビュー・アルバム『The Nitty Gritty Dirt Band』をリリース。ジャグ・バンドにこだわらず、ブルーグラス、カントリー、R&B、ロックン・ロール、ポップスと多彩な音楽性を披露しています。シングル・カットされた「Buy For Me The Rain」(グレッグ・コープランド&スティーヴ・ヌーナン作)は全米45位とまずまずのヒットを記録。アルバムにはジャクソン・ブラウン作の ”Melissa" と "Holding"も収録されていました。


ヒットの余勢を駆って、同じ年にセカンド・アルバム『Ricochet』を発表。ファースト同様、ジャグ・バンド、ロック、ブルース、カントリーとなんでもありで、混沌とした状況を呈していました。

アルバムのオープニング・ナンバーはジャクソン・ブラウン作の「Shadow Dream Song」。この曲の詳細は以前に書いた記事を参照していただければ幸いです。なお、このアルバムにはさらにジャクソン・ブラウン作の楽曲、「It's Raining Here in Long Beach」も収録されていました。


ジェフ・ハンナ作の「Ooh Po Pe Do Girl」。スキッフル風ではありますが、作風にラヴィン・スプーンフル(ジョン・セバスティアン)の影響が窺えます。


このアルバムのプロデューサーであるダラス・スミスが書いた「Put a Bar in My Car」。これもジョン・セバスティアンを連想させるような仕上がりです。


スティーヴ・ヌーナンとグレッグ・コープランドの共作「Tide of Love」。彼らはジャクソン・ブラウンの友人であり、当然のことながらNGDBとも少なからず親交がありました。スティーヴ・ヌーナン自身のヴァージョンは1968年に発表したアルバム『STEVE NOONAN』に前述の「Buy For Me The Rain」とともに収められています。


TIDE OF LOVE
愛の潮が満ちて来るのをごらん
俺がうたう歌を聴きにおいでよ
俺に君がいて、この愛は確かなものだと分かっている
でも愛ってはかないもの
山の頂上に昇る太陽の様子をごらん
空気が新鮮で新しくなるのを感じてくれ
草原や泉まで一緒に行こう
俺が行くところには君をきっと連れて行く

愛は永遠のものではないことぐらい知っている
だけどふたりが過ごした僅かな時間を抱いて
生きて行くことはできる
絶対に離れないでいてくれなんて君には言えない
でも君が去る前に愛し合うことはできる
だから今、花を愛すように俺を愛してくれないか
寒い冬の空気の中で死んでしまうまで
ひとつの幸せな時間の思い出だけを
俺に残してくれればいい
あまりに短く あまりに美しい愛の思い出を
愛が潮が満ちて来るのをごらん

ヒットした「Buy For Me The Rain」と同じ作者の楽曲であり、フォーク・ロック調のアレンジが施されたこの曲は二匹目のドジョウを狙う意図があったのでしょう。ジャグ・バンドのブームがいつまでも続くものではありません。NGDBは1968年に『Rare Junk』、69年に『Alive』と順調にアルバムをリリースしましたが、一方でジャグ・バンドのイメージを払拭しようと試行錯誤を繰り返しました。

1969年、NGDBは一旦活動を停止。ジェフ・ハンナは後にイーグルスに参加するバーニー・レドンとコーヴェッツというバンドを組むなど各々が充電期間を設けました。
数ヶ月後、メンバーは再び結集して新しいアルバムの制作に入ります。彼らはジャグ・バンド色を薄め、カントリーやブルー・グラスといったルーツ・ミュージックの要素とロックを融合した斬新でユニークなサウンドを生み出しました。それが1970年に発表された名盤『Uncle Charlie & His Dog Teddy』です。

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The Nitty Gritty Dirt Band - Will The Circle Be Unbroken

Deezerのプレイヤーが不調のためにアルバム紹介というかたちが困難となったので何を取り上げようかと思っていたところ、このブログともリンクしていただいているPurple_Hazeさんのブログ「Blues Power」でロギンズ&メッシーナを扱われていたのを目にして、「House At Pooh Corner(邦題:プー横町の家)」が頭の中に鳴り響いて止まらなくなりました。よし、ロギメナの映像ならYouTubeに豊富にありそうなので、「決まり」と思いましたが、すぐさま同じアーティストをかぶせるのは人生の先輩に対してあまりにも失礼ではないのかと考え直し、「プー横町の家」のカヴァーで有名なニッティー・グリッティー・ダート・バンドで何か探そうというところで落ち着いたのです。
そんなわけで、今回はNBDBが1972年に発表した「Will The Circle Be Unbroken(邦題:永遠の絆)」の中からタイトル曲を取り上げます。NGDBは1970年にリリースした『Uncle Charley And His Dog Teddy(邦題:アンクル・チャリーと愛犬テディ)』が出世作となりカントリー・ロックというジャンルが確立して好評を得ている現状を鑑み、カントリーやブルーグラスに興味を持ってくれたファンに本物の味を味わってもらいたい、スーパー・ヒーローたちを知ってほしいと思うようになり大御所たちへ共演のオファーを出したのです。しかし、出演交渉は難航し、真っ先に呼びかけたカントリー/ブルーグラスの重鎮ビルモンローには、「髪の長いヒッピーのようなロッカーと一緒に演る気などない」と断られてあえなく撃沈。その後はメンバー全員平身低頭、ショート・カットにしてお歴々のところへセッションを依頼するために奔走したとの逸話が残っています。
アルバムの実質的な最後を飾る曲として収録されたこの「永遠の絆」はメイベル・カーター、ジミー・マーティン、ロイ・エイカフの御大3人がリード・ヴォーカルを取っています。コーラスに参加していた総勢は31人。いずれ劣らぬ強者が集まっていたとのことです。
このセッションに臨んだNGDBのメンバーはジョン・マッキューエン、ジェフ・ハンナ、ジム・イボットソン、レス・トンプソンの4人。先輩や長老たちに気を配りながら胸を借りた様子がひしひしと窺えるアルバムでした。
なお、「永遠の絆」はメイベル・カーターが所属していたカーター・ファミリーがオリジナルの楽曲。後述しますが、ジョニー・キャッシュの妻、ジューン・カーター・キャッシュは彼女の娘にあたります。

まず、NGDBと大御所たちとのライヴ映像。いつごろのものでしょうか。NGDBのメンバーもけっして若くありません。この時は既に脱退していたと思われるバンジョー担当のジョン・マッキューエンは白髪になっています。


次は1990年発表の『Will The Circle Be Unbroken Vol. 2』のレコーディング・セッションから。ジョニー・キャッシュ、ロイ・エイカフ、リッキー・スキャッグス、リヴォン・ヘルム(The Band)with エミルー・ハリス、ジム・イボットソン(NGDB)の順でリード・ヴォーカルが取られます。他のNGDBのメンバーはジェフ・ハンナ(ギター)、ボブ・カーペンター(ピアノ)、ジミー・ファッデン(ドラムス)といった具合に楽器演奏とバック・コーラスに徹していました。また、バック・コーラス陣にはジョニー・キャッシュ夫人のジューン・カーター・キャッシュ、ヴィンス・ギル、アール・スクラッグス・レヴューなどカントリー/ブルーグラス界の大御所に混じり、ロジャー・マッギン、クリス・ヒルマン、トレーシー・ネルソン、ジョン・ハイアット、ウェンディ・ウォルドマン、ブルース・ホンズビー、ジョン・デンバーなど豪華な面々が駆けつけていました。


中学生ぐらいの時はとくに興味を引く存在ではなかったのですが、年を重ねるごとにジョニー・キャッシュに魅了されて行きました。1990年代の中頃にNHKで放送された「ドクター・クイン 大西部の女医物語」でのガンマン役も格好良かったですね。これはいつ頃の映像でしょうか。ジョニー・キャッシュ夫妻の元気な姿が見られます。また、娘さんであるカーレン・カーター(元夫はニック・ロウ)も出演。何枚もアルバムをリリースしているシンガーです。以前通っていたレコード屋さんで、「音もルックスも君の好みだから買いなよ」と薦められたものの未だに1枚も購入に至っておりません。


ブリティッシュ・トラディショナル・フォークのペンタングル。アメリカ勢と違ってしっとりとした印象です。1971年発表の『Reflection』に収録。


ステイプル・シンガーズの音源です。とてもソウルフルでカントリーとはかなり雰囲気が違いますね。1960年発表の『Will The Circle Be Unbroken』に収録。メンバーのメイヴィス・ステイプルズは現在もソロで活動中。2007年にリリースしたライ・クーダーのプロデュースによる『Never Turn Back』が話題になりました。


最後はジョーン・バエズ。マペット・ショー出演時の映像で、「セサミ・ストリート」でお馴染みのカエルのカーミット君と共演しています。


他にもネヴィル・ブラザーズが1889年発表の『Yellow Moon』で取り上げていますが、さすがにYouTubeに映像がありませんでした。これもアーロン・ネヴィルらの歌声によって実に味わい深く仕上がっています。

Will The Circle Be Unbroken
俺は窓の側に立っていた
ある寒く曇った日のこと
霊柩車がやって来て
俺のおふくろを連れて行こうとした

家族の絆はより確かなものになるのだろう
まもなく 主よ まもなく
もっと良い家が空の彼方で待っているのだろう
神に召されることによって

俺は葬儀屋に頼んだ
葬儀屋さんよ、どうかゆっくりと車を走らせてくれ
収容されたおふくろのために
ああ、おふくろが逝ってしまうのを辛くて見ていられない

俺はおふくろの背後にぴったりと寄り添い
落ち着きを失わず凛々しくあろうとした
でも 悲しみを隠すことが出来なかった
その時 おふくろは墓の中に横たわった

家に帰ると寂しさが漂う
おふくろを失った おふくろは召されたのだ
兄弟姉妹は泣き叫び
家の中はなんと悲しく寂しいものなのか


Will the Circle Be UnbrokenWill the Circle Be Unbroken
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マーヤさんのブログ「始まりはいつもジョン・デンバー」で、NGDBとジョン・デンバーが共演している "And So It Goes" が取り上げられていました。『Will The Circle Be Unbroken Vol. 2』に収録されている曲です。

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