好きな音楽のことについて語りたいと思います。

Jackson Browne - The Late Show

この冬の京都は雪の舞う日があったものの積もることがありませんでした。今さら雪だるまを作ったり雪合戦に興じる年齢でもなく、積雪はご免被りたいというのが本音です。ところが、今朝起きてみるとうっすらと雪化粧。すぐに溶けて流れる淡雪ならば交通機関に支障を来すこともなく、風情が感じられるといったところでしょうか。

さて、今回は拙ブログとリンクを結んでいただいているPurple_Hazeさんの記事に触発されてジャクソン・ブラウンに登場していただきました。取り上げる曲は「The Late Show」。1974年に発表された『Late For The Sky』に収録されていた曲です。

レイト・フォー・ザ・スカイレイト・フォー・ザ・スカイ
(2005/09/21)
ジャクソン・ブラウン

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1. Late for the Sky
2. Fountain of Sorrow
3. Farther On
4. The Late Show
5. Road and the Sky
6. For a Dancer
7. Walking Slow
8. Before the Deluge

マグリットの絵画を連想させる写真に黒い縁取りがされたジャケット。光と影が交錯する様子は「死と再生」がテーマとされるこのアルバムを象徴するものでした。さらに至福の状態を表す「空」と人生の苦悩の隠喩である「道」がイメージとしてアルバム全体に繰り返し登場し、これらはその後もジャクソン・ブラウンの作品を形作る重要な要素となっています。



THE LATE SHOW
皆が俺の幸運を祈ってくれる
本気かどうかは分からないけれど
たぶん「調子はどうだい?」ってぐらいのつもりなのだろう
そのほうが気を使わなくてすむからね
でもそんな時、君がどこかで真の友人に出逢えたなら
他人は突然いとも簡単に利用しようとする

ものごとをはっきりと受けとめることは難しい
完璧な愛を夢見ることなく
現実を期待して待っている
高潔な意志を持ち続けていても
知らない誰かに心を奪われるだろう
(たぶんね)
君と同じような寂しい人と会うかもしれない
(時々見えない)
彼は君に理解してもらおうと思っているかもしれない
(言葉がゆっくりと語られそう)
君自身が空しさを乗り越えられた時に
なぜ話し合おうとするのか
分からないと思ってしまうことだってある
俺はずっと以前にそんな気持ちを味わってきたぜ
(ずっと以前に)
もうそんな悪循環はたくさんだ
終わりが垣間見えるよ
なれ合うような付き合いもあるよと声が聞こえる
友だちを見つけられるまでは

人が笑う声と騒音の中で君を見つけた
君は兵隊や若い男たちと話していた
彼らが疲れた笑顔の君に向き合う間
俺ははっきり分かったんだ
今まで君のような瞳を持つ人を
求めていたってことを
(君のような瞳を持つ人を求めて)
そして今、君に何て言っていいのか分からず
座り込んでいる
(君にも分かったかもしれない)
言葉をかけて君を怖がらせてしまうのが嫌なんだ
(まやかしがふと出て来る)
誰も自分の気持ちを語ろうとしない
夢や笑い声で飾り立てることなしに
さもなければ俺には耐えられない

ほら 君は誰も住んでいない家の窓辺に立っている
俺はその向かい側の車の中にいる
(早い話が)
シヴォレーの古い型だ
(取りあえず)
暖かく風の強い日

君は悲しみを袋に詰める
明日はゴミ収集人がやって来る日
歩道の縁にそれを置き
俺たちは旅立とう

この歌は四つの場面で構成されていました。一幕目であまたにある口先だけの心ない関係よりも、ひとつの真の友情がどれだけ尊いかが語られ、二幕目はそんな友情に心を開く一方で、完璧な理想を追い求めることがどれだけ障害になっているかを悟ります。三幕目は賑やかな社交の場で理想の人を見つけながらも見つめるしかない状況が表され、第四幕で空しさが漂う家を出て、悲しい思い出を袋に詰めて街角のゴミ置き場に捨て去り、二人が新たな決意を持って旅立つという情景で幕が閉じられました。ドアの閉まる音とシヴォレーのエンジン音が印象的です。なお、三幕目の理想の女性はジャクソン・ブラウンの最初の妻フィリスだと思われ、二人の出会いのエピソードが描かれているようです。

理想の相手を追い求め、出逢った相手と恋愛関係に陥ったものの次第にお互いの心が離れて行き、現実を見つめ傷ついた挙げ句の果てに別々の道を歩むという経験をした人は少なくないと思います。思いの大小に関わらず。ジャクソン・ブラウンのこのアルバムには誰もが通過しなければならないこうした大人になることの重みが描かれており、そのことが人々の共感を呼び支持を集める所以となっているのでしょう。

この曲はLPではA面のラストである4曲目にあたります。Purple_Hazeさんがアルバムに収録された八曲が組曲のように統一された印象を持つとおっしゃるように、本来ならば恋愛関係の終末という深い悲しみの込められたタイトル曲「Late For The Sky」から順番に聴きながら展開を味わっていくのが正しいのかもしれません。

2008年のライヴ音源です。ブログへの貼り付けが無効ですので、下記のURLをクリックしてお聴きくだされば幸いです。
http://www.youtube.com/watch?v=lwkS-8rxEWc

音声、画像ともに難があり恐縮ですが、2009年8月2日のライヴ映像です。


Leonard Corhen - Bird on The Wire

今回は1969年に発表されたレナード・コーエンのセカンド・アルバム『SONGS FROM THE ROOM』の冒頭を飾る「Bird On The Wire」を取り上げてみたい。
ナッシュヴィルで録音されたこのアルバムはボブ・ディラン、ジョニー・キャッシュ、サイモン&ガーファンクルの作品で知られるボブ・ジョンストンがプロデュースにあたった。どの曲も語りかけるようなレナード・コーエンの低音の声に控えめなギター及びキーボード、効果的なストリングスが簡素に響く。聴いていると催眠術にかかったような錯覚を憶えた。

現代の吟遊詩人、レナード・コーエン(紙ジャケット仕様)現代の吟遊詩人、レナード・コーエン(紙ジャケット仕様)
(2007/06/20)
レナード・コーエン

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1. Bird on the Wire
2. Story Of Issac
3. A Bunch Of Lonesome Heroes
4. The Partisan
5. Seems So Long Ago, Nancy
6. The Old Revolution
7. The Butcher
8. You Know Who I Am
9. Lady Midnight
10. Tonight Will Be Fine
11. Like A Bird (Bird On The Wire)
12. Nothing To One (You Know Who I Am)



BIRD ON THE WIRE
電線の上の一羽の鳥のように
真夜中の聖歌隊の酔っぱらいのように
私は私のやり方で自由になろうとしたのだ
釣り針に付けた餌の虫のように
時代遅れの本の中の騎士のように
あなたのためにすべてのリボンをとっておいたのだ
もし私が不親切であったとしても
過ぎたることはなかったことにしてほしい
もし私が不忠実であったとしても
それはあなたに対しての態度ではなかったことを分かってほしい

死産の赤ん坊のように
角を持った獣のように
私は近づいて来たすべてのものを引き裂いたのだ
しかし私はこの歌にかけて誓う
私が犯したすべての過ちにかけて
あなたに対してすべてを償うということを
私は木の杖に寄りかかる浮浪者に会った
彼は言った、「そんなに多く求めてはいけない」
そして薄暗い色のドアーにもたれかかる美しい女が叫んだ
「さあもっと多く求めたらどうなの」

電線の上の一羽の鳥のように
真夜中の聖歌隊の酔っぱらいのように
私は私のやり方で自由になろうとしたのだ

ある日、レナード・コーエンが窓の外を眺めていると電話会社が電話線の設置工事を行っていて、張り終わったばかりの電話線に一羽の鳥がとまっているのが目に入って、この歌を思いついたという。
この歌は片思いに苦しむ孤独な男の心情を歌ったとされる。難解で訳の分からぬ比喩や隠喩の言葉が並ぶ。何をしても振り向いてもらえない痛々しさや悲しさが滲み出ているようだ。過ぎたることは忘れてくれないかと水に流すことを望んでも、覆水盆に返らずといったところか。浮浪者と美人は抑制と誘惑という心に起きた葛藤の喩えであろう。
しかし、この歌は決して恋愛事情だけを歌ったものととらえきれない。例えば、たいていの人は何らかの組織に属している。会社や学校のみならず、ボランティア団体、趣味のサークルに至るまで。
その組織の中で尽力し、上層部に認めてもらおうと努力したものの願い叶わず冷たい仕打ちが待っていたと置き換えることも出来よう。心身が傷ついた果てに、組織や社会に縛られず自由になりたいとふと思うのも十分頷けることだ。
2009年にリリースされた『Live In London』にはオークランドの公演を観られた三浦久先生の解説が掲載されている。そこには遅れて会場にやって来たインド人の若いカップルが、この「Bird On The Wire」を聴きのがし残念そうにしていたことや二人が学生時代にこの歌を聴いてコーエンのファンになったという内容のエピソードが記されていた。様々な解釈が成り立つが、自分なりのやり方で自由な解釈を巡らすのが良いのかもしれない。

1972年のライヴ・パフォーマンス。


歌声に深みが増した2009年発表の『Live In London』からの映像。


LIVE IN LONDON [DVD]LIVE IN LONDON [DVD]
(2009/06/24)
レナード・コーエン

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ジュディ・コリンズのライヴ映像。彼女は1968年発表の『Who Knows Where the Time Goes』で取り上げていた。


ジョニー・キャッシュのライヴ映像。彼のカヴァー・ヴァージョンは1994年発表の『American Recordings』に収録されていた。


ネヴィル・ブラザーズのカヴァー・ヴァージョン。1990年発表のアルバム『Brother's Keeper』に収録されている。ゴールディー・ホーン、メル・ギブソン、デヴィッド・キャラダインらが出演した映画『Bird On The Wire』(1990年公開)のテーマ曲としても使われた。


この他にもジョー・コッカー、ティム・ハーディン、ジェニファー・ウォーンズ、リタ・クーリッジ、サンディ・デニー(フェアポート・コンヴェンション)、ウィリー・ネルソン、K.D.ラングなど多くのアーティストによる秀逸なカヴァー・ヴァージョンがある。いつものような詳細は列記しない。追いかけることにつかれてしまったから。

Lynyrd Sknyrd - Sweet Home Alabama

前回ニール・ヤングの「Southern Man」を取り上げて論じました。あのままでは南部人は保守的で残酷な人々と受け取られかねません。実際の南部の人々は社交好きで人をもてなすことを得意とした気さくな人が多いと言われています。敬虔なクリスチャンでありながらもピューリタンのように厳格さや潔癖さに縛られることのない奔放な一面もあり、付き合ってみれば人間臭い部分に魅了されてしまうことでしょう。ウィリアム・フォークナーやテネシー・ウィリアムズの諸作に登場する人物のように、伝統や因習にとらわれながらもゆったりとした優雅な日常を送ることも南部人の特徴です。
そして、何より南部は音楽の素晴らしさを伝えてくれました。ジャズ、ゴスペル、ブルースなどの西アフリカにルーツを持つ黒人音楽。後にカントリーやブルーグラスへと発展するイングランド、スコットランド、アイルランド出身の白人が移入した音楽。そして、それらが融合されて誕生したロックン・ロール・ミュージックなど南部が育んだともいえる音楽についての興味が尽きないところです。

ニール・ヤングは「Southern Man」に続き、1972年発表の『Harvest』では「Alabama」というタイトルの曲を歌って変化を促していました。デヴューから今日に至るまで、政治や社会問題を扱うのは彼の真骨頂と言えるのでしょう。


ハーヴェストハーヴェスト
(2009/11/11)
ニール・ヤング

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それらの曲へのアンサー・ソングとしては、レイナード・スキナードが1974年にリリースしたアルバム『Second Helping』に収録されていた「Sweet Home Alabama」がよく知られています。
Second HelpingSecond Helping
(1997/11/04)
Lynyrd Skynyrd

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1. Sweet Home Alabama
2. I Need You
3. Don't Ask Me No Questions
4. Workin' for MCA
5. Ballad of Curtis Loew
6. Swamp Music
7. Needle and the Spoon
8. Call Me the Breeze
9. Don't Ask Me No Questions [Single Version]
10. Was I Right or Wrong [Sounds of the South Demo]
11. Take Your Time [Sounds of the South Demo]

自分の故郷を悪く言われて気分のいい人はいないでしょう。フロリダを本拠にしているレイナード・スキナードの皆さんの本拠地はフロリダですが、南部という点では共通の意識があるだろうし、何よりアラバマ州にあるマッスル・ショールズ・スタジオへの敬意が払われていると思われます。彼らにもこのスタジオでレコーディングをした経験があり、いわばアラバマは第二の「Sweet Home」と言えるかのかもしれません。
実際のニール・ヤングとレイナード・スキナードは親交が深く、対立した感情はなかったそうです。レイナード・スキナードのヴォーカルであるロニー・ヴァンザントはニール・ヤングのTシャツを着てステージに上がったことがあり、ヤングも彼らに「Power Finger」という曲を提供しています。しかし、この曲は1977年にレイナード・スキナードが飛行機事故でヴァンザントを始めとする数人のメンバーを失ったためレコーディングがされずに終わり、1979年に発表されたヤングのアルバム『Rust Never Sleeps』で陽の目を見ました。
もちろん出来レースとは言いませんが、「ニールの兄さん、ちょっと言い過ぎやで。カナダから来はったお人には南部のええとこが分からへんみたいで残念やな」ぐらいの気持ちだったのではないかと推測されます。南部人としてのプライドもあったことでしょう。また、18世紀の啓蒙主義を代表するフランスの哲学者、ヴォルテールの「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」という有名な言葉の如く、民主主義国家アメリカの言論の自由が表された例とも言えるのかもしれません。



SWEET HOME ALABAMA
大きな車輪が回り続けている
俺を故郷へと運び、親しき人に会わせてくれる
南部の歌を歌いながら
俺は再びアラバマを離れる
そして俺はそれを罪なことと思う そう罪なことだぜ

俺はニール・ヤングさんがアラバマのことを歌っているのを聴いた
親愛なるニールがアラバマをこき下ろしてるのを耳にしたんだ
ニール・ヤングは憶えておいたほうがいいぜ
南部の人間はもはやあんたなんか必要としていないってことをな

素晴らしき故郷 アラバマ
そこでは空がとても青い
愛しき故郷 アラバマ
ああ 俺はこの地に戻って来たんだ

バーミンガムじゃ人々は知事を愛している
そう 俺たちはみんな自分たちにできることをやったのだ
ウォーターゲート事件なんておれにはまったく問題じゃない
あんたの両親があんたには気になるのかい?
本当のことを言ってみなよ

アラバマにやって来た

マッスル・ショールズにはスワンプ・サウンドの強者たちが集まってるぜ
奴らは1、2曲かき鳴らして有名になった連中だ
ああ、俺はすっかりあいつらにハイにさせられちまってるぜ
憂鬱な俺の気分を回復させてくれるんだ
さあ、みんなはどうだい?

素晴らしき故郷 アラバマ
ああ 懐かしの故郷よ
そこでは空がとても青い
そして知事は誠実だ
愛しき故郷 アラバマ
おお
ああ 俺はこの地に戻って来たんだ
そうだ そうだ モントゴメリーに答えがあるんだ


レイナード・スキナードが「Sweet Home Alabama」を歌った時期にアラバマ州知事を務めたのはジョージ・ウォレスです。彼のスローガンは「今ここで人種隔離を、明日も人種隔離を、永遠に人種隔離を」という人種差別主義に溢れたものでした。彼は民主党から出馬し、1963年〜1967年、1971年〜1979年、1983年〜1987年と何度も再選されるほど高い支持を集めています。1972年には銃撃事件で下半身不随となりながらも、不屈の精神で知事職を務めました。そんなたくましい知事でしたが、1998年に南北戦争時代に南部連合の首都だったモントゴメリーで逝去しています。
私には "In Birmingham they lone the governor"(バーミンガムじゃ人々は知事を愛しているぜ)と歌った直後のバック・コーラスが、盛り上げているようにもブーイングのようにも聴こえます。知事への賞賛とも揶揄とも受け取れるダブル・ミーニングなのでしょうか。また、アラバマ州バーミンガムはウォレス知事が在任中の1963年に黒人教会爆破テロによって少女4人が命を落とした事件で知られる土地です。同じ年の6月には知事が2人の黒人学生のアラバマ大学入学拒否を言明しました。結局連邦政府の命令により黒人学生は無事入学を許可され、ジョン・F・ケネディ大統領はテレビを通じて、「人種問題は、アメリカの生活や人生に入り込む余地はない」との声明を発表しました。
民主党から人種差別を標榜するような知事がいた事実。南北戦争の頃の民主党は奴隷制度存続を求めていました。今でも南部では民主党が保守層の根強い支持を集めています。
日本では共和党が保守、民主党がリベラルといったイメージで解釈されることが多いと思われます。しかし、一概には言えません。サダム・フセインとのイラク戦争やイスラム過激派などとのアフガニスタン紛争は共和党政権が決断して行ったたものですが、ヴェトナム戦争を始めたのは民主党政権でした。両党の大きな相違点は自由貿易と保護貿易、小さな政府と大きな政府といった政策面に表れていると理解するほうが適切でしょう。

ライヴ映像です。


これもライヴです。いつ頃の映像でしょうか。


観客のリアクションが興味深い2003年のライヴ映像。


アラスカ州出身の女性シンガー・ソング・ライター、ジュエルによるカヴァー・ヴァージョンです。2002年公開の映画『Sweet Home Alabama』のサウンド・トラック盤に収録。


Neil Young - Southern man

昨秋にニール・ヤングの初期4作品がリマスターで再発されました。今回は1970年に発表された3作目のアルバム、『AFTER THE GOLD RUSH』に収録されていた「Southern Man」を取り上げます。
この曲はアメリカ南部における人種差別について書かれたメッセージ性の強い曲です。既に多くの先達が詳しく解説されており、私には大きく異なる解釈が見出せません。それゆえ重複するところも多々ございますが、自分なりの見解で確認してみたいと思います。

アフター・ザ・ゴールド・ラッシュアフター・ザ・ゴールド・ラッシュ
(2009/11/11)
ニール・ヤング

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1. Tell Me Why
2. After the Gold Rush
3. Only Love Can Break Your Heart
4. Southern Man
5. Till the Morning Comes
6. Oh, Lonesome Me
7. Don't Let It Bring You Down
8. Birds
9. When You Dance You Can Really Love
10. I Believe in You
11. Cripple Creek Ferry

旧盤とリマスター盤では「Southern Man」を始めとする収録曲の収録タイムやミックスが異なるそうです。そのあたりの詳細は遼 ( parlophone )さんtetsupc2 さんのブログの記事を参照してください。


SOUTHERN MAN
南部の人よ 冷静になったほうがいいぜ
聖書の教えを忘れずにな
南部もとうとう変わるんだ
あんたの十字架も激しい勢いで燃え落ちて行く
南部の人よ

俺は見たぜ 綿畑の黒人
そびえる白亜の豪邸にちっぽけな掘建て小屋
南部の人よ
いつになったらみんなに償いをするんだ?
俺は悲鳴を聞いたんだ
鋭く響く鞭の音
いったいいつまで いつになったら

南部の人よ 冷静になったほうがいいぜ
聖書の教えを忘れずにいろよな
南部もとうとう変わるんだ
あんたの十字架も激しい勢いで燃え落ちて行く
南部の人よ

リリィ・ベル 輝く黄金色の髪
あんたの仲良しの黒人がまわりをうろちょろしてたぜ
俺は神に誓って
ヤツをバラバラに引き裂いて殺してやる
俺は悲鳴を聞いたんだ
鋭く響く鞭の音
いったいいつまで いつになったら

1969年にニール・ヤングが南部アラバマのロードハウスを訪れて酒を飲んでいたところ、地元の男性がやって来て店の外に連れ出されて殴られたことが「Southern Man」を書く契機となったとの逸話がまことしやかに語られてきました。彼が暴行されたのは理由は髪が長かったからだとか。19世紀ならいざしらず、1960年代後半にそうした差別的で排他的な出来事が頻繁にあったのでしょうか。

1969年公開のアメリカ映画『イージー・ライダー』にはニール・ヤングが受けたような暴行が連想される場面が描かれていました。もちろん脚色されていることは否めません。でも、60年代後半において実際にそのような風潮があったことは窺えます。

映画の大まかなあらすじ
ピーター・フォンダとデニス・ホッパー扮する若者二人がマリファナの密輸で稼いだ金をもとにオートバイに乗って旅に出た。途中でジャック・ニコルソン扮する弁護士と意気投合し三人連れとなる。彼らはニュー・オリンズの謝肉祭を見物しようとバイクを走らせた。マリファナを吸い、野宿する三人。沿道の人々は自由を体現するかのような彼らに悪意を抱いて襲撃する。弁護士は惨殺され、若者二人は命からがら逃げ出した。アメリカ南部の保守性を呪い、そこには自由がないと叫ぶ二人。それでも彼らはオートバイの旅を続けた。やがて州境にさしかかったとき、農夫が乗ったトラックが近づいて二人を罵りながら銃弾を発射。二人は射殺されてしまった。

続いて、人種差別のほうに視点を移しましょう。白亜の豪邸からは映画化されたマーガレット・ミッチェル作の『風と共に去りぬ』(Gone With Wind, 1936) のワン・シーンが目に浮かび、黒人が綿畑で働かされたり鞭で打たれたりする様はストウ夫人作の『アンクル・トムの小屋』(Uncle Tom's Cabin, 1852) やアレックス・ヘイリー作の『ルーツ』(Roots, 1976) に描かれた世界を思い起こさせました。
アメリカの奴隷制度は1607年にイギリス人がヴァージニアに入植した直後の1619年に始められたのが起源とされています。彼らは資本を投じてタバコや綿などの栽培を行いますが、広大な農園の仕事をまかなえる労働力が必要でした。年季奉公の白人労働者だけでは到底人手が足りず、人件費も高くつきます。そうした悩みを解消するために、奴隷商人を介してアフリカ大陸から大量に連れて来られた黒人たちが廉価な労働力として目が付けられたのでした
南北戦争(1861年-1865年)終結以降、連邦議会が奴隷制度を廃止し、公民権や黒人男性の参政権を認めて黒人奴隷の解放が実現されます。しかし、公共機関や施設においての差別的待遇の撤廃にまでには至らず、白人至上主義団体クー・クラックス・クラン(KKK)の威嚇により黒人の投票行動が妨害される事態が頻繁に起こっていました。ルイジアナ州では黒人と白人で鉄道車両を分離する人種差別法案が可決。連邦最高裁までもが「分離すれども平等」という法律上の見解を示し、事実上人種差別を容認する判断を下したのです。この判決を受けて、ジョージア州、アラバマ州、ミシシッピ州などの南部各州では人種差別が法律によって正当化され、公共機関、公共施設、ホテルやレストランに至るまで徹底的な隔離が押し進められ、公民権法は無効となってしまいました。なお、「Southern Man」の中で「あんたの十字架も激しい勢いで燃え落ちて行く」といった意味の歌詞が出てきますが、これはクー・クラックス・クランの集会で十字架が焼かれることに因んでいるのでしょう。
こうした法律が可決された背景には黒人男性が白人男性と性的接触を持つ恐怖、政治や経済に黒人が影響を及ぼし白人の既得権が縮小されるという恐怖が白人社会にあったと想像されます。「Southern Man」の中で「リリィ・ベル 輝く黄金色の髪/あんたの仲良しの黒人がまわりをうろちょろしてたぜ/俺は神に誓ってヤツをバラバラに引き裂いて殺してやる」といった歌詞が登場しますが、これはその恐怖を表していると言えるでしょう。ただ、よく考えてみるとこの箇所には南部の改革を叫んでいる人が、どうして黒人の殺害を行おうとしているのかという矛盾点があります。殺害を企てる人の声を耳にしたということなのか、人種に関係なく悪人は存在するという意味なのか、いかようにも解釈出来るのかも知れません。
黒人差別が長年に渡って続く状況の下、1955年12月1日にアラバマ州モントゴメリーで黒人女性のローザ・パークスが市営バスに乗り込んだ際、黒人用座席に空席がなかったために白人席に腰掛けました。バスの白人運転手は白人に席を譲るように命じたもののパークスは拒否。彼女は「人権分離法」違反で逮捕され、簡易裁判所で罰金刑を宣告されました。この事件に対してモントゴメリー在住の黒人は決起集会を開き、抗議を申し入れます。指導者はマーティン・ルサー・キング牧師。彼はモントゴメリーの黒人たちにバス・ボイコットを呼びかけました。この運動は黒人のみならず白人にも賛同者が続出。やがて全米に反響を呼び、合衆国最高裁はバス車内における人種分離を違憲とする判決を出すに至ったのです。
これを契機に南部各地で反人種差別運動が盛り上がって行きました。この運動は人種差別を受け続けていた黒人を始めとする有色人種がアメリカ合衆国市民として法律上平等な地位を獲得することを目的としていたので「公民権運動」と呼ばれるようになったのです。ジョン・F・ケネディ大統領も南部諸州の人種隔離法を禁止する法案を次々と成立させ、「公民権法」制定の実現に尽力。そして、この運動は1963年8月、白人、黒人を問わず差別と隔離の撤廃を求めた25万人以上の民衆による「ワシントン大行進」へと発展しました。ケネディ大統領が凶弾に倒れたのはこの年の11月のことです。
大きな犠牲を払っても南部の人種差別の根強さは簡単には是正されません。1964年の夏、3人の若い公民権運動家がミシシッピ州フィラデルフィア近郊で失踪するという事件がありました。3人のうち2人は北部出身の白人、残る1人は南部の黒人。結局、彼らは死体となって発見され、保安官を含む21人の白人が起訴され、7人が刑に服しました。この事件をもとに制作された映画が、『ミシシッピー・バーニング』(Mississippi Burning, 1988) です。名優ジーン・ハックマンと『プラトーン』(Platoon, 1986) で注目を浴びたウィレム・デフォーが事件を解決するFBI捜査官を演じていました。
ケネディの後を受けたリンドン・ジョンソン大統領は公民権法制定に理解を示し、反対派議員を説得し議会懐柔策に務めました。こうして1964年7月2日に公民権法が制定され、法の上での人種差別が撤廃されます。しかし、公民権法制定に陰で活躍したケネディ大統領の実弟であるロバート・ケネディ、指導者として先頭に立っていたキング牧師らが1968年に相次いで暗殺されました。

こうした経緯を鑑みると、ニール・ヤングがアラバマで暴行を受けたという前述のエピソードもあながちデマではないことが分かります。もとより公民権運動や人種差別問題に関心を示していたというニール・ヤング。彼一流の心情の吐露といったところでしょう。

2000年のライヴ映像。CSN&Yとしてのステージのようです。


ローリング・ストーンズの「Gimme Shelter」(1969年発表の『Let it Bleed』に収録)のレコーディングに参加したことで知られるニュー・オリンズ出身のR&Bシンガー、メリー・クレイトンのカヴァー・ヴァージョン。1971年発表の『Merry Clayton』に収録されていました。彼女は1969年に発表されたニール・ヤングのソロ・デヴュー・アルバム『NEIL YOUNG』にもバック・コーラスを担当していました。


U2のカヴァー・ヴァージョン。1987年頃のライヴ映像とのことです。


STEPHEN STILLS MANASSAS

報道によると、ボビー・チャールズもケイト・マッガリグルも癌との闘病生活の末に旅立たれたそうです。そういえば前立腺癌を克服したスティーヴン・スティルスはその後どうしているのか、彼のことがふと頭の中をよぎりました。この病気を患われた天皇陛下はお元気になられてなによりですが、ダン・フォーゲルバーグは帰らぬ人となっています。また、この病を治療しながら「アースマラソン」を続ける間寛平さんのことも心配でなりません。

スティーヴン・スティルスのことに話を戻します。彼は2009年秋に新作ライヴ盤をリリースしていました。
Live at Shepherd's BushLive at Shepherd's Bush
(2009/11/17)
Stephen Stills

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録音されたのは2008年とのこと。2009年の夏にクロスビー、スティルス&ナッシュとしての新作をレコーディング中との情報も耳にした憶えがあり、再発もなく順調に復帰しているようで安心しました。

ということで、今回はスティーヴン・スティルスが1972年にマナサスを率いて発表したアルバム『MANASSAS』を取り上げます。マナサスはスティルスのサード・アルバムの制作中に集められたメンバーが中心となって正式なバンドに発展しました。このアルバムについてはBYRDさんが詳しい記事を書いておられますので、そちらも参照していただければ幸いです。

マナサスマナサス
(1998/05/25)
スティーブン・スティルス

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1. Song of Love
2. Rock and Roll Crazies/Cuban Bluegrass
3. Jet Set
4. Anyway
5. Both of Us
6. Fallen Eagle
7. Jesus Gave Love Away for Free
8. Colorado
9. So Begins the Task
10. Hide It So Deep
11. Don't Look at My Shadow
12. It Doesn't Matter
13. Johnny's Garden
14. Bound to Fall
15. How Far
16. Move Around
17. Love Gangster
18. What to Do
19. Right Now
20. Treasure [Take One]
21. Blues Man

メンバーはスティーヴン・スティルス(G, Vo)クリス・ヒルマン(G, Vo)、アル・パーキンス(Steel Guitar, Vo)、ジョー・ララ(Percussion, Vo)、カルヴィン・サミュエルズ(B)、ダラス・テイラー(Ds)、ポール・ハリス(Keyboards)の7人。前述のように、もともとは1971年6月に2枚目のアルバムを発表してソロ活動を始めたスティーヴン・スティルスのバンドが母体です。スティルスはフライング・ブリトゥ・ブラザーズを脱退した旧知のクリス・ヒルマンに声を掛けて参加を要請。ヒルマンはフライング・ブリトゥの同僚だったアル・パーキンスを引き連れてバンドに加わりました。ソング・ライティングの実力があり、ハーモニー・ワークもこなせるヒルマンの存在と貢献はスティルスにとって心強かったことでしょう。
スティーヴン・スティルスは多様な音楽性を示していたアーティストですが、マナサスを組んだことによりさらにその傾向は進化。従来からの持ち味であるラテン・フレーバーやブルース・フィーリングに加えて、クリス・ヒルマンとアル・パーキンスからブルー・グラスの要素がもたらされたことによるカントリー・ロック風の趣も備わります。演奏面ではスティルス独特のギター・プレイ、アル・パーキンスの豪快なスティール・ギター、脇を固めるクリス・ヒルマンのリズム・カッティング、ダラス・テイラー、カルヴィン・サミュエルズ、ジョー・ララのリズム・セクション、ポール・ハリスのキー・ボードが重量感のあるダイナミックなバンド・サウンドを醸し出していました。

ちなみに、マナサスというバンド名はヴァージニア州の地名から付けられたものです。かつて南北戦争の激戦地だったマナサス。1945年1月3日に南部テキサス州のダラスで生まれたスティーヴン・スティルスは幼少期に各地を転々とし、パナマやコスタリカに居住した経験もありました。ラテン感覚はこの頃に自然と身に付いたのでしょう。アメリカに戻ってからはニュー・オリンズに住み、その後フロリダの大学に進学したそうです。マナサスに思いを馳せる南部人スティルスの歴史観が垣間見えるようで興味深く思えました。

余談ですが、マナサスのツアーでパリを訪れたスティルスは歌手のヴェロニク・サンソンと出逢って恋に陥り、1973年に彼らは結婚します。しかし、ヴェロニク・サンソンのコンサートでスティルスがバックを担当し、彼女のサード・アルバム『Le maudit』 (1974年発表)でもスティルスが参加するなど仲の良いところを見せつけていましたが、2人の結婚生活は僅か3年で破局を迎えました。

この人がヴェロニク・サンソンです。宜しければご参考までに。


1994年に元夫婦と2人の間に出来た息子クリストファーが共演した映像です。離婚訴訟で10年に渡って両者は争ったのですが、すっかり和解しているようなので取りあえず一安心。曲は「Daylight again」(CS&Nが1982年に発表した『Daylight Again』に収録)。


姿が小さすぎてはっきりと確認できませんが、2008年にステージで親子3人が共演した時の映像とのことです。曲は「Love The One You're With」(1970年発表の『Stephen Stills』に収録)。


話が脱線して行きそうなので、ここからアルバムの中から何曲か紹介することにします。スワンプ・ロック風の雰囲気を持つオープニング・ナンバーの「Song of Love」はドイツのテレビで放送されていた音楽番組『BEAT CLUB』出演時の映像かと思われますが、途中で切れてしまうのが残念。1960年代から70年代にかけてのヴェトナム反戦運動を始めとする闘争を背景に、「だって君は知っているだろう/愛の歌は涸れ果て空しいことを」と脱力感や空虚感を表しながらも現状を冷静に見つめ、どのようにして前向きに進めば良いのかを提起し問いかけた歌です。


ヘヴィーなブルース・フィーリングに溢れた「Jet Set (Sigh)」はジェット機に乗って世界狭しと各地のリゾート地を飛び回るセレブやエリート層の若い女性を皮肉った内容が歌われていました。残念ながらこの音源も途中で切れてしまいます。


別れた恋人への未練が歌われるカントリー・ロック・ナンバー「Hide It So Deep」。


スティーヴン・スティルス名義でシングル・カットされ、全米61位を記録した「It Doesn't Matter」。スティルスお得意のラテン風のアレンジが施されています。


IT DOESN'T MATTER
落ちて行く くるくると回りながら
負けたり 勝ったり
正気を保ちながら
シグナルを探している
うんざりする座り込み
俺は欺かれていたのか
おまえは言ったよな
俺を忘れたくないって
もうどうでもいいことさ
二人のうちどちらが途方もない夢を失ったのかなんて

来る日も来る日も
察知しようと模索している
今日の気配を
もう少し早く走れよ
仕事を全うしようと
捕獲者のおでましだ
留まらないほうがいいぜ
まもなく囲まれてしまうだろう
もうどうでもいいことさ
二人のうちどちらが途方もない夢を持ち続けるかなんて

任務を覚え
誰かの助けを借り
たった今を生きる
何か浅薄で
醜くうつろだ
生活のために生きねばならない方法さえ
認めてくれない
与えられたものを与えるために
一瞬一瞬を
その日ごとに
もうどうでもいいことさ
もはや夢に過ぎないことだから

スティルスのアコースティック・ギターをフィーチャーした「Johnny's Garden」。都会の喧噪から逃れて静寂の庭で安らぎを求めたいというスティルスの願望が歌われているようです。


1974年に行われたCSN&Yのコンサートのライヴ映像です。


順調に事が運んでいたのにちょっとした油断で人生に躓く絶望感が歌われた「Bound to Fall」。


ロッキー・マウンテンからやって来た女に魅せられ、手に手を取って都会へと旅立つカントリー・ボーイの話が歌われている「Treasure [Take One]」。


アルバムの最後は「あんたは夢を共有しようとし、俺はあんたの心を感じた」とブルース・シンガーに呼びかける内容の味わい深いブルース・ナンバー「Blues Man」。1972年のライブ音源でお聴きください。


1973年にマナサスはセカンド・アルバム『Down The Road』を発表。順調な活動が続けられるように思えたもののスティルスはCSN&Yの再結成話に心を奪われ、次第にマナサスの運営がおろそかになって行きました。業を煮やしたクリス・ヒルマン、アル・パーキンス、ポール・ハリスらはマナサスを脱退してJ.D.サウザー、リッチー・フューレイ(元ポコ)らとサウザー・フューレイ・ヒルマン・バンドを立ち上げます。こうしてマナサスは僅か2枚のアルバムを残しただけで崩壊してしまいました。

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