好きな音楽のことについて語りたいと思います。

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Art Garfunkel - Barbara Allen

 ピート・シーガーさんが1月27日に亡くなられました。享年94歳。フォークの巨匠と称され、「If I Had A Hammer」、「We Shall Over Come」、「Where Have All The Flowers Gone」といった反戦や政治色の濃い歌でも知られた人でしたが、私にとってはボブ・ディランやブルース・スプリングスティーンに多大な影響を与えたシンガー・ソング・ライターというイメージのほうが強く残っています。
 というわけで、今回は何か彼に因んだ曲の記事を書こうと思いを巡らせていたところ、アート・ガーファンクルが歌った、「Barbara Allen」が頭の中に浮かびました。この曲はピート・シーガーさんのオリジナルではなく、スコットランドが起源とされるバラッドですが、多くのアメリカのシンガーたちによって歌い継がれて来た曲です。

Angel ClareAngel Clare
(2008/02/01)
Art Garfunkel

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エッセンシャル・ピート・シーガーエッセンシャル・ピート・シーガー
(2005/06/22)
ピート・シーガー

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BARBARA ALLEN
そわそわする気分の5月
緑が芽吹き、人々は歓喜に満ちあふれている
愛しいウィリアムズはバーバラ・アレンへに恋い焦がれるあまり
死の床についていた

彼は町に使いを送った
そこは彼女が住んでいたところ
使いの者が言うには「ご主人様がここに使いの私を送られたのは
貴方様のお名前がバーバラ・アレンであることを確認するため」とのこと

それから彼女はゆっくりと起き上がり
ゆっくりと彼のもとへ
辿り着いて行った言葉は
「愛する人、あなたは死んでいるのね」

あの夜を忘れてしまったの
私たちが居酒屋にいた時
あなたは他の女たちに乾杯し
そしてバーバラ・アレンを構うことなくほったらかしにした

彼は壁の方に顔を向け
彼女に背中を向けた
さようなら 元気でね、友人たちよ
そして優しさを、バーバラ・アレンに優しくあれ

彼女は不思議な思いに駆られていると
弔いの鐘が鳴るのが聞こえた
どの音も冷たい女バーバラ・アレンと
告げているように思え
鐘が鳴る度に、彼女は深く悲しんだ
彼女は泣くのをこらえきれなかった
ああ、私の身を拾い上げ、家に連れて帰って
死に行くことが恐ろしいの

人々は古い教会の墓地にウィリーを埋葬した
そしてバーバラも新しい墓の中
ウィリアムの墓からは薔薇が芽吹き
バーバラの墓からは緑の茨
古い教会の墓地に生い茂り
伸びきれないところまで伸びた
愛の絆でしっかりと結ばれた
赤い薔薇と茨

 冷たくあしらっていたウィリアムが亡くなったことで、彼に対する自分の本心を知ったバーバラ・アレン。彼女も彼の後を追うようにこの世を去り、墓地で2人の魂が薔薇と茨になって愛の絆で固く結ばれるという悲しい物語が、美しいメロディーとアート・ガーフアンクルの澄んだ歌声に乗せられて語られています。悲恋ですが、酒場で他の女たちにうつつを抜かしてバーバラ・アレンを蔑ろにするという一幕もあり、決して純愛物語とは言えません。本当に男の性というのはどうしようもないものです。
 さて、バラッドは口頭伝承で歌い継がれて来ました。そのため物語の大筋は変わらなくとも、歌い手なりの言葉で歌詞に手が加えられたり、メロディも異なって伝えられることもしばしば。この「Barbara Allen」もご多分に漏れず、アメリカでは600以上ものバリエーションが確認されているとのことです。

 ピート・シーガーのヴァージョンはピート・シーガー& His Five String Banjo 名義で1957年にリリースした 『American Ballads』に収録。今回はライヴ録音をお聴きください。なお、ピート・シーガーのヴァージョンは以下のヴァースで始まります。この歌詞からはバーバラ・アレンという女性の魔性が表されているような気がしました。

私の故郷、スカーレットの町
そこには美しい娘が住んでいた
ああ、多くの若者を泣かせた
彼女の名前はバーバラ・アレン

 他にもアート・ガーファンクルのヴァージョンとは少し異なる部分がありますが、筋書きは概ね同じといって差し支えないでしょう。ウィリアムが失意のうちに他界し、バーバラ・アレンは気にも留めずさっさと玉の輿に乗り、終世幸せに暮らしましたなどという内容になっていれば驚きですが、いくら口頭による伝承でもそんな無茶苦茶なことをする人はいないようです。


 この歌は数多くの女性シンガーが取り上げています。ジョーン・バエズ(1961年発表の『Joan Baez Vol.2』収録)、ドリー・パートン(1994年の『Heartsongs-Live From Home』収録)、ジュディ・コリンズ(2000年の『Classic Folk Album』に収録)などがよく知られているようですが、今回はヘディ・ウエスト(1967年の『Old Times And Hard Times』に収録)とエミルー・ハリス(2001年の『Songcatcher』に収録)を紹介します。

 名曲「500 miles」の作者である、ヘディ・ウエストのヴァージョンです。


 清楚で透明感のある歌声を持ったエミルー・ハリスでしたが、年齢を重ねるとともにその声質にも貫禄が出て来たように思えます。


 男性デュオのヴァージョンも興味深いところ。エヴァリー・ブラザーズが1958年のアルバム『Songs Our Daddy Taught Us』でレコーディングしていました。繊細さと爽やかを兼ね備えた兄弟のハーモーニーが哀愁を誘います。


 男女のデュオもあります。と言ってもビリー・ジョー・アームストロング(グリーン・デイ)のメイン・ヴォーカルにノラ・ジョーンズがコーラスに参加しているといったほうが正確でしょうか。2013年にリリースされた2人による共演盤、「Foreverly」に収録されています。なお、この『Foreverly』はエヴァリー・ブラザーズの『Song Our Daddy Taught Us』(1958年発表)の収録曲をまるまるカヴァーしたアルバムとのこと。


 ボブ・ディランもライヴ・アルバム『Live At The Gaslight 1962』(2005年発表)の中で歌っておりました。今回は1988年から1991年頃と思われるライヴ・パフォーマンスをお聴きいただければ幸いです。


 アート・ガーファンクルはサイモン&ガーファンクル名義でもレコーディングしていました。1970年頃に録音されたようで、2001年リリースの『Sounds Of Silence』のリマスター盤にて陽の目を観ています。
 口頭伝承ゆえにメロディが異なる場合があると前述しましたが、アートのヴァージョンとはかなり違った雰囲気。S&Gの憧れの存在であるエヴァリー・ブラザーズのヴァージョンをお手本にしているのでしょうか。タイトルも「Barbriallen」と記されておりました。なお、歌詞は一部違いますが、大意は同じです。
 
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Paul Simon - 50 Ways To Leave Your Lover

 2013年3月30日、音楽プロデューサーの重鎮であるフィル・ラモーンさんが心臓手術後の合併症のため、ニューヨークの病院で逝去されました。享年79歳。
 ラモーンさんは南アフリカ出身。3歳でヴァイオリンを始め、10歳の時にはエリザベス女王の御前で演奏する神童ぶりを発揮。1940年代の終わりにジュリアード音楽院へ入学するために渡米し、1959年にはニューヨークで「A&R」というレコーディング・スタジオを設立。革新的な技術を積極的に用いることでレコーディング・エンジニア、音楽プロデューサーとしての地位を確立して行きました。

 エンジニアとして参加した『Getz/Gilberto』(1964年発表)で1965年のグラミー賞最優秀録音賞を獲得したのを皮切りに、グラミー賞にはこれまで33回ノミネートされ、14回授賞。プロデューサーとしてはポール・サイモンの『Still Crazy After All These Years』(1975年)で、1976年の最優秀アルバム、ビリー・ジョエルの「Just The Way You Are」(1977)が1979年の最優秀レコード、『52nd Street』(1978)が1980年の最優秀アルバム、レイ・チャールズの『Genius Loves Company』(2004)が2004年の最優秀アルバムに輝くなどの実績を残しています。

 今回はグラミー賞授賞作であるポール・サイモンの『Still Crazy After These Years』から「50 Ways To Leave Your Lover」を取り上げます。

時の流れに時の流れに
(2013/03/06)
ポール・サイモン

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50 WAYS TO LEAVE YOUR LOVER
あんたを悩ませているものはその頭の中にあるのよ、と彼女は言った
論理的に捉えるのなら答えは簡単
解放されたいともがいてるあんたに手を貸したいわ
恋人と別れる方法なんて50通りもあるんだから

本当はおせっかいなんて私のガラじゃない
そのうえ、私の助言であんたが迷ったり誤解したら困るのよ
でもねぇ、もう一度言うわよ、乱暴な言い方を承知でね
恋人と別れる方法なんて50通りもあるんだから
50通りもね

背後からそっと抜け出しゃいいのよ、ジャック
新たな段取りを立てなさい、スタン
遠慮なんてしなくていいの、ロイ
あんた自身が自由になりなさいよ
バスに飛び乗んなさい、ガス
くどくど話し合う必要なんてないの
部屋の鍵なんて捨てちまいなさい、リー
そうすれば、自由になれるのよ

彼女は言った、私はとても悲しいの
そんなに痛みを抱えたあんたを見るのが
もう一度あんたが微笑んでくれるように
私に何か出来ることがあればと望んでいるのよ
俺は言った、君の気持ちに感謝するよ、だから説明してくれないか
その50通りの方法やらについて

彼女が言うには、今夜ふたりで寝ながら考えるなんてどうかしら
そして朝になれば明るい光が見え始めると確信してるのよ、なんてね
それから彼女は俺にキスをし、たぶん彼女の言っていることは正しいのだと悟った
恋人と別れる方法なんて50通りもあるんだ
50通りもね

 シングル・カットされて全米1位を獲得した「50 Ways To Leave Your Lover」(邦題:恋人と別れる50の方法)。タイトルの妙とさりげないメロディーに感傷的になってしまいます。印象的なドラムはスティーヴ・ガッド。ギターはジョン・トロピアと先日(3月28日)に亡くなったヒュー・マクラッケンが担当し、ブルージーな雰囲気の醸成に一役買っていました。フィービー・スノウやパティ・オースティンが参加したコーラス部分は息子のハーバーが4歳の頃に一緒に遊んだ同韻語のゲームに由来しているとか。まさか息子にこのままの内容で教え込んだわけではないでしょうが、ポール・サイモン一流の韻を踏んだユーモアのある歌詞へとまとめあげています。

 1970年代後半、「〜する**通りの方法」、「〜する方法は何通りもある」といった感じのキャッチフレーズが書かれた広告をよく目にしたものです。それぐらいインパクトがあり、刺激的な響きのある言葉なのでしょう。しかし、歌の中に50通りも方法が示されているわけではありません。帰するところこの女友達は二人でベッドをともにして考えようと提案。主人公の男性もすんなり受け入れてしまいます。女もドライで人生の酸いも甘いも知り尽くした雰囲気を醸し出していますが、こうやって次から次へと付き合う女を替えていく男心も浅はかそのもの。こんな男の毒牙に掛かって傷つく女性が一番不幸なのかもしれませんね。

 スティーヴ・ガッドらスタッフの面々をバックに配した1980年のフィラデルフィア公演の映像のようです。


 2000年のライヴ映像です。 


 こちらは2011年7月1日にロンドンで行われた ”iTunes Festival ” の映像のようです。年代を追ってポール・サイモンのライヴ・パフォーマンスを観ていると、まさに「時の流れに」を感じてしまいました。

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