好きな音楽のことについて語りたいと思います。

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Sandy Denny - sandy

ブログを始めて半年以上が過ぎ、毎日更新しているわけではありませんが早くもネタが尽きてしまったような気がします。というわけで、前回に引き続きサンディ・デニーを取り上げることにしました。
今回紹介するのは1972年発表のサンディ・デニーの2ndアルバム『Sandy』です。トラッド色が濃い印象を受ける曲「Quiet Joys Of Brotherhood」、「It Suits Me Well」がある反面、前作よりも重苦しさが薄れ、アラン・トゥーサンがアレンジを担当した曲「For Nobody To Hear」やスニーキー・ピート・クレイナウ(フライング・ブリトゥ・ブラザーズなどで活躍。2007年逝去)がペダル・スティール・ギターで参加した曲「It'll Take A long Time 」、「Tomorrow Is A Long Time」があり変化を持たせています。嫌みにならない程度のストリングスの導入やリチャード・トンプソンが奏でるマンドリンも効果的でした。
ジュディ・コリンズ、ジョニ・ミッチェル、ニール・ヤングらを彷彿させるようなメロディーやサウンドを時折感じますが、全体的にフォークやアメリカン・ポップスへの志向が窺われます。

まずアルバムのオープニング・ナンバー「It'll Take A Long Time」。トラッドというよりもカントリー・ロック風、あるいはニール・ヤングを思わせるようなサウンドに仕上げられています。


ボブ・ディランの「Tomorrow Is A Long Time」のカヴァー。スニーキー・ピートのペダル・スティール・ギターがサンディーの歌唱を引き立たせています。ちなみにディランのオリジナルは1971年発表の『Greatest Hits Vol.2』に収録されています。


ヴォーカルにオーヴァー・ダビングを施し、デイヴ・スウォーブリックが奏でるヴァイオリンのエンディング以外は無伴奏で歌われる「Quiet Joys Of Brotherhood」。アイルランドのトラディショナル曲ですが、歌詞はリチャード・ファリーニャの詩を載せています。静寂の中に響き渡るサンディの歌声に圧倒されるとともに心が洗われるような気がしました。なお、リチャード・ファリーニャはアイルランドとキューバの血を引くアメリカ人で、ジョーン・バエズの妹であるミミと夫婦デュオを組み、1960年代のニューヨークのフォーク・シーンで活躍しました。1966年に逝去。ミミも2001年に癌で亡くなっています。


Quiet Joys Of Brotherhood
ゆるやかな波が海の岸辺に打ち寄せ
砂と一緒に混ざり合ってひとつの色になる
風の音が絡み合い 遠くまで送られる
友愛の平穏な喜び 愛はすべてを見守る主

楢の大木も雑草も同じ大地に生えている
雌馬も種馬も 白馬も青毛の馬も
鳴り響く蹄の音は同じ
七色の虹の光景 色とりどりに調和した花
今なお私の心を虜にする
友愛の平穏な喜び 愛はすべてを見守る主

でも人間は潮流を分けて進んで海を荒らし
楢の大木を地面に切り倒した
私には自然からのうんざりした声が聞こえ
種馬が走り出す
薔薇が血を流し
風の囁きはほとんどない
流れ出す砂が思い起こさせる
愛がすべてを見守る主であったころを


ポップな仕上がりで、ストリングスの使われ方が効果的な「Listen, Listen」。紙ジャケット仕様の再発CDにはボーナス・トラックとしてフランス語ヴァージョンも収録されており、ヨーロッパ市場での展開も念頭に入れられていたようです。


カントリー・ロック的なサウンドながらそこはかとなく気品が感じられる「Bushes and briars」。


トラッド色の色合いが濃いが重苦しい雰囲気はなく、むしろフォーク・ロックに近い感触が窺える「It Suits Me Well」。オルガン・フルートかピアニカと思われる音色が印象的です。


ピアノの弾き語りで歌われる「The Music Weaver」。フェアポート時代の同僚であり親友であるリチャード・トンプソンに捧げられた曲です。


今回はYouTubeの映像だけを使って手抜きをしようと思ったのですが、アラン・トゥーサンがブラスセクションのアレンジをした「For Nobody To Hear」の画像や音源がなかったので手持ちからアップしておきました。何となくザ・バンドを思わせるような仕上がりで、意識しているのかどうかは分かりませんが、リチャード・トンプソンのギターもどこかロビー・ロバートソンのような雰囲気を感じさせます。


このアルバムのプロデュースは夫のトレヴァー・ルーカス。気心の知れたミュージシャン仲間に囲まれてまさに夫唱婦随、いや「婦唱夫随」で作り上げた1枚でした。

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Sandy Denny - The North Star Grassman And The Ravens

ブログの開設以来ほとんどアメリカのアーティストばかり取り上げてきましたが、ザ・ビートルズ以外のイギリス人をたぶん初めてメインで記事にすることにします。もっともザ・モンキーズのディヴィ・ジョーンズはイギリス人でしたが、バンドのメンバーのひとりだったので単独でイギリス人を扱うのは初めてかと思います。
今回登場するのはサンディ・デニー。ブリティッシュ・フォーク・ロック、あるいはブリティッシュ・トラッドの歌姫と称された女性シンガーです。
サンディ・デニーは1947年1月6日にロンドンで生まれました。父方の祖母はバラッドの語り手だったとのことです。このことはサンディの音楽的基盤に大きな影響を与えていると思われます。
バラッドとは物語や寓意のある歌のことで、詩の語りや、語るような曲調が韻文で表現されます。内容は歴史物語あり、ロマンスあり、社会風刺ありと多岐にわたりますが、悲しい結末に終わるものが多いようです。バラッドには幾つかの種類がありますが、17~18世紀のイギリスやスコットランドから伝承されたものが源流となってアメリカ民謡やカントリ・ミュージックに受け継がれて行ったとされています。イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」もこの体裁を取っていると言われており、トラッドのアーティストの楽曲のみならず英米のロックやポップスにはこうした伝統を踏まえたものが数多く見受けられます。

1965年頃にフォーク・クラブで歌い始めたサンディ・デニーは1967年2月にザ・ストローブスの前身であるストロベリー・ヒル・ボーイズに参加。1968年5月にはフェアポート・コンベンションに加わります。在籍時には『What We Did On Our Holidays』 (1969年発表)、『Unhalfbricking』 (1969年発表)、『Liege And Lief』 (1969年発表)と3枚のアルバムを録音しましたが、1969年11月、方向性の違いを理由に僅か18ヵ月で脱退してしまいました。
1970年、サンディは夫のトレヴァー・ルーカスらとフォザリンゲイを結成するものの『Fotheringay』 (1970発表)という1枚のアルバムを残して解散。サンディはソロ・シンガーに転じます。なお、2008年に突如フォザリンゲイ名義の『2』という2ndアルバムがリリースされ話題となりました。これは1970年に録音されていたもののバンドが解散したためにお蔵入りになっていたアルバムです。
フォザリンゲイというバンド名はエリザベス女王の暗殺を企てた疑いでフォザリンゲイ城に幽閉された後に処刑された悲劇のスコットランド女王メアリー・ステュアートに因んだものとされています。
ソロとなったサンディは『The North Star Grassman And The Ravens』、 (1971年)『Sandy』 (1972年)、『Like An Old Fashioned Waltz』 (1974年)と3枚のアルバムを順調にリリース。1973年から1974年にはフェアポート・コンベンションの世界ツアーに同行し、東京でも公演が行われました。こうして一時的にフェアポートに復帰しましたが、プロデューザーと意見が合わず『Rising For The Moon』 (1975年)発表後に再びグループを離れます。
ソロ活動に戻ったサンディは1977年に『Rendezvous』を発表しますが、翌1978年4月17日に階段を踏み外し転落、4日後の4月21日に31歳でこの世を去りました。

今回は1971年にリリースされたサンディ・デニーの1st『The North Star Grassman And The Ravens(海と私のねじれたキャンドル)』を紹介します。全体的に物憂げな雰囲気が漂いながらも彼女のオリジナル曲とカヴァーとトラッドがバランスよく収められていました。プロデュースはサンディ自身とフェアポート・コンベンション時代の同僚リチャード・トンプソン、そして録音技師のジョン・ウッドの3人によるものでした。また、夫のトレヴァー・ルーカスもギターで参加しています。

まず、オープニング・ナンバーの「Late November」をお聴きください。


Late November
ワインは空になり、船は沈んでしまった
弾丸が命中し、悲しみは消えてしまった
鳥は雲になり、花嫁と経帷子
我々が南に進むほど霧は深まって行った

緑の峡谷から小川に向かい
蛇が動いても 言葉を発する者はいなかった
川の深さや私たちを動揺させる橋が
忌まわしい日を思い出させた

寺院は奇妙な生き物で溢れていた
あるものは海辺で成り行きに任せていた
あるものは見つけられたが他の多くは沈んでしまった
涙が流されたが私にはもたらされなかった

狂気の方法論、哀れみと悲しみ
狂人と賢人に神のご加護あれ
黒と白 夜の闇
目に入るのは煙突が吐き出す煙だけ

空を越えてやって来たパイロットが私を起こした
彼は水銀の海を単独飛行したのだ
背の高い褐色の人々が夢に現れた
リンの砂の上で神聖な若者が集まっている


バラッドの影響が窺える曲です。私のように感性が鈍化した人間に取っては少々難解で、何が表されているのかよく分かりません。まさか仏教的な考え方が示されているわけではないと思われますが、哀愁や諦観というよりも、何となく「諸行無常」、「もののあはれ」に通じるものを感じてしまいました。

続いてトラッド・ナンバー「Blackwaterside」。


カヴァー曲を2曲。ボブ・ディランの「Down In The Flood」(1971年発表の『Greatest Hits Vol.2』に収録)、ブレンダ・リーの「Let's Jump The Broomstick」(1961年発表)です。サンディーはディランを尊敬しており、フェアポート時代からディランのナンバーを歌っていました。ロカビリー調のブレンダ・リーのヒット曲のカヴァーはファポート時代の同僚でこのアルバムの共同プロデューサーでもあるリチャード・トンプソンが選曲したもので、アップテンポが苦手なサンディに新境地を開かせようとしたらしいとのことです。

Discover Sandy Denny!


アルバムのラスト・ナンバー「Crazy Lady Blues」のスタジオ・ライヴ映像。親友でもあるリチャード・トンプソンのことを歌ったとされています。



少々音声が乱れる箇所がありますが、「The North Star Grassman And The Ravens」、「Crazy Lady Blues」、「Late November」のスタジオ・ライヴ映像。ジョニ・ミッチェルを思わせるような雰囲気です。埋め込み無効ということなので、下記のURLをクリックしてください。
http://www.youtube.com/watch?v=0Rd_gMrmf6g

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