好きな音楽のことについて語りたいと思います。

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Paul McCartney & Wings - Tomorrow

 ポール・マッカートニー主導で作られたビートルズ・ナンバー「Yesterday」はあまりにも有名です。彼は他にも「Another Day」、「Here Today」、「Tomorrow」など「日」に因んだタイトルの曲を発表してきました。それらの殆どは今なおステージで演奏されているのですが、何故か「Tomorrow」だけが蚊帳の外。そこで、今回はこの「Tomorrow」をお題とし、とりとめのないことを語らせていただくことにします。


TOMORROW
ねぇ、ベイビー、明日はがっかりさせないでくれよな
お互いの手を取り、哀しみを捨て去ろう
明日は出発するにはいい日なんだ

なあ、ベイビー、日曜日を怠惰に過ごしたな
ここにある1ポンドで
月曜まであくせくしてやりきろう
ああ、日曜日はがっかりさせないでくれよ
パンとチーズをどっさりバッグに詰めて
木陰を探し
田舎の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込もう
そして君のきれいな指で俺の髪をといてくれよ

明日は
ふたりが哀しみを捨て去るとき
ああ、ベイビー
がっかりさせないでくれ
一週間は何としても
ああ、明日は一緒に旅立つチャンスなんだから

さあ、晴れた空に祈ろう
君の瞳に映る虹に願を懸けるよ
気象予報士の機嫌がいいことを望む
ふたりの計画を台無しにしないように

ねぇ、ベイビー、明日はがっかりさせないでくれよな
お互いの手を取り、哀しみを捨て去ろう
明日は出発するにはいい日なんだ

 1971年リリースの『Wings Wild Life』に収められていた小品、「Tomorrow」。少年期に最愛の母を亡くした経験と失恋した時の気持ちを重ね合わせながらの追憶と後悔が表された「Yesterday」とは違い、過去を振り返ることなく「明日への希望」が歌われています。歌詞の中に "Don't you let down" という言葉が何度も出てきますが、ジョン・レノン主導のビートルズ・ナンバーである 「Don't Let Me Down」をポールが意識していたかどうかわかりません。しかし、「お互いの手を取り哀しみを捨て去ろう」、「明日は出発するにはいい日だ」といった歌詞からはジョンとの和解を呼びかけているようにも受け取れます。そんなポールの「ラヴ・コール」に気を良くしたのか、ジョンは『マイク・ダグラス・ショウ』に出演(1972年2月14〜18日の5回)した際、『Wild Life』に関して「いいね。悪くない。あいつはいい方向に進んでるよ」と評したとのこと。1971年9月に9日リリースされたジョンのアルバム『Imagine』に収録されていた「How Do You Sleep」においてはポールを誹謗中傷しているのではないのかと物議を醸しましたが、いやそうでなく、「過去の栄光にすがらんと気を引き締めなあかんど」というジョンからポールへのアドバイスであったことを裏付けるような内容だったように思えます。たとえ別れて暮らしていても、心が通い合うかのようなジョンとポール。私のような常人には決して立ち入ることが出来ぬ関係なのでしょう。
 思い返せば、私がかなり以前に勤めていた会社にも、とても仲のよい先輩2人組がおられました。出勤もたいてい一緒、昼食も誘い合わせ、外回りや残業がなければ揃って社を後にするという毎日。聞けば幼馴染みだそうで、現在も近所に住んでおられるとのことでした。元々は別の会社にいたらしく、片方をもう片方がその技量を上層部に推薦した上で引っぱってきて、晴れて同僚となったようです。そんな恋人同士のような彼らですが、ふたりとも妻子がおられ、つまり家族ぐるみの付き合いをされておられるということなのでしょう。決して怪しい仲、背徳的な関係ではありません。自分の都合であっさりと友達や仲間を出し抜いたり裏切ったりするのが珍しくない現代社会において、永遠の如くの友情とは実に羨ましいものです。
 少し前に「日本はポール・マッカートニーだ。ポールのいないビートルズはあり得ない。米国はジョン・レノンだ。この2人がきちっとハーモニーをしなければならない」と理解に苦しむような発言をした総理大臣がおられました。それに比べれば、「日米同盟は深い友情に結ばれた同盟であること」に言及したうえで、キャロル・キングの「You've Got A Friend」の歌詞を引用し、「歴史の直視」と「未来志向」というメッセージが込められた現在の総理によるアメリカ議会上下院の合同会議でのスピーチのほうが、よほど的確ではないでしょうか。是非はともかくとして。
 この演説に、ネットでは「日本の戦後史とアメリカへの思いを首相自らの人生を重ねて語られた。日米両国の新蜜月時代を象徴する名演説」と高く評価する声が相次ぐ一方で、「大好きなこの曲が、こんな形で引用されて悲しい」、「音楽も何も知らんくせに、ウケ狙いで政治利用すんなー!」、「政治家が歌の趣旨を曲解して利用することに憤りを覚える」とキャロル・キングおよび当該の曲を汚されたと言わんばかりの非難が続出しているようです。さらには「国益を図りながら外交をしている国家観に友情は成り立たない。情緒に流されるのは禁物」といった覚めた意見もありました。
 さて、このまま話を進めると、お題と関係のない方向に向かってしまいそうなので、今回はこのあたりでお開きとさせていただきます。ぼやき漫談にもならぬ、いつもながらの拙い文章でしたが、ご覧いただき誠にありがとうございました。

 残念ながら、現在は廃盤状態のようです。そのうちにアーカイヴ・コレクションとして再発するでしょう。


 おっと、閉店前にカヴァー・ヴァージョンを紹介しておきましょう。前回のネッド・ドヒニーの「Get It Up For Love」に引き続き登場のデヴィッド・キャシディさんです。彼の歌う「Tomorrow」は1976年発表の『Home Is Where The Heart Is』に収録。このアルバムはキャシディ本人とシンガー・ソング・ライターのビル・ハウス(ギターなどでも参加)との共作曲が4曲も含まれ、ジェシ・エド・ディヴィス(ギター)、ダニー・クーチ(ギター)、ネッド・ドヒニー(ギター)、リー・スクラー(ベース)、ジム・ケルトナー(ドラムス)、ジム・ゴードン(ドラムス)、リッチー・フューレイ(バック・ヴォーカル)、ブルース・ジョンストン(キーボード)、カール・ウィルソン(バック・ヴォーカル)など錚々たる面々が集結。キャシディとの共同プロデュースを勤めたブルース・ジョンストンの豊富な人脈のなせる業でしょうか。なお、ビル・ハウスもジョンストンとテリー・メルチャーのプロデュースによって『Give Me A Brake』というアルバムを1974年に発表していました。




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Paul McCartney - My Brave Face

 前回の記事ではブルース・スプリングスティーンを取り上げましたが、その際にYouTubeを検索していると、このような映像に出逢いました。


 これは日本では2013年の7月23日に全国21の劇場で、一夜限り公開されたリドリー・スコット製作総指揮によるブルース・スプリングスティーンの映画『SPRINGSTEEN & I』の本編終了後に上映された映像です。2012年7月14日にロンドン、ハイドパークで行なわれたフェスティヴァル「HARD ROCK CALLING」のコンサートで共演したブルースとポール・マッカートニーの映像は30分以上に及んだとのこと。ポールがリード・ヴォーカルを取る「Twist&Shout」は珍しく、なかなか興味深いものですね。

 というわけで、今回は来日間近のポール・マッカートニーさんに登場していただきましょう。お題はエルヴィス・コステロとの共作による「My Brave Face」。1989年6月5日にリリースされた『Flowers In The Dirt』に収録されていた1曲で、シングル・カットされてイギリスでは18位、アメリカでは25位まで上昇しました。なお、アルバムのほうは全英チャートで1位を獲得しています。

Flowers in the DirtFlowers in the Dirt
(1990/10/25)
Paul Mccartney

商品詳細を見る

 以前はボーナストラックの選曲を組み替えたヴァージョンが幾つか発売されていたことがありました。そのうち最新リマスターによるアーカイヴ・コレクションがリリースされることでしょう。



MY BRAVE FACE
平静を装う俺の顔

俺はずっと贅沢な暮らしをしてきた
自分には不慣れ生活だと分かっているのに
町に馴染もうとしていたのに
町は俺を受け入れてくれなかったのさ

俺はあたりをブラブラうろついて来た
自分には不慣れなもんだと分かっているのに
時間を持て余していたんだ
もうこれからはいつ戻るかなんて
誰にも言わなくていいのさ

君が去ってしまってからは
物事をひとつも変えたくないと
感傷的な気分に浸っていたんだ
ベッドのシーツを直しながら
君の枕下に自分の頭を隠したい気分さ

またもや俺はひとりぼっち
気持ちは落ち込んだまま止められそうにない
そんな単純なことが、またも俺を落胆させ
平静を装う顔を見つけられない場所へ俺を連れて行く
平静を装う俺の顔、俺の姿

今まで偽って生きてきた
主夫として働くなんて
自分には不慣れだと分かっているのに
汚れた皿を粉々に割って
投げ捨てているだけさ

君が去ってからというもの
俺は君に捧げるつもりで
「ベイビー、帰ってきてくれ」という曲を
書こうとしているんだ
ふたり分を用意したテーブルから
手をつけていない冷凍食品の片方を
片付ける時にさ

 1980年の日本公演がアクシデントによって中止となり、ウイングスも解散。その直後に発表したソロ・アルバム『McCartney 2』(1980年5月16日発売)からの先行シングル「Comin' Up」は全米チャート1位に輝き、ポールは健在ぶりを示しました。1982年にはスティーヴィー・ワンダーと共演した「Ebony & Ivory」(英米独とノルウェーで1位)を収めた『Tug Of War』(英米日とスウェーデンなどで1位)、マイケル・ジャクソンとの共演が話題となった1983年10月31日発売の『Pipes Of Peace』も全英4位、全米15位と好調をキープし、マイケルとのデュエットによる「Say, Say, Say」はアメリカで1位、イギリスで2位を記録。さらに1984年にはポール自身が音楽のみならず主演、脚本をも務めた映画『Give My Regards Broad Street』の同名サウンドトラック盤も全英1位、全米21位とまずまずの結果を残したのです。しかし、ポリスの一連のアルバムやフィル・コリンズの『No Jacket Required』(1985年)で名を上げたヒュー・パジャムをプロデューサーに起用し、『Tug Of War』以来のアルバムに参加していた元10ccのエリック・スチュワートをソング・ライティングのパートナーに迎えた1986年の『Press To Play』は全英8位、全米30位とセールスに翳りが窺え、アルバムからカットされた「Press」、「Pretty Little Head」、「Stranglehold」などのシングルは不振に終わりました。
 エリック・スチュワートというメロディ・メーカーを従えたにも関わらず、ふたりのコラボレーションが機能しなかったのは、ポールがアレンジに凝り過ぎて無駄なオーヴァー・ダビングをしたことがあげられています。また、ポールにしてみれば「先輩の言うことは黙って聞いとれや」と耳を貸さず、エリックも「おっしゃる通りです」と強く進言できなかったのでしょう。
 この後、ポールはビリー・ジョエルやポール・サイモンの作品を手掛けたフィル・ラモーンをプロデューサーに起用してのアルバムの制作を試みますが、途中で仲違いをし、結局1987年11月1日発売のシングル「Once Upon A Long Ago」(全英10位)だけの付き合いに終わりました。なお、このシングルのB面はポールとエルヴィス・コステロ共作の「Back On My Feet」で、ラモーンとの関係が悪化しなければ、『Flowers In The Dirt』は三者のそろい踏みになったことが窺えます。

 そんな試行錯誤と言えそうな時期の最中である1986年、「The Prince's Trust Concert」に出演したポールは、1979年の「Concerts For The People Of Kampuchea/カンボジア難民救済コンサート」でもともにステージに上がった経験があるエルヴィス・コステロに興味を示しました。芸名(本名はデクラン・パトリック・アロイシャス・マクマナス)をエルヴィス・プレスリーに因み、ビートルズに影響を受けたと公言していたエルヴィス・コステロというロッカーに心を奪われたポールは新しいパートナーとして、彼に白羽の矢を立てたのです。粗野な雰囲気を醸し出しながら、物怖じしない振る舞いのコステロ。ポールにはジョン・レノンの姿が重なっていたのかもしれません。実際にふたりで共同作業を進める最中、コステロはポールへ、「兄さん、こんな曲を作ってたらあきまへんで、もっとしっかりしなはれや」とばかりにまったく遠慮することなく良し悪しを指摘し、自分の意見をぶつけてきたと聞きます。ポールにしてみれば、「なんやこいつ、えらい態度がでかいやっちゃなあ。俺は先輩やぞ」と戸惑ったことでしょう。それでもコステロのこうした言動はポールにとってとても刺激的であり、異質の才能がぶつかり合った結果、上質の作品とサウンドを生み出したのでした。

 かつてジョンはアルバム『Imagine』(1971年発表)に収録されていた「How Do You Sleep」の中で、ポールについてこのように忠告していました。

君を王様に祭り上げてる俗物どもに
囲まれて暮らしている
きれいな顔はせいぜい持ってあと一年か二年
でもすぐに人々は気づくだろう
君の力量はこんなものかと
君が作り出す音楽は
俺の耳には雑音程度にしか聴こえんぞ

 ポールはジョンのこのアドバイスを思い出し、自分がイエスマンたちに囲まれて他人の意見を受け入れぬ「裸の王様」状態だったことを反省。そして改心し奮起するきっかけになったのかもしれません。今回のお題である「My Brave Face」にはパートナーに逃げられた男の悲哀が描かれていますが、そんな「裸の王様」だったポール自身の悔恨も内包されているように思えました。

 エルヴィス・コステロが演奏にも参加しているデモ音源とのこと。アコースティック・ギターだけの伴奏でふたりの歌声の掛け合いはなかなかの説得力があります。


 1990年の来日公演からの映像です。


 こちらは1990年のリオでの公演の映像とのこと。


 アルバム『Flowers In The Dirt』の成功を受け、ポールはアルバムに参加したギタリストのヘイミッシュ・スチュアート(元アヴェレージ・ホワイト・バンド)、ロビー・マッキントッシュ(元プリテンターズ)、クリス・ウィットン(ドラムス)、ポール "ウィックス" ウィッケンズ(キー・ボード)、そして愛妻リンダらとともに日本を含むワールド・ツアーへと向かいます。コンサートはどこでも好評を博し、ポールの健在ぶりをあらためて示す格好になりました。しかし、ロック・ミュージックが巨大産業と発展する中、音楽の質や傾向が変化し、これ以後ポールといえどもヒット・チャートの上位に顔を出すことは困難な状況に陥ります。

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