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好きな音楽のことについて語りたいと思います。

Tom Jans - The Eyes Of An Only Child

 このところずっと子供にまつわる歌を取り上げてきましたが、どうしても気になる曲がありましたので、今回もその方向で書き綴らせていただきます。
 さて、その曲とはトム・ヤンスの「The Eyes Of An Only Child」。彼が1975年にリリースした2ndアルバムの表題曲です。



 トム・ヤンスは1949年2月9日にワシントン州ヤキマで生まれ、カリフォルニア州サン・ホゼで育ちました。祖母がジャズ・ミュージシャンの経験があったことからか、幼き頃より音楽に親しんでいたとのこと。そして思春期にはビートルズやボブ・ディランに夢中となり、自ら作詞作曲をするようになっていったのです。
 そのように早くから文化的なものや芸術的なものに関心があったのでしょう。カリフォルニア大学デイヴィス校に進学するとバイロン、シェリー、キーツなどの19世紀のイギリス文学を専攻します。その傍らサンフランシスコのコーヒー・ショップで歌うようになり、運良くジョーン・バエズの目に留まりました。
 バエズはよほど彼の歌が気に入ったようで、ちょうどデュオを組んでいた連れ合いのリチャードを亡くした妹のミミにトムを紹介します。リチャードの代わりとなるデュオのパートナーを探していたミミにとってトムは打ってつけの相手に思えたのでしょう。すぐさまコンビ結成となりました。

 1971年、ミミ・ファリーニア&トム・ヤンス名義でA&Mよりアルバム『Take Heart』をリリース。クレイグ・ダーギー、ラス・カンケル、ジム・ケルトナーら名うてのミュージシャンがバック・アップに配されていたことからも、A&Mがふたりにかける期待は小さくないものだったと察しがつきます。ところが、アルバムはたいして注目されずにデュオは解消。トムはソロの道へ進みます。
 
 その手始めに、トムはナッシュヴィルの音楽出版社と契約し、スタッフライターとして活動することに。程なくしてクリス・クリストファーソン&リタ・クーリッジが1973年のアルバム『Full Moon』でトム作の「Loving Arms」を取り上げ、同年にドビー・グレイが同名のアルバム『Loving Arms』で、エルヴィス・プレスリーが『Good Times』でそれぞれカヴァーし、ことにドビー・グレイのヴァージョンはシングル・カットされて全米61位まで上昇しました。

 こうして知名度が上がり始めたトムを古巣のA&Mが放っておくわけがありません。1972年に全米5位を記録したドビー・グレイのヒット曲「Drift Away」の作者メンター・ウィリアムズ(ポール・ウィリアムズの実弟)をプロデューサーに迎え、ソロとしての1stアルバム『Tom Jans』(1974年)の発表となりました。

 ところが、またもやA&Mの期待とは裏腹に、アルバムは商業的な結果を残せなかったのです。トムはナッシュヴィルを後にし、心機一転とばかりにロサンゼルスへ拠点を移しました。充電期間とばかりに曲を書きためる日々。そんな時、捨てる神あれば拾う神の如くCBSとの契約が結ばれ、2ndアルバムの制作に入ります。当時のトムはヴァレリー・カーターと交際していたらしく、彼女の紹介でプロデューサーにはリトル・フィートのローウェル・ジョージを起用したのですが、途中で意見が食い違い、結局ローウェルが関わったのは2曲のみ。それでもデヴィッド・リンドレー、ジェシ・エド・デヴィス、ビル・ペイン(リトル・フィート)など多くのミュージシャンが彼の口利きで動員されて完成に漕ぎ着けたことから、アルバムには感謝の意を込めてエグゼクティヴ・プロデューサーとしてローウェルの名が記されました。なお、エンジニアのジョン・ヒーニィ(ジャクソン・ブラウンの『For Everyman』、ネッド・ドヒニーの『Ned Dheny』などでも知られる)が、ローウェルの後を引き継いでいます。また、アルバム・ジャケットの写真はビートルズの『LET IT BE』(1970)のフロントと見開き部分、ザ・フーの『Quadrophenia』(1973)のアート・ディレクションおよびブックレットなどで知られるイーサン・ラッセルが担当しており、CBSが彼にかなり力を入れていたことが窺えるでしょう。

 このようにCBSから大きな期待がかけられたアルバムでしたが、成功とはほど遠い結果に終わり、ゴードン・ライトフットの『Summer Side Of Life』(1971)、ボズ・スキャッグスの『Silk Degrees』(1976)、アース、ウインド&ファイアーの『Earth,Wind&Fire』(1971)を始めとする幾つかのアルバムを担当したジョー・ウィサートをプロデューサーに迎えて翌76年にリリースされた『Dark Blonde』も不発。CBSとの契約は打ち切られ、アルバムのリリースは途絶えました。

 それでも地道にライヴ活動は続けられ、1982年に日本企画ながらドン・グルーシンがプロデュースを務め、リー・リトナー、スティーヴ・ルカサーやジェフ・ポーカロらのTOTO勢、それにかつての恋人ヴァレリー・カーターらが参加した4thアルバム『Champion』を発表。小田和正さんのオフコース時代の名曲「愛の中へ」をカヴァーした「There's a champion on my side」が収められたAOR色の濃いアルバムでしたが、本国アメリカでのリリースが叶わぬまま市場から消えていったのです。

 翌83年、トムは交通事故に遭い活動停止。その苦しみから逃れるためか、薬物依存に陥り、1984年3月25日、ドラッグのオーヴァー・ドースにより他界しました。享年36歳。本当に残念な人生の幕切れに思います。それでもドビー・グレイに提供してヒットした「Loving Arms」はその後もペトゥラ・クラーク(1975年の『I'm the Woman You Need』に収録)、オリヴィア・ニュートン・ジョン(1975年の『Have You Never Been Mellow』に収録)、キャサリン・ハウ(1975年の『Harry』に収録)、ナナ・ムスクーリ(1976年の『Love Goes On』に収録)、ディキシー・チックス(1998年の『Wide Open Spaces』に収録)、リヴィングストン・テイラー(1988年の『Life Is Good』、1999年の『Snapshot - Live at The Iron Horse』に収録)、ナタリー・コール(2006年の『Leavin'』に収録)など様々なアーティストに歌い継がれており、トムが紡ぎ出した歌はいつまでもリスナーの心に残っていくことでしょう。

The Eyes Of An Only Child
笑い声が鳴り響くと愚か者のような気がした
うなだれた俺に悪魔が嘲笑する
天使たちは歌いながら山から見下ろした
ただひとりの子供の目を通して

過ぎ去った日々に思いを馳せる老人たちの話に耳を傾けた
自由で気ままに過ごした田舎での日々
彼らの会話がねじれながらゆっくりと進み消えてゆくのを見つめていた
ただひとりの子供の目で

心の奥底で思い巡らす
以前にここへ来たことがあっただろうか
冬の風に身震いした
我が家にも吹き付けているだろう
長いあいだ海に出ていて、俺は海岸を見つけられなかった
ひざまづいて、もっと見ることができるようにと祈った
ただひとりの子供の視点で

カウボーイと普通の女の唯一の夢として育てられた
二人の微笑みに包まれて健やかに
俺の人生はいつも見守られているのだろう
ただひとりの子供の目を通して

だから俺は自分が選んだ人生で学び続けている
俺の一生が苦難に満ちていても
たとえ空が真っ赤に焼けても閉じたくない
ただひとりの子供の両方の瞳を

 無垢な視点で現実を見つめ、未来に思いを馳せながら心象風景を描いた少年時代。さらには自分の人生を振り返りながらそうした無垢な視点を閉ざしたくないという気持ちの表れ。挫折しても希望を見出すために日々努力する様子が窺えました。なお、実際のトムの父親は農夫で、家族を養うために仕事一筋だったようですが、ハンク・ウィリアムズが好みだったらしく、そのあたりがトムの音楽性に少なからず影響を与えたと受け取れます。彼が一時期ナッシュヴィルで過ごしたのもそのことが関係しているのかもしれません。また、母親はスペイン系で、精神的なものや文化的なものに目覚めるきっかけを与えたのは彼女によるものだとトムは述懐していました。

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Laura Nyro - To A Child

 前回まではベネフィット・アルバム『For Our Children』から選曲して記事にしてきましたが、今回も子供にまつわる歌を取り上げることにしました。お題はローラ・ニーロの「To A Child」。彼女が1984年にリリースした「Mother's Spiritual」に収録されていた息子ギルに捧げられた曲です。

 1978年の『Nested』発表後、ローラは音楽活動を停止させていました。彼女はこの年の8月に出産を経験したので、子育てに専念するためだったのでしょう。けれども、その頃には既に離婚しており、ニューヨークを離れ、マサチューセッツ湾に面したニューイングランドの小さな漁村でシングル・マザーとして暮らすようになっていました。都会の喧騒を離れ、豊かな自然に恵まれた中での質素な生活、そして親しき友やフェミニズム・グループとの交流。そうした体験により再び創作意欲が掻き立てられいったことは想像に難くありません。

 ローラは1982年頃から新しいアルバムの制作を開始します。当初はニューヨークのロング・アイランドで行われていたのですが、落ち着いた環境で幼い息子を目の届く範囲に置けることもあってか、ローラは自宅にスタジオを建設。ロスコー・ハリング、そして旧知のトッド・ラングレンを共同プロデューサーに迎えてレコーディングが続けられました。

 初期にはほとばしるような愛と情熱をテーマにしていたローラ。前作の『Nested』でも母性が窺われたのですが、ここでの彼女の関心は母性愛とフェミニズムに加えてエコロジーなどに移っています。二つ折りアルバムの内側の末尾に、Dedicate the treeと記されていることからアルバム・タイトル『Mother's Spiritual』のMother』には「および母性愛」の意味と同時に木々を育む母なる「大地」が示されているのでしょう。



TO A CHILD...(Gil's Song)
ちっちゃな子供
あなたは私にとっての奇跡の存在
これからもそう
今の私はとても多くのことを抱えて
とても疲れてるけど、私の奇跡は元気そのもの

人生って何?
雑誌を読めばわかるのかしら?
口籠る嘘は知りたいことを
何一つとして教えてくれない
懸命に生きる母と妖精に希望はあるのかしら?

お日さまにこんにちはのキス
公園の子供を見ていると
人生が素敵なものに思えてくる
私はひどくうんざりしてるけど
あなたはとてもはしゃいでいる
私は一遍の詩さえ書けない詩人
そしてあなたは私の子供

「悠々自適」
私たちのことが雑誌で
そんなふうに書かれていた
だったらどうして
洗濯機の傍で泣いている今の私たちを
どう説明するの?
こんな生活は放り出し
子どもと二人で夢を追いかけましょう

お日さまにこんにちはのキス
公園の子供を見ていると
人生が素敵なものに思えてくる
日が暮れた公園
風が止まない
木々が私たちを見つめている
あなたは私の歌
私の心を惹く愛らしい歌

愛って何なの?
我が子よ
私はあなたの傍にいる
だから自分の道を見つけるんだよ
辛くても真の道を
そして私も自分の道を見つけよう
だって私はあなたとともに成長していくのだから

お日さまにこんにちはのキス
神様と女神様が
我が子の人生を素晴らしいものにしてくださらんことを
星を見ようと梯子に登って身を乗り出しているあなたに
私は微笑んでいるのかしら
あなたは私の歌
私の心を惹く愛らしい歌

 我が子を見つめる様々な心象風景の中で、シングル・マザーの苦悩が滲み出ています。それでも希望が見出せるのはかけがえのない我が子の存在があるからでしょう。

 少し前に取り上げたキャロル・キングが娘たちに捧げた「Child Of Mine」には子供は自分の所有物ではなく、対等な関係との視点から共に成長していく存在として描かれていました。さらに自分の進む道を自分で決めることの大切さや子供から様々なことを教わったことなども示されています。ローラの「To a Child」もまた我が子を見守りながらも自分の道を見つけることを促し、同時にそれは親子の成長につながるものだと歌っていました。子供へのそうした接し方によって親子の信頼関係が築かれていくものなんでしょうね。そして両者とも母の限りない愛に満ちた曲でした。

 ローラにとって重要な曲のひとつなのでしょう。彼女は1993年発表のアルバム『Walk The Dog & Light The Light』でも再びこの曲をレコーディングしていました。



 1994年の日本公演でのライヴ・ヴァージョンです。2003年リリースの『An Evening With Laura Nyro (Live In Japan 1994)』に収録。2023年にリマスターされ、『Trees Of The Ages: Laura Nyro Live In Japan』として再発。冒頭の日本語によるMCが興味深い。



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